第105号 2014.10.21発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第103回「保守とは何かを考える」
わしは2001年9・11の同時多発テロを機にいわゆる保守論壇とは手を切り、親米・従米の保守言論人を「ポチ保守」と批判したが、その後も、資本の暴走を規制しないグローバリズムの信奉者や、科学力が自然に勝てると盲信する近代合理主義の原発推進派や、挙句の果てには排外主義や人種差別を公然と唱える極右運動集団までが「保守」を自称するようになってしまった。
ともかく、こんな「自称保守」ばかりが蔓延している世の中だから、わしはあえて「わしこそが保守」という立場を演じるしかないのである。
つまり、保守とは歴史上のある時点の体制を守るということなのだ。それでは日本ではいつの時点の体制を守るのが「保守」なのだろうか?
ところで、番組では安倍晋三の言う「戦後レジームからの脱却」とは戦後体制の「革新」という意味であるから、これは保守ではないのではないかという疑問が出ていた。
番組ではもう一人、新右翼・一水会最高顧問の鈴木邦男氏にインタビューして、「右翼」と「保守」の関係について聞いていた。
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コメント
日本の歴史的な男女観から、世界で普遍的なものとなる可能性を秘め、またそうなるべきである男女の平等や、世界を救う可能性のある日本の皇室の今そこにある危機を救う唯一の方法、皇統の女系継承を擁護した文章に、グローバリズム批判までも挿入しました。
その結びとして、ホシュが大好きなバークやチェスタトンを引用しつつホシュを斬った部分なんか、ライジングメンなら面白がってくれるんじゃないかと思います。
参考文献はあまり思いつかない na85
na85さんの文、非常に興味深く読ませていただきました。
引用文の最初の5行で、所謂『日本サヨク型フェミニズム』とは一線を画し
たものであると感づきました。戦後、日本の『左』の人が、戦前の反省と称
して『右』を攻撃してきたが、冷戦崩壊後はそのカウンターとして、『右』
側の人が、『左』を攻撃するという、抜け出せないスパイラルに嵌まるのは、
欧米のように、真にディベートに長けた人物が日本から出てこないことに起
因するようにわたしは思います。
na85さんが仰る「情報過多の中で互いの主張を譲らず、決断できない状況
に陥った時」、「『アタシはこっちの方が好きだね』の一言で方針を決定で
きる」日本独自の女性社会中心のシステムが皮肉にも「自分の思考能力を遥
かに超える事態に直面した時、他者に裁定の全てを委ねて、自らは思考も放
棄して只他者の言うことに従う」ところだけを受け継いで、他者の特定の思
想を盲従するシステムに変質したのは、歪であると言わねばなりません。
歪であるがゆえに、本来女性中心の社会であったはずの文化が、男性中心の
社会に変わっても、何ら異を唱えず、むしろそれを「伝統」として保守しよ
うというのは、滑稽ではあるが、日本社会が外国から侵略されず王朝の交替
で文化の否定が起きなかったことの証左であるという観点からみると、まだ
救いがあり、一筋の光明を見いだせる気がします。
保守ならばこういう時こそ「和魂洋才」を使わなければ、いつ使うのでしょう。
すなわち、本来日本が持つ女性中心の社会─それは女性宮家、女性天皇の出
現に他ならない─が、世界にどのように影響をもたらすかを、欧米流ディベ
ート能力を駆使して、全世界に発信していかない限り、世界に真の平和は訪れないでしょう。
na85さんの文を読んで、わたしはここまで思考することができました。
ニセただしさん、叢叡世さん、カレー千衛兵さん、コメントありがとうございます。
(ID:29208643)
一番(^^)/