第57号 2013.10.8発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第59回「旧皇族を騙る者の宗教活動」
一例として、わしが『戦争論』を描いた翌年、「AERA」1999年1月11日号に載った特集「日本の不安」の記事を挙げておこう。
奇妙な記事だ。赤軍派や極左のテロ活動によって、イデオロギー(例えばマルクス主義)によって「自分自身の存在を一片の疑いもなく肯定」する若者の方が危険だということは当時もう証明されていたのだが。
ノストラダムスの役割は90年代、オウム真理教、尾崎豊、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」へと連綿と引き継がれている。世紀末の団塊ジュニア世代を震撼させる最強のドグマは、ゴーマニズム宣言のマンガ家、小林よしのりが著した『戦争論』だ。
もう10万光年ワープしたような飛躍っぷりで、全く意味がわからない!
そして記事はこんな記述で締めくくられている。
(『戦争論』を読んで)日本人であることの誇りを感じられるようになったという女子大生(22)もいる。彼女はいままでに教え込まれた太平洋戦争の知識をまるで信用できなくなっている。「アジアの国で無闇に謝り続ける政治家と自分をだぶらせて日本人は恥ずべき存在なのだと思い込んでいたけれど、いまは、たとえ負けたにせよ、あの壮烈な戦争を戦い抜いた日本人の子孫であることになんら恥じ入る理由はないと思いを改めています」彼女も『戦争論』を読んですぐ、戦争中のファシズムのプロパガンダをテーマにした大学の夏季集中講座を聴講した。そこで、すべての従軍慰安婦に一刻も早く補償を、と説く講師の言葉に釈然としない疑念に捕らわれたという。たとえこの世が終末の予言の通りに滅ばなくても、ノストラダムス的ドグマは肥大する。
現在はもうそれほどの自虐史観はない。今ではテレビで毎日のように、日本の文化は外国人が目を見張るすごいものばかりで、他の国がマネしようとしているといった情報が流れている。
従来は、自分が社会で正当に評価されていないという不遇感や、自分の将来に対する不安感を持っている人が「右傾化」すると言われてきた。しかし「AERA」の記事に登場している「竹田研究会」の会員は平均より多めの収入があり、特に満たされない思いを抱えているわけではないと言っている。
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コメント
今回の風立ちぬの感想で、少々引っかかる点があったので意見を書かせてもらいます。
結核の件ですが、私は不治の病とのイメージしかありませんでした。
映画の中でも、そこまで強力な感染力があるとはやっていなかったはずです。
ゆえに、菜穂子が山に帰った時も、自分の一番いいイメージを持ったままでいて欲しい。
との意味にしか取れませんでした。
最後の来てのセリフは、後追い心中だと思いますね。
純粋ゆえの心中は洋の東西を問わずだと思います。
曽根崎心中、ロミオとジュリエット等。
ただ、影響の大きい宮崎作品で、心中を肯定するのはいかがなものかと変更したところで、責めることはできますまい。
(菜穂子の思いに常に黙って答えた二郎ならば、やりかねないと考えます。
ゆえに、二郎の声優を主人公の気持ちを込められない素人にした・・・というのは穿ちすぎですかね。)
作品で生きて・・・としたならば、言葉通り(責任を果たした)次郎が後追いするのを止めたでいいと思います。
解釈は人それぞれだと思いますが。
ただ、物語はすべてリアルでなければいけませんかね?
たしか、インデペンデンスデイの感想で、わしはあえて燃えるを選ぶと言ってたはずです。
薬害エイズの時も、リアルよりも読者のわかりやすさを優先したと思うのですが。
さらに、作品と作家の人格は地続きであるべきなんですかね?
そして、一番気になるのは、時として自分の命より大切なものがあると言ってた方が、生命至上主義と取れるのような発言をなさるとは・・・・。
ひょっとして、転向なさったのですか?
続いて、連投します。
宮崎さんが右と呼ばれる事に過剰に反応しているのは、私も引っかかります。
人に評価される作品を作り、人に仕事を与え、社会に金を回し、自らの感性をもって世の中に問うことができる監督が、狭い世界で天下国家を語る穀潰しと主義主張で、どっちが正しい、どっちが上だと語ろうというのが、違和感の元だと思います。
なにしろ人類始まって以来、思想の統一などされたことなどありません、
思想を統一されれば、世界が平和になるのは宗教的な考えでしょう。
世の中そんなにシンプルじゃないですよ。
私に言わせれば、人が求めるのはパンとサーカス。
世界は、平和であって欲しい・・・だが理屈を聞かされても腹は膨れない。
だが、いい作品を見れば次も見たいと生きる気力が湧くて、人にも優しくする余裕もできると考えます。
(そもそも、思想するとは、決断するべき時に最善の解を見出すために日頃から思索し続けるもの、と西部さんとの対談の回で学びました。)
さて、平和主義の反対語はなんでしょうか?
戦争主義?暴力主義?混沌主義?
そんなこと正気で言える人がいると思えませんな。
ゆえに、現代人はみな平和主義であると思います。
ただ、優先順位や重要度において差があるだけかと・・・。
平和に反対勢力が存在できない以上、切磋琢磨も思想の積み重ねも必要としない。
つまり、平和主義とは既に完成している。
完成した理想・・・平和主義者として人に認められれば、
動物的本能で、常に序列を決めたがる我々の承認欲求を実に満たしてくれるじゃないですかw。
この考えをもって、宮崎さんの騒動を推察してみました。
有名人が、平和主義を語りやがった。
それ位、俺だって考えてるよ。
でも、あいつ過去にこんな事いってた、こんなことやってたクセに。
ネットは、あらゆる情報を集めることが可能ですからね。
今後、何を語ったところで理解されず泥沼でしょうな。
この問題の不幸なことは、みな同じ問題を語っているようでいて少しづつ解釈が違う点です。
宮崎さんが、平和が一番大事、人と争う事は不幸と説得しても、騒いでいる人間は何が大事か?ではなく、既に相手を打ち負かすことだけを考えているから。
おまけ
そういえば、自分が平和の為に働いている、人に頼りにされると承認欲求を満たす方法がもう一つありました。
被害者はいねぇかぁ~、弱者はいねぇかぁ~
我々が倒すべき敵はいえねぇか~、生きがいはないかぁ~
道場のみなさんなら、思い当たるものがあるのでは?^^
(ID:29213029)
配信ありがとうございます
一番乗りできたかな?