連続投稿、失礼します。 先生のトピックに関する事ではないので、大変恐縮ですが…。 自分の宣伝や他のニュース、私的に伝えたい事だったりします。申し訳ありません。 今の日本は、もしかしたら戦争と同等、あるいは戦争より悲惨な時代を迎えているのかも知れません。 苦痛、絶望、労苦、持病から逃れる思いで命を絶った自殺、過労死、変死の数は国内で戦争でもあったのか、と思えるくらいです。 こう言ってしまうと、「戦争の方がはるかに悲惨だ」と言われるものですが、僕の言うのは苦痛の重度であり、長さと酷さの事です。 戦国時代に織田信長と豊臣秀吉がいました。 信長のやり方は野戦に出る事が多く、逆に秀吉は水攻め、干殺しといった兵糧攻めを得意としていました。 秀吉の手紙にもある様に、彼は「やたらと血を流すのは嫌いだ」とあります。 野戦で鉄砲合わせ、矢合わせ、槍合わせ、そして乱戦となれば、やはり刀で斬られたり、槍で刺されたりと戦場が死体と血の海が出来、残酷なのだと思います。 一方、兵糧攻めは攻撃し合わない分、より長く生きる事ができますが、より苦痛を味わう事になります。 その苦痛は想像を絶するものであり、信長公記の筆者、太田牛一の記したものが印象的です。 「…←〔読めない状態に…〕木草の葉を取り、中にも稲かぶを上々の食物とし、後には是も事付き候て、牛馬を食らひ、霜露にうたれ、弱き者は餓死際限無し。餓鬼のごとく痩衰へたる男女、柵際へ寄、もだえこがれ、引出し扶け候へとさけび、叫喚の悲しみ、哀れなる有様目も当てられず・・・」 飢えのあまり、半ば狂って城内から飛び出す者がいると、鉄砲の標的に合い撃ち殺される。 その死者、負傷者に対して、飢えで狂乱した城内の兵士たちが襲い掛かり、刃物で肉を引き裂き、取り合い、奪い合うというものが白日の元で演じられた。 更に、戦の勝敗が決まり、城門が開かれると餓死、病死は数知れず。生存者は重病か、極端な栄養失調であり、秀吉が大釜で粥を炊いて、与えたところ、急に大食いしたので「食にゑひ過半頓死」と信長公記に記されています。 籠城戦だから、兵糧攻めだから、血を見ないから残酷性が無いという事はなく、苦痛の長さからするならば、野戦で血を流して数時間の内に、あるいはほぼ一瞬で死んでしまった方が、苦痛や残酷面から見てもマシだと思います。 今の日本は病院で大抵の事は治るけど、人生は楽しいという大前提を無しに、長く生きる事が出来るから幸せという事はありません。 果てしない労苦の長さ、将来の絶望性の無さ。 これだったら生き永らえる価値観を捨てて、自分なりに何歳まで生きるか、楽に死ぬかを真剣に考えた方がいいと思います。 どんなに苦しくても生きてやる、という例外は省きますが。 介護疲れ、ストレス加重、家庭の経済的の無さから後先考えずに事件に起こす行動を、飢えのあまり半ば狂乱して城外に出てしまった兵士の様に感じます。 貧困が政策から来てるのに日本政府の救済は無く、本当に国民の労働は報われないものです。
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自分の宣伝や他のニュース、私的に伝えたい事だったりします。申し訳ありません。
今の日本は、もしかしたら戦争と同等、あるいは戦争より悲惨な時代を迎えているのかも知れません。
苦痛、絶望、労苦、持病から逃れる思いで命を絶った自殺、過労死、変死の数は国内で戦争でもあったのか、と思えるくらいです。
こう言ってしまうと、「戦争の方がはるかに悲惨だ」と言われるものですが、僕の言うのは苦痛の重度であり、長さと酷さの事です。
戦国時代に織田信長と豊臣秀吉がいました。
信長のやり方は野戦に出る事が多く、逆に秀吉は水攻め、干殺しといった兵糧攻めを得意としていました。
秀吉の手紙にもある様に、彼は「やたらと血を流すのは嫌いだ」とあります。
野戦で鉄砲合わせ、矢合わせ、槍合わせ、そして乱戦となれば、やはり刀で斬られたり、槍で刺されたりと戦場が死体と血の海が出来、残酷なのだと思います。
一方、兵糧攻めは攻撃し合わない分、より長く生きる事ができますが、より苦痛を味わう事になります。
その苦痛は想像を絶するものであり、信長公記の筆者、太田牛一の記したものが印象的です。
「…←〔読めない状態に…〕木草の葉を取り、中にも稲かぶを上々の食物とし、後には是も事付き候て、牛馬を食らひ、霜露にうたれ、弱き者は餓死際限無し。餓鬼のごとく痩衰へたる男女、柵際へ寄、もだえこがれ、引出し扶け候へとさけび、叫喚の悲しみ、哀れなる有様目も当てられず・・・」
飢えのあまり、半ば狂って城内から飛び出す者がいると、鉄砲の標的に合い撃ち殺される。
その死者、負傷者に対して、飢えで狂乱した城内の兵士たちが襲い掛かり、刃物で肉を引き裂き、取り合い、奪い合うというものが白日の元で演じられた。
更に、戦の勝敗が決まり、城門が開かれると餓死、病死は数知れず。生存者は重病か、極端な栄養失調であり、秀吉が大釜で粥を炊いて、与えたところ、急に大食いしたので「食にゑひ過半頓死」と信長公記に記されています。
籠城戦だから、兵糧攻めだから、血を見ないから残酷性が無いという事はなく、苦痛の長さからするならば、野戦で血を流して数時間の内に、あるいはほぼ一瞬で死んでしまった方が、苦痛や残酷面から見てもマシだと思います。
今の日本は病院で大抵の事は治るけど、人生は楽しいという大前提を無しに、長く生きる事が出来るから幸せという事はありません。
果てしない労苦の長さ、将来の絶望性の無さ。
これだったら生き永らえる価値観を捨てて、自分なりに何歳まで生きるか、楽に死ぬかを真剣に考えた方がいいと思います。
どんなに苦しくても生きてやる、という例外は省きますが。
介護疲れ、ストレス加重、家庭の経済的の無さから後先考えずに事件に起こす行動を、飢えのあまり半ば狂乱して城外に出てしまった兵士の様に感じます。
貧困が政策から来てるのに日本政府の救済は無く、本当に国民の労働は報われないものです。