初めてコメントさせていただきます。 ブログを拝読いたしました。 撤退の撤回とのこと、正直とても安堵いたしました。 単なる誤読?誤記?が原因だったそうですね。文章のみでの意思疎通は師範方でもこううまくいかないものなのかと、少々もの悲しさを覚えております。 実は、自分は今回のこの騒動はなにかの作戦なのだろうか?と思っておりました。 立憲的改憲から撤退するとおっしゃっているのに皇室の問題については関わっていくとおっしゃっているし、先生方と親しいと思われる門弟方も沈黙?されているし・・・。 高森先生と倉持先生を追い出そうとされて?いるし・・・・。 皇室の諸問題も、突き詰めていけばロボット天皇説を推している憲法学者先生様方の世間との戦いになるのであろうに?(現に自称尊皇保守派はロボット天皇万歳ですよね) 立憲的改憲と、皇室の諸問題(だって正しい立憲君主制になって欲しいですもの)は切っても切り離せる問題ではなかろうに、それがわからない師範方ではないはずなのに、なぜ?立憲的改憲から撤退するなんていう発想が出てくるのか(そもそもできるのか?)・・・・私の足りない脳みそでは・・・わからない・・・・。よしりん先生、高森先生・・・何を考えているの? あ!これは、立憲的改憲と皇室の諸問題から学者先生様の大層へんてこりんな世間を挟み撃ちにしてやろうという作戦?敵を欺くにはまず味方から?だったら変に部外者たる私が、コメントするのはやめておこう・・・・。とか、1人で妄想を巡らしながら、高森先生と倉持先生サイドの見解が出てくるまで(だって、よしりん先生サイドからの情報しかないんですもの・・・)、待っていよう。と思い今日のブログの拝読に至りました。 重ねて書きますが、もしものことがあると思い、ほんとうに安堵いたしました。 そしてブログの表現についてですが、あまりにも高森先生擁護のコメントがないので、書かせていだたこうと思います…。擁護になるのかわかりませんが・・・・。ブログの感想です。 今回のことで、きっと多くの方がよしりん先生のはっきりとした、裏表のない言葉使いが、人格が好きで好きでたまらないんだろうなと感じました(私も大好きですよ!)。 だから、高森先生のあのまどろっこしぃ、いわば「つまらないものですが」的な表現が大層嫌悪感を持たれるのだろうな、と感じました。高森先生の家族ネタブログを読んでいればわかると思いますが、高森先生は大層家族愛に溢れる人であると推察できます。その家族愛溢れる人の愛息子さんの表現が「愚息」ですよね。あのブログからは、ゴー宣道場に関わる人々全てを自分の家族のようにとても親しみをもち、信頼されているのだな、温かみを感じておられるのだなという感想を持ち、それに引き換え世の(一部を除く)学者先生共は何たることか!という憎しみにも近い怒りを感じました。倉持先生に関しては、あのベタ褒めが「戒め」であるように私は感じ読んでおりました(学校の先生って割と褒めながら実は叱ってたりしませんか?今まで苦言しか言っていない人が急に褒め出すと怖いですよね)。 しかし、怒り、憎しみのこもった文章はその感情が前面に他者に伝播しやすいということだったんでしょうか。身内を心から信頼し、尊敬し、能力を評価し、愛しているからこそわざわざ身内を卑下し会話を繰り広げるというのは日常生活では結構ざらにあると思っていたのですが、もう時代遅れの表現なのでしょうか(そもそも身内でも何でもない赤の他人だから?)。みんなに同じように通じなければいけない国語表現的には大層NGな表現だったのでしょうか。多くの人が不快にとってしまう表現になっているということはそういうことなんでしょうね・・・。高森先生のブログを違和感なく(学者先生世間への怒り除く)読んでしまった自分も時代遅れの表現を直していかなくてはいけないんだろうなぁと感じ入ります・・・。 それから、3月ということもあって精神的疲れが貯まる時期では、普段なら他愛のない言葉でも凶暴な表現に感じてしまうというのも存分にあるのではないでしょうか?私事で大変恐縮なのですが、先日家族に料理を振舞ったところ「ご飯だけでも美味しい!」と言われ、「自分の嫌いなおかずばっかりじゃないか!ご飯以外食べる気もしない!!」という意味に取ってしまい、家族にブチギレてしまった私ですので、なんとも皆様にも、御自愛くださいと言わせてくださいませ。 長々と失礼いたしました。 ともかく更なるゴー宣道場の活躍を心から応援しながら望んでいます! 3月11日のネット中継はリアルタイムで視聴させていただきますね!
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初めてコメントさせていただきます。
ブログを拝読いたしました。
撤退の撤回とのこと、正直とても安堵いたしました。
単なる誤読?誤記?が原因だったそうですね。文章のみでの意思疎通は師範方でもこううまくいかないものなのかと、少々もの悲しさを覚えております。
実は、自分は今回のこの騒動はなにかの作戦なのだろうか?と思っておりました。
立憲的改憲から撤退するとおっしゃっているのに皇室の問題については関わっていくとおっしゃっているし、先生方と親しいと思われる門弟方も沈黙?されているし・・・。
高森先生と倉持先生を追い出そうとされて?いるし・・・・。
皇室の諸問題も、突き詰めていけばロボット天皇説を推している憲法学者先生様方の世間との戦いになるのであろうに?(現に自称尊皇保守派はロボット天皇万歳ですよね)
立憲的改憲と、皇室の諸問題(だって正しい立憲君主制になって欲しいですもの)は切っても切り離せる問題ではなかろうに、それがわからない師範方ではないはずなのに、なぜ?立憲的改憲から撤退するなんていう発想が出てくるのか(そもそもできるのか?)・・・・私の足りない脳みそでは・・・わからない・・・・。よしりん先生、高森先生・・・何を考えているの?
あ!これは、立憲的改憲と皇室の諸問題から学者先生様の大層へんてこりんな世間を挟み撃ちにしてやろうという作戦?敵を欺くにはまず味方から?だったら変に部外者たる私が、コメントするのはやめておこう・・・・。とか、1人で妄想を巡らしながら、高森先生と倉持先生サイドの見解が出てくるまで(だって、よしりん先生サイドからの情報しかないんですもの・・・)、待っていよう。と思い今日のブログの拝読に至りました。
重ねて書きますが、もしものことがあると思い、ほんとうに安堵いたしました。
そしてブログの表現についてですが、あまりにも高森先生擁護のコメントがないので、書かせていだたこうと思います…。擁護になるのかわかりませんが・・・・。ブログの感想です。
今回のことで、きっと多くの方がよしりん先生のはっきりとした、裏表のない言葉使いが、人格が好きで好きでたまらないんだろうなと感じました(私も大好きですよ!)。
だから、高森先生のあのまどろっこしぃ、いわば「つまらないものですが」的な表現が大層嫌悪感を持たれるのだろうな、と感じました。高森先生の家族ネタブログを読んでいればわかると思いますが、高森先生は大層家族愛に溢れる人であると推察できます。その家族愛溢れる人の愛息子さんの表現が「愚息」ですよね。あのブログからは、ゴー宣道場に関わる人々全てを自分の家族のようにとても親しみをもち、信頼されているのだな、温かみを感じておられるのだなという感想を持ち、それに引き換え世の(一部を除く)学者先生共は何たることか!という憎しみにも近い怒りを感じました。倉持先生に関しては、あのベタ褒めが「戒め」であるように私は感じ読んでおりました(学校の先生って割と褒めながら実は叱ってたりしませんか?今まで苦言しか言っていない人が急に褒め出すと怖いですよね)。
しかし、怒り、憎しみのこもった文章はその感情が前面に他者に伝播しやすいということだったんでしょうか。身内を心から信頼し、尊敬し、能力を評価し、愛しているからこそわざわざ身内を卑下し会話を繰り広げるというのは日常生活では結構ざらにあると思っていたのですが、もう時代遅れの表現なのでしょうか(そもそも身内でも何でもない赤の他人だから?)。みんなに同じように通じなければいけない国語表現的には大層NGな表現だったのでしょうか。多くの人が不快にとってしまう表現になっているということはそういうことなんでしょうね・・・。高森先生のブログを違和感なく(学者先生世間への怒り除く)読んでしまった自分も時代遅れの表現を直していかなくてはいけないんだろうなぁと感じ入ります・・・。
それから、3月ということもあって精神的疲れが貯まる時期では、普段なら他愛のない言葉でも凶暴な表現に感じてしまうというのも存分にあるのではないでしょうか?私事で大変恐縮なのですが、先日家族に料理を振舞ったところ「ご飯だけでも美味しい!」と言われ、「自分の嫌いなおかずばっかりじゃないか!ご飯以外食べる気もしない!!」という意味に取ってしまい、家族にブチギレてしまった私ですので、なんとも皆様にも、御自愛くださいと言わせてくださいませ。
長々と失礼いたしました。
ともかく更なるゴー宣道場の活躍を心から応援しながら望んでいます!
3月11日のネット中継はリアルタイムで視聴させていただきますね!