第51号 2013.8.27発行
「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※作品自体の評価や存在意義、作家の情念や業、子供への影響、表現とイデオロギーの問題…今週の「ゴーマニズム宣言」は『はだしのゲン』閲覧制限問題に結論を出す!
※最高に笑えると大好評の「よしりんウィキ直し!」。今回は「『討論番組』『その他』編」!ここまで来るともう、百科事典どころか単なる「雑記帳」と化していた!どこからツッコめば良いのやら!?
※『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて、一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」。今回のお題はこちら!!みんなでお父ちゃまにツッコミ入れるぶぁい♪
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第53回「『はだしのゲン』を図書館に置く条件」
2. しゃべらせてクリ!・第13回「お父ちゃまに突っ込もう!の巻」
3. よしりんウィキ直し!・第4回「『討論番組』『その他』編」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 読者から寄せられた感想・ご要望など
7. 編集後記
第53回「『はだしのゲン』を図書館に置く条件」
松江市の教育委員会が市立小中学校図書館に蔵書している漫画『はだしのゲン』を、倉庫などにしまって閲覧に制限をかける「閉架」扱いにするよう指示したことが大きな話題となっている。
新聞各紙の論調は、「閲覧制限はすぐ撤回を」(8月20日付朝日新聞)、「戦争知る貴重な作品だ」(同日付毎日新聞)、「彼に平和を教わった」(21日付東京新聞)といった調子で、『ゲン』を高く評価した上で、市教委の指示を批判するものが大多数を占めている。
そんな中で、産経新聞は8月22日付の阿比留瑠比記者の記事で『はだしのゲン』について「『閉架』措置うんぬん以前に、小中学校に常備すべき本だとはとても思えない」と非難し、その理由を以下のように挙げている。
「ゲン」では何ら根拠も示さず旧日本軍の「蛮行」が「これでもか」というほど語られる。
「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」…。
特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる。
「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」
なるほど。無茶苦茶な嘘を描いていたんだな。
わしは『はだしのゲン』は「ジャンプ」連載中に読んでいたが、こんなシーンは全く覚えてない。
『はだしのゲン』は「週刊少年ジャンプ」昭和48年(1973)6月25日号から連載が始まった。既に読者アンケートによる人気投票至上主義が導入され、不人気作品は即打ち切りというシステムとなっていた同誌において、『ゲン』は一定の支持はあったものの決して人気作ではなかった。
しかし「アンケート至上主義」を導入した張本人である初代編集長・長野規(ただす)がこの作品を気に入り、人気に関わりなく連載を続けさせたのである。
連載は1年3カ月続いたが、『ゲン』を守っていたのは長野編集長だけだったようで、長野が編集部を離れると連載も終了となる。しかも集英社がその内容にクレームがつくことを恐れて単行本化を躊躇したため、単行本は汐文社という小出版社から発行された。
『はだしのゲン』の連載は1年後左派言論誌「市民」で再開されたが、同誌の休刊で再度中断。さらに1年後、日本共産党の機関誌「文化評論」に連載の場を移すが、原水爆禁止運動における共産党と被爆当事者の対立等の政治的混乱の煽りで打ち切られ、2年のブランクを経て日教組機関誌「教育評論」で連載が続行された。
単行本は全10巻で、そのうち第4巻までがジャンプに連載された分である。
そんな経緯があるので、おそらくジャンプを離れた後の『ゲン』は掲載誌に合わせて、共産党や日教組のプロパガンダ色が強くなり、上記のようなシーンも産まれたのだろうとわしは漠然と考えていた。
ところがスタッフの時浦が今回、全巻を確認して、レポートを出してくれたのだが、作者・中沢啓治は掲載誌に合わせて作風を変えるようなことはしていないという。ジャンプだろうが、共産党や日教組の機関誌だろうが、ほとんど同じ調子で描いていたというのだ。
反戦主義者であるゲンの父親は、ジャンプ連載第1回から「軍部のやつらが金持ちにあやつられ 武力で資源をとるため かってに戦争をはじめてわしらをまきこんでしまったんだ」と言い、その後も「悪いのは軍部・資本家で庶民は被害者」「ただし騙されて戦争に協力する庶民も共犯」「職業軍人は単なる人殺し」といった紋切り型の反戦思想の発言を繰り返している。
天皇批判的なセリフも最初から何度も登場しており、「朝鮮人強制連行」も当たり前の事実として語られているという。
そんなのを「週刊少年ジャンプ」で連載していたことが驚きだし、集英社が単行本化を躊躇したのも無理はない……と言いたいところだが、わしには『はだしのゲン』にそんなセリフがあったという印象が全然ない。
原爆投下直後の広島の地獄絵図の光景、皮膚が溶けて垂れさがったまま歩きまわる人々、全身にガラスの破片がつきささっている人、至るところにでき上がる死体の山、川に浮かんだ死体が腐敗してガスが溜まって腹が膨らみ、その腹が破れてガスが噴き出す場面などは鮮烈に覚えている。
戦後になり、飢えに苦しむ中、本人には何の落ち度もない被爆者が差別され、迫害されていく、人の心の酷薄さの描写も印象に強い。
そして戦後の混乱期の中、逆境に負けずにたくましく生き抜こうとするゲンたちの姿も心に残っている。
ところが、天皇批判のセリフとか、軍部や資本家批判のセリフとかは、一切覚えていないのである。
『はだしのゲン』は小学1年の時に広島で被爆した中沢啓治の自伝的漫画だが、中沢は最初から原爆漫画を描こうとして漫画家になったわけではない。むしろ差別を恐れて被爆者であることも公言せず、普通の娯楽作品を描いており、怪獣映画のコミカライズも手掛けている。
転機となったのは母親が死んで火葬した際、骨が残らなかったことだった。放射性物質の影響で骨がスカスカになっていたらしく、小さな骨の破片が点々としていただけだったという。
この衝撃に「ものすごい怒りが込み上げてきた」という中沢はそれ以来、「母の弔い合戦のつもりで」原爆をテーマにした短編を次々発表し、やがてそれが長野編集長の目に止まり、『はだしのゲン』の連載へとつながったのである。
つまり『はだしのゲン』は中沢啓治が作家として、どうしても描かずにはおれなかった「業」が叩き込まれた作品なのだ。
中沢は自分の思いを完全に伝えるため、週刊連載の間もアシスタントを一切使わず、一人で描き上げたという。
だからこそ、中沢自身が体験した被爆直後の惨状や、被爆者差別の過酷さの描写は決して他の誰にも描けない、魂の込められたものとなっており、読んでから40年も経つわしの記憶にもはっきり残っている。
ところが、「天皇が戦争を始めた」だの「天皇が戦争を終わらせなかったから原爆を落とされた」だのということが中沢に実感としてあるわけがなく(しかも事実として間違ってるし)、これは単にイデオロギーでしかない。
本人は原爆にも、天皇にも、同じように怒りをぶつけて描いたつもりだったろうが、この二つは決定的に違う。それは普通の読者なら無意識のうちに見抜いてしまうものである。
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コメント
みなぼん配信お疲れ様、そしてありがとうございます。
二番乗りでくやしい~
これから読もうと思いましたが、
明日が早くから仕事ですので
明日以降の楽しみに取っておきます
では、おやすみなさい
先生のタイピング…おま俺ですね。どう考えても私のことです(^^; いやー、いつも以上に親近感湧いてしまうなぁ。Enterを激しく叩くのは正義だと思う! …あ、異論は認めます(´・ω・`)
今週の配信もありがとうございました!
小林先生とトッキーさんのはだしのゲンの読み方は
印象に残る表現、残らない表現や
だんだんつまらなくなって読まなくなってしまう事など
全く同意しまくりの丁寧な分析だと思いました。
小林先生の本が図書館におかれても日教組教師が焚書するでしょうし
そうなってもマスコミもスルーするような気がしますが
寄付とかって気軽にできるものなのでしょうかね?
もしそうならしてみたいですが。
前号のコメント覧で、風立ちぬのラストシーンは
「来て」が本当のセリフだったと書き込んでる方が居て
ものすごく腑に落ちました。
テーマから言えばそうじゃなければおかしいですよね。
そうなっていたら個人的にはDVD買ってマイコレクションに加えていたはずですが
「生きて」の方がやはり大衆にとっては安心できるラブロマンスになるってかんじで
やっぱり駿がヘタレたんじゃないかと思いますが
違うんでしょうか?
小林先生だったらどういう風にお作りになるのか
どう考察するのか
早く小林先生の体系的な風立ちぬ評を伺いたいですね。
図書館に戦争論、天皇論シリーズを一緒に置くというのは賛成です。たくさんの子供達に読んでもらいたいですね。
配信おつかれさまです&ありがとうございます。
今回先生が提示された「解決策」、その成功例がここにいます!(*´∀`)ノ
『はだしのゲン』には小学生の頃に出会い、何度も読み返しました。
書いてある内容をまるまる信じ込み、反戦・反軍・反天皇にかぶれていた少年時代…ああ、恥ずかしい。
見方を180°変えるきっかけになったは、まさにゴー宣の慰安婦論争~戦争論を読んだことでした!
ただし、天皇や大東亜戦争についての見方が変わっても、『はだしのゲン』を嫌いになることはありませんでした。今でも大好きなマンガの一つです。
作者が実際に体験した地獄の光景の凄まじさ(1~2巻、以後回想で複数回)は一生忘れません。アシスタントを雇わずに描いていたとは知りませんでした。中沢が凄まじい形相で描いていたのを想像します…鬼のような。
さらに、日本人が被爆者を(兄弟でさえも!)差別している様子を描いた部分(3巻)は、人の心に潜む残酷さを見せつけられた思いで、今でも強く印象に残っています。
原爆投下の日(父、姉、弟の命日)に生まれた妹、主人公と母親にとっては希望の象徴であったはずの幼子が、わずか2年で死ぬ。
顔に火傷を負った女性が、新たな生き甲斐を見出す。
地獄を生き延びた少年が、野球に打ち込む。
自分の境遇を受け入れて新たな人生を歩み出そうとする彼らをも、何年も経った後に病魔が襲う。
何度も打ちひしがれながらも立ち上がり、主人公は夢の実現を目指す。
こんなに壮絶で、残酷な運命の中にも希望を見出そうとする人たちのドラマが目に入らず、やれ残酷描写だの、反天皇のイデオロギーはケシカラン、だのと言っているんだから、イデオロギーで目がくらむということは恐ろしい、そして勿体ないことだと思います。
宇野氏の『風たちぬ』に対する評論とまったく同じですね。
作品はゲンが画家になるために東京へ旅立つところで終わりますね。
ただ、最後のコマには「第一部 完」。
東京へ出たゲンが、「広島から来た」という理由で差別を受ける。そこでの闘いを描く、という構想を中沢が抱いていたと、何かで読んだことがあります。もし絶筆していなければ、また5~10巻とは違うドラマを読めたのかな~思っており、その点が残念ではあります。
俺ってば、今でこそ品行方正なナイスガイであるのですが、ガキンチョの頃は偏屈小僧であった為、学校の図書室に置いてある数少ないマンガに喜々として群がる連中を馬鹿にしていて、学校に置かれるマンガなんざダセェと思っていたせいか、ゴー宣が学校の図書室に置かれることに抵抗があったのですが、今号のゴー宣とQ&Aの回答を読んで、考え込んでしまいました。
シビアに現実的なことを考えれば、出版不況で本屋に読むべき名著が並ばない時代が来てしまっている今、やはりゴー宣も学校の図書室に置くべきなのかもしれませんね。
街に出て、書を読もうぜ、チルドレン共…。
書を探し歩いて、買い歩こうぜ、アンファンテリブル…。
つて、俺は盆休みに街に出て、名著を購入してこましましたよ。
「女性天皇の時代」という名著を!!
物語を読むようにサクサク読めて、げっつい面白かったっす。
歴代の女性天皇がなされた業績が現代日本の礎になっていることに思いを致し、再び女性天皇の時代が到来するように道を拓くべきだと、マジ思いました。
そうしたら、日本の歴史の一大転換期に立ち会えるんだぜ、ベイベー!!
それって、マジすげくね?
いつまでも北京原人みたいな顔をして、男尊女卑に脳髄を冒されているなんて、超ヤベ―じゃーん!!
と、前髪クネ男(勝地涼)みたいに腰をクネクネ振りながら思いました。
イデオロギーに囚われて創作者の作品を見たくはないものです。
薄甘く純粋だと安易なイデオロギーに囚われてしまい易いのかもしれませんね。
少し偏屈の方がいい。
少しズレてる方がいい。
そうすれば男のロマンも女のロマンも感じられるのかもしれないなぁなどと、先週の土曜、劇場で「風立ちぬ」を観て滂沱たる涙を流しながら思いました。
誰も救えず、世界を破滅させてしまうかもしれないが創作を続ける業(ロマン)…。
『はだしのゲン』は小学生の頃に図書館で読んだけど、皮膚が溶けた人々の姿とか、真夏の日射しに関わらず寒い寒いと訴える被爆者にトタン板?をかぶせるシーンしか覚えてないなあ。
ゲンが戦争責任云々を語るシーンなんて全く記憶にないし、あったんだと今聞かされても違和感しかない。
子供ながらに込められた業の差を感じ取っていたということだろうか?
今週も配信お疲れ様です。
はだしのゲンは私も小学校で読みました。その中で印象的だったのは、やはり原爆投下後の地獄絵図ですね。その後の厳しい生活も記憶に残っています。
でも、戦争や天皇を否定している部分は、ゲンの父親を除いてはあんまり記憶にないですね。これらの描写が特に多いのが終盤とのことですが、私はそこらへんは読んでないので当然なのかもしれません。
はだしのゲンはイデオロギーうんぬんを度外視しても、単純に漫画として衝撃的な作品です。でも、間違ったことも書いてあるならば、それを『戦争論』『天皇論』の「理」で相殺するというのはいい考えですね。
人間は「理(物事の正しい筋道や真実)」と「情(理や善悪だけでは語りきれないもの)」のバランスが良くないと、
サヨクやネトウヨになってしまうんでしょうね。
この2冊は「理」だけではなく、国のために戦って亡くなった英霊や皇室への「情」もわいてくるので一石二鳥ですね。
「はだしのゲン」は、小学生の頃父親に読まさせられました。
またその頃、夏休みに姉妹だけで映画に行かされ、何も知らない私たちは喜んだのですが「ピカドン」という原爆投下のアニメで、悲惨な内容に大変な衝撃を受けました。(タイトルからピカドンという雷様のキャラクターが出てくると勝手に思っていたから余計に)
その他修学旅行では長崎の原爆資料館に行き、帰りのバスでガイドさんから永井博士の話を聞き涙したものです。
このように私は原爆の恐ろしさを知る機会が色々とありましたが、今の子供は少ないように思います。
だから「はだしのゲン」は原爆の残酷さを知ることができるので、読んだほうがいいと思います。ゲンのお姉さんが泥棒と疑われ、学校の先生に裸にさせられ身体検査された場面など、なんだこれは~と思うところは多々ありますが、原爆の恐怖、悲惨さの表現ではピカイチだと思います。
そして重要なのが、「戦争論」「昭和天皇論」などを合わせて読むことですね。
私が子供の頃見知った原爆についての作品や話では、殆どがその悲惨さや戦争のむごさばかりが強調され、「何故日本に投下されたか」という背景については語られず、私の中には内に籠った「恐怖」「悲惨さ」しか残ってませんでした。
ところが大人になり「戦争論」を読んで原爆投下にまつわる歴史を知り、「恐怖」「悲惨さ」だけの暗い感情から前に進む?ような気持ちが芽生えたのです。
原爆投下の事実があまりにもむごいからこそ、それと同時に正しい歴史も学び「ではどうするか」と考えられるようにならなければいけません。よしりん先生の情熱と温かさのこもった作品を是非読んで欲しいです。
今週も配信有り難うございます!大感謝です!!
特に「学校図書館」はイデオロギー(特にサヨク)が作用し易いと感じます。
児童生徒が全ての蔵書を読める筈もなく、全ての児童生徒が図書館を利用するわけでもない。
むしろ、積極的に図書館を利用するのは少数派というのが現実でしょう。
それだけに「学校図書館」はオトナのコレクション倉庫的になり易い。
読ませたくないものは閉架どころか蔵書にもないことが普通です。
中学、高校時代(30年以上前)に「学校の図書館に防衛白書を置くべきだ」と戦ったことを思い出しました。
「はだしのゲン」は僕も、中学の図書室で(おそらく)全巻読んでいます。しかしよしりんの言う通り、ラストはあんまり印象に残っていません。激烈に印象に残っているのは、やはり空襲や原爆投下にまつわるシーンでしょう。
残酷な描写が問題だと言いますが、「残酷でなければ絶対に伝わらない」テーマもまた、存在すると思います。その意味で、本当に「残酷だ」と指摘されるべきは、原爆投下とその後の惨禍であるはずです。ところが今回の騒動では、原爆を正面切って批判する論調は見られません。「残酷だ」と主張する人達は、無意識のうちに「原爆投下は必要だった」という、それこそ紋切り型の戦後サヨク思想に、侵されているだけではないでしょうか。
表現物からイデオロギーを見つけようとしている、という指摘はすごく重要だと思います。僕自身、アニメや漫画、映画を見ていて、面白さと同時に、制作側の誰かのイデオロギーを見つけてしまい、それが気になってその後見る気が失せる、という経験があります。しかし、本当に面白い作品は、そのような「イデオロギー仕分け」を超越した作品であると思います。
深夜の配信お疲れ様です。今回はまず訂正&補足から。
質問コーナーで「(はだしのゲンの件で松江市にクレームつけた高知のネトウヨが)島根県や松江市に一銭の税金も納めてないクセに」とよしりん先生に聞きましたが、のちに朝日新聞デジタルにこのネトウヨに取材した記事が出てそれによると「去年秋頃まで松江に住んでいて抗議したのはその頃。その後転居した高知でも高知県や高知市に同様の抗議をした」とのことです。ここに訂正&補足させていただきます。
それにしてもこのネトウヨ、高知県・高知市にも同じことやってたんですね。朝日の記事によると高知県も高知市も速攻で却下したそうですが。また高知県外では紙面が読めない高知新聞の取材は拒否して全国紙の朝日の取材を受けているのも、なんか別の変な狙いを感じてしまいますが。
では本題です。私も「はだしのゲン」は小学生の時に読みましたし映画も見ましたが、天皇に対するイデオロギーとかはまったく憶えてないですね。sigma10さんと同様で被爆直後の地獄絵図(皮膚が溶けていながら歩いている・ガラスの破片が全身に刺さっている・広島市内の至るところにある遺体や遺骨の山etc・・・)の描写が強烈過ぎてそっちまで考えてる場合じゃなかったからだと思いますが。
「はだしのゲン」と「戦争論」等を並べておくというのは大賛成です。高校生の頃に「バランスの取れた考え方を持つには産経新聞と赤旗を併読するのが良い」という話を何かの本で見たことがあり、その後入った兵庫県の大学では図書館に行くと置いてある兵庫県内の一般紙6紙(全国紙4紙と産経・神戸新聞)をすべて読むようにしていましたし、今でも外出先やネットで一般紙を全部読むようにしています。おかげさまでサヨクやネトウヨのような偏った考えを持つこともなく「いいものはいい。悪いものは悪い」という考え方ができているように思えます(すいません自画自賛でm(_ _)m)
やはり情報というものはいくつか見比べてから判断していかないとダメですね。そのためにも複数の情報源から話を聞くというのは大事だと思います。
キタね。新生チーム4。「キャプテンみぃちゃんが研究生を引き連れて復活」って、
いつぞやのニコ生で、よしりん先生が仰っていた予言通りになりましたね。
新聞にも一面広告が掲載されたし。
これで本店のキャプは全員、秋元チームK出身だ。
「ビス、チームAキャプなんだから他の本店キャプや支店キャプに負けるなよ」と思ふ今日この頃。
こんにちは!今週も楽しく読ませていただきました。ゴー宣にはすごく共感しました。
私は子供のころ、いとこの家にあった「はだしのゲン」を読みました。よしりん先生とまったく同じく、原爆の被害の悲惨さや差別のこと等はよく覚えていますが、天皇批判云々はまったく覚えていません。
「イデオロギーの容器」というのは、本当にその通りだと思います。作品の本質を読み取るということが、根本的になされていないと思います。いわゆる秀才はイデオロギーのフィルターを通して読むんでしょうね。でも、子供や庶民はちがいます。作品そのものを純粋に楽しみます。
サザンオールスターズの「ピースとハイライト」について、何かのネットのニュースで、政治色が強い作品だ、みたいなことが書いてありましたが、純粋に音楽・歌として聞けば、シンプルに愛と希望を叫んでいる歌で、心に響くのはそこですよ。サザン復帰という明るいニュースと相まって、元気と力強さをただただかっこいいと、私は感じました。
映画や音楽、本などをイデオロギーで評価するだけで、その作品の本質が読み取られ正当に評価されるということが少なくなってきているように思います。
「戦争論」や「天皇論」と並べて置くというのは、もう大賛成ですよ!しかし「戦争論」や「天皇論」の影響力の強さは、「はだしのゲン」の比ではないと、自ら読んで強い影響を受けた一読者として断言いたします!!
配信お疲れさまです。
裸足のゲンは皆さんが言うとおり
原爆の描写しか記憶にないです。
あとは米兵とか。
風立ちぬは面白かったです。
困難な時代に生きたエンジニアの物語として感動したし、表現された純粋さはやっぱりファンタジーでした。
イデオロギーより庵野秀明の声をどう感じるかの方が(笑)
私は途中からむしろハマりだして楽しめました。
私は音楽をやってますが、完全にイデオロギーから自由な表現はあり得ない、という立場です。例えば男女の色恋を描いたラブソングでさえ、何らかのイデオロギーからは逃れられないのは表現者としては自明のことです。かといって、表現者の動機が「何らかのイデオロギーを流布させるため」というものになった時、それは特定の政治勢力から利用されるきっかけを作ってしまうのではないのか、ということを感じています。
表現者は何も、特定の政治思想に与するために表現をやっているわけではなく、「自分の内なる情動」を音楽や映画や文学として世に送ることをしていて、それがよしりん先生の言うところの「業」というものです。ただし、表現者が日々生きて行く上で起こったことや、あるいは学校や社会で感じたことなどの蓄積によって何らかの「イデオロギー的な立場」みたいなものができてしまう場合があり、それが表現となった場合、イデオロギーにどっぷりと浸かった人から見ると「あいつ(表現者)の表現物(音楽や文学や映画)は思想的に偏っている」みたいな見方になってしまうのかな?とも思います。
「風立ちぬ」にせよ、「はだしのゲン」にせよ大東亜戦争と敗戦という事実を扱っているので、その事実に対する作者の「イデオロギー的な立場」ができていて、それを外野の人間が「危険思想だ」とか「いや、これは戦前を否定する素晴らしい考えだ」と言ってその「イデオロギー的な立場」を勝手に拡大解釈してるきらいがあると思うのですが…。
戦争について語ることに、日本人は慣れていないし、戦後きちんとした戦争論が文字通りよしりん先生の『戦争論』まではなかったので、戦争をテーマにする表現がイデオロギーどっぷりの立場から揚げ足を取られるという繰り返しが続く状況がこの国ではあるのではないのかな?と思ってしまいます。
はだしのゲンは小学校の図書館にありましたが、まんが大好きの自分が気持ち悪いと本能的に手に取らなかったのは何なんでしょう!?なので、友人が読んでいるのを横目で見て、「なんとなく気色悪い絵が書いてある本やなー」くらいで、中身については全く知りませんでした。
自称ホシュ派は実は左翼の一派なので、昔左翼がしていたことと同じように閲覧制限をさせようとしたのでしょう。ここでも中国好き左翼とアメリカ好き左翼の根っこが同じだと証明されました。
前号の雷神宮歌会のテーマ、カレーの和歌が面白かったので、感想を述べさせていただきます。
くにさんの和歌はカレー食べて、汗ふいて、またカレー食べて、汗ふいて、といった光景が浮かんで可笑しかったです。
magomeさんの句は外来の料理であるはずのカレーがあらゆる手段で日本化されてゆく、日本文化の奥深さを感じさせるものでした。
na85さんの和歌はカレーがパワーを呼び起こす料理だということに気づかされます。
そして、僕の一番好きな和歌はmayuさんの和歌です。「ぼく」は彼女と付き合って間もないのかなと思うくらい初々しいです。なんだか、くすぐったくて甘酸っぱいのがイイ!!それと「ごめんねカレー」って、AKBの歌でありそうなところもイイです。
最後にサブテーマ、せんべいで…。
せんべいのカス扇風機で転がされ床に落ちるさま、じっと眺める
「はだしのゲン」についての話、大変興味深く読みました。まずあの作品がジャンプ連載だったのが驚きです。
私も多くの人と同じで、小学校の図書館で最初の何巻かを読み、最終巻までは読んでいない、やはり印象に残っているのは原爆の悲惨さ、言われなき差別に対する怒り、でした。
後に、あの作品には日本軍のやってもない蛮行や天皇の戦争責任が描かれてるのだ、ということを情報として知った記憶があります。そして日本軍のや天皇批判については全く印象に残ってないのです。
どうしようもない「業」につき動かされて描かれた作品、だからその部分においては随分昔に読んだにも関わらず脳裏に焼き付いてるんだなと感じました。
そして、ようやく「女性天皇の時代」を読むことができました。なかなか手に入れられなかったんですよー。
私は山岸涼子の「日出処の天子」や里中真智子の「天上の虹」を読んでましたので、美少年の厩戸皇子や美男美女の天武天皇と持統天皇がどうしても思い浮んでしまうのですが、それらの漫画も思い出しながら楽しく読めました。
古代の女性天皇については書物でも、物語にも取り上げらるのである程度は知ってたのですが、近代の女性天皇については全く知りませんでした。そして「日本社会はもともと男性優位ではなかった」「シナの影響を受け男尊女卑にならざるをえなかった」こともよくわかりました。現在の国情を考えても、皇室の歴史を考えても、女性天皇や女系天皇を認めるのが正しいとしか思えません。
みなぼん編集長配信お疲れ様でした(^^)
はだしのゲン問題に対する妙案がすごい‼
よしりん先生流石です。
私もはだしのゲンは、戦争の悲惨さやアメリカに対する憎しみを忘れないように必要だと思います。
そして、それ以上に一家に一セットゴー宣シリーズです。
トッキーさん、ツイッターいつもチェックしてます。頑張って下さい(^-^)/
イデオロギーに支配されると、作品そのものの評価も変わってしまうていうのは、先週の『風立ちぬ』に続き、まさにその通りですね。この騒動を知った時、最初に思い出したの、皮膚垂れ下がって歩く人たちの絵です。あの絵を書ける『業』は凄まじいですよ。20年ほど前に一読しただけですが、未だ脳裏に焼き付いてます。昔見た雑誌で、60年代に活躍した芸術家(確かミュージシャン)の奥様のインタビューがあり、記者が『あなたの旦那の作品は素晴らしい、だがドラッグをやってたのは許せない」とブッ込んだら奥様が『あなたは悪魔と契約してまで、作品を作りたくない人なのね』とサラリと返してたことを、思い出した今回のライジングでした。
岸端編集長、お忙しい中、夜分遅くの配信、本当にお疲れ様でした。小林師範、時浦師範代、前回のライジングで二つもの投稿をブログで取り上げてくれて本当にありがとうございました。私にとってこの上なく、感激した最高の気分でした。例え、ライジングで岸端編集長は感想を述べなくとも、よしりん企画の方々および師範方がそれぞれの視点で、投稿を読んでいるのだと解って、これからもますます、投稿内容に思考力を注いで奥の深いコメントをしようと思いました。これからも決して、自惚れることなく、気を引き締めてライジングの道場生や師範、師範代とともに気を引き締めて思考を高めていこうと思います。
今回のライジングで「はだしのゲン」について、私も「はだしのゲン」は幼少のころに全巻を読んだ記録があり、その時に初めて広島、長崎への原子爆弾投下と原子爆弾の恐ろしさについて知りました。私は当時としては珍しく大東亜戦争時の日米の軍艦や戦闘機に夢中になっていて、それが戦争賛美へと繋がるのではと危惧した母親がこの本を読ませてくれたことを覚えています。最も印象に残っているのは家の下敷きになり、生きながらにして焼け死ぬ父、姉、弟、そして後日、焼け跡から掘り出される三人の遺骨と弟が大切にしていた軍艦の模型の残骸。腸を垂らしながらも歩き、水を求める被爆者の姿は祖母から聞かされた東京大空襲の体験談と重なりましたし、水を求めては水を飲んで死ぬ被爆者、そして治療のために人骨の粉を皮膚に塗るか飲む被爆者の場面は今でも頭から離れません。
そして、米兵に婦女暴行の被害を受けながらも生きなければならない女性被爆者や原爆症で次々と死んでゆくゲンの仲間、母、妹。原爆によって片目が失明し、手足も使えず、全身包帯で覆われるほどの重傷を負いながらも口に筆を加えてまで、原爆の惨状を記録に残そうと絵を描く画家。最後に東京に向かうゲンとゲンの回想にでてくるゲンの父親の「踏まれれば踏まれるほど強くなる麦のようになれ」という内容の台詞とともに終わる最終の場面が後半部分で一番印象に残っている場面でした。
当時は巻末に「第一部完」と記されていたので「第二部」の連載を待ち望んでいたのを覚えています。それからしばらくして私の周囲では「はだしのゲン」について話題には上りませんでした。しかし、「はだしのゲン」の内容は長崎の原爆資料館を訪れる時に大いに参考になったのを覚えています。原爆によって変形したガラス瓶や焼け焦げたレンガ、そして被爆した人々や馬、そして遺体の写真は「はだしのゲン」に描かれている以上に悲惨だったのを覚えています。また、原爆によるケロイドを模った人体模型は初めて、兵器の恐ろしさを教えてくれましたが、これも「はだしのゲン」を予め読んでいたからすんなりと学習することが出来たのだと思います。
所が、問題となった場面は私の知る限り、つい最近まで全くと言っていいほど覚えていませんでした。当時は幼少で政治的なことに関心が薄かったとはいえ、天皇陛下については今ほどではないにしろ、知っていましたので、名場面であるならば覚えているはずなのですが、全くと言っていいほど記録にありません。しかし、これら「反日、反天皇」とされる場面を再び目にするようになる日が最近になって訪れたのです。それは嫌韓騒動が始まった21世紀になってからのことです。それまではネットでは2chなどの匿名掲示板は今ほど、充実はしておらず、「はだしのゲン」の評価も「反日、親日ではなく、原爆による被爆という残酷な運命に晒されても逞しく生きていく若者たち」という評価が「はだしのゲン」のファンのHPを中心に大半を占めていました。しかし、日韓ワールドカップ直後の嫌韓騒動が盛んになってくると漫画でも韓国、北朝鮮の主張を鵜呑みにしているとされる漫画がネットで盛んに取り上げられ、「はだしのゲン」も朝鮮人強制連行について取り上げていたことから、この場面を筆頭に「はだしのゲン」の「反日、反天皇」の場面が盛んに取り上げられたのです。
試しに「『はだしのゲン』に見る朝鮮人」と検索してみますと、今回問題となった場面を取り上げたHPに連続して当たります。また、「『はだしのゲン』回覧制限」の問題の発端が嫌韓国、嫌朝鮮で動いている在特会の運動であることからも、この事態は解りやすいと思います。
また、ネットで嫌韓、嫌中運動が盛んなころに、この運動に合わせるかのように、「反日漫画の世界」という本が出版されます。この本では「はだしのゲン」のほかに、「反日、反天皇、親韓、親中」と見なされる漫画家とその作品がやり玉に挙げられ、この本でも今回問題となった場面が取り上げられています。
要するに、今回の問題は「はだしのゲン」をちゃんと、読んで思考した人々が起こした問題なのではなく、ネット上で発生した嫌韓運動の延長線上にあるとしか私は思えないのです。もし、違うのであれば、手塚治虫氏の「アドルフに告ぐ」や時浦師範代も指摘していた「タイガーランド」そして村上もとか氏の「龍 ron」も槍玉にあげられるはずです。しかし、そのようなことがないのは、嫌韓運動の一環である「反日漫画の世界」という著作で取り上げられなかったからにほかなりません。
もし、これで「はだしのゲン」の騒動に終れば、次は間違いなく、「美味しんぼ」の作者である雁屋哲にその矛先が向うのではと思えてなりません。なぜなら、雁屋氏は代表作、「美味しんぼ」で盛んに韓国や中国について好意的に取り上げ、「反天皇」の著作まで出しているからです。これは「はだしのゲン」と見事に一致します。また、嫌韓派のHPでも盛んに雁屋氏と雁屋氏の著作である「美味しんぼ」が取り上げられています。「美味しんぼの嘘を暴け」と検索すればそのHPがすぐ見つかり、嫌韓運動の的となっています。「美味しんぼ」もその発行部数と内容から、著者である雁屋氏の「業」が出した名作であり、氏の近現代史観や食文化を始めとする文化に対する視点に違いはあるものの、その内容は「はだしのゲン」や「風立ちぬ」と同じく後世に残すべき名作であると、その知名度からして証明されているものと思います。
これらが私怨に塗れた運動の犠牲になること自体、恐らく、一般常識を持った庶民も後世の人々も日本が日本であり続ける限り、納得しないと思います。この「はだしのゲン」の騒動といい、「ヤングマガジン葛西智美写真集」の騒動と言い、一般常識という我が國の価値観がイデオロギーという西洋の毒害によって破壊されつつあることになぜに、皆、気が付かないのでしょうか?
作品を楽しんで、時には思考するというこれまで、当たり前にしてきた作品の楽しみ方ができない以上、これからは名作が生まれる条件がますます厳しくなり、時には不可能という事態に陥ってしまうと思います。そうなってしまうと、我々はTPPによって著作権の規制が厳しく制限されても、その制限を打ち破ってまで守りたい作品に恵まれずについにはこれまで築き上げてきた全ての作品が「はだしのゲン」の騒動のように闇に葬り去りかねません。
「はだしのゲン」の騒動に加担した人々は紛れもなく、TPPによって支配された将来の日本人の姿です。
「戦争論」「天皇論」「昭和天皇論」を「はだしのゲン」と同じ場所に、図書館で並べるのに賛成です。しかし、原爆について悲惨さを教える一方で原発をいまだに賛美している文科省の姿勢にはいまだに頭を傾げます。もし、「はだしのゲン」と同じ棚に小林師範の著作を並べるならば、私は「戦争論」、「天皇論」とともに「脱・原発論」「国防論」「差別論」を並べます。なぜなら、「はだしのゲン」に取り上げられている主題には戦争、原子力、国防、差別の四つが含まれていて、これらを主題から排除することは絶対にできないからなのです。
時浦師範代、今週もwiki直しお疲れ様です。新天皇論の欄もひどい残場で、私も小林師範の著作を主題に論争するときはwikipediaをまず使いません。また、使用した人は決まって無能な人であることが論争仲間では暗黙の了解となっています。
本日も長文失礼しました。次回のライジングが発表されるまでは、ここの皆様との意見のやり取りに従事いたしますのでよろしくお願いいたします。
なるべく早急に次の女を探す。
ギラギラ、してます
配信お疲れ様です。
前回と今回のゴー宣を読んでみて自分が真っ先に思い浮かべたのは、今年の大河ドラマの「八重の桜」です。なぜ、会津戦争が起こったのかを事細かに書き(この作品の小泉孝太郎の徳川慶喜は最高です)、そして会津戦争が起こってからも当時の価値観を大事にして「物語としての戦争」を描いています。近年の大河ドラマにあったような現代的価値観の人間はこの作品には出てきません。そして、主人公は自ら銃を使って人を殺めます(歴代大河でもここまで直接手を下した主人公はいない)。この作品を右派左派問わず、イデオロギーでしか見られない人はどんな作品を見ても駄目でしょう。ちゃんと見ていれば、会津の尊皇の心は何よりも深く、戦争の残酷さ、敗者の悲哀と正義というものはきちんと伝わります。
追伸 中吊り情報ですが文春が「味噌製造所」をネタにするそうです。もうこの雑誌と書き込んだ連中は「ツイッター大炎上の写真投稿者」レベルです。
どうも、目隠し(変態)です。
はだしのゲンは小学校の頃にアニメで見ました。
ひどい症状がショックだったのを覚えてます。
当時は保守も左翼もわからなかったので、
普通に見れてましたが、今だったら、
やっぱり、左翼っぽい所は気になると思います。
でも、子供の頃は普通に見れてましたし、
ショックも含めて面白かったと思います。
僕、鈴木邦男さんが大好きなんです。
賛成できない主張もあるけど、
鈴木邦男さんから学べる事ってあると思うんです。
左翼っぽいからでシャットアウトしてしまっては、
何も得られないと思うんです。
はだしのゲンで言うと、作品の面白さを得られませんよね。
しかし、wikipediaってひどいですね。
毎週、時浦さんのコーナーを見ていると逆に感心します。
ここまでひどく間違った情報を書けるんですね。
あと、メルバさんすごい!僕にはとてもまねできない!
おめでとうございます!
daiさんが数々の作品を発表してきたとは・・・
今後も作品の製作作業、頑張ってください!
自分としては、パール真論も図書館もとい図書室に置くべきと思います。
松江市に抗議をした団体(チーム関西・在特会系)が収めた動画にも戦争論を置けと言ってますね。5月の時点ですが。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17719567
ただ、果たして左翼がそう易々と先生の著作を置くものなのかと思います。
置けば彼らの『敗北』でしょう。
それでも学校図書館でゲンを置くかどうか決める時に教委の稟議に掛けると言いますから、戦争論を置く際にもやはり、教委に戦争論を置くように働きかけなくてはなりませんね。
実際、自分が15年前の高3の時に戦争論を置くように高校の図書室の先生に働きかけようとしましたが(ゲンは全巻置いてあります)、それが叶わずにSPA!で連載されていた時のゴー宣第一巻のみが置かれるだけでした。
なんだかケチくせーなーと思いました。これが組合の強い高校の限界なのかしらとがっかりして高校を卒業しました。
卒業式の時には日の丸も君が代も無かった高校です。
しかし、何故か黄文雄先生の『捏造された日本史』は置いてあったのですが。あの本が無ければ永遠に自分も戦後体制の暗闇の中に閉ざされたままだったのではないかと思ってます。
小林よしのりライジングVol.51配信ありがとうございます。久しぶりにコメントします。
この夏は非常に忙しく落ち着いてライジングを読む心持になれませんでした。
けど、毎週欠かさず読んでましたよ。
ただ、自分の中で消化できなくてただ読んでるだけになってました。
今週は久々にゆっくり読めました。
はだしのゲンと戦争論を並べて置く案は大賛成です。最高の解決策!!
私は戦争なんて大嫌いです。
だからと言って戦争=悪だんなんて単純に思いません。
やっぱり、ゲンも戦争論も両方読むべきです!!
そして、自分の頭で死ぬほど考えるべきです。
それが正しいことだと思います。
ん!?べき論になってる?
少なくとも私はそうでした。
これからも、そういう自分でありたいと思っています。
では、来週も楽しみにしています。
『はだしのゲン』は小学生の時に読んだことがあります。
原爆を受けた直後の広島の描写は衝撃的でしたし、その後のウジ虫がたかる、寝たきりの絵描きを世話するエピソードも忘れられません。それ以降のエピソードはちょっと忘れちゃいましたけど、記憶にあるのは日本軍の蛮行(女性器に一升瓶を突き刺すとか)をゲンが語っていたなあという断片的なものです。
当時は、日本はアジアでいろいろ悪いことをしていたと教わっていたので、特に違和感はなかったのです。従軍慰安婦という存在が語られ始めた頃も悪いことしてたんだから賠償するしかないんじゃないかな?という感覚でした。
やはり転機になったのはよしりん先生の『戦争論』でした。
漫画の情念の強さもさることながら、合理的で説得力のある論で、これまでの戦争観がひっくり返りました。
『天皇論』シリーズも当時の昭和天皇の苦悩や敗戦後の日本のためにどれほど尽くされてこられたのかが分かり、深い感銘を覚えました。
そんな自分の経験から言わせてもらうと、『はだしのゲン』と『戦争論』『天皇論』シリーズを並べるのは大賛成です。小学生には内容はまだ難しいかもしれませんが、子どもは感性が鋭いので、情念を大人より感じることができると思います。そういう作品はいつまでも心に残ると思うし、難しいことは大きくなった時、また読み返して理解すればいいだけのこと。
『戦争論』は15年売れ続けていますから、今の子達が大きくなった時、必ず読む機会に恵まれると思います。
>>4
そぽろさん
ラストシーンが「来て」から「生きて」に変わったこと。僕はむしろこちらの方が宮崎監督らしいなあと思いました。
この映画のキャッチコピーは「生きねば」。ラストシーンは業を背負い、たとえ希望が見えなくなっても人は生を全うすべきだ(長生きしろという意味ではなく)という宮崎監督のメッセージか込められていると感じます。
それゆえ、死者に誘われて生を閉じるラストシーンは情緒的であっても、そぐわないと判断したのだと思います。
そもそも「生きねば」というコピーはご存じかもしれませんが、漫画版『風の谷のナウシカ』の最終巻のセリフから来ています。漫画版と映画版の違いは、特に世界の秘密についての設定で、ナウシカは終盤にその秘密を知ることによって大いなる業を抱え込みます。ネタバレになるので詳細は省きますが、ナウシカは人類が生きる意味すらひっくり返されてしまうその秘密を自分の胸の中にしまいこみ、「生きねば……」と決意するところで終わります。
僕は『風立ちぬ』を観て、ああ宮崎監督はナウシカの時から(良い意味で)変わってないんだなと感じました。まだ未見であれば、是非オススメします!
むしろ「来て」のラストシーンで喜ぶのは宇野常寛、東浩紀、中森明夫、藤原帰一をはじめとするサヨク知識人たちでしょう。彼らは主人公に葛藤や苦悩、後悔、そして“報い”を求めていますから、死んだら喜んだはずです。
>>17
直明さん
サザンオールスターズの『ピースのハイライト』について僕も同意見です。
桑田佳祐氏はインタビューで「国と国というのはもともと仲が悪いもので、だから国境がある。習慣が、民族が違えば、考えることや主張も違うし。だけどやっぱり平和的に、交渉や外交で、政治家にはうまくやってほしい。ねじれや不信、誤解されているものを少しでも解いてほしいな、と思う」といった主旨の発言をしています。
そもそもあの歌はメッセージソングではあるけど、イデオロギーに染まったものではなく、「世の中は今こんなことになっている。どう思う?」と問いかける歌です。
特にネトウヨが騒いでますけど、歌詞の内容を見れば日本に限らず、国というものがどうしても抱えてしまうエゴや他国に歩み寄れないもどかしさを伝えているだけです。政治や外交は摩擦を起こしたり対立したりするための手段ではなく、まずはお互いの妥協点を見つけ出すものではないかと。
「国境がないと想像してごらん」とユートピアを歌ったイマジンとはまた違った趣があると思います。そこに力強いメロディーも加わって、心に響きます。
タイトルの意味は「陽の当たる場所(ハイライト)で小さな対立はあっても、その水面下で妥協点を探して平和(ピース)を維持していこうよ」という風に対比させていると僕は解釈しています。
「はだしのゲン」を小中学生に読ませたくないと主張する人達は、教育の為と言いながら、本音は子供に真剣に向き合う気がないのかなと思いました。
もし僕が親や教師なら「はだしのゲン」を読んでいる子供に「この本にはこう書いているけど、自分はこう思う」という言い方をしますね。そうする事で子供達の思考の幅が広がると思うんです。
本は何を読んだかではなく、何を読み取ったかが一番大事なんだと今回の件で確信しました。そして最も読みとるべきなのは、作者の情念と作品を通して何を伝えたいのか、という事だと痛感しています。
実は僕も小中学生の頃は、ゲンと同じ天皇制反対で、昭和天皇に戦争責任があると信じていました。それどころか、昭和天皇は東条英機らA級戦犯に全責任を押し付けて、のうのうと生きている極悪人だと思っていました。これは「はだしのゲン」の影響ではなく、当時極左的な考えをしていた父の影響です(今はだいぶ変わりましたが)。ちなみに父の名前は昭和天皇と同じ「ヒロヒト」です。
かつての僕やゲンのような人間を生まない為にも、図書館に「はだしのゲン」と「戦争論」「昭和天皇論」を置くように義務付ける事は大賛成です。ただそれを実行する度量のある人がいるのか、という不安はありますが。
PS:僕のコメントに対して、岸端さんに「不良バージョンのユイちゃんも好きです(笑)」と返信頂きましたが、僕も同感です。むしろ橋本愛だからこそ、演じられる役だと思います。
不良バージョンと言えば、ダイハツのCMで昭和のヤンキーを演じている志田未来も可愛いです。不良バージョンのユイちゃんと志田未来に「何見てんだよ!」とからまれてみたいです。そしたら僕は、二人とも抱きしめます。
みなぼん編集長、前回のコメントで要望した件を取り上げていただき、
ありがとうございます。
日本国拳法使いの一方的にまくし立てた後にさっさと立ち去っていく姿に
笑いました。これってサヨクや自称保守派がやる手口とそっくりですね。
一方的に自分の言いたいこと言って相手の言うことには耳を傾けない・・・
彼らの手法もギャグにしてしまうよしりん先生の観察力と閃きは
素晴らしいです。
『はだしのゲン』がジャンプに連載してたなんて、あの作風からは
想像ができず驚きました。
皆さん、子供の頃に読んだ場面で印象的だったのは原爆投下直後の惨禍と
書いてますが、何故か自分が今回のゴー宣を読んで鮮明に思い出したシーンは
天皇批判や非国民・被曝差別など原爆以外に向けられた怨念のシーンが多く、
原爆関連のシーンはゲンの家族が焼け死ぬ、その骨を掘り出す、母が死んで
遺体を負ぶさってマッカーサーに直訴しに行こうとする場面くらいです。
そんな場面がたくさん印象的に残ったのは、既にイデオロギーに染まって
いたからか、当時イジメを受けていた自分とゲンたちを重ねあわせて
読んでいたからかもしれません。
今まで素直に本を読んでいたつもりでしたが、今回のゴー宣で読書って
自分の心境次第で読み方が変わってしまうものかと考えさせられました。
そんな自分がゴー宣を二十年近く読み続けていられるのが不思議です。
自分が『ゴー宣(初期)』に最初に触れたのは高校の図書室でしたので、
少しでも子どもたちの目に触れて手に取る機会を増やすためにも
『はだしのゲン』と一緒に『戦争論』『天皇論』各シリーズを
置くことに賛成です。
【よしりんウィキ直し!】お疲れ様でした。突っ込み・・・じゃなくて
添削の間、ペン入れの時間がとれなくてさぞ大変だったと思います。
全部で四回にも関わらずこれだけの量を添削しなければならなかったの
ですから、ゴーマニズム宣言はどうなることやら・・・。
ライジング、今回も面白かったです。
締め切りを確実に守られるみなぼんさんのハルクっぷりに感激と驚嘆の感情でいっぱいです。
くれぐれもお体にお気をつけて頑張ってください。
今週のゴー宣についてですが、はだしのゲンは私も小学生の頃に学校の図書館で借り手読んだことがありますが、絵がエグくて、未だに軽いトラウマになってますがあの絵から伝わってくる迫力(=情念と言い換えて良いと思います)は今でも脳髄にくっきりと爪痕を残しています。
ただ、今回のはだしのゲンの閲覧制限については、学校教育の大勢が戦前の日本=悪という左翼イデオロギーに牛耳られている以上、その教育効果をダメ押しする手段となってしまうような使われ方をはだしのゲンがされてしまうくらいなら或は已む無しかもしれないと思っていました。
しかしながら、今回のゴー宣ではこの懸念をいとも容易く払拭していただく解決法が記載されていて、読後は胸がすっきりとしました。
はだしのゲン騒動はボチボチ一段落しそうですが、今度はシリア政府の化学兵器使用疑惑と欧米の戦闘への部分的参加が懸念される国際情勢となってきてます。ここのところ、イラク戦争にそっくりな感じがしますが、よしりん先生がどのように考えているのか、知りたいです。
配信ありがとーがざいます!(^^)!みなぼんさんのコメントにレスポンスするコーナーもどんどん増えてくけど丁寧なお返事ですごいです。
学校の図書館って案外馬鹿にしたもんじゃなかったとおもいますよ。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズとか昭和のシュールで変態でトラウマ満載だし。学校という制度はおそらく廃れてくだろうけど、誰でも生まれ落ちた瞬間から世の中の雑菌にまみれていきてくし、デオドラントな空間なんて振り返ってもどこにもなかった気がします。
出来たお
怒り込め 煎餅かじり 歯が折れる
込めと米がかかってるお
配信、お疲れ様です。
私も中学時代、図書室で「はだしのゲン」を読んでいました。その頃の私は「純粋まっすぐ君」で日本軍の蛮行とか信じていて、「左翼」でした。
その後、高校時代に小林先生の「ゴーマニズム宣言」を図書室で初めて知って、「戦争論」で「純粋まっすぐ君」「左翼」から脱却することができました。
今思うと「はだしのゲン」は内容が偏っているものの、原爆が投下され人々が焼きただれていくシーンは中沢先生の戦争の悲惨さを伝えたいという情熱は本物だと思います。
小林先生、中沢先生の作品は図書館の本棚に並べてほしいですし、それが何よりの最良の策だと思います。
次回の配信も期待しています。
「はだしのゲンを置く図書館は、戦争論・天皇論シリーズを必ず置くこと。」の結論は実に痛快でした!
ずっと抱えていた私の悩みも解決しました!!
私が悩んでいたのは、来年、大阪の公立小学校に入学する娘(6歳)のことです。
私が大阪の公立小学校に通っていた頃、夏休みに「登校日」という日があり、『平和学習』を行っていました。
『はだしのゲン』のアニメを事前説明が何も無いまま見せられ、強いショックを受けたのは、私が小学一年生(7歳)の時です。
「南京大虐殺の写真展を見て感想文を書きなさい」と言われたのが小学四年生(10歳)の時。
体育館中に響き渡った児童達の声が今も忘れられません。
『三光作戦』のビデオを見せられたのは中学一年生(13歳)。
残酷な映像を見ることができず、たまらず下を見ていたら
「目をそらしてはいけない。これは我々の祖父がやったことなのだ。」というナレーションが絶妙なタイミングで入り、心底恐ろしかったです。
以上はほんの一例ですが、私は「ロボトミー手術」を受けたわけです。
そんな私ですが……大学2回生(19歳)の時に『戦争論』を読んで、目を開かせて頂きました!
祖父が生きている内に、誤解を解くことができました!
小林先生への感謝の気持ちは、本当に、言葉にできないくらいです!
さて、娘について。この先、私と全く同じ『平和教育』を受けたとしても、もう恐れることはない。
わが家には『戦争論』がある!それに『戦争論』を読んだ私がいる!
今週のQ&Aコーナーで小林先生は「無菌室で子供を育てるのが、平和ボケ」と言われてましたが、まさにそうだと思いました。
今週のライジングも色んなことを考えさせられて面白かったです。
激務の中の配信、本当にありがとうございました。
神奈川の匿名希望さん、まだ籍はいれていなかったのでしょうか。だとしたら幸運です。私は何かある度に武田鉄矢の「贈る言葉」を思い出します。
信じられぬと嘆くよりも
人を信じて傷つく方がいい
「風立ちぬ」を昨日見てきました。
美しい空と風景。
飛行機好きな二郎の夢。
憧れの飛行機設計家との夢での邂逅。
貧しい日本で飛行機作りをを試行錯誤し、悩みながらも前に進もうとする二郎。
嫰く美しい菜穂子との短い結婚生活。
突然の別れ。
何もかも美しく、潔く描かれていて、一瞬の夢を見た感じでした。
イデオロギーに絡めて見てしまう人が不思議です。
私が小学3、4年の頃に「はだしのゲン」のアニメ映画が上映されたと思います。
当初テレビなどでは、「原爆の悲惨さと平和の尊さを伝えるアニメ」ということで、紹介されていたようですが、
正直、絵のグロさに見る気が起きませんでした^^;
その後、なぜか小学5,6年の時にクラスの本として「はだしのゲン」が置かれたいました。
その単行本も、クラスで回し読みをしていたいのですが、「絵が好きになれなかった」ため、
断片的にしか読んだ覚えがありません。
今思えば、中沢氏の「情念」に圧倒されて、拒絶反応を起こしてしまっていたのかもしれません^^;
今回の騒動を機会に、「はだしのゲン」を読み直してみようと思います。
勿論、「戦争論」「昭和天皇論」「天皇論」をすでに読み終えているので、今さらサヨクイデオロギー
に染まる心配はありません^^
また、以前「少年H」にまつわる件で、小林先生がゴー宣の中で「イデオロギーよりも作家の良心と人格を
重視する」という旨の表現(大まかですが・・・)をされていたことを思い出しました。
右にしろ左にしろ、目先のものに囚われて、そのものの本質を見ることができないのは「残念」であります。
小学1年生の頃、まだ「戦争」という言葉すら理解できていなかった
8月6日の登校日・・
教室のテレビを観ながら黙祷し、
その後何の説明もなく始まった ”はだしのゲン アニメver.”
理解できずに
あまりの残酷な内容に
飛行機の音や入道雲が怖くなり、夏が嫌いになったのを思い出しますw
恥ずかしながら・・
それから「戦争」そのものを考えることができずに大人になってしまいました。
ちゃんと直視できるようになったのは”戦争論”を読んでからです。
今でも「もっと早く”戦争論”に出会いたかった!!」と思います。
今の子供たちにはそのチャンスがあるのだから
ぜひ両方を手にとり、いろいろ感じたり考えたり疑問に思ってほしいな・・
と思います。
そしてその疑問を凝り固まった大人たちにどんどんぶつけて欲しいです。
今回も楽しく拝読しました。「はだしのゲン」は、私の母校、片田舎の小学校にも置いてあり、少しだけ読んだ覚えがあります。戦争について、他人事の様に「悲惨だな~」、「大変だな~」と感想を持った記憶があります。当時の私に、よしりん先生の「戦争論」や「天皇論」が読みこなせたかは分かりませんが、大学生の時に偶然に、書店で「ゴー宣」を手に取れて本当に良かったです。それ以来、私の中でも、よしりん先生は「おぼっちゃまくん」の作者としてよりも、「ゴー宣」の作者として強く認知されるようになりました。そして、まさか「ゴー宣道場」まで開催して頂けるまでになるとは思ってもいませんでした。この「小林よしのりライジング」も同様かもしれません。今週も配信どうもありがとうございました。
今週もみなぼん編集長は激務にもかかわらず日付を跨ぐ前に執筆・編集を完遂し、無事配信していただいたようで恐れ入ります。よしりん師範、時浦師範代、スタッフの皆様もありがとうございました。
私は『はだしのゲン』を読んだことがありません。なので今回の「ゴー宣」に私はコメントを書く資格がないという気がします。ただ名作であることはよく判りましたのでそのうち大人買いして通読してみようという気になりました。読み通すのに非常にエネルギーが要りそうですが…。
名作の条件はなんだろうと考えてみました。作家が「書きたい」「描きたい」という初期衝動のままにカキはじめ、絵や文章に情念を乗せていき、現代社会の一般常識や左右のイデオロギーに左右されることなくカキきり、作品に一般大衆が触れたとき心の深い部分で共振と反発が同時に起こるような作品ではないでしょうか。『はだしのゲン』の場合、被爆後何年も経ってから母の体を蝕み続けていたことが発覚した原爆というものに対する強い怒りが初期衝動となり、周りの様々な雑音も気に留めず絵に情念を叩き込み、残酷シーンも含めて描き切ったわけです。ただ原爆への怒りが強すぎたことと、常に締切に追われる週刊連載で正しい知識を得る暇がなかったことにより、溢れだした情念と怒りの放出口・矛先が戦前の日本国家と軍、天皇へも向かってイデオロギッシュな色合いを帯びたのだと思われます。これは反米とともに反戦・反日・反天皇が正義とされた60~70年代の風潮の中では仕方がなかったとも言えます。しかし絵に叩き込まれた情念の大部分が原爆そのものと被爆者を差別した戦後日本人に向かっており、反軍・反日・反天皇の主張部分には人々の記憶に残らない程度の情念しか乗っていなかったと思われます。また名作に触れても素直に感動するより先に左右のイデオロギーのフィルターを着けて見てしまうタイプの人も当然おりますが、その手合いにはそもそも『はだしのゲン』などのイデオロギッシュな色合い「も」含んだ名作を読む資格はないと思います。
さて、まだ『はだしのゲン』を読んでいない私が言うのも変ですが、社会に溢れる毒や雑菌に早いうちから慣れるためにもこれは学校図書室に置くべきだと思います。そして反日ウソ知識へのカウンターおよび原爆への怒りを落とした米国に対して正確に向け直す意味で『戦争論』シリーズ、反天皇ウソ知識に対しては『天皇論』シリーズを同時に隣に置くというよしりん師範の解決措置は推奨すべき方法の第一だと思います。原爆への怒りをキッチリ米国に向けているという意味でなら、こうの史代先生の『夕凪の街・桜の国』も同時に隣に置いてほしいです。前半ラストで主人公の女性が原爆症で亡くなる直前に発する言葉「また一人殺せたよ…」は強く響きました。
前述した私の勝手な名作の条件で言うとよしりん漫画は全て名作だと思います。描きたいという初期衝動のままに描きはじめ、絵と台詞に情念を乗せていき、現代社会の一般常識や左右のイデオロギーに左右されることなく描ききり、一般大衆が触れたとき心の深い部分で共振と反発が同時に起こるような作品ばかりだからです。よしりん漫画やそのキャラを好きな人と嫌いな人にクッキリ二分されるのは、読者の心の内で共振と反発のどちらが強く起こったかによると思います。また『ゴー宣』にはよしりん師範の作家としての情念の上に説得のための論理や学問的知識が詰め込まれているため、知識・情報だけを摂取する左脳秀才や、左右のイデオロギーフィルターを予め着けている人には情念部分を受け取れず正確な評価もできません。だから自分のフィルターに合わなくなって政治利用できなくなると敵視し始めるのだと思います。『ゴー宣』各論は「右も左も手放しでは賛成できないから名作だ」というのはこういう理由だと思います。ちなみに左脳秀才の多くは左右どちらかのフィルター(右:グローバリスト、左:左翼)をすでに装着済みでこれがA層、秀才でもなくフィルターだけ完備しているのがB層で、フィルターを外して情も理も受け取れるから騙されにくいというのがC層だと思われます。
ところでジブリアニメはこれまで多くの人の心を捉えてきました。これはジブリ作品が名作ではないということではなく、設定が子供向けのファンタジーであることも手伝って視聴者の心に反発より共振を圧倒的に多く起こしたからでしょう。しかし『風立ちぬ』では設定が史実に近くなり、左右のイデオロギーフィルターにも触れやすくなったため、これまでのジブリ作品とは違った批判が起こってきたと思われます。
『はだしのゲン』を見てないのにこんなに書いてしまいました(笑)。
時浦師範代、「ウィキ直し」の「小林よしのり」編、お疲れ様でした。次は「ゴーマニズム宣言」編で、さらにアンチが跋扈する戦場に挑まれるわけですね。これからもウィキペディアを常用する人に集合恥・集合痴の無効を思い知らせてやってください。
叩かれるキーの音で仕事の進捗が判るほどのみなぼんさんがそう仰るなら、よしりん師範はマエストロで間違いないですね。脳内ドーパミン放出量に比例していると思います。
朝夕の風が少ずつ涼しくなり、空にいわし雲が描かれる日もあり、いよいよ身体も秋になり始める頃です。免疫弱体化を防ぐためにそろそろ冷たい飲食物は控えてください。免疫が弱ればドーパミンを放出する細胞も弱ります。エアコンのかかった部屋では暖かい飲食物を摂ることもお勧めします。
作家の命脈とは集中してドーパミンを放出できる期間の長さか na85
歌会参加者の皆様、今週の雷神宮歌会のメインテーマ(ライジングの内容に即した漢字一文字のお題)はどうしましょうか?『ゲン』未読の私が設定するのは気が引けます。
小林先生、スタッフの皆さんこんにちは。
『はだしのゲン』は、小学生の頃に学校近くの児童館で読み漁りました。僕が初めて「戦争」というものを知ったのは、この作品だったと記憶しています。小林先生の『戦争論』を読むまでは、僕の中で「戦争と平和」の問題を考える一つの指針でした。
作品終盤には、多くの方が指摘されているように「反天皇」のイデオロギー色が強くなり(時代背景を考えると、仕方なかったかもしれませんが)、今読み返すと「ちょっとナァ」と思ってしまいます。
ただ、それでも評価しなければならない点があります。それは、あの時代に「明確にアメリカを批判していること」です。
作品の中で、道端でマッカーサーが帰国したことを嘆いてる男性が出てくるのですが、それに対してゲンやその仲間たちは、「マッカッカが何だ!」と一蹴しています。敗戦によって牙を抜かれ、国民が一気に親米へと傾く時代情勢の中、原爆を落としたアメリカに媚を売らない姿勢だけは、認めなければならないのかもしれません(これは、小林先生の感覚とかなり近いものを感じます)。
所謂保守派は、『はだしのゲン』を否定するでしょうが、彼らにそんな資格はないと思います。戦後60年以上が経ち、様々な真実が明らかになった今でも、当時の日本国民と同じく「アメリカべったり」をやめられないのですから……
『はだしのゲン』は色々と思い出がある作品です。
小学2年生くらいで学校の図書室で読みました。
登校中、原爆が落ちてもドロドロにならない場所を探していたのが懐かしいです。
また『はだしのゲン』は、私を「性」に目覚めさせた作品でもあります。
1巻でゲンの姉が窃盗の疑いをかけられて、職員室で上半身裸にされるシーンがあります。
服を脱がされて、濡れ衣を着せられたわけです。
それはともかく、職員室で裸にされて辱められる女性というシチュエーションが、「This is 性!」という感じで私を強烈に刺激しました。
一方、天皇への批判などは殆ど覚えていません。
色々な意味で子供に衝撃を与えるこの漫画を、大人の思考で制限してはいけないと思います。
雷神宮歌会のメインテーマ(ライジングの内容に即した漢字一文字)は
今週は、【元】 とさせて頂きます!!
『はだしのゲン』は未読の私ですが、よろしくお願いします (^O^)
雷神宮歌会 テーマ:― 元 ―
○ パソコンで 仮想化された 我なれど 貴女に届け この元気玉
・・・これは歌じゃなくて、傷ついている仲間に対する私信です。
(おまけ)
○ みるきーを 嫁にもらって みおりんを 産む夢見たい 元日の朝
連続投稿は気が引けて申し訳ないのですが、もし出来るのであればお許し願います。
コメント欄を読んでいると実に多種多様でこれは匿名掲示板どころか、私設掲示板と比較しても沢山あり、このように多様な意見が読める掲示板は私が知る限り他にはありません。そこで、私も私情を述べることを解禁したことから、このままにしておくのがもったいないと思い、私はさらに思考を高めるために皆さんのコメントで気になった箇所について感想を述べることにします。
>>4 そぽろさん、はじめまして
そぽろさんのコメントは「風立ちぬ」を見た身としては面白い意見ですが、わたしは >>33 Kazutakaさん(はじめまして)の意見にどちらかというと賛成です。これは理屈というより親しい戦場を生き抜いた元軍人さんが「生きるとは義務である」と何度か言っていまして、これは「はだしのゲン」にも共通する価値観なんじゃないのかと思いました。
>業を背負い、たとえ希望が見えなくなっても人は生を全うすべきだ
まさにこれは世に生きとし生ける物として生を受けた物のすべての宿命なのではないのではないのかと思います。いつかは日本人としての生死について皆で熟考してみたいと思いますが、これは不可能でしょうか?
>>51 DIOとの青春さん はじめまして。
DIOって本田の原付のことですか?確かにあれで青春時代を過ごし方が周りに何人かいらっしゃいますが。
>「This is 性!」という感じで私を強烈に刺激しました。
実はこれ、作者の実体験だったとどこかで読んだことがあります。なんでも、姉が泣きながら帰ってきたら父親が怒鳴り込んで責任者全員を張り倒して仇を取ったそうです。私は「復讐」という感想しか持ちませんでした。たしか、最後に濡れ衣が晴れて、責任者に「ザマーミロ!」と心に思っていたことを覚えています。
>>50 童人さん、こちらではじめまして
これは米兵による女性の婦女暴行の場面とも重なりますね。マッカーサーは婦女暴行をした米兵の親玉なのですから、当然、被害者を身近に知っているであろうゲンはよく思っていなかったと思います(この場面は私は思い出せません)
童人さんやna85さんの感想を読んでいますと、「はだしのゲン」の作者である中沢啓治氏は近代そのものに怒りをぶつけていたのではと思えてならないのです。大日本帝国も、米国も、そして原爆も近代化と近代化した軍による近代戦争によって生まれた産物だからです。近代化は当然、利点と欠点があり、この点について近代社会に生きている我々こそが冷静に分析していかなければならないのですが。
その点では、近代主義に嵌って米国に媚びている所謂保守派に「はだしのゲン」を批判する資格はないと思います。
さて、今回の雷神宮歌会のメインテーマ「業」にしよう!と思っていた矢先にカレー千衛兵さんが「元」に指定してしまいました。残念!
というわけで、メインテーマの代わりにサブを「業」と「味噌」にします!考えてみれば味噌に限らず、料理や調味料などの加工食品は「業」がなければ美味いものは作れませんが、「元」となる原料がなければ、成す術もなかったのだった!
カレー千衛兵さん、有難う!
というわけで、一句、 合せ味噌、心動かし、良き物を、業で伝えし、元首の心
げっつい私心丸出しの私信をさせていただきます。
すみません。
心がからっぽになり、元気を失っても、よしりん作品だけは手離さず読み続けよう!!
元気がなくなると、本を読む気力すらなくなるのは分かっている。
だけど、無理を押して、よしりんの作品だけでも読もう。
そうしたら必ず作品から元気を貰える筈だから。
腐れボンクラで変態クソ野郎の俺ですら、よしりん作品に元気を貰い、勇気づけられ、自殺を思いとどまったりしたんだぜ。
小林作品で元気づけられたら、その想いをストレートに小林先生に伝えようぜ。
元気の倍返しだ!!
利子をつけて元気を返そうぜ。
それで小林先生がやる気を出してニヒリズムにとらわれずに闘い続けてくれたら、なまら嬉しいべや。
自分一人の悩みにとらわれていたら逆に苦しいぜ。
さくっと、「おぼっちゃまくん」や「ゴー宣」を読んで、元気を出していこーぜ!!
元気があれば何でも出来るんだぜ!!
自分への一句
カラ元気 から本物の 勇気へと 自分をさらし 変わるんだ
ありのままの自分を見直して成長の糧にする。きめた。私的な独り言もおおやけにさらせば公への一歩にしようとしなきゃならんだろう。やるぞーー('Д')
今回投稿は2回目ですが、「風立ちぬ」を観たので書かせてください。
いやー、すがすがしいまでに主人公に「兵器を作る葛藤」が無いですね。主人公の友人と妻も、かなり自分の欲望に忠実ですね。今まで家族で見れる作品を多く発表してきた宮崎監督らしからぬ人物造形です。しかし、これは宮崎監督が今までやりたくてもできなかったことを、今回とうとうやったということなのでしょう。
私は趣味でガンダムのプラモデルをよく作るのですが、アニメとはいえガンダム(に出てくるロボット)は人殺しの道具です。でも、やっぱり「誰が何と言おうと、かっこいいものはかっこいいし、美しいものは美しい!可能ならばそれを自分で作りたい!」と思ってしまいます。船越二郎も宮崎監督も、きっと同じ気持ちだと思います。
前号のライジングで「男のくせに男のロマンが分からないのはつまらない」と書きましたが、実際に映画を観たらその思いがさらに強くなりました。
雷神宮歌会・メインテーマ:―元―、サブテーマ1:―業―、2:―味噌―
○決められぬ 迷いながらの 道半ば 元に還るも 一つの勇気
○情も理も 心開いて 受け止めよ 作家の業すら 楽しめるかも
○公募あり 手前味噌の歌 詠んだなら 己が感性 公示してみよ
>>56:magomeさん
DIOとの青春さんのライジングネームは、『JOJOの奇妙な冒険』の敵役DIOからです。第1部主人公、ジョナサン・ジョースターが絶命する前ディオに対して「僕の青春は君との青春だった」と言ったことに由来するはずです。
ちなみにmemetaaさんのライジングネームは、ジョジョ第1部のジョナサンの波紋法の師匠ツェペリが波紋の実演をするとき、蛙に拳を打ち込みながら蛙を潰さずに下の岩を破壊した描き文字からです。
関係のない話題ばかりで申し訳ない na85
私は「はだしのゲン」は全く見たことがありません。子供の頃に触れた記憶も全くありません。
大人になってもなんとなく「戦争の悲惨さを訴える怖い漫画」だと思っていたのですが今号のゴー宣を見て一回は読んでみるべきだと思いました。
「はだしのゲンと戦争論、天皇論をセットに」の結論には全く同意です。
ただ、子供達の閲覧を問題視する前にそれについてちゃんと教えられる大人(親)がいないということが問題だとも思います。まず大人(親)が「はだしのゲン」と「戦争論」、「天皇論」を読むべきですね。
「風立ちぬ」を観たので感想です。
個人的にはあまりハマりませんでした。
私は元々ジブリ作品があまり好きではなく、最近の作品はほとんど見てないのでそのせいだと思います。単純に好みの問題です。(もちろん時代背景などは興味深かったり、映像的にキレイだったり、普通に感動したところはありました。)
その後調べてこの映画の元となった漫画(宮崎駿作)を見たのですが、そちらは戦闘機に関する詳細な情報や設計の過程などが見れて大変面白かったです。
http://sakurasakujapan.web.fc2.com/main03/moviekazetachinu/moviekazetachinucomic.html
ただ内容がマニアックすぎるのでそのままではジブリ映画としては成り立たないと思いました。
設計者の端くれである私としては原作の方が専門的で好きです。
皆さんこんにちは、時浦です。
今回のQ&Aコーナーに載っている匿名希望さんの質問は、極めてプライベートな内容であり、よしりん先生個人に対しての質問です。
よしりん先生も、会員限定のブロマガでならということで回答しています。
それに対して、このコメント欄は会員以外の人も見ることのできるフルオープンの場です。この件は微妙なものですので、誰でも見れる場で誰もが発言なさるというのは、ふさわしくないものと思います。
どうか、ご配慮お願いします。
トッキーさん大丈夫です。
私は全然気にしていません。
みなさん、ありがとうございます。
みなさんの気持ちきちんと受け取りました。本当に嬉しいです。
私は名前を書いて相談を投稿したのですが、先生やスタッフさんのご配慮で匿名にしてくださったようです。ですので、そのままスルーしようかとも思いましたが、たくさんのコメントにお礼が言いたかったので、スルーできませんでした。時間ができたら書き込むつもりでした。
daiさんの見解が一番近いかもしれません。彼は人を騙すような人ではなく、精神的な問題を抱えています。私は全て受け止めるつもりでやってきましたが、あまりの振り回されように疲れてしまって…。でも、言葉にするだけで少しすっきりしましたし、こうやって送ることができるのはまだ元気な証拠かなとも思います。正解が欲しかったのではなく、こんな経験した人もいるんだ、と驚いたり、笑ってほしかっただけです。(その割に重くなってしまい、みなさんにご心配かけてしまいましたが…)
私は大丈夫です。ちゃんとご飯も食べられるし、夜も眠れるし。先生の言葉も、みなさんの言葉もとても励みになりました。
500文字には収まらないくらい色々あるので、単純にはいきませんが、一歩一歩進んでいけるよう頑張ります。
優しいみなさんに救われました。
本当にありがとうございます。
>>64 mayuさん、はじめまして、magomeと申します。
今回のQ&Aを読んで、その精神的に追い詰められた状況、自分の経験から本当に他人事とは思えず、どのような言葉を贈ろうか本当に考えさせられました。しかし、その一方で、>>63 の時浦師範代および、よしりん企画の皆様の御心遣いもまた、しかりだと思います。思考することには共同体の形成が必要で、時には私情の悩みも全て含めて、信頼できる方々の集まりである共同体で明かしてみるのも、我々のためにも、また、本人のためにもなるのではないのかと思います。
これは新聞の人生相談や、googleなどの「教えてgoo」などの私的な相談とは全く異なる、思考を高めるために必要な共同体の形成と、自身をさらなる進展を進めるための地盤がこのライジングのコメント欄でできているかどうか、我々への一つの試練なのではないのかと考えています。
その意味ではmayuさんへは感謝します。「よくぞ書いてくれました」と。そして、時浦師範代、およびよしりん企画の方々にも「御心遣い、書いてくださってありがとうございます、御蔭でよしりん企画の優しさを改めて知ることとなりました」と。
そして、遅ればせながら、そして非力ながらもmayuさんへ、少しばかり書かせていただきます。
なにか、追い詰められたとき、精神的に追い詰められたときは俳優、武田鉄矢氏の母親の言葉を思い出しまして。
「何か悪い時があれば酒を飲んで、楽しめ、そうすれば福の神がめでたいことが起きたと勘違いしてよってくる、逆にめげ続けてばかりいると貧乏神がどんどん寄ってくる」
酒を飲めと言っているわけではなく、めでたいことがあったつもりで笑ってみる、祝ってみては如何でしょう。
先人は酒を飲めば「神様が宿った」と信じ、また「笑う門に福来たる」と信じて葬式や災害などの不幸が訪れたときにも心から明るい笑いができる様に勤めていたと言われています。
先人のようにいかなくとも、皆で、mayuさんに笑いなどの福が訪れる様に、ここで今一度、願ってみてはいかがでしょう。
mayuさんへ、ここの皆様の気持ちが伝わり、福が訪れますように。私は近くの神社にでもいって、お祈りしてきます。
それでは失礼します。
>>61 na85さん、わざわざ、私が設定したサブテーマの二つを採用してくださりありがとうございます。
DIOはジョジョの宿敵、ディオからだったのですか!そしてmametaaさんもジョジョからだったとは驚きです。あと、私の「原付からなのか?」もジョジョ第三部で主人公達としばらく旅を共にすることになる家出少女が敵のスタンド使いと疑われてディオについて聞かれたときに「DIOってなんだ、バイクの名か?」という少女の返答と重なってしまいました。これは偶然ですよ、偶然。
ジョジョファンとここで出会えるとは何たる偶然、何たる奇妙な組み合わせでしょう。というわけで、一句
味噌が来た、早速使いつつ、殿下夫妻と、地元の業に、晴れる心で、深謝する
皇太子殿下、皇太子妃殿下が御見学に訪れた岡田さんみその味噌を注文して本日到着しました。その感想を歌にしました。お粗末ですいません。
時浦さんからご指摘があるまで、
私は自分の配慮の無さに全く気づきませんでした。
本当に申し訳ございませんでした!
今はコメントを削除しておりますが、
一連の事は、私が一番初めに行ったことであり、
責任があるのは、明らかに私です。
今後は、ブロマガの内容を読んでいない会員以外も立ち読みでご覧になっていることを考慮し、節度ある投稿を心がけて参ります。
カレー千衛兵さんって凄くやさしい人ですよね。
大好きです。
カレー千衛兵さんの力で盛り上がってるし、すごいです。
僕は皆さんを引かせる才能しかありません。
その才能ほしいなーーーーー!!
時浦師範代がブログで取り上げた週刊文春の記事を本日、立ち読みして呆れてしまいました。
週刊文春は皇太子殿下、皇太子妃殿下が白衣を着ずに味噌製造所に入れたのにカメラの三脚は持ち込めなかったと書いていますが、これは発酵食品はおろか、加工食品の製造所のことについて何一つ知らないことを自ら暴露しています。味噌などの発酵食品は特定の微生物を増殖させる事によって雑菌や遺物を排除させて食品の変敗を防ぐことを目的としていますが、土足や土足と同じく、土壌や床に付着する多量の雑菌や異物となると排除しきれないので、味噌製造所を含む食品の製造所では専用の上履きを使用します。
以前、酒蔵を見学した時も靴を脱いだ状態で蔵の中を見学し、酒蔵の案内員や関係者も専用の上履きを吐いていました。ネットでも「味噌 加工」で検索すれば味噌を製造している時の従業員が専用の白い長靴を履いている画像を見ることが出来ることからもこの指摘が間違っていないことがお分かりいただけるかと思います。土足や土足と同じく地面に設置し、土壌の雑菌や異物が付着しているカメラの三脚と人体に付着している雑菌や異物とでは条件が全く異なります。
週刊文春は皇太子殿下や皇太子妃殿下が土足や土足と同じくらい不衛生であるカメラの三脚よりも不潔だと罵ったのです。そして、土足や土足と同じくらい不衛生であるカメラの三脚の方が人体よりも衛生的であると、食品加工業界の衛生観念そのものを冒涜しているのです。
さらに、週刊文春は味噌の製造所が、皇太子殿下、皇太子妃殿下が御見学された時に製造した味噌を「やらせ」と罵倒していますが、これも週刊文春が伝統的な味噌の製造をネトウヨと同じくらい知らないことを自ら暴露しています。通常、味噌は大豆の収穫が終わり、種麹が採取される冬に製造されます。伝統的な味噌は役一年間かけて熟成させ、最初に時間をかけて熟成させるためには低温である冬の寒い季節が欠かせないからです。また、乾物である大豆や麹菌も長期間保存ができるとはいえ、時間がたつにつれて品質が劣化して、味噌に加工しても味が変敗してしまう恐れがあります。これは新米と通常の米、そして米の違いについて知っていればすぐにわかる事です。
ただし、「岡田さん味噌」のHP等を見てみますと、一年を通じて家庭用に麹菌、大豆などの味噌の製造に必要な原料がそろった家庭用味噌製造セットを一年を通じて販売しています。家庭では味噌を製造する規模が小さいので一年を通じて味噌が製造できることから味噌の製造所は副産物としてこのような味噌の製造セットを年間を通して売っていますから恐らく、「岡田さん味噌」も皇太子殿下、皇太子妃殿下が訪れたときはこの味噌製造セットから原料を用いて製造をしていたのだと思います。よって、これらの規模で製造された味噌は販売しても規模が小さく、元が取れないので、皇太子殿下、皇太子妃殿下が訪れた記念として地元で消費されるということになるわけです。これは味噌製造所としての拘りを持っていれば、当然の結論であり、「やらせ」と吐き捨てている週刊文春は発酵食品を含む、食べ物の製造と販売について何らわかっていない、無知で無責任な畜生の言い訳そのものとしか言いようがありません。さらに解りやすく例えるとすれば、今回の味噌は祭日に作られる料理と同じで、地元で何らかの祭りがあり、その日に備えて料理が作られて振る舞われれば、地元で消費されて一般向けの商品として出回るとはないのと全く同じなのです。恐らく、週刊文春は祭日に振る舞われる料理や食材も「やらせ」として罵倒するのでしょう。
今回の週刊文春の記事を読んで、私は週刊文春が勧める料理や食品、そして週刊文春に広告を載せている食品会社についても一切信頼しないと決めました。食べ物に対して、土足や土足に値するカメラの三脚の方が人体よりも衛生的と考えるような雑誌が絶賛する食べ物や、祭日に振る舞われる料理を「やらせ」と罵倒するほど季節感を含む食文化に対する姿勢が欠けているような雑誌が絶賛する料理や食べ物など、だれが食品衛生、また食文化や食習慣の見地から信頼できるのでしょう。また、食品業界の衛生観念そのものを罵倒している雑誌に平然と広告を載せるような食品業界としての拘りも誇りもないような食品会社の食品の安全性を誰が信じることが出来るのでしょう。これは美味い不味い以前の問題なのです。
ネットで皇太子殿下、皇太子妃殿下を罵倒した匿名投稿者が伝統的に料理や加工食品に対して無知であるのに対し、週刊文春は加工食品や料理に対して何一つ知らない、食品業界や食文化、食の伝統にとって危険極まりない存在であることがこの記事で証明されてしまいました。恐らくは週刊文春の記者は家庭で料理を食べたこともなければ路上で土足を吐いたまま、皇太子殿下、皇太子妃殿下を罵倒したネトバカ、ネトウヨと同じく大工場で大量製造された出来合いの即席(インスタント)食品や惣菜しか食べたことがないからこそ、土足に値するカメラの三脚の方が人体より綺麗という記事を書けるのだと思います。週刊文春および、週刊文春に広告を載せている食品会社こそTPPに支配された雑誌と会社の結末なのだと思います。
安全で安心できる食材、加工食品を安定して確保できるように、そして伝統的な食文化と食習慣を守るためにも今週の週刊文春の記事を記録して広く皆に伝え、TPP反対を唱え続けましょう。
今週もまた、ライジングとは関係のない長文を度々書いてしまって失礼しました。出来るのならば週刊文春にも送りつけようと思います。それでは失礼します。
味噌で一句
ネットでは スーパーマンのつもりでも 社会じゃ所詮 みそっかす
ね!(^^)!ネトウヨさん♡
小林先生、60歳のお誕生日おめで玉金!
ハッピーバースデーコメント・一番乗りかな?
よしりん先生、お誕生日おめでとうございます。
尊敬する大好きな人の誕生日は嬉しいものです。
これからも元気でいてください♪
さて、今回の記事について、
私も『はだしのゲン』は小学校の頃、少しだけ読みましたが、みなさんと同じように、原爆の地獄絵図しか覚えていません。教室の隅の本棚にあって、「怖い本」扱いで、みんな怖がって遊んだり、読んでる人をからかったりしていたので、落ち着いて読める状況ではなかったし、今思えば怨みのエネルギーが強すぎてきちんと読めなかったのかもしれません。
私も『戦争論』や『天皇論』を読んで、それまでの考え方がガラリと変わったし、生き方も変わりました。もっと早く出会いたかったので、図書館に置くのは賛成です。すこしでも多くの人に読んでもらいたいですし、これからを担う若者にどんどん読んでもらいたいですね。
magomeさんへ
はじめまして(*^^*)
前回のお味噌のコメント、とてもすばらしいですね。なんとなくわかっていることでも、こうやって言葉にするのは大変です。いつもすごいと思います。
私の家でも昔は手作り味噌を近所からもらっていました。ネトウヨから見たら、発狂するような環境かもしれないです。でも、手作りのお味噌はすごく美味しいですよね。最近は生協などでも手作りキットを売ってるので、来年は私も作ってみようかなと思っています。(特に味噌をビターンと打ち付ける工程に興味アリ♪)
でも、一方、職場には手作りのものを嫌う人もいます。毎日何回もアルコールスプレーであちこち除菌しまくる人も。私から見ると不思議なのですが、そういう人もどんどん増えているのかもしれません。
それにしても、味噌工場のコメント欄には驚きました。本当に気持ち悪くなりました。ネトウヨ、ひどいですね。
また、励ましの言葉、ありがとうございました。そんなたいそうなことはしてないですし、むしろ、プライベートなこと投稿しちゃって、まずかったのかなぁ…と少し後悔しています。でも、普段はなかなかわからない、みなさんの心の部分に触れられたのは、とても嬉しかったです。みなさんの気持ち、優しさがとてもよくわかりました。
カレー千衛兵さんへ
本当に大丈夫ですから、お気になさらず。
きっと他の読者さんも私のことだと気付いていたでしょうし、私は公表するつもりでしたし、カレーさんの言葉は本当に嬉しかったんですよ。他人のプライベートな相談なんてスルーして当たり前なのに、身内のように心配してくださって、本当に優しい方なんだなぁと思いました。それは他のみなさんもです。
私は笑われてもいいし、「バカだな~」と思われてもいいと思って投稿しました。いろんな人が見てるのをわかって、投稿しました。
ただ、今後、本当の匿名希望さんが相談した時に困ることもあると思うので、今後は気をつけた方がいいかもしれません。私も気をつけます。
そろそろ、私のことが話題に上がりすぎて、恥ずかしいので、違う話題にしましょう~(^_^;)
daiさんへ
歌を気に入ってもらえたようで、良かったです。「AKBの歌みたい」なんて、すごい褒め言葉ですよね?!めっちゃ嬉しいです(*^_^*)
目隠しさんへ
目隠しさんのコメントもいつも面白いですよね。私はブルマ全然気にしてなかったなぁ…。
vol.51の配信ありがとうございました。小林先生のお誕生日もおめでとうございます。
広島に育った私の小学校では「はだしのゲン」が常備されていました。図書館だけでなく廊下にも置いてあったと思います。職員室(校長室?)の前の廊下のガラスケースの本棚には田河水泡先生の「のらくろ」も置いてあり、よく読んだものです(昭和50年代半ば頃)。小林先生やトッキーさんの仰られるとおり、「はだしのゲン」で印象に残っているのは前半部分で後半部分はほとんど記憶にありません。
毎年、夏休み前になると平和教育の時間があり、遠足で(何度も)行った原爆資料館や平和公園、語り部のお話、映画、などを題材に感想文を書かせられたりした記憶がありますが、何度もあってウンザリしていたのもあり、ほとんど内容を覚えていません(つまり、少なくとも私には教育的効果はなかったのでしょう)。
その頃のトラウマなのか、思っても感じてもいないことを言わされたり書かされるのが、未だに苦手です。
みなぼん編集長さま
多くのコメントに対する丁寧な御回答、毎回ありがとうございます。
> 「どうして日本人はこの笑顔を守れなかったんだろう」と、一国民
> として申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまったんです。
本当に仰るとおりに存じます。何としても、
皇太子殿下と雅子妃殿下を御護りしましょう!
目に見えぬ 大事に思ふ 束縛に
包まれ賑ひ 斯くこそあらまほしけれ
小林先生、お誕生日おめでとうございます。
思春期から、二十年以上に渡り、小林先生の作品を読み、大切にしています。
小林先生がたくさんの苦しみや、ご努力の渦の中、生みされた作品は、私の血と肉になり、私を支える、かけがえのない宝物です。
これからもずっと応援しています。
いつもありがとうございます。
先生がいつまでも輝き続け、みんなを照らしてくれることを祈っています。
よしりん師範!還暦、お誕生日、おめでとうございます。
○杖を振り 若者叱る 老境を 夢見てもまだ 叱るは大人
○政治的 ゴー宣不要な 世の中よ 早く来たりて フィクション描かせよ
この2首を贈ります(苦笑) na85
よしりん先生誕生日おめでとうございます!!60になっても落ちないそのパワー、見習いたいです。
目隠しさんへ
作品制作に対する激励のお言葉ありがとうございます。お礼に目隠しさんで作品を…
目隠しさんがメカ駆使してる!
…笑え~!(笑)
それと、これはお節介ですが、実はみなぼんさんの返信で落ち込んでいませんか?だとしたら、気にしなくていいと思います。男は皆変態だし、かつてライジングには目隠しさんを軽く超える変態さんがいてその変態ネタを堂々と公表していました。それに比べると目隠しさんの変態はかわいいものです。…って、全くフォローになってないか!!気にしいなところがありそうだけど、大体は思ってるほど深刻ではないですよ。
ちなみに、僕はブルマよりは夏服が好きでした。理由は言えない!!
mayuさんへ
和歌のおかげで、ますますmayuさん推しになってしまいました。機会があればまた和歌を披露してください。
>>74 mayuさん
昨夜は自己嫌悪でとことん落ち込みましたが、
mayuさんのフォローの言葉で少し元気になりました☆
ん? 何か、色々と、逆転しちゃいましたね(^O^)
私は全然優しくないです。
もっと賢くなって、もっと強くなって、
人をフォローできる人にならなきゃダメですね。
だからmayuさんの優しさに感謝しています☆ いつも本当にありがとう♪
【優しい人】と言えば・・・・・小林よしのり先生!!
60歳のお誕生日、おめでとうございます o(^o^)o
よしりん先生のご活躍は、
「還暦過ぎたとて女にモテるのだ」という邪な希望を見せてくれます(笑)
鋭く、色っぽく、笑える創作活動をこれからも続けられるよう、
どうぞ、お身体ご自愛下さい。
・・・だから冷たい物は控えめにお願いしま~~す ( ^∀^)
みなぼんさんの鋭いツッコミがなかったら、
4コマ漫画でいう所の、
最後のコマが空白で終わる所でしたので、感謝してます。
ふぅ~たすかったぁ!
みなぼんさんとトッキーさんが、
時にはやさしく時には厳しく見ててくださるので、
ライジングがうまい事進んでる感じがしますね。
神輿の上によしりん先生がいて、両輪にお二人がいますね。
でも、皆さん僕を見抜いているので驚きました。
そして、やさしいですね。僕って本当に運がいいなぁ。
mayuさんへ。はじめまして。
温かい言葉かけて頂いてありがとうございます。嬉しいです。
これからもよろしくお願いいたします。
daiさんへ。
いつもありがとうございます。感謝感謝です。
「笑え~」は、あーにゃ(村重)ですね?w面白いなぁw頑張ってください!
色々考えてしまう僕ですが、出来る限り落ち込んでる感じは出さないように心がけます。
今日はバイトで餃子焼いてきまぁす!!
。*◇☆*。
・*★◎○@。*・
。◇@★◎◇★。*
。☆◎。*☆◎。*・゜゜
\  ̄ ̄ /
\ /
∧_∧\/
( ・∀・)∞
/ つ つ△
~( ノ
UU
よしりん先生おめでとうございまーす!
>>69 目隠しさん
ありがとうございます(号泣) 私も大好きだー!!
私はお調子者なだけで才能なんて1ミリも有りません。
コメントもネタも、毎回蛮勇を振り絞って「やりきる勇気」で投稿させて頂いてます。
実は、【しゃべらせてクリ!】を考えるのが一番大変で、
「下ネタ・変態ネタ」のジャンルに挑むも、一度も採用がありません(泣)
“勇敢なる目隠しさん”は、是非とも挑戦してみてください(^O^)
私はどこかのタイミングで、「小林よしのりライジング」をリードオンリーの読者になろうと決めています。
だけど今は、まだまだ思いつく限りの事を色々投稿してみて、メルマガの新しい可能性を、できるだけ近いところで実感してみたいです♪
「小林よしのりライジング」は、いくらでも発展して行く余地があって、ワクワクしますね o(^o^)o
「こんなコーナー創って欲しい」の要望やアイデア等、最近あまりお見かけしませんので、私は思いついたら蛮勇ふるって投稿させて頂こうと考えてます♪
よしりん先生、お誕生日おめでとうございます。
よしりん先生〜!お誕生におめでとうございます♪これからのご活躍を影ながら応援します。お体には気を付けて下さい。還暦を迎えてますますパワーアップして読者の魂を揺さぶる作品を描いて下さることを期待します!
テーマ、元 サブ業
狙っても出ない人生の大三元ツモりすぎて借金積もる
*フィクションです。大三元は麻雀の役満でツモは山から牌をとることです。
サブ、味噌
地元の麹地元の大豆で作られた美味しい味噌は歴史湛える
よしりん先生、60歳のお誕生日おめでとう!
ございます!
70歳、80歳、あわよくば90歳になっても、
突っ走ってください!
臆病だった私は怖くて「はだしのゲン」を読めませんでした。
その結果かどうかは分かりませんが重症の親米になってしまいました。
ひどい話なのですがB-29を含めてアメリカの兵器が大好きという時期がありました。
左翼教師たちが戦争中の日本のことをあまりに悪く言うので聞きたくないという拒否反応と「日本がダメならアメリカは良いんだよな」というあてつけだったのかもしれません。
こうなったのは自分の心の弱さのせいですが素直に零戦がカッコイイと思える少年時代を過ごしたかったです。
「戦争論」とイラク戦争でアメリカがバカをやってくれたのおかげで治癒しましたが
学校図書館には「はだしのゲン」「戦争論」「天皇論」を常備して
尊皇心と反米感情を育めるようにしないといけませんね
日本人たるもの尊皇攘夷(反米)を忘れてはなりません
そういえば私もキーボードを壊すほどではないですが叩く音がうるさいと怒られたことがあります
作業が完了してドヤ顔キメながらリターンキーを叩くのは気持ちいいですよね
最後に雷神宮歌会に一首
○むかしドル ひととき円で いまは元 金の天下は 流れゆくまま
こんばんは。
今日は職場の草むしりをしていて、雑草だと思ったツルを根こそぎ抜いたら、
実はとなりの家で大事に育てていた植物らしく、怒られてしまった、とほほ。な後藤です。
カレーせんべいさん、テーマありがとう。
ー元ー
あの人の 元気のもとは なんだろう 彼うらやむも 彼もまた人
んー 下の句が ????だが
しゃべらせてクリ も考えなきゃ なので 送信!ポチッとな!
先日ブログみて驚きました!
まさか私のコメントに、よしりん先生がコメントしてくれるとは夢にも思わなかったので。
数年前に、ご本人にお目にかかって以来の感動です。
これからも、家族への思い以上に、よしりん先生にしかできないことを優先させて下さい!
天才の作品をこの世に残す作業は、それほど大切なことだと思いますので。
命燃え尽きるまで突っ走って下さい!
よしりん先生おめでとーーーーうございます!
是からも元気な先生の活動を楽しみにしてます!
よしりん先生、お誕生日、そして還暦おめでとうございます!
あんなに元気な60歳はなかなかいらっしゃらないですよ♪私もこんな老後を送ってみたいなあ…
そういえばゴー宣ではおじいちゃんver.のよしりん先生がたまに登場しますが、今回、赤いちゃんちゃんこ姿のよしりん先生がみなぼんさんやよしりん企画の皆さんと還暦を祝うイラストが出るかな…と期待しています。
小林師範、遅ればせながら、還暦おめでとうございます。師範が還暦を迎えられてもゴー宣離れできない私はまだまだ、未熟。早く、小林師範がギャグ漫画を安心して書ける世の中になるようにしていかねばと強く想います。
>>74 mayuさん
わざわざ、ご返信をありがとうございます。元気な御言葉を読んで、安心しました。ここはある種の擬似共同体だという勝手な認識がありまして、共同体を深めるためにも皆様の気持ちを知る機会があってもいいので後思うのです。そのためにも、時には私情をさらしてみてもいいのではないのかと思います。後悔は決してしないでほしいです。むしろ、よくぞ言ってくれたとこちらが感謝したいほどですので。
実は、以前に小林師範が食品や料理で選ぶ逸品についてQ&Aで問うてみたところ、義母の作った味噌と小林師範が回答されたことがありまして、味噌が米と並ぶ日本の食文化の原理なのではないのかと考えるようになりました。このような出来事があったからそ、前回の「味噌騒動」で時浦師範代も取り上げてくれるような見事な文章が書けたのだと思いました。
アルコールはあくまでも殺菌のための薬品であって、有益な微生物も有害な微生物も無差別に殺してしまいますが、薬物やその他の微生物以外の有害物質に対しては効果がありません。アルコールで無差別に殺菌するよりも乳酸菌などの人体にとって有益な微生物を積極的に取り組む方が、湿度が高く、発酵に適している日本では衛生上、有益であるし精神的にも、また、肉体的にも体調を維持するためには有益だと思うのですよね。
日本は世界で一番、人体に有益な微生物を増殖させる食べ物である発酵食品を食べる民族ですので、菌をむやみやたらと殺すのは控えられることをお勧めしたいです。食品微生物を研究する著名な学者もこのことを知っているので書籍のまえがきにどうどうと
「私はバイキンマンの味方です」
と述べていたりします。というわけで、何が言いたかったというと
「みんな、バイキンマンには良い奴もいれば悪い奴もいるんだ。これからも正義の味方、バイキンマンとともに戦おうぜ!」
です。
そういえば、アンパンマンなどのパンもバイキンマン(酵母)の力によって作られているんですよね?この問いにあの方たちはなんて答えるのかな?
つまらない返信で申し訳ありませんでした。
>>85 na85さん
>歌は57577に近づける方が格好いいですよ。
そのつもりで書いたはずだったのに、配慮が足らなかった―!しかも、見事な歌に変えられている!
というわけで、一句
古味噌や、時代を見つめ、熟すれし、味は深きも、愚昧解らぬ
褒め言葉、聞けど嬉しき、天狗の恥、晒す前には、元に戻りつ
まだまだ作り足りないので、こんごともよろしくお願いします。それと、真に勝手ながら、サブテーマにかってに選んでおきながら、味噌はもうたくさんという気持ちになってしまいました。
>>92 ひなたなのさん、初めまして
>B-29を含めてアメリカの兵器が大好きという時期がありました
実はいうと私も同じで、米国の兵器が大好きでしたが、いまでは零戦を含む、日本の兵器の方が日本人の価値観に合っていると思い、考えを改めることが出来ました。昔は米国製のB-29の巨大なプラモデルを作り、そのプラモデルには広島、永作に落とされた原子爆弾の模型まで付属していました。
日本の兵器も好きだったのですが、頭のどこかに「日本は愚かだった」という自虐史観が付いてまわり、その結果、素直に好きとはいえませんでした。このため、「戦争論」は本当に感謝すべき、作品です。
また、一つ、考えさせられました。今後ともよろしくお願いします。
よしりん先生、お誕生日おめでとうございます!
還暦を迎えても、最前線で闘っている先生は本当に凄い!!と尊敬してしまいます!
よしりん先生がペンを握り続ける限り、自分も応援し続けるので、どうかこれからも頑張って下さい!
今週のゴー宣を読んで、小学校のときに初めて『はだしのゲン』を見て貪るように読んだことと、高校生になってからはゴー宣を読んでいたので、左翼イデオロギー漫画じゃねーか!と完全否定していたことを思い出して、恥ずかしい気持ちになりました(汗)
その後、漫画版ゴー宣の一コマで、よしりん先生が『はだしのゲン』について「左翼漫画だが作者の情念のこもった傑作」と評してるのを見て、イデオロギーありきで作品や物事を頭ごなしに否定する愚かさに気付く事ができたのは幸運でした。
『はたしのゲン』の横に『戦争論』、『天皇論』もいいですが、それにおまけで今週のゴー戦が掲載されてるライジング単行本も置いてほしいなぁと思いました(^ ^)
ライジングとは無関係なのですが、イデオロギーありきで物事を決めずに自分の感性に従って生き様じゃないか!と決意し、その第一弾として総選挙以降苦手になったさっしーがセンターの『恋するフォーチュンクッキー(タイプB)』を購入しました!
ライジング49号の『Q&Aコーナー』におけるsszkshmgさんの質問に対する、この曲の感想通り、とても覚えやすく、また、歌詞も最近良い事がない自分にとっては、元気を貰える良い曲だなぁ!とヘビロテ状態になっています(^^;;
カップリングの『最後のドア』や『涙のせいじゃない』は板野友美・篠田麻里子さんの卒業ソングなんですが、どちらも歌詞がひたすら素晴らしく今更ながら秋元さんの才能に感嘆しました!
いつか、よしりん先生が『恋するフォーチュンクッキー』を生ギターで披露してくれる日がくる事を祈ってます*\(^o^)/*
配信お疲れ様です。
中学二年生の学級文庫に『はだしのゲン』が置いてあったので全巻読んでました。当時抱いた感想としては、原爆を投下したアメリカに対する生々しい怒りがストレートに表れていて、それがやけに印象に残っています。やっぱりその頃の私はゴー宣も読んでおりませんでしたし、原爆を災害か何かのように感じていたのでしょうね。あと、戦後のどさくさの中、少年少女が身を寄せ合って生きていく様が面白かったように思います。ゴー宣に出会った後も、漫画としての面白さやアメリカに対する怒りといった点もあり、特に私の中で評価は変わりませんでしたね。
週刊新潮でこの件についての記事があったので読んでみましたが、八木さんとか中西さんとかいつもの人たちが、『はだしのゲン』の戦争犯罪に対する事実誤認や反日的な部分のみを取り上げて、「けしからん!」とおっしゃっておりました。元々の論点は残酷描写なのに、そこにはほとんど触れずに便乗するような主張の仕方に首をかしげましたが、それより、「じゃあ、この人達が作った親米教科書はどうなんだ?」と反発を覚えました。少なくともアメリカに関しては『はだしのゲン』の方に深い共感を覚えます。
ある作品を読んだり観たりするのに重要な事は「自分の本来の心にどういう変化が起こって何を思ったか」だと思うんです。それが政治色の強い作品であっても。前号の宇野さんもそうでしたが、教科書を隅から隅まで暗記して、その知識体系に当てはめてでしか作品を解釈できない、というのはある種不幸なものですね。なぜなら作家の魂を通じて、揺れ動く自分の心と向き合わないという事は、自分とは何か、何をして喜び怒る人間なのかという事を考え、知るチャンスをドブに捨てているようなものですから。『戦争論』は戦争賛美でネトウヨを生んだ危険な漫画だ!とか『はだしのゲン』は反日反天皇主義漫画だ!とか言う人は色々な作品に触れてお決まりの評論は出来ても、それを自分の血肉と出来ない、実際は馬耳東風な人たちなのかもしれませんね。
結局この閲覧制限はされなかったようですが、その論理の矛先が小林先生の著作に向かってくる事も考えられ、その時に『はだしのゲン』を守った人たちは同じように『戦争論』も守ってくれるだろうか?と考えてしまいました。まあ、小林先生なら外野の圧力なんか無しでもズバッとやってくれそうですが♪
お誕生日おめでとうございます。短歌が流行っているようなので
流行歌聴きつつ眠る漫画家の指に宿りし業のペンダコ
一日遅れましたがお誕生日おめでとうございます。
赤いちゃんちゃんこよりも、真っ赤な闘魂マフラーの方が先生には良いのではないかと思います。
昨日やっと「風立ちぬ」観に行きました。以前、諫議大夫さんがコメントで「観ろ!」と仰っていたのに触発された事と、録画していた宮崎駿氏のドキュメントを見て急に「ムラムラ」してきたからです。
本当に素晴らしい内容でした。宮崎氏は主人公・二郎と菜穂子の生き方を通して「自分のやりたい事をみつけて、今を精一杯生きろ、命を無駄にするな」という事を、一番伝えたかったのかなと思いました。同時に自分自身にも残された時間で作りたいものを作るんだ、と言い聞かせているようにも見えました。
二郎と菜穂子はかわいそうどころか、僕にとっては「理想の夫婦」です。僕も結婚出来るなら、菜穂子のような女性がいいなと思いました。ただ体は丈夫であってほしいですが。二郎は自分の心を支えてくれる人が欲しかった、菜穂子は愛する人が輝いてる姿を見るのが何より幸せだった。僕には二人の関係を見てそう感じました。
「風立ちぬ」を観たあとに前回のライジングの「ゴー宣」や、読者の皆様のコメントを改めて読んでみると、観る前と比べとても腑に落ちました。
作品とは話がずれますが、宮崎氏はドキュメントで「持ち時間が足りない」と言っていましたが、小林先生も同じような気持ちで今仕事に取り組んでいるのかな、と考えさせられました。
あと宮崎氏がエンディングでカレーうどんを食べてるシーンがありましたが、これが白髪頭をコリコリかきながら、カレーせんべいを齧っていたら面白いのになあ考えてしまいました。次回のジブリ作品は「カレーせんべい」かも知れませんね。
映画を観た後、堀越次郎の事も知りたいと思い、堀越次郎の「零戦」、堀越も掲載されている前間孝則氏の「技術者たちの敗戦」という本を買いました。
PS:土曜日に「あまちゃん」も見ましたが、来週は東日本大震災のシーンになるんですね。特にユイちゃんが無事でありますように。石原さとみ主演の「貞子3D」もTVで見ましたが橋本愛の貞子、美しすぎます。仲間由紀恵が主演した「リング0」を是非、橋本愛でリメイクしてほしいと思いました。
>>105 na85さん
na85さんは、雷神宮和歌をいくらでも、創れるのがスゴイですね!
『しゃべらせてクリ!』の元坂口さんと同じくらいスゴイと思います!
私は前々から、「na85さんはQ&Aコーナーに投稿されないのかな~?」と思っていました。だから今週投稿されていて嬉しかったです o(^o^)o
一方私は、何をやるにしても「いっぱいいっぱい」なんです(ToT)
ライジングが配信されて一年間、こんなんでも、常に脳ミソMAX状態で投稿させて頂いてますので、「いつかはやめる」を意識しておかないと体力・精神力が持たないという感覚があります(苦笑)
しかしなるほど!いざ辞めようと思っても「楽しそうな場」が目に入ったら、またやりたくなるのでしょうね♪あるある、そういうこと (笑)
となると、よしりん先生の「AKBヲタ復活」も有り得る話ですね( ^∀^)
私は今の時点では、まだまだ楽しみたいですし、一年経っても情熱は上向く一方ですし、これからも投稿は続けたいと思います☆
今は来週の【しゃべらせてクリ!】が、娘と二人でドキドキしています♪
>>106 monmonさん
私は自分のハンドルネームをかってに選んでおきながら、
カレーはもうたくさんという気持ちになってしまいました(大笑)
ところで、ナツイチ(AKBメンバーの読書感想文)の企画は、あれ最高にオモシロイですね♪85作品の課題図書を、AKBメンバーが読書感想文を書く企画。
メンバーの個性が伝わるし、そしてその作品を読んで見たいと思わせてくれるので、商業的にも大変良い企画だと思います。
実は私、それを「よしりん漫画」でやりたいんです!!!
よしりんの漫画が全て電子書籍で販売されるようになったら
『漫画の読書感想文』を読者さんが発表するという企画!
題して『ヨシイチ』です!!! (^O^)
みなぼんさんが作成されているホームページを見てからですが、
ライジングのコーナーとしてみなぼん編集長に要望書を出させて頂くかもしれませんし、コメント欄のコーナーとしてライジング読者さんに呼びかけさせて頂くかもしれません。
やるからには、漫画の売上貢献に繋がる企画にしたいですね☆
って、ド素人の妄想ですから実現性はともかく・・・、
考えるだけでも、なんだか楽しくなりませんか? (^O^)
毎週の配信、お疲れ様です。
遅ればせながら、よしりん先生、満60歳のお誕生日おめでとうございます。
私も例に漏れず、『はだしのゲン』を初めて読んだのは、小学校高学年で、図書室に置かれた時でした。前半に描かれた被爆後の惨状は何度も読み返せなかった思い出があり、その後の幾つもの挿話が印象に残りました。そして「天皇の戦争責任」が叫ばれる終盤が、個人的に「こんなこと描いていいのかな……」と心の底に澱みのようなものを作りました。それをなかなか取り除くことが出来ずにいました(中学2年の時にはバス旅行で、あの「ピースおおさか」の見学に行きました)。高校生になって、呉智英氏の『現代マンガの全体像』に書かれた中沢啓治についての詳論を読み「こんな読み方があるのか」と啓蒙させられました。『はだしのゲン』は還元できない「怨念の絵巻』だということです。そして高校3年の時に、先生の『戦争論』が出て、すぐに読みました。この時にようやく心の底の澱みが取り除かれました。些か陳腐な表現で恐縮ですが、バランスがとれるようになりました。高校の図書室には『新ゴー宣』以降の先生の著作が並んでいました(しかし『戦争論』以降が置かれたのか確認できずに卒業したので、少し残念です)。先生の提案は決して不可能ではないことを示す実例なので、報告させていただきます。
余談ですが、高校3年の時の同級生に、よしりん先生の愛読者らしい女子がいて、『戦争論』を読んでいるのを見ました。「仲良くしておけばよかったかな」と思うと残念です。いまだに奥手です。
60歳になられても「業の深い生命体」(コメント欄にこの歌詞を書くのは3度目です。絢香がアルバムでカバーします)であられる先生をはじめ皆様の発展を願っています。頑張ってください。
「女性天皇の時代」を探しているのですが、見つかりません。
書店に並べてた気配もないので、はじめから置いてなかったのだと思います。
遠慮なく増刷して販売エリアを拡大して欲しいです。
今回のゴー宣はイデオロギーで作品を評価することの愚かさをテーマにしているのだと思いますが、そのような人たちは他のことでも、この調子でしょうね。元々イデオロギーにはそのような傾向があるのでしょうけど、非常につまらないですね。
イデオロギーに感性を封じ込められたような人間にはなりたくない!!
最後に和歌を…
○伝統すらイデオロギーと化している恐しい近代我ら抗う
>>19
こいらさん、はじめまして。私なりの感想を読んでいただければ幸甚です。
「完全にイデオロギーから自由な表現はあり得ない」と評されていましたが、人が共同体の中で言葉を話、文字に残し、物を作る工程を得た結果、これら文化、文明が試行錯誤を繰り返しながら開発、進展することによって作られた集合体を分析してきた結果、イデオロギーが生まれたのではないのかと思うのです。
例えば、言葉から自由な文字があり得ないというより、言葉ができた結果、文字が出来たのと同じように、人が集まった結果、芸術や祭事などの文化や機器や土木、建築物などの文明が形成され、文化、文明が形成されてきた結果、イデオロギーが生まれてきたのではないのかと思うのです。
しかし、文化、文明は常に時代の流れによって変化しますからイデオロギーも思考の一端である以上、常に変化して時代の流れに対応しなければならないのに、前回の宇野氏や今回の「はだしのゲン」騒動のように思考停止している結果ともいえる古い、あるいは的の外れたイデオロギーによって文化の一端である作品を評しているからこそ、作品に対して完全に的の外れた評価をしているのだと思うのです。
人間が共同体を形成して文化、文明の中に生きる以上、イデオロギーというのは遅かれ早かれ誕生するものであって、イデオロギーも人間の思考するものである以上は常に文化、文明とともに変化し続けなければならないというのが私の見解です。
和歌を作る前に、今週はna85さんがQ&Aで宮沢賢治について質問をしていました。宮沢健治といえば「雨ニモマケズ」が有名ですが、その中で出てくる「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」の部分を読んで、農薬も化学肥料の使わずに手製込めて作った玄米、味噌や野菜ならば肉や魚、乳製品をほとんど食べなくても日本人の大半は十分に健康で満足できるのではないのかと思いました。
とはいっても、これ以外は食べるななんて強制するというわけじゃなくて、どんな時でも食料の安全保障上、最低限、これらの食材は手に入れることが出来ればな、というだけの話です。水、米、塩、大豆があれば日本人は生きていけるというものですし、それに美味い野菜があればもういうことなしなのでは?TPPで流してほしくないです。
というわけで、一句
雨の日も、日照りの日々も、気の元を、保てる恵み、之五穀なり
やっぱり味噌はもういいです。
私はコメント欄を余り真面目に読んでいないので、私宛にコメントが届いていることに今まで気付きませんでした。
失礼いたしました。
magomeさん、私のハンドルネームの元ネタは、na85さんが仰るとおり、ジョジョ第1部です。
印象深くて面白い言葉なので使っています。
あと、『ゲン』の当該シーンも実体験だとは知りませんでした。
やはり読者の印象に残るのは、血肉のこもった描写なのですね。
>>118 daiさん。
ありがとうございます。そうですね!
「いつかやめる」よりは「いつでも休める」と考えるべきでした。
私は将棋の駒で言うと「香車」みたい性格なので、
融通が利かないというか、遊びも仕事も手加減ができないというか。
これからはもう少し気楽に考えるように・・・死ぬ気で努力します(^O^)
daiさんには、いつも、要所要所で、視点が変えるキッカケとなるアドバイスを頂きまして、本当に有り難うございます!!o(^o^)o
でも、ライジングが盛り上がっているのは私の功績というのは、
それはいくらなんでも言い過ぎであり、違うと思います。
ただ、何分の一かでも貢献できていたなら光栄です (^^)
最近、ライジングのコメント欄が面白いなと思っています。
『「集」から「公」への経路』というのはあるのでしょうか?
私には分からない。分からないから面白いと思っています(^O^)
ところで、明後日発売のHKT48の【メロンジュース】のカップリング曲に
【そこで何を考えるか?】という曲があるのですが・・・、
はるっぴ(兒玉遥)推しのdaiさんは、きっと泣くと思います。
そして、戦ったことのある人間なら、きっと泣くと思います。
AKBメンバーの生き様を目撃したり、あのような歌を聴いたりすると、
自分も新人の頃のように、物事に対して全く手が抜けなくなってしまうので、大変危険です(苦笑)
カレー千衛兵様
お疲れ様です。
和歌、私の「元」がテーマということでずーっと考えていたのですが、どうしてもできませんでした(汗)。
『しゃべらせてクリ!』に頭を使い過ぎたのか、全く思い浮かばなかったです。
いい歌をいくつも作られる皆さんの才能が裏山鹿~。
でも、和歌もしゃべらせてクリ!もマイペースでネタを作っていき、出来が良ければ披露していきたいと考えています。
お互いに頑張りましょう(^^)
祝 100件目! 投稿させていただきました それでは失礼します。m(_)m
小林先生お誕生日、おめでとうございます!
ゴー宣をSPA!で読み始めたのが20年前。当時と変わらないエネルギーは
「凄い!」の一言です。
これからもお体をお大事になさってくださいませ。
magomeさんへ。
レスありがとうございます。
人間は共同体(国家・社会・会社などの職業の現場・家族等)の呪縛からは抜けられない存在で、その中でどんなに表現者が自分の個性を十全に発揮して「個」を貫いた自分本位の表現をしても、常に共同体の意思を意識していると思います。
イデオロギーの発生が共同体のそれに起因してるのであれば、なおのこと表現者はイデオロギーから逃れられないと思います。しかも今の日本では学校教育とマスコミが戦後民主主義というイデオロギーを大衆に刷り込んでいる状況です。ここを押さえないと大衆に受け入れるられる表現は作りにくい状況です。
戦後も戦前のイデオロギーの影響を否定しないまま表現を続けた三島由紀夫も、結局は「自分の心の中の内なる戦前」と戦後民主主義との葛藤を乗り越えることができずに自刃しました。
そうなると、戦後民主主義というイデオロギーに疑念を持ち、その違和感を表現しきったよしりん先生の『戦争論』がいかにストレスが懸かった表現であったことは確かですね。
共同体との摩擦やイデオロギーとの強い摩擦を乗り越える強い表現者なのかもしれません、よしりん先生は。
>>114
magomeさんへ。もう一言。
イデオロギーは時代によって人間の意思で変えるものでもありますが、今の日本ではマスコミがまだ戦後民主主義というイデオロギーから抜けられない状況で、これをたった一人の考えだけで変えることはもの凄いストレスが懸ると思います。
わかりやすい例だと例えば会社組織の中で組織の上層部が不正を働くとか、間違いを犯してる場合、普通の社員が会社組織を敵に回して異を唱えて不正を糾し新しい価値観に会社組織ごと導く、ようなもので、会社を辞めない限りその不正を告発した社員もそこの「社員」という身分のままです。
半沢直樹がウケるのも、どこかに閉塞感がある今の時代に対する異議申し立てを「個人」がやってくれないかな?という期待が大衆の中にあるからなのかもしれませんね。
ゴー宣道場やよしりん先生の一連の作品は戦後民主主義という「無意識のイデオロギー」への異議申し立てだし、時代はそんな表現者を求めているのかもしれません。
>>127 >>126 こいらさん、感想をわざわざ書いてくださりありがとうございます。
この戦後民主主義イデオロギーは黒船来航によって欧米から押し付けられた不平等条約に起因していまして、それまで我が國が築き上げてきた文明、文化を一切切り捨てて欧米化しようという欧米化イデオロギーの延長にあるのです。黒船来航以来、およそ160年間粛々と強化されてきたこのイデオロギーは凡人の単独行動はおろか、並みの表現者でも屈服すことは不可能だと思います。
ただし、イデオロギーとは我が國の文化、文明のように自然発生したものではなく人工的に作られたものでありますので、我が國の臣民を縛り続けるには限界があるとみています。小林師範は左右の脳と才覚を最大限生かし、天皇皇后両陛下及びの声なき御意志を御忖度した結果、明治以降二度にわたり、イデオロギーによって断絶した歴史を繋ぎ古代に還る事を主張されているのだと思います。その根拠が皇室の直系長子優先の女系公認、「大東亜論」、「天皇論シリーズ」、「女性天皇の時代」です。
そして、臣民の多くが無意識の内に内心の奥底で、小林師範の主張と同じ気持ちを持っているからこそ、小林師範の著作も支持されているのだと思います。一方で、イデオロギーだけで縛ろうとする自称保守や左翼、サヨクの論壇誌、そしてネットでもネトウヨが臣民に支持されずに部数が極限まで落ちてしまうのもイデオロギーで臣民の内心を縛ることに限界が来ている証拠でもあるとみています。
会社の場合、不正を含む、その運営方法に不満があるのであれば独立するか、異議を申し立てるかはその人の判断と立場によるのでしょう。江戸時代の民間会社の場合、役人や管理職になれるのは少数で、大半の人々は途中で独立するか家に帰って家業を継ぐという極めて独立の強い社会でした。一方で、戦後は会社が家族そのもので共同体の強い組織でもありました。しかし、現在は大半が派遣や外国人労働者によって運営され、異議を申し立てるまでの知識と技量をもつ会社員の数自体が昔に比べたらほんの少数と見るべきでしょう。
「半沢直樹」は見ていませんが、果たして今の職場環境で昔はいたであろう「半沢直樹」ほどの実力を身に着けることが出来る機会を持っている人がどれほどいるのか、それ自体が疑問です。
結論を言いますと、イデオロギーで臣民の内心を縛るには今の時代は限界が生じているのだと思います。だからこそ、「はだしのゲン」や「風立ちぬ」などの名作を時代遅れのイデオロギーで評することに臣民は内心で違和感を感じているのでしょうし、日教組教育よりも「戦争論」が臣民に支持されるのでしょう。イデオロギーは共同体に起因して生まれますが、臣民はイデオロギーで縛り続けられるほど単純でもなければ愚かでもありません。ましてや自然発生的に誕生し、持続している我が國の共同体の基に暮らす、臣民ならなおさらだと思います。
非常に興味のある面白い意見でした。今後ともよろしくお願いします。
>>128:magomeさん
>イデオロギーは共同体に起因して生まれますが、
こいらさんとの対話を拝見していて少しだけ感じていた違和感の正体がやっとわかりました。歴史が途切れることなく連続してきた日本は、様々な共同体が重層的に折り重なるように出来上がっている社会であるため、設計主義的にイデオロギーを打ち立てる必要のなかった国だと思います。つまり伝統を受け継ぐ共同体が強固であり、同時にその運用が柔軟だったため伝統の更新も可能であり、硬直したイデオロギーが必要なかったということです。そして、外来の文化・思想・イデオロギーが入ってきても、それを自分たちの原理に合うかどうかで取捨選択しながら換骨奪胎し、消化吸収し長時間かけて自分たちのモノにしてきました。
しかし、この160年ほどは違います。強姦的に開国させられてから外来の文物や思想が次から次へと乱入し、熟成して日本化している暇がないのです。まず無制限な開国の思想はグローバリズムというイデオロギーでしたし、資本家が人をモノのように扱う苛烈な資本主義に対抗し、社会主義というイデオロギーを入れれば君主制否定がセットになっていました。マッカーサーは戦後統治に共産主義まで間接的に利用しましたが、これは「天皇を中心に置いた支配無き自己統治」ができる民の重層的な共同体社会を動揺させるためであったように思います。共同体が弱体化すれば外来イデオロギーに曝露されやすくなるからです。今では「開くことは良いことだ」と無意識に思うほど、誰もが多かれ少なかれグローバリズムというイデオロギーに浴しています。
これまでの左巻きに発散していく世界主義を排し、共同体主義で右巻きに収斂させていくには、人々の郷愁を刺激して時間的には江戸期以前、空間的には農山漁村へと志向を戻す必要があります。ジブリアニメのキーワードは郷愁で間違いないですし、『風立ちぬ』では日本の近代が舞台となることで郷愁を自分たちに引きつけて考えやすくする効果があると思います。また『はだしのゲン』では外来の侵略者への素朴な怒りを再認識でき、『戦争論』ではそれを強化しつつその間違いの部分を修正もできます。『戦争論』シリーズ(とくに3)と『反TPP論』『大東亜論』が繋がれば現在世界を覆うグローバリズムの間違いもより鮮明になるはずです。また重層的共同体社会の日本における最大の共同体が国家共同体であれば、そのトップは祭祀王天皇であり、臣民の郷愁が向かう一番先は天皇だということです。『天皇論』シリーズは日本人が天皇を再認識するための決定版です。現在は女性宮家を潰され、TPPは批准目前で、原発も次々再稼働したがる安倍政権下であるという絶望的な状況ですが、これからの3年間は希望の期間になると師範は仰いました。左巻きに発散した極点にこそ逆回転の契機は巡ってくると信じたいです。
共同体主義への逆回転開始の狼煙はこれから上がるか na85
>>129 na85さんへ。
日本が本来持っているしなやかな共同体と、明治の開国以降日本に割り込んで入ってきた近代合理主義との間の乖離が、この国の深い病理と繋がっている気がします。
イデオロギーを人工的に作った印象が強い欧米(資本主義も共産主義も)と違い、日本では天皇陛下を中心にした家族共同体みたいなものの中で、勤勉に生産性を上げて共同体を維持することそのものがある意味「日本型のイデオロギー」であり、いわゆる芸能と呼ばれるものは「天皇陛下を中心にした共同体で働く人たちを慰労すること」を目的として生まれたのではないのでしょうか?
そこに近代合理主義みたいな「個人」とか「自我」という概念が入ってきたのでややこしくなってきたのかな?と思ってしまいます。夏目漱石や太宰治などは、近代合理主義と日本古来の価値観とで揺れる日本人を作品で描いたのですが。
日本型の共同体にあった表現者集団としては、よしりん先生が好きなAKB48やジャニーズ事務所の男性タレントなどがそうなのかもしれません。彼らは近代合理主義で苦悩してる「個人」を表現するのではなく、あくまでも「集団」として日々暮らしている我々を「慰労」しているのかな?とも思います。
>>131:こいらさん
はじめまして。「日本型のイデオロギー」とは西洋の硬直した理念体系としてのイデオロギーではなく、意識されない皮膚感覚みたいなものと言う意味でなら判ります。それは共同体の伝統みたいなもので、成文化もされず成員たちのよき言葉や行動から伝承的に伝わってきたわけです。
芸能世界においても、如何にすれば位の高い人々から庶民までをより楽しませ感動させることができるかに特化して能力を高めてきた集団(共同体)ですから、時代の移り変わりによる人々の嗜好の変化に合わせて因習を削ぎ落とし、革新して受け入れられたことを伝統として残してきたわけです。だから皮膚感覚のような伝統を受け継いだ子への世襲も弟子への襲名も当然ありなわけです。こういう共同体の様々な掟や決まり事を既得権益だと排撃するのがグローバリストであり、彼らは自分たちのビジネスチャンスを拡大することしか頭にない奴らです。
日本人グローバリストのバックには外資がいる na85
>>130 na85さん、丁寧な御説明ありがとうございます。只一つ、この一点だけ詳しく説明していただく存じます。
>共同体主義で右巻きに収斂させていくには、人々の郷愁を刺激して時間的には江戸期以前、空間的には農山漁村へと志向を戻す必要があります。
これは江戸時代の再来を目指すには人々に志向を江戸時代の前の時代に、時間的に戻ってもらうという意味でしょうか?江戸推しの私としては幕末期前の時代と考えていたのですが、やはり、いきなり志向を江戸時代に時間的に戻る前に江戸時代を作るきっかけとなって江戸期以前に戻さなければいけないという意味なのでしょうか?
時間がありましたらご説明お願いします。
こんばんは。遅ればせながら、ライジング読みました。
笑えるながらも、考えさせられる、今回みたいなテーマも楽しいです。
3人の痴漢の話、消防士は忍び込み、サドル男は窃盗、
側溝男はスパイ、といった、それそれが得意な能力を駆使して、
欲を満たす対象を「掠め盗ろう」としているようにも思えます。
単に性欲が満たされるだけではなく、相手の意思を無視して
横取りする喜びを感じる、悪い夢に魅せられてしまっているような・・
そう思うと、満たされない負のループに迷い込んでるようにも思えて、
私には憐れみの感覚の方が強いです。
不法ではないとはいえ、私もゲームセンターで景品を得ようとする時、
これに似たような「掠め取りたい」気持ちに駆られます。
そういう気持ちが湧いた時は、大体運に見放されますけど。
(ID:33596288)
Vol.51日付変更前の発行さすがプロフェッショナルです!よしりん先生今週お誕生日ですか?おめでとうございます。