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第487号 2023.11.28発行

「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)

【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…「偏見はいけない」という言葉は、当たり前の道徳のように使われる。「差別や偏見をなくそう」というように、偏見は「差別」とセットで使われることも多い。「私の独断と偏見ですが」といえば、あえて一般性を無視して、自分の好みだけで話すけれども勘弁してねというエクスキューズになる。しかし、「偏見」とはそんなに悪いことなのだろうか?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…支持者集めに貢献した党の象徴的メンバー5人のうち、3人が離反し、それぞれがネット上で不満をばらまいているという修羅場の参政党。今月22日、参政党は報道陣を集め、長々と武田邦彦との内紛について説明する記者会見を開き、百田尚樹の生放送に出演して党批判を展開したことを「レッドラインを超えている」と神妙な面持ちで批判。記者会見後には、さらに一連の経緯を説明する参政党の公式動画が発表された。なんと現代表・神谷によると、これらの出来事は百田尚樹の参政党大規模分断工作によるものだと言う!「日本保守党ディープステート説」、ここに誕生である!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…AIを利用して故人の作品の続編を制作するのってアリなの?整備新幹線計画、とりわけ中央リニア新幹線の建設をどう思う?相手に罵倒されて怒りを抑えられないような場合は、どのように我慢している?スポーツ業界等で他人に金銭的支援を呼びかけることをどう思う?インドで放送予定のアニメ「おぼっちゃまくん」新作が日本に逆輸入される可能性はある?御坊家は江戸時代、やはり武士として参勤交代などやっていたの?映画『ゴジラ-1.0』のどこが特に気に入った?印象に残ってる水木しげる作品は?…等々、よしりんの回答や如何に!?


【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第516回「偏見は大事である」
2. しゃべらせてクリ!・第443回「おちぶれてすまん!弟連れ狼が行くぶぁい!の巻【後編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第310回「日本保守党=ディープステート説、誕生か」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記




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第516回「偏見は大事である」

「偏見はいけない」という言葉は、当たり前の道徳のように使われる。
「差別や偏見をなくそう」というように、偏見は「差別」とセットで使われることも多い。
「私の独断と偏見ですが」といえば、あえて一般性を無視して、自分の好みだけで話すけれども勘弁してねというエクスキューズになる。
 しかし、「偏見」とはそんなに悪いことなのだろうか?

 前回、草津町長の冤罪事件について論じたが、その中でわしは、この件に最初から違和感を持った理由として、「被害を訴えている女が、ものすごいブス」「町長が大変なリスクを冒してまで関係を迫るような女とは、とても思えなかった」からだと書いた。
 そして、「もちろん、これは偏見である」とした上で、「偏見だって、重要な判断材料なのである」とした。
 実際に、ここまではっきりした答えが出て、「偏見をなくそう」と言うリベラルどもの方が全員間違っていたことが明白になった以上、これを否定することなどできないはずだ。
 そもそも、思想的にも「偏見」とは本来、マイナスだけの概念として捉えられていたものではないのである。

 18世紀イギリスの政治家、政治哲学者で「保守思想の父」といわれるエドマンド・バークにとって、偏見は「伝統」とさほど変わらないものだった。
 バークはフランス革命に反対して『フランス革命の省察』を書き、その中で「偏見」とは自然な感情であり、大切にすべきものであると説いた。
 英語で「偏見」は「prejudice」で、あらかじめ(pre)の判断(judice)という意味である。
 最近の訳書では「偏見」の語のマイナスイメージを避けて「先入観」と訳しているものもあるが、やはりこれは「偏見」の方が適していると思う。
 偏見(prejudice)とは、伝統や慣習といった先人の知恵によって「あらかじめなされた判断」をいうのである。

 バークがこの本を書いた時代においても、偏見とは払拭すべきものであるというのが進歩的な知識人の考え方だとされていた。
 そんな中でバークは、「私はこの啓蒙の時代に、あえて次のように告白するほど不遜な人間だ」と自虐的な前置きをした上で、こう述べている。
「私たちは一般に、教育を度外視した感情で動く人間で、自分たちの古くからの偏見を丸ごと投げ捨てるどころか、それを心から大切にする。さらに恥ずかしいことに、まさに偏見であるからこそ大切にする。それもその偏見が長続きしたものであればあるほど、世に広まったものであればあるほど、いとおしむ」
「恥ずかしいこと」と言いながら、堂々と「自分は偏見を大切にする」と宣言したのだ。

 さらにバークは「人が自分の理性だけを頼りに暮らし、それで取引するようなことを恐れている」という。
 なぜかというと、「各人のなかにある理性の蓄えなどそう多いものではないから」だという。人間ひとりが自分の理性から得ている知恵の量などたかが知れており、それだけで物事を判断するのは危険だというのだ。
 そしてバークは、「様々な国民と様々な時代を通じて蓄積されてきた共同銀行と共同資本を利用する方がいい」と言う。ここでいう「共同銀行と共同資本」というのが、多くの先人たちが積み重ねてきた伝統であり、常識であり、偏見であるわけだ。

 バークは、イギリスの思想家の多くは「こうした一般的な偏見を否定せず、偏見の中に生きている潜在的な叡智を掘り出すために知恵を巡らせる」という。
 そして重要なのは、偏見の中から「潜在的な叡智」を発見することに成功した場合でも、「偏見の衣を捨てて、その中の裸の理性だけを取り出したりはしない」ということだ。
 バークによれば、イギリスの思想家は「内側に理性を含ませながら偏見を維持する方が望ましいと考える。というのも、理性を含む偏見は理性に行動を起こさせる動機になるし、そこに含まれている愛情によって永続するものになるから」だという。
 例えば、わしは「裸の理性」では薬害エイズ運動の支援はしなかった。「自分の読者である子供は守らなければならない」という「理性を含む偏見」こそが行動を起こす動機になったのだしその偏見の中に含まれた「情」がある限りにおいて、運動を続けたわけである。

 そしてバークはこうも言う。