話し合いで落としどころを探る、というのは大人にしかできませんが、子供王国の日本ではそういうことが絶望的に出来ません。安楽死の件もそうですが、議論そのものがタブーで、賛成派も反対派も勝手に絶望しているだけで、社会的コンセンサスを獲得しようとする議論は起らないでしょう。デモは近い将来起るでしょうが、それは運動であって議論ではない。より妥当なほうが勝つ、ではなく押しが強いほうが勝つというだけの話です。 そして往々にして民衆より権力の方が押しが強いに決まっていますから、今のようにマスコミを委縮させれば、放送時間が公平だろうと、政府が勝つのです。アホかという話です。 妥当の「だ」は妥協の「だ」でもあるわけですが、現実を知ればこそ妥協も出来るわけで、現実を知らない人ほど妥協ということが出来ません。そういう人を昔は「世間知らず」と言ったわけですが、今は「世間知らずでいる自由」があるようで、なんだかなあ、という話です。自由を生かすには現実という枠が必要だ、ということを子供の頃から口を酸っぱくして言い続けるほかないのかもしれませんね。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:19522841)
話し合いで落としどころを探る、というのは大人にしかできませんが、子供王国の日本ではそういうことが絶望的に出来ません。安楽死の件もそうですが、議論そのものがタブーで、賛成派も反対派も勝手に絶望しているだけで、社会的コンセンサスを獲得しようとする議論は起らないでしょう。デモは近い将来起るでしょうが、それは運動であって議論ではない。より妥当なほうが勝つ、ではなく押しが強いほうが勝つというだけの話です。
そして往々にして民衆より権力の方が押しが強いに決まっていますから、今のようにマスコミを委縮させれば、放送時間が公平だろうと、政府が勝つのです。アホかという話です。
妥当の「だ」は妥協の「だ」でもあるわけですが、現実を知ればこそ妥協も出来るわけで、現実を知らない人ほど妥協ということが出来ません。そういう人を昔は「世間知らず」と言ったわけですが、今は「世間知らずでいる自由」があるようで、なんだかなあ、という話です。自由を生かすには現実という枠が必要だ、ということを子供の頃から口を酸っぱくして言い続けるほかないのかもしれませんね。