時浦さんが紹介していた、ケロ坊さんの意見を読んで「これだ!」と思いました。 道場でも「『わきまえている』という言葉が女性差別になる」、とありましたが、「わきまえる」とは普段使われる言葉であり、それに対して「差別だ!」と憤るのも、所詮はその人の主観でしかないのです。 差別や部落の問題にもよく似ていると思います。なんてことのない言葉が、「部落差別に繋がる」と言われ、発言や表現が極めて窮屈なものになっている現状と同じです。 合わせて、コロナ自粛の空気にも通じています。「自分が○○という言葉で差別されたから、他の女性にとっても差別だ」というのは、エボラウイルスの治療経験だけを持ち出して、コロナ自粛に当てはめるコロナ脳医師と同じであり、自分の経験や知識が、普遍的なものだと勘違いしているのです。ここのコメント欄で、森喜朗氏の発言を、女性差別だと言っている人にもそういう傾向が見られます。 私は、理念関係なく、我執に囚われた人が差別を広める元凶だと考えています。
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小林よしのりチャンネル
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時浦さんが紹介していた、ケロ坊さんの意見を読んで「これだ!」と思いました。
道場でも「『わきまえている』という言葉が女性差別になる」、とありましたが、「わきまえる」とは普段使われる言葉であり、それに対して「差別だ!」と憤るのも、所詮はその人の主観でしかないのです。
差別や部落の問題にもよく似ていると思います。なんてことのない言葉が、「部落差別に繋がる」と言われ、発言や表現が極めて窮屈なものになっている現状と同じです。
合わせて、コロナ自粛の空気にも通じています。「自分が○○という言葉で差別されたから、他の女性にとっても差別だ」というのは、エボラウイルスの治療経験だけを持ち出して、コロナ自粛に当てはめるコロナ脳医師と同じであり、自分の経験や知識が、普遍的なものだと勘違いしているのです。ここのコメント欄で、森喜朗氏の発言を、女性差別だと言っている人にもそういう傾向が見られます。
私は、理念関係なく、我執に囚われた人が差別を広める元凶だと考えています。