今回のゴー宣では【市民における「言論の自由」】の部分にハッとしました。 私はあまりにもみっともない差別行為であるヘイトスピーチを規制することなど当たり前だと思っていたのですが、確かにどこからどこまでをヘイトスピーチとするかを判定するのは難しく、「言論の自由」を委縮させてしまう可能性は十分にあります。 安楽死の問題についても私は賛成なのですが、同じくどこからどこまでを安楽死と認めるかという判定は難しく、オランダのようにあまりにも簡単に認められたり、本人の意志とは関係なく安楽死させられるようなケースも出てくると思います。 大きなところは法律で決める必要はあるのですが、やはり歴史と伝統、常識や道徳による不文律の部分で物事を動かしていくというのを大前提としなければならないと思います。 そしてそれを行うためには、大衆は庶民とならなければならない。 そのためにはネットとかSNSなどではなく、「現場」というものを一番大事にして生きていかなければならないと再認識しました。
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小林よしのりチャンネル
(ID:29477650)
今回のゴー宣では【市民における「言論の自由」】の部分にハッとしました。
私はあまりにもみっともない差別行為であるヘイトスピーチを規制することなど当たり前だと思っていたのですが、確かにどこからどこまでをヘイトスピーチとするかを判定するのは難しく、「言論の自由」を委縮させてしまう可能性は十分にあります。
安楽死の問題についても私は賛成なのですが、同じくどこからどこまでを安楽死と認めるかという判定は難しく、オランダのようにあまりにも簡単に認められたり、本人の意志とは関係なく安楽死させられるようなケースも出てくると思います。
大きなところは法律で決める必要はあるのですが、やはり歴史と伝統、常識や道徳による不文律の部分で物事を動かしていくというのを大前提としなければならないと思います。
そしてそれを行うためには、大衆は庶民とならなければならない。
そのためにはネットとかSNSなどではなく、「現場」というものを一番大事にして生きていかなければならないと再認識しました。