第260号 2018.2.27発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第266回「社交の罠、言論は武器である」
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コメント
2ばん
サン
よん
ごー!
6番?
今週も配信ありがとうございます。
ひち!!
エイト・ロックはジョニー・パワーズ
滅びよ安倍
ジューシー!!!
小林先生はヒットメーカー賞とみうらじゅん賞ももらっていますよ
以前の日米同盟を扱ったゴー宣で、イギリスはアメリカの属国だと断言していたと思います
今はアメリカの属国から脱したのでしょうか?
だとすればイギリスの独立がどうやってなされたのか、参考にしたいものですね
ゴー宣読みました、
ぶん殴ってやりたいし、
ぶん殴られても構わない、
ソコに確かな正しさがあれば、
と、常々思って生きていますがきっと周りは僕なんか死んでしまえと思っているんでしょうね、
…ただこれはmaxなんたらにとてつもない餌を与えるゴー宣ですね…^^;(自分の読解力の無さから感じた事ならごめんなさい)
Q&Aで自衛隊加憲の国民投票について答えていただきありがとうございました。
しかし納得がいかなかったのでもう一度書きます。
もう一度しつこく書く勇気を与えてくれたのは今日配信のゴー宣です笑
駒村教授はゴー宣道場でこのように述べています。
36分25秒
「おそらく違憲無効となってない現在においては日米安全保障条約、あるいはその下の駐留米軍、あるいは高度の政治性を有する自衛隊も取り敢えず有効なものと扱うのが法治主義の原則だと思います。しかしそれは合憲かどうかという問題とは別問題だと思います」
38分55秒
「国会と内閣の判断は第一次的には任せるけど終局的には主権を有する国民の政治的批判に委ねるんだと最高裁は最高裁の持っている憲法的な構想として大法廷判決として書いています。
つまり統治行為における憲法的な揉め事がある場合には最後は国民の政治的批判に委ねなければいけないんだよとハッキリ書いてあるわけです」
43分00秒
「国民が主権者として登場するのは憲法96条1項、憲法改正における国民投票における国民がこの国のあり方の最終的な決定権を持つ。
だとすると砂川判決が言っている高度な政治性を持つ国家行為に関する憲法的な争いについては第一次的には内閣と国会、終局的には憲法改正の国民投票における国民の政治的批判に委ねる」
これらの駒村先生の説明で私は「自衛隊は内閣と国会では有効だが合憲ではない。合憲かの決定権は国民投票にある」と解釈しました。
ですから、【国民投票で自衛隊加憲が否決されれば違憲】はよしりん先生と同意見です。
逆に新3要件も含む政府解釈(最少限度の実力組織)の自衛隊が国民投票で可決された場合は合憲になりませんか?
私も条文上は違憲だと思いますが国民判断で合憲になればソクラテスの悪法もまた法なりになると思うんです。
二項が残れば違憲の疑いが消えないと言っても国民が合憲の判断をすればその意見は無効になると思うんです。
だから自衛隊加憲の発議は相当ヤバイと思います。
最後に駒村教授は
49:50
「アジェンダを設定するのは政権与党か政党だという事です」
と言っています。
私はこのヤバイ二つの選択肢で国民投票をしたくありません。
早急に立憲的改憲論を選択肢にいれてほしいんです。
今度の「久米宏ラジオなんですけど」で久米さんも立憲的改憲論派に加わってくれることをして望みながらラジオを聞きます。
今週も配信ありがとうございます!
お疲れ様です。
「ゴー宣」読みました。
権力者が祝辞を寄せて、それを賞を受賞した言論人と集まった言論人・関係者が一緒に喜んでいる図というのは、実に気色の悪いものです。
「正論」という名を冠する言論誌とは到底思えません。「太鼓持ち」「茶坊主」とでも誌名を変えて欲しいくらいです。
私も昔、小林先生が時々寄稿していた頃に、その掲載号は買ったりしていたものでしたが、
「正論」は死んでしまったのかな、と思いました。
首相のお墨付きを得て調子に乗って「ルール破り」を「タブーのない発言」などと都合よく言いかえる三浦瑠璃にも呆れたものです。
小林先生はかつて「社交」に阿り過ぎる西部邁氏と袂を別ったくらいですから、
天皇制の問題で辻元清美氏が、以前よりずっと小林先生の見解に近くなって来たからと言って、
辻元清美氏が属する「言論の世間」に阿るはずがありません。
たぶん、今の言論界で「言論の世間」とナアナアになっていないの言論人は、自分が読者として思う限りでは井上達夫氏くらいなのではないかと思ってしまいます。
しかし日本の社会で、西洋のような絶対的な「個」がない社会で、世間と無縁であれる、というのは難しいことです。
西部邁氏は、もともと「人たらし」な気質があったのかもしれませんが、西部邁氏ほどの言論の第一人者であっても、
やっぱり日本的な世間に絡めとられてしまって、本人は「社交」をコントロールしていたつもりでいたのかもしれませんが、
その「社交」が仇になってしまっているというのは皮肉なものです。
ましてや、西部邁氏のようなレベルにはまだまだ程遠い言論人が「社交」をコントロール出来るはずもないと思います。
小林先生の若かりし頃の「小学館漫画賞」での審査員への批判は「ゴー宣」(おこっちゃまくんでもあったかも?)で読みましたが、読者として痛快でした。
今や右から左まで属国を望む奴隷ばかりになってしまいました。
そして「言論をやって目立ちたい」という人は、自己承認欲求丸出しなんじゃないかと思います。
まさにネットやスマホの普及で、一億総批評家みたいになってしまった匿名の床屋政談以下の呻きと何ら変わらないことになってしまいます。
読者としても、そういう人とそうでない人を見分ける審美眼を曇らせない為にも、研鑽が必要だなと改めて自戒を込めて思いました。
「トンデモ見聞録」読みました。
私はLINEは使っていませんが、ネット・SNSは利用する方で、しかも利用頻度は高い方かなと思うので、
もしIDが消えたりログイン出来なくなったりしたら焦りまくる方です。ネット堕落していると自省します。
「ラッキー」と思えるくらいであった方が健全なのかもしれませんね。
そして、こちらでも、欧米の「society」と日本の「世間」の違いについて言及されていましたが、その通りだと思いました。
生活に追われるあまりに新聞やテレビのニュースも見なくなって、チャンネル桜をyoutubeで見るのにハマってしまった方の話が出て来ましたが、
まさに私の友人・知人の中にこんな感じの人が結構いるので、人ごとではない怖さです。
しかし、チャンネル桜を脱会させるために泉美先生が取った手段は、泉美先生らしいというか、なるほどと思いました。
私はクソ真面目過ぎるのかもしれません。「そんなの見るなよ」と正面からズバッと言っちゃって、それで気まずくなったり、
それから政治や社会の話をその人としずらくなったりしてしまいます。
「小林よしのりの眷属」は、元々、皇統問題に携わる要職にありながら酷い言動が目立つ柴山昌彦議員に対してアタマに来て、よし文句言ったる!と始めたSNSで、
アンチがそういうカテゴリで勝手に人を分類していることを知りました。
面倒くさいのでブロックしてしまいましたが、
SNSの世間、地域の世間、仕事関係の世間、友人達とのかかわりの中での世間・・・いろんな世間と戦っていかなければならないなと改めて自戒と共に思いました。
日本が明日から急に西洋型の社会になる訳でもありませんし、日本は日本であって欲しいということもありますので、
負の面が多過ぎる「世間」ではありますが「世間」と戦っていくことは宿命なのかなと。
戦うのを辞めて埋没してしまった方が、ずっとラクなのかもしれませんが、それはすなわち「堕落」ですしね。
追伸:Q&Aの質問・回答、「しゃべらせてクリ!」、頭の体操にもなって毎回楽しいです。
クリリンがやってきたさんの「古着」ネタや、らっこフェスティバルさんの「半分」ネタは、目からウロコでした。
そして、久米さんとのラジオも楽しみですが、小林先生と久米さんと言えば、かつて、
久米宏さん、小宮悦子さん、小林先生の三人で屋台のセット風のところで対談した「ニュースステーション」を思い出します。
今週も配信ありがとうございます。
よしりん先生の「一人でも寂しくない男になれ」という言葉、大好きです。自分もそのような男になりたいです!
さて
第4回関西ゴー宣道場「新世代の憲法論」
平成30年3月11日(日)午後2時 から
『大阪研修センター 江坂』 にて開催します。
申し込み締め切りは2月28日(水)です。
いよいよあと1日!
とにかく一度ゴー宣道場に足を運んでみて下さい!体感すれば、分かります
まだ参加できるチャンスは、あります(^^)
申込は下記URLで
https://www.gosen-dojo.com/?page_id=530
トンデモ見聞録読みました、
新聞受けのスリットから、ひっそりと世の中をのぞきたい
木蘭さんのこういう文体本当に好きです、なんかゾクゾクします、
何故でしょう?母親から反吐が出ると言われたエピソードにクスリとさせる力があるのは、不思議です、
世間は今も2ちゃんまとめが基準の大人達が多数です、
そこで言われているのは小林よしのり狂ってるです、
その人達の前で読む辻元清美デマとデモクラシー、
苦虫を噛み潰したような顔で見られてます(笑)
よしりんと木蘭さんは、あらゆる言論人の中でいちばん共感できます。
言論は命がけでやるもの。仲良し学級会にあらず。正論大賞とか、ダサすぎて鳥肌立つ。
木蘭さんと同じで、わたしも仕事上の大きな飲み会みたいなのは、理由を見つけてトンズラします。
木蘭さんの頭の良さとかセンスの良さに、みんな憧れているんだと思います。だけど、「自分がいちばんすごい」的な人たちは、それを素直に認めたくないから、「あの人は変わった」的なことを言って、必死に“自分が支配できる範囲の世界”に木蘭さんを置こうと試みるんでしょうね。
負けずにがんばってください。陰ながら、ずっと応援しています。
「言論をやっている以上は、誰が相手だろうと、男女を問わず厳しく批判しなければならないことがある。
ましてや、人に害を及ぼすような発言をしていれば、特に厳しく接しなければならなくなる。
ところがその相手と会って仲良くしていたら、なんだ、実は全部なあなあで、本気で批判していないんじゃないかというように、外からは見えてしまう。」って、先生はさすがプロレスファンというか、リアルプロレスラーだな。
プロレスラーでもプロ中のプロは、仇役のレスラーとは絶対別の交通手段で会場入りするもんな。仲良く一緒に移動して会場入りなんてファンの手前できないでしょう。
と、こんな内容のコメントを書くと厳しく「世間」から見られるかな?
100冊の漫画入りサインは驚異的。
センセ、すごい。
今週も配信有難うございますm(_ _)m
言論で戦う者ではない私でも、「一人でいても寂しくない男になれ」の意味を噛み締めながら、良き観客として思想を続けつつ現場をとって、僅かでも独立に向かう力を培って行きたいと思いました。
宮本和知
今号のゴー宣を読んで再確認。
日本の猿に個人主義は出来ません。
先生のブログを拝読して、やはりヒトラーかギレンザビだと感じた方は私だけでは無いかも。
「立てよ!国民よ!」
一人でいても寂しくない男になれ、私も好きな言葉です。
言論の賞に首相がコメントすることに違和感を感じないことに恐怖を感じました。
仕事で世間や立場で主張をする人ばかりで難儀しているところです。
お役所仕事というやつでしょうか?
私は世間に合わせず損得も関係なく発言するのでかなり特異な存在です。
N014くろぴく 様
安倍首相は違憲論議に終止符を打つ、と安倍改憲案を提示しました。
なので問題は「違憲か合憲か」ではなく「論議に終止符が打てるかどうか」だと思います。
以前の私の同様の質問に対して、よしりん先生は「よけいややこしくなる」というようなことを回答されました。
そのとおりだと思いますが、例えば、
国民投票で可決されても国民の○割は違憲だと投票した、と言うこともできます。
「戦力の不保持と交戦権の否認」も国民は可決した、と言うこともできます。
「自衛隊が戦力でない場合のみ」国民は合憲としたのであって、「自衛隊は戦力であるのだから違憲だ」と言うこともできます。
違憲か合憲かは最後は国民が決めると思っている憲法学者ばかりではありません。
砂川判決と今回の改憲で改憲後の憲法で自衛隊が違憲かどうかの議論がなくなるかどうかは関係ないとも思われます。
(私からお答えするとすれば以上になります)
さて、
みなぼん様のご採用、ちょっとゴー宣に書かれてたのですか?
どのように書かれていたのかご存じの方があれば教えていただきたいです。
配信ありがとうございます。
今回のライジングを読んで遠藤周作の沈黙を思い出しました。
村民も思考停止している自分に気づいていない。
パードレも自己正当化の檻の中でしか物事を見ていない。
キチジロウだけは村民の同調圧力の外側で思考出来た。
キチジロウが唯一堕落せず、しかも正直に真理を追求していたのに、誰にも理解されず、愚か者扱いされて孤独な人生を送っていた。
卑怯者の島を読むと深い河を読みたくなり、新堕落論を読むと沈黙読みたくなります。
根底にある物が近いのかもしれません。
☆☆☆応募締め切りまであと24時間ちょっと☆☆☆
第4回関西ゴー宣道場設営隊の皆様
諸々のご活動誠にありがとうございます。
今回の道場に対し、個人的な思いを書かせていただきます。
ゲスト登壇される曽我部教授が編著者として携わられた、『古典で読む憲法』という本があります。
古典!!
憲法!!
『新・堕落論』を読んだばかりのこの時期に、好奇心をくすぐりまくるこのタイトルを書店で見かけて即買いし、若干興奮気味に読み進めています。
自由や人権といった価値、並びに三権分立や違憲審査制といった政治制度の形成過程が、ルソーやロック、モンテスキューといった賢人たちの言葉を引用しながら、初心者でも読みやすく、そして詳しく解説されています。
言うまでもなく、憲法という、権力を統制する枠組みが初めからあったわけではありません。
「個人の自由や権利を権力に守らせる」という人々の強い思いが、賢人たちの叡智と結びつき、現在の憲法や諸制度にたどり着いた様子が窺い知れます。
そうした人類の知恵と意志の積み重ねの上に現代社会が築き上げられていることに、思いを寄せずにはいられません。目先の利益しか頭にない今の日本に、最も欠けているものがそれらだと思うからです。
憲法を学校で教わったとき、条文の内容ばかり強調されていました(「憲法が平和や国民の権利を守ります」といった飾り文句付きで)。全条文の写本なんかもさせられました。
でも製品の特徴(憲法の条文)だけ教えられても、メンテ方法(知恵や意志)を知らなければ、不具合が生じたときに直せるはずがありません。
日本での憲法論議が低調だったりあさっての方向に向いてしまっていたりするのは、つまるところメンテ方法を知らずに、直すのを半ばあきらめつつ、未練がましく適当にいじくり回しているような状態だといえるでしょう。
本著を通して見たときの憲法論議は、全く違った姿をしています。
そもそもが「個人の自由や権利を権力に守らせる」という意志から始まっているので、憲法論議に決まった形はありません。
言い換えれば、自由や権利を守るための議論は、すべて憲法論議につなげることができます。
フェイクの氾濫や私企業による表現統制への対処、さらには天皇陛下の表現の自由や皇族方の人権保障のあり方なども、憲法論議として取り上げて良いのではないかと思います。
それくらい憲法とは、幅が広く身近な存在なのだと気付かされます。
また、憲法には人類最高の叡智が凝縮されています。自由や権利こそが人類にとっての最大関心事に他ならないからです。
これら抽象的な理念を制度に落とし込むために、いかに緻密な知的作業が展開されていたか。
それに触れる喜びを感じることができると共に、人はここまで考えを深めることができるのだ、「安倍でも縛れる」立憲的改憲もきっと成就しうるのだと、希望が湧いてきます。
憲法を学ぶことが、こんなにも胸躍る面白いものだとは思いませんでした。
関西ゴー宣道場にも応募させていただきました。
国内の憲法への固定観念を打ち破る議論が展開されることを期待しております。
当選したら是非、会場の熱い空気の中で学ばせていただきます。
我が家も東京新聞を取っているのですが、今日の朝刊にあった【ジャーナリスト・津田大介さん】が書かれた記事を読んで、頭がハテナマークでいっぱいになりました。
フェイクニュースという事実に基づかない記事を載せた新聞、誤報を配信した通信社、差別扇動発言を放送したTV、最近おこったこの3つに対して「メディアの倫理」を問う、という主旨の記事なようです。なんで前者ふたつと3つめが同列なんでしょうか。前者ふたつはメディアの倫理が問われる内容でしょうが、3つめの問題点はそこではありません。言ってみればその中で事実をそのまま報道したのは3つめのTVだけとも言えます。「国際政治学者の発言」という事実を、です。
よしりん先生がブログに書かれていたように津田氏は、「国際政治学者の三浦瑠麗氏が、ワイドナショーで“北朝鮮のテロリスト分子(スリーパーセル)が日韓に潜んでいる”と発言」とし、「発言自体は、日本社会に北朝鮮のスパイが潜んでいる危険性を指摘した他愛もないもの」と書いています。しれっと「テロリスト分子」を「スパイ」と書き換えて、それを「他愛のないもの」と言っているのです。
三浦氏のツイッターで、パーティーに参加していたと思われる東氏や津田氏と一緒に写っている写真を見たときに、「なにこれ?どういうこと?」って思ったんですよね。彼らのツイッター見れば、それなりに三浦氏の発言に対して批判的な意見を述べていたりするから、まあ異なる意見や立場の人たちとも意見交換したり、情報収集する場を持つのは有益だったりするのかな、それこそ社交が必要なときもあるのかな、などと思うしかなかったわけです。
ところが今朝の新聞。あの内容では、途端に発言や論調が変わっちゃったねえって思われても仕方がない。
そして今日配信されたライジングのゴー宣を読んで合点がいきました。津田氏の記事は今朝の新聞に載っていたものであり、奇しくもそれより前に書かれたと思われる今号のライジングのゴー宣で指摘している「思想を磨くための社交」ではなく「同調するだけの世間」だということを、津田氏は新聞上で吐露しちゃったということだと思います。
大丈夫か?ジャーナリスト・津田大介さん。
三浦瑠璃氏のツイッターだったか、別のツイッターだったかで見た上では、三浦瑠璃氏、東浩紀氏、津田大介氏、古市憲寿氏が一緒にいたみたいですね。
東浩紀氏は「テレビの地上波でそんなこと不用意に言ったらヘイトの口実に使われるに決まってる」と断じ、
「諸悪の根源はそもそも『なんでもかんでも韓国朝鮮人を難癖つけて叩こうとする腐った日本人』どもなんですよ」とツイートしたそうですが、
果たして東氏は、このお仲間の「世間」に飲み込まれていないのか、
今後もバランス感覚のある発言をしていってくれるのであれば、
三浦瑠璃の色気に惑わされたのではなく、お仲間の「世間」にも埋没していないと見れますかね。
私は「ゴー宣」道場の三浦瑠璃ゲストの時は、彼女に騙されたクチだったので(汗)。
しかし、今回の差別扇動に繋がる発言は断じて許せませんが、
以前、朝生で竹田恒泰に対して言った「寝室の話をされると吐き気がする」という発言、あの感覚には常識を感じました。
もう、女「桜井誠」目指してまっしぐらなら、あの当時の彼女の常識のバランスはもう失われているのかもしれませんが、
目を覚まして欲しいなと思っております。こういうことを書くと「甘い」となってしまいますかね(汗)。
サイン本、新堕落論は買ったので、さすがに人に譲るとして、
辻説法、全部読んだので、正直単行本はどうしようかなあと思っていましたが、サイン本があるなら買うしかありません。
100冊もありがとうございます。
大阪で売ってくれて良かった。
買って人にもむっちゃ勧めます。
前回は早くに並び、高山先生のご本を始めに買いました。
休憩時間には 売り切れていました。
争奪戦ですねえ。
あっ作戦ばらしてしまった。
立憲的改憲論、我々が盛り上げていかなければなりません。
新聞3誌にもメールしましたが、議論を盛り上げることが肝心です。
みなさま私とサイン本の争奪戦しましょう。
あまり早く行ったらご迷惑ですよ~。
なんか私は前回当たったので外れても良いような気になってきました。
まだ行かれたことがない方は是非。
「スリーパー・セル」や、いざという時の破壊工作員として日本に長期間潜伏を続けるという意味での「スリーパー」については、根拠があまりに乏し過ぎてため息しか出ないのですが、元CIA捜査官の目から見た、今回の三浦瑠麗氏の発言に対しての見解の記事がありましたので、URLを添付させて頂きます。
北朝鮮「スリーパー・セル」を恐れる必要はない/Newsweek日本版
https://www.newsweekjapan.jp/glenn/2018/02/post-4.php
自分を大きく見せたい人間の心無い一言のせいで、国民の国防意識が高まるどころか、むしろ北朝鮮を無駄に過大評価してしまう危険性以上に、在日の方への無意味な差別の助長(もう実際に事件として表面化したようですが)、さらに日本の警察機構に必要以上の取締り強化の口実を与えることに繋がる可能性もあり、これからますます自縄自縛的に日本人自身が息苦しくなっていくことの方が心配です。
ジャーナリストの故・筑紫哲也は生前、友人だった小泉純一郎が総理に就任した時「私は今まであなたを応援してきたが、これからは1人の権力者としてあなたと対峙する」という手紙を送っていたそうです。
このエピソードを知った時、権力者と言論人の間には、こういった緊張感が必要なんだと思いました。今の言論人は言論の質よりも、権力とのパイプの太さや、人脈の広さこそ誇りだと勘違いしているように見えます。結局は世間に「いい人」だと、思われたいだけなのでしょう。
僕は言論人の役割は「庶民の代弁者」や「空気を読む」事ではなく、「庶民にとって耳が痛い事」や、「空気を打ち破る」発言をする事だと考えています。
最近のTVのコメンテーターは「世間から見ていい人」を目指そうとする余り、「どうでもいい人」ばかりになっている気がします。
しかし世間を全く否定してもそれはそれでいけないというのが難しい所です
複数の世間を遠近各所に持っておいた方が人間としての成長や奥行きに繋がるし、自制心というブレーキを与えてくれるものにもなる
世間に縛られて物の言えなくなる人は世間の数や種類が足りないんじゃないだろうか。たくさんそれなりに(ここ重要)持っておいた方が客観性が生まれてまともな人間になり易い、と思えます
世相で分かる通り極端から極端へ振れ続けるのが日本人であり人類なので、知恵ある者を自覚するなら気を付けたいところです
配信お疲れ様です。
そもそもなんですが産経の紙面の方の正論にせよ雑誌の方の正論にせよ、それぞれの書いてることから本当の「正論」って一度も聞いたことなくむしろ「愚論」しか聞かされないイメージなんですけどね(笑)
「正論大賞」なんか毎年「日本おバカ論文大賞って名前に変えたら?」と思ってますが。
今回の三浦・小川両大センセイもですが「こんな連中に賞贈っておいてなにが『正論大賞』だ」って考えしか持てないです。朝日・毎日・読売もせいぜい小学生向けの「なんとか作文コンクール」ぐらいでしかこういった類の賞をやってないですし、産経も新聞社として恥ずかしくないんですかね。
今週も配信お疲れさまでした。
記事に関連するかどうか、最近になって漸く気づいたのですが、
頭山満の「一人でいても寂しくない男になれ」という言葉ですが、
我らクラシック音楽ファンなら誰でも知っている伝説のヴァイオリニスト、“ヨーゼフ・ヨアヒム”がモットーとしていた言葉、
「自由に、しかし孤独に(Frei aber einsam)」に通じますな、ということです。
「人を相手とせず天を相手とせよ」「かくて星に向かっていかん」
世間がどう言おうと、アンチやネトウヨが何を言おうと、
孤高の先生方やゴー宣道場、当然立憲的改憲、それら自体の価値が下がるわけでもないと思いますけどね。
それより、『新・堕落論』及び解説動画を拝見しまして、ちょっと面白いことが思いついたものでして、
ここ暫くモノ言わぬ読者ライフを満喫していましたが、
関西道場の設営隊の諸姉諸兄の、これが関西人のノリかえ!((°▽°))って熱気が楽しいので、
もしよろしければ、共振させて頂こうとエールを送りたく思いまして。
[狂信者]?[共振者]??どう思われようが一向に構いませんよ、私は。
わりと[強心者]なものでして。繰り返しますが、「人を相手とせず天を相手とせよ」ってね。
設営隊の皆様のような[侠心者]たちがいてこそゴー宣道場が成り立っているということなら、[今日深謝]致します(ちょっとくどい?)。
天の配剤か、山尾議員の質問を偶然リアルタイムで拝見しまして、
当選させた愛知7区の人たちを抱擁してあげたい\(T▽T)/と涙ぐんでしまいましたが、
流石によしりん先生は手厳しい(そこが凄く楽しい(/▽`)!)。
私もつい、つい忘れてしまいました。
以前山尾先生がゴー宣道場で仰った、「相手を論破するのでなく、相手から引き出す場」ということを。
あの時山尾議員は安倍首相らから何を引き出したか?確かに山尾議員、最後はまだまだやりきれないという様子をされてましたかなぁ。
ということで私が気になるのは、立憲的改憲案をひっさげて獅子奮迅、縦横無尽に、大胆に振る舞って頂くために、
果たしてゴー宣道場はどこまで山尾議員をパワーアップさせられるのかというところです。
その勇姿、活躍ぶりを目の当たりにした若い議員とかが、
「あたいも山尾さんのようになりたいわ」ってゴー宣道場に続々入門することに・・・?
そんな『少林サッカー』とかみたいな展開になるかどうかはともかく、
(今更ですし、もう誰かが言っているでしょうが)
とらやの饅頭のように、立憲的改憲もいいあん(案)をしっかり詰め込んでいきましょうや。
是非是非勉強させてください。わっはっは(^^)。
私も前回の道場をうけて、立憲的改憲案について色々お尋ねしてみたいことはあるのですが、
残念!去年で天中殺は終わったはずなのに、今ピンチ!(。Д*;;;)で大阪まで行く余裕はないです!~(≧皿⊂)
ですから、関西方面の同志たち、おいおいどうしたどうした?応募は済ませましたかい?
ウザイ質問だって山尾先生ならサッと引き出しを開けて見事に議論に花を咲かせてくれるさ。しっかり頼むぜ!ο(°"°)ο
こんにちわわ。
よしりん師範のゴー宣を読みまして。
「言論」活動を表彰する場で権力者による祝辞のビデオメッセージが流される…
コレは一体なんの冗談なのでしょうか。
権力者にとって無害な「言論」なぞに、なんらの価値もありません!
産経周りの言論村の垂れ流す言論が権力者には無害であるということは、即ち一般の国民にとっては有害でしかありません。
そこで繰り広げられるのは「社交」などではなく、「馴れ合い」。
幕末の文字通りの真剣勝負の言論とはかけ離れすぎていて手に負えません。
ま、斯く言う僕も幕末に言論してたら命がいくつあっても足りませんがね…
ライジング配信ありがとうございます。
同調圧力に負けない確立した「個」になりたい!と思いながら
まったくなれていない自分がいます。
小林先生がおっしゃっている
・他者と「緊張感」をもって、「目標」を果たすために行う言論(議論)
この中から「同調するだけの世間」でない「空間」「仲間」が産まれ、「個」につながるのかなと感じています。
(もくれん師範の「本腰を入れて勉強するようになった」という記載は、この「空間」「仲間」に触れたからでは?と勝手に推測しています)
ゴー宣道場は、「緊張感」「言論」プラス「ユーモア」を備えた場です。
一度足を運ぶと、いろいろな気づきが埋まっています。
今まで参加したことがない方で「ちょっと気になってるんだけど…」と考えている方がいらしたら、
「気になっている」ってところで参加資格クリアだと思いますし、きっかけは何でもいいと思っています。是非足を運びましょう。一歩目が大事です!行動に移しましょう!申し込み締め切りは本日です。
私は大阪会場には参加できないのでネットで拝見します。ユーモアのある、ガチの議論が行われる空間を楽しみにしています。師範の皆様、スタッフの皆様、設営隊の皆様いつもありがとうございます。
今週のライジングは、世間の危うさ、世間の中で無自覚に顔色をうかがいながら生きてしまう日本人が嵌まってしまう罠や、そこから始まる堕落を炙り出していて、すんごく面白かったです。
この「世間」は、別名「共同体」とも言い換えられるのでは?と思いました。
人と人の繋がりの中で、幸せを実感したり、助け合ったり、人が砂粒の個になることもなく精神が安定したり…と良いこともある一方で、
何時しか出来上がった「村の掟」にがんじがらめになったり、自分の所属する世間の空気の同調圧力が高まって窮屈になったり、
私はこう思う!
と個の意見を言えない世間の空気の圧力で息も出来なくなったりするという経験は、職場・家庭・地域等の各々の所属場所で日本人なら大多数の人が経験し悪戦苦闘したことがあるのではないでしょうか。
日本の場合の共同体(世間)と、西欧の共同体では、同じ言葉でもその姿が違うように見えるのは、
個人主義が確立しているかどうか?が大事なポイントなんですね。
欧米人の義弟がいるのでこれはとてもよくわかる分析でした。
義弟と国や政治などの話しになると、お互い自分の意見を何の躊躇もなくぶつけ合うことが出来るし、例え互いの意見が違っていても全くしこりが残らない、という面白さを感じたことがあるからです。
世間の和を気にしすぎて、意見の衝突が起こったときに、異なる意見の間を取ってなあなあで解決してしまおう!とか、ついやりがちだけど、こんなことでは本物の公論など作れるわけがないですね。
ましてや、エセ保守論壇世間に気に入られるコビ売り言論で、正論大賞貰って喜んでるような、知的誠実さを捨てた言論人の姿勢を見ると、
ついに悪魔に魂を売り渡したか?
と思えるほどですが、言い過ぎでしょうか?
公論のためには、日本人も個人主義へ成長しなくてはならないのだな、と思った今週のライジングでした。
やっぱ、ライジングは面白い!!
そして、個の意見も堂々とぶつけあって議論が出来る道場も、面白い!!
こういう議論が聴けるのは、私の知る限りゴー宣道場しかない。
次の道場も、パソコン画面を凝視しながら議論に夢中になるんじゃかいかという予感で一杯。楽しみにしてます!
コミニュティなんてコネクションにもならないし、社交場とか言っても馴れ合いと言論封殺の原因作りにしかなりませんし、無意味ですね。
ま、日本人の人間関係性なんてそんなもんかも知れません、維新の志士やそれこそ飛鳥時代や鎌倉〜戦国時代の殺すか殺されるかの武家とは違い、
何時の時代も大多数を占める我々庶民には無理なのかなと思わずにはいられませんね。
今週も配信ありがとうございます。
自分は大勢の初対面の人とかも割と入っていく人です。
飲み会とかの集まりも大好きで誘われたら大概行きます。
いまだに草野球をつづけていて世間にどっぷりはまっています。
が、社交。
自分本当にダメな人なんですね。
思ったことをズバズバ言って煙たがられてましたし。
自分がいいと思ったことを独断でやったりして。
そんなだから会社にいれなくなってしまったのですね。
それで2社から放り出されています。
もう少しなんとかならなかったのかとは思います。
妻からも何度も人間失格、みたいなことを言われます。
(まあ仕事の能力もさほど高くなかったのもありますが)
そのためか「世間」の圧力って受けた覚えがないのです。
(体育会特有の理不尽さはたくさん受けましたが)
特にひがまれるように目立った能力があったわけでもない。
赤切符きられたくらいしか犯罪はやっていないし、
殴り合いのケンカすらしたことがない。
「こいつはこういうやつだ」と認識されているようですので、
多分、もくれんさんのように名前が売れたとしても
友人や親類からこういう意見は言われないでしょうね。
深く関わっていない知り合いからは妬みで言われるのでしょうか。
受賞者の方々「害毒新風賞」の受賞おめでとうございます。
権力者の方々に覚えめでたくなによりですね。
だふねさん…
(///∇///)
恋の予感が…ただ駆け抜けるだけ~♪
(*^3(*^o^*)
すみません…
次回は必ずや関西ゴー宣道場に駆けつけますです!
願いがもしも叶うなら 今すぐ君の元へ~♪
。・゜゜(ノД`)
以下新潟弁
どういん?まだ応募してねんけ?
じき〆切らよ!
おもっしぇっけ、行ってきなせ!
おっかのねっけ!
(どうしたのですか?
まだ応募していないのですか?
もうすぐ〆切ですよ。
面白いですから、行って来て下さい。
怖くないですよ。)
面白ガリータさんが待っていますよ~
(^_^ゞ
配信お疲れ様です。
言論というのは、権力に対抗する手段の一つであるはずなのに、権力者が祝辞を送る正論大賞が取りざたされるのも、そこに付き合いと称して大勢集まるのも明らかに異常です。三浦瑠麗を批判していた津田大介も、正論大賞で顔を合わせた途端、擁護に回ったと聞きました。
どうして日本の言論人が、付き合いという「世間」にどっぷり使っているのか。緊張感が無い、というのもありますが、やはり「同じ日本人だから」という甘えがあるのではないかと思います。もしくは、自分の言論で日本が変化するわけがない、と端から諦観しているか。
なんと言いますか、日本の言論状況というのは、奴隷であることを容認して、アメリカの用意した檻の中、監視下で行われるチャンバラごっこみたいなものですね。美意識とか無いのかな、と思ってしまいます。
関西ゴー宣道場設営隊員のだふねです。
>>47
urikaniさん、どうもありがチョウですっ(´∀`*)ポッ
♪ぴたりと吸いつくように 相性いいことわかってる
ふたりだからイケるとことこまでイこうよ(/ω\)イヤン♪
次は是非、いらしてくださいね☆彡
【最後の告知です!】
3月11日の「第4回関西ゴー宣道場」、申込〆切まであと2時間ちょっとですΣ(・ω・ノ)ノ!
応募がまだというあなた、迷っておられるあなた、人生のうちの3時間だけ、私たちにくださいませんか?
自分の時間をお金に換えるために働く、これは生きていく上で絶対に必要です。
「勉強のためにお金を出すことにもう意義は感じられない。学校から学ぶべきものはもう学んだし、実生活にどのくらい役に立っているんだ?」という声も多く聴こえてきそうです。
でも、ほんとうにそれで良いのでしょうか?
人生で大切なものは、ごほごほ(自分で言っててかなり恥ずかしくなってきた)、自ら進んでつかみ取るべきではないでしょうか。
1000円で勉強できます。師範方6名に、豪華なゲスト陣。
安いものだと思いませんか? これいじょうベンキョウ(※まけると言う意味)はできませんが、持ってけドロボーのつもりで、当日は心からおもてなしさせていただきます。
♪ツライつらいつらいとわめいているばかりじゃ 心にしわが増えるだけ♪
♪言いたいことも言えないこんな世の中じゃ POISON 俺は俺をだますことなく生きてゆく♪
自分の好きな音楽には、メッセージがたくさんつまっています。
『ゴー宣』にも、音楽に負けないほどの普遍性のあるメッセージがたくさん込められていると思います。
それをナマで、LIVEで体感してみませんか?
大阪・江坂にてお待ちしておりますm(__)m
3月11日 関西ゴー宣道場応募〆切まで2時間を切りました。
ゴー宣道場ほど、ただただ「公の為、日本の未来の為」に議論し、発信する場は無いと思います。
それを国会という現場に届け闘ってくれる山尾議員もいます。
そして、僕らにもその場に生で参加できるチャンスがあります!
「3月11日、江坂に行ける」
という方、まだ間に合います!
ぜひ、応募を!
『よしりん辻説法』、1000円なんだ~~(オドロキ)。
いいの? こんなに安くて。
さっそく注文しなくては☆
あの〝袋とじ〟の回、じみじみと読んでたな~~。。なんか泣きそうだったわ。
関西設営隊のGONと申します。
さて
第4回関西ゴー宣道場「新世代の憲法論」
平成30年3月11日(日)午後2時 から
『大阪研修センター 江坂』 にて開催します。
申込み締切りまで
いよいよあと約3600秒!
約3600秒!
も一度言います
あと約3600秒!
とにかく一度ゴー宣道場に足を運んでみて下さい!体感すれば、分かります
まだ参加できるチャンスは、あります(^^)
申込は下記URLで
https://www.gosen-dojo.com/?page_id=530
配信、ありがとうございます。
「幕末の武士は、お互い刀を携えて談判をしていたのだ」
これは凄いですね、と同時に羨ましい時代だとも思いました。
虚偽答弁を繰り返している安倍首相など、何回刀で斬られている事か。
三浦瑠麗の言う、「朝鮮有事の際には日本国内でスリーパー・セルが破壊活動を始める」という発言は、その可能性はあるのかも知れないという考えは自分にもあります。
ただ、僕の場合は断言には到底至らないし、大阪が危ないとか場所を指し示すのなら、なぜそうなのか?きちんと説明する必要があります。
その話には根拠があり、テロリストの可能性が大きいのなら、ワイドナショーより警察で話しに行ってほしい。
ここ最近、安倍首相の酷さが限界を超えている。
俺は学園問題で、安倍晋三が責任を問われ、辞任するのかと思っていた。
森友学園問題では、新たに資料や音声データが出て来て、言い訳も逃れようもない。
更に、籠池氏夫妻の半年にも及ぶ不必要な長期間勾留。
虚偽答弁が判明した佐川を国会招致する事もせず、まさに安倍は「卑怯無制限」とあだ名するにふさわしい。
国民に説明すべき事を全く果たさず、責任も全く取ろうとせず、辞任もせず、権力で身内を匿っているのだから。
裁量労働制のデタラメなデータを通す事も含めると、異常と狂気、有名人と会いイメージを払拭しようとする自己正当化の上塗りの連続であり、今の与党は極悪人が権力を持つとこうなる、というのを再現しているに過ぎない。
安倍首相が言論界、芸能界、スポーツ界への介入し、篭絡をしてくるのを見ると、心が痛みます。
あそこまで、自民党政策擁護発言している松本などどうでもいいが…。
学園問題で逃げまくった安倍は完全に黒と言えるし、悪と言える人物です。
そんな人間と、もし浅田真央選手が感化して、自民党寄りの発言をしだしたらショックにならざるを得ません。
有名人は特に安倍首相に警戒してほしい。あんな黒いイメージを付けられたくない、という一心です。
安倍首相の自民党は、無言の圧力をかけてきそうで危険だと思うが、どの業界も意思を強く持ってほしいと願っています。
高森師範の動画、「女性宮家創設を急げ」拝見させていただきました。
皇統問題は重要ですので頑張っていただきたいです。
女性宮家の創設等の検討は付帯決議では結局、
「本法施行『後』速やかに」となってたのですね。
特例法施行に「向けて」とされたのは国会答弁でしたか?
何とか特例法施行前から急いで検討してもらいたいものです。
津田さんは2月19日のツイッターで「狂ったスピーチを聞いて気分悪い……。」とつぶやいています。同日に正論大賞に出席していたのでおそらくそのことを言ってると思われます。自称保守村は怪しいと分かってはいるんだと思いますが、つながりを優先してしまうんでしょうね。東、三浦、津田、古市さんとか、あのあたりは全員つながってますよね。おともだち忖度で言論されても困りますが。
「ニュース女子」が終了するんですね。びっくりしました。ニッポン放送の「ザ・ボイス そこまで言うか」も3月で終了らしいです。ネトウヨが怒りそうですね。笑
個人的にはできるだけ幅広くいろんな意見を聞きたいと思っているのですが、最近の自称保守の言説はカルトっぽくてついていけません。
小林先生が久米宏さんのラジオに出演されるということで楽しみです。ニュースステーション時代の久米さんをゴー宣で徹底的に批判していたのを思い出します。笑
当時はテレビも過剰報道な部分は多々ありましたが、今よりも権力のチェックはちゃんと機能してたんですよね。
最近スマホ認知症と言うのがあるらしいです。
去年の参考人招致に小林先生や高山さんと一緒に出席していた早川忠孝さんが1月31日のブログで小林先生の意見を支持しています。他では意見が合わないのにここで意見が合うのがおもしろいですね。
一応記事を貼っておきます。
『何にしても、逃げるのはよくない』
https://ameblo.jp/gusya-h/entry-12349020260.html
「憲法改正の議論をするのは国会の義務だ、とまでは決して言わないが、野党の皆さんも憲法改正論議から逃げない方がいい。憲法9条は些かも変える必要はない、と言っているのだから逃げているというわけではない、と反論されるのだろうが、そういうことをやっていると、結局は数の力で押し切られてしまう。
せめて、小林よしのり氏のレベルまでは行かれた方がいいだろう、というのが私の感想である。自民党にも逃げの姿勢が見られるが、野党の皆さんも決して逃げないことだ。真正面からのガチンコ勝負をやってもらいたい。」
「憲法の議論は、一般の国民を巻き込んでワイワイガヤガヤやるに限る。」
『まあ、自衛隊という文言自体は憲法の条文に明記しない方がいいでしょうね』
https://ameblo.jp/gusya-h/entry-12356449591.html
『立憲民主党も山尾志桜里さんの憲法9条改正案を議論の俎上に乗せるくらいの度量を示されては如何?』
https://ameblo.jp/gusya-h/entry-12352498196.html
「立憲民主党は、せめて国民の現実的な選択肢の一つになり得るような活動を展開された方がいい。山尾志桜里さんの憲法9条改正試案なども党内議論の俎上に乗せる程度の度量を示された方がいい。
安倍改憲路線に乗せられてしまう、などとへっぴり腰でいると、それこそ本当に立憲民主党の議論など吹き飛ばされてしまうかも知れない。まだ、間に合うはずである。立憲民主党の憲法改正論なり憲法改正試案を、たっぷり聞かせてもらいたいものだ。」
「ニュース女子」とニッポン放送「ザ・ボイスそこまで言うか」の打ち切りは最近にないいいニュースですが、ザ・ボイスはともかくニュース女子って地方局でもやってる局多いですからね。それも系列関係なく例えばある地方では日テレ系で・別の地方ではTBS系で・また別の地方ではテレ東系で(ちなみに私の地元もテレ東系の局でやってます)てな感じで。
これらの地方局が完全に打ち切った時が本当に万々歳する時ですね。
小林よしのり先生の「堕落論」と、ビートたけしの「バカ論」は内容が凄く似ている気がします。
ただ違うのは、小林よしのり先生は貴乃花親方を擁護しているのに対して、ビートたけしは貴乃花親方を痛烈に批判しているところですね。
承認欲求に答えるのも言わば承認欲求を満たす行為でやんす。
よしりんさん!
店内でカシャカシャは、アカンで~!
無音カメラという便利なアプリがあります
どうしても仕事で撮らなきゃいけない時
こっちにしときましょ
回りでカシャカシャやられるのは
やっぱスカン
三浦瑠麗に、俺のビッグマグナムをぶちこんで、精根叩き直してやる!
気をつけろ、max301と人食いドンヅーはアンチだよ。餌を与えてはいけませんよ。
コピペ輩はよしりんラブが満ち溢れてますね、まさにネバーエンディングストーリーラブだ。
読者の方から、不快なので削除して欲しいという要請がありましたので、今後、max301と人食いヅォン・ドゥーのコメントは発見次第削除します。これまで、アンチの人でも「毎度あり―」だと言ってきましたが、ほんの少数のアンチよりも、大多数の真っ当な読者さんの方がずっと大切です。当然のことですが。
ありがとうございます。
何故か泣きそうです。
(>_
ここは小林先生のファンコミュニティ要素が強いので、批判があるのなら、波風立つ書き方をせずに、配慮ある書き方をされた方が良いと思います。
>>25
hiroさんリアクションして頂きありがとうございます。
これで返事をするという形でコメントが出来ます(笑)
私も自衛隊を書き込んでも二項との関係で違憲の疑いが残ると考えていました。
しかしゴー宣道場での駒村教授の
「第一次的には国会と内閣の判断が有効。終局的には主権者の政治的批判に委ねるのが【最高裁の憲法的な構想】」
を聞いて考え方が変わりました。
この主語は【高度な政治性】で結論が【最高裁の憲法的な構想】なので憲法の一般論だと思います。
枝野議員は「自衛隊に予算を付けたから合憲。共産党以外の国会議員は合憲だと思っている」と言っていました。
私も当時は上手い返しだと思いましたが駒村教授後は、「合憲じゃなく有効だろう。合憲違憲の判断は主権者国民」だと考えるようになりました。
そう考えると自衛隊加憲を発議して国民投票が行われれば合憲違憲の議論に終止符が打たれるでしょう。
EU離脱の国民投票をしたイギリスのように。
自衛隊加憲が可決された後では立憲民主党が安倍総理に違憲の疑いがあると迫っても「主権者が自衛隊は合憲だと認めてくださった。憲法には遵守規定がある。どうして立憲主義を謳う御党が守らないのでしょうか?」と言われる未来が見えます。
「自衛隊加憲の国民投票は
自衛隊という枠組み(中身は政府の解釈で運用)を合憲にするか?
自衛隊を違憲にし丸腰になるか?
の国民の最終判断です」
という情報を広めれば、何も変わらないと今日の社説で書いていた朝日新聞や安倍政権下での改憲には反対という層は不安になって山尾議員の立憲的改憲論に乗ってきそうな気がしますけどね笑
スマホから投稿したら後半が消えてしまって、削除してまた投稿してみたのですが
全く同じになってしまいました。
なのでパソコンから投稿してみます!
まさか・・・私にも削除要請・・が?
(; ・`д・´)
今日「よしりん辻説法」を買おうと書店に行きましたが、2軒共置いてなかったです
( ;∀;)
明日また行ってみます!
小川榮太郎の森加計の本がよしりん先生の「新・堕落論」と並んで平置きされていました。
あの本はもくれんさんのツッコミが無いと成立しないのに~
DHCはリップクリームを使っていましたがやめます(-_-メ)
・・・使い切ってからね・・モッタイナイからね・・
連続投稿、失礼します。
先生のトピックに関する事ではないので、大変恐縮ですが…。
自分の宣伝や他のニュース、私的に伝えたい事だったりします。申し訳ありません。
今の日本は、もしかしたら戦争と同等、あるいは戦争より悲惨な時代を迎えているのかも知れません。
苦痛、絶望、労苦、持病から逃れる思いで命を絶った自殺、過労死、変死の数は国内で戦争でもあったのか、と思えるくらいです。
こう言ってしまうと、「戦争の方がはるかに悲惨だ」と言われるものですが、僕の言うのは苦痛の重度であり、長さと酷さの事です。
戦国時代に織田信長と豊臣秀吉がいました。
信長のやり方は野戦に出る事が多く、逆に秀吉は水攻め、干殺しといった兵糧攻めを得意としていました。
秀吉の手紙にもある様に、彼は「やたらと血を流すのは嫌いだ」とあります。
野戦で鉄砲合わせ、矢合わせ、槍合わせ、そして乱戦となれば、やはり刀で斬られたり、槍で刺されたりと戦場が死体と血の海が出来、残酷なのだと思います。
一方、兵糧攻めは攻撃し合わない分、より長く生きる事ができますが、より苦痛を味わう事になります。
その苦痛は想像を絶するものであり、信長公記の筆者、太田牛一の記したものが印象的です。
「…←〔読めない状態に…〕木草の葉を取り、中にも稲かぶを上々の食物とし、後には是も事付き候て、牛馬を食らひ、霜露にうたれ、弱き者は餓死際限無し。餓鬼のごとく痩衰へたる男女、柵際へ寄、もだえこがれ、引出し扶け候へとさけび、叫喚の悲しみ、哀れなる有様目も当てられず・・・」
飢えのあまり、半ば狂って城内から飛び出す者がいると、鉄砲の標的に合い撃ち殺される。
その死者、負傷者に対して、飢えで狂乱した城内の兵士たちが襲い掛かり、刃物で肉を引き裂き、取り合い、奪い合うというものが白日の元で演じられた。
更に、戦の勝敗が決まり、城門が開かれると餓死、病死は数知れず。生存者は重病か、極端な栄養失調であり、秀吉が大釜で粥を炊いて、与えたところ、急に大食いしたので「食にゑひ過半頓死」と信長公記に記されています。
籠城戦だから、兵糧攻めだから、血を見ないから残酷性が無いという事はなく、苦痛の長さからするならば、野戦で血を流して数時間の内に、あるいはほぼ一瞬で死んでしまった方が、苦痛や残酷面から見てもマシだと思います。
今の日本は病院で大抵の事は治るけど、人生は楽しいという大前提を無しに、長く生きる事が出来るから幸せという事はありません。
果てしない労苦の長さ、将来の絶望性の無さ。
これだったら生き永らえる価値観を捨てて、自分なりに何歳まで生きるか、楽に死ぬかを真剣に考えた方がいいと思います。
どんなに苦しくても生きてやる、という例外は省きますが。
介護疲れ、ストレス加重、家庭の経済的の無さから後先考えずに事件に起こす行動を、飢えのあまり半ば狂乱して城外に出てしまった兵士の様に感じます。
貧困が政策から来てるのに日本政府の救済は無く、本当に国民の労働は報われないものです。
>>88
その通りだと思います。荒らし扱いによる削除が不満ならドワンゴに異議申し立てをすればよい
amazonレビューの悪口を一層できるのは良識ある読者の成長だけでしょう(レビュー合戦からは徒労しか生まれないのは過去の著作のレビューにおいて証明済みだし
ここへの書き込みが本当に荒らしかそうでないか、それはここを利用している多くの良識ある読者が判断してくれるでしょう、毎度の通り
と返信しようとしたら削除されてやんの
5chのアンチスレでさも英雄譚の如く「ゴー宣道場に嫌がらせしてきてやるぜ!」と語って胸を張る人食い
ツイッターで相手の話が理解できなかったmax301ことMASTER・マックス
あわせて反省してくれると良いのだが
なんだ、また元門弟様の怨み降臨か、くだらねー奴だなあ。
削除して貰う事が既に承認欲求を満たす行為になるんよね。
反論なんか不要、即刻削除、何回書こうが削除消去。それで終わりだよ。
書きたきゃ本当の読者が集うで有ろう場所をご自分で立ち上げて好きなだけやりな。ま、2ちゃんでも良かろうだけどね。
>>54
>>54
特例法施行後速やかに女性宮家創設の検討を行うには入念な準備が不可欠ので、今からその準備に取り掛かっていただきましょう。
安倍首相が失脚してくれれば全てがスムーズに進むんですが、泣き言を言ってる暇はありません。
小室さんという婚約者がいらっしゃる眞子さまには、ご本人の承諾をえて宮家を創っていただきたいです。宮家は成年皇族が一人いれば創れます。お相手は皇族ご本人が好きで選んだお方であればそれで十分です。女性皇族が産んだ子であれば、その子は確実に皇族です。
内親王方と旧宮家系国民男子との結婚は、当人同士が「この人が好きだから結婚したい」と思えないのであれば無理でしょう。
他に好きな人がいるのに家柄や血筋を重視して無理矢理結婚させたとしても、チャールズ皇太子や市川猿翁さんのように結婚生活が破たんして、決して嫌いではなかったであろう伴侶やその間に生まれた子たちを不幸にしてしまいかねません。
仮に内親王方と旧宮家系国民男子が結婚して子供が生まれても、国民の多くは「母親から皇統を継いだ子」=「女系」として捉えるでしょう。男系扱いするのは男系固執派ぐらいです。
旧宮家系国民男子はどう屁理屈をこねようと、立派な一般国民です。
眞子さまが自ら生涯の伴侶として選ばれた小室さんと立場は全く同じです。内親王という皇統を継いだ方がすでにいらっしゃるのですから、わざわざ旧宮家系国民男子を伴侶に選ぶ必要はありません。
敬宮さまや佳子さまがご自身で生涯の伴侶を選ばれればよいのです。
過去に非常識な行動で迷惑をかけた門弟達は、
ライジングコメント欄でネチネチ関わるのは、やめて欲しいです。
本当に迷惑ですし、うんざりしています。
ライジングコメント欄での振る舞いが異常で、小林よしのりから「ゴー宣」で取り上げられたのに、それでもまだ、小林よしのりライジングのコメント欄で他人を見下すような投稿をするのは、どう考えてもオカシイ!
「場が荒れれば、生き生きしだす人間」って、一体なんなんだ!?
本当に気持ちが悪い。
結果的にコメント欄の荒らしに加担するような形になり、皆様誠に申し訳ありませんでした。
身内に公的な治安関係者を多く抱えているものですから、知ったかぶりの発言を看過出来ず、それでもやはり放置しておく方が良かったのかもしれません。
こちらの皆さまには釈迦に説法とも思いますが、批判や異論、反論という概念について感じたことだけ最後に書かせて頂けましたら。
とても暴力的な比喩かもしれませんが、ご容赦くださいませ。
例えば、ある男性が別の男性に向かって「死ね!」と叫んだとします。
言葉尻だけ捉えると「なんて野蛮な」と思うかもしれません。
けれど、その暴言を叫んだ男性が相手の男に自分の奥さんと子供を惨殺されていたという事実があった場合、「そう言いたくなるのも仕方がないか」というような全く別の解釈が生まれてくるはずです。
それでも「他人に向かって「死ね」なんて言うことはいけないことだ」などと批判する人間は、よっぽどの狂信者か、そもそも日本語が理解出来ていないか、大嘘つきかのどれかでしょう。
相手のその時々の事情や背景を理解した上で成されない批判は、そもそも批判として成立しない。
もちろん、異論や反論といった概念には遠く及ばないから、そんなものは全て自称批判、自称異論、自称反論です。
相手と違う発言さえすれば異論→異論ということはそれは立派な理論→それを排除するということは異論排除だ、言論弾圧だ
と短絡的な発想をする前に、他者と議論をする上での最低限の作法を身に付けて欲しい。
公共の福祉と言うように、公での生活を送るには最低限のマナーが必要です。
それが公を論じる場ともなれば尚更だろうという思いです。
小林先生のおっしゃるとおり、言論を生業とする者が、時の権力者から祝辞をもらってるというのは、確かに狂ってるよなあと思いました。そして、自身が狂っているということに気づいていない、これらの人々は、狂っているの度合いを超えてもはや逝っちゃってるなあと思いました。
今回、木蘭さんも社交について書かれていたので、よしりん先生と申し合わせたのかと思っていましたが、そういうわけではなかったのですね。
お二方が同時期に同じテーマについて書かれたのは、それだけ今の日本の言論の場で、問題になっているということの証左なのだろうと思いました。
社交に引き摺られずに、自分の考えを貫き通すことの困難さは、社会に出れば言論人に限らず感じることと思いますが、後ろ盾も生活の保証もない個人事業者の立場で、それを実践されている小林先生や木蘭さんの持つ個の力にあやかりたいと思いました。
(久しぶりの)関西番組報告です。
裁量労働制について、辛坊治郎が今朝のす・またんで、
「働き方改革には裁量労働制以外にも同一労働同一賃金とかいっぱいある」
「厚労省がやれって言ったからやっただけでその厚労省が出してきたデーターが無茶苦茶なんだから」
「厚労省のデータが問題だったって言うことです」などと
厚労省の「しっぽ切り」をしていました。
昨日は「裁量労働制」を削除してもたいしたことないなどとは言わず、「厚労省」の問題とも言わず、
「アンケートとられて適当に書いたやつが出てきただけでそんなことはよくあることだ」などと言っていました。
実際は裁量労働制によって勤務時間が減るという結論のために集めたデータで、それが酷いほど杜撰だったということですが、
安倍擁護という点でブレません。
この人物は太陽光発電もムッチャやっていて、もんじゅがダメとなったら「あんなもんまだあったのかという感じです」と言うほど反原発ですが、読売なので原発維持に資する発言を繰り返すほどでもあるので、
辛坊治郎も自分の世間を守るためにのみ発言する人物だと思われます。
時裏さん、多忙を極める中のドブさらいご苦労様です。
汚泥が発生する都度の清掃は手間だと思いますので、適度にやっていただければいいと思います。
お風呂場の排水溝に溜まった髪の毛みたいな物なので、ある程度溜まってから取り除くのが手間をかけない清掃のコツですよ^^
ライジングのしゃべクリのネタ、時々読み返して笑ったり唸らされたりしてるんですが、
らっこフェスティバルさんのネタは本当に秀逸だなと。
「背中に貧乏を着てる」って言い回しはなかなか出て来ませんものね。
淑女我報、拝見しました。
携帯電話、私は今の携帯が生涯で3台目(7年目)。
当然ガラケー、毎月1,314円です。
今までの2台はどちらも「対応終了」で通話ができなくなるのでかえました。
その愛しの3台目がメールの送受信もしにくくなってきました。
ショップに行ってクレーマーと化したいと思います。
そろそろスマホを、と言われても、今までは、
「かえって安くなることも」と言われたら「これより安くなるんなら変えます」と言うと「それよりは安くならないです」ということで話は終わっていましたが、
今後はどうなることやらですが、私は堕落してるのかしてないのか。
トッキーさんおはようございます
削除お疲れさまです
トッキーさんに少しでも報いれるよう
なるべく沢山読書をして
真っ当な読者であれるよう
自分なりに頑張ります
または汁説法まだ届いてませんが楽しみです。
トッキーさん、ありがとうございます!!
ライジング読者は良識のあるサイレントマジョリティーの方が多いとわかってくださると思っておりました。
人食いなんちゃらにも言いましたが、奴らはそれを理解する頭がないんでしょうな。
気から落ちた猿は畜生にも劣るのに、それ以下とは情けないでござるな。
ああいう輩は『堕落論』のKいわく、『精神的向上心のない奴』つまり馬鹿者だから、これから先も延々と荒らしを続けるのは目に見えていたから、こうなったのも自業自得でござる。
拙者も精神的向上がしたいために、ライジングのコメントはいつも見させてもらってるのでござるが、あのmaxなんちゃらのコメは邪魔だし、やつらの精神的向上心のないコメントは見てて不快なだけでござる。先生がブログに書いていたように普段他人を誹謗中傷しているくせに、やっつけられたら、とたんに被害者ぶりだすのは奴らの常套手段でござる。
「異論を排除していては公論にならない」いやいや、そんなクソコメは公論にならないから要らないのでござるよ、そんなに言いたいことがあるなら、ゴー宣道場に参加すればいいのでござる。
「スリーパーセル」だのわけのわからないモノに異常なほど粘着するくせに、「ゴー宣道場に参加しよう」という言葉には徹底して逃げ回るのはなんとも情けないでござるな。
でも拙者はいつか、ゴー宣道場に参加したいでござる!!
Vol.260「世間・社交との戦い号」ありがとうございました!!超絶大ガッテンです!!恥ずかしながら、これまで「世間」と「社会」をあまり分けずに使っていました。これからは分別して使うことにします(^^;
自分の言葉に責任をもつことは、最低限の大人の条件のはずですが、「社交」まみれの産経論壇とかのエセ保守界隈、もくれん先生の「表面的な社交で出来上がる陰湿な世間」という表現そのままです。
国際政治芸者・三浦瑠璃とかフェイク公害汚染源の「正論大賞」って、バカが選ぶバカ・オブ・バカってことですかね??ユーチューバー(笑)とやらと同じで、バカから評価されても不名誉なだけなのに、一体何が目出度くて嬉しいのか、サッパリ分かりません(@@?。こんなもんに祝辞動画を送る安倍と、それを喜ぶ連中の幼稚さは底が知れません。
本来、ニーチェやオルテガが嫌ったバカ大衆と対峙すべき言論人が、いとも簡単に偏狭な大衆世間に飲み込まれ、無責任にフェイク公害を撒き散らす標本が後を絶ちませんね。幼稚すぎる現代日本人は、幕末の武士や西欧人はムリでも、も少し大人にならないと(´・ω・`;;
そだねーカワイイもくれん先生の『トンデモ見聞録』、「世間」というのは、保育園のゆりかごや『新・堕落論』にあった檻(保護柵)のようなモンなのでしょうね。
「人と仲良くなるのが好きというわけではない」(ノ∀`)あちゃー!シンパシーを感じずにはおれません!!(笑)
思い起こせば、子供の頃から単独行動が好き(団体行動が嫌い)でした。小学校の遠足では、勝手に山に分け入ってタケノコを掘ったり(褒められると思ったのに怒られた。笑)、運動会のダンスは馬鹿っぽくてイヤでした。かなりの回数怒られましたが、嫌なモンは嫌なんだから仕方ない(^^;。近年でも、年賀状を出さずに不要な人間関係の断捨離を試み、かなり減らしましたがまだ断ち切れていません。
掃いて捨てるほどいますよね、「世間」を楯にして上から目線で因縁つけてくるヤツ。そーゆうヤツほど、正面きって難癖つけてくるほどの度胸もなく、「○○さん(←地位しかないヤツ)が、三味線さんを良く思っていない」とか、さも一般意思の代弁者かの如く(笑)偉そうに圧力をかけてきます。別にそんなゴミに嫌われても、むしろラッキー!としか思えませんし、いちいち他人が気になる感覚もイマイチわかりません(@@?
もくれん先生のように、実力で得た立場や地位がさらに個人を成長させることは、やはりあると思うので、それができる人はやはり尊敬します。
「あまり強い調子で説得すると、逆にタコツボのなかに引っ込んでしまいそう」←勉強になります!!大いに参考にしまっす!!
関西ゴー宣道場設営隊員のだふねです。
>>25 hiro様(^^♪
> みなぼん様のご採用、ちょっとゴー宣に書かれてたのですか?
過去の『ゴー宣』をひっくり返してみました(^^ゞ
『新ゴーマニズム宣言13 砂塵に舞う大義』の第188章「お嬢ちゃんよ、『戦争論3』の行方を見よう」が、みなぼんさん初登場の回です。(ちなみに190章は宇都さんが初登場? 小林先生曰く「若ハゲのやつにはやっぱり光るものがある」とな。)
当時は前任のカナモリさんの退職に驚きましたが、そこへタイミング良く先生にお手紙を出されたのが始まりというお話でした。「女子大生でこんなに完璧な子がいるのか?」と私も感心したほど(同時に私の自堕落ぶりが恥ずかしくなった記憶が)の笑顔と根性と気配りの持ち主で、それでいて自意識が肥大しておらず、これまでの秘書にはいなかったタイプだそうです。
「若さと純粋性」を感じさせてくれる描写がすがすがしく、当時すでに純粋ではなかった自分にはまぶしかったですなぁ…。
トッキーさん、ここまで60件程でしょうか、削除お疲れ様です。ありがとうございます。
私もね、もぅ、気持ち悪くてたまりませんでしたから…。しつこい男(女でもだけど)は大嫌い。
「私を見て、私を一番評価して、私をもっと賛美して」…その自意識が素晴らしい表現力と中和されれば良いのでしょうが、残念ながらそれとはちがうようです。書くたびに、削除されるたびに達しているのだろうから、歪んだ変態性欲と言って良いでしょう。ビョーキなんだから、必要なのは小林先生ではなく、お医者さまなんじゃないかなぁ?
今週の記事についても、後ほど感想を書かせていただきますね(*^^)v
そもそもmaxなんちゃらにせよ人喰いなんちゃらにせよ最初から「反論を言うための反論」しか書いてなかったですからね。最近はざっと見でしか見てませんでしたが末期なんかもはや「屁理屈言うための屁理屈」状態だったんじゃないですか?反論してる人の書き込み見てるとそんな感じみたいでしたし。
「私」ばかり押し出して「公」をないがしろにする輩なんて最初からお断りでいいんですよ。
国家の大事に体裁が気になる人達ならば、結局何も変わらないし変えられないのでは?
「そんな事はとっくに考えているんだ!」
という声を承知であえて書きます。
「ゴー宣」ファンとなって、はや20ウン年。
老眼で細かい文字を読むことに苦労するようになりましたが、分厚い
「ゴー宣」を前にするとワクワクしておりました。
分厚い本が受け入れられなくなりつつあることに、少々寂しさを感じ
ております。
CD時代になってもアナログ音源がよいという人たちのために、限定
生産ですがレコード盤が少しずつ生産されています。
文芸書等も、これからはレコード盤的な扱いになるのかなぁ・・・。
そうしたら書店や図書館はどうなるのだろう・・・。
若い人たちからは、「電子書籍があるじゃないか」と言われておわり
なのかな。
削除方針英断だと思います!
価値ある論理であるなら
長文や連投も時には良いでしょうが
よしりんパパへの気持ち悪い
コンプレックスだけで何十件も投稿する
己の異常さ幼児性を自覚できてないあたり
深刻な営業妨害だったと思います。
他の読者がどんな事を感じているのかを知るのは
非常に参考になるのでコメント欄の正常化は
本当に有り難いです。
いきなりの発表でびっくりしています。
小林先生の名前があると憲法学者が来ないということでしょうか。道場の周辺や師範の間で何が起こってるんでしょうか。高森先生と倉持先生が小林先生に知らせずに勝手に話し合ったのでしょうか。
いろいろ疑問が出てきました。ブログの断片的な情報ではなかなか把握できないので経緯を詳しく説明してほしいです。
個人的には小林先生と山尾議員がタッグを組んでいるから注目されている面もあると思います。
小林先生が考え抜いて選択したことなので反対する気も全くありません。公のための賢明な判断だと思います。
しかし本音の部分では発議までは小林先生が関わってほしいなという思いはあります。何とも言えない気分です。
>>152
気持ちはとても分かります。
今週もライジング配信ありがとう御座います!
『社交の罠、言論は武器である』拝見しました!
私は比較的実力社会で仕事をしているので
個人主義を貫けた方だとは思いますが、
それでも「社交の罠」は現場で感じるものです。
以前、話題になった「アウフヘーベン」も
ひとりで寂しい人間同士では生まれず、
「なあなあの産物」になってしまい、
呆れる結果しか残さない事が多いです。
「一人でいても寂しくない男」
になるためには誰よりも論理的再検証を
実行できなくてはならず、
誰よりも自分の喉笛に刃を向ける事が
できないといけないのでしょう。
テレビ依存をしている言論人には
それは無理なのかもしれません。
庶民としては、井上達夫先生のような人が
孤高の山からおりてきてくれるのを
待つしかないのかもしれません。
ブログ立憲的改憲「ゴー宣道場」の関与は6月まで、
私も読みました。
小林先生が気の毒で、何とも言えない苦しい気持ちになりました。
私は先生の公共心や勇気や優しさ、頼もしさを素直に感じます。
7月以降立憲的改憲への世間の注目度と発信力が下がらないか気になります。
よしりん先生がまた傷つけられた。
ここでも世間が邪魔してくるのですかね。
利用されるけど敬遠もされてしまうのですね。
高山先生、駒村先生、曽我部先生は奇特な方々
ということになるのでしょうか。
周りからなにやら言われても、個を貫いて来てくださったのでしょうか。
書店をハシゴして『よしりん辻説法』を探しましたが、
どこも『在庫0』
取り寄せようと、機械に入力していたら時間が掛かり過ぎたのか、カウントダウンが始まり、結局間に合わず全部消えてしまいました…
あとちょっとだったのに…
・゜・(つД`)・゜・
正直、よしりんの名に怖じ気付くようなヘタレ学者なんか、何の役にも立ちはしないのだから、配慮する必要は全く無いのに。
小林先生のブログ、高森先生のブログを拝読しましたが、
いち読者としては、小林先生が考えに考え抜いた末での決断には、反対する理由も全くないのですが、
クリリンがやって来たさん、saさん、urikaniさん、茨城さんが仰ることも凄く分かります。
しかし、小林先生の名前があることがそんなにマイナスになってしまうことなのでしょうか?
それが分からないので、そこのところでモヤッとした気持ちがどうしても残ってしまうのは正直なところです。
小林先生が立憲的改憲から離れ、
それにともないゴー宣道場も立憲的改憲から離れる、
少し残念ですが先生が決めた事ですし、
少し残念なのは自分のようなバカ者が入る余地は無くなってしまうでしょうから自分もこれからも勉強は続けますが、それだけでしょうね、
何はともあれ小林よしのりを応援し続けます!
辻説法ゲットしました!
拝読します!!
6月で道場は憲法論議から手を引くとのこと。
小林先生はじめ師範方が話し合って決められたのでしたら、それがベストなのだろうと思います。
個人的には憲法論議も大事であるものの、それ以上に、皇室のことが気がかりでなりません。
天皇陛下の退位日もアベとスガが二人で決めたことから、まともに退位がなされるのか不透明な状況ですし。
憲法の議論は良心的な憲法学者に任せることができても、皇室にかかる議論についてはゴー宣道場以外で行う組織は存在しないように思われます。
そのため、今後ゴー宣道場には、皇室についての議論を中心に進めていってもらいたいと思います。
よしりん先生が、自分の名前が憲法学者に恐れられているから改憲議論の邪魔になるということで議論から身を引くと知り、最初は「仕方がないことかな」と思っていたのですが、考えるにつれちょっと腹が立ってきた次第です。
今まで「権力に忖度するな」と言っていたリベラルですが、そのリベラルが世間に忖度しているじゃありませんか。そうやって世間に合わせて何を守りたいのでしょうか。明日の生活?今のままだと日本が無くなるという切羽詰まった状況で、呑気な物だなと思います。
権力を縛る為にある憲法を学んでいる学者が、憲法の存在危機に際して世間の目を気にして尻込みしてどうするのですか。
そういう学者の振る舞い自体が、勉学なんて役に立たないという虚無じみた風潮を生み出すことになると思うのですが。
またか、またこの流れか~。ゴー宣初期のころからの愛読者にとっては見慣れた展開です。
憲法論議でもよしりん先生はまともに感謝されずに終わってしまうのか。
もし本当に6月で撤退されてその後の論議が尻すぼみになってしまったら自分は初めてゴー宣道場に不信感を抱いてしまうかもしれません。これは事実上の小林よしのり排除ではないだろうか。
小林よしのりという人物に対する客観的かつ公正な評価もなされてほしい。
え?小林先生が関わらない立憲的改憲って私らゴー宣読者には全く意味の無い話になりますが?
まさかそんな事が分からないだなんて有り得ないわ。
何処かの元熱心なる読者様がツイッターで「公論を称するカルトの輩には迷惑している」だとかゴー宣道場も読者も痛烈に批判していらっしゃいますが、
良く書けたモノだわと失笑してしまいます。
今回の高森さんのブログはそれに等しいと、私個人には感じてしまいましたね、非常に残念です。
ハッキリ言って、私ら読者は立憲的改憲にも、皇室の弥栄にも、
小林よしのり先生と、ゴーマニズム宣言が存在し、それを媒体にして興味を持ったのですよ!他の誰彼彼女の存在は関係無いんですよ!
私は、少なくとも私個人は「小林よしのり原理主義者・ゴーマニズム宣言原理主義者」で有り続けたい!
他の師範には大変申し訳ないですが、ゴーマニズム宣言無くして、これらに興味を持つ事が無かったんだから、
そんなハシゴ外しには絶対に乗れませんな!アホらしい!
ゴーマニズム宣言と小林よしのりをナメるなよ!
ゴー宣ファンとしては小林先生の「立憲的改憲lとおっしゃる立ち位置は
護憲派、改憲派両方の欺瞞と当惑が引き出されていて面白かったですが
前回のゴー宣道場はいかにも憲法学者がこだわりそうな
細かい部分の専門的な勉強会にみえてしまい
生活の現場から立ち上がってる感じがなかったので、これが続くならしばらくはつまらないかも、、、
と心配して居たところでした。
道場としてやらなくなるのは少し、ほっとした気がします。
高森先生が余計なこと言ったことになってるのでしょうけど
実際憲法学者はどうせサヨクなのでしょうし、ああいう風に考えているのも事実なんだろうと思います。
ずっと前の小林先生とひろゆき氏の対談、ネットでは今も好評ですよ。
橋下との一対一の議論も画期的でしたよね。
勉強会ではなく、ある程度対立的な人との議論の方が面白いし、国民の耳目にも広がりやすいと思います。
または、まれにある、師範だけの動画の濃〜い議論、どちらかを希望したいですね。
人数を集めた講演会みたいなスタイルはどうも薄く感じています。
怒り序でに追記しますが、先生を利用しようとする輩と、名前に負けて尻すぼみして怖気付く輩は、全くの同レベルだと思いますね!
そんなリスクの一つも背負えない自称学者様とワイワイガヤガヤやって喧喧轟々やっても、何にも身を結ぶ事など有りませんな!
勝手にやりな!
すげーなぁ、よしりん。「私」よりも「公」を地で行ったよ。
これがそこらの言論人だったら今頃は発狂ブログ更新を連打してる所だろうな。
この件がどういう方向に傾くのかは分からないけど
先生のダンディズム溢れる態度に惚れたゾ。じゃあ俺、辻説法買って帰るから…。
改憲発議まで時間がないからショック療法とまでは行かないまでもゴー宣道場が旗振り役になるしかない、とそう思っていました。
よしりん先生が言うようなマイルドな議論の場を倉持師範や高森師範が創設出来たとして、よしりん先生の影響が薄いその議論の場で改憲発議のタイミングまでに多くの国民の覚醒に結びつくのでしょうか?
覚醒のきっかけが結局メディアに取り上げられて公共の電波に乗ってナンボだとなるなら、そんなマイルドな議論の場がそのようなメディアに引っかかる可能性は低いだろうし、結果的に間に合わなかったね的なオチにならないといいですけど、、、。
前回のゲストの先生に負け戦と言われた心底腹が立ったけど、何にも出来ないんだよなぁ自分には。そんな自分が一番腹立たしいんだよね。
とにかく身近なところから辻説法しまっくているけど、憲法について考えて見たこともない人にこの危機感を共有して貰うのは本当に難しい。共謀罪の時もそんな風に思ったし、あげくに「もし共謀罪で誰か不当に逮捕されたら教えてくれ。そしたら考え直す」って言われてしまった。
アメリカの属国って死ぬほどイヤなんだけどなぁ。
小林先生はどんな不本意な形であれ自分が目的達成の邪魔になってはならないと本気の姿勢を見せてくれたと思います、
小林先生の自分を客観的に見る力に驚きと哀しみを感じざるおえません、
憎い、小林先生を悪く言う奴等が憎い。
勇気の必要は肝心な場面で出せるか否かだと思います。
馴れ合いの関係で手にした立場と名誉は簡単には捨てられないのでしょう。
そこに深い関係があるとしても道義を忘れてはいけません。
小林先生と、高森先生のブログを読みました。
ゴー宣道場は、本当に6月で立憲的改憲から手を引くのですか?
私が立憲的改憲を知ったのはゴー宣道場(およびゴー宣ネット道場)です。
倉持先生のリベラル的改憲を聞いたとき、日本国憲法が死文化していると気づかされたとき。枝野立憲民主党党首を小林先生が応援したときから、憲法問題に興味、危機感を持つようになりました。
ブログを読んだ率直な感想は、憲法論議を深いものにするため、法律の専門家を呼ぶ際に、ゴー宣道場では倉持先生が動きづらいということなのでしょうか。
あの熱気とユーモアのあるなかで憲法の話が聴けなくなるのか、小林先生が書かれている「他のマイルドな場」がすぐ作れるのか、たくさん参加者(視聴者含む)が増えるのか。ボトムアップでなくなってしまうのではないか、ボトムアップといっても、吸い上げてくださる方が山尾先生・倉持先生であれば両先生が動きやすい方がよいのか_いろいろ複雑な感情が出てきて変な文章ですみません。
が、
いろいろな場を乗り越えてこられたゴー宣道場主催者、師範が決めたのですから、いち参加者としてこれからも自分の幅を広げるべく道場に参加します。
長々と変な文章で本当にすみません。
トッキーさんのブログ
『「ゴー宣道場『立憲的改憲』から撤退」
に対するご意見』拝見しました!
本音を申し上げますと、
結局畜群の偏見にレベルを合わせざる
得ないのかという事でした。
それが民主主義の正体なのかもしれませんが。
根本は『戦争論』に対する偏見、
『戦争論』のテーマを読み取れない
馬鹿のレベルに屈せざる得ない現実です。
私自身もゴー宣読者と分かるとよく
右翼扱いされたもので、
個人主義を貫けない学者さんであれば
偏見に堪えられないのかもしれないです。
若干の失望を感じつつも、
立憲的改憲に希望を
持ち続けるのは変わりません。
様々な場で議論をすれば良いと思う。
改憲の議論は一つの場所で行えば良いというものではないので、ゴー宣道場で議論することは何の障害ではないと思う。議論しているのは師範だけではなくて、参加者もだと思う。
憲法論議を6月で終了するブログを読んでびっくりしました。
憲法の話は難しいから、回数を重ねて議論をして、多くの人に知ってもらいながら盛り上げていくのだと思っていましたから。
小林先生が主宰する場で、改憲論議を行うと多くの人に偏見を持たれて皆が目指す方向にたどり着けないということでしょうか?だから小林先生には退いてもらうと?別の場で議論をしてくれ、とのことですが、一体どこで行われるのでしょうか?そこでゴー宣道場の議論の続きが行われるのでしょうか?ありえません。
小林先生の言論が弾圧されたとしか思えません。
ゴー宣初期の頃からの読者ですが、初めてコメントします。
すべての師範の方々のファンですし、信頼しています。
立憲的改憲の取り組みをあつい思いで見ていましたし、きっと実現してくれる、と希望を持っていました。
ですが立憲的改憲から「小林よしのり」が外れると聞いて、その瞬間からなぜか自分の中のあつさがなくなりつつあります。
なぜか立憲的改憲が遠くに行ってしまった気がします。
自分がただ「小林よしのり」に肩入れし過ぎということなのか?よくわかりません。
でも、核がなくしてしまって大丈夫でしょうか。
安倍政権につぶされない強さはあるのでしょうか。
色々な困難を一本槍で突破し続けられる求心力は維持できるでしょうか。
堕落しきった人々を動かせるでしょうか。
忘れっぽい大衆を動かせるでしょうか。
憲法学者が集まればできるのでしょうか。
自分は、一気に当事者ではなくなった感覚です。
よしりんが、専門家と一般人である自分とをつないでいたのだと今、気づきました。
自分のようなよしりんに肩入れし過ぎ?の人間の杞憂であってほしいです。
道場そのものを否定するような言い方になってしまいましたが
地方開催のために頑張って下さる方々も増えていらっしゃるようですし
それを否定するものではありません。
ただ、みなぼんさんが一生懸命参加者の選別をしても
小林先生が参加者との議論よりもゲストや師範同士の議論の方に価値を見出しているから
時間がそちらに当てられてしまって、結局、勉強会的になっているのかなと、
なにか勿体無さも感じます。
感想掲示板の方に書けば良かったのかもしれませんが
この機会でしたので書かせて頂きました。
自分でやれ
自分でやれ
自分でやれ
先生は
盛り上げ上手
師範や小林先生自身が公のためになる、と決めたこと。それに感情、私心で考え直せと言うのは侮辱でしょうに。私たちがすべきことは道場から独立しても、立憲的改憲を盛り上げること。大好きな小林先生がいなければ何も出来ないなんて堕落です。
4コメになるので申し訳ないですが…
はっきり言って保守の立場で立憲的改憲をやろうはゴー宣道場しかないでしょう。
別にこれは先生に忖度とかしているのではなく客観的な事実です。
それを辞めると保守視点が抜けたフニャフニャな改憲論議になりませんかね?
後は、とにかく安倍が憎いから改憲論議すらさせない勢力が強くなる
これは非常にマズイと思いますがね。
まあ道場を悪く言うポエマーみたいな奴がいるからこうなるのであって悔しいですね…
高森氏のブログを再読したけど自分にはやはり「世間の風評にも負けずに参加してくれる憲法学者たちへの誉め言葉」にしか見えなかった
しかし発言者の真意や言葉がこの先に生む効果影響がどうであれ、よしりんと当人らが話し合った結果なら…
やっぱり不満、というより不安ですな
これが6月までに立憲的改憲案が提出され国民投票によって新憲法発布するところか、少なくとも案提出まで行くならともかく、道半ばでは先行きがまるで見えない
既に「ゴー宣道場が関わらないなら興味を無くす」という声も出ているようだし、賛成派も反対派も揃って無関心となるなら現状の大勢に飲まれるだけではないですか
ゴー宣との関わりの有無で興味の湧く湧かぬを決めるのは本来ならば間違いで、常に無条件に自分の将来として考えなければならん問題ですが、残念ながら人はそこまで賢くないですし
ところで昼のテレ東で見たダーティハリーでハリーが言ってたことが気になりました(ややネタバレのなりますが…
ギャングが次々と殺される事件の犯人が、実は一部の警察官たちだった
その事実を突き止めたハリーに犯行グループのボス=ハリーの上司は「法律で裁けぬ悪を裁いているのだ」と主張する
しかしハリーは言う
「警察が処刑人を兼ねたらどうなる?横断歩道を渡らなかったら死刑、スピードを10㎞オーバーしたら死刑、ついには芝生の上に糞をした犬の飼い主も死刑になる」
これまで散々やり過ぎな捜査や逮捕をしてきたお前が言うかとボスは問い、ハリーは言う
「自分は市民の為にやってきた。法律が完璧だなんて思っちゃいない、だが次の法律が決まるまでは今の法を守り続けるのが警察だ」
権力が法律も憲法も守らない、そういう者らを裁く力も用意されてない中で、次の法を(それも正しい法を)作らねばならん状況に響いた言葉でした
立憲的改憲を発信したのはゴー宣道場と、その場を提供し続けている、小林よしのり先生その人なんですけどね、用がなくなれば切り捨てるのかい?
それは堕落かい?それこそ欺瞞じゃ無いのかい?
どれだけ綺麗事を言って公のため!と読者側から言っても、先生の公の立場には足元にも及びませんよ、微々たる関わりで、
私達が立憲的改憲を盛り上げるのだ!なんて、欺瞞以下に感じます。
だったら自分らのチカラでそう言うばを立ち上げて独立独歩でやるべきでしょう。
この状況に他の師範も黙って見ているだけでは無いですよね?こんなハシゴ外しは最悪ですよ!
安倍晋三の加憲案を指を咥えて見ているだけになっちまうよ!
高森先生のブログを見てちょっと気になった部分。
去年の山尾議員騒動でバッシングの中を全力で擁護して、山尾議員と連絡をこまめに取りながら相談、対応して、山尾議員、辻元議員、立憲民主党の応援演説をしたことまで「遥かにみすぼらしいレベル」とまとめて呼ぶのはちょっとどうかと思いますよ。
バッシングから徹底的に擁護したところで、選挙応援で何度も協力したところで、「倉持先生に比べると遥かにみすぼらしいレベル」だというふうに私には聞こえます。それはさすがに言いすぎでしょう。この半年の中で、縁の下の力持ちは倉持先生だけではないと思いますよ。小林先生、その他の師範、騒動があっても山尾議員を支持して投票した愛知県民、全員だと思いますが。貢献度を細かく比べるのはやめましょうよ。揉める原因になりますよ。
もっとベストな方法がないですかねぇ…。例えば第三者が開いたイベントにゲストで小林先生と憲法学者が一緒に出演しただけですよ~とか。柔軟な方法はないですかねぇ…。
>>185
去年の宇野常寛さんと小林先生との対談で宇野さんがそうでしたが、「強い個」としての小林先生が好きで、小林先生の次の一手に期待している宇野さんのような思いをしている人も多くいると思います。
>>193
完全に同意です。本来なら結論はどうであれ師範全員が真っ先に小林先生を説得してほしいくらいの状況なんですが。
すいません今日だけはコメ乱発を許してください。
要は良い憲法案が出来れば良い話だから
わしは引くになっていると思います。
しかし引くことが良い結果をもたらすかが疑問だらけになっているんですよ。
先生という存在を無しにしてゴー宣道場という冠を外して、先生以外は同じメンバーで良い憲法が作れますか?
作れるなら良いでしょう。私は無理だと
感じているから撤退には大反対なんですよ。先生が好きだからとかではなく
立憲的改憲論には道場が必要だということです。
憲法学者という方々が何を目指して研究を重ねてるのかあまり見えないので、たぶん、改憲に反対しないとおまんま食い上げくらいに感じてる人がほとんどなのでは?と思ってます。憲法がそこにあるものとして読解するのが仕事で、新しく起草する事など考えた事も無い集団なのではとの偏見は未だにあります。
改憲を考えてる人でも日本の独立を目指してる人とかいなさそうなイメージ。
駒村先生の様な分かりやすい話が出来る人には敬意を覚えますし、おそらく次回の曽我部先生もステキな人なのでしょう。
しかし、そんな人はとても珍しいのでしょうから、沢山呼ぶのは難しいのも確かだと思います。
ツテは倉持弁護士にかかってしまうわけですし。
立憲的改憲を支持してくれる学者がいるのかどうか。そこから心配になる話に感じてます。
「ゴー宣道場『立憲的改憲』から撤退」に対する意見ですが、まとまりませんので箇条書きです。
・ よしりん先生のお考えは私などの考えの及ぶところではありませんので、ご決断が正しいと考えています。
・ 6月まででも毎月のように何ヶ月もよくやっていると思います。ゴー宣がなければ立憲的改憲論が世に出ることはなかったと思います。まずは6月まで、できることをしていかなければなりません。
・ 以前のブログで「わしは退いても」などと言っておられたときは「何を言ってるんだよ、よしりんがやらなきゃ誰がやるんだよ」と思っていました。
・ 国会議員の2/3、国民投票の過半数を達成するにはゴー宣道場の先導だけでは不十分です。何らかの形で一般化していかなければこの戦いの勝利はあり得ません。
・ よしりん先生の名前が他の人の参画を妨げている部分はあるのかもしれません。
・ 今までのゴー宣の戦いを思い出しています。いつも不利であったはずの戦いが魔法のように劇的に変わりました。先見の明がある、違った視点にハッとさせられる、と感じておりました。「自分はピエロの役で」というようなよしりん先生の心中は私などは察しようがありませんが、リアルタイムで見てきたものとして、その効果がとんでもなく大きかったことだけは言えます。
・ 7月後の望ましい展開、ゴー宣以外でのを考えてみた。憲法学者や政治家が近くで「講演会」などをして私は行くだろうか?議論がなければ深まらない。テレビで十分だと思う。政治家の話はよく聞きに行く。山尾議員の講演会が30分で行けるなら行きたい。という程度です。立憲民主党が考えに浮かばなかった。
・ 個人的にはゴー宣道場で最もやってほしいテーマは、女性宮家です。
ゲストに駆けつけてくれる政治家も含めて期待と心配をしています。
僕は小林師範の決定は支持します。
逆に6月までに立憲的改憲の道筋ができないと、実現が非常に厳しいものになると思います。
6月までゴーセン道場で立憲的改憲を盛り上げて、後はプロに任せるのが良いのではないでしょうか?
第三者的な立場で応援すれば良いと思います。
「自分でやれよ!×3」のブログ記事を読んだ時から、何となく察しはついていました。
残念ではありますが、決断の背景を考えれば「公」を思っての事、小林先生らしいと思います。
「小林よしのりが関わらない立憲的改憲になんて興味がない」という意見が紹介されていましたが、はっきり言ってドン引きしました。軽蔑しました。
カルトと揶揄される事があるらしいのも、こういう「イタい」人が原因なのではないでしょうか?
少なくとも、憲法学者の方もそんな人の前でガチな話をしたいとは思わないでしょう。
詳細は知り得ませんが、高森先生も倉持先生も、現状と原因を分析しただけの事。非難している人の意味が分かりません。
時間が経過したらムカムカしてきた。
小林よしのりの名前が怖いヘタレの憲法学者1000人と小林よしのりの爪の皮一枚と、どっちに値打ちがあるんだ?って話だよ!
関西ゴー宣道場設営隊のだふねです。
「ゴー宣道場『立憲的改憲』から撤退」についての意見、書かせていただきます。
私は、2月24日に小林先生が「倉持氏によると(中略)「ゴー宣道場」も小林よしのりの狂信的信者の秘密結社みたいなイメージらしい」と書かれてもなお、そこまで先生が、憲法学者や倉持氏周辺という「世間」に疎まれているとは思いませんでした。それこそが私の洞察の限界というか、頭がお花畑だったのでしょうm(__)m
小林先生の心中はいかばかりか、察することもかなわないレベルかも知れません。
きょうの高森師範のブログの、「勇気を奮って、リスクを覚悟で参加して下さる」憲法学者への感謝の言葉には、素直にうなずいたのですが、まさかそれが伏線だったとは思いもよらなかったです。また、「憲法学者の人選から参加の交渉までを一手に引き受け」、「道場の他の師範が束になっても敵(かな)わない貢献」をしている倉持師範の「献身」と「情熱」についての記述には、やはり小林先生ですら突き崩せない「壁」の厚さ、「世間」の冷たさは相当なものなのかと。
私はなんて無知で世間知らずなのだろうと、まず反省しました。道場にゲストの憲法学者一人お招きするにしても、先生でも土台力が及ばない部分があり、そこで外交力を発揮してくれる人物がいないことには始まらなかったのだと。そういうことすら考えが及ばなかった。ただ、あたりまえのように考えていたから。
ゴー宣道場が6月限りで立憲的改憲議論から離れることが決定し、きょう一日動揺しましたが(11日に関西ゴー宣道場控えてるのに、どないなるんやと)、隊員仲間の前向きな言葉を聴いて、勇気づけられました。却って皆の闘志に火が点きました。今度の道場、成功させてみせましょう!
小林先生や師範方がお決めになったことに、こうしたらよかったのにとか、これからこうしてほしいとか、そんなことは申し上げられません。その代わり、師範方のことはこれまでとはちがう目で見ることができるのかなと。道場に関わりながらも、「世間」というものを背負っている。その立場も理解した上で。「もし自分が○○師範の立場だったら、同じことが、あるいはちがうことができる自信があるか?」という観点で。
「一人でいて寂しくない人間になれ」、きょうほどこの言葉が重く感じられたことはないです。
他の師範の方のブログからも「道場が偏見の目で見られている」という話を聞き非常に残念だと感じています。
ゴー宣道場には私は地方在住のためたった2回しか参加させていただいていないですが、
2回とも”馴れ合い”や”社交”の場ではない本物の議論を行う場であると感じました。
その道場で改憲を論じることは大変意義のあることだと感じたので、本当に個人的には残念です。しかし小林先生の公のために身を引くというご決断は支持いたします。
道場で「ゴー宣」の名を冠して論じることが障害になるとおっしゃるのであれば、先生は本業の漫画で、表現の力で改憲議論に一石を投じていただければと思います。私もそれを非常に楽しみにしていますし、世相にどのような影響を与えるのかを考えるとわくわくします。本当に影響力のあるのはゴー宣という名前ではなく、漫画であると思うので。
私も日本国民の端くれとして、先生や道場師範の方々が主張・議論してきた立憲的改憲を支持していきたいと思います。
かつて薬害エイズ訴訟のときは、運動も一段落してあとはプロに任せればいいと言うことで、小林先生自らが若者に日常に変えるように諭して、運動を終結させようとしたこともあったかと思います。
でもあの時は、その時点で勝敗は明確に決まって、あとは賠償などの手続きについて、弁護士などプロが活躍すればいい段階だったから、その判断だったと思います。
今の立憲的改憲が、6月時点でそこまですんなりいくとはとうてい思えません。この安倍一興の最悪な状態なのだから、ちょっとでも立憲的改憲の声が小さくなれば、安倍プラス広告会社(電通?)の大プロパガンダとともにかき消されて憲法も9条加憲で完膚なきまでぶっ壊されるだけなのは目に見えています。
ちょっと前の「ゴー宣道場」で、普段見かけないようなすごい風貌の方々が多くいらして、その方は昔ながらのサヨクでした。持論の護憲を蕩々と述べるのかと思ったら、改憲に踏み切らなくてはならないかもと言う趣旨のことを仰っていたのが印象的でした。
ここまで変えさせられたのは、小林先生の影響力なくしてあり得ないと思いました。
これからも小林先生の力は必要不可欠と思います。
先ほどの左翼の方々も恐れおののいて道場に向かわない、と言う選択肢もあったはずです。そこをしっかり参加されていたと言うことで、誰でもちょっとした覚悟さえあれば、小林先生を必要以上に恐れて逃げ出すと言うことはないと思います。その程度で逃げているなら、所詮その程度の人。いざというときには結局役に立たないのだと思います。
小林先生の威力は、これから改憲議論が進むにつれ、ますます必要になってくると思いました。
小林先生は敵を作る物言いが多いので、こういったケースはしょうがないことだと思います。
ギラつかなければ小林先生ではありませんよ。
ファイティングポーズを取ってください。
※「ゴー宣道場『立憲的改憲』から撤退」について。
道場に参加したことはありません。「おこっちゃまくん」からの読者です。
>ただ「立憲的改憲」が実現すればいいだけだ。
この言葉に希望を抱いております。
目的の実現のため、それが最も可能性の高い道ならば、それ以外に正解はないように思います。
よしりん先生や「ゴー宣」が、危険視されたり排除されたりすることについて、僕は特に不満はありません。
むしろ、それがよしりん先生らしさ、「ゴー宣」らしさではないですか? 小市民には嫌われて結構。目的達成のためには、嫌われ者だろうと潰れ役だろうと、喜んで引き受けてやるわい!
僕は、よしりん先生にはぜひそう言ってほしいですし、そういう「ゴー宣」をこそ愛読してきたわけです。
「憲法は権力者が作るものではないし、憲法学者が作るものでもない。民間人が作ってもいいのだ。」ってよしりん先生が言っていたし、皇后陛下も「人々の政治参加への強い意欲や自国の未来にかけた熱い願いに感銘しました。」とおっしゃていました。
そのマイルドな議論の場にはゴー宣道場以上の「意欲や願い」はあるんですかね?憲法学者って法律の整合性とか歴史を教えてくれればいいのではと思うんですけど。
勝つため?に憲法学者を集めているのかよくわかりませんが、勝とうが負けようが「意欲や願い」のこもった憲法案を残せることの方がいいと思います。
高森先生、よしりん先生のブログを読んでの感想です。
立憲的改憲の障害になっているのは、世の中の偏見と無関心なのだと思います。それらと戦ってきた高森倉持両師範もそんなにしんどかったのか。世間とはこの強靭な精神のお二人をも疲弊させてしまうのか。ひとたび自分のこととして改憲を考え始めた人にとっては、そんな偏見は無力化されるのに。
小林よしのりの名前に怖じ気づく程度で改憲議論ができるのか?専門家の重箱の隅をつつき合う議論になってしまわないだろうか?そんな小ぶりな議論にただでさえ無関心な国民が関心を持つことはないと断言できます。大きな話をも日常の目線に落とし込んで、考えさせてくれる唯一の場として、ゴー宣道場は非常に貴重な存在だと思うのでなんとも残念な気持ちになりました。
「小林よしのり」の存在が立憲的改憲にとって障害という意見には、全く同意できません。
「立憲主義」は「世間」よりも上位になければいけないものだと思いますが、まさに世間を気にする、言ってしまえば立憲主義をわかってない三流の憲法学者がそんなに多いのかと愕然とします。
小林先生は、結局は世間によって動くという日本人の性質を見据えて決断されたのだと思います。
しかし憲法学者がいなければ議論ができないわけでもなく、むしろ「小林よしのり」が言うからこそ世間への刺激や爆発力になるという面が大きいわけで、ゴー宣道場はゴー宣道場として「立憲的改憲」のテーマは続けて欲しいというのが本音です。
学者と議論をするマイルドな場ができるなら、それはそれでやっていただければ、自分は公的な部分のみに絞って注目はしていきます。「この人たちは三流なんだなあ」という目でも見ますが。
6月撤退のブログを読みました。
最初は「何で?」という疑問、次に怒り、次にトカトントン、そして今、コメントを書いている状態です。
6月撤退は先生の英断だったと今は思います。憲法についてほぼ素人である我々が何ができるかと言ったら、せいぜい「立憲的改憲」を応援することしかできないのではないかと思います。情けない憲法学者の代わりに「憲法案」を作れと言われても、正直、私には無理です。我々にできることは6月の撤退まで「立憲的改憲」を応援という形でどう盛り上げていくかだと思います。素人ができるのはそこまででしょう。そこから先は、たとえ腰が抜けていようが、情けなかろうが専門家である「憲法学者」に託すしかないのではなかろうか。すごく絶望的な気分にならざるを得ないのですが。
「小林先生が改憲の障害だ」という物言いは正直、すごくムカつきましたが(まるで切り開いた道をブルドーザーで荒らされたような…)、その怒りをぐっと飲みこんで「公」のためならと撤退を決断した小林先生の英断を私は支持したいです。
正直小林よしのりがいたから諸問題について考えさせられた。
小林よしのりのいないところで誰が来ようが、何を議論しようが興味がわかない。
一気に「トカトントン」と鳴り響いた。
長谷部教授の『社交』には勝てなかったのか。
私の感覚では多くの憲法学者は自衛隊は憲法上合憲の立場で立憲の枝野議員も同様でしょう。
それを欺瞞だと長谷部教授を名指しで批判するのが井上達夫であり小林よしのりであるのだから憲法学者の『社交』から排除されたのは当然の結果なのでしょうね。
前回の道場にゲストで来られた駒村教授も最初に「この市民運動でどんな主張がされているか知りません」といい、途中途中に「長谷部教授も同意見です」と挟んでいました。
これは想像ですが直前までゴー宣道場に行く事を止められていたんじゃないかなと思いますね。
木蘭さんのブログで紹介されていた
「世間とは何か」
Kindleで43%引きだったので良い機会ですし
読んでみます。
小林よしのりを苦しめる僕も貴方も存在する世間
本当に何なのだろう?
久々に投稿します。しばらく控へるつもりでした。
まづは、今号、配信有難うございます。
立憲的改憲からの撤退の件、驚きました。青天の霹靂です(これだから、ウェブログをよむのを休んでゐられないんです)。
小林先生が熟慮されて決定されたことならしかたがないですが、
何だか遣る瀬無い、みんな気分になってきます。
なんだか、学者といふ輩は、一介のギャグ漫画家に必要以上の警戒心をいだき、怖気づいてゐるやうな。
これといふのも、その憲法学者らの怠慢が原因なのではありますまいか。
現状の憲法を聖典のやうにあがめ奉り、
今の情況に適合しないところは解釈で間に合はせようとする。
少なくとも、死文化してゐる違憲立法審査権のかはりに、憲法裁判所を設置する、といふ方策は、喫緊の課題ではないのでせうか。
結局はアメリカの属国なのが、大本の問題点なのでせう。
はやくポチは鎖から解放されて、危険な自由を求められないのか。
またまたアメリカの小説を例にとるのですが、
レイ・ブラッドベリーの小説で、「びっくり箱」(「十月はたそがれの国」所収)といふ短篇を連想しました。
萩尾望都さんも漫画化された作なのですが、
端から見れば、自由を求める活動とは、「死ぬのはうれしい」と叫ぶ少年の気違ひじみた行動で、
世界からは「最近はやりだした子供の遊び」だとしか言はれないのかもしれない、です。
なぜそんな、ひとつところの一軒家に監禁(保護)されるといふ、不自由な境遇に甘んじてゐられるのか、誰も理解できないのだから。
いつも楽しく拝読しています。
そもそも、よしりん先生がゴー宣道場で、立憲的改憲を主張されなければ私も、改憲の好機とはいえ興味さえ抱かずに経過していたと思います。
高森先生や倉持弁護士は、憲法学者や護憲派(いわゆる改憲派でも)で、よしりん先生を毛嫌いするような方々にも、何とかよしりん先生やゴー宣道場の意義を理解して頂けるように、努められたのだと思います。
私は、自身の気持ちが正しいのか分かりませんが、枝野議員や山尾議員には一騎当千の国士として、安倍改憲案と闘って頂きたいし、よしりん先生には一刻も早く立憲民主党に立ち上がって頂けるように、強く背中を押し続けて頂きたい、そう単純に思っています。
失礼しました。
おはようございます。
本日3日は、よしりん先生が、ラジオ番組に生出演のご予定ですね。
◆『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)
(13:00〜14:55)
https://www.tbsradio.jp/225000
radikoでも聴ける様ですが、自分の場合、
「この番組は配信エリア外のため、聴くことができません。プレミアム会員に登録すると聴くことができます。」
と表示されるので、
プレミアム会員登録(月額350円/税別)が必要の様です。
◆番組「タイムテーブル」を見ると、
https://www.tbsradio.jp/kume954/
よしりん先生ご出演のコーナー、「今週のスポットライト」は、
14:00〜14:36の予定の様です。
なお、「タイムフリーで聴く」では、radikoで放送後1週間まで(/首都圏エリア無料)視聴出来る様です。
こちらも、エリア外はプレミアム会員登録が必要の様です。
あと、
◆「TBS ラジオCLOUD」
https://radiocloud.jp/
で、アプリをダウンロードしても視聴できる様なのですが(無料?)、
自分には意味不明です(笑)。
いつも楽しく拝読させて頂いています。
「小林よしのり」「ゴー宣道場」の存在が
立憲的改憲にとって障害、という意見に
私は同意しません。
理由は、憲法改正という国民的議論を喚起するためには小林先生から発信される鋭いメッセージが我々には必要不可欠だと考えるからです。
世の中に対して批評する言葉は数々あります。でも、これら有象無象の言葉と、小林先生から発信される言葉には決定的な違いがあると思います。
それは、小林先生の言論は命懸けの言論だということです。
差別論、オウム闘争、薬害エイズ、戦争論、、等の小林先生の著書にこのメッセージを感じて今まで愛読してきました。
世間からの批判、多くの読者を失うリスクを覚悟した上での発言だからこそ、言葉が届くのだと感じています。
ゴー宣道場師範の皆様にも、そして山尾議員にも同質のものを感じていました。安倍政権が今年中にも改憲発議を強行しようという危急存亡の重大局面です。このままでは自衛隊を書き加えただけの最悪な憲法ができます。
この流れに抗う拠点として、メッセージ力のある小林先生、ゴー宣道場の役割はとてつもなく大きいと考えていますがいかがでしょうか?
公の為に世間的、戦略的にマイルドなイメージが良いとのことですが、少なくとも自分はそんな議論に興味はありません。小林先生が「立憲的改憲論を急激にもりあげていくしかない」といっていましたが、小林先生がどのように戦い、表現していくのかに興味があります。学者が集まって当たり障りのない議論をして、何か変わりますか?戦略的にも間違っていると思います。
いつも拝見させていただいています。
僕の中のゴー宣道場の位置付けは、右とか左とかポジショントークではなく、課題の本質にたいして師範の先生方が本音でぶつかり合って新しい道筋を立てたり、合意して確認して進める場だと思っています。
そんな場は日本に唯一じゃないかなって思うくらいにゴー宣道場は貴重な場だと思っています。
だから頭が悪いながらもできるだけ参加したいと思うくらいに魅力がある場所です。
ゴー宣道場には他にはない魅力があるから、もっと自信を持っていいんじゃないでしょうか?
昨夜は元関西設営隊員のrandomtraderさんと半年ぶりに再会し、居酒屋が閉店になるまでの4時間、熱い議論を交わしました。
青臭い話かもしれませんが「日本を議論ができる国にしよう」と語り合い、ゴー宣道場の憲法論議に参加することで、その未来を切り拓こうと、握手をしました。
私は、憲法を議論することは、
過去からの英知を結集して未来に繋げることであり、
それは「公」のために行うことだと理解しています。
しかしながら
『「小林よしのり」「ゴー宣道場」の存在が立憲的改憲にとって障害』が現実ならば、日本は『世間が公論を上回る』という「みすぼらしい国」だったと認識いたします。
私の意見としては、
仮に、憲法学者がゴー宣道場に来なくとも、
仮に、世論がゴー宣道場に反応をしなくとも、
ゴー宣道場で憲法論議をしたいです!
我々は公論を目指しているのだから。
暗い話ばかりするのは嫌なので、明るい(?)話を。
人食いとかマックスといふかたがたが淘汰されて、良かったです。とりわけ、MAXといふ人の文章、纏めてよんでみましたが、ひどいですね。自分を見てください、の典型例。
と思ったら、人食いがまたまた投稿してゐる。シンキムも。どうしてかういふ輩は、人の不幸を食ひ物にして繁殖するのだらうか。
「辻説法」の単行本購入しました。最初の一篇がシュールです。これだけはつたへておきたいです。
「新墮落論」は薄いと自分も感じてをりましたが、今の人は「黒死館殺人事件」とか「ドグラ・マグラ」とかよめないのでせうか。マーガレット・ミラーの「見知らぬ者の墓」とか(去年、「殺す風」が復刊されたから、今年あたりでないかな。後世に残る感動の大名作)。同じマーガレットでも、「風とともに去りぬ」なども。
江戸川乱歩「孤島の鬼」・「大暗室」・「吸血鬼」あたりもむづかしいのか。
今年の岩波の復刊は、凄いラインナップです。里見惇「多情仏心」とか、末広鉄腸「雪中梅」とか、国語の便覧で見かけるくらゐで、本屋で発見することがなかったのですから。
かういふのを、若い人らによんで欲しい、と切に願ひます(無理なのかな?値段も張るし)。
「社交」とか「世間」の話は、生々しすぎて感想が書けないです。頑張ってはみますが・・・。
最初の話にもどすと、何とか、安倍のやうな愚人による改憲ではなく、山尾志桜里議員ら、良識派による改憲がなり、真の意味での護憲が実現して欲しいです。
(先に投稿した文を修正・加筆しました)
読者を自認している皆様ならば、小林よしのりを媒体・ファクターにして、色々な日本の諸問題に興味を持ったのでは?
じゃなきゃ、ゴー宣道場なんて出来なかったでしょ?
上の方にも書かれてますが、読者はもっともっと自信を持つべきですね、よしりん原理主義者と言う位にね。
大体、長年苦楽を共にしてきた筈の高森先生が背後から弾を撃つが如くの今回の行動はハッキリ言って解せません、今頃何でこうなる?わたしには不思議を通り越して不信感しか湧きませんね。
今回のことで、よしりん先生の耳に「トカトントン」がなお一層、大きく鳴り響いているのではないかと心配です。
私は元々、「小林よしのりはギャグ漫画家である」という認識を持っていました。「ゴーマニズム宣言」の存在はかなり後になるまでほとんど知らなかった。ある日(20年以上前)、書店で山のように積まれている「戦争論」を見て、意外に思ったのを覚えています。当時の私は典型的〝オシャレ女子〟で(注:今もです)、カタイ話には一切興味がなく、その時は読みませんでした。
その後、郵政民営化で政治に関心が出てきて(当時の私は郵便局員だった)、ある時、戦争について詳しく知りたくなり、「戦争論」のことを思い出したのが、「ゴー宣」を読み始めるキッカケでした。
この数年、日本史上最悪の政権が続く中、善良な庶民がどんなに抵抗しても全く悪政を止めることができない。なので「世間に影響を与えることができる人物(誰か分かるよね?)」に何とかしてほしいと思ってきました。これまでは何でも悪徳政権の強行突破で好き勝手されてきた政治も、最近はほんの少しずつ変わってきているような気がしています。
せっかくほんの少しずつだけど変化が出ているのに、この流れが「世間のイメージ」でストップするのは残念です。憲法改正は特に重要なテーマですしね。
「世間」でゴー宣道場などがどういうイメージで見られているのかハッキリとは分かりませんが、イメージを作り上げているのは師範だけでなく、そこに集う人々も含まれます。私が「部外者」だとしたら、どういう目で見るのかな~~??
憲法学者が「世間的イメージ」を大事にするのは分かる気がする(カタイ職の人は一般的にそうである)。ただ、ゴー宣道場やよしりん先生がそのイメージをマイナスにするのかどうか。。小心的な小物さんなのかもしれませんね、そういう人は。
私は今回の件の詳細はよく理解してないかもしれないけど、よしりん先生のブログを読んでたら、何だか脱力してるような気がして心配になったのです。
今まで私たち、ずっと彼に頼り過ぎていたのかもしれない。
でも、他に頼れる人なんていない。
連投すみません。
憲法論議の視点からも考えると、いろんな価値観を持った誰でももっと気軽に憲法について想いを寄せたり語れるようになるというのが、大切な事のように思います。理論も大切とおもうのですが、それだけだと「憲法典」の問題に矮小化してしまうのでは?
特に立憲的改憲の話は、楽しいなあとか、分かりやすいなあとか、合理的だなあとか、今よりもいい国になりそうだなあってことを、一人でも多くの国民の皆さんに短時間で伝える事が大事だとおもうので、僕は、道場で議論を続けていくことは大事だとおもいます。
師範の先生方はもっと深く考えていると思うので、不愉快な気持ちになっていたらすみません。
よしりん先生のブログを読みました。我々は門弟もそうでない私のようなヒラの参加者も良き傍観者として為すべきことを為します。
朝から何度となくブログが更新されていないかとウェブをチェックしていた間に感じていたモヤモヤは晴れました。
マッチョイズムとか言われるかも知れませんが、やはり大した漢だと思いました。到底真似できないくらいの器の大きさです。
これからも自身の爪を研ぎつつこの一連の動きを注視していきます。
ゴー宣道場が6月で、立憲的改憲から撤退との事ですが、小林先生が決めた事なら尊重します。
僕は先月ゴー宣道場に初めて参加しましたが、場の熱気や真剣さに圧倒されました。
仮に「マイルドな議論の場」が出来たとしても、ゴー宣道場のような熱気や真剣味溢れる公論の場になるのか、正直疑問です。
「マイルドな議論の場」って何だ?
そんなもので本当に「世間」と戦えるだけのパワーと発信力が生まれるとは思えない。
いつの時代にもリスクを冒してまで公のために尽くせる人物はほんの一握りしかいないはずなのに・・・
どうせ削除されるアンチ様にも書いておくけど、あんたらも小林よしのり先生が居なけりゃ早晩興味を無くすと思うぜ、
ファンサイトであり、世間一般が関心を持ち難い案件を我々に惹きつけてやまない事柄を提供し続けているのは、高森倉持さんでも木蘭さんでも切通さんでも笹さんでも無く、
小林よしのり先生なんですけどね、それを公のため公の立場から、だなんて、読者が良く言うわ。
時浦さんが書いてるけど、私ら読者が高森倉持さんの書かれている言っているであろう、小林よしのりやゴー宣道場が、立憲的改憲の邪魔になってると思うか否か?なんですよ、
アンチを含めて批判的なあんたらは、小林よしのりとゴー宣道場が障害になってると認識してるんだね?綺麗事を言いなさんなよ!
倉持さんに言いたい、あんたは自分の次の次の事を考え過ぎてるんじゃね?政治家になりたいと確か仰ってた、その将来的な自分の立ち位置の為、世間体の為に、
狂信者の集まりカルト集団に関わって良く平気だねーと言われた事を慮るのかい?
アホらしくて話になりませんなぁ。
小林先生のスタイルが、憲法学者から、世間から敬遠されているだけの話です。
高森さん、倉持さんを逆恨みするのは、筋違いだと思います。
今号より、コメント欄の検閲が始まりましたが、自分達の考えを理解出来ない世間を、馬鹿呼ばわりするコメントも削除対象にしてください。
偏見を持たれる大きな要因となっています。
>>212 >>217
全く同じ意見です。
「「小林よしのり」「ゴー宣道場」の存在が立憲的改憲にとって障害、という意見に皆さんが同意されるかどうか」と、時浦さんが問うているので、いろいろ考えて、怒られそうですが書きます。今から書くのは超個人的な「私」の意見です。お前は何を言ってるんだと文句を言うのはやめてください。笑
小林先生が考え抜いた意見の「支持」が前提での私の「私」の本音です。本当に怒らないでくださいね。笑
私の意見が一番正しいということを書きたいわけではなく、誰を批判したくて書くわけでもなく、独り言です。
障壁なわけないじゃないですか。全く障壁じゃない。小林先生はやはり最後まで関わってほしいというのが個人的な本音です。ゴー宣ゴー宣と略してすっかりタイトルの意味まで気にしなくなっていましたがそもそも「ゴーマニズム」宣言なんですよね。わしが自由にゴーマンかます作品だったはずです。「ついてこれる奴だけでいい、わし一人になってもやる」これがゴーマニズムだったと思います。
もちろん、6月以降に小林先生が関わらなくなったとしても立憲的改憲の興味自体はなくしませんが、私は小林先生がいないと立憲的改憲議論は今より面白味はなくなると思います。それこそ改憲についての普通の勉強会になると私は思います。ゴー宣を23年くらい応援してきましたが、ゴーマニズム宣言って常に小林先生の「情(じょう)」なんですよ。オウムも薬害エイズも戦争論も全て小林先生の「情」が出発点で、気持ちに訴えかけるものがあっておもしろかったし、わくわくしたんですよ。
「偏見なく、もっと憲法学者を集められる場ができるなら、その方がいい」
何か私の中の「情」がそれは違うと言ってくるんですよ。言い換えると「偏見で見られると支障が出ます、その原因は小林先生です。小林先生が離脱した方がよくなる。」ということですよね。何か違うんですよ。それは全く違うんですよ。理由が冷たすぎるんですよ。こういう感覚ってなかなか分かってもらえないと思いますが。地方のかなり外側から応援している私からしたら、はしご外しにしか見えないんですよ。
「この部分がマイナスになってるから外してプラスになればいい、外すとプラスになるだろう」
それって理屈の「理」なんですよ。ゴー宣のコアの部分になっている「情」が全くない。しかも外されるのがゴー宣道場とそれを開いてる人。あくまで読者として、偏向、信者、独りよがりと言われようが、そんな展開は私はおもしろくない、あったかくない、わくわくしない。小林先生という「規格外」がいるからおもしろいんです。6月以降も小林先生の「カニニカ主義」も聞きたいんです。スパイスになって眠気もさめるんですよ。笑
小林先生を敬遠してる憲法学者のために改憲議論してるんじゃないんです。改憲議論ってどっちに向いてるんでしょうか。小林先生を敬遠する学者ですか、それとも庶民ですか。現時点の情報だけでは細かくは分からないのですが、山尾議員と倉持先生が立憲的改憲案を完成させて庶民に広めることが目的で、憲法学者を多く集めることが目的じゃないと思うんですが。なぜ、いつの間にか憲法学者を多く集めることが目的になってるんでしょうか。(倉持先生の考えがあるのだとは思いますが…)
やっぱり疑問だらけです。
それと小林先生は庶民への影響力、宣伝力はやはり持ってますよ。立憲民主党の演説も話題になりました。立憲的改憲案が完成してメディアに注目され始めてからが小林先生の本当の出番だと思うのですが。6月以降でも立憲的改憲の解説?、ご意見番、アドバイザー、ゲスト?のような形でいいので遠くからと言わずどこかで関わってほしいですし、改憲について小林先生がメディアなどに出演した時は立憲的改憲案を徹底的に主張してほしいです。
夏目漱石「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」
めちゃくちゃな乱文、意見で本当に失礼しました。私は少しおもしろくないというのが本音です。しかし他のどの意見も否定するつもりは全くありません。そういう視点もあるのかと感心します。とても長くなってしまってすみませんでした。
「小林よしのりが関わらない立憲的改憲になんて興味がない」
一見乱暴かな?とも思ったが、実は正鵠を得ていると。
人は制度や理念に従うのではなく、最後は人に従うのだと思う。
これまで20年以上、常に疑いつつ(笑)、静かに見守る中で「よしりん」という人物を
結果的に信頼しています。
私は能力も無く、家族や仕事といった日常に埋没しかけているからこそ
日本人が失いかけた心と共に、「王様は裸だ!」と言える「よしりん」を全力で応援したい。
応援と言っても書籍を買って、ごく稀にコメント書くくらいなんですが。
読者って、そんな人が多くないですか?
圧倒的な大横綱のフンドシで相撲を取って、それなりに番付を上げ、評価され、時には土俵から落ちそうになるとそのフンドシの大きさに助けられている。ところが、一部の世間からこのフンドシは、実は肌触りが悪いんだそうだと聞かされると柔軟剤仕上げのフニャチン向けのフンドシに替えようと言い出す。洗って洗って、真っ新なフンドシにして相撲を取り続ければいい。
まず、実際に状況を動かそうとしているのは、山尾・倉持でしょう。学者は、山尾案について、専門的な見地から、助言をする立場になろうかと思います。
生前退位については、法案の改正が皇室典範のみで充分であり、皇室関係では随一の専門家である、高森氏が師範でいたからこそ、他の学者と接触する必要が無かったのです。しかし、山尾案は国家体制の変革含みの大事業であり、完成には多くの学者の協力が必要なはずです。
倉持氏は今回も、「明るい暗躍」…国会議員との接触を重ねて、改正案が発議される前に山尾案に少しでも近づけようとするでしょう。そして、国会議員の支持を得るためには、山尾案に止まらず、それに伴う法案改正案の提示まで必要になるでしょう。
なので、僕は高森氏の意見に反対だとは、現時点では言えません。
しかし、憲法は明治の私擬憲法のように、学者や政治家だけでなく、一般人の「下から」のムーブメントが必要で、それがあってこそ、国民は憲法に愛着を持てるのです。ただ、一般人の議論の場は、ゴー宣道場より上をいくものは、決して作れない!設営隊長が言うのだから、間違いない(笑)なので、道場が手を引けば、「下からの改憲」はもはや望めない。そう考えます!
倉持師範の話も聞いてみたいです。
私が信じてる発信源は、昔も今もゴー宣道場しかありません。信じてるというか、本当に自分の頭で考えてるか?と試されるのがゴー宣道場なのです。
公を追求するこの場所では、醜い私心をさらすとぶった切られることもある厳しい場所なのです。
信者の集まりではありません。
私は開催される道場にも来ない人ですが、世間の偏った意見に振り回されなくなったのも、まさにゴー宣道場のおかげなのです。(正しくはゴー宣ネット道場ですが)
そうでなければ、私は山尾氏の不倫報道とキャリアを分けて考えることはできなかったし、真実を見失っていたでしょう。
真の勇気のある発信源は、小林師範のいるゴー宣道場のみ。
憲法議論、時間がないのですよね?
どうするんでしょう?
なんか原発のときと空気が違いすぎる気がしてならないゾ。
あんときは地震という日本全体の「経験」があったから国民全員が思想の右も左も関係なく総力を結集して「原発ヤメロ」と声を上げていたけれど、
今回は時間が経ってだいぶ薄れてしまった戦争の「歴史」が関わることだからか「直ちに影響があるわけではない」という認識が自分ら国民たどころか安倍改憲反対の憲法学者の間にも蔓延してる気がしてならない。
賢者は歴史から学ぶ、愚者は経験から学ぶ…まさか、これを地で行くんじゃ…?
立憲主義を確立せねばと動いている憲法学者も実はそこまで真剣じゃない可能性が微粒子レベルで存在する・・・?
なにせ、「直ちに影響があるわけではない(出ないとは言ってない)」だから。これもしかしたら、よしりんが関わるか否か以上の問題かも分かんねぇな?
もしそうだとしたら、目先のことしか考えてないとしたら、社交も利害も越えて戦う覚悟が無いとしたら、100年先のことを考えて行動しているわけでないとしたら、申し訳ないけど立憲主義確立は夢幻に終わるかもしれない。戦力になるものをすべて投下する総力戦を行うつもりが無いんであれば負けるしかない。戦いにおいて戦力の小出しは消耗して終わるだけって、大東亜戦争でもわかんだね。
トッキーさんのブログにあった産経の記事、
↓ですね。
http://www.sankei.com/affairs/news/180302/afr1803020071-n1.html
ミウラルリーの発言を裏付けようと必死です。
まるで虚構新聞ですね(笑)
三浦マイルド
もうそろそろ先生がTBSラジオ出演ですね。
先ほど辻説法が届いたのですが(堕落ですみません)
読むのを一旦中断してラジオ聞きます。
パソコンでradiko使います。
あれ、仕事中じゃ・・・
再度投稿失礼します。
ゴーセン道場や小林先生が立憲的改憲の障害になるかという話ですが、これは僕の個人的な意見です。もしかしたら一部のファンには不快に思うところがあるかもしれませんが、ご了解下さい。
僕は現時点では障害になっていません。それどころか必要不可欠な存在だと思う。
立憲的改憲を広めた小林先生の功績は大きいし、憲法を議論する公論の場は貴重だし、この場が唯一といっても良いと思います。
ただ、6月の時点ではどうかといえば違うかもしれない。
この立憲的改憲はゴーセン道場の枠にいつまでも嵌め込んでいては行けないのではないかと思う。
僕が思うのは、ゴーセン道場からは離れるが、道場と違う媒体で立憲的改憲を広げて行けば良いと思います。
道場で小林先生は言ってました。「立憲的改憲を広げるのであればゴーセン道場という看板を下ろした場を作っても良い」とね。これはゴーセン道場が主役となるわけではない場を作るという意味だと思います。
僕は6月までにそういった場ができることを期待してます。
逆に倉持、高森、山尾が主役となり、小林がゲストとして参加できるような場ができるようになるくらいにしてほしい。それくらいにならないと実現は難しいでしょう。
初めてコメントします。
先日初めて関西ゴー宣に参加しました。
行くまでは「憲法の知識も無いし大丈夫かな…」とどきどきしていたのですが、始まった瞬間からそれは杞憂だと思いました。師範方のお話しはとても分かりやすく面白くとてもためになる貴重な時間でした。あの雰囲気を「マイルド」にとゆう意味がちょっと分からないです。
よしりん先生は正しい事を言っていて真面目に国の事を考えて行動していると思います。
それに対して偏見を持つ学者のほうがおかしいと思いました。
ホントに学者って頭が固くて世間知らずなんだなって。「知識」はあっても「教養」が無いんだな。
「知識」は日々の生活に生かしてこそだと思うのですが…
今回道場に参加した事で以前は考えもしなかった憲法の事、日本の事、日々の生活をしながらも色々考えるきっかけになったし、今まで流しながら見ていたニュースもちがう視点で見て考えるようになりました。
それはゴー宣道場のおかげだと思っています。
ゴー宣は初期の頃からずっと読んでいてよしりん先生がどんな活動をしてどんな事を漫画で発信してきたか見てきました。ホントに口で言うのは簡単だけど実行するのは多大な労力を要すると素人の私が見ても分かりました。だけど先生は常に日本のために影となり日向となり実行に移してきた唯一無二の存在で誰もマネ出来ないと思います。
それに対して「秘密結社」だの「カルト」だの
言う人は今までのよしりん先生の作品を読んでほしいです。
読んでもそう思う人はバカなんだと思います。
でも、今回の事はよしりん先生が考えて決めた事だから仕方ないと思います。
ひとつ気になったのは2月のブログで「もっと発信力を持つ媒体を得る」と書かれていました。
撤退するにあたりそれはどうなるんだろうと気になりました。
何はともあれよしりん先生の事はずっと好きですし応援しています。
これからも私自身勉強を続けていきます。
長文失礼しました。
一回書いて投稿を止めようと思ったけど、小林先生と久米宏さんのラジオを聞いて、やっぱり投稿させていただきます。
久米宏さんが素直な疑問をぶつけて、安倍政権とトランプをけちょんけちょんに言って、護憲派を保身とぶった切って爽快でした。
安倍改憲は立憲主義の破壊で、護憲は保身だどドンドン突き付けてほしい。
んで、ブログをよんでの疑問。
ゴー宣道場が憲法改正議論から手を引くってのは、世間に気を遣って?
「小林よしのりがネトウヨを生んだ!」って八墓村の住民の意見を通すことにならない?
小林先生と同席する度胸のない学者が、意味のある提案できるのだろうか?
「それでいいのか?」って疑問。
ラジオ聴きました
あの短い時間でよくあそこまで内容を詰め込めたなと思いました、
天皇の事に少しふれられたのも嬉しかったし久米さんが天皇は安倍が嫌いでしょ、と言われた時なにか少しだけこの国が良くなってるのかもと思えました、
小林先生が最後とても楽しそうに話終えられてるのを聞いて今回の事で気を落としてるのを心配していたので、ちょっと安心しました、
とても良い番組でしたので皆さんも聴ける方は是非ラジコのタイムフリーで聴いて見て下さい。
【門下生チャンネル、新番組配信スタート♪♪】
よしりんもお待ちかねの「東京の門弟の座談会」は、関東の女性門下生・ちぇぶさん制作の新番組として本日より配信開始です♪♪
《3月3日配信 門下生チャンネルの番組表》
◆<新番組>【第69回ゴー宣道場前夜祭 -ゴー宣道場参加者 ザ談会- 】
第1回 「雇用について語ってみた」
https://www.youtube.com/watch?v=d3u46NGqc3Q
仕事には色々問題がある。例えばパワハラ。
パワハラされるなら、仕事を辞めやすい社会にすればいいのでは?
では、人材の流動化を促進してもいいの?
人材の流動化促進すれば、雇用側はリストラしやすくなるだろう。
では、雇用の安定は大丈夫?
さらに社会にはいろんなタイプの人がいる。
頭いい人、のんびりした人、成長が早い人、マイペースな人・・・。
多様な人と共存して働くにはどうすればいい?
介護、離島の医療、
いろんな場面での雇用について
第69回ゴー宣道場「憲法9条の命運」の前夜、参加者で議論する。
◆【第69回ゴー宣道場前夜祭 -ゴー宣道場参加者 ザ談会- 】
第2回「日本は憲法を守らなくていいという空気になってない?」
https://www.youtube.com/watch?v=kQmno3HeTfY
改憲に向けて憲法に少しずつ注目が集まっている。
でも・・・・・
憲法って法律の学者や弁護士が作ればいいんじゃないの?
え!弁護士は憲法の専門家ではない?!
じゃあ法律の学者が作るの?
え!学者は憲法解釈しかしない?!
しかも“憲法はすぐに守れないもの”と言う。
え!じゃあ守らなくていいの?
学者がそう言ってるし、学校で憲法9条習った時には、
日本は戦力を保持しないけど、自衛隊はありますって
教えられたし・・・・・
憲法って何のためにあるの?
日本は憲法を守らなくていいって空気になってない?
第69回ゴー宣道場「憲法9条の命運」の前夜、参加者で議論する。
どうぞご覧ください。
◆【犯罪に巻き込まれると事後が大変『VS門下生 焙煎珈琲VSちぇぶ』#2】
https://www.youtube.com/watch?v=QhBBkBHMGXo
関東在住のゴー宣言道場参加者「焙煎珈琲(50代男性)VSちぇぶ(30代女性)」対談の第2弾。
ごく普通の市民である50代男性は
ある日突然、通り魔に遭遇し、
命の危険を感じながら必死に捕まえた。
これで事件が解決したと思いきや、
犯人に負わされたケガの治療費は自己負担?!
犯人は捕まったのに警察からの度重なる事情聴取?!
自分は犯人を捕まえたのに、なぜこんなに大変な目に・・・?
苦悩しながら対応しなければならなかった当時の気持ちを語ります。
◆【 ゴー宣道場に応募した理由『VS門下生 焙煎珈琲VSちぇぶ』#3】
https://www.youtube.com/watch?v=wLadGjjktU8
通り魔を捕まえたことで警察から表彰を受けた50代男性読者。
けれど、素直に喜べず、何か腑に落ちない。
犯人を捕まえる時に警察は動いてくれないし、
事情聴取がやたら多くて面倒で大変だったからだ。
こんな思いをするなら逃げた方がよかったのか?!
誰かのために体を張ることは損なのか?!
究極の理不尽に気付き、意識が変わっていく50代男性読者。
ゴー宣道場に参加したいと思った気持ちの変化を語ります。
◆【 経験から『新・堕落論』を考える 『VS門下生 焙煎珈琲VSちぇぶ』#4】
https://www.youtube.com/watch?v=4V7T4usoDhQ
互いの経験から小林よしのり著『新・堕落論』を考える。
『新・堕落論』の第一章は太宰治の小説『トカトントン』の紹介から始まる。
「トカトントン」とは世の中に対する脱力感、虚無感など
心の空洞を感じた時に聞こえてくる音だという。
50代男性読者は『新・堕落論』を読んで、
事件前はトカトントンを感じていたが、
事件によって目覚めた自分はトカトントンの世界から脱却し
世の中に流されず、考えていくことが大事と気づく。
50代男性読者のトカトントンの話を受けて、
30代女性読者は『新・堕落論』の最後のページに書かれてある
「命を手段にする」ことについて語りだす。
二人の話を動画でご覧下さい。
◆【門下生チャンネル#008】
平成30年1月6日に収録した関西設営隊による座談会第8弾!
https://www.youtube.com/watch?v=TAAAA_Q_fOg
いよいよ来週3月11日は第4回関西ゴー宣道場が開催されます☆
そして、この回から「関西ゴー宣道場誕生の舞台裏」を語ります♪♪
ゴー宣読者とゴー宣読者が出会ったことで起こった化学反応!
ゴー宣道場設営隊長・和ナビィが関西ゴー宣読者に伝えた「名言」とは?
関西ゴー宣道場の直訴は、この言葉から始まった!!
そして、動画の終了間際の告知にも注目♪♪
関西設営隊新規志願者募集の呼び掛けに、あの男が緊急来日!?
◆【ザ談会(「新・堕落論」感想座談会#003)】
小林よしのり著作「新・堕落論」を素材に、関西設営隊10名が自由に語り合う座談会の第3弾♪♪
https://www.youtube.com/watch?v=edDdIINU_pg
接客の仕事をしているゴー宣読者達が現場で感じる「ありがとう」の大切さ。
地域ごと、国ごとに異なる不文律。それぞれの公共性。
「公」が崩れていく時に感じる「堕落」を語る!
・・・
【ゴー宣道場門下生チャンネル】は、「ゴー宣道場の魅力を、ゴー宣道場の参加者同士が、自由に語り合おう」という主旨でお送りしています。
ゴー宣道場の運営本部はノータッチ。
門下生(道場参加者)が好き勝手に動画を上げています♪
みんなでやろう!みんなでやろう!みんなでやろう!
庶民として日常と格闘する者同士が、議論を楽しむ場を、自分たちで創りましょう!O(^o^)o
《門下生チャンネルへの感想・ご意見・問い合わせの窓口》
chiho.gosen.dojo@gmail.com
初めてコメントします。
ゴー宣道場やよしりん先生が立憲的改憲の障害になるなどあり得ない!
いくら立憲的改憲が理念として正しかろうと、排除に動くという行動、義や情を欠いた行動を取る者を信用出来ない。
よしりん先生が公の為に身を退くのは全面的に支持する。
むしろ、世間や保身を盾にした「公」によしりん先生や道場に携わる方々の個や私が犠牲になるような事があってはならないとすら思う。
ゴー宣道場無き立憲的改憲には、疑念を持って注視しようと思います。
憲法学者界隈ではよしりん先生やゴー宣道場のことをカルト集団のごとく見ているって?
逆にそんな偏狭の目でしか判断しない憲法学者達なんぞ、屁ぇみたいな連中としか思えません!
よしりん先生の決断は仕方ないとは思いますが、限られた6月までにゴー宣道場で憲法論議を出来るだけ高めていただいて、ゴー宣読者以外の人々にも、「立憲主義的改憲」というキーワードが広がれば良いですね。
今回の件で、3月11日の関西ゴー宣道場が、ますます重要な道場となったと思いますので、関西設営隊員として、キッチリ使命を果たします!
最初に「「ゴー宣道場『立憲的改憲』から撤退」 の報を知った時の、
「小林先生がお決めになったことには反対する理由もない。いち読者としてはついていくのみ」という気持ちは変わらないのですが、
一番最初にこの報を聞いた時の「小林先生の名前があることがそんなにマイナスになるの?何で?」という、
モヤッとした「しこり」のような気持ちはずっと拭えないままで、
それから自分で考えるうちに、皆様のコメントを読んでいるうちに、それが「怒り」に変わって行き、
今は「トカトントン」が鳴っている状態です。
皆様の意見はどれも、いつになく強く響くものばかりですが、
カレーせんべいさんの「公論は「世間」を超えられなかったのか」という発言が刺さります。同意なのですが、刺さります。
しかし、それでもやはり、ゴー宣道場での「公論」は今後ともパワーアップして行って欲しいですし、
見る側、参加する側としても共にパワーアップして行きたい気持ちしかありません。
小林先生のブログで「「世間」に負けない個を持つゲスト」とありましたが、
まさに、学者世間や論壇世間や政界の世間に縛られないゲストを切望しますし、
自分も自らの属する「世間」と戦って行きたいと改めて思います。
しかし、ゴー宣道場無き「立憲的改憲」・・・山尾志桜里議員には注目しているのですが、
正直な気持ちを言ってしまうと、自分は引いてみてしまうところがあります。
果たして「小林よしのり」「ゴー宣道場」という名前にマイナスのイメージを持っていた人が、
名前が外れることによって加わりやすくなったとして、その「マイルド」な立憲的改憲は、
与党案に対抗出来うるものになっていくのかどうか・・・。
むしろ、「小林よしのり」「ゴー宣道場」というものを「知らなかった」ような人達が、
立憲的改憲に賛同していってくれるような求心力は、そのマイルド案にはあるのか・・・?
そこにはやっぱり疑問が残ってしまいます。
勿論、小林先生だって身体は一つしかないのだし、
小林先生にばかり頼り過ぎるのはいけません。
ただ、縁の下の力持ちとして活躍していたのは、倉持先生だけでなく、全員の師範の皆様あってこそだったと思いますし、
道場に携わる設営隊、読者の一人一人の力の結集もあってこそだったと思います。
うまくまとまりませんでしたが、長々とすみません。
久米宏さんとの対談ラジオ聞きました。
とても濃い内容でした!
聴いた中感じたことなので、再びすみません。
前回の道場でも小林先生がおっしゃってましたが、
中国が台湾を攻めたときに日本はどうするのか。
小林先生は、アメリカについていって中国と戦争をしないためにも憲法で権力をしばることが必要だという趣旨の発言をされてました。
先月の道場では
「発言力の大きいわしが、台湾の知り合いから『助けてくれ』と言われたときどうするの?わしの発言で戦争が始まるようなことがあったら困るからなにも言えないよ。そのためにも立憲主義の憲法が必要なの」というような発言をされてたように覚えています(全部言葉は合ってないと思います)
日本が戦争をしないにはどうしたらよいかを考えている小林先生、その熟議の場であるゴー宣道場が、立憲的改憲の障害になるのでしょうか。
前の投稿同様に、主催者の小林先生と師範が6月で引くと決めたのなら、いち参加者としてこれからも違う議題でももちろん参加しようと考えています。
(個人的には女性宮家の方が関心があります)
が、
さみしさと疑問が残ります。
撤退問題についてですが、正直、本当にそれでいいのかなって思います。なんだか寂しいです。よしりんほどの人が考えてそうしたのなら、ファンがどうこういうことではないのかもしれませんが、でもやっぱり、なんだか寂しいです。
そこまでするほどの“偏見”とかいうやつは、本当に存在しているんでしょうか?存在しているとして、それほど大きなものなんでしょうか。実は、ほんの一握りの意見に過ぎないってことはないんでしょうか……。
よしりんと議論したくてしょうがない、ゴー宣道場という場所が羨ましくてしょうがない、登壇して思いっきり喋ってみたい、って密かに思っている学者さんだっていっぱいいるんじゃないんでしょうか。
わたしみたいなバカには理解できない問題なのかもしれませんが、やっぱり、なんだか寂しく感じます。
少し上から目線のような書き方で大変恐縮ですが、よしりん先生、「ゴー宣道場『立憲的改憲』から撤退」が絶対にしてはいけません。私が及びもしないくらい熟慮された結果でしょうが、してはいけないと感じています。先生は「公」のためにされていることですから貫くべきと思います。発信力があり、影響力のある方が音頭を取って「立憲的改憲」を進めていかないと狡猾な最高権力者一派には勝てないと思います。「マイルド」では駄目だと思います。「マイルド」と「中庸」は違うと思います。
「属国」のまま死んでいくのは嫌です。
これが独立への一歩の最初で最後かもしれないのです。
山尾・倉持問題があったとき、よしりん先生は「世間」の目に負けず、「公」のためになるとお二人をかばいました。
私はその姿勢に深く感銘したことをこのコメント欄で記入しました。
実際にゴー宣道場に参加してくださる憲法学者の方がおられるわけですから、尻の穴の小さいやつらの「世間」を気にしすぎないで、今こそ今度は倉持師範がよしりん先生に対する誤解を解き(そんなことをよしりん先生は望んでおられないかもしれませんが)、ガチガチのイデオロギーに固まってない何とか物分りのある憲法学者を説得するくらいのことをしていただきたい。
討論番組でも何でも、よしりん先生が出るのと出ないのとできっと視聴率も違うでしょう。アンチも「毎度ありー」で視てくれるでしょう。どんどん先生からの「公」のためになる情報に接していれば興味を持ち理解する人たちも増えてくるでしょう。
どうか、撤退しないでください。
私個人の考えでは、よしりん先生が立憲的改憲の
障害になるとは思っていません。
たしかに、よしりん先生は、どんなことも書くので、薬にも毒にもなる論調になってしまうこともあるかもしれません。
しかし、それは今に始まったことではなく、
薬害エイズ問題にせよ、新しい歴史教科書問題にせよ、皇室問題にせよ、そのスタイルは変わっていないはず。
それを、さも今初めてそうなったみたいな感じで流れているのがおかしい気がします。
よしりん先生は、この問題を通して、
「真に日本は独立する気があるのか?侵略戦争に加担しない国家になるように真剣に考えているのか?」という問いを出しているのだと私は勝手に思っています。
それに対してよしりん先生アレルギーでごまかそうとするのは、有識者として誠実でないと思います。
反対なら反対で代案を出して議論すればいいだけ。
なんなら、ゴー宣道場に名乗り上げて、よしりん先生の考え方がいかに危険かを道場の中で説いて議論にすれば良いと思う。はっきり言って、「何を今更」というのが、ブログを読んだ感想でそのリスクも含めて今までやってきたのではないのか?という感覚です。
よしりん先生が、取り組まなくてはならない問題がたくさんあって、6月までは全力でやるというなら、尊重したいです。皇室問題も待ったなしの状況ですし。
長々と書きましたが、トッキーさんの問いについては、私個人の感覚としては、ゴー宣道場が、立憲的改憲に障害にはなっていないというのが答えです。
(最初書いたのは、主語と述語のねじれが生じて、
誤解を生む表現になっていたので、削除し、修正
したのを再度、投稿しました。)
しかし傾向としてカルトだー!信者の傷の舐めあいだー!と叫ぶ人って元門弟が多い気がしますなあ。
しかも理由が人間関係でこじれたから。
じゃあ人間関係でこじれなかったら
カルトだと批判しないんですかねー?
まあそんな私怨レベルですな。
初めて書きます。
『撤退』問題…
瞬間的に『堕落論』の最終章を思いました。
困難に対し、もどかしさや弱音(堕落)からルサンチマン弱者になり、それを正当化する為の道徳を生み出し怜悧になる…
詳しい事情までは知り得ないので、こんな風に感じてしまいました。
ひたすら作品を読んで、応援するくらいしか出来てませんが、天皇陛下の次に「トカトントン」に抗っているであろう よしりん先生に、今回の件も乗り越えて頑張って下さい!と想うのは酷でしょうか…
やはりあらゆる問題の根源はコレだったか…
応援し続けます!
勇猛果敢で行きましょう!
図々しくすいません。
関西ゴー宣道場設営隊に参加させていただいているバッファローTです。
何の力もなく、日常を生きるのが精一杯の私が意見など出来るはずがないので3月11日の関西ゴー宣道場を設営隊の皆さまと共に頑張ります。
ただ、小林先生に叱られるのを承知でどうしても一言あります。
憲法学者達の多くがリベラルとするなら、小林先生は「立憲的改憲を国民運動にする為にも立憲主義を大事に思う者は立場の違いを超えてゴー宣道場に参加せよ」と考えておられたのに憲法学者達や一部の人たちは「小林氏は危険だから排除しろ」と言う、これの何処がリベラルやねん。
ゴーマニズム宣言=小林よしのり=ゴー宣道場である以上、熱心な読者ほど、興味を無くし、無意味なものだと痛切に感じているんじゃ無いですかね?皆さまのコメントを見ると。
いや、至極当たり前ですよね、私達は小林よしのりの作品を通して天下国家を見てしまっている、少なくとも私は間違い無くそうなんですよね、
じゃなきゃ、薬害エイズもオウム真理教も教科書問題も、テレビニュースや新聞を見て、知るだけ、存在だけ認識して忘れ去る、
イラク戦争も震災からの脱原発も皇室の後継問題もそれこそ改憲も、多分ネットニュースで見て、忘却の彼方へ追いやってしまうでしょう、
ゴーマニズム宣言を通さずして、私の胸や頭に突き刺さり、痛みを伴う刃物の切っ尖の如く抜けない状態になりやしない。
こんなん当たり前、悪いけど、他の師範方の話もゴーマニズム宣言ありきでしか見られない聞けやしない、これは多分病い、ゴーマニズム宣言に充てられた不治の病と私は考える。
少なくとも私には最早急速に興味を失いかけている、トカトントン?それすら生温い、堕落?そんな甘いもんじゃない、
絶望?そんな言葉すら知らない、最早どーでも良くなる自分を抑える事は不可能ですね、
ゴーマニズム宣言と小林よしのり先生が身銭を切り、身を削って提供し続けてきたゴー宣道場に言わばタダ乗りして来て卓袱台返しかよ?ふざけるなよ。
こういった初めてな人の多い状況だからこそ、懲りない者の雑言を「果たして狂人はどちらか」の判断材料としてあえて残すのも手かと思います
別に両名以外のコメントは消さないなどと一言も書かれていないのに
他の方々の意見に同意しまくりです。読むとやるせなさでいっぱいになります。
「よしりんが撤退してこれで立憲的改憲に近づくわー安心したわー日本のためだもんねにっこり満足。」ってブログやライジングの読者全員が思いますか。理屈で片付けられない気持ちってあります。取り替えて目立たないように隠したらオッケー完了です、公のためなんで我慢してください、とか、分かってますよ。公の気持ちはとても分かりますよ。でも人は部品じゃないんだよ。やっぱり何度考えても小林先生が仲間はずれにされてるように見えてしまう。
読者全員がこれは仕方ないですね!ついて行きます!とはならないと思いますよ。読者は読者それぞれの考えがあるんです。改憲発議前から正念場の時に道場や小林先生が全く改憲を扱ってないというのはやっぱりどうなんでしょう。気が変わった時の読者のドライさを一番知っている小林先生が公のために撤退という苦渋の決断をせざるを得ないことが本当にやるせないです。
よしりん先生のブログ読みました。
リスクしかない状況で庇ってくれた恩人に対して狂信的だと受け取る倉持さんに闇を感じました。
師範も道場生も、あれだけの状況証拠を突きつけられて潔白だと信じてる人は1人もいません。
それでも敢えて、信じる側に付くことを選んだに過ぎないのです。
世間は忘れたわけでなく、敢えて触れないでおいているだけなのです。
その程度の想像力もないのは今まで本当に痛い目にあったことがないのだろうかと思ってしまいました。
やっと手に入れました「よしりん辻説法」。手にして思ったのが「なにこれ薄!」(既刊ゴー宣SP比)
ブログでも「薄い」と書かれていましたが、本当に薄い!カ◯ーせんべいさんの髪の毛みたいに薄いよコレ!
ですが中身は濃密です。回を追う毎にキャラ立ちしていく担当りか坊さんと、それに負けないくらいのキャラと理論と感情をぶつけてくるチョンマゲよしりんとのやりとりは、まるでボクシングのフルラウンドのようでした。装丁デザインもシンプルながら纏まりがあり(目の玉日記に近いかも)本当に「コレで1000円?」と思うくらいです。買って損なしですよ。
『法律家にも専門分野があって、憲法を専門にする人は少ない。』
不倫スキャンダルの時に、とある法律家の方が言っていました。
穿った見方をすれば、法律家界隈では、立憲的改憲って、あまり注目されて無い?
面倒だから、と協力を拒む口実に先生の名前が使われてる側面があるのでは?
立憲的改憲がメディアに取り上げられる事が増えましたが、先生と道場の功績は間違いないでしょう。
小林よしのりの名前が無いなら協力する、と言う人が、どれだけ熱心に活動してくれるのか疑問です。
何でそんなところにいるの? と聞く人はおそらく倉持氏にも興味が無いのでしょう。あればあの不倫騒動の時に、倉持氏に唯一手を差し伸べたのが先生と道場だと知っているはず。でなければ山尾議員共々週刊誌報道に潰されていたはずです。
世間の風は未だ自衛隊のみ追記か護憲かの二卓。ここに割って入るのに、マイルドな議論のみで可能なのか?
法律家界隈の世間だけ見て、全体を見ていない気がします。
ただ個人的には、『6月で憲法問題から勇退し専門家に任せ、道場は女性宮家創設問題に舵を切る』、に賛成です。自分が先生と道場に興味を持ったのは、やはり皇室の事からでしたから。
てか門下生の人たちは
動画なので道場は怖くないですよ
みんな日常を一生懸命生きていて
たまたま公論の為に集結している個人ですよとさらに宣伝しなくてはいけませんな。
かなり言葉は悪いですが。
道場でアンチ化する原因は人間関係ですから、そのケアとかも考えた方が良いかもしれませんね
ほかの人の投稿もよんで、もう少し附け加へたくなりました。
小林よしのり先生のゐない憲法論議なって、クリープのないコーヒーみたいなものです。
といひつつ、自分の毎日飲んでるコーヒーはブラックか微糖ですが、 以前、「形」といふ小説のことを述べましたが、「鎧」の中に存在するのは、「下からの改憲」とか「立憲民主」だけではなく、「小林よしのり」が率先して支援した、といふことも含まれてゐると思ひます。
その思ひを抜きにして、「改憲」を語ることは不可能だらうと思ひます。
千万人と雖も吾往かむ、であって欲しかったです。
何だか、偏見を持って参加を渋る憲法偽学者どもを一列に並べて平手打ちしたくなりました(時間と機会があったら)。固有名詞を知らないので、これ以上、批判はできませんが。
虎穴に入らずんば虎児を得ずだから、時間の都合があるなら、まづは参加してみてはいかがか、と。
そんなに「形」や「虚名」、「世間」体にこだはるのか、と。
守りたいものは何なのか、と。
たまには「死馬の骨を買ふ」やうなことをしてみるのもどうか、と。
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ、です。
かういふことを書くから、ひく人が多くなるんでせうか。
でも、思ひは言葉にしないと、目には見えないし、聞こえないし。
それはともかく、TBSのはうは、時間に間に合はなかったし(通院してゐたので)、久しぶりにつけるステレオも雑音だらけで、どうにもなりませんでした。
ラジオも買っておくべきだ、と(今はラジカセなんてうってゐないですよね)。
以前持ってゐたCDラジカセ、手放しちゃいけなかった。
ここにも「墮落」の潮流が流れてゐるやうに思へます。
インターネットで聞けるかどうか、頑張ってみます。
これで三回目です。ここまでにします。
どとーの動画ラッシュ、簡単に感想を。
まずはラジオ。
左翼(?)の久米宏とあれだけ話ができるというのは隔世の感があります。
昔ニュースステーションで清水宏保を呼んで、「私は分かるのですがあいつはゴーマンだって批判している人がいるんですがどう思いますか?」と聞いていたのを思い出しました。
門下生の方々の話、
警察の取り調べは酷いですね。
被害者であり犯人逮捕の英雄をなぜ5回も6回も聴取するのか?
事情をご存じの方は教えていただきたいです。
「小林よしのりは常に自らに刃を向けている」
最近も(ラジオでもそれらしきことを言ってた?)それは感じられました。
次回も楽しみにしております。
立憲的改憲へ向けての動きの中でよしりん先生が6月まで関わった以降は身を引く宣言をされたブログを見て、自分の思うところを述べたいと思います。
このままだと立憲的改憲はなし得ないと思います。ここまでよしりん先生が憲法に関して問題提起をされていなければ私は今のように積極的な関心を持つ事はありませんでした。今後も関心は寄せますが、今までの熱意を持ち続けられるかは疑問です。著名な憲法学者をいくら呼んでも、ゴー宣道場以上の影響力を持てるとはどうしても思えないのです。
こういう考えが世間の偏見を助長してしまうのでしょうか?世間を気にしすぎる言論に影響力はあるにでしょうか?立憲主義を破壊した安保法制が通った時に憲法学者の影響力がどれだけあったのでしょうか?
今はライジングの読者をはじめ多くの方々が意見を示されています。それをもってもう一度師範内で話し合われて6月以降も立憲的改憲にゴー宣道場、よしりん先生が関与されていく方向にならないでしょうか。
私には意思表示することしか今は出来ませんが、ご検討の程よろしくお願います。
まず、次に書き込む時は礼儀としてアレを書いてコレを書いて・・・
というのがいくつもあったが、失礼ながら後回しにする。
この一件で吹き飛びそうな心持ち。
そして確定申告が間に合うかとヒヤヒヤしながら、なのにこの時期やけに
仕事が忙しくてクタクタになるまで働いて、花粉症が始まってツライのに
、本当に一番大変な精神状態で居るこの時期に。・・・
やってくれますなあ。
高森さん。今まで何度もジョーク交じりにちょくちょく口が滑って、
それでもよしりん先生がフォローしたり、自分で着地点を整えたりして
バランスを保てていたけれど。
立憲的改憲のために論陣を張って此処まで突っ走って来たよしりん先生。
チームで共に走り、その姿を横でずっと見てきたはずなのに。
倉持さんにちょっと言われたら、よしりん先生のファイトに
冷や水をぶっかけるような事を、ブログに書くとは。
切通さんの時には激怒したくせに。人の事怒れます?
倉持さんは、何のために動いているのか。
もちろん「立憲的改憲」のためだが、それを政治の場、国会、あるいは
世間に発表できるのは、山尾議員でしょう?
山尾議員のために動いているんでしょう?
山尾議員が、去年の段階で立憲的改憲のために、動けたと思います?
思わないでしょう。
誰のおかげで今山尾議員が(そして倉持さんが)、動けると思います?
よしりん先生が守ってなければ、
とっくに山尾さんも倉持さんも消されてたよ!
立憲的改憲も、形になりようがなかったよ!
倉持さんと仲良くなりすぎて、よしりん先生を軽んじるなんて、
本末転倒です。
あなたの生涯をかけた悲願の持論、女系天皇の実現を
バックアップしてくれてる人、よしりん先生以外に言論界に居ますか?
そもそも、ゴー宣道場に、立憲的改憲に賛同する「憲法学者」を、
そんなに次々に呼んで、話を聴く必要が、どうしてもあるのでしょうか?
ゴー宣道場は公論の場なので、叩き台となる山尾・倉持の改憲案条文
を作って持って来てもらって、その一言葉や一節、一文を、
それでいいのだろうか、こう書き換えた方がいいのではないか、
などの意見を集め、それに対して山尾氏が原文を採用した説明をし、
どちらがいいかと議論する。それが、ゴー宣道場の役割では?
山尾・倉持&高森で、憲法学者に会って、その叩き台を作ったり、
その根拠論理を教えてもらうのは、大事かもしれない。
でも、直接道場に居てもらわなくても、いいのでは?
憲法の条文作成のブラッシュアップは、山尾・倉持&高森でやってもらい、
その結果報告と、それを基にした議論を、ゴー宣道場は、すればいいので
はないのかな?
改憲は、憲法学者だけのものではなく、国民投票するんだから、
国民全員の問題だ。憲法学者以外のゲストを呼んで
議論すべき(啓蒙すべき)事も、あるんじゃないのだろうか?
自分は以前Q&Aに、「柄谷行人氏、加藤典洋氏をゴー宣道場には呼ばれませ
んか?」と送ったことがあります。よしりん先生の返答は、
「呼ばなきゃいけない知識人が他にもいるからなあ。」だった。
ゲストとして呼ぶ人は倉持師範が選び、それをよしりん先生や他の師範は
全て任せて追認していたんだろうか?
ゲストは、今後はよしりん先生が選んでほしい。
ゴー宣道場には、立場が違っても、フェアな議論ができるならば受ける、
という人以外、呼ばなくていい。
今までだってそうして来たんじゃないか?
他にも呼ばなきゃいけない知識人はいるんじゃないでしょうか?
憲法学者以外にも。
「立憲的改憲」の主役は、よしりん先生ではなく、あくまでも
山尾議員のはずだ。
しかし、もうホントは言いたくないけど、山尾議員と倉持さんが
だらしがなかったから、よしりん先生という「後見人」が必要に
なっちゃったんでしょうが。
よしりん先生という「盾」が無かったら、延々と
「この不倫カップルが!」って文春やネトウヨや官房機密費もらった
奴らが喚いて、立憲的改憲をツブシにくるよ。
「不倫カップルの案なんか聴くか!」っていう、例の手口ね。
倉持さんと高森さんで、立憲的改憲の議論の場を作ればいい。
でも、山尾さんと倉持さん、真横に並んで登壇など、しないでくださいね。
それこそ「立憲的改憲」の障害になります。
それにはたして今から山尾・倉持・高森で議論の場を作っても、
小林よしのりの「影」を消せるのかどうか?
「どうせお仲間なんでしょ?」と言われるのがオチじゃないのかな?
とにかく、山尾議員がどうなるのか。
山尾議員だけは、大事にしなくては。
「恩義」や「誇り」を大切にしない人が、「立憲主義」を達成など、できるはずがないと思う。
私もいろいろと考えて来ましたが、やっぱり「怒り」が再燃して来ました。
しかし、倉持氏や高森氏はどう思っているのか、それをブログなり何なりでやっぱり聞きたいです。
小林先生のブログ、泉美先生のブログ、激怒しているという笹さん、そして、ライジングの意見を紹介されたブログでの最後の時浦さんの言葉・・・これだけでもう察してしまうところはあるのですが、あんまりですよ、としか。
私はいち読者の立場でしかありませんが、学者世間から「ゴー宣」「ゴー宣道場」が偏見の目で見られているという事には、
やっぱり学者世間は頭の固い左翼の力が大きいのだな、という思いと共に、
大好きな作品、大好きな漫画家の小林先生がそんな風に言われていることが腹立たしくてなりません。
そして、一番やるせないのが、そんな世間に阿ってしまったのではないかと思われる、高森氏と倉持氏です。
それは勿論、そんな方々との交渉は、人の懐に入っていくのが上手そうな倉持氏をしても、さぞや大変だったことでしょう。
そして、私は師範でも門弟でも設営隊でもありませんので、道場の運営に関して、誰を呼ぶとか、決める権限もありません。
勿論、ゴー宣道場は上意下達の組織ではない、ということは、設営隊の方々の活動を見てよく分かることですが。
それでも、やっぱり上記でライスバーガーさんが仰ったようなことを思ってしまいます。
倉持氏は八面六臂の活躍をしてくれたでしょうし、今もそうしていると思いますが、
倉持氏・山尾氏が今こうして活躍出来ているのも、やはり小林先生を始めとする道場の皆様が、二人を護ったからです。
そのあたり、高森氏、倉持氏はどう思っているのか、本当に聞きたいです。
ゴー宣道場が改憲の議論から退くと、よしりん先生のブログで知りました。
最終的な目標は立憲的改憲を成し遂げることですから、そのために必要な選択と判断されたのだと思います。
ですが、個人的には甚だ疑問です。
まともな改憲を実現するためには、
1)改憲の発議をまともな条文で行う
2)国民の関心を(少なくとも国民投票が形だけにならないよう)高める
の2点が最低元必要だと思いますが、ゴー宣道場が撤退することがそれらに良い影響を与えるのでしょうか。
はっきり言って、上記2)について言えば残り時間を考えるとそもそも絶望的です。選挙の投票率を考えれば(自分の周りを見ても)、政治や国家に関心のない国民が大半ですし、多数のテレビ局で同時に憲法について取り上げる事でもない限り難しいと思います。この状況を突破する可能性が現時点で最も大きいのは、「『刺激的な』小林よしのり」だと思います。
上記1)については基本的に専門家の仕事だと思いますが、国民の憲法である以上、国民が議論する場があった方がいいですし、それは多ければ多いほど良いのではないでしょうか。偏見が邪魔であれば、偏見を持たれていない新しい議論の場を作って、そこから強力に発信すれば良いだけでは。発信力が二倍になります。
いずれにせよ、ゴー宣道場が撤退することに合理性を見出せません。
あ、でも、よしりん先生がゴー宣道場をお休みして憲法論を描いて、六月に出版するのであれば賛成です(←鬼か)。
長々と失礼しました。
今回の騒動の発端となった高森・倉持両師範からこの件に関するコメントをお待ちしていましたが、今のところありませんね。
お二人にとって「ゴー宣道場は小林よしのりの狂信的信者の秘密結社」というのは正当な評価で、その評価に合わせる必要があるから小林よしのりを排除するということが、誤解ではないということなのでしょうか?
お二人は今までそんな「秘密結社」に参加されていたのですか?
お二人が、小林よしのりを排除してでも、どうしても憲法学者を交えた議論をしたいというのであれば、ゴー宣道場とは別におやりになれば良いことであって、ゴー宣道場で憲法の議論をしなくなるいうのはやはりお門違いとしか思えません。
日本国憲法は将来も含めた「すべての日本国民」に関わるものであるからには本来は「全員参加」で議論されるべきものであり、「小林よしのりが邪魔」などと言う憲法学者なんて議論するに値しないですよ。
憲法は学者だけのものではないんです!
よしりん師範はブログで「私欲で立憲的改憲の議論をしているわけではなく、公のためになるならば改憲議論から身を引くことも辞さない」と仰っていますが、道筋がはっきりくっきりしているわけではない現状で内心では悔しくて悔しくて悔しくて仕方ないのではないかとお察しします。
こんな状況になってしまって本当に本当に悲しいです。
前略、コメント失礼致します。
あえて高森・倉持両師範を擁護するとすれば……”世間”で生きている学者のような方々にとって、自らの腕だけで生きていける小林先生のような存在は、確かに劇薬なのかもしれません。周囲から偏見の目で見られ、出世に響くなどと言われると、ゴー宣道場に対して尻込みしてしまう方がいるのも、分かる気はします。市井の人々にとって、”小林よしのり”という核弾頭の威力は、市井の人々にとっては、時に受け止め難いほど大きなものなのでしょう。
そこで、です。ゴー宣道場に「招く」のではなく、逆に「招いてもらう」というのは、いかがでしょうか。
小林先生とゴー宣道場に協力するという体ではなく、小林先生と師範方をあくまでも”論敵”として迎え撃つ形にする。これなら、相手方も偏見を気にすることなく、また先生も思う存分暴れることができると思います。もちろん、会場代と交通費は向こう持ちにして。先生が挑戦状を叩き付ければ、応じる相手も現れるのではないでしょうか。
主催側だと、どうしてもゲストの顔を立てなければならないという制約が生じます。ゴー宣道場で「立憲的改憲」の議論ができなくなるということは、見方を変えれば、主催側という”制約”が取れてより一層自由に発言できるチャンスだと捉えることもできます。小林先生を疎外しようとした者は、その時初めて先生を「自由」にしてしまったことに気付き、後悔することになるでしょう。
いずれにせよ、まだ打つ手はあります。そして、必ず我らに流れは来ると・・・私は信じています。
ゴー宣道場が立憲的改憲の関与から外れて事態が好転するかというと、私は大いに疑問です。今でさえ、枝野議員があの体たらくですからね。
また、ゴー宣道場に来れない憲法学者が、別の場所でならば活発に議論ができるとも考えにくいです。
現在では立憲的改憲を主張する人は、まだまだ少数派でしょう。この状況でゴー宣道場という「小舞台」に出られない人が、やがて嫌でも上がるであろう大舞台に立てるのでしょうか。
このように、私としては非常に今後が心配です。しかし、当事者で責任者でもある先生が「ベスト」と判断したならば、その決定を受け入れます。私よりもはるかに公共心や先見の明に優れた先生が、決断したことなら。
どーしても先生の決断が気にくわないのであれば、別の議論をできる場所を自分で作れ!という話にもなりますしね・・・。
私は師範方の決断を支持いたしました。
ますます6月までの道場は重要です。
そこで!?「山尾議員の一手済みの一手」に対する相手の対応で予想されることについて、私の考えを書かせていただきます。
安倍改憲では自衛隊違憲論を払拭できませんので、答えを先延ばしにするしかありません。
首相が「自民党案を得てから」「憲法審査会で議論を」と逃げたのもそのためです。
国民投票で否決されても自衛隊は合憲だと言っているので、(国民投票までは)「自衛隊が違憲か合憲かは国民が決める」とも言えません。
では「自民党案を得てから」など土壇場では(裏では)どう言うのかといえば、
いわゆる「二段階論」だと思います。
つまり、
自衛隊の違憲論議を払拭するために、
「まず今回は」憲法に自衛隊を明記した案を提示させていただいた。
今回の改憲案について可決いただいた後に、9条2項と自衛隊の関係性や2項の内容についてはご議論いただきたい。
というようなものです。
これは首相の力が強ければ押し切られます。
そうだよね、一度には無理だよね、となります。
そして可決後は「国民が認めたので合憲」と言い出します。
しかしながら違憲論議は払拭できません。
2回目の9条改正もありません。
裁量労働制の根拠が崩れたとして撤回できたからといって、
安倍改憲案も根拠か崩れたからといって撤回させられるというわけではないと思います。
やはり立憲的改憲論の提示が重要です。
大阪人の言語感覚から言わせていただきますと、親しい間柄で自虐、他虐な言い方をし、「やかましわい」「誰がやねん」「そうそう、俺は○○やからな……ほっといてくれ」とツッコんだりするのはよくあることです。高森師範が、刺激的とか虚像という言葉を括弧付きで表現したのは、それが本心(本意)でないからでしょう。いずれにしましても、今度の大阪開催で、ツッコミあい文化のネイティブ大阪人の、「こんなん連れてやってまんねん」「気イつかいまっせ」的な表現についての考え方をお聞きいただければ、何か参考になるのでは……と思います。
最初は先生の決めたことだし良いかと思ったのだけど…。
ゴー宣道場を狂信者の集まりとか、よしりん先生に「虚像」を抱いて偏見を持ち、「排除」する方々の「議論」って、本当に「議論」になるなかしら?とふと思う。
新しい議論の場が、なあなあの中で、マイルドに溶けあって「目標に達せられないのなら意味はない。」状態にならぬようにして欲しいものです。
今の世の中、名のある学者からその辺歩いてる人まで、「議論と対話」がさらに下手くそになったと思う。答えは1つしかないと思って、ただただ一方的に言いたいことを、ぶちまけ合うばかりの不毛な戦いをしているように見えます。特にネット空間だと顕著です。
そこに歩み寄って様々な意見の中から納得するものを選択する風景など皆無。
新堕落論で言うように、文学的素養を軽視して、様々な人間がいて、様々な背景を持っていることが理解できないし、受け付けられない人間が増えたのでしょう。
知的な職業の方がこういった姿勢が垣間見えるのが致命的。
憲法はあらゆる国民のためのものじゃないんかな。
高森、倉持両氏は、よしりんの影響力を過小評価しているのではないですか。
文春の一件の鎮火、山尾議員の当選、立民党の躍進・・・。
よしりんの存在無くしては、有り得なかった事だと思います。
そもそも、立憲的改憲自体、よしりん発で知った人が殆どでしょう。
両氏が慮る「世間」は、よしりんが引いた=安倍加憲に負けた、と捉えるんじゃないでしょうか。
よしりんの決定を尊重するとの方もいますが、私はよしりんが引いては公の為にはならないと考えます。
おはようございます。
昨日から、このコメント欄を「客観的」に見てみました。ここやゴー宣道場が「狂信的熱狂的信者の秘密結社」のように「世間」に見えているのかどうか。
私には、いくら何でも「「狂信的熱狂的信者の秘密結社」には見えない。激情に駆られたアホもいないし、意味不明な人もいない。「世間」の人も多くはそう思うはず。
ただ、ゴー宣に関心のない人々には、「熱心なファンサイト」に見えているのかもしれないし、独特のカラーがある。
「イメージ」を大事にするカタい憲法学者サマには、このカラーと同じと思われたくない人が、もしかしたらいるかもしれない。実際はゴー宣道場でお話をしたくらいで「イメージ」が損なわれるはずがないと思うんだけど。
でもね、重要な憲法改正の議論をしているこの時、高森先生や倉持さんのワルグチを言っても意味ないし、時間のムダだと思う。(昨年のアレは、倉持さんがよしりん先生たちに迷惑をかけたと思ったので怒ったんだけどね)
立憲的改憲を成功させるためにも、内輪揉めするのではなく、よしりん先生がお決めになったことを受け入れる方がいいと思う。
最後に、世の人々のために尽くす人々を身近な人たちが裏切る。。という図を、ここ数年、頻繁に見ている気がする。信頼していた人々が、ある日突然、背後から切りつけるような行動を起こすのは、何故なのかと考える。
私自身が直接被害を被らなくても、こういう場面を見るのはとても悲しいし胸が痛くなる。
これは決定事項であり報告であり、読者門下生が口を挟む余地などない、と感じ前に全面肯定コメしましたが、トッキーさんの問いかけを見て足りない頭を絞りました。
障害になるほどの偏見があるか。自分の狭い身の回りでは良くも悪くもありません。悪くも、と言うのは無関心、知らない人ばかりだからです。
では高森先生や倉持先生が道場のために奔走する上で、私ごときとは違う次元で、障害があるかないか。もちろんそんなのわかりようがありません。
でも嘘を言っているとも思いません。
だから私は小林先生や道場を外してでも得ようとしているものは、小林先生も本当に必要だと思っているのか。そしてこの決定の発案が小林先生自身からの提案だったのか。許されるならこれをお聞かせ願いたいです。
特に後者は、小林先生自身がそういう道もあるとおっしゃってはいましたが、現実にその道の選択肢が小林先生以外の者から提案されることなどあってはならないのではないでしょうか。
話はずれますが、世間や社交に配慮してこちらが曲げるのはいかがなものか。頭が悪くどうにも判断できません。改憲は国民的議論にならなければならない。ならば今なおそちら側にいる人たちにも耳を傾けてもらいたい。そちら側にある知恵も借りたいこともあるかも。と考えると、ある意味そちら側に寄せる部分も必要になることもあるのかないのか...。
少くとも、そちら側にいる人々にたいしてヘイトを撒き散らすのは違うと思うのですが。
個人的に相も変わらない七人の侍のような状況に怒りを覚えます。
何時も最後はよしりんが立ち去る事になるんだなって。
20年追いかけてますが何時ものパターンだなって悔しくなりますね。
緊急性の高い安倍改憲との勝負は時間もなく、6月までである程度の決着を見てるのだと思います。
よしりんは無責任じゃないので、立憲的改憲も安倍改憲との決着をある程度つけてから立ち去ると信頼しています。
そこから先のことはもう七人の侍の農民の如き憲法学者に任せて、次の戦場に向かうと良いと思います。
今後も読者として刊行された本を購入しながら、よしりんの次の戦いを追いかけるつもりです。
迷ったけどあえて書こう
高森氏の言葉の意味はやはり「偏見に負けない決断を下してくれた者への敬意」であり、マイナスに受け取る要素は無いと思えます
ゴー宣道場側ではなくむしろ偏見蔓延る世間を皮肉る言葉と自分には自然に受け取れました
世間には偏見もたしかにあるでしょう。しかしそれは結局偏見に過ぎないのだから「これを如何にして覆していくか」の戦略を考える参考にすればいいし、
偏見や刺激に躊躇していた者が実際に参加することで考えを改めることもあるでしょう
高森、倉持両氏の合意も「あ~確かにそういう思われちゃってるとこありますよね~」という日常会話レベルの物だったかもしれないし、アンチ連中がいうような内ゲバだのなんだのと言えるものかはまだ判断できる状況ではないはずです
まずは当人同士で話し合う所から始めるべきでしょうね
正直なところ、よしりん師範の撤退ブログを読んだとき、
「ああ、これで立憲的改憲も終わったな(トカトントン...)」と、関心が引いてしまったのを感じました。
そして思いました。
自分の中で湧きあがっていた、憲法論議に対する熱は何だったのか。
結局ゴー宣道場の熱に当てられていただけだったのか。
心底から自分が情けなくなりました。
気を取り直し、憲法論議に向き合っていきたいと思います。
他人がどう動こうと気にせず、自分の意志に従います。
「一人でいて寂しくない人間になれ」
今こそ強く胸に刻み込みます。
その上で、撤退問題について、どうしてここまで話がこじれてしまっているのか、各師範のブログを読む限り理解しかねます。
高森師範のブログは、何回読み直しても、登壇してくださる方々の度量と倉持師範のご尽力に感謝と敬意を表されているだけとしか取れず、それは当然のことだろうと思います。(もしかして修正されたものを読んでいる?)
よしりん師範は卑屈なセリフ回しでそれを揶揄されていますが、本当はそれらの方々に、高森師範と変わらぬ感謝と敬意を抱かれているはずです。
「小林よしのり」の表現に多分に毒が含まれていること。それにより「小林よしのり」や道場に一部の世間からは強い偏見を持たれていること。
そんなことはとっくにわかりきっていることで、その偏見にも屈せず公のための熟議を貫いてきたことに、「小林よしのり」とゴー宣道場の存在意義があることも、共通認識だと思っていました。
なぜ今さらこのような話が出てきているのか。
もし師範間の直接のやり取りの中で生じた問題なら、その詳細が私共に公開されることなどありえませんから、私としてはただ経緯を見守らせていただくのみです。
ただ、ゴー宣道場は日本に残された良質な言論の最後の砦です。
その道場の価値を変質させる結果にはなってほしくありません。
一方で、具体的な政策を実現させるには、熟議だけでなく世間を巻き込みもしなければなりません。
もし今のままでは憲法学者が声を上げられず、それが立憲的改憲に悪影響を及ぼすなら、よしりん師範のご判断も致し方の無いところなのでしょう。
「小林よしのり」や道場に偏見を持ったり尻込みする者に期待はしませんが、これで山尾議員や倉持師範が存分に動き回れるのなら、そこに希望を託します。
私は世間が変わることにあまり期待していません。
同時に道場が世間に阿ってほしくもない。
そのジレンマが今回の問題の主要因なのでしょうが、うまくいけば、これを機に道場と世間をつなぐ突破口が見出せるかもしれない。
今回の問題が、道場のさらなる飛躍につながることを祈っております。
例え誰がなんと言おうと、苦楽を共にした筈の高森先生が背後から弾を撃つが如くの今回の件は私には最早受け入れ難い事実として残ります、
勿論だけど、私にはどーする事も出来ないけどね。
倉持さんは…なんかもういいわどーでもさ。闇を感じると書かれた方が居ましたが、私も同じモノを感じました、が、もういい…。
元々ゴー宣道場はワンイシューでは無い、世の中の物事は全て繋がっている、と言う概念が有ったはず、それを無視する行為行動を起こした方々は去っていった歴史がありました、
しかしながら今回は違うんじゃ無い?
ま、自分達にどれだけの影響力があるか、やって見るが良いと思います、それくらいしか私には書けないから。
私はゴーマニズム宣言と小林よしのりをずっとずっと支持します!原理主義者を貫きますよ、他は知らん!
ココやTwitterなどで、
小林よしのりアンチをしている方達は
元門弟や元門下生元ファンの方々なんですかね?
だとしたら哀しいですね、
それと同時に自分もアンチになる素養があると言う事でもありますよね、
恐いですね。
関西ゴー宣前の一悶着あるある
ですね
11日、楽しみやわ~
当選、、したら、、
おぼっちゃまくんを父親に買ってもらい、そのままゴー宣を購読、ゴー宣道場は一回参加、33歳二児の父です。私の感覚だと確かに残念ながら「小林よしのり」の名を冠すると憲法論議は「何か向こう側の人の話題」ととられることもあると思います。しかし倉持さんも山尾さんも高森さんも、一般の端々までメッセージを届けられるほどのパワーはまだお持ちでないと感じます。むしろ倉持さん山尾さんが組み合わさったイメージの方が、一般的にはよしりんよりも、最悪ではないでしょうか。例えば「久米宏さんとよしりん」なら、一般の方々により届きそうですし、このような一般認知度の高い人物とよしりんが組み合わさることで、ブーストがかかると思うのです。さまざまな層に届くチャンネルはふやしつつ、しかし根底ではよしりんが超絶カリスマで糸を引いている、勝手ながらそれが理想と思います!
6月でゴー宣道場が憲法議論から手を引く件について、師範や他の方々のコメントを読んだりして考えています。
これまでの倉持さんのゴー宣に於ける活躍は、大きなものがあると思います。
天皇陛下の退位にかかる特例法の内容についての研究であったり、今回の改憲案の中身についても、倉持師範の存在がなければ、あれほど充実したものは作れなかったと思います。
一方で、小林先生の世に訴える発言力がなければ、立憲的改憲案が世にでることなく潰えていたのではないかとも思います。
例えば、国会質問の機会が与えられなかった山尾議員に、安倍晋三に対して質問の機会が与えられたのは、小林先生が山尾議員に質問させるよう発言し続けてきたからだと私は思っていますし。
要するに、倉持師範の法律にかかる能力と小林師範の発言力という車の両輪がなければ、立憲的改憲という車はうまく進まないのではないか?
師範同士の話し合いで決まったことであれば、それがベストなのだろうとは思いつつもこれが私の今の考えです。
詳しい理由も経緯もほとんど書かれてないので読者に憶測だけが広がってしまいます。今、師範方や倉持先生の周辺で何が起こってるのかをきちんと整理して詳しく説明をしてくれないと読者も前に進めないと思います。詳しいことを説明しないまま何事もなかったかのように次に進むと私は高森先生と倉持先生に猜疑心を持ち続ける事になるでしょう。知識があっていくら優秀だからと言っても、私は以前より信頼しなくなるでしょう。それこそゴー宣道場参加者やライジング読者の「トラスト」も大切にしてほしいです。
次の皇室のテーマに移った時に「…でも憲法の時に高森先生と倉持先生はこうだったからな。次も同じ理由で撤退になりはしないか」と猜疑心を持つ読者が増えてしまわないように、師範内できちんと話し合ってなぜそうなったのか事の経緯をしっかり整理して公開してほしいです。読者の憶測のまま放置しておくことだけはやめてほしいです。
話は変わりますが、ラジオ出演お疲れ様でした。
>>302さんが書かれているように、久米さんと楽しくしゃべってるのが本当に隔世の感です。ゴー宣でニュースステーションをかなり批判してましたからね。それほどまでに当時の反権力のテレビ報道は強かったですね。今こそテレビで当時のように徹底的に権力批判してほしいんですけどね…笑
去年の小林先生の選挙期間中の活動を見ても分かるとおり、まだまだ十分活躍できますよ!ここで燃料切れになるには早いですよ!小林先生が有名人や世間に与える注目度や影響力はそこらへんの御用学者、御用ジャーナリストより十分あると思うんですけどね。
しかしこんなに連日コメント書いたの初めてですね…笑
道場の改憲からの撤退はそれほど重要なことなので。
すいません
世間的なことをいうなら親学の高橋史朗氏を講師に呼ぶような日本教師塾の参加を嬉々として書いている高森さんの方に僕は偏見を抱いてしまいます。
こんなことを書くとアンチ、荒らしと呼ばれそうですが気になったので一応
3回目のコメントをします。
最初は決まったことだから支持するコメントをしたのだけど、やっぱり撤退には反対ですね。ゴーセン道場だと憲法学者が来ないという話ですが、必ずしも学者を呼ぶ必要はないのではと思います。
学者は自分の発言に責任を持たなくては行けなくなるので、みんなが主張する場や政治的な雰囲気がする場に出たくないという人がいるのはある程度理解できます。けどそのような学者でも表に出ない形の協力は出来るだろうし、これに基づいてどのような改憲を目指すのか、議論していく場にすれば良い。
それに道場の看板では難しいのであればそれを外した形で進めるという方法もあるはずです。
まだ徹底は早いですよ。
それに立憲的改憲は誰か言っていたように、さんと小林先生の両輪によって実現できるものであり、どちらかが優れているとかそういう問題ではありません。
立憲的改憲が実現するためには、まだまだお互いの力が必要ですよ。
憲法学者でも表立って協力ができないのであれば裏で協力してもらえばいい話だと思います。
このままでは立憲的改憲は頓挫してしまいそうで不安ですね。
ゴー宣道場が『立憲的改憲』から撤退するという方針について,部外者ではありますが,私の疑問を記します.
「そもそも,誰のおかげでここまできたのか!」という心情を100%理解します.しかしここではあえて,「現政権による憲法改悪を止め,さらに立憲主義を根付かせる大目的のために,小林よしのり氏に表面から姿を消してもらうのが役立つのか?」という問いに絞って考えます.内部の事情を知らない部外者の私なので,思い込みによる間違いもあるかもしれませんが,とにかく感じることを記すことをお許しください.
事の発端はおそらく,倉持氏がゴー宣道場にゲストを招く努力をする中で,小林よしのり氏とゴー宣道場に対する弁護士仲間や学者の予想以上の偏見を感じ,さらに,お目当ての憲法学者何人かからは偏見を原因に断わられたのでしょう.その事情を高森氏に相談した結果,
「今後は,ゴー宣道場を越えて運動を広げてゆく必要があるが,そのためには,ゴー宣道場(小林よしのり氏)の存在自体が返って障害になる可能性がある.そこで,本来の目的を達するために,当面涙を飲んで,ゴー宣道場(小林よしのり氏)には前面から降りてもらおう」
との結論に至ったものと想像します.倉持・高森両氏はゴー宣道場内部からの強い反発や非難は想定済みで「にもかかわらず大儀のために必要」と覚悟を決められたのかもしれません.
私は逆に,本来の目的達成のためにこそ,ゴー宣道場(小林よしのり)は正面に出て世論を牽引すべきだと感じます.
1. 集団的自衛権を含めた安保法制は,憲法学者の大多数が違憲を唱えたにもかかわらず国会を通りました.味方につけるべきは,世の大多数の(それほど政治意識の高くない)普通の人たちの支持です.学者や専門家の意見や意識が庶民の感覚を代表していると過大視するのは危険です.
2. 前回の参院選で立憲民主党の枝野氏,窮地にあった山尾氏,辻本氏らが小林氏に応援演説を依頼したのは,類まれな同氏の発信力が,世の偏見を凌駕する,と考えたからでしょう.その考えの正しさは結果が示しています.にもかかわらず,なぜゴー宣道場自身が,それと反対の方策を,今,取ろうとするのでしょうか?
3.憲法学者がゴー宣道場のゲストとして出席し難いなら,倉持氏や高森氏が別の場所で論点を勉強され,ゴー宣道場の議論や山尾議員の案作りに反映させる,といった方策も充分可能ではないでしょうか.
私は数年前大学を定年退職した自然科学を専門とする前教員で,政治活動をしたこともない全くの普通の市民です.が,「ゴー宣道場」を狂信的信者の集団と感じるなど飛んでも有りません.小林よしのり氏をはじめとする師範の方々の議論を,聡明でバランスの取れた,今の日本のマスコミの論調の中で最も健全なものと感じています.1月末のTBS「報道特集」でも立憲的改憲案を紹介する際にゴー宣道場での小林よしのり氏の長い画像を使っていました.
倉持・高森両氏は,ゴー宣道場(小林よしのり氏)への法律家・学者の偏見を,世の多数の人々の誤解の表れと過大評価していないでしょうか.法律家・学者は,世の普通の人々に比べて,小林よしのり氏への(危険な右翼という)偏見を根強く持っている傾向があると思います.
憲法論議が「ゴー宣道場」の枠を大きく超えて広がってゆくべきなのは論を待ちません.その際にも,「ゴー宣道場」における小林よしのり氏の指揮官としての判断力の確かさや人々への発信力が不要になるはずはありません.
『憲法の包容力』
この言葉に、正に全員が当事者なのであり、誰もが議論する権利があると教えてもらいました。勿論、属国化改憲案も、現状の死文憲法維持も含めて。
その立憲的改憲議論に、自分の存在する世間とは異なる意見を持つものとは議論できないとする憲法学者がいるとは至極残念です。
なんか怒りに任せたらあかん、書き直し。
先生の最新のブログ読みました。
なんか色々反省です…いつの間にか私も悪貨と化し、見るに耐えない読むに辛い感想とは程遠いコメントばっかり書いて居たんだなと…涙が出るわ、これも多分勝手なる承認欲求を満たされた自己満足なんだろうけど。
兎に角、わたしは小林よしのりを支持する、それ以外は雑音、悪いけど他の誰が何を唱えようが響きやしない、先生が徹底を決めた事は受け入れなきゃいけない。
しかし、やはり高森さんや倉持さんは最早信用出来ない、私らが憲法改正に興味を持ち続けられるのは、理屈じゃねえんだ、世間体じゃねえのよ、
小林よしのり先生が発信を続けてくれるから興味を無くさないんだよ、何故改憲が必要か?何故安倍晋三が発議する事に対して英断だと言えるのか?
先生が発信してくれてるからだろ?自分の頭で考える!はさ、その取っ掛かりが有るからなんだ!じゃなきゃこのクソ忙しい確定申告やら親の交通事故の処理でテンパってる時期に、
「立憲的改憲どうなるんだ?発議は?女性宮家は?加憲案が通ってしまうのか?そんなんあかんやろ?」
と、頭の片隅にでも停めて置けるんですよ、だから、読者のホンネが今、炸裂してるんだと思うんですよ!
高森さんよう、倉持さんよう、どうするんで?まさかこの前黙殺か?先生が「良し!ワシは引く!」で、諸手を挙げて賛成歓迎してるのか?苦渋の選択だよね?
ハシゴを外すだけでも重罪なのに、背後から弾を撃つ!斬りつけただけでも万死に値すると、私個人でも思うのに、小早川秀明の如く、義により立ち上がった石田三成を用済み邪魔とばかり裏切るのか?
少なくとも小林よしのり先生を支持する作品を読み続けるワシは絶対!断固!高森倉持さん達の今回の行動と今後の展開を拒否するぜ!
これまでコメントに投稿したり、道場に参加すること無く、読者としてしか接してこなかったのですが、昨日今日と激怒しながらコメント欄と道場ブログにかじりついてました。
ここはひとまず冷静になって、立憲的改憲を成立させるように動くべきだと頭では分かってはいるんです。でも、本当にそれで良いのか?と腹が立って仕方が無いのです。
うろ覚えで申し訳無いですが、かつてポカQさんやピロイさんがよしりん先生を運動から遠ざかって創作に集中して欲しいと言っていたのを、今更ながら痛感するのです。
この20数年何度も見たパターンだと分かってはいても、やはり納得出来ない。よしりん先生に身を引かせる前に、倉持氏や高森氏が道場から身を引くのが筋だとさえ思います。それが出来ないのなら、よしりん先生の世間への波及力や影響力というおいしい所だけ頂こうとしているようにしか見えなくなってしまうのです。
知行合一とはよく言ったもので、ゴー宣の歴史で理念や天下国家を盾によしりん先生の影響力を使い捨てにした者の末路を散々見てきました。だからこそ高森先生のブログは悲しかったし、腹が立ちました。
正直、倉持氏に関しては、さもありなんの6文字で済みます。しかし教育者でもある高森先生には何とも言えない感情が湧きました。願わくば軽口であって欲しいです。
師範会議を踏まえての今後の道場やよしりん先生の方針は、全面的に支持しようと思います。ただただ見守ります。
しかしこの一件で、一読者や門下生の考えや行動が「師範」と言われる一部の方のそれよりも、余程公の事を考えているし、よしりん先生の力になっているのだと痛感しました。
今回の騒動であまりに興奮して、先日初めてコメントしてしまいましたが、もう一度だけ失礼します。
自分は高森先生のブログも倉持先生のブログも大好きです。
高森先生の毎朝7時のブログは通勤中の楽しみですし、倉持先生のブログも、初期の頃は読み飛ばすことがありましたが、今はスラスラ楽しく読んでいます。今ももちろん楽しみにしています。
(自分からみると)専門家のお二人には、専門家としてのやり方で、最終的にどんな形であっても必ず立憲的改憲を実現するための、少し異なった戦略があるのだろうと想像しています。
ただ、大衆の一人である自分とそのお二人をつないでくれたのがよしりんだったように、
立憲的改憲のことを多くの人につないでいけるのは、その求心力の核となりえるのは、よしりんだけだろうと思います。
(ほかの魅力的な師範や周りの方々も含め)そのような様々な影響力や選択肢をもつ、あつい方々が集まっているゴー宣道場ってなんてすごい場所なんだろうと、参加したことはありませんがいつも思っています。
これからやり方に変化はでてくるのかもしれませんが(私のような読者からはあまり見えない形になるのかもしれませんが)、是非これからも素晴らしい融合をしていっていただけないかと願っています。
空気読めば後にしておいたいいと思うのだけれど、
「よしりん汁説法1」
届きました!読みました!
笑いました!ほっこりしました!
考えさせられました、
みなぼんさんの女子力には本当に爆笑しましたし、
浮浪者のくだりでほっこりすると思いきや思いきや(笑)
よしりん汁説法出来るだけ長くライトにポップに続けて下さい、
表紙も可愛くて紙の質感も心地良く厚みがなく読みやすそうな雰囲気があって
これなら普段文字が多くて読めないと言っている妻にも読んで貰えそうです、
2巻今から楽しみに待ってます!
空気読まずにすみませんでした!
よしりん先生が改憲議論から身を引く事の是非を初めての人まで書き込むこの状況に置いて、常連でありながら何も言わないというのは、卑怯じゃないのかと私は思ってしまいます。
人の意見を強要するのは良くない事ではありますが。
まあMLやラインなどでは門弟、門下生は活発な議論をしているかもしれませんが
こちらからは分かりませんからね
可視化、可視化
可視化・公論の場所・公の精神…サイレントマジョリティーの方々が勇気を振り絞りコメントしてくれている、この状況こそが、正に公の精神ですよね。
私自身、時浦さんじゃ有りませんがビックリしてますし、嬉しくなります。
この状況なのに、逆に沈黙し続ける言わばワイワイガヤガヤの常連さんや門弟さんにも不信感が湧きますね。
そんなにこの事案事件に触れなく無いの?分からねー。
小林よしのり先生を信じるだけやんか!それだけで良いやん!今迄小林よしのりの存在にタダ乗りして遁走して罵詈雑言を浴びせ続ける輩を沢山見てきたやん!なんなん?分からんわ!
私のことでたいへん失礼します。
ちょうど今回の件と(私の中で)重なる体験をしているので書かせていただきます。
私この度「日教組(系)組合」から追い出されました。
これまで何百回とあちこち行って活動をして、兵教組本部の運動方針内容の何点かの追加、初任者研修制度、新規採用者数の増加、とそれなりの成果も出してきましたが、
支部を移ってほとんど組合活動しないところに行き、
役員の私利私欲のための(その年代の給与UPになる「昇格」に関する)発言しか許さないという体質に反発し、毎年退職者のための要望をしてきたのは何だったのか、年1回の機会だ。2時間もあるのに他にも発言したい人もいるかもしれないだろ、などと言っても受け入れられず、
「(年10回程度しか活動しない)部長を年齢順で回しています、どう思うか」というアンケートが来たので「すみませんがこの体質を代表する行動は取れないのでもうすぐ回ってくる部長はできない」と返したらじゃあ辞めろということで。
(迷惑にならないように組合費は払って)活動はしない、と言ったのですが居るだけで邪魔だということで。
私が元の支部で部長をしていたときにも「部長はできない、しなくてはいけないのだったら辞める」という人たちに対して、「じゃあ辞めろ」という意見があったのを、「それぞれ考え方や事情がある、部長を決めるのに組合を辞める人が出るのは防ぎたい、やろうという人で回すしかないじゃないか」などと言って押さえたのですが。
今のところはそうはならないような体質だから部長はできないのだった、と妙に納得しました。
組合は辞めないと言えば続けられるのですが、「部長しないのは許されない」となった時点で「では辞めざるを得ない」と(一応)自分から言いました。
(今までは組合員なら)もう少しで昇格するのは辞退していて、
今まで活動してきた組合への義理で辞めないでいただけなので、組合に迷惑なら辞めるしかありません。
組合に対して内から影響を与えるのも今はできませんし。
私などがよしりん先生の心中を察しようがありません。
高森・倉持両師範を声高に批判する気にもなりませんが、
世間に迎合せず、それでも世間に対して他の人にはできないような役割を果たしてきた人に対して世間は理解できず、自分の活動に邪魔だと思えば批判し、時には排除します。
私などは特に何の専門性もないので、どうやって生きていこうかと思案中です。
一人で居ても寂しくない人間になれ。
だいぶそうしてきたつもりですが、厳しいところもあります。
高森先生、倉持先生からこの件についての話が出てこないので何を申し上げてよいのかわかりません。
ただ、無礼を覚悟で言いますが、世間体とか社交は守らなくとも、人としての「義理」は守ってほしい。そう思います。
わかりにくいコメントですみません。
九州道場設営隊長です。
皆さんもご存知の通り、ゴー宣道場は、6月に憲法から撤退します。ということは、九州が憲法シリーズの最後ということになります。前回の生前退位と同様、憲法シリーズもここ九州で節目を迎えることになるのですね。
その後は、倉持氏が新たにマイルドな議論の場を作ることになるとのことですが、僕にも意地があります。
ゴー宣道場は、小林よしのりの資金力はもとより、師範方、よしりん企画の方々、門弟、設営隊の協力があり、紆余曲折はありながらも、70回近くまで続いてきました。
高森氏、倉持氏にゴー宣道場以上の議論の場、運動家でない市井の人達、しかも政治的関心の高い方達が一堂に会して、議論する場など作れるはずがありません!しかも短期間で。
しかし、僕らは高森氏、倉持氏が後悔するくらい、九州ゴー宣道場を盛り上げて、その後をお二人に引き継いでいきたいですね!
皆さん、九州ゴー宣道場への多数の参加、出来れば設営を助けていただければと思います。
よろしくお願いいたします。
一往、常連としてもう少し記します。
権威に屈するな、といふ雄叫びをあげてきたのは、「ゴーマニズム宣言」です。
その「ゴーマニズム宣言」の小林よしのり先生が、憲法学者の高慢と偏見、敬遠といふ「世間」に屈してはならないのではありますまいか。
幾たびも開催することによって、人の心もうつりかはると思ひます。
あるいは、思ひきって、その回のすべての論議をTVに中継して貰ふとか。
憲法学者を呼ばぬ回を設定されてもよいだらうと思ひます。
皇室の話題も何回か挟んで、継続することこそ力なれ、と思ひます。
もしも、今号の「SAPIO」の中江兆民氏みたいな失望感、太宰氏の如きトコトントン感を覚えてゐるといふなら、諦めぬ心にこそ、未来はくる、と主張します。
素直に生きて、自分を信じることから始めるのが肝要だと思ひます。
(あんまりかういふ言葉は気にいられないのかも知れませんが)。
聖書でも、明日世界が滅びるとしても種を蒔いて草を植ゑるとあったやうに記憶します。
切通さんも、ここで論議が終はることは望んでゐないと思ひます(この話題もタブーですか?)。
高森先生・倉持師範の道場外での憲法論議とともに(どうしても来たくない分からず屋はそこで説得すればよい)、さらに、「ゴー宣道場」での憲法改正論議・真の護憲論議を期待します。
宇宙戦艦ヤマトの原作者は、故西崎義展プロデューサーか、(いふまでもなく)松本零士氏かといふ論争がありましたが、この場合も、明らかに「(護憲的)改憲論」の嚆矢は安倍ではなく、「ゴー宣道場」です。さらに言へば、著作権は、倉持氏や高森氏の意見を展開・発展させ、思索した小林よしのり氏にあります。
以上。そろそろ感想をまとめます。
よしりん辻説法、地元の本屋5件回ったが5日発売とのことでまだ手に入らん。明日が楽しみ。
確かに脱正義論からずっと見てきたような光景で寂しい限りだが、小林よしのりの突破力のおかげで立憲的改憲が世間に認知されてきていると思っているし、他の師範達の存在や活動も知ることができている人がたくさんいる。ゴー宣道場に参加したことはないが、一読者としてずっと応援してきたけど小林よしのりにビビるような学者が立憲的改憲の力になるとは思えない。ゴー宣道場以外の場を倉持師範がまずやってみて下さい。そちらがより議論が深まり世の中を動かすパワーがありそうなら小林よしのりの撤退も納得いくが、そうでないなら地方の一読者の楽しみを奪わないでください。立憲的改憲をエンターテイメントやムーブメントにしていく役目は小林よしのりしかいないでしょ。
初コメントさせて頂きます。
いつもゴー宣に、動画、ブログ、本などで遠くから参加させて頂いている
サイレントマジョリティの一人です。
トッキーさんのブログを見て声を上げられずにいられませんでした!
高森師範、倉持師範ともに、
ブログや道場でいつも感銘を受け、その熱い情念で泣きそうになる事も多々ございます。好きです!
が、今回あえてのご提案かと思いますが、
強くcsusukomさんに同意です!
新聞も読まない僕を、2015年夏の安保法制の時から、皇統問題や反安倍に目醒めさせてくれたのはやはり公論の場である道場でした!もちろん立憲主義なんて道場がなければ触れることなんてなかった!!!!
そんな奴もいるんだと
トッキーさんの声に賛同する一人として、どうしてもコメントしたかった!
拙いコメント‥失礼しました。
こんばんは。
ゴー宣道場の6月での立憲的改憲は残念としか言いようがありません。
個人的には将来への道筋が見えてこない中での撤退はいい方向に行くとは思えません。
反発している憲法学者がどこまでの事をやってきたのか、
旧態依然な護憲運動のみしかやってこなかったのに「小林よしのりが障害」とは
よく言えたものだ、よしりんの発信力を馬鹿にしすぎだと思います。
高森師範のブログのみすぼらしい云々は、オウム事件の裁判が終わった後に弁護団にいた
扶桑社の弁護士が「小林さん一人で勝っちゃったようなもので私らは必要なかったねぇ」と
同じような程度のものだと思っていたのですが、単なる卑下の入った軽口なのか実際のところはどうなのか。
高森・倉持両師範からの説明が欲しい所です。
希蝶さま
「久米宏ラジオなんですけど」の久米宏氏との対談がラジカセがなかったので
聞けなかったとのことですがパソコンかスマホが使えるならTBSラジオの
「久米宏ラジオなんですけど」番組サイトで概要が文字起こしされてますし
3/9までなら聞き逃した際のラジコのタイムフリー放送で聴くことが出来ます。
youtubeでも「ラジオなんですけど」で検索すれば見つかります。
高森氏倉持氏は、小林先生を遠のけてまで憲法学者を呼ぶ方に重きを感じたということなんでしょうか。そうならば仕方ないのですが、ゴー宣道場を勝手に恐れて来ることが出来ない学者たちがそこまで助けになるのかな?
本当の権威ある学者なら、話を聞きたいと要請されれば例え正反対な意見の持ち主の集会でも何も恐れずやってくるんじゃないかと思います
はじめてコメントします。ライジングは初回から読んでいますが道場に参加したことはありません。小林先生のファンになったのは、おこっちゃまくんからです。今回の、立憲的改憲の議論からの撤退宣言はとても残念です。小林先生の著作と発言を読み、道場の様子を知ってそれを狂信的などと判断する人々に改憲の議論を任せることは心配です。読みもせず知ろうともせずに言っているなら論外です。とはいえ、倉持さん、高森さんにも計画があるのでしょうから、憲法学者の方々の議論はそちらに任せるとしても、道場は道場として、改憲の議論を続けて頂きたいと思います。小林先生と道場の最大の武器は常識であると思います。今は小林先生とゴー宣道場が日本の常識が崩壊することを食い止めていると思います。まさに自由民権運動のように、立憲的改憲があちこちで議論されたほうが良いと思いますし、立憲的改憲によって日本を守るために、憲法学者の方々の集まりができることもあるでしょうし、ゴー宣道場に期待することもあります。
お忙しい中、いつも配信有難うございます。
最近、仕事の忙しさに埋没してブログも読んでいなかったのですが、「ゴー宣道場、立憲的改憲論から撤退」の件、驚きと共に残念で仕方ありません。なぜこのような流れになったのか、高森・倉持両師範から納得のいく説明をして頂きたいものです。でないと今後、道場でご両人を見ても、僅かながらでも不信感を抱いてしまいそうだからです。小林先生ほどの突破力と発信力がある方が存在し、その方を交えたマイルドな議論とやらでもって安部晋三の欺瞞的改憲案を挫く方策があるならば、是非とも教えて頂きたいです。それが確認出来れば、今回の小林先生の決断にも素直に従えますが・・
トッキーさんの紹介されていた、csusukomさんの投稿の特に1の部分に全く同感です。今回の件は、何やら学者先生を呼ぶことそのものに目的が変わってしまっているような気がしてなりません。違っていて欲しいのですが・・
立憲的改憲を成し遂げるために、よしりん先生が身を引くことが最善の策であるならば、僕は賛成です。
ただ、よしりん先生の漫画を含めた発信力は必要不可欠だと思います。高森師範、倉持師範は憲法学者の声を聴き、発信は山尾志桜里議員で大丈夫だとお考えなのでしょうか? 山尾志桜里議員は愛知県民として応援していますし、国会でも頼もしい方ですが、やっぱりよしりん先生が表にいないとなると弱いんじゃないでしょうか?
万が一、安倍改憲が通って、後世の日本人に重しとなるような事態にだけはならないで欲しいなと願っています。
立憲的改憲がゴー宣道場から離れても、女性天皇・宮家など喫緊の課題は他にもありますし、何よりゴー宣道場から得られる知識は他のメディアとは違い、知的好奇心を満たしてくれるので、いつも感謝しています。
僕の拙い国語力では理解できないことも多いのですが、それでも普段の生活だけでは得難いものが得られるゴー宣道場であって欲しいですね。でも行きたくなくなっちゃったなぁ…。
もし、よしりん先生の創作の時間が増え、より多くの作品をよくことができるなら、それはそれで嬉しいなと思ってしまいます。
多忙につきしばらくコメントを控えていましたが、何かとんでもないことになっていますね。書いたらおしまいなことを書きますけど、こうなったら仕方がないでしょうね。
仔細は高森さんと倉持さんがダンマリなので分かりかねます。おそらくは板挟みなんでしょうね。井上達夫氏のようなとんでもない人を除いて、世間の憲法学者は、立憲的改憲なんて認められるはずはない。もしそれを認めれば、自分の数十年の業績を無に帰することになる。だって、ほとんどのひとたちは立憲主義に反する、憲法九条の欺瞞を正しいとしてきたわけだから。詐術に等しい似非学問の芸で長年禄を得てきた人達が、何が悲しくて今更自分の足元を掘り崩さなきゃならないのか。そんなことと向き合うよりも、首相のスキャンダルを追及して、退陣に追い込んで、改憲をお流れにしたほうがよっぽど楽で角が立ちません。左翼界隈の世間の人達の最近の発言を見るにつけ、「ああそうなんだろうな」と感じますね。みんな堕落しちょりますわ。
で、そういう人達が雁首そろえて偉そうにしたところで、大衆はその欺瞞にとっくに気づいています。気づいていて、アメリカに守ってもらえればなんでもいいや、なんです。仮に自衛隊員が他所で死のうがどうでもいい、なんです。自分さえよけりゃいい。そういう身も蓋もない本音からもう目を逸らすのは止めて、いい加減自分の国を自分で守りましょうやと、米国の侵略になんぞ付き合うのはおよしよと、そう説得していかなければならない。そのためには、一度戦後平和主義の欺瞞と向き合うことが必要になるのです。そこを誤魔化しているから、安倍加憲案なんてものが出てくるのです。実質米軍の下請け軍隊しか持てない癖に、一人前だと強がりたい。そういう戦後大衆のチンケな奴隷根性の発露があれなんですよ。奴隷は奴隷のまま、自分のプライドを満たしたがる。度し難いのは人間の愚かさです。
そもそも、世間の憲法学者の大半が、立憲主義違反のご都合主義的な自衛隊合憲論を温存する最大勢力なんです。彼らと組んで立憲主義的改憲が為せるはずはない。となると、後は国民がこの欺瞞を終わらせる選択をする、そのムーブメントを誰かが作るしかない。となれば、それは今のところ小林よしのりを除いて居ないし、それを国会に届けられるのは山尾議員ただ一人かもしれない。私だったら、世間の外の学者だけに手を貸してもらいつつ(井上さんとか)、左派と右派の欺瞞的な連中を悉く撃破する道を選びます。だって、欺瞞を温存する派の学者なんて、条文を骨抜きにしてくるに決まっています。百人居たって何の役にも立ちませんよ。彼ら化石には滅んで頂く。それが嫌ならば手を貸しなさい、今までの欺瞞は問わないでやるから、くらいでいい。国民を舐めてもらったら困りますね。なんで曲学阿世の徒に頭を下げて協力を仰ぐ必要があるんですか。馬鹿馬鹿しい。センゴケンポーガク猿山で誰が権威があるかなんて、国民には心底どうでもいいんですよ。人の生き死にがかかっていることをちゃんと考えているのでしょうか。
我々にね、ダメ学者や政治家の立場とやらまで忖度して根回しして守ってやるだけの時間的猶予は、多分ありません。ないことすら分からないのであれば、もうそれこそ「おしまい」なので、これ以上は何も申し上げられませんね。この2018年らへんが、後で歴史の分岐点と呼ばれるんじゃないんですかね。多分。
撤退の件に関して、2回目の投稿をさせていただきます。
すでに他の方も書かれていますが、私も世間体を気にする程度の度量しか持ち合わせていない者が、小林先生の協力なしで立憲的改憲という大事を成せるのか、非常に心許ないと思っています。そもそも安倍政権と戦うこと自体が、世間体との戦いとセットだということを、高森・倉持両師範も、学者の方々も、あらかじめ理解すべきだったのではないでしょうか。
このご時世、護憲派あるいは”加憲に反対”の立場を取る学者は、もはや”サヨク”のレッテルを貼られていますよね。高森先生も、以前は「右翼」だと攻撃されていたのではありませんか。倉持師範に至っては……今更蒸し返すのも申し訳ないですか、世間からは”不倫弁護士”の偏見をつい最近まで持たれていたじゃありませんか。
そうした煩わしいモノをすべて吹き飛ばすパワーがないと、”安倍一強”と言われる現体制に風穴を空けることなど、到底不可能でしょう。
今、最も必要なことを一つ挙げるとすれば、それは「輿論を起こすこと」に他なりません。残念ながら、私の周囲では憲法改正の話題になったとしても、「憲法を変えるか変えないか」という話ばかりで、憲法を「どう変えるか」という話題は少しも聞かれたことがありません。高森・倉持両師範に強く言いたいのは、学者・専門家のレベルでいくら議論を重ねても、最終的には国民が関心を持たなければ、所詮絵に描いた餅でしかないということです。
輿論を起こす――これこそ、まさにゴー宣道場が設立当初から目指してきたものだったはずでしょう。厳しい局面を迎えた今だからこそ、もう一度原点へ立ち返るべきです。
もう随分他の方が書いてくださったので。特にライスバーガーさんとRashidさんのコメントに同意とだけ。
少し意地悪なことを言えば、高森先生と倉持先生はあのクソヘイト番組のニュース女子にご出演されてましたが、あんなところで賛同を求める方が、ゴー宣道場や小林よしのりの名を出すより余程世間的に立憲的改憲に変な色をつけることになると思いますよ。
自分も含めて大衆が賢くないのはそれ自体正しい見立てかもしれませんが、だったらと右も左もよくわからない層を雰囲気でまとめて動かそうとしたら、法の正義も民主主義も健全に働かないと思います。真実が何なのか、理想をどこに求めるのか、世情がどうあれ真剣に考えることが必要だと思います。でなければ天皇制も憲法も真に国民のものにはならないじゃないですか。
井上達夫さんがウーマン村本に「お前の方が愚民思想だ」と言ってましたね。立憲的改憲の運動は愚民思想を採りますか?
私はライジングにはいつも感想コメントを書き込んでいるので「常連」になるのかなと思いますが、
今回初めて書き込みをされる方々、御多忙の中、久しぶりに書き込みをされる方々のコメントが、どれも「熱い」です。
私も私なりの思いを書いたのですが、皆様の書き込みを見て、勉強させてもらっているような感じです。
しかし、倉持氏や高森氏は、ライジングのコメント欄はお読みになっておられるのでしょうか?
確か、高森氏は御子息に御自身のブログの文章をUPしていたと思いますので、普段は見れる環境ではないのかもしれませんが。
でも、お時間の許す限り、お二人には是非ライジング読者の熱い思いのコメントを読んで戴きたいものです。
例え決まったことは覆らないとしても、です。
ゴー宣道場の立憲的改憲6月撤退の件、撤退するもしないも小林先生の決定を尊重する、という考えに変わりはありません。
しかし、ゴー宣道場に対する憲法学界の偏見には、考えるたびに腹が立ちます。「狂信的熱狂的信者の秘密結社」って何?ショッカーでもあるまいし。
ゴー宣道場がそういう場だというなら、今までゲスト出演した政治家や学者、ジャーナリストの方々は何なんですか?憲法学者にも一応世間はあるのでしょう。しかし国民にとっては「どーでもいいですよ」または「そんなの関係ねえ!」という話です。
よくゴー宣道場の門弟や読者を「小林よしのり信者」と誹謗、中傷する輩がいますが、「熱心な読者」以外の何者でもないでしょう。
小林先生に限らず、何十年も第一線で活躍してきた漫画家には、一定の熱心な読者がいるだけの話です。「本宮ひろ志信者」「あだち充信者」とかいう言い方はしないのに、なぜ小林よしのりの読者だけは「信者」呼ばわりするのでしょうか。
ゴー宣道場や小林よしのり先生に偏見を持つ人達に、僕は聞いてみたい。あなた方はゴー宣道場や小林先生の何を知ってるのですか?
何を根拠に道場を「狂信的熱狂的信者の秘密結社」と言うのか?ちゃんと自分の言葉で答えてほしいです。
時浦さんのブログが、物凄く胸に刺さりました。ずっと小林先生の側に居らした方の“凄み”を感じました。
今回のことは、自分自身がゴー宣道場をどう見ていたかのリトマス試験紙になる気が致しました。私自身、高森先生のブログと小林先生のブログを読んだ当初は、それが公の為になるのだろうなと自然に受け止めていました。
その後、ライジングコメント欄の皆さまの書き込みや、小林先生や時浦さん、木蘭先生のブログを読むにつれ、事の重大さを認識して参りました。
高森先生や倉持先生へ、そして自分自身に対して、肝に銘じて思ったことが、『小林先生とゴー宣道場をナメるな!』と言う事です。
ゴー宣道場と小林先生に向けられている偏見を除くぐらいのこと倉持さんはやってくれてもいいじゃない?
小林先生に八墓村住人から守ってもらったばかりじゃないか。
倉持さんも高森さんも優しいから、相手のリスクも気になってしまうのでしょうけどね。
(ところで小林先生やゴー宣と関わって仕事を失くした人っているんですか?)
普段傍観者なのに偉そうなことを書いて自己嫌悪ですが、調整する人は世間が持つ偏見とも向き合わなければいいけないと思ったので。
(でも、偏見を取り除くのが目的じゃないからなぁ。目的のためなら手段は選ばないって今回のことか)
最初によしりん先生の撤退のブログを読んだとき、よしりん先生の心中を思うとなんとも言えない気持ちになりました。
悔しさとか虚しさとか色々です。
そして体の力がヘナヘナと抜けました。
高森先生のブログを最初に読んだときは、深くは考えませんでした。他の方も言っていたと思いますが、そんなもんなのかと思ったくらいでした。
ただ、なんでここで倉持さんの公正な評価がどうとか急に言うのかな?と、少し引っ掛かりはありました。
ですが、よしりん先生のブログを読んで撤退の決断をされた事を知ってから改めて高森先生のブログを読むと、『当たり前』という言い方にきつさを感じますし、よしりん先生の発表があった後の読者に対しての『小林よしのりが敬遠されたりゴー宣道場が偏見の目で見られる事は当たり前なんだよ』って先回りして言っておきたかったのかな?と、うがった見方で意地悪かもしれませんがそう感じました。
倉持さんが周辺の賢い人達から
『なんでそこにいんの?』という目で見られることを、何故よしりん先生に言う必要があるのか?
お二人とも上から目線でゴー宣読者、道場関係者を見ていたのかな…
なんだか色んな事に不信感が募ってしまっています。
小林よしのりとゴー宣道場が立憲的改憲に障害?
ちーかーうーだーろー!
腰抜け憲法学者を呼ぶのに障害なんだろー!
呼ぶ必要あるのかな~?
てか、秘密結社って何?
σ(^_^;)?
もくれん師範ブログの「いろいろと考えた結果、やはり「公」のためには立憲的改憲から撤退している場合ではないだろうと思います。
みなさんその結論に至り、合意しました」という所に辿り着き、取り敢えず一安心。
高森師範のブログをよしりん師範が「侮辱」と捉えたのは仕方がないことだと思います。
誤読ではないですよ。
誤解させるに十分な書きっぷりですもん。
「勿論、山尾志桜里衆院議員の登壇が大きくプラスに作用している」とか
「遥かにみすぼらしいレベル」とか
そのくせ倉持師範をやたら持ち上げちゃって。
まるで倉持氏が師範にならず、山尾氏も参加していなければ…
結論が出た以上これ以上まぜっ返す必要はないのでもうやめます…
兎にも角にも良かった良かった(なのか?)。
シコリは残さないようにお願いします!
タイミング悪っっ
(@ ̄□ ̄@;)!!
もくれんさんのブログ読みました。
ですよね…
誤解されても…仕方ない書き方ですよね…
もくれん師範のブログ、読ませていただきました。
個人的には
“私は、自分が世間から何度も弾かれ、いびられた体験があり、
「世間」というものに対してとにかく根深い反発心があるので、”
という部分が身につまされました。
ゴー宣にはそのような方が多数おられると拝察しておりますが、
“やはり「公」のためには立憲的改憲から撤退している場合ではないだろう
と思います。
みなさんその結論に至り、合意しました。”
良かったと思います。
高森・倉持両師範の「言い訳」は本人たちにとっては本心だと思います。
憲法論議からゴー宣が撤退するのも私は責められない、
ネガティブな理由を含んで皇統問題に移行するのも致し方ない、
それでもできることをしようとして下さるよしりん先生に感謝して、
高森・倉持両師範のことも陰ながら?応援していこうと思っておりましたが。
初投稿の方々も数多くおられ、それぞれの方の熱い思いに感動しました。
今回のことを経て、ゴー宣道場とゴー宣道場による憲法論議がますます盛り上がり、
またそれによって立憲的改憲論が盛り上がることを期待しています。
仲直り出来たみたいで良かったです、
生きていく上ですれ違いは避けられませんし、
あまり目クジラ立てずにいたいですね。
三回ルール三回目です。
もくれんさんのブログで、撤退しないとの結論を知り、安心しました。
もくれんさんの国語力、間違っていませんよ。
誤読ではありません。
高森、倉持両氏が反省したのでしょう。
言い訳がましく思いますが、内輪揉めはよしりんも望まないでしょうから、批判は避けておきます。
敵はあくまで安倍加憲。
今まで通りの道場に期待しています。
師範間の誤解が解決したみたいで、 とても良かったです。
要らぬことを書いてしまひ、すみません円。
ちなみに、先に記した聖書の言葉は、「一粒の麦」のたとへで、麦は地に落ちて死なないと一粒のままで、地に蒔かれることで多くの実を結ぶ、自分の命を大事にしすぎるものは、ただ寿命が来て命を失うだけだけれども、そのことを憎むものは、永遠の命を得ることができる」(ヨハネ福音書第12章)といふものでした。何か讀み違ひをしてしまってゐました。
しかし、これは「来島恒喜」や、「新墮落論」にも通じる言葉であった、と気づかされました。
聖書には、似たやうな言葉として、「種をまく人」のたとへもあり(マタイ福音書13章など)、こちらも考へさせられる言葉です。道ばたに蒔かれた種は、たとへ良い言葉を聞いて感心したとしても、何か都合の悪いことや苦しいことが起こると、元の木阿弥になってしまふのだ、茨の中に蒔かれたものは、誘惑や快楽にまけてしまふ、良い土地にまかれたものだけが、良き実をたくさん結ぶのだ、と。
(今回の騷動についても思ふのですが)人は自分の置かれた環境の中での常識を真理としてとらへてしまひ、個人の常識を多数のものとしてとらへてしまひ、それを世間の常識ととして、他者に押しつけるところがある、といふことです。同じ言葉を用ゐてゐても、そこにこめられた思ひや感情は、人生体験においても、大幅に異なってゐるのでせう。狭い「世間」の常識はお釈迦様の手の中のやうなもので、他者の意見を聞いて、自身をかへりみることも大切だけれども、それだけにこだはてゐると、肝腎な自分自身を見失ふ、と。風聞や、思ひ込みほど危険なものはない。
偉さうなことを書きましたが、いろんな点で、自分もまだまだです(まだまだ過ぎるんですけれども)。やはり、ここで学ぶことが重要で、大切だ、と思ひます。
とりあへず、こんなところで、今号の感想にかへさせていただきます。
立憲的改憲議論継続嬉しいです。
サイレントに応援してます。
気張れぃ、ちぇすとぉ!
「遥かにみすぼらしいレベル」の部分て普通に「テクニカルな面で」という意味でしか自分は読んでいませんでした(笑)高森さんがもくれんさんのような事を考えている人には日頃の言説から想像出来ませんので。倉持麟太郎さんの果たした役割ってそういう事なんじゃないかと。
もう少しだけ。
神戸電鉄粟生線の三木駅で火災があったとか。
同線は、バスとの競争で押され気味と聞きました。
被害が甚大なものでないやうに。犧牲者も。
直前の番組でも池上さんがおっしゃってましたが、
日本のインフラは限界だとか。
皇室問題や憲法問題が解決したら、
かういふことも俎上に乗せて欲しいです。
では、次号配信を期待します。
取り敢えず誤解がとけて良かったですね。
今回思ったのは、文章を書くのは難しい、です。
遥かにみすぼらしいレベル、っていう言葉は、言われた方は結構ショックですよ。
頑張ってやっている人ほどね。
書く方はジョークやレトリックだとしても…。
でも信頼関係があり、リアルで話し合いできたから誤解がとけた。ネットだけだと、こうはいかなかったでしょう。
後は応援するのみ。
今回はこのコメント欄で、色々な意見が読めて良かったです。
書き込む時は今まで以上に言葉に注意する所存です。自戒を込めて…。
おはようございます☆
私は前回のコメントで、お二方のワルグチを言うのは時間のムダだと言いました。実際、そのとおりです。
なので、少しだけしか言いません。
お二方はゴー宣道場のブログに記事をお書きになったのですから、「世の中=法律家共同体」なワケはない。
本当にそうだとしたら、もっと分かりやすい言葉でお書きになるはずです。
控えめに考えても、お二方には無意識のうちに、ゴー宣道場に関わる人々を下に見る気持ちがあったのだと私は思っています。
が、今は内輪揉めしているヒマはありませんから、よしりん先生の決定を尊重いたします。
(このコメントは木蘭さんのブログだけを読んで投稿しました。まだよしりん先生のブログは読んでいません)
。。。今、高森先生のブログを読んで目がテンになったけど、「時間差」があるんだったね。
よしりん先生のブログを読みました☆
よしりん先生の決定を尊重いたします☆☆☆
それにしても、やっぱり女は人を見る目があるな。
そして、思いやりのある人はいいなと思う。
今日は『よしりん辻説法』が届く予定だから、楽しみに読もう♪
よしりん師範のブログを読む。とりあえず一安心した。
第三者の目線では高森師範の例の文章に違和感はあったけど怒りは感じなかった。舞台裏での色々あったから、よしりん師範が反応してしまったのか。
「あえて真意を質さず」。了解しました。
師範方の件は師範同士で解決するべきだろう。
しかし文章って怖いね。
今回一番可哀想なのは丑三やギ氏だろう。
混乱して本物のヤギなって泣いていた。
可哀想に。
今日のブログで一安心、感動しました。
モヤモヤと言葉がまとまらず、投稿するまでに至りませんでしたので・・・
馴れ合いの一切無い現場。それこそ、大東亜論の時代背景なら死者すら出たかもしれません。
ハラハラドキドキ、ドラマに勝る現実に自らも放り込まれている気になります。
「情」・・・本当に、本当に大切にしてゆきます。
当初、高森倉持両氏の会談後、小林よしのり並びにゴー宣道場のイメージが悪いとよしりん 先生に伝えられ撤退を決めたんだろうと思っていましたが、木蘭さんのブログを読むと「師範会議も経ずによしりん 先生が撤退を決めた」事を知りました。
これではだいぶ印象が変わってきます。
高森倉持両氏の言う小林よしのりの世間のイメージはファンの私でさえ正しいと感じます。
今回はよしりん 先生の早とちり思い込みでの暴走だったと思います。
しかしそれを肯定するために取ったトッキーのライジング読者のコメントを使った高森倉持叩きは、『民主主義の病い」と感じました。
泉美先生、小林先生のブログを読んで、ゴー宣道場の立憲的改憲からの撤退が無いと知り、安心いたしました。
しかし、文章というのは怖いものです。
倉持氏からのメール、高森氏のブログ、これを読んで小林先生が激怒するのも無理はありません。
師範の皆様方それぞれに御多忙を極めていらっしゃるでしょうから、連絡手段がメールになったりブログになったりするのは仕方がないことかもしれません。
本来であれば、会って直接話をするか、電話で話をすれば、文章だけでのやりとりにあるような誤解は生まれにくくなります。
しかし、やはり師範の皆様方それぞれにお忙しい身なので、師範会議を待つまでもないような連絡・報告は、
メールやブログになってしまうのでしょう。電話ですと、お互いが電話の時間、拘束されるということもありますし。
しかし、メールやブログでの意思伝達というのは、こういうケースに発展することもありますので、難しいものです。
それにしても、気を揉んでしまった数日間でした。
困惑したり、怒ったり、諦めたり、また怒りが再燃したり・・・。
師範の皆様方も、師範会議までは、読者以上に気を揉んでいたことでしょう。
何はともあれ、道場での立憲的改憲議論継続は嬉しいです。
とりあえず安心、しかし私は時浦さんを責める気は全く無いし寧ろ小林よしのり先生を守る為に動いただけ!
私は兎に角小林よしのりを信じる!それだけだ!
木蘭さんのブログも読ませて頂きました、が、全然誤読だと思いませんでしたが、それも私の国語力読解力の足らなさかな?と。
だってあの文面では誤解誤読されても仕方ないでしょう、私には確かに高森倉持さんのブログや表現には違和感しか感じませんから、
しかし、もう良いです、やはり小林よしのりを私は信じる!時は来た!それだけだ!
立憲的改憲は山尾議員の人間性と闘志・熱意が要と思いますし、
もしゴー宣道場が撤退したとしても、立憲的改憲自体の価値が下がるわけではないと思います。
ですから大事なのは、立憲的改憲議論を滞らせたり後退させないこと、山尾議員を挫けさせないことと思います。
ファンとしては、皆様の\(°皿°#)(i皿i#)(°皿´#)」に共感・同意したい気持ちを否定しませんが、
外野席からああだこうだ申し上げるつもりはございません。
どういう展開になろうと、立憲的改憲もゴー宣道場も応援させて頂きたく存じ上げます。
是非とも勉強させてください。何とかついていきますから。
観客の一人として、ただそう申し上げるだけです。
それにしても、よしりん先生の特にここ最近の執着しない、融通無碍な姿勢には敬服させられます。
これが「一人でいても寂しくない男になれ」の実践であり、境地でありましょうか。うーん('~')。
そうですよね。こんなことでいちいちオタオタしてては、安倍政権にシメシメ、イッヒヒヒと嘲笑われるだけでしょう。
ただ今回の件で思ったのは、「私はゴー宣道場にはもっともっと挑戦的に、先鋭的に、攻撃的に、大胆不敵にやって頂きたい。
深刻に、黙示録的になったかと思えば、陽気に、ユーモラスになったりと、
とんでもなく豪快な振り幅でダイナミックに議論を展開してみて頂きたいです!ο(≧∇≦)ο」とか、
ついつい調子にのってこんな風に応援してしまうから、狂信者の集まりみたいに思われてしまうのかな?(うぬぼれているわけではございませんが)、
堕落していたのかなあ・・・(-"-;)?と、自省orz。
それと、今後の展開如何では・・・?
その場合に備え、おやおや、いよいよ我々も堕落からいい加減這い上がらなければならない時が来たのかな(´・・)?と、
ちょっとドキドキしましたが(;^_^A。
『情の独裁者』こと、よしりんに、もの申す!!
よしりん先生のブログは、
いっつも【大坂】なんです!
今は【大阪】なんですよ(^o^)
いよいよ日曜日には、小林よしのり先生をはじめ、師範方が大阪に来られます。
緊張感と使命感をもって設営を頑張りますo(^o^)o
そして、週刊文春が来たら返り討ちにしたるで!!
しかしまあ決着しましたが
なんかモヤモヤした感覚が残りますな。
まあ立憲的改憲が出来れば良いので
個人の好き嫌いは無しにしましょうか
この件でコメント欄に書き込まない常連は何やってるんだ?
という書き込みがありましたが、自分は師範会議が終わるのを待っていました。
もちろんMLでもものすごい書き込みがありました。
自分はMLには「よしりん先生の決めたことに従う」とコメントし、
そのあとMLや書き込みに全て目を通すだけでもすごい量!
今読み終えてようやくコメントです。
気になるのは「侮蔑的なメール」の一点です。
先生本人は「キレやすい」と仰っていますが、懐の広さは尋常じゃありません。
なのにこれほどトッキーさんまで怒らせるという文言とは一体・・・
言葉の使い方は本当に難しいですね。
モヤモヤは残りますが道場継続が決まってよかったです。
よしりん先生のブログ
『「ゴー宣道場」は立憲的改憲から撤退しない』
拝見しました!
学者山のピーチクパーチクだけでは
立憲的改憲はとても難しいだろうと思っていたので
「撤退の撤回」は良かったと思います。
しかし憲法学者の権威主義には腹たちますね。
庶民だって自分がプロである現場では、
学者が束になってかかって来たって
「屁の河童だぜベイビーども!」と
赤子の手を撚るが如きです。
だからと言って、自分を社会全般に
通じるプロなどと勘違いはしないし、
門外漢の知識や技術が自分のプロの現場に
役立つ事は山ほどあるし、
実際に経験もしていて、
それが庶民の知恵というものだ。
こと憲法にあっては、
まさに庶民が権力を縛るために
社会全般において、
どうルール作りしようかという事でしょう。
憲法学者なる者は全知全能で
社会全般を神が如く知っているのか?
縦軸の歴史を知っているのか?
無知の知を分かっていないとしたら
憲法学者村というものは愚者の集まりじゃないかと
偏見を持たれても仕方ないだろうと感じました。
憲法学者は五日市憲法に関する皇后陛下のお言葉を聞け!
私はゴー宣道場の参加者ではありませんが、
今後の活動を断然支持しております!
今回の経緯についての記事を読みました。
詳しい説明、本当にありがとうございます。
まず、小林先生の「撤回を撤回」を読んで、安堵しました…。
ボタンの掛け違いがいろいろとあったんですね。
ただ、今回は小林先生や木蘭先生の誤読じゃないですよ^^;
私も、インターネットのブログ、SNSなどの文章をたくさん読んでますけど、高森先生のブログを何度も読み返しましたが、今回の記事は誤解されても仕方のない文章だと思います。木蘭先生の国語力や過去の体験が原因ではないです。あの記事の内容は、おそらく小林先生じゃなくてもはしごを外されたと感じると思います。
私には、何度読み返しても政治家や学者とつながりや影響力のある倉持師範と他の師範や微力ながら支えた人々ををはっきりと差別化しているようにしか読み取れませんでした。私は意見が合わない人の記事もあえて極力ポジティブに受け取りながら読んで意見を比較、参考にする、ということもしていますが、今回の記事はどう読んでも、ポジティブには受け取れませんでした。
高森先生もブログ記事の公開前にかなり推敲はされていると思うのですが、結果的に多くの読者に誤解されてしまう記事を書いてしまっただけだと思います。ブログの情報のみで判断する読者であれば、高森先生の記事が唯一の判断材料になるのでなおさらです。
例え本人が意図していない、ということであったとしても多くの人がそう受け取ったならそういう文章ということになってしまうんです。それが個人ブログのデメリットで怖い部分ではあるのですが。(誤読されて周囲が大騒ぎになる「炎上」というやつです)
学者界のしがらみの中、神経をすり減らして活動されている倉持先生には本当に頭が下がる思いです。
しかし、できるだけ周囲に猜疑心を持たせずに進める物事の順序ってありますよ。機会は少ないとは思いますが、全員で集まった時によく話し合って、ギリギリまで知恵を出し合った上で、それでもどうにもならない時に初めて撤退を含めた話し合いに入るべきだと思いますし、どれほどの理由があったとしても、最初にそれを全部すっ飛ばして、主催者を除いた一部の師範だけで話し合って結論を出して、いきなり誤解されてしまう記事をのっけて、ということでは順序がばらばらですし、やっぱり失礼ですよ。
高森先生と倉持先生は多くの読者や他の師範に不安を抱かせる行動を取ってしまったことは反省してほしいです。それほど「小林先生を立憲的改憲から撤退させる」というのは道場や読者にとって重大なことだと思うので。道場の信頼にも関わってきますので。
しかし、結果論になりますが、私は高森先生と倉持先生に同時に感謝もしています。今回の事で、サイレントマジョリティがコメント欄に本音を書き込んで、小林先生の立憲的改憲に関心を持っている人(久米宏さんを含めて 笑)の再確認もできましたし、結果的に大きくプラスに働いたと思ってます。騒動が起こる前よりも読者の結束力も高まったと思いますし、主催者の小林先生、師範方、道場と読者の距離もさらに近くなったと思います。すばらしい結果になったと思いますよ。
ただ、こういう事はもうたくさんですが。笑
今回の行動にしても、師範らしからぬ、というか、お手本にはなっていないと私は思ってますので。一部の師範に損得勘定だけで結論を出されたらみんな怒るのもあたりまえです。
私の勝手な意見ではありますが、道場の憲法シリーズについてはまだまだベストな方法があるのではないかと思います。足すか引くかの「理」だけでは考えられない問題です。微力ながら地方から応援しています。
撤退の撤回
良かったです!
トッキーさん、お疲れ様でした。
m(__)m
コメント欄を見ていると、『文章は難しい』という文章だったから誤解を生んだという主旨のことが書かれていますが、今回の件はこれには当たらないのでは無いでしょうか?
一応、誤読ということになっていますが…
納得出来ないんです。
私も最初は高森先生のあのブログを読んで、よしりん先生への侮辱というふうには捉えませんでした。
だけどそれは、まさか高森先生がよしりん先生をディスるなんて頭に無いので、バイアスが掛かっていた為だと思います。
その後のよしりん先生の撤退のブログを読んだ後にもう一度読んでみると…
やっぱりよしりん先生の感じた『侮辱』を感じます。あれは、敢えて書いた文章としか思えません。
更に今朝のもくれんさんとよしりん先生のブログを読むと尚更そう思えます。
倉持さんのメール、よしりん先生と高森先生のやり取り、その後の高森先生のあのブログ。
よしりん先生が怒るのは『当たり前』です!
(  ̄▽ ̄)
よしりん先生の早とちりや暴走なんかじゃないです!
ネチネチと蒸し返してごめんなさい。
人の事なんだかんだ言えるような立派な人間じゃないのに。もう言いません。
とにかくこれからも応援します!
立憲的改憲と女性女系宮家創設
実現出来ますように
♪ヽ(´▽`)/
撤回と撤回する、とブログにあって良かった~と安堵しています。
ただ、もう終わった話ではありますが、よしりん先生の憲法議論撤退について、コメント欄常連さん達がMLで喧々諤々の議論をやっていた、とありました。
正直、だから何?と言いたい気分です。
道場を何度も参加している門弟さん達が、ある意味道場の否定とも取れた今回の件で、一見さんまでが意見を表しているというのに、内輪のMLで意見を交わすだけで済ませているという有様とか何なんですか。ハッキリ言って情けない。
そんなに小林よしのりの意向と違えるのが怖いのですか。そういう所が「狂信的信者」と言われる所以ではないのですか。
何を守るべきか、何を大事に思うべきか、今回の件でまた一つ学ぶことができました。
ありがとうございます。
3月11日の関西ゴー宣道場では設営隊の一人として他の設営隊の皆さまと共に協力して精一杯頑張りたいと思います。
まあせめてMLでこーゆう議論があったという報告くらいはして欲しかったですね。
なんせ我々は見えないんですから。
門弟、門下生がどーゆう見解なのかは
知りたいというのが正直なところですから。これは倉持山尾騒動の時もですがね。
MLの方が見えないんで安心して議論ができるという理屈はわからんでもないですが。
先ほど、高森先生と倉持さんのブログを読みました。
さて、『よしりん辻説法』、届いたので早速読みました~~♪
なんか薄い本と聞いていたので、簡単な感じなのかと思ったら、そんなことない。厚さはちょうど良く、中身が濃い素敵な本だと思いました。
袋とじはねぇ、いちばん先に開いたわ、ワタシ。失敗しないように丁寧にね。
オールカラーだし、何だか特別な感じ。「FLASH」のも保存していますけどね。。(家族が購入しました)
内容は、最初の頃はホントに軽い感じだけど、少しずつ難度が上がっていく気がして、ちょっと可笑しかった。(もしかして意図的なものだろうか??)
普段、政治関連の話なんて読まない人にも分かりやすい内容かな~~と思います。森友問題なんて、今ちょうど再びクローズアップされてるから、タイミング良いよね☆ (これを契機に安倍晋三を失脚させなくてはね、野党の皆さん。天皇陛下の退位までに必ず実現させてほしい)
どの章も、お気楽な雰囲気の中、とても大事なこと(人間としての基本的なこと)がさりげなく散りばめられていて、楽しく読書するだけで良い知識が蓄えられると良書だと思います。オシャレ女子の皆さまに、ぜひとも読んでいただきたい。
マンガ以外のところも楽しめました。こんなに丁寧な作りの本、最近はあんまりないよね。お手頃価格で申し訳ない気持ち。私、こういう本が大好き☆
これ、シリーズ化されるの? 続きも楽しみにしています。
最近ずっと暗かったけど、この本のおかげで久しぶりにリラックスできました♪ やっぱり「笑い」って大切だよね。
元常連です。今回の件ですが、私は泉美師範と同じ意見です。冒頭の部分に関してですが誤読はなかったです。正直「そんなに憲法学者連中の界隈って偏見酷いのか」と思いましたし。
ただ後半部分の文章は不信感を与える内容だと思いました。さすがにあの部分を誤解、誤読で片付けるには無理があるかと。
ただお二方ともちゃんと謝罪して下さったので「とりあえず」信用はします。
あと時浦さんを責める必要はないと思います。前述の通りあれを誤読、誤解で片付けるには無理があると思いますので。
高森師範、倉持師範のブログを拝見し、
率直にホッとしました。
そして、いつぞやの騒動以降、またしてもよしりん先生の寛大さを垣間見る事ができ、グッときています。
遠くから応援、勉強させて頂くサイレントマジョリティの自分としては、
公論の場であり、憲法学者との接合点である道場で、立憲主義と憲法について見識を深める機会を継続できるのだ!!!!
と大変うれしく思います。
また、言葉を知らない自分としては
今回の件において、よしりん先生、師範の皆さまが、議論の中で誤解を紐解いていく様そのものが非常に勉強になり、
何か一つの物語をみているようで‥‥
やはりゴー宣道場の事、大好きです。
応援しています!
すみません、拙いコメントでした。
「公」のために、高森師範、倉持師範のことは誤読、誤解ですませましょう。これこそ、よしりん先生が一応納得されて「撤退の撤回」を宣言されたのですから。
でもチクっと男らしくない指摘を。
高森先生はのブログの表現として「遥かにみすぼらしいレベル」というのが私にはすごく引っかかりました。「みすぼらしい」という表現は普通使いませんな。
倉持師範は弁護士は言葉のプロですから舌足らずな表現では通常業務ができないはずです。
はい、すっきりしました。
後は「公」のために来るべき3月11日の道場を盛り上げましょう!!(ぜひ参加させてください)
あれ、仕事してるうちに解決してたようで。
まぁ大丈夫だろうなーと思ってました。単行本買って応援するから頑張ってくれよなー。
でも今回の件ではっきりわかんだねな事がひとつ。
学者、少なくとも憲法学者って人たちはこんな緊急事態であっても
学閥やれメンツやれクダラナイ事が重要らしいって事実。
こんな局面においても自らの知識をフル活用しないだなんてなぁ。
オタクだって自分の知識が役に立つと思ったときは奮い立って動いてくれるぜ。
つまりアマチュア未満の存在なんですか?と言われかねないよねコレ。
学者ってなんなんすかね。
いや、不必要な存在だ!なんて野蛮人なこと言いませんよ勿論。
でもこんな状況でも動かないんじゃ日頃の研究は内輪の話題で終わるじゃんよと。
初めてコメントさせていただきます。
ブログを拝読いたしました。
撤退の撤回とのこと、正直とても安堵いたしました。
単なる誤読?誤記?が原因だったそうですね。文章のみでの意思疎通は師範方でもこううまくいかないものなのかと、少々もの悲しさを覚えております。
実は、自分は今回のこの騒動はなにかの作戦なのだろうか?と思っておりました。
立憲的改憲から撤退するとおっしゃっているのに皇室の問題については関わっていくとおっしゃっているし、先生方と親しいと思われる門弟方も沈黙?されているし・・・。
高森先生と倉持先生を追い出そうとされて?いるし・・・・。
皇室の諸問題も、突き詰めていけばロボット天皇説を推している憲法学者先生様方の世間との戦いになるのであろうに?(現に自称尊皇保守派はロボット天皇万歳ですよね)
立憲的改憲と、皇室の諸問題(だって正しい立憲君主制になって欲しいですもの)は切っても切り離せる問題ではなかろうに、それがわからない師範方ではないはずなのに、なぜ?立憲的改憲から撤退するなんていう発想が出てくるのか(そもそもできるのか?)・・・・私の足りない脳みそでは・・・わからない・・・・。よしりん先生、高森先生・・・何を考えているの?
あ!これは、立憲的改憲と皇室の諸問題から学者先生様の大層へんてこりんな世間を挟み撃ちにしてやろうという作戦?敵を欺くにはまず味方から?だったら変に部外者たる私が、コメントするのはやめておこう・・・・。とか、1人で妄想を巡らしながら、高森先生と倉持先生サイドの見解が出てくるまで(だって、よしりん先生サイドからの情報しかないんですもの・・・)、待っていよう。と思い今日のブログの拝読に至りました。
重ねて書きますが、もしものことがあると思い、ほんとうに安堵いたしました。
そしてブログの表現についてですが、あまりにも高森先生擁護のコメントがないので、書かせていだたこうと思います…。擁護になるのかわかりませんが・・・・。ブログの感想です。
今回のことで、きっと多くの方がよしりん先生のはっきりとした、裏表のない言葉使いが、人格が好きで好きでたまらないんだろうなと感じました(私も大好きですよ!)。
だから、高森先生のあのまどろっこしぃ、いわば「つまらないものですが」的な表現が大層嫌悪感を持たれるのだろうな、と感じました。高森先生の家族ネタブログを読んでいればわかると思いますが、高森先生は大層家族愛に溢れる人であると推察できます。その家族愛溢れる人の愛息子さんの表現が「愚息」ですよね。あのブログからは、ゴー宣道場に関わる人々全てを自分の家族のようにとても親しみをもち、信頼されているのだな、温かみを感じておられるのだなという感想を持ち、それに引き換え世の(一部を除く)学者先生共は何たることか!という憎しみにも近い怒りを感じました。倉持先生に関しては、あのベタ褒めが「戒め」であるように私は感じ読んでおりました(学校の先生って割と褒めながら実は叱ってたりしませんか?今まで苦言しか言っていない人が急に褒め出すと怖いですよね)。
しかし、怒り、憎しみのこもった文章はその感情が前面に他者に伝播しやすいということだったんでしょうか。身内を心から信頼し、尊敬し、能力を評価し、愛しているからこそわざわざ身内を卑下し会話を繰り広げるというのは日常生活では結構ざらにあると思っていたのですが、もう時代遅れの表現なのでしょうか(そもそも身内でも何でもない赤の他人だから?)。みんなに同じように通じなければいけない国語表現的には大層NGな表現だったのでしょうか。多くの人が不快にとってしまう表現になっているということはそういうことなんでしょうね・・・。高森先生のブログを違和感なく(学者先生世間への怒り除く)読んでしまった自分も時代遅れの表現を直していかなくてはいけないんだろうなぁと感じ入ります・・・。
それから、3月ということもあって精神的疲れが貯まる時期では、普段なら他愛のない言葉でも凶暴な表現に感じてしまうというのも存分にあるのではないでしょうか?私事で大変恐縮なのですが、先日家族に料理を振舞ったところ「ご飯だけでも美味しい!」と言われ、「自分の嫌いなおかずばっかりじゃないか!ご飯以外食べる気もしない!!」という意味に取ってしまい、家族にブチギレてしまった私ですので、なんとも皆様にも、御自愛くださいと言わせてくださいませ。
長々と失礼いたしました。
ともかく更なるゴー宣道場の活躍を心から応援しながら望んでいます!
3月11日のネット中継はリアルタイムで視聴させていただきますね!
個人的には今回の件で何よりも絶望したのがコレ。
ほんとによしりんって世のリトマス試験紙なんすねぇ…。
「撤退の撤回」に安心しました。今回の件でたくさんの方がこちらに書きこみをされていましたが、多く共通していた事の一つが「立憲的改憲の議論が行える場所は、ゴー宣道場だけ」であったように思えます。
師範型のブログでも触れられていた法律家の共同体の話を聞くと、これは間違っていないのでしょう。
今後もゴー宣道場において、立憲的改憲の議論が行われることを望みます。
なんでクローズドコミュニティでやり合いをしなければならないのか全く分からないですね、寧ろオープン化して一連の流れを時系列で追って行けたらこんな感じに、
サイレントマジョリティーの方々を不安視させる事は無かったでしょう、なんだか申し訳ないけど、自分らは特別感優越感に浸ってない?そう言うのはさ「選民思想」って言うんだよ、もしかしたらそんな所から倉持様の侮辱的なメールに結びついたんじゃねーのか?
まあ、もういいけどね、なんだか不信感は募るばかりだわ、
よしりん先生に迷惑を掛けたり梯子外しはしてくれるなよ、嘗ての薬害エイズの学生さんみたいにね。
情念が強すぎると、視野が狭くなり、物事の判断を謝ってしまう。
小林先生に恋愛感情を抱いていると言えば、分かりやすいでしょうか。
最後のみすぼらしい発言に、憤りを感じるのは当然だと思いますが、高森さん、倉持さんの吊し上げは異様な光景に見えました。
情に引っ張られ過ぎず、落ち着いて考えた方が良いと思います。
サッカーではイエローカードは、2枚でレッドカード、退場となります。
3時間超は、ファンサービスが過ぎるんではないですか?
負担が多すぎます。貴重な時間と手の疲れが。
サイン入りは、くじ引きで20名でOKです!
初めてコメントします。道場には3〜4回参加した事のある者です。
433のありんこサンの高森さんブログの解釈が最も腑に落ちました。
高森さんの文章にある種の身内への甘えがあって、師範方も戦闘体制でいるところ冷水をかけられた気になるのもわかります。しかし、こういう湾曲表現は世間話でも文学でも普通にあるんじゃないかな。
しかし道場は公の為の目的達成場所であり、よしりん師範もあまりベタベタと他人に甘えない人格。面と向かった肉声と視覚情報しかない文字では全く情報量が違うので、誤解を招く表現(みすぼらしい、悪の秘密結社など)は、極力避けた「ブログ」を書いて、目的の為に邁進して頂きたく思います。
陰ながら、応援しております。
立憲的改憲からの撤退の撤回の決定、ひとまず安堵しました。
また、「ゴー宣道場をマイルドな場にする必要はない」という記述を見て
やはりこうでなければ、と思いました。
今回の件が立憲的改憲の実現に向けて雨降って地固まることに繋がっていくよう祈念します。
疑問に思ったら電話でもなんでもその場でコミュニケーション取れる手段があるのに…
という感覚では語っちゃいけない世界なんでしょうね、言論に人生をかけた人達の話し合いって。
高森さんのブログを読んだときはいつもの過剰で仰々しい謙遜表現だなぁとしか思いませんでした。
ある意味小林さんより熱くなりやすいオヤジなのが高森さんだと感じていましたし、堀部師範亡き後、唯一高森さんより年長者でもある小林さんが叱って真意を問い質せばすぐに済んだ話だったのでは?
「言葉足らず・勘違いだった」で収めるには道場全体が揺らぎすぎだったと思います。ゴー宣道場がマスコミや政治家からも相当の注目を集める今、自らが身を引いてまで守りたい立憲的改憲論そのもののゴタゴタと捉えられては、この騒動はあまりにも稚拙だったのではないでしょうか。
それこそはっきりいって脇が甘い。
小林さんは自分自身の印象操作はぜんっぜん得意じゃないですよね。真っすぐだからこその魅力、真っすぐだからこその情熱、真っすぐだからこその天才的常識力なのだと理解します。
むしろ一切「世渡り」をせずに今の立場まで上り詰めた怪物性が恐ろしい…
そりゃ、小林先生は週刊少年ジャンプの熾烈なアンケートと格闘しながら漫画を描いておられた方ですし、
その後、ジャンプを出て他誌で描くにあたっても、自分の腕一本で熾烈な漫画業界を生き抜いて来た方ですから。
それも、3つも大ヒット作を飛ばし、第一線で活躍されてきた訳です。
そりゃ、世渡りとは無縁の生き方をしてこられた方でしょう。
今回の騒動、原発ムラを思い出しますね。御用学者でなければ冷や飯食いで万年助手。それと同様に、憲法学会の主流派には逆らえない。思えば井上達夫氏は「法哲学者」であって「憲法学者」ではない。だから自由にモノが言える。確か憲法には思想及び良心の自由とか学問の自由とかご大層な文句が並んでいた気がするのですが、現実はそうではないらしい。「ザ・議論」を読んだときから、こうなるんじゃないかな、と思っていたことが現実になってしまった印象を受けます。
とは言え、「この程度のこと」は万年経っても変わらぬ人間の本質かもしれない。理想はあくまでも理想であり、現実と対比するための尺度に過ぎない。それでももし、諦念と後悔を滲ませながら、勇気を持って立憲的改憲に挑まんとする憲法学者がいたら、私はその人に敬意を払うでしょう。東大出の学者といえど、世間の強固な檻の中では、脆弱な一個人に過ぎない。そういう意味では、学者というものはイコール賢者ではない。無謬な聖人ということを他人に期待するのは、それ自体傲慢の極みかもしれない。所詮は市井で上司の顔を窺い、同僚の陰口に怯え、職を失う恐怖に汲々とする、その辺の会社員と変わらぬのかもしれない。どうしても学者というと、ソクラテスや孔子の如くを期待してしまいますが、それは酷というものなのでしょう。
となれば、弱き我々がその克服のうちに如何に筋道の立った議論が出来るか。背伸びせずに忌憚なく語れる場が作られることを望みます。信じて、静観することにしましょう。
気を取り直して。
小林先生が眠狂四郎好きだとわかって嬉しいです!自分も好きです眠狂四郎。柴田錬三郎作品はサービス精神に溢れてて楽しいですよね。
眠狂四郎のキャラクターには、戦後の進駐軍が残した混血児の問題が投影されていると聞いたことがあります。また、柴田錬三郎は戦時中、バシー海峡で漂流した経験から、死や虚無の影を宿した主人公になったとも聞きました。ちなみに、柴田錬三郎は漂流中、ひたすら無心で漢詩を諳んじていたそうで、どういう精神体験だったのか、計り知れません。
最近、新堕落論のおかげか読書欲が戻ってきたのですが、こういうエンタメ小説ひとつ取っても、戦前世代の教養とか、かつて主権国家だった日本を知っている世代の表現から受けるひろがりは戦後世代とは違うなと思います。やっぱり本を読むのは大事ですね。古本ならそんなに財布もいたまないし(笑)
今はシュンペーターに挑戦しようか迷い中です。
あ、そうそう、辻説法拝読しました。これはやっぱり、今東光の再来ですね!エロと哲学の表現、いつもながら一本一本が濃くて楽しかったです。自分は世代ではないただの遅れてきた昭和好きですが、プレイボーイ世代の人もハマってるだろうなと思います。第2巻もよろしくお願いします。
師範方のブログを拝読しました。
頭山と箱田の別れにならず、良かったです。
また、ゴー宣道場が立憲的改憲から撤退しないこととなり、ありがたく思いました。
他人の動きを気にせずと書きつつも、やはりよしりん師範がいてくださることの頼もしさは他に代え難いものがあります。
お邪魔します。
このところ、道場ブログを遡って読む状態で、ライジングも配信後に前号を読む感じでおります。
今回の、立憲的改憲について、撤退を撤回の件。
自分は、高森先生の発端のブログを読んで、憲法学者の方が道場にご登壇されるのはハードルが高く、ある種持ち上げるべきぐらいなのかー。その為に道場を身内として扱い、謙遜した表現をしているのだろうな・・・としか読んでいませんでした。ただ倉持さんを、お客さん的に扱っている感じはしました。
ですから、よしりん先生ブログの撤退表明を読み、他の師範も激怒されていると知り、やはり自分は国語力が無いなと認識。それとともに、“国会を解散させた件”で、コメント欄にて色々ご迷惑をお掛けした事も反省。
詳細情報が無かった様なので、よしりん先生のラジオ出演の件だけ、コメント欄に書き込み通常運転しておりました。
お邪魔しますと書き出しましたが、時折執拗に投稿していますから、私は常連でしょう。
しかし自分としては、部外者感が今も有ります。
「ゴー宣」に関して、リアルタイムでは「差別論スペシャル」からの読者ですが、「SPA!」・「SAPIO」を毎回読んではおらず、単行本が出たら読んで来ただけの者です。愛読者カードも一度も出した事が有りません。
「SAPIO」で「大東亜論」の連載が始まり、よしりん先生が「これからは、社会時評はWEBに移る」と表明されたので、道場ブログや生中継を見たり、ライジング購読をはじめた次第です。
そして、コメントなどせず沈黙した読者でしたが、年末読者企画に投票したのをきっかけに書くようになり、ご迷惑をお掛けしております。
私としては、「公論」への参加と言うと何かしっくり来ません。部外者だと感じます。
自分の目的は、ただ知的好奇心を満たしたいだけ。その為に、よしりん先生・師範方・よしりん企画・ライジング読者・道場参加者の皆様の、モチベーションUPに何かをお送り出来ないかとは思っています。それが、自己の好奇心を満たす事に繋がれれば良いなと。
あと道場の件。本音を言えば、皇位継承問題に傾注して欲しいです。が、日本の歴史上初の、国民参加型の憲法を目指す事。好奇心がワクワクします。
3度目の投稿です。
悪貨になるかもしれない覚悟をしつつ…
師範方のブログを読んで安堵し、自分の投稿を反省しました。撤退せずに済んで本当に良かった!
高森先生の過剰に謙遜する表現はよく分かりますし、自分もついやってしまうので慎重さが必要だと痛感します。
ただ、よりによって落とす対象がゴー宣道場の本質の部分と、よしりん先生の表現者として大事にする部分だったからこそ激怒したのだと思います。その意味で決して誤読では無いと感じました。やはり、何かを褒める時にもう一方を貶すやり方は難しいですね。
肩書や権威が無いからこそ、義や情に裏打ちされた人間性が大事であり、それに憧れるから自分は一読者でいられると、この一件で改めて学びました。
一読者、いや一信者として静かに見守ります!
最後に不謹慎かつ揚げ足取りな事を…
jiyatukuさんの汁説法に思わず笑ってしまいました。よしりん先生なら本当に汁説法を書くだろうなと妄想しつつ…
すみませんでした!
撤退は撤回するとの報、まずは安堵しました。
ただ、倉持師範へ。ちょっと”軽すぎる”かと思います。小林先生が激怒されたということよりも、相手に誤解を与えかねない言動を未だにしてしまうということに、危惧を覚えます。山尾議員との騒動から、一体何を学ばれたのでしょうか。今回は内輪で済んだから良かったようなものの、一歩間違えば、「ゴー宣道場」としての活動及び貴方自身の活動そのものが難しくなることだってあり得るということも、少しは自覚なさるべきです。
貴方自身がよくご存知のように、”小林よしのり”と”ゴー宣”に対して偏見を持っている方は少なくありません。であれば、なおさらスキャンダルで自滅することのないように、細心の注意を払う必要があります。何かあれば、「やっぱり小林よしのりとその関係者は信用できない」と言われてしまうのですよ。”師範”を名を戴いている以上、偏見を振り払えるか、それとも助長してしまうか、貴方自身にも懸かっているということを、お忘れにならないようにお願いします。
どうせ削除されるコメントに、朝早くから延々と貴重な時間を使うなんて、別の意味で感心してしまう。他のことをしたらいいのにね。。
まーた元門弟の私憤ですか
削除されるのにご苦労様です
店員さんに何度もつまみ出されるような客が、
偉そうに自分の権利を主張するなと言いたい。
>465
>466
アホの相手をして1日のコメント回数をもう使い切ってしまった。
「敬愛するよしりん先生☆」が仰るように、貴方たちの相手はもうしません。
トッキーさん、早く「お掃除」して。
なんか朝方チラ見したら私の事も誉め殺しにして頂いてた様でありがとさんです(^ω^)
でもまあアンチスレに篭ってたら?あ、ちなみに私も承認欲求の塊カタマリですよ、それが何か?(^ω^)
否定なーんか全く無いしなぁ。しかしそれと仲良しクラブ化するのは別だし、だからと言ってアンチでは無い読者に敵愾心を出したり、殊更仲良くしたいだなんて全然思わないんだよね、
要は、距離感なんで人間関係の距離の取り方がそのまま此処にも当てはまるんですよ、だから自分が嫌われようが(自覚はあるからねw)小林よしのり先生を兎に角支持する!
昔の話とか関係無いんだよ、今が大切だし、これから先が大事なんですよ。
昔の名前(恨み辛み蒸し返し揚げ足取り)で、出ています〜なんてさ、滑稽ですよ、そう思わないべ?
ま、さいなら〜(^ω^)
サンイチイチ
イガエサカ!
チンギスハンの件ですが、かなりやばいです。
モンゴルに理解のある人間がなんとどうやら朝鮮人の陰謀説を唱え始めているようです。
これを在モンゴル人がリツイートしたりするものだから、モンゴル人達が如何に、リテラシーの低い民族だということが内外に知れ渡ってしまいました。
抗議することは別に構わなかったのですが、朝鮮人の陰謀工作論まで出てきちゃったからには、この件が最早ネトウヨ案件だというのが分かってしまいました。
結局コロコロは3月号を回収することにしたそうです。
朝青龍は抗議のツイートを削除してしまったようですが。
なんかコメント数がやけに伸びてるので何かと思ったら、また例の方々が暴れてた訳ですな(汗
しかしこういう輩ってこれから多くなりますよね。関東~九州ぐらいだともうちょっとで花見シーズンですけど焼肉禁止の公園でバーベキュー始めて他の客や公園の管理者とケンカしたりとか、居酒屋で他の客からクレーム来るほどバカ騒ぎして注意されると逆ギレして店員や他の客をどついたりとか。
そういう人間はそもそも社交性がない上に「お客様は王様。よってオレ様は王様だ。だからオレの言うことを聞け」が信条ですからね。もう思想がどうの批評がどうの以前の「人間としてどうよ?」な問題です。
草木も眠る丑三つ刻にまたやって来るんだろうなあ〜…
まあそれはどーでも良くて、先生のブログを拝読しましたが、私も護憲サヨクのはしくれなので、あんまり批判出来る人間では無いのですが、
現憲法を聖書化する所まではいかないので、一字一句変えない!ってのに固執するのはある意味スゲーなーとは思います、
だって70年前とは国内の状況すら違う訳で、現実的では無い文言が沢山あるのを、「変えてはダメよ!神聖なのよ!9条は!」なんて気持ち悪いとしか思えません。
現代に即して居ないと政府官僚も世論も感じているので有れば、議論の方向に持って行くのは当たり前でしょうね、結果的に変わらないとしても。
中々条文の一つ一つを切り取るだけで、関連法案までは私なんかは行きませんが、考えるきっかけにする事は必要不可欠でしょうね、
そう言う意味でも安倍晋三(日本会議)加憲案は、スキマを狙った飛車角取りにはなるのかも知れませんね、発議出来るかは分かりませんが。
2週間前に東浩紀さんがニコニコ生放送で正論大賞について皮肉っぽく語っている書き起こしがネットで貼られてたんですが、本当かなあと思って確認してみたら本当でしたので(笑)、元の書き起こしに少し加筆して2つに分けて貼っておきます。あたりまえですが聞き手もどん引きで苦笑いでした。笑
こういう話を聞くと、やはり自称保守界隈はカルト的だなと思います。
その1
久田将義×吉田豪のタブーなワイドショー 2018/02/25(日) 20:00
【ゲスト:東浩紀】より
東浩紀
「こないだ正論大賞のパーティ行きましたよ。ヤバいっすよ。正論大賞マジヤバいっすよ。人類は一回行くべきですよ。あれはヤバイ。まず多分俺絶対呼ばれないから言うと、フジサンケイグループが威信をかけてやってるわけです。まずこの賞の凄いところは選考委員がいないことなんですよ。(吉田、久田「えっ」)おそらく今フジサンケイグループにとって今推したい奴みたいな感じなんですよ。
最初にフジのアナウンサーが「フジサンケイグループ正論大賞パーティが始まります」と挨拶する。 そこでいきなり「平昌五輪で日本はますます活躍、しかし他方韓国はそれを政治利用し・・」と始まるわけですよ。(吉田、久田「ええーっ!」)いきなりここで!みたいな。「中韓の政治的圧力がますます強くなる中、日本の論壇はこれからも決して恐れず正しい論を作っていく」みたいな。「さて発表です」みたいな感じ。最初から飛ばしていくみたいな、飛ばすんですよ(笑)。とにかく最初からハッキリとしたイデオロギー性、方向性なんです。
しかもすごいのは、男性は着物の奥様と一緒に入場してくるんですよ。入場の時だけかなと思ったら壇上にも行き、夫が演説してる間、 奥様は一歩下がって横で身動ぎもせず立ってるわけ。三浦(瑠麗)さんと同時受賞したある文芸評論家(小川栄太郎) がいるんですが、その方の演説がこれまた凄くてですね。この人は安倍晋三は吉田松陰に並ぶ思想家なんだみたいな本を書いて結構売れている人らしいんですが。最近だとモリカケ問題で朝日に訴えられてる人なんですよ。 」
>>480の続き
その2
久田将義×吉田豪のタブーなワイドショー 2018/02/25(日)
【ゲスト:東浩紀】より
東浩紀
「で、その人がいろいろ演説するわけ。「日本は少子化で苦しんでる、このままだと日本は滅びる」まあここまではそうだと。「だからねぇ増えるしかないんだ。女が子供産むしかないんだ。こういう事を言うと女性の人権とかいう人がいます。 人権?もちろん大切です。しかし!」とか言って始まるわけですよ。それを横で着物を着た女性がずっと黙って聞いてるわけですよ。もう凄い!凄いよ!痺れましたよ僕は。こんな自由な言論空間はない。自由すぎる。もうめっちゃ痺れました。
あとすごいのは、安倍首相からのビデオメッセージが凄く長くて、受賞者一人一人に「何々さんは何々の業績があり、これからもしっかりと日本を支え」 みたいなメッセージが来るわけ。だからもう、言論と権力が凄い結びついてる。受賞者の挨拶を見るとみんな仮想敵が朝日新聞なんですよ。これも面白くて。首相からメッセージ貰ってるんですよ。それなのに自分たちは言論弾圧されてるって思ってるわけ。「朝日新聞という大きなメディアもありますが」ハハハとか笑いとかあって「そのような言論弾圧に負けず、私たちもこれからも正しいことを言っていきたい」オオッ!(拍手)みたいな。おおーすごーみたいな。凄い良かった(笑)
俺はすごい面白くて最前列でバシバシ写真撮ってたり喜んでたんだけど、津田(大介)さんは真っ青な顔してさ「これ許せないでしょ」。ええ、マジレス?みたいな(笑)。そうじゃないでしょこの楽しみ方みたいな。すっごい顔が白くなってて。ここでちょっとご飯やめようよって。さすが左翼。俺は普通に楽しんでましたよ白ワイン飲んで、バシバシ写真撮って。」
久田「首相がすごいですね。首相が、いちパーティーに、普通ないでしょ。」
東「ない。首相のメッセージは一番最初に「フジサンケイグループの日々の活動に敬意を表します」と。敬意を表するんですよ。」
久田「いろんな賞がありますよね。芥川賞も直木賞も三島賞も、ないですよね、そんなもんね。」
東「ない。まあ、そりゃ権力とはズブズブですね。 」
吉田「そりゃフジテレビの番組で三浦さんがこうやって押されるのもまあ、っていう」
東「そうそうそう、そうです」
【ゲスト:東浩紀】久田将義×吉田豪のタブーなワイドショー
http://live.nicovideo.jp/watch/lv310590190
あわわわ木蘭先生
もったいない
なんかありがとうございます感激です
皆様もツッコミありがとうございます
なんかうまく言えないけど
アホで良かった。
遅くなりましたが、「撤退の撤回」ホッとしました。師範の先生方、偉そうなことコメントしてすみませんでした。それでも、立憲的改憲論と女性宮家がまともに論じられているのが、ここしかないことにやや不安が残ります。
「辻説法」拝読しました。袋とじから見ました(笑)。モテる男がうらやましいです(笑)。小中高とバイキンマン扱いで、未だにそのトラウマを引きずっている私から見れば…(以下、自粛)。
高森師範、倉持師範
ブログありがとうございます。いつも勉強になります。
これからも宜しくお願い致します。
突然ですが、前川喜平氏の憲法についてのお話しもゴー宣道場または、
どなたかの動画のゲストとして聞いてみたいと思いました。
吉田豪さんのインタビュー面白かったです。
ちと考察を。
最初から小林よしのりが嫌いなアンチは実はたいしたことはないんですが、昔は熱烈な信者がアンチ化すると狂気を覚えますね。熱心に読者カードを送り、小林先生がいねえと死んでしまうだーにハマるとね。
しかも笑えるのが、アンチ化しても自分は小林よしのりみたいな存在になりてえと脳内妄想はする。ネットでの語り口もよしりんのパクリ(笑)
誰かは言いませんが、某ポエマーみたいはなってはダメですよ。先生に愛想を尽きたら本を全部捨てて一切読まず、考えないことです。
まあ今日来た東北のナンチャラも似たようなもんですが(笑)
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