☆☆☆応募締め切りまであと24時間ちょっと☆☆☆ 第4回関西ゴー宣道場設営隊の皆様 諸々のご活動誠にありがとうございます。 今回の道場に対し、個人的な思いを書かせていただきます。 ゲスト登壇される曽我部教授が編著者として携わられた、『古典で読む憲法』という本があります。 古典!! 憲法!! 『新・堕落論』を読んだばかりのこの時期に、好奇心をくすぐりまくるこのタイトルを書店で見かけて即買いし、若干興奮気味に読み進めています。 自由や人権といった価値、並びに三権分立や違憲審査制といった政治制度の形成過程が、ルソーやロック、モンテスキューといった賢人たちの言葉を引用しながら、初心者でも読みやすく、そして詳しく解説されています。 言うまでもなく、憲法という、権力を統制する枠組みが初めからあったわけではありません。 「個人の自由や権利を権力に守らせる」という人々の強い思いが、賢人たちの叡智と結びつき、現在の憲法や諸制度にたどり着いた様子が窺い知れます。 そうした人類の知恵と意志の積み重ねの上に現代社会が築き上げられていることに、思いを寄せずにはいられません。目先の利益しか頭にない今の日本に、最も欠けているものがそれらだと思うからです。 憲法を学校で教わったとき、条文の内容ばかり強調されていました(「憲法が平和や国民の権利を守ります」といった飾り文句付きで)。全条文の写本なんかもさせられました。 でも製品の特徴(憲法の条文)だけ教えられても、メンテ方法(知恵や意志)を知らなければ、不具合が生じたときに直せるはずがありません。 日本での憲法論議が低調だったりあさっての方向に向いてしまっていたりするのは、つまるところメンテ方法を知らずに、直すのを半ばあきらめつつ、未練がましく適当にいじくり回しているような状態だといえるでしょう。 本著を通して見たときの憲法論議は、全く違った姿をしています。 そもそもが「個人の自由や権利を権力に守らせる」という意志から始まっているので、憲法論議に決まった形はありません。 言い換えれば、自由や権利を守るための議論は、すべて憲法論議につなげることができます。 フェイクの氾濫や私企業による表現統制への対処、さらには天皇陛下の表現の自由や皇族方の人権保障のあり方なども、憲法論議として取り上げて良いのではないかと思います。 それくらい憲法とは、幅が広く身近な存在なのだと気付かされます。 また、憲法には人類最高の叡智が凝縮されています。自由や権利こそが人類にとっての最大関心事に他ならないからです。 これら抽象的な理念を制度に落とし込むために、いかに緻密な知的作業が展開されていたか。 それに触れる喜びを感じることができると共に、人はここまで考えを深めることができるのだ、「安倍でも縛れる」立憲的改憲もきっと成就しうるのだと、希望が湧いてきます。 憲法を学ぶことが、こんなにも胸躍る面白いものだとは思いませんでした。 関西ゴー宣道場にも応募させていただきました。 国内の憲法への固定観念を打ち破る議論が展開されることを期待しております。 当選したら是非、会場の熱い空気の中で学ばせていただきます。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:63182260)
☆☆☆応募締め切りまであと24時間ちょっと☆☆☆
第4回関西ゴー宣道場設営隊の皆様
諸々のご活動誠にありがとうございます。
今回の道場に対し、個人的な思いを書かせていただきます。
ゲスト登壇される曽我部教授が編著者として携わられた、『古典で読む憲法』という本があります。
古典!!
憲法!!
『新・堕落論』を読んだばかりのこの時期に、好奇心をくすぐりまくるこのタイトルを書店で見かけて即買いし、若干興奮気味に読み進めています。
自由や人権といった価値、並びに三権分立や違憲審査制といった政治制度の形成過程が、ルソーやロック、モンテスキューといった賢人たちの言葉を引用しながら、初心者でも読みやすく、そして詳しく解説されています。
言うまでもなく、憲法という、権力を統制する枠組みが初めからあったわけではありません。
「個人の自由や権利を権力に守らせる」という人々の強い思いが、賢人たちの叡智と結びつき、現在の憲法や諸制度にたどり着いた様子が窺い知れます。
そうした人類の知恵と意志の積み重ねの上に現代社会が築き上げられていることに、思いを寄せずにはいられません。目先の利益しか頭にない今の日本に、最も欠けているものがそれらだと思うからです。
憲法を学校で教わったとき、条文の内容ばかり強調されていました(「憲法が平和や国民の権利を守ります」といった飾り文句付きで)。全条文の写本なんかもさせられました。
でも製品の特徴(憲法の条文)だけ教えられても、メンテ方法(知恵や意志)を知らなければ、不具合が生じたときに直せるはずがありません。
日本での憲法論議が低調だったりあさっての方向に向いてしまっていたりするのは、つまるところメンテ方法を知らずに、直すのを半ばあきらめつつ、未練がましく適当にいじくり回しているような状態だといえるでしょう。
本著を通して見たときの憲法論議は、全く違った姿をしています。
そもそもが「個人の自由や権利を権力に守らせる」という意志から始まっているので、憲法論議に決まった形はありません。
言い換えれば、自由や権利を守るための議論は、すべて憲法論議につなげることができます。
フェイクの氾濫や私企業による表現統制への対処、さらには天皇陛下の表現の自由や皇族方の人権保障のあり方なども、憲法論議として取り上げて良いのではないかと思います。
それくらい憲法とは、幅が広く身近な存在なのだと気付かされます。
また、憲法には人類最高の叡智が凝縮されています。自由や権利こそが人類にとっての最大関心事に他ならないからです。
これら抽象的な理念を制度に落とし込むために、いかに緻密な知的作業が展開されていたか。
それに触れる喜びを感じることができると共に、人はここまで考えを深めることができるのだ、「安倍でも縛れる」立憲的改憲もきっと成就しうるのだと、希望が湧いてきます。
憲法を学ぶことが、こんなにも胸躍る面白いものだとは思いませんでした。
関西ゴー宣道場にも応募させていただきました。
国内の憲法への固定観念を打ち破る議論が展開されることを期待しております。
当選したら是非、会場の熱い空気の中で学ばせていただきます。