Kazutaka のコメント

 『はだしのゲン』は小学生の時に読んだことがあります。
 原爆を受けた直後の広島の描写は衝撃的でしたし、その後のウジ虫がたかる、寝たきりの絵描きを世話するエピソードも忘れられません。それ以降のエピソードはちょっと忘れちゃいましたけど、記憶にあるのは日本軍の蛮行(女性器に一升瓶を突き刺すとか)をゲンが語っていたなあという断片的なものです。
 当時は、日本はアジアでいろいろ悪いことをしていたと教わっていたので、特に違和感はなかったのです。従軍慰安婦という存在が語られ始めた頃も悪いことしてたんだから賠償するしかないんじゃないかな?という感覚でした。

 やはり転機になったのはよしりん先生の『戦争論』でした。
 漫画の情念の強さもさることながら、合理的で説得力のある論で、これまでの戦争観がひっくり返りました。
 『天皇論』シリーズも当時の昭和天皇の苦悩や敗戦後の日本のためにどれほど尽くされてこられたのかが分かり、深い感銘を覚えました。

 そんな自分の経験から言わせてもらうと、『はだしのゲン』と『戦争論』『天皇論』シリーズを並べるのは大賛成です。小学生には内容はまだ難しいかもしれませんが、子どもは感性が鋭いので、情念を大人より感じることができると思います。そういう作品はいつまでも心に残ると思うし、難しいことは大きくなった時、また読み返して理解すればいいだけのこと。
 『戦争論』は15年売れ続けていますから、今の子達が大きくなった時、必ず読む機会に恵まれると思います。


>>4
そぽろさん

 ラストシーンが「来て」から「生きて」に変わったこと。僕はむしろこちらの方が宮崎監督らしいなあと思いました。
 この映画のキャッチコピーは「生きねば」。ラストシーンは業を背負い、たとえ希望が見えなくなっても人は生を全うすべきだ(長生きしろという意味ではなく)という宮崎監督のメッセージか込められていると感じます。
 それゆえ、死者に誘われて生を閉じるラストシーンは情緒的であっても、そぐわないと判断したのだと思います。

 そもそも「生きねば」というコピーはご存じかもしれませんが、漫画版『風の谷のナウシカ』の最終巻のセリフから来ています。漫画版と映画版の違いは、特に世界の秘密についての設定で、ナウシカは終盤にその秘密を知ることによって大いなる業を抱え込みます。ネタバレになるので詳細は省きますが、ナウシカは人類が生きる意味すらひっくり返されてしまうその秘密を自分の胸の中にしまいこみ、「生きねば……」と決意するところで終わります。
 僕は『風立ちぬ』を観て、ああ宮崎監督はナウシカの時から(良い意味で)変わってないんだなと感じました。まだ未見であれば、是非オススメします!

 むしろ「来て」のラストシーンで喜ぶのは宇野常寛、東浩紀、中森明夫、藤原帰一をはじめとするサヨク知識人たちでしょう。彼らは主人公に葛藤や苦悩、後悔、そして“報い”を求めていますから、死んだら喜んだはずです。


>>17
直明さん

 サザンオールスターズの『ピースのハイライト』について僕も同意見です。
 桑田佳祐氏はインタビューで「国と国というのはもともと仲が悪いもので、だから国境がある。習慣が、民族が違えば、考えることや主張も違うし。だけどやっぱり平和的に、交渉や外交で、政治家にはうまくやってほしい。ねじれや不信、誤解されているものを少しでも解いてほしいな、と思う」といった主旨の発言をしています。
 そもそもあの歌はメッセージソングではあるけど、イデオロギーに染まったものではなく、「世の中は今こんなことになっている。どう思う?」と問いかける歌です。
 特にネトウヨが騒いでますけど、歌詞の内容を見れば日本に限らず、国というものがどうしても抱えてしまうエゴや他国に歩み寄れないもどかしさを伝えているだけです。政治や外交は摩擦を起こしたり対立したりするための手段ではなく、まずはお互いの妥協点を見つけ出すものではないかと。
「国境がないと想像してごらん」とユートピアを歌ったイマジンとはまた違った趣があると思います。そこに力強いメロディーも加わって、心に響きます。
 タイトルの意味は「陽の当たる場所(ハイライト)で小さな対立はあっても、その水面下で妥協点を探して平和(ピース)を維持していこうよ」という風に対比させていると僕は解釈しています。

No.33 129ヶ月前

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