第180号 2016.6.14発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
そもそもメディアの役割は、権力と国民の間に立って、政府の政策を分かりやすく伝えたり、欠陥がないかチェックしたりするものである。メディアがなければ国民は政府の意図がまったく分からなくなる。選挙の際に何を判断基準にすればいいのかも分からないだろう。
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コメント
二番~♪
配信ありがとうございます!
1げと……
また逃しタコ!!!
(´Д⊂ヽ
にんにん2番♪
あららら・・・2番じゃなかったのね(T_T)
ロックな6番!
7thheaven
恥じ
9
いつも楽しく拝読しています。
潔癖王国、民主主義という病い…、自身の身に引き付けてみても、頭が痛くなってきます。
安楽死についても、現政権の改憲同様に、必要だとは思いつつも、私民主主義に陥らずに議論できるか、悩ましくも思います。
一君万民を成し得られるか、独裁に頼る他ないか、公の視座に基づいた民主主義は可能なのか、私も何とか突破口を見出だしたいです。
今週も、配信ありがとうございます。
お早い配信ありがとうございます♪
中国韓国の例を見ると、私のみに生きていれば「言論の自由」など関係なく、社会をより良くしようとする公の実現や歴史の真実を直視しようとすれば「言論の自由」が重要になるのですね。
木蘭さんの安楽死レポート、大変参考になりました。私も将来は安楽死を選択できる社会になってほしいです。
実際するかしないかはその時によると思いますが、不謹慎だと一刀両断せずに議論されるべきです。
もし自分が要介護になり、子供の世話になるとしても、迷惑をかけたくない、子供の人生の邪魔をしたくない。
以前テレビで、母親が要介護になり、父親の方が給料がいいのでそのまま働き、一人息子が仕事を辞め介護に専念するといった実例を見ました。若い一人息子は泣いていました・・・。彼に夢や仕事を諦めさせる親に腹が立ったし、このままでは確実に結婚もできないでしょう。若い人の将来を破綻させてはいけないと思います。
本を数年も寝かせたら、間違いなく途中まで読んでいたこと自体忘れます!
MVPありがとうございます。
配信ありがとうございます。いつも楽しく読んでいます。電車の中で集中して読んでいたので危うく乗り越すトコでした。
「放送法遵守を求める」とか言っておきながら放送法が政府や権力からの自由を目的とした法律だと知らない頭の悪さはいったい何なんでしょうか。
たとえば安保法制なんて、まともな学者に意見を聞いたらほぼ確実に反対するに決まっているのに同じ時間を割けとか意味がわかりません。
配信お疲れ様です。まったく毎日テレビでは舛添問題ばかりでうんざりしますね。
言論の自由というと、誰もが「自分の」「自分が共感できる人の」しか考えない傾向があるのではないかと思います。故に「議論の自由」とでもしたほうが正確なのかもしれません。議論は一人ではできませんからね。となると、ヘイトスピーチが大好きでその規制を「言論の自由の侵害」と捉えたい人達は、議論する気のない一方的な言論=罵声を正当化したいだけですから、最初から話にはなりません。カウンター側も似たようなもので、アイヌ問題など自分たちの気に食わない議論はさせない=言論弾圧を正当化したいだけでしょう。大事なのは議論が出来ること、です。自分が正しいと思うことが大声で言えること、ではありません。
話し合いで落としどころを探る、というのは大人にしかできませんが、子供王国の日本ではそういうことが絶望的に出来ません。安楽死の件もそうですが、議論そのものがタブーで、賛成派も反対派も勝手に絶望しているだけで、社会的コンセンサスを獲得しようとする議論は起らないでしょう。デモは近い将来起るでしょうが、それは運動であって議論ではない。より妥当なほうが勝つ、ではなく押しが強いほうが勝つというだけの話です。
そして往々にして民衆より権力の方が押しが強いに決まっていますから、今のようにマスコミを委縮させれば、放送時間が公平だろうと、政府が勝つのです。アホかという話です。
妥当の「だ」は妥協の「だ」でもあるわけですが、現実を知ればこそ妥協も出来るわけで、現実を知らない人ほど妥協ということが出来ません。そういう人を昔は「世間知らず」と言ったわけですが、今は「世間知らずでいる自由」があるようで、なんだかなあ、という話です。自由を生かすには現実という枠が必要だ、ということを子供の頃から口を酸っぱくして言い続けるほかないのかもしれませんね。
大鉄人ワンエイトはワンセブンの実弟だす。
生放送をラストの部分だけ拝聴しました!
これからタイムシフトで楽しみます☆
地方ゴー宣道場について。
よしりん先生は「きっと実現は難しいだろう。やっぱり地方ごとのリーダーを選ぶのが難しい。」と仰っていました。
同様の指摘や質問は、ライジングコメント欄でも、アンケートメールやツイッターでも出されていました。
私の考えでは、地方ゴー宣道場のリーダーは
【自分を含めて5人の仲間の先頭に立てる人】
にお任せしたいです♪
「5人の先頭」だから「ゴーセン」ですね(笑)
リーダーに必要な「能力」とか「人格」とか、
見る角度によって答えは違ってきます。
そもそも、そんなものは見抜けません。
けれども「自分を支えてくれる4人の仲間がいる人」ならば、即座に信用できます☆
逆に、どんなに「能力」や「人格」が優れていたとしても
【4人以上の仲間】がいなければ、途中で挫折しちゃうと思います。
これは私なりの経験則です。
あと、先週コメント欄で、
がんTさんからご質問を頂いた、
【9つに分けた地方ブロックごとの具体的な場所(県・都市)を教えて欲しい】
については、すぐに検討致します!!
これは、たこ焼きさむらいに相談して、近々、広報できるように考えてみますね♪♪
今週も配信有り難うございますm(__)m
籠の中の自由を本当の自由と履き違えることのないよう、思想し続けなければならないと思いました。
>>13 らっこフェスティバルさん、
MVPおめでとうございます。
今回は完敗です。
わたしの「日本の放送は終了~」ネタは自信あったのですが、
今回それを上回るネタが出てくるとは…!おそれいりました。
>ボンさん、後編では、掲載されて、良かったですね。
一瞬、ボンさんがMVP?かなと思いましたが…頑張ってください(笑)
>ニセただしさん、後編にニセただしさんの名が無い(ToT)のはなぜ?と思いました。
もしかして、今回激戦というから、皆さんハイレベルの死闘を繰り広げていらっしゃるのか?
…と思ったら、本当にハイレベルなネタばかり揃って、とても太刀打ちできませんでした(ToT)
こんにちは。配信ありがとうございます。
権力が自らに不都合な報道等に対して締め付けたい気持ちは理解できなくもない(勿論、『表現の自由』に反することで許されざること)のですが、憲法で保障された国民の権利である『表現の自由』を、メディアも国民も、左右問わず、なぜこうも簡単に手放してしまうのか。手放す人々の気持ちがさっぱり理解できません。メディアが権力に飼い慣らされる(恐らくカネの為)ことも怖いことですが、それを(気付いていないとしても)受け入れているかに見える国民はもっと恐ろしいですね。
原発事故以降、公共心の破壊が加速してしまい空気の強張りがますます強化され潔癖さ加減は致死量寸前と感じます。まさに愚民化の極み。選挙の時には何を根拠に投票するつもりなのか。
今回の道場は本当にテンポよく議論が進み、またユーモアもたっぷりで楽しめましたが、その分、終わった時には頭の中で色々なことがグルグルしてしまい、アンケートにはまともなことが書けませんでした。ようやくスッキリしました。ありがとうございます。
舛添叩きって、結局これも「奴隷道徳」なんでしょう。
舛添が余りにもチマチマした庶民的なつるセコさが祟ってしまってこのような事態になってしまったのだと思います。
都知事の命運ももはや明日限りでしょう。
参議院選挙に影響するからということで不信任案出すけど、自民は自分たちが推して支えたという“失敗”があるからどうしても出来ない。
代わりに腰巾着の創価公明に出させて自分たちがそれに乗っかろうとする浅ましい根性がミエミエですね。
でも、愚民は自分達が愚かであると指摘されると烈火のごとく逆切れして怒り狂うんですよね。
こんにちは。
マスゾエさん、いよいよ追い込まれているようですね。報道ステーションでもなんか意味のない中継したりして。都知事のセコい使い込みのニュースって全国に流すほどのことでもないと思うのですが…。リンチは全国のみんなで楽しもうよ、ってか?
今日の「よしりんに、きいてみよっ!」でも触れられてましたが、報酬を若干削ってマスゾエさんを働かす方が、未知数の人を人気投票で選び直すより、よっぽど仕事してくれるハズ、に同意です。
選挙に40数億もの税金を投入してバクチを打つ価値はあるんでしょうか?
イシハラさんのときは銀行で桁違いにコケてもリンチされたようなイメージはないのですが、判断基準が完全にダブルスタンダードですよね。ダブルスタンダードはイカンですよ。
医師の立場からすると病気で苦しんでいて快方の見込みのない方には安楽死という選択肢があってもよいのではという「公」の感覚と、でも自分が安楽死させるために薬を打つ役目なのは嫌という「私」の部分が同居。
自分が年寄りになった場合でも、普段は子供に迷惑はかけたくない、生き恥をさらすよりはとっとと死にたいと偉そうなことを言って安楽死させてくれる病院に行こうとしても、いつその日が来るのかを考えると気が狂いそうになり病院から脱走しそうな自分もいる。日ごろからの心の修行が必要だが、臆病者というか卑怯者の自分がそのときどう出るのかな?矛盾した感覚が同居して、何だか心苦しい。
言論の自由とどこまで関係があるのか分からないのですが、私はベッキーとゲス極み川谷をネタに彼らを揶揄した歌を作ってライブハウスで歌っています。しかし公なき大衆が言論の自由のイニシアチブを取ってしまうと、不倫を糾弾し吊るし上げる言論の自由はあっても、揶揄しユーモアや皮肉で笑い飛ばす言論の自由は保証されなくなるという危惧を私は感じるのです。
特に最近のネット大衆は、ユーモア精神よりもどれだけネット社会での世間体に合っているか否かで言論の優劣を決めてしまう主体性がない思想を持ってる気がします。大和君失踪事件でも、ネット大衆は本心では尾木ママが言うように父親の虐待を批判したいのに、尾木ママがブログで父親の虐待に触れると、自分たちの本心を棚に上げて尾木ママをスケープゴートにしてブログを炎上させたりしてます。
主体性もないし、自分と向き合ったこともないので「正論のようなもの」に脳みそを乗っ取られてそれに合わないものは排除するという思考回路がネット大衆の脳内に出来上がってます。これは真っ当な批判精神とは全く違うもので、世の中の物事を正しいか間違いかの二択でしか考えられないという恐ろしい思考回路です。
だから、例えばメディアが権力に対して批判と賛同の両論併記をした場合に、どちらか片方の考えに従えばいい、みたいにして思考を放棄しちゃうんだと思うのです。メディアが提示する意見を権力に批判的でも賛成してても自分の考えに同一化すれば、権力を監視する役割を放棄したメディアが権力に取り込まれた場合に、それに異議申し立てすらできない愚民大衆思想のような雰囲気を作ってしまうことになってしまいます。
自分と向き合うことは、例えば様々な本を読むとか、様々な芸術や音楽触れるとか、恋愛をしたり失恋をしたりするとか、あるいは自分のコンプレックスに苦悩するとか、生身の人間が生身の関係の中で悩みながら経験するものです。時には孤独であり疎外感を味わうかもしれませんが、それゆえ人間は成長できるのだと思います。
ところが、今のネット社会だと、それが全てネットで代用できてしまうのです。実存の苦悩がないから正誤だけで事象を判断し、とりあえず声が大きくて正しそうな陣営についておけばいい、みたいになってしまうのです。
宇多田ヒカルが「for you」という歌の中で「誰かのためじゃなく自分のためにだけ歌う歌はいらない、強くなれるためにいつか届くように君にも同じ孤独をあげたい」と歌ってますが、孤独に沈思黙考する姿勢を捨てないことが、真の言論の自由を取り戻すヒントになる気がします。
配信ありがとうございます。
権力批判に関しては、よしりん先生が挙げておられたニュース番組について「安保法制の批判ばかりして、賛成意見を流さないから嫌い」という否定的意見を雑誌で読み、違和感があったので「ここが問題か」と納得できました。「それなら見なければいいのに」と思いますが、これは報道機関の監視者気取りだったのでしょうか。その実、政権批判を抑えたい私情がアンケート「嫌いな番組」の多数を占めていたなんて、これでは信頼できません。
それとも「飼いならされた羊」が既に多数派になっていることがあぶり出された象徴なのでしょうか。
カレーさん、わざわざありがとうございます。なんか煩わせているようで恐縮です。
たこ焼きざむらいさん(性別不詳?)、お気張りやす。大阪の方と思われますが、京都に出てきたらつらかろうとお察しいたします。「京都のたこ焼きにはキャベツが入る」―これ最近知りました。
とりあえず初見の感想です。
昨晩もライブハウスで歌ってきたのですが、ライブハウスでバンドを組んで歌ったりお客さんとして足しげくお気に入りのミュージシャンのライブを見に来る若者たちって、例えば色んな意味で普通の社会から疎外されたりコンプレックスを抱えていたりする奴が少なくないです。
片親だったり、ずっと学校生活でいじめられていたり、物凄く家が貧しかったり、親の愛情を得られずにその代償行為として風俗に通ってたり…
そんな疎外感やコンプレックスを抱えているから、普通の人間が気づかない状況でも否応なしに自分と向き合わざるを得なくなり、音楽という形で表現したり、その表現者のシンパになったりしてるのだと思います。
中村あゆみというロックシンガーが「ロックというものは頭のネジが少しズレていないとやれない」と歌ってます。彼女も幼い頃から片親に育てられてて、世間とのズレを修正するためにロックという表現手段を取っています。
私はPTSDという持病がありますが、ライブハウスに来てる連中は全く差別することなく、普通にフラットに接してくれて、普通の例えば会社社会みたいな差別や疎外感なんかもないです。世間とズレてて、世間と何となく同調できない彼らが、この世界の事象を正しいか間違いかの安直な二択で判断することはないと思われます。
ロックというものはそもそも正しいとか間違いとかの二元論から最も自由な表現ではないのでしょうか。最近はどうかわかりませんが、言論の自由を取り戻すヒントはライブハウスの若者の中にあるのかもしれません。
配信ありがとうございます。言論の自由だけでなく、色々なところで、義務と権利についてあやふやな理解のままになっているような気がします。それ故に怒るべき時に怒る事ができず、どうでもいいところで怒っているような気がする。知性の劣化、なのですが、何故にここまで劣化しているのでしょうか?やはり奴隷の平和に浸かっているせいなのでしょうね。今回のゴー宣を読んで、色々反省しているところです。木蓮さんのトンデモ見聞録。加害者に男性が多い、というので思い出したのですが、昔読んだ文章の中に、日常の家事をこなす事は死を受け止める為の修行のようなもの、というものがありました。どこで読んだのか定かでは無いのですが、昔の人は病院ではなく家で死んでいたわけで、看取るのはだいたい女性。その精神的負担を和らげる為に、日々修行をしているのだそうです。日々修行をしているから、女性は介護をこなす下地ができている。でも男性はそういう修行はしていないので、すぐに追い詰められてしまうのでしょう。でも今後は家事をする男性も増えていますし、家事をしない女性も増えている。男女差より経験の差となるのではないでしょうか。安楽死については、今はその手前の延命措置について考える方が良いように思います。老衰の人に人工呼吸器や胃ろうをつける意義を考える事の方が急務ではないでしょうか。
尻毛屋さん、卒業したアイドルの追っかけは「遺族」ですか。じゃあ私も河西智美の「遺族」かもしれません。
そもそも私はAKB時代の河西をほとんど知らず、ソロデビューから卒業にかけて知り始めたのです。とあるラジオ番組に河西が出てたのをたまたま聴いたのがきっかけで、その時は単なるちょっと歌が上手い普通の女性歌手という印象しかなかったのです。
彼女に強く惹かれるきっかけは、例の手ブラ写真事件です。大人しくなって牙を抜かれた当時のパンクシーンの中で、あの一枚の写真はここ数年では一番パンクロックを感じました。今思えば秋元康の戦略にまんまと乗せられたのかもしれません。
アイドルを卒業した河西智美ですが、AKB時代のファンはもちろん、それ以外の特に少し大人っぽい背伸びした若い女性のファンを確実に掴んでいる感じがします。確かにアイドルヲタと「遺族」は違うのかもしれません。
いずれアイドルは何らかの形でアイドルから卒業するのですが、それでもきちんと「遺族」を引き寄せられる人は根強く支持されそうな気がします。
配信お疲れ様です。
「言論の自由」ですけどそもそも日本の場合新聞だとだいたいの地方で全国4紙(朝日・毎日・読売・日経)+ブロック紙(道新や東京・中日など。本来は違うみたいですけど関東・関西しか出してない産経も)や県紙といった地方紙を合わせて5~6紙程度の一般紙が読める訳ですからそれらを読み比べて自分で考えればいいんですけど、何かあるとすぐ「朝日は廃刊しろ」「沖縄2紙をつぶせ」になるからダメなんですよね。私だって産経の批判をここでよくしますけど別に潰せとまでは思いませんけどね。
「潔癖王国」もファンキー加藤や円楽の件は対応がうまい(何をもって「うまい」とするのかがそもそも疑問ですが)せいかベッキーの時ほど大騒ぎになってないですが、結局誰かを表舞台から引き摺り下ろして悦に浸りたいだけの人間が多すぎるのが問題なんでしょうね。それで石原慎太郎みたいな抵抗が激しい上に声がデカい人間やパナマ文書のような相手が巨大過ぎたり取材するのにも金がかかるような件はそこまで叩かず、ゲスの極みの川谷や舛添のように無抵抗で強情なだけの人間には袋叩きにするっていうまあいわば「一億総イジメ社会」になってしまっているのが今の日本なのかなと思います。
また舛添の件もそうですが週刊文春をはじめとする各週刊誌を世間はもちろん他のメディアまで必要以上に持ち上げてる現状には違和感を感じざるを得ないです。
遅まきながら、「民主主義という病い」を購入。育児の合間に息抜きどころか、ポカポカポカと脳ミソがサンドバッグ状態です。
まだ途中なのですが、フランス革命のことは目からウロコがたくさん落ちました。革命の最大の収穫はフランス料理! 料理を前面に出した本のつくりは、そういう仕掛けだったのかΣ(・ω・ノ)ノ!
革命といえば、私が「ベルサイユのばら」を初めて読んだのは小学2年生の時です。
幼かった当時、難しいことは理解できませんでしたが、マリーアントワネットが民衆の女どもに寄ってたかって襲われ服を破られ屈辱的な言葉を浴びせられ…、子供ながらにイヤ~な感じとして残りました。
「弱者が権威を破壊する快感を覚えたら始末に負えない」
連日の東京ケチ事のニュースを見ていても、まさにそう思います。
舛添氏はセコイだけですが、分相応な贅沢をする先生に対して、ファミレスのドレイの私が(笑)嫉妬するのは筋違いってなもんですよね♪
消費税増税先送りのことや保育園のことは、私にとっても身近な問題です。
増税を見越して低所得者層の負担軽減強化を図っていたのにどうすんべ~とお役所にとっては悩ましいですし(私も現場の人間として隅っこにいます)、保育園不足は嘆かわしいながらも、骨身を削る覚悟のない親が劣悪な保育施設に子供を預けた末に死なせたなんてきくとやりきれなかったり…。
これらの事態も「民主主義という病い」の症状なのでしょうか。
先日、かなり久しぶりに電車に乗ったのですが、本を読んでる乗客が一人も見当たらないことに驚きました。その代り、大半の手に握られているものはスマホ…。
「民主主義ってなんだーっ」「これだーっ」…脳裏にその光景がよみがえりました。
そこまでわかりやすいものがいいんかい。
人が作ったものにあっさり寄りかかっていいんかい。
問いに対して自分で探求してみようという気はせえへんのかーーーい!
「民主主義という病い」を読め! と、胸ぐらをつかみそうになりました。
配信ありがとうございます。
昨晩は久しぶりに生放送に参加でき、先生にコメントも拾っていただき十二分に堪能できました。
で、コメで言っていたように、先生にTVに出てくだらない事ばっかり話してる連中に一喝して欲しかったんですが、TV曲がクレーム恐れて呼んでくれないんですね。確かに先生が出演してる番組って深夜とかに放送してるやつばっかりですもんね。昼でも出れば、クレームは来るかもしれないけど、辛口評論として視聴率稼げるだろうに、ほんと勿体無い話です。
あと、他の人のコメや、先生がたまに言われている電車の中で本を読んでいる人間がいないって話ですが、スマホで電子書籍を読んでいる人もいると思いますよ?
かくいう私も荷物を減らすため、購入書籍を電子書籍に切り替え(主に漫画ですがw)、電車内ではタブレット端末で読むようになりました。
読み心地は紙の本に及びもつきませんし、私もできれば紙の本で持ちたいのですが収納スペースは有限ですから泣く泣くではありますが、今後も電子版での購入、もしくは自炊(自分で本を電子化すること)していくことになるのでしょう。
ちなみに私の夢は、でっかいお城を買って、そこを全部書庫にすることだったりします。まあ、かなわない夢ですがw
トッキーさんのブログ見て知ったんですが、「民主主義という病」ってKindle版出てたのか…
え、もしかして他の著書もでてたりする?と確認すると、ちゃんと出てて、しかも値段的にかなりお得!
私、勝手なイメージで先生の著作って紙の本のみと思っておりました。
これからは、そっちで買うか、だって先生の本、分厚くて外出先に持ち歩くのも大変だし、本棚も圧迫するんだもの:;
でも、電子書籍って家族とかに読ませたい時は面倒なんですよねぇ…悩みどころです。
とりあえず、興味はあったけど、買えてなかった本をポチっておきました。
舛添都知事、辞職願を出してしまいましたね。
国会議員からの圧力で辞めさせられると言うのは傍から見て変だとは思いませんか?
地方自治に介入すると言う話ですよこれ。
最早自治体とはなんなのか、それならば自治体の首長選挙なんか止めてしまえと思ってしまいます。
そういえば都知事選の民進党の候補の一番手が蓮舫みたいですけど、蓮舫って今度参院選ですよね。当然都内でそれ用の選挙運動してるはずですけど、こんな時期にいきなり鞍替えするんですかね。
海江田万里の名前もあがってるようですが、そっちの方がまだ話が早いんじゃないですか?
民進党なんて所詮共産党がケツ叩いて作らせた傀儡政党に過ぎないですよ。
トッキーさん、ブログで紹介していただき、恐縮です(;・∀・)
それで、「しまったー!」と思ったのですが、スマホは電子書籍というスバラシイモノもあるんですね。
私は必要性を感じておらず未だにガラケーなので、そんなのまったく思い浮かびませんでした。
電車で私の周りにいた5人のうち3人くらいはスマホを弄っていて、いったん何やりよるのか~とちらっと覗いてみたら、イヤホンつけて音楽を聴いているか、ぷよぷよ(これしか知らないので)みたいなゲームをやっているかでしたので、スマホに対する偏見でモノ申してました。いかんいかん。
いやー、視野が狭い。
真面目な気持ちで利用されている方には申し訳なかったですm(__)m
それにしても、電子書籍というのは、どれだけ便利か知りませんが、紙を指でめくる快楽を知っているから、私はどうもピンとこないんですよねぇ…。
こんにちは。
よしりん師範、報道の著作権に関する質問にお答えいただきありがとうございます。
各メディアが福島原発爆発の瞬間の映像や写真を著作権を盾に公開していない、という話しを以前聞いたことがあったので質問致しました。
爆発当日には確かにNHKで流されていたにも関わらず、数日経って以降はテレビでは一度も目にしていないように思います。
メディア自ら表現の自由を放棄し、さらに国民の知る権利を踏みにじる行為である上に、原発事故の風化を速めるためなのか、と憤りを感じたことがきっかけです。
もくれん師範が4月24日のブログに書かれているように、炎上件数が急激に増え始めたのがまさにこの年です。
メディアが表現の自由を放棄することにより、国民の分断が加速したことで炎上が増えたのだと考えると、「権力の監視」ができないメディアなど存在しない方が国の為なのだとよくわかります。
メディアにはよしりん師範はじめ道場師範方の「公に資する姿勢」を大いに見習ってほしいものです。
配信、ありがとうございます。
放送の方もご苦労さまでした。
今回の参加者が少なかった様ですが、言論の自由が身近な問題と関心を抱かないよりは単に、仕事や家庭の事情かと思います。遠くから来る人など交通費も大きいでしょう。
自分も一度先生と会いたいと思っていますが、『親のスネをかじっている人間は発言する資格はない』と言われては到底会うなど出来ないし、そんな人間が道場に来てはかえって迷惑だと思い、仕事と精神病を考慮すると数年はゴー宣道場の参加は無理だと思っています。まずはスネをかじる事から脱しますね。
ネトウヨなど話が進まなければ、『もう、わしはあなたと関わらない。理由は疲れるから』これでいいかと思います。
その様な人間と関わっていれば疲れるだけだし、議論が進む人間、誠実な思いを持っている人間、楽しい時間に費やす方がいいです。
以前、先生がAKBにハマっていた時は、自分は『今までずっと苦労していたのだから、もっと羽を伸ばしてほしい』くらいにしか思ってませんでした。
今もなお、小難しい事に悩まされているとなると正直、心が痛みます。
特定秘密保護法案などまだまだ気を許す事はできないと思いますが、せめて付き合う人は選んでもいいかと思います。
ちょうど、NHKでも11日の夜9時から「わたしたちのこれから」という討論番組で不寛容社会をテーマに熊本地震の不謹慎狩りとか、ジャポニカ学習帳や日清のCM中止の件を例に挙げながら、今回のライジングのテーマともつながることを議論してましたが、番組の中で何となく気になったのが、コメンテーターの宇野常寛氏が自身のコメントに対して、最初は「お前の意見は間違っている」というクレームか多かったが、最近は「お前は発言するな」といったクレームが多くなったと嘆いていたことです。何気ない発言だったとはいえ、何となくゾッとする思いがしましたね。間違っていると言われるぐらいなら議論の余地があるけれども、発言するな!!と頭から封殺されてはどうしようもありません。
また、番組では「炎上」を気にして発言やコメントを控えようとする人が多くなってきたとの意見も出ていましたが、発言したくても出来ない萎縮感、またいろんな人達の意見を受け入れない不寛容さ、さらに誰かのミスや不祥事に対しての魔女狩りに似た執拗なバッシング。只々息苦しいだけの社会になってしましますな、日本社会は。果たしてこのことが健全な社会なのか今一つじっくり考えなおすことが必要だ。
配信ありがとうございます。
「言論の自由」というのがマスコミや評論家などメディアで発言する人だけが身近な問題だとばかり思ってましたが、意外と私達の身近にあるものだということを知りました。
しかも例示を挙げて懇切丁寧に説明して下さる先生の姿勢には本当に頭が下がります。
学校や新聞、既存のメディアでここまで「言論の自由」の本質を説明し切った人はいないでしょう。
「言論の自由」が憲法に書いてあるから安心だと考える人は、本当に「言論の自由」について真剣に考えているのでしょうか。
先生のゴー宣を読まなければ、わたしはきっと、「言論の自由」は「この日本では何を言っても自由なんだ」ととらえ、永遠に勘違いしていたでしょう。
それを守るのは権力者側の義務であるだと知ったとき、わたしの物の見方が180度変わるくらい、強い衝撃を受けました。
左翼は、自分の気に食わない人を「人権侵害だ」と言って法律で潰す危険があるし、自称保守は、「メディアの意見が気に食わん」と言って法律を捻じ曲げてつぶす危険があるので、どちらも権力の乱用を監視する必要性を感じました。
「舛添下ろし」の潔癖王国ぶりがすさまじいです。民主主義を絶対的な価値と信じ、気に入らない者は「民意」に叛いたとの錦の御旗を掲げ、知事の椅子から引きずりおろす、それを「正義」だと信じて疑わない、なんて独善的な羊の集団でしょうか。
「潔癖王国民」は選ばれた者の特権であるぞと言わんばかりです。彼らには「落語家の浮気は芸の肥やし」という感覚は通じないのでしょうか。
落語家が不倫すればバンバン叩く。熊本地震の「不謹慎狩り」もそうですが。ありとあらゆるものに不寛容になって他人を不潔だと叩いて自分を潔癖だと誇示する、そんなアホバカのビョーキに自らは罹らないように、先生の著作とゴー宣を読んで、勉強します。
先日の生放送でもやっぱり美しいもくれん先生、今回は介護の現実と安楽死がテーマですね。
わたしも介護施設で働いた経験があります。介護の厳しさは身につまされる思いがあります。
胃ろうで苦しんでいる老人や施設で暴れている老人を見て、「この人の本当の幸せって何だろう?」と思うときがありました。
施設で「無理に生かされている」よりはぽっくりと安らかに死ねる方が本人のためにも家族のためにも良いのでは?
それをしないで無理に生かすことの方がよっぽど地獄ではないだろうか?
働いていた時は、私の中にそういう思いが何度も現れました。施設の人には絶対に言えなかったけど。
日本は高齢社会に突入しているのに、老人の終末について何ら真剣な議論をしてこなかったツケがここに至って、回ってきています。
しかしいくら議論をしても、行きつくのは結局「老人の人権の尊重」で、それは結局「若くて健常な他人の一方的な考え方」に過ぎないのに、いつしかそれが絶対的な価値と崇高な使命を帯びて、それ以外の価値は認めないというこわばった空気になっています。
それは恐ろしいことなのに…。独善的な考えが老人の生き方の感性を狭めていることに気付かないのですね。
もくれん先生はオランダの安楽死の事情を紹介していますが、それとて賛美に偏らず、ちゃんと問題点を指摘しているのが良いですね。
しかし日本で議論できないのは、やはり「人権の尊重」というのを絶対的な価値に仕立てて、生きることへの賛美と命の尊さ以外の価値を認めないという空気の支配が影響しているのではないでしょうか。
本の熟成…って感覚がスゴイ!
まだ『民主主義という病い』1巡目ですが、美味礼賛は、知性礼賛のリンクとして読みました。
「頂点の美味や頂点の知性こそが、圧倒的な正しさ(説得力)やパワーを有する(べきである)。」
...といった感じで読みましたが、ちょっと酔ってて(@_@).oO。いまは中身を精査できないうえ上手く表現できないので、間違ってたらすいません。f(^_^;;
私はこれまで選挙を棄権したことはありませんが、選択肢のない現状、棄権すること以外、自分が納得できる行動はないと考えるに至りました。
お暑い中の配信お疲れ様です、我が石川県もですが、
既に各地で30度超えで、もう夏な感じですね、それはさて置き、
言論の自由って、実はどれ位が自由で何処までが不自由に成るのか?と言う限界点が、
今の潔癖馬鹿には解らないようになってるのだろうなあ、と思い知らされますね。
しかしながら言論の自由って不思議な言葉なんですよ、そもそも頭の中は「自由」だけど、
人に対してや、周りに対して、言える事、言っても良い事には「不自由」がある筈、
それは、人と人の関わりの積み重ね経験値で学ぶ筈なんですよね、
ネットに溶けてしまってる方々にしても、ネットを媒体にしなくても、「不自由」の自覚がある方は居ますし、
逆に「自由に際限なし」と考える方々も居ます、
問題なのは何方も「潔癖病(民主主義病)」が半端ない位に羅患している事ですよね、
これはやはり「水と平和は空気の如し病」にも通じる、
「日本人病」だと感じるんですよね、与えられた「自由」を「無限の可能性がある!」と勘違いして、
「不自由な世界を求める」
馬鹿の極みでしょうね、
やはり身近な世界を守る、他者の世界には干渉はしない、しかし、
お上(権力者側)には、先生も良く言われていた、
「常に疑え!」が必要なんだと思いますね。
権力者は泥棒・強盗・詐欺師、だと思っても良いくらいだと思いますね。
まあ、弱い者だけをターゲットにしか出来ない今の日本人には無理無駄な話ですがね、私も含めて。
ありがとうございました。
なるほどねー。メディアにおける言論の自由は
権力批判の自由なわけだ。戦前にあまりに権力ベッタリになってしまい、あの大敗戦を招いた痛い教訓がありますからなあ。
しかし、権力側から見たら、政府批判ばっかりするメディアは邪魔でならない。
だから、自民党はテレビ界の王であった正力松太郎を政治家にしたし、産経新聞は清和会のお抱え新聞みたいになっちゃいましたからなあ。
メディアコントロールは権力側は必ず行うと
認識しなければダメですなあ。
市民側の言論の自由ですが、ネットの普及で
簡単に行使できるようになったのは問題ですなあ。
それが公共心があるなら良いですが、憂さ晴らしとさ私心溢れたものを突発的に書くことが多い気がしますなあ。ツイッターなんかその代表例でしょう。
芸能人とか不倫などで大炎上して、犯罪者扱いにされてますが不倫は犯罪ではありませんから!
こんな基礎知識も知らずに匿名を利用して叩くとはクズの極みですなあ。
しかし、舛添都知事の私曲も「合法」でタックスヘイブンも「合法」で原発再稼働も「合法」。そして、「合法」は立法府で国民の代表が審議して決まる。まあ自分を立法府の長だとか妄言を吐く行政府の長もいますけど・・・。
私は舛添氏のような小物が大嫌いなので、彼の過去の傲慢な発言も考慮した上で自業自得だな、としか思いません。が、あれだけ好き勝手やっても「合法」で通る法律をよしとしているのは国民です。あえて自由度を持たせた法律を悪用して私腹を肥やす政治家は国会にも溢れんばかりでしょうが、それを選んでいるのも国民です。米軍基地も原発もタックスヘイブンも全部「合法」でいいとしているのも、国民です。
舛添氏も筋を通すのであれば、自分の金の使い道が「合法」であることは国会で決められた、つまり国民の皆様がいいと決めたことなのだから、それに不満がおありなら、議会を解散しますから民意で明らかにしてくださいね、で良かったのです。大変な迷惑ですが、あれだけ人々を愚弄する会見を何度もやったのであれば、その厚顔無恥ぶりを貫き通して、民主主義の陥穽を世間に見せつけて欲しかった。まあそういう度胸がないから小物なんですが・・・。
「合法」なのに「気に食わないから」辞めさせる、が通るのならば、今後もそうしなければなりません。それは法治でなく人治です。舛添氏は無様な辞め方をして大変な禍根を後世に残してしまったのでした。
回り道でも、国会できちんと審議して法律を作って世の中を回していくしかないんでしょう。そういうことが出来る政治家を地元で育てていけないならば、それが我々の限界なのです。
“しっかり読み込んで自分の頭で考えろ!”
「本場のフレンチ」は食べられないタコやけど、
「本物の言論」に触れること、
「思想すること」は庶民にもできる贅沢タコやね(^^)
『民主主義という病』、構成がコース料理のようだと感じたタコ。
軽めのサラダから入って、ボリューミーなメーンへ徐々に移行していく、
カタルシスに近い感覚を覚えタコ。
言葉は、食べ物に似てるタコやね。
体に入れた熱き言葉は、いつか我が血となり肉となり、
自分自身を形づくっていくんやから……!!
ビートたけしやったと思うタコやけど、
「食べるシーンをテレビなどで公開するのは恥ずかしい感覚を覚える」
……といった内容のことを言っていたと思うんやけど、
拙者、知識も似たような感覚を覚えるのタコ。
何でかな(^^;)??
ちょっと考えてみようっと!
トッキーさんへ。
Twitterでも一応お伝えしましたが、ブログUPしていただき、ありがとうございました☆(ちょっと恥ずかしちい。。)
『民主主義という病い』の美食の部分、もしかして下々の人たち(ネトウヨさんとか)のルサンチマンをわざと刺激してるのかな~~??(違うって?)
ブログには書き漏らしちゃったんだけど、第1章の最後の方の
「平等とはチャンスの平等であって結果の平等じゃない。人より才能があって、人より努力して、人よりリスクを負って生きてきた結果、贅沢できるようになっただけ。分相応にわしは生きてるだけだよ」
というところ、とても共感しました。(ここは本を閉じた後も覚えていた)
ホントにそうだよね。人任せで幸せを掴むなんて無理だもの(だからトリクルダウンなんてない)。 才能のある人を妬むのも、みっともない。
幸せになりたければ、自分でコツコツ努力するしかありませんよね。
舛添都知事のつるセコ問題から日が経ち、よしりん先生のブログにもあるように、吊し上げとも言える過度な追求に疑問の声が挙がっています。 ですがそれに対して「東京都民として、権力を監視する義務がある」と反論が出ています。
何をバカな事を言っているかと、腹わた煮えくりかえる思いです。石原慎太郎の豪遊や、1400億円にも登る税金の出費には何の反応も示さなかった分際で、「権力を監視する」等とよく言えたものです。
第一五輪誘致の時には、安倍ちゃんの進める計画に何の疑いも持たず、滝川クリステルの「お、も、て、な、し」を絶賛して、「これで東京がさらに発展する」と大はしゃぎしていたでしょう。
都民としてどころか、日本人としてすらマトモに権力を監視出来ず、権力者の差し出すエサにホイホイ飛びつくアホな都民。私には舛添を見て「これが東京都民の姿なんだな」と思えて仕方ありません。
辻元清美氏の新書「デマとデモクラシー」読みました。辻元氏と小林先生の対談ですが、とても読みごたえがありました。お二人の「和解」に、あの大物政治家が関わっていたとは驚きでした。
憲法と歴史認識では意見が割れていましたが、とても建設的な議論になっており勉強になりました。同時にお二人のように正確な知識に基づき、意見や立場の違う人間と、まともに議論できる政治家、知識人が他にいるのかなと考えてしまいました。
あと安保法制特別委員会のエピソードでは、辻元氏の軍事知識の豊富さに圧倒されました。自民党の「タカ派」議員や自称保守知識人より、辻元氏の方がずっと正確な知識を持っている所に、自称保守の劣化が証明された気がしました。それだけに、辻元氏が護憲派なのは残念な気がします。
本のタイトルに「デマ」とありますが、辻元氏はネットで流された自分に対するデマとも、必死に闘っていたようです。一昔前に発売された「ゴー宣暫」に書かれていた「民主主義の前提となる議論が、デマを基調に行われている」という言葉を思いだしました。
今の日本にあるのは「デモクラシー」ではなく「デマクラシー」じゃないかと思います。「大正デモクラシー」ではありませんが、今の日本は「平成デマクラシー」と呼びたいくらいです。
Vol.180の配信、ありがとうございました!
日本全体も企業組織も、ゼロイチワールドな「潔癖王国」がどんどん侵食していますね。(x_x;;
仕事で企業研修などに呼ばれることがありますが、多くの管理職からは、社員がルールやマニュアルやチェックリストなどを遵守するよう話してくれと要望されます。ようするに、これらの道具にすぎない「情報」を信じて遵守するよう潔癖化,奴隷化を強化してくれと要望されます。
しかし、そんなおバカなやり方で事故や不祥事が減るはずもなく、むしろ脳の萎縮した潔癖奴隷や情報乞食が増える分、被害が拡大するのは明らかです。本来、普通に暮らす健全な庶民としての美意識や、気づきの感性や想像力,蛮勇ではない鋼(はがね)の実践力,異論反論を受容できる寛容な風土、などを涵養しなければならないと思うので、先方にそれを納得してもらったうえで話すようにしています。
ここまで潔癖王国が侵食してくると失望しそうになりますが、ゴー宣道場や『民主主義という病い』で示される視点や思考が世に広まると、すごく勇気づけられます。
なんせカワイイもくれん先生の『モクレニズム宣言』、じゃなくて『トンデモ見聞録』。安楽死を採り挙げて下さり、ありがとうございました。生と死は永遠のテーマの一つで、ブラックジャックとDr.キリコの葛藤を思い出しました。f(^^;;
主体的に死を選ぶことも、美しく生きることの一環だと思う(死んではじめてその生が定まると思う)のですが、心臓が動いてさえいれば奴隷でも構わない潔癖主義的な生命健康財産至上主義が蔓延っていますね。
よしりん先生のブログに対する反対派の単純すぎる反応には驚きです。「『ひどすぎる。信じられない。』のはお前らアタマの方だろ」と思わず言いたくなるほどで、もーどこの小学生かと(笑)。こういった奴隷や家畜たちは、白黒2値スーパー色眼鏡がアタマにこびり付いているので、文章の流れや行間内容を読めないだけでなく本文すらも誤解曲解するのでしょう。議論や対話が成立しない「民主主義という病い」の一症状ですね。(´・_・`)
なんか「政治的に公平で正しい報道を常にしている」らしい新聞社がこんなことをしでかしたようで。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160617-00058923/
しかしかつての「江沢民死去」の時もそうでしたけど、なんで産経って裏付け取材をやらずに聞きつけたことをそのまま記事に出すのですかね。系列のフジテレビも熊本地震の時に「熊本のイオンモールで火災発生」というツイッターの偽情報を鵜呑みにしてそのまま放送したら結局ガセネタで報道特番中にアナウンサーが謝罪するというアホな事態を起こしたばかりなのに。
正直産経に朝日や毎日を叩く資格があるの?と思わざるをえないです。
安楽死かあ…昔は本人が死にたいなら良いやんかと思っていたけど、一回認めたら歯止めがかからないのが怖いですなあ。
オランダはナチズムを批判しておきながら、ナチズムのような国家社会に迷惑がかかるなら死ねになりそうで怖い。
一回認めると個人ではなく国家で安楽死を強制になりそうですなあ。
カレーせんべいさん、四人の仲間の先頭に立てる人がリーダーに相応しい、きっと、そうなのでしょうね。四人くらい居なけりゃ、挫折してしまいますよね。
私の住む新潟県は、ある時は甲信越地方と呼ばれたり、ある時は中部北陸地方という括りに含まれたりします。
甲信越の方々、北陸地方の方々、どなたか御一緒に、私たちの地方にゴー宣道場を呼んでみませんか!! 私は、関東・関西とは違う、自分たちの地域の特色の出たゴー宣道場を開いてみたいです!! 周りを引っ張る力は無いかも知れません。カレーせんべいさんのゴー宣道場全国展開という野望は、公的にも、また私的にも、物凄く、そそられてしまいます☆☆☆ もし叶えば、日本が変わるきっかけになるのではないか。こんな不条理が罷り通ったままの日本なんか、絶体に嫌です! 私的にも、こんな燃えに燃えて萌えられる目標は、なかなか有りません。
同じ思いの方、甲信越北陸地方の熱い熱いゴー宣ファンの方、一度、お話をしてみませんか。
カレーせんべいさん、“ゴーセン”、しっかりと胸に刻みます。
デイキャッチを聞きましたが…
反安倍だから護憲で立憲主義がー!を唱えるのはやめて欲しいですね。
先生が指摘していましたが、護憲を貫くならば
自衛隊廃止、日米安保破棄になるはずです。
しかし、シールズの坊やたちはそこを一切に指摘できず「安倍が悪いのだ!いつか来た道」とか
単純に安倍個人が嫌いで、デモしているようにしか
みえませんなあ。単なる個人攻撃、排撃は武士道精神に反しますなあ。
まあ、安倍自民党が唱える憲法改正案が無茶苦茶なのは間違いない。本来、リベラルの側は自衛隊の存続を認めた条文を明記した新憲法を提示しなければならないはずだ。それをやらずに護憲の殻に篭るしかないサヨク勢力は情けないですなあ。挙足取り戦略で改憲阻止をさせようとするのはミエミエですなあ。
結局、この憲法が70年近く存続できたのは、反対党から建設的な改憲論が結局は聞かれなかったことですね。自民→改憲 社会党→護憲
この構図をまーたこりもせず選挙でやるとは
進歩しませんなあ。
先生と木蘭さんのブログを拝読して、実感、まあ、現実の体感と言うのでしょうか、
私から見たら景気なんか悪くて、物価は高くて、生活費はガンガン上がってるし、
相対的にじゃあ、収益は上がってるのか?と言えば確実に下がっていますから、
私の小さなコミュニティの中では少なくとも景気は悪いし、少子化対策なんかは上手くは行ってないし、
介護者の負担はガンガン増えていますし、生活耐久性は下がる一方にしか見えません。
他所の地域やコミュニティや日本をマクロ的に見ようが、グローバルな視点で見ようが、
それが万が一経済学者の統計的なグラフで数値化され、証明されようが、
自分の周りはかなり苦しくシビアな状況にあるとしか思えないですね。
とはいえ、まだ人を二人以上雇用し、なんとかかんとか店を維持して行けている私なんかは、
有る意味恵まれているのですね。
しかし、一寸先は闇、正に羊ちゃんの様に奈落の底に堕ちる崖っ淵に居る自覚は持ち続けて行きたいですね。
今其処にある、危機感、身近な危機感が必要だと思います。
安倍晋三ガー憲法改正ガー選挙ガーはその次で良いかな?とか考えてしまいます。
革命とか世直しとかは大嫌いなので。
経済に対しては…馬鹿だから分からへん(^O^)
しかーし、過去に蓄積された僕の脳内のデータが
答えを示してくれるかも…
まず、貧困ですが、これも働いていてバツイチで子育てをしているパート、社員さんは大変だなという認識ですかね?給食しか食えてないまでは分かりませんが…
介護については部屋代も個部屋指定だと安くないです。それで待機しているお年寄りもたくさんいますしなあ…良い暮らしをしたいなら金だは間違いないですね。
結局若者の最低限の願いはご飯が食べれて寝る部屋があれば良いんだろ?それを実現できない家庭が多いというデータはやばくない?政府はなにをやっているんだ?になるわけです。
まあ、政府の政策にも文句を。政府の政策に対する防衛という両面から始めるほうが生き残る可能性が増えてくるんやないですかね。
らっこフェスティバルさん、しゃべクリ!MVPおめでとうございます!!!
(^○^)
…かなわねえ。
。。(〃_ _)σ∥
物凄いセンスのある方なんじゃあ…
(; ̄ー ̄A
シリル・アビディを初めて見たときのような衝撃が…
((((;゜Д゜)))
ボオボオと燃えてきますね、諫議大夫さん!!!
(ノ ^∀^)ノ♪
【地方ゴー宣道場・出欠アンケートへのお力添えを、よろしくお願い申し上げます。】
私のツイッターに「地方ゴー宣道場」について、
このような声を寄せてくれた人がいます。
「俺は…耳が全く聞こえないので、
参加したいものの、話が聞こえないからムリです(笑)
しかし、それは『私』に過ぎないと思いますので、
『公』のためにぜひ…
ゴー宣道場を地方で、開いて頂きたいかなと思います。」
このメッセージを受け取り、私は色々なことを考えました。
もし私が彼と同じように生まれつき耳が聞こえない人間だったとしても、きっと彼と同じことを言ったと思います。
もし自分がゴー宣道場に参加できなかったとしても、きっと「ゴー宣道場が日本全国に拡がって欲しい」と祈っていたと思います。
「民主主義という病い」の処方箋は「公民主義」にあり、
「公民主義」に必要不可欠なことは、
庶民が思想(延々と考え続ける行為)を手放さないことだと私は思います。
だからこそ【現場や日常を優先するからこそ東京には行けないがゴー宣道場には注目をしている人】は希望と可能性なのだと思います。
地方ゴー宣道場の開催は、公民主義への布石になると信じています。
そこで、首都圏以外の地方在住のゴー宣読者の皆様に、お願いがあります!
地方ゴー宣道場を実現する為には、参加者150名の見込みが必要になります。
「地方ゴー宣道場・出欠アンケート」にメールにてご回答を頂きたいです。
どうか、よろしくお願い申し上げます!
《地方ゴー宣道場・出欠アンケート用メールアドレス》
chiho.gosen.dojo@gmail.com
【首都圏在住のゴー宣読者の皆様、門弟の皆様へのお願い】
《地方ゴー宣道場・出欠アンケート》には、
日本全国から、熱のこもった参加表明をしてくださる方が多数います。
けれども「各地方ごとに参加者150名」には到達できていません。
それが現実です。
だから、お願いです!!
首都圏在住のゴー宣読者の皆様、
そして門弟の皆様のお力を貸しては頂けませんでしょうか?
地方ゴー宣道場の開催の為、
公論形成を目指す議論の場を全国に展開する為、
「地方ゴー宣道場・出欠アンケート」にメールをして頂きたいです!
どうか、お力添えのほど、よろしくお願い申し上げます!!
《地方ゴー宣道場・出欠アンケート用メールアドレス》
chiho.gosen.dojo@gmail.com
選挙の啓発活動にラップが使われたということですが、今や若者の間ではロックもヒップホップも反体制のための道具ではないのです。
私は20代の若手バンドとも交流があるのですが、例えば彼らはあからさまに体制に反抗するような歌は歌わないし、それ以上に政治的なイシューを表現に織り込むことさえしません。そんな歌を歌っても若い世代の支持を得られないからです。
政治的なイシューで大人と対立することは、彼ら若者の食い扶持を奪うというか、大人に従順になれないと日々の仕事にもありつけないのが現状なのです。
あからさまに大人に楯突くことが、若者にとってはかっこ悪いことになっています。そして彼らは空気を常に読んでいて、周りと歩調を常に合わせているのです。
確かに大人にとって、今の若者は礼儀正しくて従順でおとなしくて扱いやすいのかもしれません。そんな時代に反体制を売りにするロックやヒップホップは残念ながら受けないのです。
ただ、これはあくまでも私の個人的な意見ですが、AKBグループの一連の歌詞は、昔の不良少年が愛聴していたロックのそれを想起させてくれます。秋元康がそれを音楽マーケットに乗せることができたのは大きな功績だと思います。そしてよしりん先生の心琴にそのメッセージが触れるのはかつての不良の音楽を体現してるのがAKBだという証拠なのかもしれませんが…
例えば音楽でも漫画でも、大人の顔を伺うようになると終わっちゃうと思います。
いかに大人から顰蹙を買う表現をやるのか、が表現者の矜持であると私は思うのです。
しかもその大人が若者よりもだらしないからな…
その付近を突いた優れた表現をやれる若者がこれから先に現れるような期待は持っているのですが…
例えばメジャーデビュー前までは過激な反体制の歌詞を書いていたバンドが、メジャーレーベルと契約してレコード会社や芸能事務所のお偉方から大人(広告代理店、テレビ局)の指示で過激な歌詞を自主規制されるようになって、それ故に毒が抜かれてつまらなくなった、という話は枚挙にいとまがないのです。
自分の毒を貫くためには、インディーズでやるか自主制作でやるかしかないのです。
表現の毒と資本主義の経済的な成功が日本ではトレードオフになってる現状では、音楽不況になるのも当たり前だと言えます。
どんなバンドでも広告代理店を巻き込まなければ国民的ヒットは生まれないという現状は糞だと思いますが。
お邪魔します。
TBSラジオ・「荒川強啓 デイ・キャッチ!」を番組ホームページから視聴しました。
宮台真司氏、東浩紀氏との「立憲主義による改憲派」の話は、短いながらも聞きごたえ有りました。
「荒川強啓 デイ・キャッチ!」http://www.tbsradio.jp/dc/
の人物写真の左下の<podcast>から入って下さい。<RSS Podcasting>の場合はクリックするとリストが出ますので、その中の、
6/17(金)「迫る参院選、気になる争点を徹底議論〜憲法改正〜」
ヘッドホンマーク横 miyadai20160617.mp3 をクリックして再生です。
↑機械音痴の私から、今さら言われなくてもですね(汗)
いつも「ゴー宣」部分だけ読ませてもらってますが、言論の自由について隣国と比較して書いている部分で、言論の自由がなくても幸福に生活できている人が大勢いるというのは、「天」という権威を認める東アジアでは特にそうなりやすいんじゃないかなと思いました。ジャーナリストのような仕事をしているので自問自答する機会もありますが、言論の自由は自立心、独立心が源泉だと思います。権威主義のほうが楽ですが、それを否定する哲学、宗教、世界観が、東洋人は希薄なのかもしれません。
『民主主義という病い』に書いていた公民主義やけど考えても分かんないなあ(´Д` )
まあ、慣習、伝統を軸に個人を形成すると言っても抽象的すぎてわけが分からなくなるのは仕方ねーべ。
伝統、歴史は大事にしようと心に止めるくらいしかありませんなあ。
60年代の安保世代で、反戦フォークとか歌ってた連中が年寄りになって保守化して今の若者を苛めてる構図を見てると、所詮彼らが言っていた「反戦」とか「反体制」という思想も、民主主義と平和主義とアメリカに守られた保護室の中での反抗に過ぎなかったのだな、と思います。
そのせいか、今の団塊の世代は今の若者の過酷な現状への想像力がなさすぎるのです。守られた予定調和の中での反抗心だから、この世界の中にその予定調和が通じない世界があることに対して考えが及ばないのです。だから自分の若者時代のことを引き合いに出して「今の若者は甘えてる」みたいな説教しかできない。
高度経済成長の下で、働いて取りあえず収入があれば取りあえず幸せだった時代と、若者がどこを向いても理不尽しかなくてまともな暮らしさえ確保できない今の時代とは全く違うのです。年寄りにはその認識さえない。ひたすらストイックに頑張っても将来が保証されない時代で、心身を病みながら生産の現場を追われてる若い世代には、もう大人に楯突く気力さえないのかもしれません。悲しいけど。
作家の村上龍が年寄りが結託して消費をしない、経済を回さない若者に反抗して日本にファシズム国家を作る、みたいな小説を書いたらしいのです。所詮作家の知性ってこんなもんだ、と馬鹿にして私は読む気もしないけど、もう今のじじばばの腐った脳みそを思想的にロボトミーさえする気力がないのは、今の若者と私の共通点かもしれません。
若者が消費をしないのは、無駄に消費をし過ぎて物を溜め込んでる割には心が豊かだとは思えないじじばばどもへの静かな反抗心でもあると思います。仮に今から可処分所得が上がっても、若い世代の物欲は増えないでしょう。消費する行為に恥ずかしさを覚えてる若い世代は多いと思うのです。
メディアは大企業と結託してるから若い世代に消費を煽るのですが、そのメディアに若い世代が触れないし、ミニマリストや断捨離という思想が支持されているのも、戦後日本のじじばばが消費をし過ぎて物を抱え込み過ぎた反動でしょう。
もうマイホームも車も海外旅行も、もっと言えば結婚や出産というライフイベントさえ、消費財としての魅力が若い世代にないのかもしれません。一戸建てや車はローンという借金と不可分だし、結婚しても自由はなくなるし離婚しちゃう場合も多いし、子供を産んでも保育園には入れられないわ、不登校になって引きこもりになっちゃう可能性もあるし。
消費をする行為はある意味リスクを伴うことが、若い世代の肌感覚としてあるのでは、と私は思ってます。
だから安易に消費するだけじゃなく、若者同士の繋がりを保ったり若者同士の共同体を作るためにお金を使った方がいいや、と思うでしょう。
見栄のために色んな物を買い込んじゃうじじばばより、少ないお金をやりくりして繋がりを大事にする今の若者の方が、お金の使い方としては賢いと思いますが。
舛添なんて「ダメなお金の使い方をしちゃったじじばばの典型例」でしょうね。あんなお金の使い方が今の若い世代から一番馬鹿にされると思います。舛添だけじゃないけどね…政治家は自民から民進から共産まであんなものだよね〜。
実感や実存主義的な話が出ているので、此処で、敢えて、
イチローの事と照らし合わせてみました。
彼は今回はかなり痛烈に毒を吐いていて、やはり記憶馬鹿な日本人に対しての猛毒を散りばめている様に感じたりしました。
妄想の中、虚構の中(アメリカマンセー自己暗示日本人)に生きる伝統馬鹿や愛国馬鹿や、歴史の連続性馬鹿に、
ネットに融けて誹謗中傷を繰り返す馬鹿に、何の実績も残さず、
他者依存のみで、小判鮫の如く、寄生虫の如く、他人に丸投げ、
他力本願で、自分では何にもしない馬鹿たちを痛烈に皮肉ってる様に感じて、
イチローに尊敬の念が湧きますね、「日米通算?通過点です」はイチローにしか言えないのですよね。
いや、サイコーです。
こんばんは。ライジングの配信ありがとうございますvv
言論の自由が萎縮したことで日常の生活に目立った支障が出るわけではない。そのために、多くの国民が無関心になってしまうのでしょう。ですがそのツケがそう遠くない将来取り返しのつかない破滅となって降りかかってくるのは歴史が証明しています。
「自分に都合の悪い意見は聴きたくない」だなんて、そんなヘタレの温室育ちがどんな手を使っても自分の主張を通そうとする海外勢に勝てる訳がありません。これも日本の政治家の劣化の一つなのだと思うと頭が痛くなります。権力者というのは批判されるのが当たり前であり、いかに批判されようとも軽く受け流して皮肉を飛ばして自分の信念を貫く強さを権力者でなくても持っていなければなりません。
批判には単なるいいかがりや憂さ晴らしのようなものもあれば的を得たものもあり、それを力づくで抑えつけても思いまでも封じることはできず権力者が失脚の前触れに気づかぬまま引きずりおろされることになるでしょう。そうなっても自業自得であり、文句は言えません。
木蘭さんの「トンデモ見聞録」拝見いたしました。。
親の介護のために自分の幸せを諦める人の話を聞いたり、老老介護の果ての殺人や無理心中の報道を思い出し、安楽死も選択の一つに入れてもいいのではと思いました。
ですが貧困層にあたる人たちが「生きててもいいことなんて何もない」という安楽死を選ぼうとされるのは悲しいと感じます。
安楽死を選ぶのは絶望の果てのものではなく、生きててよかったと心から思えるほどに幸せに生きられたがゆえの選択であってほしいのです。
安楽死先進国・オランダの「健康でも70歳以上になったら自殺幇助をしよう!」というのはやり過ぎだと思います。
数年前日本でこのような内容の法律が可決され数年後に施行されるという設定の小説が出版され、私も読んでみました。
小説の中で出てきた意見の中に、70近くになってようやく自分の好きなように生きられるようになったのに冗談じゃないという意見がありました。
上記のようなことを言える人はその年齢までに自分の思うように幸せに生きられた人で、そう生きられなかった人がいるということを想像できないのでしょう。
安楽死は誰かに強制されるものではなく、あくまで選択の一つであってほしいです。
まあ安楽死については目的が大事だね。
難病で助かる見込みがない。苦しんでいるならば楽にしてやりたいは人情ですなあ。
しかし、年を取っているから、障害があるから殺すとか合理主義的無慈悲発想で毛唐の思想で嫌ですなあ。人間はいつかは死にますが、美しく死ぬとか華々しく死ぬというヒロイズムも僕は嫌いだな。
特攻隊をdisるわけじゃないんだ。特攻隊に憧れてパクる輩が嫌いなんだ。三島由紀夫の美意識に触発されてアホみたいに美意識だー!という輩もな。
結論!パクリは美しくない。
木蘭さんのトンデモ見聞録の安楽死の実情を書かれた記事は何ともやりきれない気持ちになりますね。
実際介護を経験していない私には将来暗澹たる気持ちになります、
良く「死生観」に喩えて、軽々しく「将来は長生きなんかしたくない、私は呆ける前に他人に迷惑を掛ける前に死ぬのですなあ」
みたいな事を言ったりする方々を見聞きします。が、
実際その状況にならなきゃ分からんぜよ!と感じざるを得ないですね。
あと、姥捨山理論を展開する事は確かにあり、私も、老人を如何にかしないと、この国は!
と、思う事も多々あります、が、しかし、簡単に他人の命をその理屈や理論でカタをつけるかの様な議論は、
少なくとも私には無理です、やはりどうにも無理だと思います、
これはまさに「潔癖似非人権擁護の病に侵されている」のでしょう。
木蘭さんが書かれている様に「日本人には安楽死も介護の現実も議論など出来ない」のでしょう。
これは原発も安保法制も消費税も社会保障制度にも全て言えるでしょう、
お上に丸投げ、全て丸投げ、選挙?ガス抜きだから行かない、
まあ、これでは日本がより日本らしく素晴らしい国になる?あり得ないですね。
オランダみたいな畜生以下の安楽死幇助論など論外ですが、
現実と向き合えない日本人には皮肉でしか無いのでしょう。
呆けても這いつくばって生き延びる以外の選択肢は私にはまるで思い付かないのですが、
これは果たして「愚民主主義病」なだけなのか?
分からないので、これからも暇な時に考えます、暇は無いけど。
ニセただしさん、元気ですか?
わたしは今現在、テレビ権を母に譲って、独りでポチポチ作業しています。
今ごろ母は、『ブラタモリ』と『トットテレビ』を観て、疲れを癒していることでしょう。
母は、父の介護に忙殺されています。
父は我儘の極みを尽くして、最近では言語も不明瞭になってきました。
わたしが何かしたり、話をしようとすると、父はほとんど拒絶します。
母でなければわからない夫婦の間の無言のコミュニケーションみたいなのが存在するのでしょう。
わたしは介護はできるだけ母に任せるようになりました。
わたしは、独りでポチポチメールを打ったり、読書したり、仕事の準備をしたりで、自分の時間に専念するようになりました。
ある種申し訳ない気がしますが、母は、テレビを観たり、毎日3回父のおむつを替えに来る介護ヘルパーさんと楽しく会話したりで、結構楽しそうにしているみたいです。
だから、その母の数少ない癒しである楽しみの領域に、わたしはできるだけ立ち入らないようにするのが、今では私の努めになっています。それが年老いた父を年老いた母が介護することに後ろめたさを感じる私の罪滅ぼしだと思っています。
わたしは今テレビは観れないですが、ニセただしさんの家ではどうですか?
ちゃんと総選挙見れていますか?それとも別の仕事で忙しいですか?
わたしは読書したり、PCをポチポチしたりで、結構孤独を楽しんでいたりします。
生活の実感、と聞かれて先ず思いつくのが公共工事が少なくなった、ということでしょうか。これは今回のQ&Aで匿名さんに対するよしりん先生の回答にもありましたが、安倍政権になってから緊縮財政になっています。私の地元ではもう同業者どころか、重機のレンタル業者にまで「大きい工事が無い」と知れ渡っています。 安倍政権設立後は国土強靭化だと言っていましたが、実態はこんなものです。
もう一つ、花火大会のシーズンが近づいていますね。私の地元でも毎年花火大会が開催されていますが、そこで打ち上げられる花火の数が年々少なくなっています。花火を打ち上げる間隔が長くなり、子供の頃は毎年やっていた派手な仕掛け花火もとんと見なくなりました。安倍政権になってから、これらが変わったということはありません。
花火大会というのは自治体の予算と、スポンサーの協賛金で運営されています。花火大会の規模(もしくは有無)が、地域の景気を表していると言っても過言ではないでしょう。他所の花火大会はどうなのか、是非とも意見を知りたいところです。
アベノミクスだトリクルダウンだとマスコミが騒いでいても、身の回りの出来事を注意深く観察していれば、本当かどうか判断出来ると思うのですが。
とりあえずさしこは史上初の連覇おめでとうございます。
よしりん先生はこの結果をどう見てるんですかね。
>>91
尻毛屋さん、私の地元では神戸港海上花火大会なるものが7月にありますが、あまりの人手の多さにうんざりして、ここ数十年、まともに観たことはありません。約20年前、大阪のPL花火大会を観ましたが、帰り道の富田林駅前では、道路一面に散乱した焼きソバの皿の発泡スチロールで滑りそうになったことがありました。道路じゅうゴミだらけで、2度とPLには行きたくないと思いました。
今有名な花火大会は、どこもかしこも人の列、混雑した人の熱気と夕方まで太陽の熱を吸収した道路から発する熱気が合わさって、ムシムシして不快指数は上昇。おまけにバカップルが道を占拠したり、列に割り込む人がいたり、デジカメや自撮り棒付きスマホを振り回したりする人がいて、イライラします。完全に私民と化した愚民の群れが、我が物顔に街を歩く様にウンザリしたわたしは、花火大会というものに、ここ数年まともに行ったことはありません。
3年前、京都府の福知山市で花火大会開催直前に、屋台の不祥事で火災事故が起き、大会そのものが中止になったことがありました。花火の玉というのは、リサイクルできないそうですね。湿気てしまうからだそうですが、使われなくなった花火玉は廃棄するのだそうです。火薬という爆発しやすいものを扱うので、廃棄処理も特殊な方法を使うそうです。もちろん多額の費用がかかります。
福知山では、中止になってから、花火大会は開催されていないそうです。事故のトラウマか費用の関係か、そのどちらかは分かりませんが、花火大会で故郷回帰の町おこしというのも、考えものなのかもしれません。
ちなみに、わたしの父方の田舎の愛知県東海市では、毎年8月に花火大会をやっています。わたしの子供のころは結構周囲に田んぼがあったりしてのどかでしたが、近頃は駅周辺の再開発で、のどかな風景にも開発の波が伸びています。
さしこ連覇おめでとうございます!
高森さんのブログ読んだでー。
やはり世論、民意やな。これが現在の日本国憲法、日米安保体制を支持している時点で憲法破壊もクソもないと感じましたわー。
世論、民意をいかに自主防衛側に誘導するのが大切やなー。その日暮らしの国民に聞く耳があるか知らんがやるしかない。高森さん頑張ってな。
さや姉はそれこそ「おおさか維新」枠じゃないですかね。だからといって本家みたいに与党(このケースでいえばさしこ)には媚びてないというか。
「共産党」枠は今回選抜入りしたSKE勢(珠理奈とだーすー)かなと。あくまで私見ですが。
まゆゆ残念だなあ(´Д` )
さっしー強し。しかしさや姉と珠理奈はスピーチ
上手いべ。
さしこ連覇が現実ですよね、リアルな記録が世の中に残りますね。
アレだけ露出を増やし、言葉を投げかけ、自己プロデュースもキチンとやりとげる。
ヲタの出る幕はありません、これが、まさに「民意・世論」ですね、
さしこサイコー!
さしこ1位か…。
AKB界にもついに『一強多弱』の波が押し寄せてきましたね。
さしこはさながら『自民党』で、渡辺麻友以下他のメンバーは『民進党』といったところでしょうか。
さや姉は『共産党』枠になるのでしょうか。
連覇ですか…。このままいけば来年もさしこが1位になって、ずっとさしこの時代になるんじゃないかと、わたしは危惧します。
わたしは思うのですが、もはやAKB総選挙は「ヲタ」の域を越えて、完全に「大衆化」しているようで恐いです。
これからは「AKB=さしこが引っ張る」という図式がマスコミや大衆の間で一般化されることでしょう。
渡辺麻友はAKBグループ内で個性を発揮できるのか?もし彼女が個性を発揮できる機会を与えられなければ、わたしはAKBからの卒業という手段もアリだと思うのです。
わたしはAKBのことについては、大まかなことしかわかりませんが、運営は、その人ひとりひとりが持っている才能や個性を育てるのを疎かにして、AKBの子を小粒化しているように思えてなりません。
運営は「武士の個人主義」の育成から「足軽の集団主義」の生産へとシフトしたのでしょうか?
もしそうであるなら、これはAKB全体の活動の委縮と言わざるを得ないでしょうし、ひいては芸能界でのAKBの活動の割合の縮小により、芸能界全体に活気がなくなっていくかもしれません。運営はそういうことに気づいているのでしょうか?
AKB総選挙の話で盛り上がってるようですね。
指原の二連覇、予想通りでした。
正規軍(まゆゆ)は、ゲリラやテロリスト(さしこ)に弱い。そう感じる今回の選挙でした。
指原の勝因は言うまでもなく、AKBグループで群を抜いたマスコミへの露出度の高さですよね。今後指原にはAKBグループという公のために、自分の実力を発揮してほしいです。
ちなみに僕はまゆゆ、宮脇咲良、加藤玲奈、岡田奈々に投票しました。特に岡田奈々の選抜入りは嬉しかったです。
非常に残念なのは、小林先生の推しメン・みおりんがついに圏外になってしまった事です。小林先生、以前Q&Aでみおりんについて熱く語ってたカレー千衛兵さん、ショックでしょうが、どうかヤケは起こさないで下さい。
今、渡り廊下走り隊の「完璧ぐーのね」を聴きたい気分です。
「完璧ぐーのね」を聴きたい理由ですが、指原の強さに「ぐーのねも出ね~ぜ!」という気持ちだからです。
皆様こんばんワイン。暑かったり寒かったりで体調崩しがちな今日この頃。
「民主主義という病い」の感想は後日書かせていただくとして、今回は更新したライジングについてのコメントを。
以前、私は一時期問題になってた「児ポ法改悪による表現規制問題」について色々話をしてた時期があったんですが、(アグネス・チャンが国会でとち狂った物言いをしてたやつ)まー何とも楽観視してる二次元好きが多かったのを覚えてます。
やれ「どうせそんな法案通るわけない」「通った所で捕まるわけがない」だの…。
あの頃は多数決で強行採決される危険性が高かったですし、少なくない漫画家さんが陳情に行ったりするなど相当切迫詰まる状態でした。政権交代した結果有耶無耶になりましたが、あのまま自公政権だったらどうなっていたか…。
そういった経験から考えると、「今の日本人は自分たちがどれだけ恵まれているかわからない」んでしょうね。不変だと思ってるフシさえ感じます。
いっその事地獄をとことん味わった方がいいのかもしれませんね。味わったら味わったで言い訳、責任転嫁に終始しそうですが。
うーん、果たしてさしこにはAKBグループという公のために、自らの実力を発揮できるのだろうか?
AKB総選挙が、ヲタが参加するヲタのイベントから、大衆が選んであげる愚民の民主主義システムへと、変わりつつあるようで、なんだかちょっと怖くなってしまうのですが。
「誰もが求めるアイドル像」と結託したマスコミは、さしこをどのように扱うのだろうか?
とりあえずバラエティ番組にバンバン出演させて「お茶の間の誰もが親しめる」アイドルに落ち着かせるのだろうか?
とにかく、これからは在籍していたメンバーの卒業が増えるでしょうから、アクの強かったAKBメンバーからだんだん「毒気」が抜かれていくようで、寂しい気もします。
お邪魔します。
辻元清美著・『デマとデモクラシー』を購入しました。取りあえず、よしりん先生との対談から読んでいます。
辻元氏は、最近はよしりん先生と意見が近い所が多いと思います。ただ、憲法9条とか歴史認識問題等については、辻元氏の考えがもどかしく感じました。
一つ気になったのは「夫婦別姓」に関する事です。辻元氏から「小林さんは女性天皇に限らず、LGBT(性的マイノリティ)や選択的夫婦別姓も認める立場を打ち出していますよね。(後略)」(P162〜163)との発言が有り、以後よしりん先生との話が進んでいきます。よしりん先生は、以前「選択的夫婦別姓」を認める発言をされていましたっけ?
ライジングVol.160「夫婦別姓訴訟:家名フェティシズム」では、最高裁の「夫婦同姓」の規定が合憲との判決は、当然の事とした上で論を展開していました。その上で、夫婦別姓を唱えるリベラルも、夫婦同姓を唱える保守も、どちらも「家名フェチ」にすぎず、自分の名字なんかにそこまでこだわること自体がおかしいと。むしろ今の問題は、家族を崩壊させかねない資本主義や新自由主義にあると。
名字なんかにこだわること自体がおかしいとの話に変わりないのですから、どちらでも良いのかもしれませんが、私は「選択的夫婦別姓」を認めるとの発言は知らなかったので、気になりました。辻元氏やこの本の読者からは、先の最高裁判決にも反対の立場だと取られると思いました。
細かい事で恐縮ですが、ブログ等で「選択的夫婦別姓」の話等ありましたでしょうか?高森先生のブログ・「2015/12/19 最高裁、夫婦「同姓」合憲判決」は読み直したのですが。なにぶん私は忘れっぽいもので。
どなたか私の誤解・誤読等を指摘して下されば大変有難いです。
指原莉乃が二年連続一位になりましたね。
これからは指原莉乃の事を、大将軍と呼びましょう。
話は変わって、「とと姉ちゃん」のあれはなんなんだー!
川栄李奈のデキ婚!
あの時代にデキ婚って存在したかー!
ないだろう!
オレが親なら長谷川はクビ、川栄李奈は勘当だ!
ブログ【耳が聞こえなきゃ手話をつける】を読ませて頂きました。
小林よしのり先生のお気持ちの有り難さに、魂と体が震えました。
私は彼に伝えました。
「うわぁ、真珠られません!!はい、ぜひ。アンケート書かせてください。」
そう言って、すぐに地方ゴー宣道場出欠アンケートに投稿してくれました♪
絶対に届かないと思っていたゴー宣道場は、実は届く存在だったかもしれない。
その興奮と感激を、一人でも多くの方に経験してもらいたいと強く思います!
『「小林よしのり推し」で本当に良かった。』
にじんで見えるブログを読みながら、そう思いました。
小林よしのり先生、本当に、ありがとうございます。
日本には、アメリカの貧困文化であるヒップホップは根付かないと思ってましたが、
日本の若手ラッパーは、貧困層の出が多くなってきてます。貧困から犯罪に手を染めるしかない麻薬の売人なんかが、成り上がるためにラップするとか、ここは日本か?と思えるくらいです。楽器すら買えない子供が増えてる結果なのでしょう。
一対一のラップバトルなんかの全国大会があって、即興ラップが、10年前のレベルとは比べ物にならないくらいハイクオリティになっていたりしてビックリします。
エミネムの8マイルみたいな世界観が当たり前になりつつあります。
統計は見るのも使うのもリテラシーが要りますから、難しいですね。
「それで君は何がいいたいの?」というのがデータを使うときに重要なことだと思います。
世界の貧困データを取ってきて、「絶対的貧困が日本には少ないからよかったね」と結論するのはデータを作成した人に失礼でしょう。いったいこの世の誰が、「世界にはもっと貧しくて困っている人がいて当たり前だからお前たちは我慢しろ」という結論を言いたいがために、貧困調査なんてするんでしょうか?恥を知りなさいということです。
明日食うものに事欠くような貧困があってはいけない、世界のみなさんに関心を持って解決に導いてほしい。そういう思いがあるからではないのですかね。無論、そこからは豊かに見える国にも隠れた貧困があるのではないですか、という視点だって導き出せるでしょう。それがまっとうな人間の感覚であって、上から目線でモノを言いたいという「我欲」を満たさんがために、世界の貧しい人をダシにするというのは、獣の所業でしょう。豊かな国で満たされた生活をしている癖に、それに飽き足らず、くだらない自己顕示欲を満たすために自己責任論を吹聴する。
彼らが主張したいのはいつでも一つです。「自分は偉い」これしかありません。言論の真実性よりも、現実に対する効力よりも、「自分は偉い」というただ我意の肯定のためだけに、頭を使う。それを世俗的な古臭い道徳で糊塗して正当化しているのです。
生活保護を受けている母子世帯に「怠け者」と言った「元」東京都知事が、どういうお金のやりくりをしていたか記憶に新しいですが、あんなものです。「貧乏から脱した俺様はお前らより偉い」というのが彼の言動ににじみ出ておりましたが、あれが恥知らずの典型なのは言うまでもありませんね。
>>110:カレーさん 【耳が聞こえなきゃ手話をつける】
先ほどまで AKB48SHOW の後に再放送してた『奇跡の人』最終回を見ていました。目も見えず耳も聞こえない少女と元ヤンの母親が、(最初は毛嫌いしていた)ロックを夢見るおバカな青年に、次第に心を動かされていく物語で、そのロック青年は少女に手話を教えて物事を認識させるよう奮闘しました。最終回では(ロックな心が)「扉を開く」といった?メッセージが伝えられました。
カレーさんの書き込みと道場ブログのロックの話が、すごくタイムリーにリンクしているようでした。
物事の善悪良否を考えるとき、身体的や頭脳的や境遇的なハンディキャップはあまり関係ないのかなと感じます。むしろ何らかのハンディがある人こそ、それを克服するために理性や感性を上手く使ってるような気すらしてきます。
視覚のみから熱心によしりん先生の思想を読み取っていたその方は、五体満足な我々よりもはるかに高次元の価値ある思想を脳内に構築されているかもしれませんね。
負けないようロックに生きよっと。f(^^;(笑)
カレーさん、お久しぶりです。っていうか覚えてますかね?
まあ、数年前にこのコメント欄で少し話しただけなので、記憶に無くても仕方がないんですけど。
前にも話しましたが自分は新潟県人です。ゴー宣道場が新潟県で開催されるならば、是非参加はしたいです。ですが、県外は無理かな。
時代錯誤的に今流行っている亡き某政治家のおかげで交通網は整備されています。それでも新潟県の地理的な中心に住んでいますと、新幹線で東京に行くよりも自家用車で他県の市街地に行く方が時間が掛かります。時間と高速料金の工面は勿論ですが、車で県境の山々を抜けて目的地へ辿り着いたとしても、師範方の講義を拝聴出来る集中力が残っているのかどうか。
本当は東京で開催されているゴー宣道場にも参加をしたいのですが、恥ずかしい話、田舎の町工場の賃金で家族を養って、家のローンも払って、雀の涙程の貯金をしたら、もう東京⇔新潟の新幹線代の工面が・・・。
それにしてもカレーさんの行動力は凄いですね。
自分はどうしても日常に埋没しがちで、思想する同志達を集める力量もありません。ですから、カレーさんや設営隊の方々は本当に敬意を表します。陰ながら応援していますね。
指原連覇ですか…正統派アイドルの時代はある意味終焉したのかもしれません。
まあ奴の黒さは変なロックスターよりも黒いと思います。
指原チルドレン、なんて小泉チルドレンとか小沢ガールズみたいな語感がしますね…
私は清純派よりもちょっと悪い女の子が好きですが…
もう、誰もこの世界に清らかなものなんて求めていないのかもしれません。それだけ時代が切迫して息苦しくなってるのかな…
秋元康「指原はアイドル界の田中角栄」…
言い得て妙だ…
どうも日本の現状は希望がない貧乏のような気もします。発展途上国だとこれから豊かになるという未来設計が描けるのに、日本の場合は近代化が進んで国としての活力が伸びきってしまったというか、みんな諦観しきっちゃっているというか…
経済的な問題を自分のこととして、自衛して例えば家計のやりくりできるようなノウハウがある人間は生き残れるのですが、例えば低所得者で学歴のない家庭だとそれを身につけるだけの活力もないから貧しいままなのでしょうけど。
私自身、田舎暮らしで食べる物にも家屋にも取りあえず困ってないので、例えば都市部で低所得なのに家賃の高い部屋に住んでいる母子家庭の方の境遇を簡単には想像できないのかもしれません。
どうも都市部の家賃が高いのと、教育にお金が掛かりすぎるのが全ての原因だと思えます。でも例えばこの問題を国政選挙で公約にする政治家は少ない気がします。地方議会の議員はそうでもないのかもしれませんが。
貧乏人いじめを例えば学歴も高くて収入もあっていい会社に勤めてるエリートと呼ばれる種族がやってることに、この国の問題の根深さがあるのかもしれませんね。
>>116 tintiropo-nさん
>本当は東京で開催されているゴー宣道場にも参加をしたいのですが、恥ずかしい話、田舎の町工場の賃金で家族を養って、家のローンも払って、雀の涙程の貯金をしたら、もう東京⇔新潟の新幹線代の工面が・・・。
「新幹線代の工面できない時点で、あるいは、新幹線代を工面しようとしない時点で、自分は公論形成に参加する資格なんて無いんじゃないのかな・・・」
そのように考えて、気後れしてしまっている地方在住のゴー宣読者さんの声も聞いています。
「それは違うんじゃないでしょうか?」と私は言いたいです。
『日常と現場』を優先するのは、ごく普通の庶民だからだと思います。
庶民が思想し続ける機会を得ることは、これからの日本にとって必要な「投資」だと私は考えています。
私もまた一人の庶民として、日常との格闘の中で「ゴー宣道場」を意識すること自体に、豊かさや楽しさを感じます☆
子供っぽく素直に言えば、「ゴー宣道場、めっちゃオモロイねんから、みんなでやろうよっ。この指とーまれっ♪」ってなカンジです o(^o^)
tintiropo-nさん
地方ゴー宣道場は、新潟開催の場合、参加希望ですね☆
参加表明、ありがとうございます!!!
北陸開催を望む熱い声は、多数頂いております!
あとは「150名の参加表明」です。
どうしたらいいんだろう? すごく難しい。
>カレーさん、お久しぶりです。っていうか覚えてますかね?
>まあ、数年前にこのコメント欄で少し話しただけなので、記憶に無くても仕方がないんですけど。
もちろん覚えています☆
tintiropo-nさんの地元がAKB48の名曲【so long!】の舞台となった、というお話をライジングのコメント欄を通じてしましたね♪
お互い娘がいますし、お互い「ハゲ同盟」所属です(笑)
絶対的貧困率と相対的貧困率の問題は、本当に根深いと思います。
私の親なんかだとリアル貧乏で苦労してきているだけに、今の子供が貧困だと聞いても「わしらの頃はもっと辛かった、今の子は甘えてる」という思い込みが先に立って、その感覚はもう変えようがないところまできていると感じます。
そういえば、ある友人(40代女性)は幼い頃家庭環境のせいで貧しい生活を強いられ、すごく苦労してきた人なのですが、その彼女の口から「今の子供が貧困と言われても違和感がある」という発言が出た時はすこし驚きました。
また別の友人で、結婚して働きながら子育てをしている女性は、シングルマザーの話題になると「でもあの人たちは手当もらってるでしょ?」と苦々しい顔で言い放ちました。(私は仕事でこんなに苦労してるのにあの人たちは甘えてる)と言わんばかりの口調でした。
こういう議論ではつい「金持ちVS貧乏人」とか「年寄VS若者」とか「男性VS女性」とかいう図式で見てしまいがちですが、本当の溝は、保育園をめぐる説明会で母親同士が言い争っていたように、意外と近い立場の人の間にあるのかもしれない、と感じた出来事でした。
木蘭さんのご主張、「ホントにそうだよね」と頷くばかりです。
今の日本では、ボンビーさんは自己責任で「貧乏」に陥っているわけではないのですから(中にはそういう人もいるでしょうけど)。どんなに一生懸命働いても、余裕のある生活ができるほどの収入を得ることが困難なのです。
なのに、日本では様々な面でおカネがいることが多いのですよね。こんなご時世で、国民年金保険料16000円也を毎月支払える?? その日の食事にも困っているのに。
こんな状況では、将来の私たちの生活はどうなるのかと心配になります。たとえ今現在が「中流」の人でもね。貧困層の増加は日本国民全員に悪影響を及ぼすかもしれないのですから(治安の悪化や国力の衰退など)。
これを他人事だと考える人がいるのなら、その想像力のなさに脱力してしまいます。
それに、海外の飢餓に苦しむ人々に寄付して悦に入っている人々は、「私ってイイ人☆」モードになりご満悦なのかもしれませんが、自国の貧困さんに全く目を向けないのならば、失礼ながら単なる「偽善者」ではないかと。(寄付をしてはいけないということではありません、念のため)
今の時点でも、日本の国力はかなり衰退しているように私には思えるのですが。町には貧相なチェーン店が立ち並び、昔ながらの商店街は閑古鳥が鳴いていてちっとも活気がないし、売られている品々は安っぽいモノばかりなのにね。洋服も家電もクルマも何もかも。(注・全てではありません)
私は〝庶民派金融機関〟(小泉さんに民営化させられたところ)に勤めていたので、こういうことに気づきやすいのかもしれませんけど、ちょっと気をつけて観察すれば誰でも気づくと思うんだけどな~~。。私の友人はみんな分かってるけど。
相対的貧困の声を多分聞いていたら「公共事業を進めたい大きな声」が滞ってしまうんでしょう。
相変わらず大きな声を聞いてやることで掻き消されてしまう小さな声にお零れ(トリクルダウン)が行くっていう考え方なのでしょう。
大きな声はお金が小さな声に行くことがどうやら気に入らなかったようですよね。
還元すべき税金を外に逃してしまっているようですし。
多分、新国立競技場の建設断念を恨みに思っているんじゃないんでしょうか。
ロゴもそうでしたよね。
「大きな声」が勝手に決めた事で都民や国民が大反発して遂には追放させてしまいましたよね。
舛添もそうですよね。
「大きな声」が脱原発に舵取られたくないから無理矢理挿げ替えさせて「大きな声」の維持をさせようとする魂胆が見えてしまいましたよね。
その舛添自身も与党や大きな声から距離を置いていたみたいでしたから最終的には叩きOKという裁定が下されてしまいましたが。
野党も野党で駄目駄目なのは、野党も支援してくれる大きな声ばかり耳を傾けているからでしょう。
支援者の声ってここでは労組とかでしょう。
当然貧困に追い遣られている母子家庭は労組でもなんでもないのでこの人達の声なんて絶対に届きません。
勝手は違いましたが「日本死ね」がどの野党のよりもパンチが効いたようでしたね。
大きな声や提灯持ち言論人や与党らはそれでビビってしまいましたよ。
もしかしたら野党というのは政党の野党ではなくて「消費税を取られている国民」ではないかと思っています。
税金が庶民の生活を圧迫しているので少しでもちょろまかしているとなるともう声が大きいのなんのって。
国立競技場やオリンピックロゴ、そして舛添のつるセコも納税者にとっては「ふざけるな!」ということなのでしょう。
安倍が増税延期させたのも結局「実態が判っているから」なんでしょう。
「生活が豊かにならないのに増税なんてふざけるな!」ということでしょう。
まあこれ、ホシュ派がどう思っているかでしょうね。
逆に民進党は支持層の労組が弱体化しているから票が集まっている?と思われる共産党に傅いている状況ですよ。
共産党は上手いですね。
巧みに支持者を獲得しようと工作しているのですから。
学生団体使って若者の支持層を集め、そして貧困層の支持まで固めているのですから。
さて、自公はどう出るんでしょうかね?
此の儘では共産党に取られてしまいますよ。
木蘭さんの、明け方暁に上がっていたブログを只今拝読しました…お疲れ様です。
そもそも論ですが、アフリカの貧困と日本の貧困を絶対的な貧困(或いは価値観も含む)率で無理やり語るのは意味が有りませんよね。
そもそもアフリカの貧困大国と文化も歴史も経済も政治も等価値では無いのですからね、残念ながら。
グローバルな視点と国々での現実的な状況とを結びつけること自体が「アホ」でしょう。
その門弟さんがどういう方かは知りませんが、自分の経験に基づく「現実」と他者の経験に基づく「現実」は、
実は似て非なるモノです、だって私は貴方じゃ無いから。
私はこんなに経験して来てるから間違い無いのよ!貴方が間違っているのよ!は、
実は逆転をしている訳です、俯瞰で物事を考えるのが出来なく成っている訳ですから。
これこそが「民主主義病」だと先生や時浦さんが紹介してくれた、
他の門弟さんのメーリスを拝読して痛感しますね。
辻元清美さんの「デマとデモクラシー」、よしりん先生との対談部分を読みました。
辻元さんは相変わらずの護憲派ではありますが、以前の「平和、平和」してたころとは別人のように頼もしくなっている印象をうけました。好感さえ持ってしまいました。歳月と逆境が彼女を成長させたんだなと思う反面、今現在の国会児戯堂に集うチルドレン連中は、10年20年経とうが決して進歩なんかしないんだろうなーと思いました。
木蘭さんの先程のブログも今拝読して、安倍晋三に限らず「昔は〜」の方々の認識は「絶対的貧困率マンセー病」に汚染されてるのでしょうね…
別にテレビや雑誌で「アフリカの貧困は!これが現実だ!」的な特集に異議を唱える気持ちは湧いては来ませんが、
木蘭さんの貯蓄を崩して生活費に、は、自分の「愚者なりの体験」で分かります、
病気して療養して、それでも生活費は掛かる、傷病手当金やら保険が当たるのはタイムラグがあるから、
僅かな貯蓄、下手すりゃ借金をして、とりあえず当てる訳です、
意外にこの様な体験談は沢山有ると思いますが、ネトウヨさまや曽根綾子系な方々からは、
そんな体験談はトンと聞いた試しが有りません、まあ、裕福層・ブルジョワシーな方々なんだろうなあとか。
大体国保や社保の月々の支払いが確実に1諭吉を超え、医者に掛かる金額の総額が月々2諭吉を超えていた事を思い出すと、
良く生活出来てたわ、と思い知らされます。
退職金が無くなる筈だわな、なんて痛感。
今、こんな時代に店を勢いで出したは良いが、借金払えるかなあ?まだまだ集客力が足らんなあ〜
育ち盛りのお子さんを抱えてダブルワークしている、ウチのパートさんや親を食わせていかないと、オーナー失格・社会人失格だと自己暗示掛けながら、
毎日食材と帳簿とにらめっこしています。
まあ、こんな考え方は「私」でしか無く「公人」の欠片も有りませんがね、ガックリ。
日曜日タコ(^^)!
今週は、もう先週とは違う日タコやで!
悲しみも、悔しさも、有頂天も、それはもう先週の話!
新しく始まった今週を全力で励むタコ~♪
きのうを思って、あすを心に、きょうを精いっぱい生きるタコ(^^)
今週は2点、お伝えするタコやで♪
①会場決定したやで!
8月7日(日)に行われる第2回関西ゴー宣道場の会場を予約したったタコ!!
☆会場【大阪研修センター江坂】http://www.esakakensyu.com/access/
会場のセールポイントは何と言っても師範方のおわします『演壇の高さ』!
東京本家の約3倍もあるタコやで(^^)
師範方からは参加者の顔丸見え。拙者たちも師範のお顔がよく見える~♪
関西道場ならではなのタコ。
「おもしろい!」や「楽しい!!」はもちろん、
「プンスカ!」「(´ε`;)ウーン…」までもがダイレクトに伝わる、
関西道場よい会場(^^)
隊長ぐっじょぶタコ!
関西設営隊のみんなは、
関西独自の工夫を凝らしてゴー宣道場の新しい歴史をつくったるデヽ(`Д´)ノ!
……と燃えまくってるタコやで。
関西以外の読者さんにも、ぜひとも足をお運びいただきたいタコ(^^)
来てみてちょ~!
もくれんさんの今回のブログ、金取れるレベルだなと思ってたら、やはりよしりん、反応してくれました。
……続き(^^)
②地方ゴー宣道場・出欠アンケート (6月18日時点)
☆☆ 中 間 報 告 ☆☆
①近畿地方ゴー宣道場
②中国地方ゴー宣道場・中部地方ゴー宣道場(同率)
④九州地方ゴー宣道場
⑤北陸地方ゴー宣道場・四国地方ゴー宣道場(同率)
⑦北海道地方ゴー宣道場・東北地方ゴー宣道場(同率)
⑨沖縄地方ゴー宣道場
関西強し!牙城崩せず……
やけど、各地から上がってきている思いは、どれも同じ熱さタコやで……!!
総選挙は終わっタコやけど、
こちらはまだまだ絶賛募集中(^^)
皆様、どしどしご応募待ってるタコやで!
☆めいる
chiho.gosen.dojo@gmail.com
☆ついった
隊長 https://twitter.com/curry_senbe
拙者 https://twitter.com/nakoso_osikere
どれでもいいので話しかけやすそうなところへどうぞやで~♪
しかし、時浦さんが紹介してくれた門弟さんのコメントが熱いですなあ。道場に参加したから格差問題に思想に目覚めたとか。ジャニーズのコンサート命、政治に全く興味がない母親に言い聞かせたいですなあ。まあ、金はあるんで貧民、格差問題に疎いのは仕方ないかと思いますがね。
人生は金!地獄の沙汰も金次第ですな。
もくれんさんの相対的貧困率に関するブログ、大変興味深く、すごく納得できるもので何度も読み返しています。
そもそも最貧国と日本とを単純に比較することなんて無理がありますよね。(子供が宿題しないと、「アフリカの子供は勉強したくてもできない子がごまんといるんだ、ありがたく思え」とつい引き合いに出してしまいますが)
日本の厚労省がはっきりとデータで、格差が大きくなっていて、子供の6人に1人が貧困状態にあることを示していて、実感としても「苦しい」「格差が大きくなってきている」と感じている。データでも実感でも貧困が広がっていることがはっきりしているのだから、認めるしかないですよね。安倍首相は自分の国の厚労省が出したデータを信じないのか?
私個人としては、夫1人の給料で何とか家族4人が生活していけるのだから、今現在は恵まれているほうなんだろうと思います。でも「何とか」なので「もし夫に何かあったらどうしよう、子供はこれからお金がいるのに」という思いは常にあり、1円でも安い野菜や肉を探してしまいますし、色んなポイントは貯めるし、子供のお年玉は「貯金」ですね。少しでも貯蓄をして将来不安に供えようという気になってしまいます。
マザー・テレサは「日本人はインドのことよりも日本の貧しい人への配慮を考えるべきだ」と言ったそうで、私がこの言葉を知ったのは曽野綾子の著作でした。彼女は尊敬するマザー・テレサの思いも身近なところにある貧困も実感できなくなってしまったのでしょうか。
「まずは日本の子供を救う」こと、私個人にとっても国にとっても一番大事なことです。
トッキーさんのブログに挙げられていた門弟さんのコメントに「寝屋川云々~」とありましたが、何のこと?と思う方が居るかもしれませんので以下参考までに。
大阪・高槻・寝屋川殺人死体遺棄事件 発生から最新情報まで -
http://matome.naver.jp/odai/2144025383506779901
木蘭さんの、かーちゃん、かわえーなー。
たこ焼きざむらいさんも、かわええ。
失礼しました
たこ焼きざむらいさん、地方ゴー宣道場の出欠アンケートの中間報告ありがとうございました♪
ただ、僕としては九州ゴー宣道場だけでも開催してほしい!それはエゴではあるけれど、自分の力が少しでも及びうる範囲でもあるのです。
そこで、僕は誠に勝手ながら、設営隊長に立候補します!といっても、これから何をするのか全く未定だし、そもそも設営隊を組織出来るかも不透明…。それでも、何とか形にしたいし、中心に座る人が出ることで、少しでも開催が現実に近づけばいいなと思います。
よろしくお願いいたします!
daiさん、九州地方ゴー宣道場の設営隊長に立候補してくれてありがとうございます!!
daiさんは、関西ゴー宣道場の設営隊員として昨年も今年もずっと尽力してくださっている人で、私はよく知っています。ずっと、そばで見てきて、daiさんのお人柄を尊敬しておりました!
印象的なエピソードがあります。
それは昨年の関西ゴー宣道場。
質疑応答の最後の質問者としてdaiさんが当てられましたが、手違いがあって、近くの女性にマイクが渡りました。daiさんは嫌な顔をせずに女性にマイクを譲ってくださいました。
女性の質疑応答が終わり、その時点で予定の時刻をかなり過ぎていたのですが、優しくて美しい笹師範は、再度、daiさんを指名してくださいました。
するとdaiさんは、「女性にマイクを譲ったカッコいい僕を演じたいので」と述べて前代未聞のマイク拒否!
あの時のあたたかい拍手と笑い声は一生忘れられません♪♪
九州ゴー宣道場の設営隊長、私からもお願いします!!
「リーダーを支える4人の仲間」の一人には、どうか私を加えてください。daiさんの手足となって働きます!
地方ゴー宣道場を実現させるには、
◆ 150名の参加表明者
◆ 15名の設営隊
◆ 1名の設営隊長
この3つの高いハードルを全てクリアしなければなりません。先は長いです。
実現して欲しいです!!
AKB総選挙ですが、さっしーの圧勝でしたね。
速報のまゆゆ1位が、さっしーヲタの火をつけたのかな。
あと、今回はメンバーのスピーチの時間を決めていたのですかね?テレビ中継はCMでスピーチが途切れる事がなかったし、去年に比べてスムーズに進行していましたが、会場のファンはどう思ったのだろう?せっかく会場まで行ったのだから、じっくりメンバーのスピーチを聞きたいだろうに。しゃべり足りないメンバーもいただろうに。
スピーチは総選挙の肝なのにそれを制限したら魅力がなくなってしまうのでは?テレビに合わせて進行しているとしたら、そこまでやる必要はないのでは。
しかし改めて門弟さんのコメを読んで感嘆しますなあ。経験値があるということは人生においてプラスなのですが、時として自分の常識と現実がズレる恐れがあるんですなあ。悲惨な戦争体験をした為に九条シンパになった日本人は左翼以外にもいるんです。平和を望むのは当然のことだと思いますが、現実の国際社会は九条の平和理念を超越しています。
平和と独立を守るには核武装を含む重装備しかないというのが理性的態度です。
しかし、被曝、戦争被害の苦しい経験はそんな常識を吹き飛ばしてしまうんです。被爆者、戦争体験者に言っても「戦争を知らないからそんなことが言えるんだ!」と返されてしまいます。
左翼も保守も戦争体験者の声を全面に押し出していますが、それだけでは真理には到達できないことがあるんです。
木蘭さんの母ネタが好きですね、しかも「覚醒!」ですか(笑)
人は何かに夢中になるとスキルが向上するのだとは、自身の実体験でも有りましたが、
まさに「覚醒!」ですね。
好きこそモノの上手なれ、ですね、但し周り(御身内?)が迷惑?するのは仕方無いかも知れません。
世の中には「目覚めてはいけない」事柄も沢山有るので、
木蘭母さまはまだかわいいかも?
石原慎太郎の名前が出たので考察。
石原慎太郎は軍国少年で苦しい戦争体験をしました。終戦の詔勅では涙を流したでしょう。
石原慎太郎は言いました。「北朝鮮のことを悪く言うけど戦前日本も似たようなもんだ」
これは一次史料から導きだした答えではなく、石原慎太郎個人の体験から来るものです。恐ろしいもので個人の体験がそのまま歴史の真実として語られてしまうんです。そーゆう個人体験の戦前経験を排し日本にファシズムはなかったと証明した伊藤隆さんの功績は大きいと思います。それまでは戦前=ファシズムが学会の常識だったわけですから。恐ろしいことです。
男系絶対も戦前の価値観の延長線上であるもので
保守派の戦前世代が男系絶対だから、それに釣られて稲田朋美なんかも男系絶対になるんです。
戦前世代の力は戦後生まれの人間の理性、感性を狂わせると感じます。
曽野綾子も悲惨な戦争体験から格差はないと言い
金美齢は悲惨な蒋介石時代の経験から格差はないと言っているのでしょう。
感情を排した理性的な判断が日本には求められています。
貧困問題の根深さというのは、貧困から抜け出た人が必ずしも貧困を解決するほうには向かわないということにもあると思われます。
お気づきの人はお気づきでしょうが、かの舛添元都知事や橋本元大阪市長は貧困層も貧困層の極貧層出身です。しかし、彼らは格差社会の最右翼の肯定者です。これは過去の言動を見れば分かる。なぜそうなってしまうのか。それも説明は可能です。
貧困から這い上がるには相当のエネルギーがいる。それは時として激しい努力による栄達を可能にしますが、その中核には強い復讐心があります。必ずと言っていいほどそこに歪みが生じる。私はコンプレックスをバネにする人はあまり好きません。自分の周りにも居ましたが、そういう人間は必ず「自分はこれだけ酷い境遇で頑張ったのだから、自分以外の恵まれた人間はもっと頑張るべきだ」と主張するからです。今の年寄りにそういう人が多くいるでしょう?「偉くなって金持ちになって見返してやる!」が大人になっても抜けず、始終他人を見下すようになる。哀しいものです。
かつて福田恒存氏が指摘した通り、「僻み」は現実に敗北した不平家を生むと同時に、頑なな冷たい勝利者を生むのです。ホテルニュージャパン火災の社長やグッドウィルという悪徳派遣会社の会長も貧困層出身でした。貧困から猛烈な努力をして抜け出た人が新たな搾取と貧困の連鎖を作る。貧しさから這い上がるには余程の注意を払わないと、人間は生きるために欲と憎しみに呑まれてしまう。貧困の罪深さとは、こうして人の魂をも歪めてしまうということにある。それは豊かさがもたらす放縦などとは比べ物にもならないと、広く知られるべきでしょう。
それが分からない程に「豊か」なのか、「貧困」なのか。我が国はどちらでしょうか。
まあ、結局は貧困問題は自助努力不可ならば
行政の力に頼らざるを得ないのが現実なのかな?
昔ならば近所のおばちゃんからおすそ分けを受けたという話を聞くが、今の時代にこれを出来るのか?
出来る為には普段な近所付き合いを含めて密接な関係を築く必要がありますなあ。嫌だろーが仕方あるまい。金がないんだから。
クレヨンしんちゃんに出てくる、みえさの井戸端会議も奥様方の噂話に終わり、それを通じて物をもらうとかにはなりませんよね。この時はまだそこまで貧困ではなかったのです。
今の貧困は共同体を充実させ互いにシェアをする環境を作るか、行政にお願いをするか?になるんですかねー?個人的に残飯が有り余るのを見ると
これで子供は救えないのかな?とは考えてしまいますなあ。
貧困とは身近になり。ウチの父親は高校教師であったが生活費を入れる以外はすべて自分勝手に使った。台湾の大学にも行った。台湾大地震の時にも募金した。その結果はスッカラカン。離婚して身元不明だす。生活保護しているのかな?
こんな父親でも、中学時代は母の給料があったから
給料以外は食えないという貧困は味わったことは僕にはなかった。この状況は貧困家庭からしたらラッキーなんだと思います。恵まれた環境…
そんな人間が貧困を語ってもリアリティがないのが
辛いところやな(´Д` )。曽野綾子らの貧困はアフリカ
終戦直後と現代とは比較できないものを無理やり当てはめようとしているのが大問題や!
貧困で苦しんだから国は自己責任とせず救済しなさい。それでは政府の意味はないで。
今回のゴー宣では【市民における「言論の自由」】の部分にハッとしました。
私はあまりにもみっともない差別行為であるヘイトスピーチを規制することなど当たり前だと思っていたのですが、確かにどこからどこまでをヘイトスピーチとするかを判定するのは難しく、「言論の自由」を委縮させてしまう可能性は十分にあります。
安楽死の問題についても私は賛成なのですが、同じくどこからどこまでを安楽死と認めるかという判定は難しく、オランダのようにあまりにも簡単に認められたり、本人の意志とは関係なく安楽死させられるようなケースも出てくると思います。
大きなところは法律で決める必要はあるのですが、やはり歴史と伝統、常識や道徳による不文律の部分で物事を動かしていくというのを大前提としなければならないと思います。
そしてそれを行うためには、大衆は庶民とならなければならない。
そのためにはネットとかSNSなどではなく、「現場」というものを一番大事にして生きていかなければならないと再認識しました。
今号のゴー宣、非常に頭を使って読みました。深く、また難しいテーマだと思いました。ポケーと日常を生きていると、全く気付かず、いつの間にか飼い慣らされてしまっていた、なんて事態になってしまいますね、コレは。そして羊のように、何も考えず次々と死を選ぶ。
メディアも国民も、公心を忘れて、私心が強くなりすぎてしまうと、手段を選ばなくなり、“力”に頼ろうとするようになりますね。切通先生の『矛盾がすぐ解決できないわだかまりを感情論で突破しようとする時、人は独裁を待望する。』という言葉は、正に真を突いていますね。肝に銘じておかなきゃいけないと思いました。
憲法を守らなければならないのは権力の側であるという、立憲主義の話にも繋がっていましたし、小林先生のお話は全部が繋がっているので、まさにどこを切っても金太郎の顔が現れる金太郎飴ですね。茶魔かよしりんの顔かな♪
それで、ゴー宣道場が、テーマによって応募者数が変わるというお話は、最初、不思議でした。ただ、東京から来られる方ばかりではなく、また日常もあるので、やはりそうなるのかなと思い直しました。
小林先生、Q&Aでのゴー宣道場に対するご回答、肝に銘じておきます。
木蘭先生の『トンデモ見聞録』深く考えさせられました。ただ死なずに居るのが生きていること、ではないですよね。安楽死の議論からすら逃げて思考を停止している人も、生きているとは言えないんじゃあないかと思います。
日本の武士は、死と向き合うことで生を知ろうとしたと、堀辺先生や小林先生が教えて下さいました。死と向き合えない人は、きっと生とも向き合えないんじゃないかと思いました。
ペットの話でも思ったのですが、私心ばかりになってしまった人は、公からの視点が狂ってしまい、自分の異様さにも気付けなくなってしまうのでしょうね。
そして、35歳の女性の言葉につきると思いました。『退職金もなくボーナスもない。将来生きていくのであれば生活保護しかない。安楽死施設を開いてほしい』・・・このような言葉をまだ35歳の同胞の女性に言わせてしまう世の中。こんな日本なら、死ね!と思って当たり前です。女性が生きたくなる世の中が、いい世の中なのだと思いました。
カレーせんべいさん、お疲れ様です。
私は関東在住ですが、ゴー宣道場全国展開への協力も踏まえ、地方開催にも出来る限り参加したいと思っています。
昨年は関西道場にも参加させていただき、その熱さに感動しました。
仕事の都合もありますし、参加には家族の同意をもらわなければいけないので確実とは言えませんが「参加するぜ!」という心意気でアンケートの回答をさせてもらいます。
1.北海道地方ゴー宣道場 ・・・○
2.東北地方ゴー宣道場 ・・・○
3.北陸地方ゴー宣道場 ・・・○
4.中部地方ゴー宣道場 ・・・○
5.近畿地方ゴー宣道場 ・・・○
6.中国地方ゴー宣道場 ・・・○
7.四国地方ゴー宣道場 ・・・○
8.九州地方ゴー宣道場 ・・・○
9.沖縄地方ゴー宣道場 ・・・○
また参加できた際は設営等のお手伝いも承りますので、よろしくお願いします。
私はアメリカやイギリスなんかのパンクロックに影響を受けておりますが、例えばイギリスのprimal screamなんかは「country girl」という曲で「所詮はアメリカなんざ田舎者の芋姉ちゃん(country girl)とイラク戦争当時のアメリカやブッシュを強烈に皮肉っています。
アメリカのGREENDAYというパンクバンドも「American idiot」という曲で「バカなアメリカ人(american idiot)にはなりたくない」とやはりブッシュやイラク戦争を強烈に批判してます。
アメリカではないのですがあのAvril Lavigneでさえ「when you're gone」で戦争で兵役に取られて引き裂かれる若いカップルの様子をPV(プロモーションビデオ)で出して暗にイラク戦争を批判してます。
もともとパンクロックというものは体制に反抗的なフーリガンみたいな連中から生まれた音楽なので、欧米ではパンク=反体制、権力批判という図式が出来上がってるのです。
じゃあ日本はどうかと言えば、あの頃権力を批判してる歌詞はASIAN KUNG-FU GENERATIONの「NO.9」くらいしか浮かばないです。それも「イラク戦争を防ぐためには日本国憲法を守ろう」という予定調和の中での反体制でしかないのですが。
日本で最も売れたパンクバンドはおそらくHI-standardです。嫌いなバンドではないのですが、彼らなんか「pentax」という曲で「税金を払おう(pay tax)」と歌ってるし…
2005年くらいに雨後の筍のように流行った青春パンクなんて、政治色のない若者の日常や恋愛の話を、ただパンクのサウンドに乗せただけの音楽です。おそらくその頃に10代だった若者が、今仮に政治的なメッセージが強い音楽に出会ったとしても嫌悪感しかないでしょう。
ただ日本の厄介なところは、反体制を標榜した表現をしてた人間が反体制側が与党になって権力を持つと権力側への批判をしなくなってしまうのです。だから単なる反体制ってだけの表現では浅いというか、主体性を持てないのです。
政治的発言を大っぴらにやることに対して、タブーに感じてる人は少なくないと思うし、ある意味それはこの世の中を渡るための知恵かもしれないのですが、政治的な表現までタブーになってしまうと、例えば権力が腐敗し庶民が苦しめられるような状況で、庶民が何を拠り所にすればいいのか分からなくなってしまうのです。
ただ政治色が強い表現すら、この国では資本主義・民主主義に逆らうことができないしそれが一番の問題だと思います。
ただ、例えばアイドルユニットなんかの歌にたまに政治的なイシューというか、権力批判っぽい歌詞があると思います。
AKB48の「僕たちは戦わない」とか、欅坂46の「サイレントマジョリティ」なんかはそうでしょう。
個人的にはPASSPO☆の「WING」なんかもそうでしょうね。不良少女の話を歌ってる振りをして言ってることは反原発だったりしてます。それを気づかれないように上手く歌詞に盛り込んでメジャーレーベルから出すというのは凄い技術だと言えます。
アイドルを支持してる若者の方が、反体制である時代なのかもしれませんね。
よしりん先生ともくれんさんのブログをそれぞれ見ましたけど、いまだに舛添バッシング続けてる連中といいフジロックのシールズ参加に対して「なんでそんな反体制のグループを出すんだ」と実にアサッテな文句言ってる連中といい「反知性主義ここに極まれり」って思いしかなくなってしまいますね。
そういえばこの前ヤフコメで「都知事選に櫻井誠を出せ」と書いた実にオメデタイネトウヨ様がいたので「反知性主義もここまでくれば立派」って書いたら「頭よくても反日なら意味がない。日本のために働く人なら知性ゼロでもいい」というまあトンチンカンというかなんというか、もう笑うしかない返答をされてしまいました。ネット界隈にかぎらず自称ホシュな方々って総じてこういう考えなんでしょうね。
安易な権力批判や体制批判では、いずれ権力やそれを取り巻く世間体に絡め取られて牙を抜かれる可能性もあります。
私の表現のスタンスとしては、常識の蓑を被った世間の空気や同調圧力に対して、皮肉というかそれを揶揄して毒を吐く、みたいなスタイルだと思えます。それだけではないけど。
奇しくもゴー宣シリーズ、いやそれだけではないよしりん先生のスタイルと似てますが。まあ若い頃に一番影響を受けた表現なので、似てしまうのでしょうね…
次の都知事選は宇都宮健児と櫻井俊の一騎討ちの構図になるんでしょう。
舛添も嘗ては二番手だったし、宇都宮も二番手でしたので三十数年振りのもしかしたら革新知事の誕生になるかもしれませんね。
こうも二番手が繰り上げ当選となる構図ってどうも好きになれない。
宇都宮が革新かどうかはさておき、与党自公は自分達の言うことを聞いてくれる傀儡が欲しいからどうしても言うことを聞いてくれそうな候補を推したがるんでしょう。
それなりに有名で、政治的手腕がありそうな人を推すとなると櫻井俊しかいないと思いますけどね。
櫻井が出るとなるとニュースとかシャッと報道規制でもし始めるんじゃないんでしょうかと思っちゃいますね。
ジャニー○゛に敗北は赦されないのですから。
先進国に絶対的貧困率を当てはめる事の愚は、スポーツに例えると良く分かる気がします。女子選手に向かって男子の記録を示し、まだできる、努力が足りない、と言ってるようなものですから。そして貧困から抜け出した人が厳しいのは、自分が出来たのだから他の人間も出来るはず、と決め付けているせいでしょう。自分の経験を絶対視して、他の人間の差違を認めない。認める余裕が無い。コメントで指摘されていた、僻み、ですかね。哀しいことです。舛添都知事バッシングの盛り上がりも、結局社会に余裕が無いので、皆が潔癖症になってしまっているからでしょう。ただ、ここでよく引き合いに出される曽野綾子氏の場合は、自分の経験の絶対視というより、そのバックボーンであるキリスト教の影響があるような気がします。より困難な道を、自分よりも大変な人がいる、神はその人に見合う(耐えられる)苦しみを与える、というような。いわゆる、純粋真っ直ぐさん、なのかもしれません。
木蘭さんのロックネタのブログ、最高ですね!
正直この40年位のロックなんて、ほとんど、
「アメリカン商業ロック」の影響下にしか存在してません、UK然り、日本なんて正にです。
まだ、ビートルズや初期のストーンズや三大ギタリストの頃はそうでは無かったのですが、
それじゃあ「売れない…」と悟り始めた方々が、全てにおいて商業ロック路線に転じてしまったからですね、
特に80年代以降は、音楽の世界も「グローバリズム」に侵され、世界が商圏と化してしまい、
ノンポリな「似非ロック」が流行るように成りました、
日本の似非ロックはまさにそうですからね、政治色を出すとレーベルからもdisられます、
インディーズですらそうでしたからね。
音楽生のみを楽しむだとか中々愉快な事を仰る馬鹿な方々が沢山居ますが、
楽曲だけを楽しむなんて欠陥だらけの「耳」でしょうね。
マイナーで有ろうが何であろうが、楽曲+詞+プレゼン、が無ければその曲やグループ、ユニットが支持されることは有りません。
今の方々は結局のところ「心地良さ」しか求めてないのだから、
シールズが参加するなら、「スルースキル」を発揮すりゃぁ良いんですよ、アホらしい。
まあ、音楽は自己表現ですからなあ。自分の思想を歌にのせる。最近の音楽は自己表現せずに、愛だの絆だのテンプレ化、コピペ化しているのが不満ですなあ。
猪木さんが言ってました。「プロレスの良いところは自分で自由に絵が描けることだ」
シールズも戦後民主主義イデオロギーをコピペするより自己表現したら?になりますなあ。
しかし櫻井翔の親父って本当に出るんですかね?
息子がニュース番組に出ててそれも結構がっつりした取材とかもやってるのに、その親父がのこのこと選挙に出るのかなと思いますが。ちなみにそのことを親に言ったら「石原良純だって出てたからいいんじゃないの?」って言われましたけど石原良純の場合は天気予報(それも基本関東ローカル)でしたし。
フジロックの件でASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文が「政治的メッセージを排するのはおかしい」みたいなことを言ってます。
まあ一理ありますが、そもそもシールズなどの護憲左派を擁護するための意図でしかなく、予定調和の中での反体制の政治的意見なら聴くみたいなスタンスでしょうね。
フジロック自体制服向上委員会をブッキングしようとしてるし、リベラル系の洋楽アーティストが出てたりしてるので、どちらかと言えばリベラル寄りのスタンスなのかもしれません。
ネットで反論してる連中は(リベラル寄りの)政治的メッセージは嫌だ、ということで、無意識のうちに保守的というか、体制を擁護するイデオロギーの陣営に組み込まれてしまっていると思うのです。
こういう妄想をしちゃうのはアレかもしれませんが、シールズと同じフジロックのステージに欅坂46を出して「サイレントマジョリティ」を歌わせたらオーディエンスはどんな反応をするのかな?と思ってしまうのです。
「サイレント〜」は「大衆によって民主主義という手段を使って出来上がった権力への批判」とも取れるのです。
シールズはこの曲をどう思っているのでしょうか。秋元康がそこまで考えてあの曲を作ったのなら、最も今パンクな曲だと思いますが。
daiさん、九州地方ゴー宣道場、設営隊長就任、おめでとうございます。凄く期待致すと共に、応援致します☆☆☆
もくれんさんのブログから「ロックに政治を持ち込むな、反権力なんてカッコ悪い」と批判が出ていると知って、日本人の感性の劣化は留まるところを知らないのだなと思わされます。
民衆の側から、表現の自由なんて要らないと言ってるようなものです。批判している本人たちはノンポリ気取りなのでしょうが、政治家からしてみれば、政治なんて興味ないと言ってる連中こそ良いように扱える格好のエサなんですけどね。
そもそもフジロックとはどういうもの?と調べたら、チケットが20000円、そして新潟まで泊まりこみで参加するイベントだとか。
今の御時世、こういうのに参加できる人って間違いなく富裕層でしょう。そりゃあ反権力なんて持ち込まれたら面倒くさいとしか思えないかもしれませんね。エアロスミスの「eat the rich」を聞かせてやりたくなります。多分意味など分からないでしょうけど。
道場の内容をおさらいする事ができて良かったです。
言論の自由って、道場の前はあまり身近に感じなかった
のですが、自分にも関わってくることであり、
広く深いテーマだったことに気付きました。
当日は頭フル回転で、付いていくのがやっとだったので、
改めて理解し直すことができて助かりました。
もくれんさんの記事に出てくる35歳女性の言葉は
「あれ?私のことかな?」と思うくらい同じことを思っていました。
将来が見えなくて、最終的には自殺を考えるようかな?
と思っているので…。
私の知り合いに、家族の介護の為に自分の人生を犠牲にした人がいます。
母の知り合いは、長年寝たきりのお年寄りを介護していて、
亡くなった時に「正直ほっとした」と言っていました。
私の祖父母(祖父は認知症、祖母は半身不随)の介護は
病院と施設だったので、自宅で介護するよりは負担が少ないですが、
それでも大変だったので、亡くなった時は悲しみと同時に
安心する気持ちもありました。
そんなことから、安楽死については賛成の立場なのですが、
いろいろと現実的には難しいのかな…。
でも、せめて、こういうテーマの議論がもっとできるように
なってほしいなと思います。
話は変わって、生放送の音声が良くなって、
とても嬉しく思っています。
料理を作りながら、ごはんを食べながら、
ラジオのように聴くことが多いので、
聴きやすくなって、助かりました。
今まではステンレスボウルにスマホを入れて
響かせたりして聴いていましたが(笑)、
これからは普通にしてても、ちゃんと聴こえます!
ありがとうございました♪
>>159 リラリラックマさん
コミュニケーションツールとしては欠点だらけのSNS。
一つだけ良い点をあげるなら「泣き顔が相手に見せなくて済む」があると思いました。
地方ゴー宣道場の出欠アンケートと、
ゴー宣道場全国展開に対するお気持ち、
全部、全部、有り難くお受け取りいたします!!!!
私の「ゴー宣道場を全国に拡げたい」という気持ちの原点。
昨年11月8日の関西ゴー宣道場での初参加者8割とは思えない盛り上がりに感動したこともありますが、
わざわざ関東から設営の助っ人に駆けつけてくださった門弟方の姿があります。
さらには関西開催になったが為にゴー宣道場には参加できなくなったにもかかわらず、関東から応援とご協力をしてくださった門弟方の存在は大きいです。
おそらく私は、門弟の方々に直接的な恩返しをすることは、一生できないと思っています。
だから、別の間接的なカタチで、恩返しがしたいと思っています。
それが「ゴー宣道場を拡げること」であり、「公論形成を目指す議論の場を増やすこと」なのだと、私なりに考えています。
>また参加できた際は設営等のお手伝いも承りますので、よろしくお願いします。
ありがとうございます!!
地方ゴー宣道場の開催を実現するためには、
◆ 150名の参加表明者
◆ 15名の設営隊員
◆ 1名の設営隊長
が必要となりますが、リラリラックマさんが設営隊を担ってくだされば、まさに一騎当千です!
そのお申し出も、有り難くお受け取りいたします!!
配信ありがとうございます。
毎日の舛添叩きに、いい加減うんざりしている今日この頃です。確かに自分も最初はやめたほうがいいと思ってましたけど、選挙に莫大な費用がかかるし、どうせまたろくでもない人間がなるくらいなら、いっそのこと舛添氏を貧ぼっちゃまスタイルで、給料半額で働かせれば?と思ったくらいで、完全に清廉潔白な人間なんているわけないんだから・・・
自分も毎日下手な絵を描いて、アニメのストーリーを元に、オリジナル展開をさせる創作を行っておりますけど、それまで目くじらを立てて潰すような事をされたらたまったものじゃないですね、下手でもいい、見てて不快でもいい、前の岡本太郎の話のように、キャラクターが泥まみれになり、血反吐を吐き、のたうちまわりながら生きる姿を描くことこそ美しい、最近はキャラクターに対する萌えだけが顕著になって、さみしいことです。
配信ありがとうございます。
舛添都知事は社会的に殺されてしまいました。
テレビで観ているとただのイジメにしか見えませんでした。
恐ろしいことに、おそらくバッシングした側は、これで日本は良くなる!と思っているということです。
自分たちがいかに醜悪なことをやったのか気付かぬまま、また他のターゲットを見つけてバッシングするのでしょう。
何とも恐ろしい世の中になってしまったなと、ため息しか出ません。
今は師範の方々のおかげで幸運にも自分はバッシングする側に回っていませんが、ひょっとしたらちょっとしたボタンのかけ間違いでバッシングする側に回っていたかもしれないと考えると恐ろしいです。
そうならないためにもしっかり思考、勉強、読書をしていきたいです。
もくれんさんのライジングの記事もブログの方も大変勉強させて頂いています。
あんなに詳細にデータを集めて書いたら相当に時間がかかったでしょうに頭が下がります。
ありがとうございます。
本の熟成には笑いました。
熟成理論はわかりませんが、
一度読んだ本を読み直すと新たな一面が見えたり、
前に読んだ時の感想とは全く違った感想が出てきたりで、
一冊で二度、三度美味しい理論はあると思います。
過去に読んだ本をまた手に取るのも良いかもしれません。
師範の本は読み直すと新たに発見があり楽しいです。
今週もありがとうございました。
次号も宜しくお願いします。
今はもう誰も聞かないでしょうが、Summertimeという名曲があります。
戦前のオペラの挿入歌で、黒人の生きる哀しみを歌ったものです。ジャズのスタンダードナンバーの一つですね。已むにやまれぬ感情から、名曲・名演が生まれるのです。
さて、ロックに限らず、音楽、いや表現というものはそういう「已むにやまれぬ」ものではないでしょうか。別に自分が主張しなくてもいいやと思ったら、人は表現なんて面倒なものはしません。したとしても、それに心から共感する人はいないでしょう。
とすると、あえて「そういうものがない表現を求める人」ってなんなんだ、となりますが、なんか寒気がしてきたので結論は出さないでおきます。
かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬなんとやら です。
わたしはどちらかと言えば承認欲求が強い方です。承認欲求が強い方ほど、何かコメントを書いてよしりんの気を引こうとするものです。一部の門弟の「よしりんへの反論」メールも、よしりんの気を引かんがための承認欲求じゃないでしょうか?
とりあえずの今の私の目標は、「誰かのコメントが取り上げられても羨ましがらない」「承認欲求の魔欲に負けない」です。
「ゴー宣出欠アンケート」、
メールで提出しました。
届いていますでしょうか?
僕はゴー宣を読んで20年以上。よしりん先生の意見はいつも驚きがあり、また納得もさせられます。ゴー宣から得たこの知的興奮!これを他の人に伝えたいと思うのですが、なかなか理解してもらえません…。親からは怒られて、「そんなこと言ったら社会から爪弾きされるよ」と言われました。親にしてみれば、自分に違和感のある言説は暴論だと思い込むのでしょう。今思うとこれが「同調圧力」ってやつですね。
しかし、表現者はこのような人たちを相手にするわけだから、大変だなと思うし、騒ぎを大きくしたくなくて、謝ったり、口をつぐんだりするのは分かる気はするのですが、でも、世の中に不安を覚える僕にとっては社会批判は最後の希望。それすら潰そうとする政府、大衆には怒りを覚えます!
(ID:30912088)
あ、いちばん?