第310号 2019.4.9発行
「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…新しい元号「令和」が発表された日の、祝賀ムードの盛り上がり方は本当にすさまじかった。だが、いまの祝賀ムードはただ単にお祭り騒ぎがしたいだけで、空気が変われば人々はあっさり手のひらを返して、皇室バッシングを始めるのではないか?という疑念が晴れない。現に、秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんのご結婚を、何が何でも破談にしたいというバッシングの炎は消える気配もないままで、今度は眞子さまを擁護した妹の佳子さまにまで火の手が広がっている始末だ。なぜ大衆は皇室バッシングに喜びを見出すのだろうか?
※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…自身のレイプ被害について実名で綴った『Black Box』(文藝春秋)を出版した伊藤詩織氏は、そのなかで加害者であるとした元TBSワシントン支局長でジャーナリストのY氏に対して、平成29年に民事裁判を起こした。裁判は現在も係争中だが、平成31年2月6日には、Y氏側から反訴状が提出された。伊藤氏とY氏の間にはその証言にいくつもの食い違いがあるが、どちらの証言が信憑性が高いだろうか?裁判記録を徹底分析!!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!ジャズの大御所日野皓正氏のビンタ騒動は体罰?「利己的遺伝子論」に関する本を読むとニヒリズムに陥る?東大通や唐辛子明太が歳をとったらと考えることはある?新元号「令和」に違和感を抱いたら不敬?島根と鳥取の区別はついている?皇族批判をする人々は「皇室の生活費は税金で賄われているのだ」と思い上がっているのでは?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第320回「佳子さまバッシングの卑しさ」
2. しゃべらせてクリ!・第267回「いい運勢占ってクリ!見料に糸目はつけんぶぁ~い!の巻〈前編〉」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第122回「伊藤詩織『Black Box』裁判記録とその検証」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第320回「佳子さまバッシングの卑しさ」 新しい元号「令和」が発表された日の、祝賀ムードの盛り上がり方は本当にすさまじかった。
昭和から平成への改元は、昭和天皇の崩御に伴うものだったから祝賀どころではなかったが、今回は国民こぞっての慶びの中での改元となるわけで、このこと自体はよかったと思う。
だが、わしは警戒心を解いてはいない。
いまの祝賀ムードはただ単にお祭り騒ぎがしたいだけで、空気が変われば人々はあっさり手のひらを返して、皇室バッシングを始めるのではないか?という疑念が晴れないのである。
大衆とは、それほど無節操で残酷なものなのだ。
現に、秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんのご結婚を、何が何でも破談にしたいというバッシングの炎は消える気配もないままで、今度は眞子さまを擁護した妹の佳子さまにまで火の手が広がっている始末だ。
3月22日、国際基督教大学をご卒業されるにあたり、佳子さまが宮内記者会の質問に回答した文書が公表された。
記者の質問の中には「眞子さまの結婚関連儀式の延期をどう受け止めていますか」というものがあり、これに対して佳子さまは「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と、小室氏との結婚を望み続けておられる眞子さまを支持する意向を示された。
そして、続けてこう発言されたのである。
「また、姉の件に限らず、以前から私が感じていたことですが、メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。今回の件を通して、情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています」
一応「姉の件に限らず」とはしているものの、これは誰が見ても眞子さまと小室さんに関して、信頼性のない報道があるということを示唆するものだった。
これに対してメディアは反省するどころか、逆に集中砲火を浴びせたのである。
週刊新潮と週刊文春は競って特集記事を組み、女性セブン、女性自身にも佳子さまバッシングの記事が載った。
これに大喜びだったのが月刊「Hanada」編集長の花田紀凱で、産経新聞3月30日付の連載コラム「週刊誌ウォッチング」にこう書いた。
『文春』は「奔放プリンセス佳子さまの乱全内幕」、『新潮』は「『佳子さま』炎上で問われる『秋篠宮家』の家庭教育」。内容的には『新潮』。
〈「そもそも『公』より『私』を優先なさるお二人の姉宮のご様子を見るにつけ、何より『公』の重要性を理解されねばならない悠仁さまへの“帝王教育”は大丈夫なのか、と不安にならざるを得ない」〉(秋篠宮家の事情に通じる、さる関係者)
いったい何を根拠に眞子さま、佳子さまが「『公』より『私』を優先」しているというのか? そもそも、佳子さまの回答をきちんと読んだのか?
佳子さまは公務について、こう語っておられる。
「公的な仕事は以前からしておりましたが、卒業後はその機会が増えることになると思います。どのような活動に力を入れたいかについては、以前にもお答えしたことがありますが、私が何をやりたいかではなく、依頼を頂いた仕事に、一つ一つ丁寧に取り組むというのが基本的な考え方です。これまで行った仕事は様々な分野のものがありました。大学生活で、一つの分野を集中的に学んだ経験も、幅広く学んだ経験もこれからの仕事に活かすことができれば嬉しく思います」
新潮、文春ともに、佳子さまとご両親の秋篠宮殿下、紀子妃殿下が不仲であるかのように書き立てているが、佳子さまはこうおっしゃっている。
コメント
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(毎度のことですが)かなり遅くなりましたが、今号の感想です。
○ ゴーマニズム宣言・第320回「佳子さまバッシングの卑しさ」
この手の家族関係のバッシングの記事をよむたびに不快な気分になるので、なるべくよまないようにしているのですが、嫌なことは「人の噂も七十五日」で無視すれば良い、ではすまないことはこのたびの『ゴーマニズム宣言Second』第2巻第31宣言にも書いてある「デマを軽くみてなならない」と記して通りなのでしょう。ほうっておくと、「嘘」が真実にされてしまうから。これを言うと不敬にあたるやもしれませんが、知人に同じ漢字の名前の人がいるので、よんでいて、デマを飛ばすマスコミに凄く不快な印象を抱きました。
それと、「昏い」と先生が敢えて使われているのは、「昏」の文字の上半分は元々「民」で、「民」という文字は目を針でついて見えなくする、という原義があるからなのだと推察します(かつてこの話を塾講師時代に生徒にしたところ、「なぜそんな気持ち悪い話をするんだ」と顰蹙を受けたものでしたが、事実がそうなのだからしょうがないですし、漢和辞典をひけばすぐ分かる話です)。これを言うと偏見になってしまいますが、「民」というのはめくらなところがあり、盲目の奴隷の身分でありながら、主体的にその立場を選びとったものだと開き直るところがあり、故に高貴なもの、気高い神聖なものに対して、おとしめようとし、あわよくばかわりに自分がその立場に立つことを望むものなのか、だから安倍晋三のような小物が総理大臣でいることに不平不満を抱かないのか、などということを、身の程しらずでありながらも思ってしまいました。
○ 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第122回「伊藤詩織『Black Box』裁判記録とその検証」
「Black Box」事件については著書を一通りよまないとちゃんとコメントできないと思っているので簡単にしますが、現在「事件の再現」を警察に求められて伊藤さんが非常に嫌な思いをされたとか、くだんの逮捕直前に中止され、担当刑事や検察が交替させられたというところをよんでいて、警察のデリカシーのなさを情けなく思いつつ、権力のもたらす理不尽さを感じさせられました。鮨屋の証言の箇所が、ちょうど木蘭さんのあげられている記事にあたるのでしょうか。性交渉のハードルが低いという指摘についても、恋人と同棲していたという先入観からくるものとしか感じられませんでした。『東京ラブストーリー』でも、カンチがリカに対して、「自分だって男と二人でいても何もしない時があるくせに」とぼやいていたと覚えていますが、恋愛していたら、セックスしかしないものなのでしょうか。『エヴァンゲリオン』のミサトさんみたいな例もあるかもしれませんが、人それぞれでしょう。性商売でもレイプがある、というのも、お金を貰っている「仕事」なのだから、求められているもの以上の「行為」を要求されたら拒絶するのが当たり前なのだろうと理解します。
SPA!について
堤防は小さな穴から決潰するといいますが、国際法というルールを守らないとホッブズのいう、万人の闘争する世界が招来するのだというふうに理解しました。法は人が運用するものであり、その中には温かみがあってしかるべきですが、原則は原則なのだということを忘れてはならないということなのでしょう。デマを放置すべからず、ということと同じことなのだと感じました。
(ID:22136524)
つづきです。
『ゴーマニズム宣言Second』第2巻について
ますます伊藤博文の小人物性を感じさせられました。前にも記したように、高木彬光先生の『大予言者の秘密』という歴史小説をよみ、高島嘉右衛門の見込んだ大政治家という印象が強く、かつての千円札の人でもあったので、そのギャップにとまどってもいるのですが、政治家の実像って、こんなものなのでしょうか。ここにも海外出羽の守を見たような気がします。アイヌ問題・憲法問題についても、日本のある意味恵まれた歴史の幸運とともに、それ故に後進的である側面が生じ、現状の不幸を生み出している起因ともなっている皮肉さを見せつけられ、「禍福はあざなへる縄の如し」という諺が指し示す如く、物事の表裏一体さが招く弊害を考えさせられました。
『辻説法』第2巻について
みなぽんさんの出番がほとんどなくなったのが少し残念でしたが(前巻のルーズソックス姿はおかしかったです)、それ以上にりか坊さんとまる禿げよしりん、一部LGBTよしりんとの掛け合いが面白く、『ゴー宣』とは違った意味で肩凝りせずによめました。はやくかわうそよしりんの章も単行本化されて欲しいです。ちなみに、今回の朝ドラは第1回目を見逃しましたが、しっかり見ています。
『新おぼっちゃまくん』第1巻
節句孕女の回、単行本でよんでもおかしいです。柿野くんのあの恰好も、貧ぼっちゃまの背中が暑いというくだりにしても。孕女自体のキャラも非常に際立っているので、再登場をのぞみます。こども食堂の回も、人間の裏表を見たようで、興味深いです。描き下ろしの裏門が豪華というのも笑えます。なお、私は蝗は食えません。
最後に、しゃべクリについて、老婆心ながら解説しますが、エリック・クラプトンという有名なギタリスト兼歌手がイギリスにいて、デレク・アンド・ザ・ドミノスというバンドに在籍していた時代の唯一のヒットソングに「いとしのレイラ」(Layla)という曲があるのです。さびのところで、「レイラ~」と2度ほど絶唱する歌で、CMソングでも用いられていた曲だから、日本でもたくさんの人がどこかで聞いたことがあるのではないのでしょうか。
週刊新潮も購入しましたが、長くなってしまったので、また改めて。女性自身は買っていないです。
それでは次号を期待します。
(ID:22136524)
もう少しだけ記します。
高森先生がイルカさんのことを取り上げられていたことに感謝します。私の好きな歌手に沢田聖子(さわだ しょうこ)さんという方がいて、その師匠筋にあたるのがイルカさんだからです。イルカさんと陛下の思わぬ接点を知り、感銘を受けました。
それと皿うどんさんへ、どうも有難うございます。毎回自分のアイデアの貧困さに苦しみつつ、投稿しているので、嬉しいです。