第239号 2017.9.12発行
「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしの人たち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…石破茂元防衛大臣が、9月3日の石破派の研修会、さらに9月7日放映のテレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』にて、核保有論を唱え物議を醸した。番組には「核の専門家」という共同通信の太田昌克編集委員が出演し、石破の言う核武装論は実際にはできないと批判し議論になった。しかし石破氏にことごとく論破された太田氏は、被爆者を錦の御旗にした議論封じをしたのだ。北朝鮮が核兵器を持とうとしている今、日本の核武装については一切考えてはいけないという強迫観念にとりつかれてはいけない。「弱者の恫喝」に負けず、核保有論を堂々と考える時である!
※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…9月7日発売の『週刊文春』で報じられた山尾志桜里議員と倉持麟太郎氏のスキャンダル報道の過熱ぶりが凄まじすぎる。どうやら今週発売号で第二弾があるようだ。両氏の家族、知人の証言などがあるというが、第一弾で写真撮影の舞台となった「恵比寿駅からほど近いイタリアンレストラン」が、かなりいろいろなことをしゃべっており、記事に影響するらしいという情報もある。両氏の身内や関係者が、ヤッカミ、嫉妬、愛憎で証言するのは、まだ仕方のない部分があるとしても、この「レストランからの暴露」というのは、大いに疑問がある。問題のレストランに電話取材!店側は何を語ったのか?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!イラク戦争の時のように、安保理決議無し (国際法違反の恐れあり) でアメリカが北朝鮮を攻撃・壊滅させるのはアリ?「男も捕虜になれば拷問されるか面白半分に殺されるから男女ともかわらない」という意見をどう思う?ヒトラー擁護発言を繰り返す麻生氏は何を考えているの?「モリカケ問題」で安倍首相がついている嘘も、家族と親友を守るための「立派なウソ」?上京したての頃は関東の醤油を物足りなく感じた?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第244回「弱者の恫喝に負けず、核保有論を堂々と考える」
2. しゃべらせてクリ!・第197回「クマった一大事!お父ちゃま助けてクリ~!の巻〈前編〉」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第48回「週刊誌に常連客を売るレストラン」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第244回「弱者の恫喝に負けず、核保有論を堂々と考える」 人は、忘れたいような悲しいこと、苦痛なことほど忘れられないものだという。
だとすれば、広島・長崎の被爆者は、その体験を忘れることなど決してできないだろう。
こんなことは二度と繰り返してほしくない、核兵器の被害者は自分たちで最後にしてほしいという訴えもわかるし、こういう人たちが声を上げていないと、記憶の伝承ができなくなってしまう。
けれども、そういう経験をしてしまったがために「あつものに懲りてなますを吹く」となってしまって、北朝鮮が核兵器を持とうとしているのに、日本の核武装については一切考えてはいけないという強迫観念にとりつかれてはいけない。
石破茂元防衛大臣が9月3日に石破派の研修会で「核の傘は破れ傘と言う人もいます。意味が無いと言う人もいます。でもその傘の実効性を高めるということを我々が努力をしていかなければならないことであって、政治レベルにおいても実務レベルにおいても核の傘の実効性というのはきちんと検証していかなければなりません」と発言し、物議を醸した。
そこで9月7日放映のテレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』の「そもそも総研」は「そもそも日本の核武装は許されるのだろうか?」と題する緊急特集を組み、石破をスタジオ生出演させてその真意を聞いた。
石破は日本の核武装について、「日本が核を自分で作る、自分で持つ」という論には立たないとしながら、アメリカの「核の傘」についてこう言った。
「アメリカの核の傘があるから大丈夫だよねってことになってるわけですよね。じゃあその傘って本当に差してくれるんですか、どれっくらいの大きさですか、いつ差してくれていつ差してくれないんですか、傘に穴って空いてませんかってことをきちっと検証も何もしないままに、核の傘があるから大丈夫だよねって言って、そうじゃなかったときに、慌てふためいてどうしますか。私この話って、15年前からずっとしてますよ」
石破は非核三原則「持たず、作らず、持ち込ませず」のうち「持ち込ませず」については見直し、冷戦時代にアメリカとNATO諸国が結んでいた「核シェアリング」のような形で、アメリカの核による実効的な核武装をするべきだというのが持論らしい。
番組にはもう一人、「核の専門家」という共同通信の太田昌克編集委員が出演し、石破の言う核武装論は実際にはできないと批判して議論になった。
石破は落ち着いて太田の批判に丁寧に反論し、ことごとく論破していった。すると最後に太田はドヤ顔でこんなことを言い出したのだ。
「被爆国、(核武装を)許してはいけない。議論は確かに重要です。大いにやるべきだと思います。しかし72年間ですよ、どうして核兵器が1発も使われなかったのか。原爆資料館行かれましたか? 先生」
(石破、「行きました」と答える)
「ねえ。あれを見て誰が、核のボタンを押しますかって話なんですよ。抑止が崩れたらどうなるか、福島の事故であの大変な被害ですよね。今も数万人が避難されている。核の被害なんですよね。
いざ抑止が崩れたらどうなるか。72年間使われてこなかった、日本の非核世論、被爆者の皆さんの声、思い、核廃絶への願いですよね。これも実は核を使わない抑止力になってきた。そこも、だから検証の対象とすべきなんです。それをかなぐり捨てて核を持ち込むとか、ましてや日本が核を持つとか、私は許してはいけない。抑止力を保つためにも決して、日本の国民は許さないと思います」
「議論は確かに大切です」とか言っているが、こんな感情論に訴えられたら議論にならない。これは被爆者を錦の御旗にして、「弱者の恫喝」をする議論封じであり、民主主義の精神に反している。
論理的な討論で核武装論に太刀打ちできなくなってくると、非核論者は必ず感情論に訴えて、「被爆者がどれだけの悲惨な思いをしたか。日本人の感情としては、核兵器保有なんて許すわけがない」という「弱者の恫喝」を行なうのだ。
コメント
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品の無い言葉を連発して、申し訳ありませんでした。
(ID:17476484)
来週末に予定されている小林先生の名古屋での応援演説。選挙区民ではありませんが、新幹線で駆けつけて聞きに行きたいと考えています。日時、場所の公開は可能ですか。妨害工作員を避けるため非公開でしたら、動画だけでもアップしていただきたいです。
(ID:23026831)
真理は変わっていくの回、興味深く読ませていただきました。以下長文となります。
私は小林先生の20年以上のファンで、最初にオンタイムで読み始めたのは雅子妃の回あたりだと思います。それから先生の言うところの「良き観客」であり続ける中で、オウム事件、薬害エイズ事件など、漫画と現実がシンクロする、梶原一騎のような(例えが古いか)感覚を体験させていただきました。
その後旧ゴー宣の第1巻まで遡って買い揃えましたが、確かに通読すれば、先生も仰っているように、初期はいわゆるサヨク的内容が多かったのでしょう。SPAとの決別、西部邁との和解、戦争論の辺りから(旧来の区分けでは)右に変節したということなのかもしれませんが、私たち殆どの読者はその律儀な説明と説得力の裡に、それを歓迎して受け入れてきました。見限った読者がいたことを、先生は随分気にされているようでしたが、私たち読者の多くもまた同時に「変節」していったのです。
民主党政権が盤石な政権基盤にある頃、先生は安倍や稲田を擁護する本を出されました。先生は過去の汚点と言われていましたが、確かにあの頃は(2010年は)失政続きの民主党はオゴリまくり、尾羽打ち枯らした自民党にもう一度チャンスを与えたいというのは一つの大義でしたし、実際その後震災で政権の無能さが晒け出されたことを考えますと、あの時点では正義の行動だったと思います。もちろん私はその時の選択が間違っていなかったと言いたいのではありません。むしろ後に安倍がこれほど権力に執着し、天皇を軽視し、米国に阿って国柄を破壊させていくにあたって、当時の大義は私たちの反省材料に変質していったと言いたいのです。この点では私たちは結果的に、己の不明を恥じなければならないのだと思います。
かように真理や正義が時代と共に揺れ動く中で、歴史に耐えうる大義を分かり易く説いていくことは大変な戦いだと思います。世にコスパは蔓延り、思考のいらない政治談義のために政治家の不倫話が消費され、努力のいらない優越感のためにネトウヨ言説がまかり通っています。考えないのに反省しない人たちを変えさせるのは、本当に絶望的な戦いであるに違いありません。
しかし少なくとも私たち昔からの読者は、変わりすぎる世の中を前に、先生と共に反省を受け入れ、変わりゆく真理を求めてきたことに互いの信頼を見いだしていると考えます。今流行りの言葉ではないですが、私たちは常に先生と共にあります。「それは典型的な小林教」と思考停止するしかない輩は、私たちの多くが「よき観客」であり続けている凄みに思いを到らせられないのだと思います(申し訳ないですが、私は道場に参加したことがなく、ライジング会員で新刊を楽しみにしているだけの観客です)。
豹変する君子の真の君子たる力量と、己が野心のためのだけの二枚舌を見分けること、そういった能力を持つべく、これからも精進していきたいと思います。道場は家庭があるので行けませんが、成功をお祈りしております。