偏見は、辞書では「客観的な根拠なき先入観」というネガティブな解説になっていますが、その客観的な根拠とは何?、先入観とは何によってもたらされたものか?を考えなければ、理性の罠にはまってしまうと、今回のライジングでは考えさせられました。 そう考えておりますと、西部邁がG・K・チェスタトンの著書「正統とは何か」を解説しながら「理性」を過信する者たちの姿を批判していたことを思い出しました。 [狂人]は[理性]によって作り上げた箱の中に[閉ざされ]てしまっている。 [詩]が[正気]であるのは、無限の海原に悠然として漂っているからである。ところが[理性]は、この[無限]の海の向こう岸まで渡ろうとする。 [狂人]とは理性を失った人ではない。 [狂人]とは理性以外のあらゆる物を失った人である。 以上の言葉どおり、人間が理性だけに頼ることに懐疑を持ち続けなければ、文化や伝統、国柄などの存在意義を合理的には説明が難しいという理由だけで破壊しようとする、まさにキャンセル・カルチャーの狂人姿そのものとなっていることに繋がっているのだと思いました。 そして先入観を考えると、歴史的な人々の営みの時間のなかで蓄積された沈殿物的なものでもあり、その沈殿物が所与として人間の判断の前提となる、言わば暗黙知的なものであり、それが日本人らしさ(良き悪きも含め)ともなっているのだと。 こういったことを考えると、庶民とは生活のなかで偏見と理性との間で揺れ動きながらもうまくバランスをとって日々を暮らしている姿でもあると思った次第です。
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小林よしのりチャンネル
(ID:5098544)
偏見は、辞書では「客観的な根拠なき先入観」というネガティブな解説になっていますが、その客観的な根拠とは何?、先入観とは何によってもたらされたものか?を考えなければ、理性の罠にはまってしまうと、今回のライジングでは考えさせられました。
そう考えておりますと、西部邁がG・K・チェスタトンの著書「正統とは何か」を解説しながら「理性」を過信する者たちの姿を批判していたことを思い出しました。
[狂人]は[理性]によって作り上げた箱の中に[閉ざされ]てしまっている。
[詩]が[正気]であるのは、無限の海原に悠然として漂っているからである。ところが[理性]は、この[無限]の海の向こう岸まで渡ろうとする。
[狂人]とは理性を失った人ではない。
[狂人]とは理性以外のあらゆる物を失った人である。
以上の言葉どおり、人間が理性だけに頼ることに懐疑を持ち続けなければ、文化や伝統、国柄などの存在意義を合理的には説明が難しいという理由だけで破壊しようとする、まさにキャンセル・カルチャーの狂人姿そのものとなっていることに繋がっているのだと思いました。
そして先入観を考えると、歴史的な人々の営みの時間のなかで蓄積された沈殿物的なものでもあり、その沈殿物が所与として人間の判断の前提となる、言わば暗黙知的なものであり、それが日本人らしさ(良き悪きも含め)ともなっているのだと。
こういったことを考えると、庶民とは生活のなかで偏見と理性との間で揺れ動きながらもうまくバランスをとって日々を暮らしている姿でもあると思った次第です。