こいら のコメント

うーん、ふと思ったのですが、宮崎駿が創作の第一線を退く決意に至ったのは、AKB48とよしりん先生の『戦争論』や『おぼっちゃまくん』とも無関係じゃないのかな?と。
『AKB48論』の中に「もう子供が放課後だらだら公園で遊んでるような牧歌的な時代は終わった。これからはAKB48のメンバーのようにたとえ子供でも常にストイックに自分を高めなければならない時代なのかもしれない」って描写があって、AKBが出てきたことによって「自由に浮遊していた子供たちの原風景」が変わってしまったのではないか?とも推測できるのです。
高度経済成長からバブルの時期、せいぜい1990年代半ばくらいまでは、まだ子供の世界でもわずらわしい大人の現実から離れて自由な非日常的空間へ逃げることが可能になっていたのですが、不況や9.11のテロ、それから3.11の震災など、子供であっても真剣に生きなければならない時代に否応なくなってきていて、彼らに実存的な答えを与えたのがよしりん先生の『戦争論』であり、それを具体的な形にしたのがAKB48というユニットなのではないのかな?と。
自然や土着と言ったある意味「自由で何の制約もなさそうな」環境に子供たちがいられる時代が終わったことで、宮崎駿は「もう子供の世代に訴えかけても共感してもらえない」みたいなことを悟り、大人向けの『風立ちぬ』を作ったのではないのかな?とも思えるのです。
バブルの頃は「気楽に楽しく生きよう」とか「おいしい生活をしよう」みたいなキャッチコピーが踊っていて、まだ子供たちも甘甘の世界で遊んでいられたんですよね。宮崎駿は「バブル期の『経済至上主義』みたいなものを作品で批判したかった」みたいなことをどこかの雑誌のインタビューで見ていたことがありますが、その実はバブル時代の子供の「お気楽で甘い日常」も意識せざるを得なかったのではないのかな?とも感じるのです。もちろん彼の作品の中に「経済至上主義や拝金主義に対する批判的な表現」は至るところに出てくるみたいですが、彼の顧客がその経済の恩恵を受けていた子供たちだったということに、宮崎駿の表現者としての悲しさがあると思います。「今の豊かな暮らしを捨てて自然や土着と言った清らかな世界へ逃げてみましょう」というメッセージを受け止めた子供もいなかったワケではないのでしょうけど、大半は豊かで温かい都市化された競争も少ない「甘い子供の世界」に戻ってしまったのです。
むしろ、よしりん先生の『おぼっちゃまくん』の方が「金の汚さを笑ってみせる」みたいなスタンスで子供たちと向き合ってる分読者である子供たちに対して誠実なのかな?とも思います。そしてAKB48は『東大快進撃』の芸能界版とも言うべきバトルの世界を現実化しているような気もするし、そんな現状の中で「牧歌的でなんのしがらみもない自由な世界」への逃げ道なんてもうどこにもないんだよ、ってことがもう子供たちの間でも自明のことになっているのでしょうね。
明日の道場に行けないのが残念です。
明日は自分の現場で、きっちり仕事をしたいと思います。
行かれる方は楽しみにして下さい。
長文失礼しました。

No.98 127ヶ月前

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