今回の騒動、原発ムラを思い出しますね。御用学者でなければ冷や飯食いで万年助手。それと同様に、憲法学会の主流派には逆らえない。思えば井上達夫氏は「法哲学者」であって「憲法学者」ではない。だから自由にモノが言える。確か憲法には思想及び良心の自由とか学問の自由とかご大層な文句が並んでいた気がするのですが、現実はそうではないらしい。「ザ・議論」を読んだときから、こうなるんじゃないかな、と思っていたことが現実になってしまった印象を受けます。 とは言え、「この程度のこと」は万年経っても変わらぬ人間の本質かもしれない。理想はあくまでも理想であり、現実と対比するための尺度に過ぎない。それでももし、諦念と後悔を滲ませながら、勇気を持って立憲的改憲に挑まんとする憲法学者がいたら、私はその人に敬意を払うでしょう。東大出の学者といえど、世間の強固な檻の中では、脆弱な一個人に過ぎない。そういう意味では、学者というものはイコール賢者ではない。無謬な聖人ということを他人に期待するのは、それ自体傲慢の極みかもしれない。所詮は市井で上司の顔を窺い、同僚の陰口に怯え、職を失う恐怖に汲々とする、その辺の会社員と変わらぬのかもしれない。どうしても学者というと、ソクラテスや孔子の如くを期待してしまいますが、それは酷というものなのでしょう。 となれば、弱き我々がその克服のうちに如何に筋道の立った議論が出来るか。背伸びせずに忌憚なく語れる場が作られることを望みます。信じて、静観することにしましょう。
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小林よしのりチャンネル
(ID:19522841)
今回の騒動、原発ムラを思い出しますね。御用学者でなければ冷や飯食いで万年助手。それと同様に、憲法学会の主流派には逆らえない。思えば井上達夫氏は「法哲学者」であって「憲法学者」ではない。だから自由にモノが言える。確か憲法には思想及び良心の自由とか学問の自由とかご大層な文句が並んでいた気がするのですが、現実はそうではないらしい。「ザ・議論」を読んだときから、こうなるんじゃないかな、と思っていたことが現実になってしまった印象を受けます。
とは言え、「この程度のこと」は万年経っても変わらぬ人間の本質かもしれない。理想はあくまでも理想であり、現実と対比するための尺度に過ぎない。それでももし、諦念と後悔を滲ませながら、勇気を持って立憲的改憲に挑まんとする憲法学者がいたら、私はその人に敬意を払うでしょう。東大出の学者といえど、世間の強固な檻の中では、脆弱な一個人に過ぎない。そういう意味では、学者というものはイコール賢者ではない。無謬な聖人ということを他人に期待するのは、それ自体傲慢の極みかもしれない。所詮は市井で上司の顔を窺い、同僚の陰口に怯え、職を失う恐怖に汲々とする、その辺の会社員と変わらぬのかもしれない。どうしても学者というと、ソクラテスや孔子の如くを期待してしまいますが、それは酷というものなのでしょう。
となれば、弱き我々がその克服のうちに如何に筋道の立った議論が出来るか。背伸びせずに忌憚なく語れる場が作られることを望みます。信じて、静観することにしましょう。