>>294 <うさぎノート> あと一点、自分にとっての今後の検討ポイントを書き忘れていました(次の回のライジングコメント欄は、森発言のことがテーマになっているので、ここに書いておきます。もう誰も読まないか。) ・上(No.294)に記したように、直接死という点では、新型コロナの一年の死者はインフルエンザのそれを、見かけ上、上回る可能性がある。一方で、関連死についてはどうか。 ・インフルエンザに関しては、関連死(①直接死と②間接死の和)は、毎年おおよそ1万人ほどとされる。 ・一方、新型コロナに関しては、全報告数(速報値)として出されているのは、先のコメントにも記した通り、①直接死+②間接死+③コロナ死とは言えない死、の三種類を足したものである。全体における③の割合がどれくらいであるかは議論の余地があるが、仮に、埼玉県や福岡県の報告(福岡県:https://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/covid19-hassei.html#2)から推測すると、全報告数の20%前後を占める可能性がある。そうすると、新コロの一年の死者は6000人ほどと報告されたから、それから③を引けば、新コロの死者は1年で5000人くらいになる。 ・重要なポイントは、インフルエンザの年間1万人という数字は、超過死亡という特殊な計算方法によって出されたものであり、一方で、新型コロナのこの5000人という数字は、各県からあがってくる死亡診断書をデータとして出されたものである、ということ。算出方法が違うということ。 ・ただ、算出方法は違うけれども、どちらも、《新型コロナの症状だけで亡くなろうが、新型コロナと持病・基礎疾患のコンビネーションで亡くなろうが、とにかく新型コロナに関連して死んだ人の総数を示そうとする数字である》ため、大きく言えば、この新コロ死者5000人という数字と比較すべきは、「人口動態統計」に示されるインフル直接死の約3000人のほうではなく、超過死亡で出される年間1万人という数字のほうだということになる。 ・結論的に言えば、新型コロナとインフルエンザの死者数の比較は、直接死で行えば、新コロの方が見かけ上の数字は大きくなる。一方、関連死で行えば、『コロナ論』の最初の基本的主張のとおり、新コロの死者はインフルの死者の半分ていどということになり、新コロは相対的に弱い病気だということになる。 ・蛇足だが、今後、コロナ脳の人々は、仮に、新型コロナの国内死者はインフルの半分程度だということを認めても、そんなに低く済んだのは強力な感染対策を実施したおかげであり、それがなかったら新コロの死者はインフルの1万を超えて、5万、10万、20万になっていたかもしれない、と自己弁護するはずである。このコメント欄No251でTMNさまが記されたように、「国民の9割は我慢のした甲斐があったと皆で喜び合い、コロナ関連の錬金術はそのままで(ワクチン、PCR検査、理論疫学、マスク業者)失業者だけが泣き寝入りという未来」がやってくる可能性は高い、というか、もう既に来ている。 ・現に、西浦博などは、自分の予言によって人々の危機感を高めることができ、それによって感染対策が進み、あるていど感染数が抑えられ、結果として死者もこれくらいで済んだのだから、倒産とか自殺者とかDVとかの増加についてはとやかく言わず、自分のことを《人の命を救った英雄》として認めてほしい、と一般書『理論的学者・西浦博の挑戦:新型コロナからいのちを守れ!』を出版して、世間に必死にアピールしている。(彼の願いはかない、30年後、彼は京大の名誉教授になるだろう。おめでとう。) ・こうした、インチキな「未来」にどのように抵抗すべきか。基本的に、日本では過剰な対策を実施しなくても、最終的な年間のコロナ死者は、今の数字と大して変わらなかったはずだ、という主張を強化していくしかない。 ・ただし、感染対策がどれくらい有効であったか、必用であったかという点に関しては、小林先生を中心に集まる人々のコミュニティーにおいても、考え方にいくらか差異がある。そうした差異には、敬意を払う必要がある。 以上、ウサギのノートでした。
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>>294
<うさぎノート>
あと一点、自分にとっての今後の検討ポイントを書き忘れていました(次の回のライジングコメント欄は、森発言のことがテーマになっているので、ここに書いておきます。もう誰も読まないか。)
・上(No.294)に記したように、直接死という点では、新型コロナの一年の死者はインフルエンザのそれを、見かけ上、上回る可能性がある。一方で、関連死についてはどうか。
・インフルエンザに関しては、関連死(①直接死と②間接死の和)は、毎年おおよそ1万人ほどとされる。
・一方、新型コロナに関しては、全報告数(速報値)として出されているのは、先のコメントにも記した通り、①直接死+②間接死+③コロナ死とは言えない死、の三種類を足したものである。全体における③の割合がどれくらいであるかは議論の余地があるが、仮に、埼玉県や福岡県の報告(福岡県:https://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/covid19-hassei.html#2)から推測すると、全報告数の20%前後を占める可能性がある。そうすると、新コロの一年の死者は6000人ほどと報告されたから、それから③を引けば、新コロの死者は1年で5000人くらいになる。
・重要なポイントは、インフルエンザの年間1万人という数字は、超過死亡という特殊な計算方法によって出されたものであり、一方で、新型コロナのこの5000人という数字は、各県からあがってくる死亡診断書をデータとして出されたものである、ということ。算出方法が違うということ。
・ただ、算出方法は違うけれども、どちらも、《新型コロナの症状だけで亡くなろうが、新型コロナと持病・基礎疾患のコンビネーションで亡くなろうが、とにかく新型コロナに関連して死んだ人の総数を示そうとする数字である》ため、大きく言えば、この新コロ死者5000人という数字と比較すべきは、「人口動態統計」に示されるインフル直接死の約3000人のほうではなく、超過死亡で出される年間1万人という数字のほうだということになる。
・結論的に言えば、新型コロナとインフルエンザの死者数の比較は、直接死で行えば、新コロの方が見かけ上の数字は大きくなる。一方、関連死で行えば、『コロナ論』の最初の基本的主張のとおり、新コロの死者はインフルの死者の半分ていどということになり、新コロは相対的に弱い病気だということになる。
・蛇足だが、今後、コロナ脳の人々は、仮に、新型コロナの国内死者はインフルの半分程度だということを認めても、そんなに低く済んだのは強力な感染対策を実施したおかげであり、それがなかったら新コロの死者はインフルの1万を超えて、5万、10万、20万になっていたかもしれない、と自己弁護するはずである。このコメント欄No251でTMNさまが記されたように、「国民の9割は我慢のした甲斐があったと皆で喜び合い、コロナ関連の錬金術はそのままで(ワクチン、PCR検査、理論疫学、マスク業者)失業者だけが泣き寝入りという未来」がやってくる可能性は高い、というか、もう既に来ている。
・現に、西浦博などは、自分の予言によって人々の危機感を高めることができ、それによって感染対策が進み、あるていど感染数が抑えられ、結果として死者もこれくらいで済んだのだから、倒産とか自殺者とかDVとかの増加についてはとやかく言わず、自分のことを《人の命を救った英雄》として認めてほしい、と一般書『理論的学者・西浦博の挑戦:新型コロナからいのちを守れ!』を出版して、世間に必死にアピールしている。(彼の願いはかない、30年後、彼は京大の名誉教授になるだろう。おめでとう。)
・こうした、インチキな「未来」にどのように抵抗すべきか。基本的に、日本では過剰な対策を実施しなくても、最終的な年間のコロナ死者は、今の数字と大して変わらなかったはずだ、という主張を強化していくしかない。
・ただし、感染対策がどれくらい有効であったか、必用であったかという点に関しては、小林先生を中心に集まる人々のコミュニティーにおいても、考え方にいくらか差異がある。そうした差異には、敬意を払う必要がある。
以上、ウサギのノートでした。