第500号 2024.4.9発行
「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…先週6日の生放送『歌謡曲を通して日本を語る』は、新刊『日本人論』をテーマとしていた。『日本人論』は「芸能の歴史」を柱にしているが、まだ描き切れなかったこともあって、それを話す予定だったのだ。ところが放送2日前に、自民党が皇位継承問題について最悪の結論を出しそうだというニュースが入ってきたものだから、内容を大幅に変更して話さざるをえなくなった。それで、本来話したかった部分をやや縮小してしまったので、それをここでもっと詳しく記しておきたい。今のきらびやかな芸能しか知らなかったら、もうそもそも芸能とは何かということが、全然わからなくなってしまう。歴史感覚を取り戻せ!!
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…前回(「古代の『斎王』と伊勢神宮『祭主』のこと」)のつづきで、神社界を牛耳る人間たちの醜態について書いておきたい。前回紹介した2017年の富岡八幡宮殺人事件でも出てきていたが、そもそも神社の人事権を握っている「神社本庁」とは一体なんなのか?そして、近年ではその神社本庁に対して不満を表明し離脱する神社が相次いでいるというが、一体なにが起きているのか?不祥事の巣窟となっている神社本庁の実態、そしてその原因まで分析する!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…自分が本当に描きたいものを封印して、世間ウケする漫画を描き続けなければならないことをどう思う?最近、月刊誌の発行ペースが落ちている原因はコロナ脳?もう新聞に期待するのは止めた方が良い?首相官邸や政党に手紙やメールを送って訴えるというのは、実際どれくらい効果があるもの?ウクライナの反転攻勢が上手くいかなかったけど、まだ光明は尽きていない!?静岡県の川勝平太知事が辞職を表明した件をどう思う?世論調査で“女性天皇を認める”方は全体の“8割”いるというけど疑わしいのでは?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第529回「芸能の長い長い助走」
2. しゃべらせてクリ!・第455回「アイドル貸し切りステージに大興奮ぶぁ~い!の巻【後編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第323回「神社本庁と神道政治連盟のこと」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第529回「芸能の長い長い助走」
小林よしのりライジング、今回で第500号だそうだ。
早いものだと驚くが、だからといって殊更に特別号というような体裁にはしない。毎号毎号が「スペシャル」みたいなものだと思ってもらいたい。
先週6日の生放送『歌謡曲を通して日本を語る』は、新刊『日本人論』をテーマとしていた。『日本人論』は「芸能の歴史」を柱にしているが、まだ描き切れなかったこともあって、それを話す予定だったのだ。
ところが放送2日前に、自民党が皇位継承問題について最悪の結論を出しそうだというニュースが入ってきたものだから、内容を大幅に変更して話さざるをえなくなった。
それで、本来話したかった部分をやや縮小してしまったので、それをここでもっと詳しく記しておきたい。
日本の最古の芸能は神話のアメノウズメノミコトの舞にまで遡るとされ、それが神事において神楽を舞う由来になったということは、『日本人論』で描いた。
これは歴史学的にいえば、少なくとも『古事記』や『日本書紀』が編纂された奈良時代には、神を楽しませ、もてなすものとしての「舞」が存在していたということになる。
奈良時代の日本は海外との交流が盛んで、特に中央アジアあたりの様々な芸能が、シナ大陸を経由して伝来してきた。中でも曲芸や幻術、歌舞や音曲、物まねなど雑多な内容を持つ「散楽(さんがく)」という大衆的な芸能は人々に親しまれ、以前からあった日本の芸能と混じり合って変化していった。
大河ドラマの『光る君へ』に登場したのでイメージしやすくなったが、散楽は平安時代の大衆の娯楽となり、定住の地を持たない流浪民の一座が、村から村へと渡り歩き、その芸を披露して金銭をもらうことで生活していた。
一座は各地を回りながらネタ集めをして新しい演目を上演し、やがて滑稽な物まねや短い寸劇などが多く演じられるようになり、日本独自の芸能となっていき、呼び名も「散楽」から滑稽な意味合いを持つ「猿楽(さるがく)」へと変わっていった。
そして猿楽から今に続く能狂言の型が分かれ、江戸時代には歌舞伎が生まれ、全ての伝統芸能へと枝分かれして繋がっていったのである。
それらの芸能の担い手は先に述べたとおり漂泊の民で、「河原乞食」とも呼ばれた被差別民だった。
江戸時代になり都市が発展すると、都市には常設の芝居小屋や寄席が作られ、定住して芸能に携わる者も出るようになる。
だがその一方で特に地方においては、芸能の原初から続く、宿を持たない旅芸人の系譜も連綿と続いていた。
1300年前の奈良時代から始まった旅芸人の歴史が、いつまで続いていたのかというと、実は、それは昭和までである。
戦後の高度経済成長期まで、旅芸人は存続していたのだ。
現代人の感覚で「芸能界」とか「芸能人」とかいうと、映画やテレビなどのショービジネスのきらびやかな世界を思い浮かべるものだが、それは「マスメディア」の登場によって創り上げられたものだ。
日本で映画が娯楽産業として成立するようになったのは110年くらい前、レコードが普及し始め、ラジオの本放送が始まったのは約100年前。そしてテレビの本放送が日本で始まったのは昭和28年(1953)、なんと、わしが生まれた年なのである。
1300年にも及ぶ長い長い芸能の歴史に比べれば、我々が知っている、マスメディアによって創られた芸能は、たかだか100年程度の浅い歴史しかない。
これが、一番肝心なことであるにもかかわらず、今では誰も気づかなくなってしまっていることである。
マスメディアの登場以前にも存在していた、最も華やかな芸能の場は「舞台」であり、歌舞伎の舞台にはきらびやかな芸能の世界もあったが、それは都市だけの娯楽だった。
東北の山村のような田舎になると、もう娯楽というものが存在しない。そして、そんなところに旅芸人の一座が回ってきていた。
その旅芸人のひとつに、美空ひばりの歌に歌われた「越後獅子」がある。
越後獅子とは、その名の通り越後の蒲原郡(現・新潟県新潟市南区)を起源とする獅子舞の大道芸で、7歳から14~15歳以下の子供が「角兵衛獅子」の扮装で、「親方」の笛や太鼓の演奏や、掛け声調子に合わせて舞を披露した。
こうして子供たちと親方らの一座は家々の前で芸を見せる「門付け」によって金銭をもらい、各地を旅して稼ぎ歩いた。江戸時代には江戸まで出稼ぎに入って、特に正月の風物詩として人気となり、上方でも人気を博したという。
親方は貧しい家の子供を4、5歳のうちに買い取り、身体を柔らかくさせるために酢を飲ませたり、歌にもあったようにバチや棍棒でぶん殴ったりして、厳しく芸を仕込んでいた。
明治時代に入り、義務教育の普及などで社会の意識が変化すると、この扱いが残酷だとして、次第に大衆からは嫌悪されていき、警視庁から新たな子供を加えてはならないという禁止令も出た。
越後獅子は明治43年(1910)にロンドンで開かれた日英博覧会に、日本を代表する大道芸の一つとして参加もしているが、その後も衰退の一途をたどった。
そして昭和8年(1933)、「児童虐待防止法」によって、金銭目的で児童に芸をさせること自体が禁止され、「大道芸」としての越後獅子は消滅した。
一方、芸そのものを消滅させるのは惜しいと、地元有力者や芸能関係者がその保存に乗り出し、数年後にお座敷芸として復活するが、これは本来の児童が演じるものではなく、大人の芸妓が演じていた。
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