こいら のコメント

私は音楽をやってますが、完全にイデオロギーから自由な表現はあり得ない、という立場です。例えば男女の色恋を描いたラブソングでさえ、何らかのイデオロギーからは逃れられないのは表現者としては自明のことです。かといって、表現者の動機が「何らかのイデオロギーを流布させるため」というものになった時、それは特定の政治勢力から利用されるきっかけを作ってしまうのではないのか、ということを感じています。
表現者は何も、特定の政治思想に与するために表現をやっているわけではなく、「自分の内なる情動」を音楽や映画や文学として世に送ることをしていて、それがよしりん先生の言うところの「業」というものです。ただし、表現者が日々生きて行く上で起こったことや、あるいは学校や社会で感じたことなどの蓄積によって何らかの「イデオロギー的な立場」みたいなものができてしまう場合があり、それが表現となった場合、イデオロギーにどっぷりと浸かった人から見ると「あいつ(表現者)の表現物(音楽や文学や映画)は思想的に偏っている」みたいな見方になってしまうのかな?とも思います。
「風立ちぬ」にせよ、「はだしのゲン」にせよ大東亜戦争と敗戦という事実を扱っているので、その事実に対する作者の「イデオロギー的な立場」ができていて、それを外野の人間が「危険思想だ」とか「いや、これは戦前を否定する素晴らしい考えだ」と言ってその「イデオロギー的な立場」を勝手に拡大解釈してるきらいがあると思うのですが…。
戦争について語ることに、日本人は慣れていないし、戦後きちんとした戦争論が文字通りよしりん先生の『戦争論』まではなかったので、戦争をテーマにする表現がイデオロギーどっぷりの立場から揚げ足を取られるという繰り返しが続く状況がこの国ではあるのではないのかな?と思ってしまいます。

No.19 129ヶ月前

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