結果的にコメント欄の荒らしに加担するような形になり、皆様誠に申し訳ありませんでした。 身内に公的な治安関係者を多く抱えているものですから、知ったかぶりの発言を看過出来ず、それでもやはり放置しておく方が良かったのかもしれません。 こちらの皆さまには釈迦に説法とも思いますが、批判や異論、反論という概念について感じたことだけ最後に書かせて頂けましたら。 とても暴力的な比喩かもしれませんが、ご容赦くださいませ。 例えば、ある男性が別の男性に向かって「死ね!」と叫んだとします。 言葉尻だけ捉えると「なんて野蛮な」と思うかもしれません。 けれど、その暴言を叫んだ男性が相手の男に自分の奥さんと子供を惨殺されていたという事実があった場合、「そう言いたくなるのも仕方がないか」というような全く別の解釈が生まれてくるはずです。 それでも「他人に向かって「死ね」なんて言うことはいけないことだ」などと批判する人間は、よっぽどの狂信者か、そもそも日本語が理解出来ていないか、大嘘つきかのどれかでしょう。 相手のその時々の事情や背景を理解した上で成されない批判は、そもそも批判として成立しない。 もちろん、異論や反論といった概念には遠く及ばないから、そんなものは全て自称批判、自称異論、自称反論です。 相手と違う発言さえすれば異論→異論ということはそれは立派な理論→それを排除するということは異論排除だ、言論弾圧だ と短絡的な発想をする前に、他者と議論をする上での最低限の作法を身に付けて欲しい。 公共の福祉と言うように、公での生活を送るには最低限のマナーが必要です。 それが公を論じる場ともなれば尚更だろうという思いです。
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小林よしのりチャンネル
(ID:7919073)
結果的にコメント欄の荒らしに加担するような形になり、皆様誠に申し訳ありませんでした。
身内に公的な治安関係者を多く抱えているものですから、知ったかぶりの発言を看過出来ず、それでもやはり放置しておく方が良かったのかもしれません。
こちらの皆さまには釈迦に説法とも思いますが、批判や異論、反論という概念について感じたことだけ最後に書かせて頂けましたら。
とても暴力的な比喩かもしれませんが、ご容赦くださいませ。
例えば、ある男性が別の男性に向かって「死ね!」と叫んだとします。
言葉尻だけ捉えると「なんて野蛮な」と思うかもしれません。
けれど、その暴言を叫んだ男性が相手の男に自分の奥さんと子供を惨殺されていたという事実があった場合、「そう言いたくなるのも仕方がないか」というような全く別の解釈が生まれてくるはずです。
それでも「他人に向かって「死ね」なんて言うことはいけないことだ」などと批判する人間は、よっぽどの狂信者か、そもそも日本語が理解出来ていないか、大嘘つきかのどれかでしょう。
相手のその時々の事情や背景を理解した上で成されない批判は、そもそも批判として成立しない。
もちろん、異論や反論といった概念には遠く及ばないから、そんなものは全て自称批判、自称異論、自称反論です。
相手と違う発言さえすれば異論→異論ということはそれは立派な理論→それを排除するということは異論排除だ、言論弾圧だ
と短絡的な発想をする前に、他者と議論をする上での最低限の作法を身に付けて欲しい。
公共の福祉と言うように、公での生活を送るには最低限のマナーが必要です。
それが公を論じる場ともなれば尚更だろうという思いです。