配信ありがとうございます。 「言論の自由」というのがマスコミや評論家などメディアで発言する人だけが身近な問題だとばかり思ってましたが、意外と私達の身近にあるものだということを知りました。 しかも例示を挙げて懇切丁寧に説明して下さる先生の姿勢には本当に頭が下がります。 学校や新聞、既存のメディアでここまで「言論の自由」の本質を説明し切った人はいないでしょう。 「言論の自由」が憲法に書いてあるから安心だと考える人は、本当に「言論の自由」について真剣に考えているのでしょうか。 先生のゴー宣を読まなければ、わたしはきっと、「言論の自由」は「この日本では何を言っても自由なんだ」ととらえ、永遠に勘違いしていたでしょう。 それを守るのは権力者側の義務であるだと知ったとき、わたしの物の見方が180度変わるくらい、強い衝撃を受けました。 左翼は、自分の気に食わない人を「人権侵害だ」と言って法律で潰す危険があるし、自称保守は、「メディアの意見が気に食わん」と言って法律を捻じ曲げてつぶす危険があるので、どちらも権力の乱用を監視する必要性を感じました。 「舛添下ろし」の潔癖王国ぶりがすさまじいです。民主主義を絶対的な価値と信じ、気に入らない者は「民意」に叛いたとの錦の御旗を掲げ、知事の椅子から引きずりおろす、それを「正義」だと信じて疑わない、なんて独善的な羊の集団でしょうか。 「潔癖王国民」は選ばれた者の特権であるぞと言わんばかりです。彼らには「落語家の浮気は芸の肥やし」という感覚は通じないのでしょうか。 落語家が不倫すればバンバン叩く。熊本地震の「不謹慎狩り」もそうですが。ありとあらゆるものに不寛容になって他人を不潔だと叩いて自分を潔癖だと誇示する、そんなアホバカのビョーキに自らは罹らないように、先生の著作とゴー宣を読んで、勉強します。 先日の生放送でもやっぱり美しいもくれん先生、今回は介護の現実と安楽死がテーマですね。 わたしも介護施設で働いた経験があります。介護の厳しさは身につまされる思いがあります。 胃ろうで苦しんでいる老人や施設で暴れている老人を見て、「この人の本当の幸せって何だろう?」と思うときがありました。 施設で「無理に生かされている」よりはぽっくりと安らかに死ねる方が本人のためにも家族のためにも良いのでは? それをしないで無理に生かすことの方がよっぽど地獄ではないだろうか? 働いていた時は、私の中にそういう思いが何度も現れました。施設の人には絶対に言えなかったけど。 日本は高齢社会に突入しているのに、老人の終末について何ら真剣な議論をしてこなかったツケがここに至って、回ってきています。 しかしいくら議論をしても、行きつくのは結局「老人の人権の尊重」で、それは結局「若くて健常な他人の一方的な考え方」に過ぎないのに、いつしかそれが絶対的な価値と崇高な使命を帯びて、それ以外の価値は認めないというこわばった空気になっています。 それは恐ろしいことなのに…。独善的な考えが老人の生き方の感性を狭めていることに気付かないのですね。 もくれん先生はオランダの安楽死の事情を紹介していますが、それとて賛美に偏らず、ちゃんと問題点を指摘しているのが良いですね。 しかし日本で議論できないのは、やはり「人権の尊重」というのを絶対的な価値に仕立てて、生きることへの賛美と命の尊さ以外の価値を認めないという空気の支配が影響しているのではないでしょうか。 本の熟成…って感覚がスゴイ!
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配信ありがとうございます。
「言論の自由」というのがマスコミや評論家などメディアで発言する人だけが身近な問題だとばかり思ってましたが、意外と私達の身近にあるものだということを知りました。
しかも例示を挙げて懇切丁寧に説明して下さる先生の姿勢には本当に頭が下がります。
学校や新聞、既存のメディアでここまで「言論の自由」の本質を説明し切った人はいないでしょう。
「言論の自由」が憲法に書いてあるから安心だと考える人は、本当に「言論の自由」について真剣に考えているのでしょうか。
先生のゴー宣を読まなければ、わたしはきっと、「言論の自由」は「この日本では何を言っても自由なんだ」ととらえ、永遠に勘違いしていたでしょう。
それを守るのは権力者側の義務であるだと知ったとき、わたしの物の見方が180度変わるくらい、強い衝撃を受けました。
左翼は、自分の気に食わない人を「人権侵害だ」と言って法律で潰す危険があるし、自称保守は、「メディアの意見が気に食わん」と言って法律を捻じ曲げてつぶす危険があるので、どちらも権力の乱用を監視する必要性を感じました。
「舛添下ろし」の潔癖王国ぶりがすさまじいです。民主主義を絶対的な価値と信じ、気に入らない者は「民意」に叛いたとの錦の御旗を掲げ、知事の椅子から引きずりおろす、それを「正義」だと信じて疑わない、なんて独善的な羊の集団でしょうか。
「潔癖王国民」は選ばれた者の特権であるぞと言わんばかりです。彼らには「落語家の浮気は芸の肥やし」という感覚は通じないのでしょうか。
落語家が不倫すればバンバン叩く。熊本地震の「不謹慎狩り」もそうですが。ありとあらゆるものに不寛容になって他人を不潔だと叩いて自分を潔癖だと誇示する、そんなアホバカのビョーキに自らは罹らないように、先生の著作とゴー宣を読んで、勉強します。
先日の生放送でもやっぱり美しいもくれん先生、今回は介護の現実と安楽死がテーマですね。
わたしも介護施設で働いた経験があります。介護の厳しさは身につまされる思いがあります。
胃ろうで苦しんでいる老人や施設で暴れている老人を見て、「この人の本当の幸せって何だろう?」と思うときがありました。
施設で「無理に生かされている」よりはぽっくりと安らかに死ねる方が本人のためにも家族のためにも良いのでは?
それをしないで無理に生かすことの方がよっぽど地獄ではないだろうか?
働いていた時は、私の中にそういう思いが何度も現れました。施設の人には絶対に言えなかったけど。
日本は高齢社会に突入しているのに、老人の終末について何ら真剣な議論をしてこなかったツケがここに至って、回ってきています。
しかしいくら議論をしても、行きつくのは結局「老人の人権の尊重」で、それは結局「若くて健常な他人の一方的な考え方」に過ぎないのに、いつしかそれが絶対的な価値と崇高な使命を帯びて、それ以外の価値は認めないというこわばった空気になっています。
それは恐ろしいことなのに…。独善的な考えが老人の生き方の感性を狭めていることに気付かないのですね。
もくれん先生はオランダの安楽死の事情を紹介していますが、それとて賛美に偏らず、ちゃんと問題点を指摘しているのが良いですね。
しかし日本で議論できないのは、やはり「人権の尊重」というのを絶対的な価値に仕立てて、生きることへの賛美と命の尊さ以外の価値を認めないという空気の支配が影響しているのではないでしょうか。
本の熟成…って感覚がスゴイ!