>>212 >>217 全く同じ意見です。 「「小林よしのり」「ゴー宣道場」の存在が立憲的改憲にとって障害、という意見に皆さんが同意されるかどうか」と、時浦さんが問うているので、いろいろ考えて、怒られそうですが書きます。今から書くのは超個人的な「私」の意見です。お前は何を言ってるんだと文句を言うのはやめてください。笑 小林先生が考え抜いた意見の「支持」が前提での私の「私」の本音です。本当に怒らないでくださいね。笑 私の意見が一番正しいということを書きたいわけではなく、誰を批判したくて書くわけでもなく、独り言です。 障壁なわけないじゃないですか。全く障壁じゃない。小林先生はやはり最後まで関わってほしいというのが個人的な本音です。ゴー宣ゴー宣と略してすっかりタイトルの意味まで気にしなくなっていましたがそもそも「ゴーマニズム」宣言なんですよね。わしが自由にゴーマンかます作品だったはずです。「ついてこれる奴だけでいい、わし一人になってもやる」これがゴーマニズムだったと思います。 もちろん、6月以降に小林先生が関わらなくなったとしても立憲的改憲の興味自体はなくしませんが、私は小林先生がいないと立憲的改憲議論は今より面白味はなくなると思います。それこそ改憲についての普通の勉強会になると私は思います。ゴー宣を23年くらい応援してきましたが、ゴーマニズム宣言って常に小林先生の「情(じょう)」なんですよ。オウムも薬害エイズも戦争論も全て小林先生の「情」が出発点で、気持ちに訴えかけるものがあっておもしろかったし、わくわくしたんですよ。 「偏見なく、もっと憲法学者を集められる場ができるなら、その方がいい」 何か私の中の「情」がそれは違うと言ってくるんですよ。言い換えると「偏見で見られると支障が出ます、その原因は小林先生です。小林先生が離脱した方がよくなる。」ということですよね。何か違うんですよ。それは全く違うんですよ。理由が冷たすぎるんですよ。こういう感覚ってなかなか分かってもらえないと思いますが。地方のかなり外側から応援している私からしたら、はしご外しにしか見えないんですよ。 「この部分がマイナスになってるから外してプラスになればいい、外すとプラスになるだろう」 それって理屈の「理」なんですよ。ゴー宣のコアの部分になっている「情」が全くない。しかも外されるのがゴー宣道場とそれを開いてる人。あくまで読者として、偏向、信者、独りよがりと言われようが、そんな展開は私はおもしろくない、あったかくない、わくわくしない。小林先生という「規格外」がいるからおもしろいんです。6月以降も小林先生の「カニニカ主義」も聞きたいんです。スパイスになって眠気もさめるんですよ。笑 小林先生を敬遠してる憲法学者のために改憲議論してるんじゃないんです。改憲議論ってどっちに向いてるんでしょうか。小林先生を敬遠する学者ですか、それとも庶民ですか。現時点の情報だけでは細かくは分からないのですが、山尾議員と倉持先生が立憲的改憲案を完成させて庶民に広めることが目的で、憲法学者を多く集めることが目的じゃないと思うんですが。なぜ、いつの間にか憲法学者を多く集めることが目的になってるんでしょうか。(倉持先生の考えがあるのだとは思いますが…) やっぱり疑問だらけです。 それと小林先生は庶民への影響力、宣伝力はやはり持ってますよ。立憲民主党の演説も話題になりました。立憲的改憲案が完成してメディアに注目され始めてからが小林先生の本当の出番だと思うのですが。6月以降でも立憲的改憲の解説?、ご意見番、アドバイザー、ゲスト?のような形でいいので遠くからと言わずどこかで関わってほしいですし、改憲について小林先生がメディアなどに出演した時は立憲的改憲案を徹底的に主張してほしいです。 夏目漱石「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」 めちゃくちゃな乱文、意見で本当に失礼しました。私は少しおもしろくないというのが本音です。しかし他のどの意見も否定するつもりは全くありません。そういう視点もあるのかと感心します。とても長くなってしまってすみませんでした。
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>>212 >>217
全く同じ意見です。
「「小林よしのり」「ゴー宣道場」の存在が立憲的改憲にとって障害、という意見に皆さんが同意されるかどうか」と、時浦さんが問うているので、いろいろ考えて、怒られそうですが書きます。今から書くのは超個人的な「私」の意見です。お前は何を言ってるんだと文句を言うのはやめてください。笑
小林先生が考え抜いた意見の「支持」が前提での私の「私」の本音です。本当に怒らないでくださいね。笑
私の意見が一番正しいということを書きたいわけではなく、誰を批判したくて書くわけでもなく、独り言です。
障壁なわけないじゃないですか。全く障壁じゃない。小林先生はやはり最後まで関わってほしいというのが個人的な本音です。ゴー宣ゴー宣と略してすっかりタイトルの意味まで気にしなくなっていましたがそもそも「ゴーマニズム」宣言なんですよね。わしが自由にゴーマンかます作品だったはずです。「ついてこれる奴だけでいい、わし一人になってもやる」これがゴーマニズムだったと思います。
もちろん、6月以降に小林先生が関わらなくなったとしても立憲的改憲の興味自体はなくしませんが、私は小林先生がいないと立憲的改憲議論は今より面白味はなくなると思います。それこそ改憲についての普通の勉強会になると私は思います。ゴー宣を23年くらい応援してきましたが、ゴーマニズム宣言って常に小林先生の「情(じょう)」なんですよ。オウムも薬害エイズも戦争論も全て小林先生の「情」が出発点で、気持ちに訴えかけるものがあっておもしろかったし、わくわくしたんですよ。
「偏見なく、もっと憲法学者を集められる場ができるなら、その方がいい」
何か私の中の「情」がそれは違うと言ってくるんですよ。言い換えると「偏見で見られると支障が出ます、その原因は小林先生です。小林先生が離脱した方がよくなる。」ということですよね。何か違うんですよ。それは全く違うんですよ。理由が冷たすぎるんですよ。こういう感覚ってなかなか分かってもらえないと思いますが。地方のかなり外側から応援している私からしたら、はしご外しにしか見えないんですよ。
「この部分がマイナスになってるから外してプラスになればいい、外すとプラスになるだろう」
それって理屈の「理」なんですよ。ゴー宣のコアの部分になっている「情」が全くない。しかも外されるのがゴー宣道場とそれを開いてる人。あくまで読者として、偏向、信者、独りよがりと言われようが、そんな展開は私はおもしろくない、あったかくない、わくわくしない。小林先生という「規格外」がいるからおもしろいんです。6月以降も小林先生の「カニニカ主義」も聞きたいんです。スパイスになって眠気もさめるんですよ。笑
小林先生を敬遠してる憲法学者のために改憲議論してるんじゃないんです。改憲議論ってどっちに向いてるんでしょうか。小林先生を敬遠する学者ですか、それとも庶民ですか。現時点の情報だけでは細かくは分からないのですが、山尾議員と倉持先生が立憲的改憲案を完成させて庶民に広めることが目的で、憲法学者を多く集めることが目的じゃないと思うんですが。なぜ、いつの間にか憲法学者を多く集めることが目的になってるんでしょうか。(倉持先生の考えがあるのだとは思いますが…)
やっぱり疑問だらけです。
それと小林先生は庶民への影響力、宣伝力はやはり持ってますよ。立憲民主党の演説も話題になりました。立憲的改憲案が完成してメディアに注目され始めてからが小林先生の本当の出番だと思うのですが。6月以降でも立憲的改憲の解説?、ご意見番、アドバイザー、ゲスト?のような形でいいので遠くからと言わずどこかで関わってほしいですし、改憲について小林先生がメディアなどに出演した時は立憲的改憲案を徹底的に主張してほしいです。
夏目漱石「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」
めちゃくちゃな乱文、意見で本当に失礼しました。私は少しおもしろくないというのが本音です。しかし他のどの意見も否定するつもりは全くありません。そういう視点もあるのかと感心します。とても長くなってしまってすみませんでした。