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第59回「旧皇族を騙る者の宗教活動」 竹田恒泰の影響力が最近、急速に増してきているらしい。
この「ライジング」の読者にとっては、竹田恒泰といえば生まれも育ちも一般国民であるにもかかわらず自身を「旧皇族」と詐称している「ニセ旧皇族」であり、天皇陛下のご意思に逆らう「男系絶対固執派」であることは周知の事実だろうが、残念ながらこのことが一般には浸透していない。
竹田が主宰する「竹田研究会」は発足5年ほどで全国16カ所に設立され、会員数は現在2万8千人、9月に発売した新書は1週間で8万部が売れたという。
朝日新聞WEEKLY「AERA」は10月7日号の特集『日本「右傾化」の真実』の筆頭に竹田を取り上げている。
全国の「竹田研究会」が定期的に行なう竹田の講演会には重々しさも堅苦しさもなく、「お笑い芸人のライブに、雰囲気は近いかもしれない」という。
竹田の講演は「肩のこらない口調と、漫談家を思わせる巧みな話術」で笑いをとりながら、「天皇は神の子孫です。私たちはみんな、神の子孫なんです」「日本の特徴は、君民一体という点にあるんです」など、天皇の存在を理由として「日本は素晴らしい」と訴えるもので、参加者は「日本人ってすごい、という気持ちになるんです」「竹田先生のお話を聞くと、自己肯定感を覚える」などと言っているそうだ。
わしも17年前に「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げた頃は「日本に誇りを持とう」というようなことをシンポジウムや講演会で全国あちこち回って言っていたから、なんだか既視感を覚える。
だが17年前と現在では、世の中の風潮がまるで違うことを強調しておく。
あの頃は、日本人が世界で一番劣った民族だ、世界一悪い民族だ、謝罪し続けなければならないのだという自虐史観が蔓延していたから、決してそうではないと訴えなければならない必然性があったのだ。
そして当時それを訴えることには、ものすごいリスクがあった。ありとあらゆる誹謗中傷、バッシングを受け、マスコミ・出版業界から完全に干されてしまう恐れすらあったのだ。
一例として、わしが『戦争論』を描いた翌年、「AERA」1999年1月11日号に載った特集「日本の不安」の記事を挙げておこう。
記事は70年代に大ブームを起こした『ノストラダムスの大予言』の影響で「1999年7月に世界が滅亡する」という「終末願望」を持った人々を延々とレポートし、「ノストラダムス・ブーム」に思春期を直撃された世代にオウム真理教に入信した者が多いことなどを紹介している。
その上で、若い世代は「イデオロギーのような共同幻想に背を向けてしまった」ために「自分自身の存在を一片の疑いもなく肯定できる確信を失った」と断じ、そのような立つ瀬を失った若者の心理の「補償作用」を果たすのが『ノストラダムスの大予言』のような「破滅的あるいは破壊的なドグマ」(ドグマ=宗教上の教義、もしくは独断的な説)だと決めつける。
奇妙な記事だ。赤軍派や極左のテロ活動によって、イデオロギー(例えばマルクス主義)によって「自分自身の存在を一片の疑いもなく肯定」する若者の方が危険だということは当時もう証明されていたのだが。
論理に飛躍がありすぎとしか思えないが、そんな話を長々と続けておいて、最後に突然こんなことを言い出すのだ!
ノストラダムスの役割は90年代、オウム真理教、尾崎豊、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」へと連綿と引き継がれている。
世紀末の団塊ジュニア世代を震撼させる最強のドグマは、ゴーマニズム宣言のマンガ家、小林よしのりが著した『戦争論』だ。
もう10万光年ワープしたような飛躍っぷりで、全く意味がわからない!
尾崎豊まで悪しき者になっている。
とにかく『戦争論』が『ノストラダムスの大予言』以上の破壊的・破滅的な狂信的危険思想だということにしたかったようだ。
そして記事はこんな記述で締めくくられている。
(『戦争論』を読んで)日本人であることの誇りを感じられるようになったという女子大生(22)もいる。彼女はいままでに教え込まれた太平洋戦争の知識をまるで信用できなくなっている。
「アジアの国で無闇に謝り続ける政治家と自分をだぶらせて日本人は恥ずべき存在なのだと思い込んでいたけれど、いまは、たとえ負けたにせよ、あの壮烈な戦争を戦い抜いた日本人の子孫であることになんら恥じ入る理由はないと思いを改めています」
彼女も『戦争論』を読んですぐ、戦争中のファシズムのプロパガンダをテーマにした大学の夏季集中講座を聴講した。そこで、すべての従軍慰安婦に一刻も早く補償を、と説く講師の言葉に釈然としない疑念に捕らわれたという。
たとえこの世が終末の予言の通りに滅ばなくても、ノストラダムス的ドグマは肥大する。
かつては「日本人の誇り」なんて言ったら、『ノストラダムスの大予言』と同じ「破壊的ドグマ」だと言われたのである!!
それが今ではどうだろう? 同じ「AERA」がほとんど「竹田研究会」の宣伝みたいな記事を載せている!
記事にはそこに危険性が孕んでいるかのように書こうとしている意図も見えるのだが、結局はそれができず仕舞いに終わっているのだ。隔世の感とはこのことだ。
高森明勅氏にこの話をしたら、「17年前、小林さんや『つくる会』の面々がデタラメな攻撃を受けながら必死に種をまいたものを、いま竹田が何の労も負わずに楽々と収穫しているわけですよ」と言われた。
なるほど。そういう構図か。
現在はもうそれほどの自虐史観はない。今ではテレビで毎日のように、日本の文化は外国人が目を見張るすごいものばかりで、他の国がマネしようとしているといった情報が流れている。
かつては中国・韓国の批判などもってのほかという強固な空気ができ上がっていたのに、今では中国・韓国には公共性がなく、どこか劣等な国だなんてことは普通の主婦の会話にも出てくるし、週刊誌は韓国批判をすれば売れるという状態だ。
教育現場にはまだサヨク教師が残っているかもしれないが、もうそんなに影響力はないだろう。
従来は、自分が社会で正当に評価されていないという不遇感や、自分の将来に対する不安感を持っている人が「右傾化」すると言われてきた。しかし「AERA」の記事に登場している「竹田研究会」の会員は平均より多めの収入があり、特に満たされない思いを抱えているわけではないと言っている。
さらに「AERA」が1千人規模のアンケートを行なったところ、特に不遇感や将来への不安感を持たない層でも、自国に対して誇りを持っている割合が高いという結果が出たという。
「AERA」にしてみれば、「右傾化」は不遇感や将来不安のはけ口という結果の方が好都合だっただろうが、データに否定されてしまったのである。
いまは「日本人の誇り」を言っても攻撃してくる者はなく、みんな納得できて、それが普通の人の感覚だと認識される時代になっている。
それならわざわざ今さら講演会に「日本の誇り」の話を聞きに行く必要もないはずなのに、竹田の講演を聞いて感激している者が増えているというのは、何とも不可解だ。
本来、天皇とは何なのかといったことは学校で教えるべきなのに、それが一切行なわれていないから、皇室の話が新鮮に聞こえるというのはわかる。
しかし、だからといってそれで「研究会に参加すると、みんな笑顔で元気になる」などと言っているのはものすごい違和感を覚える。この空気は一体何なのか?
この「AERA」には竹田のインタビューも載っている。
だがここで竹田が言っていることは疑問だらけだ。
コメント
コメントを書く(ID:11657370)
今回の風立ちぬの感想で、少々引っかかる点があったので意見を書かせてもらいます。
結核の件ですが、私は不治の病とのイメージしかありませんでした。
映画の中でも、そこまで強力な感染力があるとはやっていなかったはずです。
ゆえに、菜穂子が山に帰った時も、自分の一番いいイメージを持ったままでいて欲しい。
との意味にしか取れませんでした。
最後の来てのセリフは、後追い心中だと思いますね。
純粋ゆえの心中は洋の東西を問わずだと思います。
曽根崎心中、ロミオとジュリエット等。
ただ、影響の大きい宮崎作品で、心中を肯定するのはいかがなものかと変更したところで、責めることはできますまい。
(菜穂子の思いに常に黙って答えた二郎ならば、やりかねないと考えます。
ゆえに、二郎の声優を主人公の気持ちを込められない素人にした・・・というのは穿ちすぎですかね。)
作品で生きて・・・としたならば、言葉通り(責任を果たした)次郎が後追いするのを止めたでいいと思います。
解釈は人それぞれだと思いますが。
ただ、物語はすべてリアルでなければいけませんかね?
たしか、インデペンデンスデイの感想で、わしはあえて燃えるを選ぶと言ってたはずです。
薬害エイズの時も、リアルよりも読者のわかりやすさを優先したと思うのですが。
さらに、作品と作家の人格は地続きであるべきなんですかね?
そして、一番気になるのは、時として自分の命より大切なものがあると言ってた方が、生命至上主義と取れるのような発言をなさるとは・・・・。
ひょっとして、転向なさったのですか?
(ID:11657370)
続いて、連投します。
宮崎さんが右と呼ばれる事に過剰に反応しているのは、私も引っかかります。
人に評価される作品を作り、人に仕事を与え、社会に金を回し、自らの感性をもって世の中に問うことができる監督が、狭い世界で天下国家を語る穀潰しと主義主張で、どっちが正しい、どっちが上だと語ろうというのが、違和感の元だと思います。
なにしろ人類始まって以来、思想の統一などされたことなどありません、
思想を統一されれば、世界が平和になるのは宗教的な考えでしょう。
世の中そんなにシンプルじゃないですよ。
私に言わせれば、人が求めるのはパンとサーカス。
世界は、平和であって欲しい・・・だが理屈を聞かされても腹は膨れない。
だが、いい作品を見れば次も見たいと生きる気力が湧くて、人にも優しくする余裕もできると考えます。
(そもそも、思想するとは、決断するべき時に最善の解を見出すために日頃から思索し続けるもの、と西部さんとの対談の回で学びました。)
さて、平和主義の反対語はなんでしょうか?
戦争主義?暴力主義?混沌主義?
そんなこと正気で言える人がいると思えませんな。
ゆえに、現代人はみな平和主義であると思います。
ただ、優先順位や重要度において差があるだけかと・・・。
平和に反対勢力が存在できない以上、切磋琢磨も思想の積み重ねも必要としない。
つまり、平和主義とは既に完成している。
完成した理想・・・平和主義者として人に認められれば、
動物的本能で、常に序列を決めたがる我々の承認欲求を実に満たしてくれるじゃないですかw。
この考えをもって、宮崎さんの騒動を推察してみました。
有名人が、平和主義を語りやがった。
それ位、俺だって考えてるよ。
でも、あいつ過去にこんな事いってた、こんなことやってたクセに。
ネットは、あらゆる情報を集めることが可能ですからね。
今後、何を語ったところで理解されず泥沼でしょうな。
この問題の不幸なことは、みな同じ問題を語っているようでいて少しづつ解釈が違う点です。
宮崎さんが、平和が一番大事、人と争う事は不幸と説得しても、騒いでいる人間は何が大事か?ではなく、既に相手を打ち負かすことだけを考えているから。
おまけ
そういえば、自分が平和の為に働いている、人に頼りにされると承認欲求を満たす方法がもう一つありました。
被害者はいねぇかぁ~、弱者はいねぇかぁ~
我々が倒すべき敵はいえねぇか~、生きがいはないかぁ~
道場のみなさんなら、思い当たるものがあるのでは?^^
(ID:14255373)
>>155 >>156 pipさん。
しっかり「思索」してますね~~~。
ここまで読んでくださった読者の皆さん、本当にありがとう
ございます。
また、新たにライジングを購読して下さったみなさまに、感謝します。
次号は、
小林よしのりライジングVol.58
「土下座、おもてなし、へりくだりを考える」
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