第388号 2021.2.10発行
「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…森喜朗の「女性蔑視発言」が日本中の怒りの的となっている。今月3日、日本オリンピック委員会(JOC)の会議で、JOCが女性理事の割合を増やす方針であることについて「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言。男女平等を推進する五輪精神に反するとして猛批判を浴びた。確かに森の発言は何の根拠もなく、ただ化石化したような男尊女卑感覚だけで言ってる、ろくでもないものだ。しかし、それでもあえて言いたい。これが、そこまで怒らねばならない問題なのか?他に怒るべきことがあるのではないか?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…新型インフル特措法の改正案が成立、2月13日に施行されることになった。その「政令案」によると、知事は、店舗や施設に対してマスクを着用しない人間の入場を禁止させることができ、マスクなしでの入場を許している事業者に対しては、罰則を与えることができるのだ。すでに実質的なマスク強要社会だが、もはや「法的にマスク強制」と表現しても差し支えない状態に来ている。だが、マスクが「感染防止」になるという科学的根拠はない。それどころか、マスクを着け続けていることが「有害」だとしたら?マスクの恐ろしい真実を直視せよ!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!今回のコロナ禍を見るに憲法改正しない方が良いのでは?最近のお笑いは「人を傷付けない笑い」が重視されている?「こいつにだけは負けたくない」と思う人物はいる?親しかった人に諫言する時はどの様な心境になる?現世における幸せとは何?女性言論人だけの「朝ナマ」から見えた女の特質とは?丸山穂高議員の文書費による帝国ホテルの長期宿泊をどう思う?コロナ脳になってしまった90歳の武道家を説得すべき?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第408回「森喜朗の失言」
2. しゃべらせてクリ!・第345回「しぎゃび~っ!袋小路マスク警察が出たーっしゅ!の巻の巻〈後編〉」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第202回「マスクの恐ろしい真実」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第408回「森喜朗の失言」 何かに「怒り」をぶつけるにしても、「優先順位」というものがある。
それは「公」のための怒りなのか? 単なる「私憤」で、「八つ当たり」や「憂さ晴らし」なのではないか?
怒るべきものに対して、然るべきボルテージの怒りを向けているかどうかが大事なことなのだ。
今は、森喜朗の「女性蔑視発言」が日本中の怒りの的となっている。
東京オリンピック・パラリンピック(以降「東京五輪」と略す)組織委員会会長の森は今月3日、日本オリンピック委員会(JOC)の会議で、JOCが女性理事の割合を増やす方針であることについて「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言。男女平等を推進する五輪精神に反するとして猛批判を浴びた。
森は翌4日に記者会見を開いて発言を撤回・謝罪したが、それが全く謝罪になっておらず、さらに火に油を注いで大炎上となり、収拾がつかない状態になってしまった。
会見翌日・5日の朝日新聞は社説で「森会長の辞任を求める」と題して、明確に辞任を要求。
毎日新聞社説は「五輪責任者として失格だ」、東京新聞社説は「五輪の顔として適任か」という題で、直接的な「辞任」の語はないものの、明らかに辞任を求めている。
日本経済新聞社説も「撤回することは当然だが、それだけですむことではないだろう」と書いた。もちろんこれも「辞任」を示唆したものだろう。
さらに翌6日には読売新聞社説が「発言の影響を踏まえて、身の処し方を再考すべきではないか」と、これまた辞任を示唆した。
そして産経新聞社説は、「問題の根本を分かっていない」「角が立つ物言いを、世間が受け入れたわけではない」と森を厳しく非難した上で、「森氏がトップに立つことが開催機運の障害となっている現実を、組織委は自覚してほしい」と、組織委に対して暗に森の解任を求めている。
かくして、全国紙・東京紙6紙すべてが社説で森の会長辞任もしくは解任を求めるという、尋常ではない状況が出現してしまった。その他の地方紙も、間違いなく辞任要求一色だろう。
確かに森の発言は何の根拠もなく、ただ化石化したような男尊女卑感覚だけで言ってる、ろくでもないものだ。その発言を擁護するつもりもないし、女性が憤慨するのもわかる。
しかし、それでもあえて言いたい。これが、そこまで怒らねばならない問題なのか? 犯罪だったのか? 新聞全紙が揃って袋叩きにするほどの不祥事だったのか? それよりも、他にまだ怒るべきことがあるのではないか?
もっと若くて影響力のある人物が言ったのなら非難してもいいが、83歳の森喜朗がいくら女性蔑視発言をしたところで、世の中がこれに影響されて、女性差別の風潮が強まるなんてことは決してない。
森の発言なんか、「また爺さんが時代遅れのバカなこと言ってるよ、もうあの歳で考えを変えるなんて不可能だし、どうせ間もなくいなくなる世代なんだから、せいぜい言わせとけ」と、呆れて見ておけばいい程度のものだ。
そもそも人権問題を考えるのなら、森発言なんかより、新型コロナに関する「特措法」や「感染症法」の改正の方が遥かに大問題だ。
特措法の改正で緊急事態宣言の前段階として「まん延防止等重点措置」が新設された。これにより都道府県知事は、事業者に対して営業時間の変更などを命令でき、違反すれば20万円以下の過料となる。また、命令に伴う立ち入り検査も可能となり、拒むと20万円以下の過料となる。
しかもこれは緊急事態宣言と比べて発動要件が極めて曖昧で、政府の主観的判断に委ねられているといっても過言ではない。解除基準も法律上、なきに等しい。また、強制力の伴う命令ができるにもかかわらず、国会の承認決議は必要なく、国会への報告も明記されていない。 つまり国会の歯止めは皆無なのだ。
さらに期限は「最長6カ月」だが、何度でも延長を繰り返すことが可能で、事実上期間の歯止めもない。
感染症法改正では、入院を拒否した場合は50万円以下の過料、濃厚接触者の調査を拒否した場合は、30万円以下の過料が定められた。
改正案にあった刑事罰ではなく、前科のつかない行政罰になったとはいえ、罰則に変わりはない。罰則による人権制約を正当化する根拠はなく、感染者の基本的人権を脅かす点では同じである。
しかもこれにより強制的に入院させられる人は、長期入院になれば解雇の不安もあり、非正規やフリーランスならば無収入になるが、そのような場合に対する補償措置は何もない。
特措法、感染症法ともに私権を制限する内容であるにもかかわらず、国会で徹底的な議論が行われることもなく、わずか4日間の審議で成立してしまった。
明らかに基本的人権の無視であり、これに怒らなければ、人権問題についてモノを言う資格はない。
ところが、「リベラル」を自称しているはずの朝日も毎日も東京新聞も、これにはちょっとばかり懸念を示した程度で、森喜朗に対してぶつけている怒りに比べれば、何も怒っていないにも等しい。
そもそも、緊急事態宣言自体に対しては、なぜ誰も怒らないのだろうか?
コメント
コメントを書く(ID:88593779)
>>288
Kazuさま
ご多忙の中、ていねいな説明をしていただき、ありがとうございます。とても勉強になります。
死亡原因について、いろいろと難しい問題があるという点、了解いたしました。
Kazuさまの説明をふまえると、ひとまず以下のようなことが言えるでしょうか。
****************
インフルエンザの場合は、持病・基礎疾患のある人が罹って、そのコンビネーションによって亡くなった場合、多くの場合はそれは「非インフルエンザ死」と、死亡診断書を作成する医師によって判断される。死亡診断書のⅠ欄に、インフルエンザという言葉が記されることは、比較的少ない。
逆に、新型コロナの場合は、同様のコンビネーションによって亡くなった場合、「コロナ死」と判断されてしまうことが多い。Ⅰ欄に新型コロナと記されることが、比較的多くなる。
いずれ近いうちに「人口動態統計」には、2020年2月〜2021年1月の新型コロナの「直接死」として、6000人ほどの数字が記載される可能性が高く、その場合は結果として、《インフル直接死の3千》に対して《新コロ直接死は6千》という形で、見かけ上は新型コロナの直接死の方が多くなってしまう。
そうではあるが、これは現場の医師の主観(バイアス)によるもので、恣意的なところがある。これをもって即座に、新型コロナの方がインフルよりも多くの人の命を奪う、ということにはならない。
****************
まずは、このようにまとめておいて、今後、この問題について自分でさらに考察を進めていきたいと思います。当座、自分の中で最も大きな問題は、次の点です。
・新型コロナ死者の総報告数(速報値)には、①直接死、②間接死、③検査陽性と出ただけで実際はコロナとは関係ない死、の三つが含まれているが、埼玉県や福岡県の報告を見るとこの③は20%前後になる可能性がある。このように総報告数の中で③だけでも20%前後という見解と、総報告数の中で②と③が占める割合は5%であるという見解のギャップを、どう考えるべきか。
・アメリカでは総報告数のうち、①直接死は6%に過ぎないとも指摘されている。一方、日本の①が95%であるとすれば、こうした海外の報告例とのギャップは、今後、問題にされていくのか、何らかの形で是正されていくのかどうか。
ひとまず、このあたりでしょうか。丁寧なコメントを頂いたこと、いまいちど、御礼を申し上げます。
ウサギより
・
(ID:66503903)
>>294
いえいえ、深い考察、ありがとうございます。ちなみに288は一部間違えがあり、新型コロナウイルス感染症がインフルエンザと同等と思っていた場合は、脳梗塞があって誤嚥性肺炎を繰り返している人が肺炎になってなくなった場合の死因は肺炎ないし誤嚥性肺炎になりやすいですが、実際は新型コロナウイルス感染症の方が肺炎になりやすく死に直結しやすいと言う様に考えられてるので、インフルエンザよりも直接死因にあがりやすいのですよ。記載が変になっていましたが、きちんと捉えて頂いてありがとうございます!
死因についてはやはり判断する方の主観が入るので、死因統計で一番正確なはずの厚生労働省の発表をもとに考えるのが妥当だと思います。
(ID:88593779)
>>294
<うさぎノート>
あと一点、自分にとっての今後の検討ポイントを書き忘れていました(次の回のライジングコメント欄は、森発言のことがテーマになっているので、ここに書いておきます。もう誰も読まないか。)
・上(No.294)に記したように、直接死という点では、新型コロナの一年の死者はインフルエンザのそれを、見かけ上、上回る可能性がある。一方で、関連死についてはどうか。
・インフルエンザに関しては、関連死(①直接死と②間接死の和)は、毎年おおよそ1万人ほどとされる。
・一方、新型コロナに関しては、全報告数(速報値)として出されているのは、先のコメントにも記した通り、①直接死+②間接死+③コロナ死とは言えない死、の三種類を足したものである。全体における③の割合がどれくらいであるかは議論の余地があるが、仮に、埼玉県や福岡県の報告(福岡県:https://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/covid19-hassei.html#2)から推測すると、全報告数の20%前後を占める可能性がある。そうすると、新コロの一年の死者は6000人ほどと報告されたから、それから③を引けば、新コロの死者は1年で5000人くらいになる。
・重要なポイントは、インフルエンザの年間1万人という数字は、超過死亡という特殊な計算方法によって出されたものであり、一方で、新型コロナのこの5000人という数字は、各県からあがってくる死亡診断書をデータとして出されたものである、ということ。算出方法が違うということ。
・ただ、算出方法は違うけれども、どちらも、《新型コロナの症状だけで亡くなろうが、新型コロナと持病・基礎疾患のコンビネーションで亡くなろうが、とにかく新型コロナに関連して死んだ人の総数を示そうとする数字である》ため、大きく言えば、この新コロ死者5000人という数字と比較すべきは、「人口動態統計」に示されるインフル直接死の約3000人のほうではなく、超過死亡で出される年間1万人という数字のほうだということになる。
・結論的に言えば、新型コロナとインフルエンザの死者数の比較は、直接死で行えば、新コロの方が見かけ上の数字は大きくなる。一方、関連死で行えば、『コロナ論』の最初の基本的主張のとおり、新コロの死者はインフルの死者の半分ていどということになり、新コロは相対的に弱い病気だということになる。
・蛇足だが、今後、コロナ脳の人々は、仮に、新型コロナの国内死者はインフルの半分程度だということを認めても、そんなに低く済んだのは強力な感染対策を実施したおかげであり、それがなかったら新コロの死者はインフルの1万を超えて、5万、10万、20万になっていたかもしれない、と自己弁護するはずである。このコメント欄No251でTMNさまが記されたように、「国民の9割は我慢のした甲斐があったと皆で喜び合い、コロナ関連の錬金術はそのままで(ワクチン、PCR検査、理論疫学、マスク業者)失業者だけが泣き寝入りという未来」がやってくる可能性は高い、というか、もう既に来ている。
・現に、西浦博などは、自分の予言によって人々の危機感を高めることができ、それによって感染対策が進み、あるていど感染数が抑えられ、結果として死者もこれくらいで済んだのだから、倒産とか自殺者とかDVとかの増加についてはとやかく言わず、自分のことを《人の命を救った英雄》として認めてほしい、と一般書『理論的学者・西浦博の挑戦:新型コロナからいのちを守れ!』を出版して、世間に必死にアピールしている。(彼の願いはかない、30年後、彼は京大の名誉教授になるだろう。おめでとう。)
・こうした、インチキな「未来」にどのように抵抗すべきか。基本的に、日本では過剰な対策を実施しなくても、最終的な年間のコロナ死者は、今の数字と大して変わらなかったはずだ、という主張を強化していくしかない。
・ただし、感染対策がどれくらい有効であったか、必用であったかという点に関しては、小林先生を中心に集まる人々のコミュニティーにおいても、考え方にいくらか差異がある。そうした差異には、敬意を払う必要がある。
以上、ウサギのノートでした。