たけまる のコメント

トッキーさんが豊田有恒氏追悼ブログで、豊田氏や是枝裕和監督が「コンテンツ」という表現に違和感や嫌悪感を抱いていたと紹介して下さいましたが、確か他にも同様のことをおっしゃっていた方がおられたような、と思って調べてみたところ、ジブリの鈴木敏夫氏の名前がヒットしました。
NHKの刊行物「放送研究と調査」のインタビュー内で、存分に語っておられます。
実に読み応えのある内容で、PDFで無料で公開されていますので、リンクを貼っておきます。
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2006_07/060703.pdf
読んでいて感銘を受けたのは、自分たちは「作品づくり」を手がけているのだということ、自分たちの立場は身分的には江戸時代でいうところの「かぶき者」であること、その自分たちが作ったものが「産業になる」「活用できる」と言われると強烈な違和感があるし、自由な作品づくりができなくなる警戒感があることについて、歯に衣着せず語られている所でした。
宮崎駿に至っては、DVDすら認めていないそうで、
「こんな小っちゃい中に2時間入っているのか・・・これでは映画はダメになる」
というDVDに対する「見解」が紹介されています。
昔の私だったら、「アナログ派の妄言」として鼻で笑っていただろうなあ。
今となっては、ここまで「アナログ」「生」の感覚を重んじる作り手の感性は、極めて貴重なのだと理解できます。
音楽産業において、CDの売上が鈍化する一方で、ライブの集客が右肩上がりという状況が、その感性の正しさを証明していると思います。
「モノ消費」から「コト消費」へ、とか、「体験型娯楽へ」とか言われていますが、元々娯楽は「生の体験」が本来だったはず、と再認識。

もうお一人、作家の高木敦史氏という方が、イラン映画のレビュー記事で、「コンテンツ」という表現への違和感について、「観る側」からの視点で言及されています。
https://gendai.media/articles/-/86697
即ち、「コンテンツ」と言った時点で、特定ジャンルのファンにとっての「コレクターズアイテム」のようなものとなり、世評に合わせてSNSでレビューする等の「取り扱いの作法」が生じてしまう、という見解。
それは、素直に作品に接し、理解できたりできなかったり、今までに無い感覚が呼び起こされたり、世評とのズレを感じたりといった体験を経て作品と向き合う、というスタンスと正反対。
前者のような接し方を全否定するのは難しいけど、そればかりだと自身の感性がどんどん鈍くなっていきそうですよね。
もっとも自分自身もかつては「コンテンツ事業」に踊らされていたこともあるので、あまり偉そうな事は言えないのですが。
ご参考までに。

No.155 12ヶ月前

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