今週も配信ありがとうございます! お疲れ様です。 「ゴー宣」読みました。 権力者が祝辞を寄せて、それを賞を受賞した言論人と集まった言論人・関係者が一緒に喜んでいる図というのは、実に気色の悪いものです。 「正論」という名を冠する言論誌とは到底思えません。「太鼓持ち」「茶坊主」とでも誌名を変えて欲しいくらいです。 私も昔、小林先生が時々寄稿していた頃に、その掲載号は買ったりしていたものでしたが、 「正論」は死んでしまったのかな、と思いました。 首相のお墨付きを得て調子に乗って「ルール破り」を「タブーのない発言」などと都合よく言いかえる三浦瑠璃にも呆れたものです。 小林先生はかつて「社交」に阿り過ぎる西部邁氏と袂を別ったくらいですから、 天皇制の問題で辻元清美氏が、以前よりずっと小林先生の見解に近くなって来たからと言って、 辻元清美氏が属する「言論の世間」に阿るはずがありません。 たぶん、今の言論界で「言論の世間」とナアナアになっていないの言論人は、自分が読者として思う限りでは井上達夫氏くらいなのではないかと思ってしまいます。 しかし日本の社会で、西洋のような絶対的な「個」がない社会で、世間と無縁であれる、というのは難しいことです。 西部邁氏は、もともと「人たらし」な気質があったのかもしれませんが、西部邁氏ほどの言論の第一人者であっても、 やっぱり日本的な世間に絡めとられてしまって、本人は「社交」をコントロールしていたつもりでいたのかもしれませんが、 その「社交」が仇になってしまっているというのは皮肉なものです。 ましてや、西部邁氏のようなレベルにはまだまだ程遠い言論人が「社交」をコントロール出来るはずもないと思います。 小林先生の若かりし頃の「小学館漫画賞」での審査員への批判は「ゴー宣」(おこっちゃまくんでもあったかも?)で読みましたが、読者として痛快でした。 今や右から左まで属国を望む奴隷ばかりになってしまいました。 そして「言論をやって目立ちたい」という人は、自己承認欲求丸出しなんじゃないかと思います。 まさにネットやスマホの普及で、一億総批評家みたいになってしまった匿名の床屋政談以下の呻きと何ら変わらないことになってしまいます。 読者としても、そういう人とそうでない人を見分ける審美眼を曇らせない為にも、研鑽が必要だなと改めて自戒を込めて思いました。 「トンデモ見聞録」読みました。 私はLINEは使っていませんが、ネット・SNSは利用する方で、しかも利用頻度は高い方かなと思うので、 もしIDが消えたりログイン出来なくなったりしたら焦りまくる方です。ネット堕落していると自省します。 「ラッキー」と思えるくらいであった方が健全なのかもしれませんね。 そして、こちらでも、欧米の「society」と日本の「世間」の違いについて言及されていましたが、その通りだと思いました。 生活に追われるあまりに新聞やテレビのニュースも見なくなって、チャンネル桜をyoutubeで見るのにハマってしまった方の話が出て来ましたが、 まさに私の友人・知人の中にこんな感じの人が結構いるので、人ごとではない怖さです。 しかし、チャンネル桜を脱会させるために泉美先生が取った手段は、泉美先生らしいというか、なるほどと思いました。 私はクソ真面目過ぎるのかもしれません。「そんなの見るなよ」と正面からズバッと言っちゃって、それで気まずくなったり、 それから政治や社会の話をその人としずらくなったりしてしまいます。 「小林よしのりの眷属」は、元々、皇統問題に携わる要職にありながら酷い言動が目立つ柴山昌彦議員に対してアタマに来て、よし文句言ったる!と始めたSNSで、 アンチがそういうカテゴリで勝手に人を分類していることを知りました。 面倒くさいのでブロックしてしまいましたが、 SNSの世間、地域の世間、仕事関係の世間、友人達とのかかわりの中での世間・・・いろんな世間と戦っていかなければならないなと改めて自戒と共に思いました。 日本が明日から急に西洋型の社会になる訳でもありませんし、日本は日本であって欲しいということもありますので、 負の面が多過ぎる「世間」ではありますが「世間」と戦っていくことは宿命なのかなと。 戦うのを辞めて埋没してしまった方が、ずっとラクなのかもしれませんが、それはすなわち「堕落」ですしね。 追伸:Q&Aの質問・回答、「しゃべらせてクリ!」、頭の体操にもなって毎回楽しいです。 クリリンがやってきたさんの「古着」ネタや、らっこフェスティバルさんの「半分」ネタは、目からウロコでした。 そして、久米さんとのラジオも楽しみですが、小林先生と久米さんと言えば、かつて、 久米宏さん、小宮悦子さん、小林先生の三人で屋台のセット風のところで対談した「ニュースステーション」を思い出します。
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今週も配信ありがとうございます!
お疲れ様です。
「ゴー宣」読みました。
権力者が祝辞を寄せて、それを賞を受賞した言論人と集まった言論人・関係者が一緒に喜んでいる図というのは、実に気色の悪いものです。
「正論」という名を冠する言論誌とは到底思えません。「太鼓持ち」「茶坊主」とでも誌名を変えて欲しいくらいです。
私も昔、小林先生が時々寄稿していた頃に、その掲載号は買ったりしていたものでしたが、
「正論」は死んでしまったのかな、と思いました。
首相のお墨付きを得て調子に乗って「ルール破り」を「タブーのない発言」などと都合よく言いかえる三浦瑠璃にも呆れたものです。
小林先生はかつて「社交」に阿り過ぎる西部邁氏と袂を別ったくらいですから、
天皇制の問題で辻元清美氏が、以前よりずっと小林先生の見解に近くなって来たからと言って、
辻元清美氏が属する「言論の世間」に阿るはずがありません。
たぶん、今の言論界で「言論の世間」とナアナアになっていないの言論人は、自分が読者として思う限りでは井上達夫氏くらいなのではないかと思ってしまいます。
しかし日本の社会で、西洋のような絶対的な「個」がない社会で、世間と無縁であれる、というのは難しいことです。
西部邁氏は、もともと「人たらし」な気質があったのかもしれませんが、西部邁氏ほどの言論の第一人者であっても、
やっぱり日本的な世間に絡めとられてしまって、本人は「社交」をコントロールしていたつもりでいたのかもしれませんが、
その「社交」が仇になってしまっているというのは皮肉なものです。
ましてや、西部邁氏のようなレベルにはまだまだ程遠い言論人が「社交」をコントロール出来るはずもないと思います。
小林先生の若かりし頃の「小学館漫画賞」での審査員への批判は「ゴー宣」(おこっちゃまくんでもあったかも?)で読みましたが、読者として痛快でした。
今や右から左まで属国を望む奴隷ばかりになってしまいました。
そして「言論をやって目立ちたい」という人は、自己承認欲求丸出しなんじゃないかと思います。
まさにネットやスマホの普及で、一億総批評家みたいになってしまった匿名の床屋政談以下の呻きと何ら変わらないことになってしまいます。
読者としても、そういう人とそうでない人を見分ける審美眼を曇らせない為にも、研鑽が必要だなと改めて自戒を込めて思いました。
「トンデモ見聞録」読みました。
私はLINEは使っていませんが、ネット・SNSは利用する方で、しかも利用頻度は高い方かなと思うので、
もしIDが消えたりログイン出来なくなったりしたら焦りまくる方です。ネット堕落していると自省します。
「ラッキー」と思えるくらいであった方が健全なのかもしれませんね。
そして、こちらでも、欧米の「society」と日本の「世間」の違いについて言及されていましたが、その通りだと思いました。
生活に追われるあまりに新聞やテレビのニュースも見なくなって、チャンネル桜をyoutubeで見るのにハマってしまった方の話が出て来ましたが、
まさに私の友人・知人の中にこんな感じの人が結構いるので、人ごとではない怖さです。
しかし、チャンネル桜を脱会させるために泉美先生が取った手段は、泉美先生らしいというか、なるほどと思いました。
私はクソ真面目過ぎるのかもしれません。「そんなの見るなよ」と正面からズバッと言っちゃって、それで気まずくなったり、
それから政治や社会の話をその人としずらくなったりしてしまいます。
「小林よしのりの眷属」は、元々、皇統問題に携わる要職にありながら酷い言動が目立つ柴山昌彦議員に対してアタマに来て、よし文句言ったる!と始めたSNSで、
アンチがそういうカテゴリで勝手に人を分類していることを知りました。
面倒くさいのでブロックしてしまいましたが、
SNSの世間、地域の世間、仕事関係の世間、友人達とのかかわりの中での世間・・・いろんな世間と戦っていかなければならないなと改めて自戒と共に思いました。
日本が明日から急に西洋型の社会になる訳でもありませんし、日本は日本であって欲しいということもありますので、
負の面が多過ぎる「世間」ではありますが「世間」と戦っていくことは宿命なのかなと。
戦うのを辞めて埋没してしまった方が、ずっとラクなのかもしれませんが、それはすなわち「堕落」ですしね。
追伸:Q&Aの質問・回答、「しゃべらせてクリ!」、頭の体操にもなって毎回楽しいです。
クリリンがやってきたさんの「古着」ネタや、らっこフェスティバルさんの「半分」ネタは、目からウロコでした。
そして、久米さんとのラジオも楽しみですが、小林先生と久米さんと言えば、かつて、
久米宏さん、小宮悦子さん、小林先生の三人で屋台のセット風のところで対談した「ニュースステーション」を思い出します。