magomeさんへ。 レスありがとうございます。 人間は共同体(国家・社会・会社などの職業の現場・家族等)の呪縛からは抜けられない存在で、その中でどんなに表現者が自分の個性を十全に発揮して「個」を貫いた自分本位の表現をしても、常に共同体の意思を意識していると思います。 イデオロギーの発生が共同体のそれに起因してるのであれば、なおのこと表現者はイデオロギーから逃れられないと思います。しかも今の日本では学校教育とマスコミが戦後民主主義というイデオロギーを大衆に刷り込んでいる状況です。ここを押さえないと大衆に受け入れるられる表現は作りにくい状況です。 戦後も戦前のイデオロギーの影響を否定しないまま表現を続けた三島由紀夫も、結局は「自分の心の中の内なる戦前」と戦後民主主義との葛藤を乗り越えることができずに自刃しました。 そうなると、戦後民主主義というイデオロギーに疑念を持ち、その違和感を表現しきったよしりん先生の『戦争論』がいかにストレスが懸かった表現であったことは確かですね。 共同体との摩擦やイデオロギーとの強い摩擦を乗り越える強い表現者なのかもしれません、よしりん先生は。
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小林よしのりチャンネル
(ID:22166571)
magomeさんへ。
レスありがとうございます。
人間は共同体(国家・社会・会社などの職業の現場・家族等)の呪縛からは抜けられない存在で、その中でどんなに表現者が自分の個性を十全に発揮して「個」を貫いた自分本位の表現をしても、常に共同体の意思を意識していると思います。
イデオロギーの発生が共同体のそれに起因してるのであれば、なおのこと表現者はイデオロギーから逃れられないと思います。しかも今の日本では学校教育とマスコミが戦後民主主義というイデオロギーを大衆に刷り込んでいる状況です。ここを押さえないと大衆に受け入れるられる表現は作りにくい状況です。
戦後も戦前のイデオロギーの影響を否定しないまま表現を続けた三島由紀夫も、結局は「自分の心の中の内なる戦前」と戦後民主主義との葛藤を乗り越えることができずに自刃しました。
そうなると、戦後民主主義というイデオロギーに疑念を持ち、その違和感を表現しきったよしりん先生の『戦争論』がいかにストレスが懸かった表現であったことは確かですね。
共同体との摩擦やイデオロギーとの強い摩擦を乗り越える強い表現者なのかもしれません、よしりん先生は。