第182号 2016.6.28発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第177回「生活保護に潔癖を求めるせちがらい世の中」
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コメント
わんわん
3番。
ヨンバン、ワ。
1げと……どころか!!
全然だめだっタコ!!!。゚(゚´Д`゚)゚。
たこはっちゃん??
9十九黄人。
きゅ?
配信お疲れ様です。
感想やコメント欄にあった地方ゴー宣道場のことですが、
地方ゴー宣に色んな意見はあると思います。
しかし、
良いものは良い。だから広めたい。
という、純粋な思いなのかなと思います。
地に足をつけて、議論していく限り、
カルト化にはならないと思います。
そもそも、カルト化を危惧するなら、
とうの昔にゴー宣道場は、小林先生の手で終了していると思います。
それが全てだと思いますよ?
十二宮
よく生活保護について、「娯楽に金を使うな」などという非難をするネトウヨがいますが、娯楽のない生活が果たして本当に「文化的」と言えるのでしょうか。
あと、外国人に生活保護を支給することを非難する人間もいますが、だったら外国人に対しては困窮したら国外退去か死かの二者択一を迫るべきとでもいうのでしょうか。
今週も配信有り難うございますm(__)m
上は遥か遠すぎて羨ましいと思うことすらできない 下流の者は、すぐ下を見て自分が相対的に上流に居ることで自我を保っているのでしょうが、それすら不満が富裕層に向けられないよう巧みに仕組まれたことなのではないかと思います。
私は、かねてから「自己責任」という言葉に強い違和感を覚えています。
自分のしたことに責任があるのは当然なのに、ことさら責任に「自己」を付けたがる新自由主義というのは、お上に守ってほしいばかりの自称保守共と親和性が高いわけですね。
写馬鶏さん、しゃべクリ!MVP、おめでとうございます!!
ヽ(´▽`)/
メチャクチャ面白かったです♪ スラムダンクネタも、連作も☆
なんか強敵がゾロゾロ現れて、超楽しいですね、諫議大夫さん♪
ヽ(TДT)/←ホントーか
ネタが超面白いし♪ 特に20~22の名前不明さん☆☆☆ 俺やないかい。
Σ(-∀-;)
気付いてくれて、どうもありがとう茶魔♪
( ´∀`)σ)∀`●)←茶
・・あと、時間過ぎていたのに採用してくれてどうもありがとう、茶魔♪
( T∇T)σ)∀`●)←茶
貧乏人の敵は貧乏人なんですね。
常識ある一般女性が連合生理軍から迷惑を被っていた「女の敵は女」と似てる気がする。
どうして、そうなってしまうのかな?
配信ありがとうございます。
今回のゴー宣や「ザ・神様」とは全然関係ない話で申し訳ないのですが…。
以前でしたか、度々ライジング内で、「議論」という名の荒らしが横行して、
(それに些少でも関わった経験を持つわたしなんかも大いに反省すべき事なのですが…)
見兼ねたライジングのスタッフが「貴方は間違っている」と処断を下したことがありました。
その「間違っている」読者がコメント欄で他の読者さんにフルボッコにされそうなことがありました。
具体的に言いますと、一昨年2月に、ニセただしさんが、ゴー宣道場に当選しておきながら欠席させてほしくてメールでスタッフに伝えるのは面倒だからコメント欄で済ませますねとコメントした人にカチンときて、言い争いになり、コメントが収拾つかなくなるという「事件」が起こりました。
わたしは直感的に「ニセただしさんのほうが分が悪い」と思ったのです。
しかし、その当時、コメント欄をざっと見渡して、ニセただしさん以外の他の読者がニセただしさんをフルボッコ状態にしているとわたしには見えたのです。
その時、わたしは彼は一方的な正義感で感情をむき出しにするのは良くないと思いながらも、同時に彼ほどの逸材を石もて追い出すかのごとくライジングから追い出すのは惜しいし、生涯の後悔になると思ったので、敢えて不利を承知で彼を弁明しました。
その時のわたしは、彼の正義の発露について、彼の行きすぎた部分を制しながら抑えた表現で彼を擁護した記憶があります。
しかしコメント欄の荒れはいっこうにおさまさず、収拾がつかなくなって、結局時浦さんが処断を下しました。
その時、ニセただしさんは、素直に自分の非を認めて謝りました。
同時にわたしも、彼を擁護した「罪」で謝りました。
しかし、一部のライジング読者から、なおも彼をバッシングしようとする空気がありました。
しかし、ニセただしさんは、絶対に逃げませんでした。それどころか、わたしをかばって自らの非を一心に負ったのです。
わたしは彼の高潔な態度に感動しました。
(続く)
(続き)
その後彼は、「しゃべクリ」はもちろん、「公論形成」でライジングを大いに盛り上げました。笑いありユーモアありで、「笑いのないところに公論は生まれない」をまさに地でいくような活躍をされました。
わたしはあのとき彼を弁明したことを後悔していません。彼がフルボッコにされそうな時に彼を守って本当に良かったです。
去年4月、ゴー宣道場開催当日に、山手線が沿線火災で不通になったことがありました。JR側の事情のためだけに、大崎に行けず、ゴー宣道場へ行くのをあきらめるのではないか、そういうことがありました。
わたしはそれだけは、絶対にあってはいけないと思いました。目の前にスマホがあり、コメントも打てる状態、なのに
このまま何もしないでいることは、わたしの公心が許しませんでした。
早速東京の地図を拡げ、現在動いている電車を検索しながら、コメント欄に逐一状況を打って上げました。結果、欠席者がほとんどいなかったのを知って、勝手ながら努力が報われたんだと感動しました。
これは、一昨年の、ニセただしさんの、「思い」からきたことを告白します。私にできることがあるのに何もしないでいるのはニセただしさんの思いに対する裏切りであり、彼の立場に立った私が何もしないのは、信義に反する行いで私の良心が許せませんでした。
熱い思いは空回りするのでしょう。一部の人には理解されないかもしれません。されなくて当然だという腹積もりでわたしは居ります。
しかし、ゴー宣は、人の立ち居振る舞いの中にある、公心を読み取って、自ら身を修める場であるものだと、私は常日頃思っています。
これからも自ら身を修める鍛錬を怠らないよう、精進していきます。
…今度のことで、一昨年の記憶がよみがえってきたので、思わず長々と書いてしまいました。
本当に、今号の内容と関係ないことで、ごめんなさい。
配信ありがとうございます。
今週のゴー宣を読んでいて、週刊モーニングに連載している、今回のゴー宣にも名前が出た鈴木大介氏が関わっている『ギャングース』という漫画に、
「この国の人間はな 食えねえガキなんか何の興味もねーんだよ!!!!」「苦しんでいる人間が目の前にいても苦しん でいるソイツ自身に理由があるってシカトすんのが日本人だろ!!」
という今回のゴー宣の内容と今の貧困問題の核心を衝いたようなセリフがあったことを思い出しました。
今日本に貧困があることを想像できず関心も持てず、自己責任という言葉で切り捨てる。だんだん「惻隠の情」や「慈悲」が無くなって、「感情の劣化」が進んでいるように感じてしまいます。
配信ありがとうございます。
貧乏人が貧乏人に対して不寛容で、何ぞあったら叩くという「けったいな」構図を言い当てるには「世知辛い」が的確だと思い知りました。こういう現象が起こるから、必要でも「生活保護は恥ずかしい」という遠慮や世間体につながって、事態が深刻化して出口が見えなくなっていくものですね。確かに「自分がそんな状況に陥ったら」と想像すると、無理かもしれません。つくづく「今は幸運」と噛み締めることです。
しかし啓蒙したり、反省したり、感激したりと、様々な感情が押し寄せる今回、並の場とは違うなあというのが率直な感想であります。また細かく書きたいものです。
生活保護の話だと、例えば生活保護のお金を貯金できないとか、若い世代が受給できないとか、制度の問題もあるし、都市部での生活費(家賃とか)が高すぎることが問題だと思います。
よく保守派は貧乏人に対して「働かざる者食うべからず」と説教をしがちですが、これって共産主義時代の旧ソ連で、レーニンが不労所得で肥え太っていた富裕層を皮肉って言った言葉であって、本来不労所得で肥え太ってる富裕層は貧乏人を養う資格があるし、税制なんかもそうしなきゃいけないと思うのですが…
欧米の富裕層なんかには寄付の文化があり、社会的弱者にお金を恵むことはステイタスを高めることに繋がります。
日本の富裕層はケチで弱い人間を助けないからな…
貧乏人がバンバン富裕層の金を奪って経済的に逆転できる風潮ができたら、少しは救いもあると思います。
例えば官僚や大企業の構成員なんかの既得権益の社会的・経済的地位が固定され過ぎてて貧乏人がそれをひっくり返せるきっかけさえ掴めないのが大問題だと思うし…
泥棒はよくないけど鼠小僧次郎吉みたいな義侠心に溢れた悪人がもっといてもいいと思います。
今の社会福祉(生活保護含む)ってやたら生真面目で杓子定規で弱者のためになってない制度だと思うし、それが潔癖症に繋がってると思いますが…
私は幸いにも生活保護を受けたことはないのですが、例えば受給のために共産党や公明党の地方議員に口利きをしてもらう見返りに、それらの党の地方議員の支援を依頼されるという話はよく聞きます。
確かに共産党や公明党の議員さんにとってはそれも仕事の一つなのかもしれませんが、ゆえに生活保護のイメージまで悪くなってるのは腑に落ちないですね…
貧乏はお金が無いことで、貧困はそれに加えて援助してくれる人や頼れる先が無いこと。
との言葉の定義をspaの貧困特集で読んで納得しました。
昔から貧乏な人は沢山いたけれど、共同体がある内は貧困状態まではいかなかったのでしょう。
漂流する砂粒の個を受け止めるには共同体の復活しか無いのに、前途多難ですね。
住宅政策が間違ってるのが大きいと思うので、家賃1万円くらいの長屋みたいなのを国や大企業が作るべきじゃないっすかね。空き家は沢山あるそうだし。
配信お疲れ様です。
なんかいわゆる「ナマポ批判」って貧困でも公的な援助が受けられない(または受給条件はクリアしてるけど手続きが面倒くさいからやらない)40歳代以下の人間がやっかみで言ってるだけなんじゃないかと思いますけどどうですかね。次長課長の河本のケースなんかまさにそれだと思いますが。
それと「自己責任論」はそれを声高に言う輩ほど自己責任がロクにとれず何かあれば責任転嫁することしかできないというのを感じますね。私が前にいた会社でも上司や先輩に「てめえで責任とれ」とかよく言われましたけど、そういうことを言う人間にかぎって自分でヘマした時にこっちに責任丸投げでしたからね。そういう責任もとれないのなら出世するなと思いました。東電とか三菱自動車のような不祥事起こした企業で社長が「オレは悪くない。悪いのは現場(東電の場合なら地震と津波。三菱自動車なら開発部門)」って言ったら袋叩きになるのに。
江川卓
配信ありがとうございます。今週も楽しませて頂いています。
舛添都知事の一件にしろ生活保護の件にしろ、貧乏人を叩くのは貧乏人であると言う事実・・・とても切なくなりますが、文章を読んでいて納得してしまいました。高級料亭で何十万、と言われると、よっぽど重要な案件をそこで話していたのだろう。。。と思い、回転寿司ならセコっ!と思う自分がいます、もっと冷静に物事の中身を精査してから考えなければなりませんね。
そして生活保護に対する自己責任論に対し、ずっと前から思うことがあります。自己責任論を唱えて貧困層の支援を細めれば細めるほど、貧困の拡大再生産が行われて、生活保護が必要な世帯が増えると簡単に分かりそうなものなのに??私の友人にも、中学生の子どもを持つシングルマザーがいますが、その子どもは高校さえも本当に通えるのだろうか?と心配するほど、はっきり言って悲惨です。貧困層(生活保護世帯)の子どもの率は、ほぼそのまま中卒、高卒で社会に出なければならない若者の率に直結するのではないでしょうか。そうすれば日本の将来の生産力はもっと劇的に下がるし、一人一人の生産力が落ちれば、直近の年金受取額だって下がるでしょう。日本のブレーン部分にも外国から来るエリートに頼らなくてはならなくなるかも!という危機感を持ちますが、自己責任論の人たちは、日本がそうやって崩壊する可能性について思いを馳せないのか?
自分の憂さ晴らしだけで生活保護を叩くのであれば、自分自身の首をも絞める結果となる気がするのですよ。
先日自分の趣味のプロテニスのウィンブルドン大会が始まり、その観戦に
うつつを抜かしていて、よしりん先生にQ&Aを送り逃しました。
まだ『民主主義という病い』を最後まで読み終わっていないしなぁ、まぁ
いいや、誰か質問してくれるだろう…と思ってたら、誰も質問してなかっ
た。先生のブログのこと。
先生のブログ『「護憲派」野党だけは選択しない』を読み、
(とうとうそっちを選択すると宣言しましたか…。そこまで民進党は後退
しているか。うーむ。考えるなぁ。自公で改憲かぁ。護憲じゃ何も進まな
いか…。)などと考えたのですが…、どうにも頭の中で整理がまとまらな
い。所詮が、「ゲリ」「ゲロ」と例えられる、二択しかない。
『「護憲派」野党だけは選択しない』はBLOGOSでも6/25、26日の、最も
支持された記事、になっている。
参院選挙の投票日前に、ライジングはあと1号しかない。質問をやりとり
させていただいて考えを深めようとかって思っていたけど、1号じゃ質問
1回しかできない。投票日に間に合わない。もう期日前投票始まってるし
。
「投票なんか行かねーよ!!」というロックな、もしくは現代の武士的な
行動を示す事もできるが、それにしたって、もっと自分の中で、根拠が欲
しい。
「今のままの参議院なんて意味ない」とニヒってたって、前に進まない。
と、いう事で、まず論考しましょう。
このコメント欄に在ったご意見や、自分もやってるTwitterのツイートも
参考に。
★民進党+共産党+社民+生活に投票した場合を考える
・9条変更は遠のく。アメリカの頸木から逃れられない状態がさらに伸び
る。最悪。
・共産党と民進党の協力関係が続くパターン。衆議院では協力しないと言
っているが、参議院では、一度成功したら、これが長期に渡って続く可能
性も…あるかな?ないかな?
・シールズが増長する?
よしりん先生はシールズを物凄く警戒してる。自分はそこまで危険視して
ないけど、たしかに民進と共産の融和剤になってしまったら、大変な事が
起こる。そこは引き離しておかないとヤバすぎる。
・民進党に社民党が吸収合併されるかも…。これは参院選挙後でもそうか
?
・安保法制を廃止って、衆議院で勝ってないから出来はしないが、例えば
アメリカがどっかと戦争ってなった時に、国会の事前承認でまた揉めて、
牛歩したり、シールズがまた国会前デモするんだろうな。
(そもそも万一衆院で勝ったとして、本当に廃止できるんかね???
よしりん先生以外に自民党議員も自称保守も、政治の一貫性の信頼の重要
性とかを指摘しないけど。
万一も勝たないか。)
・消費税はどうなるんだ?これ原因で民進と共産が別れないか?それとも
譲歩しあうのか?
民進は、タックスヘイブンの追及はできないのか?
やっぱ企業献金もらってるから、消費税廃止は不可能なのか?
・女性宮家を作るのに、共産党が反対して、それに民進党がひっぱられる
リスクってないか?
とにかく、どこまで民進党が共産党にひっぱられるのかが不安。
不安をあおっちゃいかんか。でも不安を消せてないのは、民進はよくない
んじゃない?
・自公負けたら、安倍ちゃんは首相辞めるのか?
でも、そもそも負けなそうなんだよな。
だったら、野党を増やしても良いのか?
民進の野田前原細野長嶋派閥の人だけを増やしたいが。
何人いるんだ?
★自民党+公明党+おおさか維新+日本のこころ+改革に投票した場合
・改憲…。まず本当に改憲できるんだろうか。
・結局、安保法制みたく、2+2で決められた条文どおりに仕立てられ、強
行採決っぽくなるんだろう、っていう事よね。
その後、国民投票になるのか?
その時、国民は考えるだろうね。
何条から変えようとするのか?
複数が同時進行もあるのか?
マスコミは、…キチンと報道しなさそうだなぁ。
今だって、NHKとか、ニュース番組ひどいもんな。委縮自主規制が。
…でも、国民も恐い。
道徳的文言を憲法にこそっと入れても、気付かなそうで。
気付いても、そのくらいいっか、となりそうで。
憲法の基礎を分からせるのに、何年かかるのか。
ゴー宣SPに期待するしか。
専門家も、また左右に分かれるんだろう。
ヤギVS小林節とかか。
・女性宮家は自民は作るのか??
憲法改正ってなったら、自民はそれ、作るか?
どうやって作らせる?
とりあえず、国民投票まで持って行かせなきゃいけない。
作る、と発議しても、意味が分からない若者たちは、
反対まではしなさそうだ。だから、投票まで持って行かせないと。
・民進代表を岡田が辞めるだろう。
これはチャンスになる可能性もある…かも。
・タックスヘイブン追及はやらない。
英EU離脱に荒れる相場に年金をガンガンつっこむ。
安倍の悪政がまだ続く。
アメリカ抱きつきを止めるキッカケに、
国民投票はなりうるのか、って事よね。
安保法制ができてしまった以上、
9条は戦争条項になった。
戦争は合憲になった。
その憲法を、どう変えられるか、って事よね。
野党が言うように、安保法制を廃止したら、どうなるのか
見てみたい気もするけど。
何も変わらないのかな。
むしろ、アメリカが日本を見捨てて、
自国軍を持たなきゃって、なったりしないかな?
結局外圧での変化だけど(笑)。
こんなもん、ウルトラCだけど。
自民が改憲しても、自国軍を強化して
米軍に出てってもらうなんて、どう考えても
なりそうにない。
茶魔は野合だって言ってたけど、
与党も野合だし。野合ばっか。
だめだ、もう朝だ。タイムアップ。
よしりん先生、本当に自公の方がマシですかね?
参院選までに、またブログで書いてください、お願いします。
草津温泉の湯もみの写真「くさっ くさっ くさっ ・・・」に思わず吹いちゃいました(>o;;、。
二期6年間、民生委員をやったことがあります。4人で区内を担当。その仕事の一つは、十数人の一人暮らしのお年寄りを月に二回程度訪問しての安否確認です。立ち話やちょっとしたものを持っていったり、時にはお茶をよばれたり、---ご近所付き合いの延長みたいな雰囲気なのですが、変化や困り事、気付いたことを市や地域の包括支援センターに報告し対策をとってもらうのです。秘密厳守義務があります。
個人で動く場合もあるけれど、細かく市と相談しつつ改善を図る、---いわば村のおせっかいおばさんです。
任期中、隣りのアヅマさんのようなケースには当たりませんでしたが、独りで困難を抱えている方はたくさんいます。どんな状況でも誰にも「プライド」---それは様々な現れ方をします、時には凶暴ともいえるよな、あるいはやりきれなく切ないものも・・・。---が厳然とあることを心得て“割り切れない”役割をするのが民生委員かもしれません。
そして「個人で背負い込まないように」は民生委員仲間の合い言葉でした。定期的に地域で会合を開いては個々のケースを相談・検討しました。
連絡して実際に動いて下さる市や支援センターの職員の方々にはいつも頭が下がりました。
もくれんさんのブログを見てると、日本人って共同体から外れた人間に冷たいんだな、と思ってしまいます。
日本人の美点として、組織を作って共同体を作って一緒に働いて生産性を上げることがあったのですが、例えばそこで思想的な対立とか、心身の故障とかの理由で共同体を追われた場合「村八分」という言葉もあるように共同体の外へ追いやって労働市場に戻ることが許されない。
勤勉は美徳だけど少し働き方の効率が悪くなると無能扱いして共同体の外へ弾いてしまう。
一旦弾かれた人間には村の敷居をまたがせないし食料も渡さない。
構造改革で効率化が進んで共同体が崩壊したのも貧困の原因かもしれませんが、共同体の同調圧力というか、異論や異端を認めない日本人的な発想の中にも今の貧困者が立ち上がれない原因があるのではないのか、と私は思うのですが…
中庸であることと共同体に所属することがトレードオフという社会だと、社会の共同体から弾かれることが中庸な生活から弾かれることだと思います。
本人はただ単になんとなく共同体にいることで生きる保証というか安心感を得ているのに、共同体の総意というか共同体の思想的な中庸から少し外れただけで排斥される社会思想の構図って、個人主義が浸透してる欧米からすれば違和感しかないですね。もっともその前提には一神教の問題も絡んでくるのでしょうけど…
日本にちゃんとした宗教があって、人々がもっと神にきちんと向き合っているならば、貧困者を見捨てて経済的収益ばかり追いかけるようなイデオロギーに埋没することはないと思われます。
ただ日本の場合、世間体が宗教みたいなものなので、それが凄く厄介な気がします…
凄く異論がある意見かもしれませんが、かつての大日本帝國がそうであったように、天皇ないし皇室を一神教の教祖みたいな感じで捉えて、倫理の規範として考えた方がいいのでがないのか、とも思うのです。
安易に神格化するのは問題かもしれませんが、国民の倫理的な規範として何らかの形で思想的に定義する、みたいな。
天皇陛下をはじめ皇室の方々は常に国民のことを思っておられ、そこには貧富の差とか健常者・障害者の区別はないのです。
お金を上手く貧者に渡すだけでなく、抽象概念というか、思想の上で貧者をどう救済するかを自問自答するのは大事だと思うし、その鍵は天皇陛下にあると思います。
よしりん先生のブログにもある通り、社会問題にも興味ない、選挙に行きたくても入れたい候補がいない普通の庶民が一番政治や公のことをまともに考えてると思います。
『民主主義という病』拝読しました。
パブリック即ち公の為に働き、時には命まで捨てる共同体意識を持った人間こそが民主主義における理想の主権者なんですね!
そうなると、生産の場を持たない未熟な学生に選挙権や政治への発言権が与えられることに不安を感じてしまいます。果たして自分のようなバカ学生が理想の主権者になっているのかどうか分からないからです。
この不安は大人になって仕事を持てば解決するのでしょうか?それとも真面目な国民との議論をすれば解決するのでしょうか?
とにかく行動しなければ始まらないと思い、信頼できる同級生数人との議論を始めました。
今回の参院選、棄権ですね〜民主主義という制度に中指を立てるのもパンクロッカーの矜持だと思うし。
天皇陛下が頭が良くて倫理感に長けた賢者を指名して国民を統治するような形でもいいのに…五奉行とか五大老とか。
それでも庶民は普通に仕事もできるし暮らしに困ることもないでしょう。
民主主義が進み過ぎて何でも自由だ平等だとなってしまったから貧困問題も起こってる気もしますなあ。
しかし、先生が言葉を発するから読者が洗脳されるになるとなーんも言えなくなりますな。言葉狩りですなあ。
本当に洗脳されて実生活に被害が出るのなら、二度とゴー宣を読まない。ネット道場も読まないにせんとな。洗脳?されるのは自己責任やないですか。
まあ、本当に洗脳?されると仮定するならば
先生で現実逃避をしているんじゃないですかね。
民主主義で何もできない世の中で先生がなんかしてくれるはずだ!出来るはずなんだ!と。
んで、現実に帰れなくなると。
もし本当にそうならば、そんなことになる奴が悪いで切り捨てれば良いのですよ。
投票する政治家がいないのなら自分で直截政治家へ陳情すると言う事はないのでしょうか?
生活保護受給基準引き下げの決定が、不正受給バッシングによるものとのこと、呆れてしまいます。
一時の熱狂で政策が決定されるなんて、恐ろしい。そして実行の早いこと。財政引き締めの政策はすぐさま行われるのですね。引き下げで苦しむ人々が大勢いるとは思わないのでしょうか。
福岡県の子供の5人に1人が貧困とのこと。県内の地域差もあるのでしょうが、普通に周囲を見るだけでは実感ができません。今の貧困の特徴、「見えにくい貧困」のせいでしょうか?このことが余計に無関心無慈悲を加速させているように思います。
弱者に冷淡な政策が今は多いなあと思います。弱い人に優しい政策は共産党が明確に出しているようですが、天皇制打倒と言われれば支持もできませんし。貧困層に憐れみを感じる政治家は政府内にいないんでしょうね・・・。
このコメント欄は、チャンネル会員以外の人も見ることのできる、オープンな場であるということを、もう少し意識していただけないでしょうか。
同じ人が、時間も開けずに何度も何度も何度も何度もコメントを書きまくっている様子は、第三者から見たら、明らかにみっともないものです。
本来ならば、このコメント欄は気楽に感想を書ける場所であるべきだと思っており、書き込みに制限を付けるようなことはしたくないのですが、当面の間、当コメント欄への書き込みは「1人1日3回まで」にしていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
むむ!貴重なコメント二回目だ!配信お疲れ様です!
生活保護の話は毎度おなじみの世論世間誘導だとしか思えませんね。
生活保護を悪法に仕立てて、最終的には廃止!が政府の案でしょう。
どうせ福祉国家にも成らず、ドンドン財源も減らして行く流れに居る訳ですから、どーしよーもないのかな?と思います。
あと、先生がブログで書かれている様に、投票しないのも有りかもですが、
まあ、私は二択のゲロに入れましたから時計の針は戻せません。
でも、自民の圧勝ですよ、間違い無く、それも仕方無し。
ありがとうございました。
配信おつかれ様です。
貧乏人が貧乏人に対して不寛容になっている、日本社会はさながら血の池地獄の様相を呈していますね。
五体満足なくせに生活保護で酒やパチンコなんてけしからん、と言う人がいますが、もしかしたら仕事をする上で要領が悪かったり、対人関係に難があったりするのかもしれません。私自身、危険な建設業に就いている身ですから、この先どうなることやら。
もしこのまま生活保護がなくなったら、働けない人達から食い扶持を奪ったらどうなるか、恐らくニュースで餓死、もしくは自殺の報道が増えるでしょう。それだけではありません。砂粒の個ばかりとなった昨今、生きる希望のなくなった人間が、自暴自棄になって無差別殺人に走る、最悪イスラム国のテロに加担する可能性も十分あり得ると思います。
怠け者だ、自己責任だと生活保護を失くせば、その先に待っているのは百鬼夜行の世界であり、汚い言い方かもしれませんが、社会の秩序を守るためにも生活保護は絶対に必要だと私は思います。
自分より貧しい者への差別心を滾らせる人々というのは、在日ヘイトを撒き散らす連中とかなり重複していそうですね。
お上にしてみれば操りやすいことで、階級社会の成立は大衆自身が招くことなんだなと実感した次第です。江戸時代の士農工商・穢多・非人という身分制が長年に渡って有効に(為政者にとってですが)機能したのも納得のいくことで、この点だけ見ても進歩主義者というのは決定的に間違えていますね。
「孤独の最期・最終回」ですが、死臭の激烈さが描かれた場面が衝撃でした。特にエアコンのスイッチを入れた瞬間に、死臭が吹き込んできたという描写は、読んでいて恐ろしくなりました。
アヅマさんは人騒がせなじいさんだと思ってたけど、いざ亡くなったとなると、気の毒な方だったんだなと寂しい気持ちになりました。
収入が少なくて結婚できなかったり、生活保護が受給できない人が増えている昨今、誰もがアヅマさんの様になってもおかしくないんだとも痛感しました。
アヅマさんシリーズは、単に泉美さんの「ご近所トラブル」をおもしろ可笑しく書いただけじゃなく、格差社会への強烈なメッセージであり、アヅマさんへのレクイエムでもあると僕は感じました。
アヅマさんのような気の毒な方を減らす為に、社会保障を強化する必要があるのではないでしょうか。アヅマさんの死を、自己責任の一言で切り捨ててほしくないです。
ミエテルの部屋から流れていたという「choo choo train」も、アヅマさんへのレクイエムではないかと思いました。アヅマさんは「choo choo train」に揺られて、あの世に旅立っていったのかな、と想像してしまいました。
こんにちは。配信ありがとうございます。
今号を拝読して、過去に生活保護に対するバッシングがあったこととそれを受けて生活保護基準が厳格化されたことが相俟って、生活保護を受けづらくなったという人々も多いのではないかと想像しました。
また不正が多いから一律に厳格化するというのは本当にお役所仕事感が満載で一体どこを向いて仕事しているのか、本当に腹立たしい限りです。本当は生活保護が必要なのにこれを受けられない人が気の毒でなりません。
貧困層がこれだけ虐げられている国にも関わらず、選挙をすると相変わらず虐げる政治家に票が集まることが不思議でなりません。(1/3)
アヅマさんの最後っ屁に合掌
1/3
ライジングコメント欄の「1人1日3回ルール」ですが、こんなルールを作らなきゃならないなんて、悲しくなりました。
確かに同じ方が間も置かず、頻繁にコメントし続ける状態は、正直ウザイと思ってました。そもそもニートや引きこもりでもないのに、よくそんな時間があるなと思います。そんなに主張したい事が沢山あるなら、自分でブログを作るとか、迷惑にならない程度に、家族や友人、職場の同僚に話せばいいじゃないか、と思う事も最近よくあります。
僕の今のコメント欄の見方ですが、長文の感想はまず読みません。人に読ませるものなら、読みやすいように、文章を纏める技術も必要じゃないでしょうか。あとはザッと読んでみて、面白そうだと思ったものは、熟読します。
ライジングにコメントされる皆様が優秀な方なのは、否定しません。しかし、コメントする前に自分が書こうとしている事が、ライジングにふさわしいものなのか、書くべき事なのか、考えてみるべきじゃないでしょうか。
僕もかつてコメント欄にAKBの事を書きすぎて、小林先生に「みっともない」と指摘された苦い経験があります。よく考えたら、そういう私的な事は、ネットに書くんじゃなく、友人など周りの人間に話すべき事じゃないかと気づきました。それ以来、ただ自分の私的なコメントにならないよう、気をつけています。
以上、生意気な事を書いてしまい、失礼しました。
6/29 2/3
今回のゴー宣とは関係ないかも知れませんが、面白い記事を見つけたので紹介してみます。
57才男「仲間を裏切れない」とネトゲプレイし続け緊急入院│
NEWSポストセブン http://www.news-postseven.com/archives/20160629_424040.html
孤独に耐えられない男程みっともないものはありませんね。
今回のゴー宣を読んで思い出した友人の言葉。
「生活保護の人はどっかに集めて強制労働でもさせたらいい。人の金でパチンコとかふざけてる」
(既婚女性。働きながら子育て中)
「選挙で税金かかるとしても、舛添が都知事続けるよりマシだわ」
(東京在住:主婦)
これも潔癖王国の一例というやつでしょうか…
彼女たちの発言は決して特別ではなくて、世の中にはこういう思いを持った人たちがきっとたくさんいるのでしょう。
皆が日々の生活に追われて、多少の悪を許容する余裕もなくなっているのかな、とも思いました。
白河の清きに魚もすみかねて もとの濁りの田沼こひしき
前回までの選挙はカレー味のう○こ(食物の様に見えるが、体内に入れたら確実に腹を壊すもの)か、うん○味のカレー(悪臭はするが、それなりの栄養価は有るもの)かの選択肢は残っていたと思います。しかし今回は食物が嘔吐物になりました。
残念ながらゲリかゲロかなんて選べません。
残された道は公論、議論の輪を広げて行くしかないですね。
配信お疲れ様です。自分も将来は野垂れ死になんだろうな、と思っていますので、孤独死が他人事でない今日この頃です。
それはともかくとして、鈴木大介氏の東洋経済のルポにいろいろコメントが付いていたので読みましたが、なかなか香ばしい限りです。というか、あえて煮え切らない文章を書いて釣りだしたんだな、と思いました。さすがプロですね。
生活保護は「ズルい」から許さない。批判者の大方はこれでしょう。私ももっとお金持ちの家に生まれたかった、ねえあの子はなんで優しいお父さんお母さんがいて、お誕生日にプレゼントを買ってもらえるの、ズルいズルいってな話ですね。
あー、あれですね。これは「生活保護を受けるような家庭で育った貧しい子供」が「普通の家庭の子」を羨んで言うセリフでした。まあそういうことです。
ズルいっていうなら、みんなズルいんですよ。容姿に優れた人、体格に優れた人、知性に優れた人、感性に優れた人、みんなズルいです。これらを全部持っている人だっています。ザラに。そして、これらをまったく持っていなくて、何もかもから見捨てられた人だって当然ザラにいます。一方の極に巨万の富を持つ篤志家がいれば、もう一方には恵まれるだけの怠惰な貧者もいるでしょう。しかし、それは「そういうもの」です。私にとっては考えるまでもなく、お日様が沈んで月が輝き、また日が昇るくらいの「当たり前」です。
貧困が誰でも克服可能だと考える人は、やはり人間の限界を弁えていないと思われます。自分の人生が全部自分の意思ひとつでコントロール出来て、どうにでもなるという「幻想」を信じているのでしょう。振り返ってみて、「本当にそうでしたか?」「そんなに簡単に代えや修正が効きましたか?」「効いたとして、その代償は如何でしたか?」
生まれてから現在の自分に繋がる出来事が、自分を形成する上で「必然であった」と感じたならば、それは「他人」である「彼ら」もそうではなかったかと、一度考えて頂きたいものです。
時浦さん、ご叱責ありがとうございます。
論理と感情は分けなきゃいけないですね。それが大人の振る舞いだと思います。
禊というわけではないのですが、私はコメントの書き込みを1日1回に留めようと思います。
さて、生活保護の話ですが、ただ弱者の方にお金を渡すだけだと、弱者の方のプライドとか、生きる誇りを傷つけることにもなるのかもしれません。
自分で稼いだお金なら大切に使うと思うのですが、たとえ施しであれ、貰ったお金ってある意味、人を卑屈にしちゃうと思います。
だから単にお金を与えるだけでなく、人としての矜持を失わないやり方があるのかな、とも思うのです。
不遜な意見なのかもしれませんが、例えば天皇陛下が生活保護を受給している家庭をご訪問され、貧しい方々を労られる、みたいなことがあったら、例えば富裕層も貧しい人を救おうと背筋が伸びるし、貧しい人も矜持を持って施しを受けれるのではないか、と思うのです。
陛下のお気持ちを勝手に忖度するのはある意味不敬かもしれないし、実現可能なアイデアではないかもしれませんが、ただお金を弱者に与えるだけでなく、その背景にある精神というかエトスまで考えないと、この問題は解決しないかもしれません。
この場は例えばシールズみたいに異論を封殺する場でもないし、私の主張が的を外してる可能性もあるし、批判もあるかもしれません。
ただ安易に自分の主張を垂れ流すだけなら公的な議論のルールに反するとは思うのです。
色々、見苦しくない範囲で色んな方々のご意見を聞いてみたい気もします。
生活保護は必要だけど、最低賃金で働いている人より多くの収入を生活保護で得られる状態は以上です。
経済のグローバル化で貧富の差が拡大したためでもあり、生活保護のシステムに問題があるのかもしれない。
コメントの書き込み方を考えさせられました。ストレス発散のように、まるで叩きつけるように、書きなぐってしまう事が…、あります。宮台さんの言葉が、とても解りやすく、戒めにしているつもりでしたが、まだまだでした。感情の表現じゃあなく表出にならないよう、今一度、身を引き締めます。
m(__)m
お邪魔致します。
よしりん先生の「とと姉ちゃん」の戦時描写についてのブログ、読みました。
「民主主義という病い」と「戦争論」をテキストに読み解けば。
大東亜戦争中の(戦闘が在った沖縄を除く)日本国内はある意味、強大な権力(軍部)が民衆を「平定」して秩序が維持されている状態=「平和」だったと言って差支えないのではないかと思います。ただ言えるのは、「危険な(幾分かの)不自由」状態になっていた事は考えられます。
問題なのは、戦後にさらに強大な権力「アメリカ」の平定が上手く行きすぎ、大衆全てが「平和な自由」というものがこの世の中には在ると錯覚してしまい、それが現代に至るまで変わらず、年を重ねる程に強化されている事だと思います。
とりもなおさず「戦時中の民衆の描写」に戦後の「平和な自由」感覚を持ちこない(想像力ある作家なら可能だと思います)映画、舞台、テレビドラマが少しづつでも出てくれば、今生きる私達庶民の意識改革の具体的な力になると思います。
先生はコンピュータが苦手と仰られてましたが、個人差だと思います。
私も使っていますが、まだまだ分からないことだらけ。
山奥の村の80超えたおばあさんが摘んできた葉っぱを売るためにパソコンを駆使しているとテレビで放映していましたね。
車と同じだと思います。
今週も配信ありがとうございます。生活保護受給者バッシングの始まりは、リーマンショックにより派遣切りされ、仕事と住みかを同時に失った大勢の人を救う為に、同時与党だった民主党が受給要件を緩和して次々受給者にしたことから始まると思います。本来は同時に就業支援をするべきでしたが、後手後手になり、心身共に問題無いのに仕事が無く、当時はデフレで安く暇を潰せる場所があったため、暇をもて余した受給者がブラブラしている姿を街のアチコチで見かけるようになったためと思われます。この手の報道が出始めた時に対策を打てばまだ何とかなったと思うのですが、結局彼らは受給者ビジネスに取り込まれて「見えなく」なり、でもバッシングは変わらず現在に至る、ではないでしょうか。でも大量の派遣切りの発端は、小泉政権時の規制緩和。派遣業の緩和により、企業は雇用の安全弁よろしく工場勤務者等を次々派遣にしていったからです。やはり問題は新自由主義。先生の言う通りです。とは言うものの、野党が効果的な対策を出せないのも事実。ほんと参院選どうしましょう。棄権して、若者をたぶらかしている党が伸長するのも許せませんし…。
よしりん先生、早々とブログ書いていただき、有り難うございます。考えてみます。またQ&A出したいと思います。まず、『民主主義という病い』を読み切りたいと思います。ご報告遅いですが、よく行く蔦屋書店には、『新戦争論1』『卑怯者の島』の倍くらい『民主主義という病い』が積まれています。減っていくのを見て安心しています。
木蘭先生の『となりのおじさん孤独死事件』とうとう終わってしまいましたね。良質な映画を一本見終えた気分です。
あんな最期を迎える人が増えていくのでしょうか…。あんな最期を迎える人が少ないのが、良い世の中なんだと思うし、日本は、そんな国だと漠然と思っていたんだけど…あれが現実なんでしょうね。
アヅマさんの部屋から死臭が漂い、近隣の窓が一斉に閉まる場面や、隣の大家さんがアヅマさんの全財産が入った瓶を振る場面など、音がリアルで、臨場感が増しますね。窓を閉めるのが一瞬遅れて悲劇を招いたり、室外機かパイプかどこかに絡み付いていた匂いに再度やられたり、物語の主人公として一級品のもくれんさん☆ 『くさっ』としか読めないのが凄く可笑しかったです♪
ミエテル、大変だったでしょうね。きっと、あの日の数日前から匂いはしていたんじゃないかな。匂いから逃れる術も、あまり無いんじゃないかと思うし。数日間は、匂いが残っていただろうし。『チューチュートレイン』連続再生、気になりますね。男の所に身を寄せるとか、同じような条件の住まいが見つかればいいけど…。マーブルチョコ事件をすっかり忘れてしまえるのは、木蘭先生の度量の大きさですね。
また、モクレンヒメの身の回りで起こった神様物語を読ませて欲しいです。今回も、しっかり、神様が出ていましたよね。
ホント、もうクセになる面白さです♪
木蘭さんがこの数ヶ月間にルポしてくれて、更に、今号のライジングゴー宣でも紹介されている、
ライターの鈴木大介さんや、もう一方中村淳彦さんが、懸命に、そして克明に取材されている、
日本の貧困問題は、大マスメディアの切り口・現与党(保守派・サヨク含めて)の問題提起化は
極めて「悪意の有る意図的な誘導」に見えて来ています。
昨日も某読売新聞系の地上波で、アフリカ貧困啓蒙番組が放送されていました、
木蘭さんも先日から書かれていますが、国内の貧困が、くだらない諸事情により、
「キラーコンテンツ」で無くなり、海外の、特に日本から離れている、アフリカ大陸の救いようの無い飢餓や貧困に、
マスメディアや、下手をすると、政府与党が「国内問題・政策失敗の目を逸らす為」に、
海外悲惨物語を「キラーコンテンツ化」している様に感じます。
それはそれで、ひょっとしたら「仕方無し・国内の地域ごと・周辺部での現実の差」が壁として有り、
現実逃避からのニヒリズム、或いは自分以外の世界観が欠如している、
鈴木大介さんも書かれている様に「想像力の喪失」の問題が余りにも巨大なのかも知れません。
が、それより何より、結局は日本人が同じ日本人を「貧困による差別階級化」している様に見えてしまいますね。
高齢者や富裕層優遇措置が明らさまに進行し、それを推し進める加速させているのは、
実は嘗ての「中流階級」に見えて来ます、
舛添叩きは弱者(ヒエラルキーの)が弱者(更に下に位置するヒエラルキーの)を叩くガス抜きですが、
ひょっとしたら日本人島国根性が根底にあるからこそ、「不治の病化」しているのだとも思い知らされました。
日本人の9割は「お上(実権力者)に丸投げ思想」なのは、太古の昔から変わらない、
宗主が変わっても自分らは全て丸投げ思想なのでは無いかと感じると、
はっきり言って、絶望感しか出てきませんね。
最悪の現実逃避が現在進行形だと言う事に…まあ誰しも気が付いて居て、知らん顔なのかもですね。
3回目コメ終了します。
今回のゴー宣も大変勉強になりました。
生活保護の受給者は、それを必要としている人のうちわずか15.5%だという事実に衝撃でした。「景気はずっと悪い」「なんだか窮屈で人々の心に余裕がない」とは感覚としてありましたが、日本人が、真面目に生きていて貧困にあえぐ同胞に対してこれほど不寛容だとは…。その世間の空気に同調するかのように無慈悲な政策にも悲しさと怒りがこみ上げました。
巨悪への批判は早々と諦め、低コスト無リスクな弱者へのバッシングは、私的なガス抜きの為に嬉々として行い、その愚かさに気付きもしない今の日本人。飼い慣らされた豚と同じに見えます。
よしりん先生がブログ「コンピューターの基本が必要な時代」の最後で、「時代の変化によって、コンピューターも何の役に立たなくなる日が来ないだろうか?」とボヤいていましたが、今ではスマホの普及でパソコンを使うことが出来ない若者が出てきています。(レポートすらスマホで作成、送付するとか)
昔は新人が上司にパソコンの扱いを教えていました。今では上司が新人にパソコンを教えています。なんだか言葉遊びみたいですけども、実際そうなっているのです。
小林先生は簿記は役に立たない技術になったというけど、金の流れを正確に把握できるので子供の頃に義務教育として教えておくと良いと思うけど。
高知東生容疑者が逮捕されましたね。
しかも愛人と一緒に逮捕されましたね。
んで父の介護の為に芸能界を引退した?
ウソつけ!
父を介護せずに、エステの店を出し、愛人と一緒にシャブやってたんだから、高知東生は本当男として情けない!
今日の朝日新聞のニュースで【年金の運用損、昨年度5兆円超 GPIF公表は参院選後】とありました。
この話は、関西設営隊メンバーで、株式市場を現場とする人から事前に聞いておりました。
もっとヒドイ話だって聞きました。
私は、はらわたが煮えくり返って仕方がありません。
怒りに我を忘れる人間は醜悪です。
けれども、怒りそのものを忘れた人間は家畜になる運命だとも思っています。
政府が「公」ではない。
私は国民として「なめてるんじゃねぇぞ!」と、今の政府には敵対します。
私は自民党には投票しません。
道場ブログ「高島礼子の謝罪を見て思った」読みました。報道では「格差婚」という言葉が出てましたが、昔は格差があっても結婚出来た時代だったんだな、とふと思いました。今の時代では「格差婚」なんて、ほぼ無理でしょうね。
そもそも、格差婚という言葉は「男性が自分より収入や社会的地位が、圧倒的に高い女性と結婚する」という意味合いで使われてましたよね。格差婚はある意味、男尊女卑的な言葉ではないでしょうか。
僕は高知東生は、格差婚と男尊女卑で自滅したような気がしてなりません。高知の中では「男が女より収入や社会的地位が低いのはみっともない」という感覚が、根強かったと思います。芸能人としての地位や、収入では高島礼子に勝てない。それが段々彼女へのコンプレックスになり、経営を成功させる事で、彼女より優位に立とうと考えたのではないでしょうか。
結局、高知にとって自分より優秀でデキる女は重荷でしかなく、だからこそ、自分が簡単に支配できるバカ女と不倫して、クスリにまで手を出したと僕は考えてます。ただ彼が経営に成功しても、世間では「どうせ女房のおかげだろ」で片付けられ、彼の手腕は見向きもされなかったんでしょうね。
夫婦間の収入や社会的地位の格差が、未だに結婚の障害になっているんだな、と高知東生、高島礼子の報道を見ていて、考えてしまいました。
さて、予想通り誰も舛添のまの字も言わなくなりましたね、そんなものです。
大衆に「飽きられた」ので、この問題はこれで終わりです。また同じことを繰り返すだけでしょう。生保の母子家庭は怠け者と厚生労働大臣の身分で言い捨てた人間を「総理にふさわしい」とか言って「都知事」に祭り上げた大衆は、我が身を振り返ったりしません。
舛添問題の裏に隠れて、このひと月で大した問題にならなかったのは、
「米軍属の殺人事件」「三菱の燃費不正」「オリンピック違法献金」「原発汚染土再利用」
ですね。どれも非常に大きな社会的影響がある事件ですが、あとひと月もすれば、今年のことだか去年のことだかも分からなくなるでしょう。マスコミは「適当に報じる」という武器を持っています。ニュースとしてのランクが低ければ、誰も話題にしないので、どんどん忘れ去られる。逆に、大したことがない問題を大火事のようにふくらませることも出来る。彼らは意図的に放火と火消しを行っているわけで、いっそう罪深い連中だなと、このひと月で思いました。
逆に、ゴー宣道場は一見大したことないと思われる問題をきちんと扱うので、誠実といえましょう。火事場見物でも、うさばらしのデモでもない公論形成というものが目的であるからです。それは結局、根本で人間というものを信じるか信じないかなんでしょうね。
選挙報道でも全国規模の参院選より所詮はローカルな都知事選の扱いが大きいのも結局「大衆(とりわけ都内在住者)が興味あるかないか」で判断してるんでしょうし、アベちゃんとかの政府・与党もそのあたりを読み切ってるんでしょうね。国民もすっかり舐め切られたものです。
ちなみに先日期日前投票しましたが、あえて「ゲロ」の方にしました。確かに改憲のことだけを考えれば「ゲリ」の方がいいですしSEALDsも段々嫌悪感しか抱かなくなってきましたが、アベちゃんその他諸々のあまりにも大人げない「ゲロ叩き」(それに加えてそういう発言を批判しないマスコミ)にウンザリしてるのもまた事実でして。正直「ゲリ」に改憲されるぐらいなら「ゲロの中にも一応いる改憲派(例えば野田佳彦とか細野とか)」に期待するのもそれはそれでありかなと思ったので。
木蘭先生、今週も楽しく読ませていただきました!ありがとうございます。
死臭の描写に圧倒されますね、思わず眉間に皺を寄せ、呼吸を止めながら読み進めました。
以前、介護の仕事をやっていた時、エンゼルケアといって、施設で亡くなられた利用者さんの鼻等に綿を詰めたり、お化粧をしたりといったお手伝いをしたことは何度かありましたが、強烈な人の死臭を感じたことはありませんでした(死後何日も放置され、腐敗が進んでいたであろうアズマさんとは状況が全然違うので、当たり前ではありますが…)。ですが、読んでいて、死臭というものを自分なりに想像してしまいました。ほんのひと嗅ぎで本能を突き刺し、顔中のパーツが中央に集合して鼻腔防衛の肉壁と化すのも厭わない、そんな問答無用のヤバさを纏った臭い…。こ、怖わすぎ…。
『B級グルメから考える日本のかたち』を観ました。
先生がブログかライジングか著作で訴えていたようなことが言われましたね。
イミテーションがずっと引っ掛かっていましたけど、これ本当の意味を知ったら「民主主義者ども」は「発狂すること」間違い無しでしょう。
みんな「俺様よりいい暮らししているのが気に入らない」とは思いつつも、引き摺り下ろす機会を得ることが出来ないので今か今かと待っている状態なんでしょう。舛添下ろしなんかその典型でしたね。
しかし、現実には叶わないから「あいつが俺様を出し抜いて良い暮らしするのが気に入らない」と言う風になるから「生活保護叩き」や「弱者叩き」とかをするんでしょう。
江戸時代の身分制度みたいですよね。
上を見るな下を見ろと。
学校や社会や世間での弱い者虐めがなくならないのは、「絶対弱者に残された権利」なんだと思います。
車の免許取るのに大した規制がなかったり、車が平気で買えたりするのも、大衆に残された権利みたいなものなんでしょう。
消費者としての権利、移動することの出来る権利、戦後民主的に変えたと言うよりも「消費者に変えた」と言った方がいいのかもしれません。
近代以前は文字通り人々は「因襲に囚われた奴隷」だったのを国民に変え、今じゃ消費者になりました。
消費者としての権利意識が戦後から段々と肥大化していったのだと思いますね。
無論、企業やメーカーの不手際を責めるのは良しに越したことはないのですが、自分が買ってもいない商品に対してまでクレームを寄越したりするのはやりすぎではないかと思ってしまいます。
民主主義、と言うよりも今の国会前の狂騒とかって「消費者のクレーム」ですよね。
切通高森両先生の動画を観てそう思いました。
レンタルDVD店のカウンターで、「囚われの女たち」ありますかと聞いたらあるとの答え。しかしレンタル中とのこと。
内容の深さを知って借りている人が(男の人?勇気ある女の人?)いるのか!すごい!と勝手に解釈して後日また問い合わせることにしました。映画の大切さ、最近しみじみ感じます。ドキュメンタリーの「それでも僕は帰る」はすごく見たいのだけれど、もう上映はされないだろうしレンタル店でも今のところないようです。
DVDレンタル店も娯楽作品だけでなく、政治状況を伝える旬な作品をだくさん置いてほしいです。借りる人は一定数いると思うので。
少子高齢化のうち高齢化への抜本的対策は、真剣に姥捨山の合法化ではないかと思います。家族を殺人犯にしたくありませんから、私は姥捨山へ行くことを選択します。
やたらとテレビで小池百合子のことを“先出しじゃんけん”と言っていますけど、そんな言葉は無いです。汚くない人ってイメージにしたいのでしょうね。
よしりん先生のブログ「EU離脱は自然な愛国心の結果である」を拝読しました。
ニュースなどでは否定的な見解(といっても日本では例によって円高がー!・・ですが)が多いですね。私は遥か彼方のEUのことは分かりませんので、印象でしか語れませんが、日本になぞらえると、
「EU残留とは=サヨク的な、国家を超えた理想の世界に浸り続ける(実はアメリカに守られてるだけ)」
「EU離脱とは=自主独立(最大公は国家なのだ)」
という、ナショナリズムの発露だと思います。日本は何があっても現状維持、そして破滅まで流される性質ですから、イギリスは危ういところで踏みとどまった感があります。正直言ってうらやましいくらいだと思いますよ。
こんばんは。ライジングの配信ありがとうございますvv
舛添前都知事を辞任にまで追い込み生活保護を受ける人を自己責任とヒステリックにバッシングされてた潔癖病の方々には、普段その潔癖ぶりにふさわしい生活を送ってらっしゃるということをぜひとも証明していただきたいものです。
他人を偉そうにバッシングしていたのですから、お釣りを1円たりともごまかしたりしてない、授業または仕事中うとうとしてしまったこともない、さぼったこともないのでしょう。
実際そんな方いないんでしょうけど。
いざ自分たちが責められる立場となったとき、かつて自分たちが責めたてていた人たちのような見苦しい言い訳をする姿が目に浮かびます。
日本赤十字社のCMで「この何万㎞先ではアフリカの子供たちが貧困による飢餓に苦しんでいる」という内容のものを見て、その前に日本国内の子供たちの貧困を心配しろとめちゃくちゃ腹が立ちました。はるか遠くの海外の見知らぬ人々を熱心に救いたいのであれば、まず自国民を貧困から救うのが筋でしょう。衣食足りて礼節を知るのです。
何でも努力すれば解決できるのなら、誰だって受験のとき志望校に合格できたり金メダリストになれたり希望の会社に就職できます。
成功するためには才能・努力・運の全てが必要だと言われてる中で、一番鍵を握ってるのが運です。
漫画で言うなら作家さんがどんだけ一生懸命に描いた作品であっても絶対に受けないとされたものが大ヒットすることがあれば、絶対に売れると思われていたものが不評に終わることもあります。これは作家自身の努力ではどうしようもできないことです。
努力が報われず貧困層でもがく方々を嘲っている方々には、何もかも自分の力だけで成し遂げてきたという思い上がりが心のどこかにあるのでしょう。
桜井前事務次官が知名度が勝敗を大きく左右する都知事選への出馬を固辞し続けられたのは、自分の知名度の高さが芸能界という運が大きく左右する分野で成功した息子・翔氏によるものだと分かってらしたからだと聞きました。それを利用するようなことは父親として絶対にやってはいけないことだと分かってらしたがゆえの判断だったのではと思います。
【民主主義という病い】を買った日。
家にはすぐに帰らずに、外食をして、
喫茶店でコーヒーゼリーを食べながら読みふけりました。
庶民の私にとっては富裕層の気分です♪
妻はもう10年以上の付き合いですから、
『「小林よしのりの新刊を買った日」は夕飯はいらない』
と了解済みなのです。
小林先生の新刊発売日はスペシャルなのです。
って、そんな話はどうでもいい!!
高森先生と切通先生の「時事楽論」を拝見しました。
しかし【「民主主義という病い」の美味礼賛の意図】がいまだ分からないです (ToT)
答えが知りたいです!!(泣)
7月10日のゴー宣道場に注目します!!!
バングラデシュでテロが起きましたね。日本人が何人か被害に遭ったようです。
バングラデシュは親日国だったはずですが、そこで日本人がテロに巻き込まれるということは、中東の日本に対する態度が悪い方に変わっているという証拠でしょうね。
安倍ちゃんのバングラデシュ政府に対する要請はなんだか高圧的ですし、「断固抗議する」とは言っていますが、何処にどうやって?と疑問に思います。そもそもその抗議とやらになんの効果があるのでしょうか。9条で守られているという護憲派の言葉は子供じみた幻想でしかなく、矛となる軍隊も無いというのに。
今後もアメリカにしがみついてきたツケが色んな所で出てくるでしょう。今まで見ないふりしてきた海外のならず者たちとどう渡り合っていくのか、それが日本における早急の課題だと思います。
私だって誰だって交通事故やなんやらで、しかるべき社会保障のお世話になるかもしれないのになぜ「明日は我が身」と思えないのでしょうか。
そういえば小泉構造改革の時代には、改革の痛みはちゃんとセーフティネットを設けて引き受けるって話じゃありませんでしたっけ?それが今じゃ国民自身がナマポナマポ言って馬鹿にしているのですから、まあ政府にとっては都合のいい従順な子羊に見えていることでしょうね。
不正受給については個別にみればきっちり取り締まるべき事案ですが、割合で言ったら微々たるものだそうで、制度運営の観点では生活困窮者を救うためのコストと見なすべきでしょう。ましてそれを理由に受給基準を引き下げて、本当に必要な人に行きわたらないようでは本末転倒ですよね。
舛添問題もそうですが、タックスヘイブンで脱税(厳密には違うけど個人的にはこう呼びたいです)している傲慢で頭の良い富裕層はスルーで、弱そうな生活保護受給者を徹底的に叩きまくるのも、米軍特権には怒りもせず、在日朝鮮人には不正特権をでっちあげてでもいたぶる根性はまさに奴隷のものです。
昔は旅番組やグルメ番組では、視聴者は、嫉妬を煽られつつも、羨望の眼差しを向けざるを得ない様なものが多かったと思います。
今では芸能人の庶民アピール御用達のようなお店でちびちび飲み食いしたり、いかにも貧しい国で貧乏旅行してみせたりと言った、視聴者の目線をより下層かつ内向きにさせ、上を見てもしょうがない気分にさせ、健全(?)な嫉妬の感情を起こさせないようなものが本当に増えたと思います。
それはその方が数字をとれるから=世相の気分に合致しているという事で、格差社会の現実なんか見たくないし、まして上を見て「コンチクショウ」と思う気力すら削がれてるという事なのかもしれませんね。
それでも実存を求めなきゃ生きていけない人間だから、鬱憤は溜まってゆき、そのドロドロした感情をぶつける所といえば・・・。
『民主主義という病い』の美味礼賛の章。色々感想は尽きませんがテレビを見ながらちょっと考えてしまいました。
バングラデシュ・ダッカの事件はイスラム国系の犯行の可能性があると聞きましたが、昨年初めの安倍ちゃん総理の〝口だけマッチョ〟の結果なのではないかと思ってしまいます。ISの人たちは「日本人」を見ると憎しみが湧くようになっているんじゃないかしら。。(コワイ) コーランを暗唱できない人に危害を加えるって、なんて卑怯な。理不尽にもほどがあります。
日本国内でも、いつテロが起きても不思議ではないということが、現実味を帯びてきたような気がします。(が、その前に島根は今、ものすごい大雨。。)
配信ありがとうございます^^
何年か前に、母子家庭の親子が餓死しして発見されるという痛ましい事件があったことを思い出しました。
今回のゴー宣は、まさに「貧すれば鈍する」という言葉があてはまりますね^^;
「不遇な状況」にあるがゆえに、「他者に対する想像力」が欠落し、心無いバッシングに至ってしまう。
そのせいで、本当に手を差し伸べなくてはいけない人々に影響が出てしまうのは、何としても避けるべきですね^^;
それにしても、「貧困記事」に対してクレームをつける輩って・・・・
「しゃべクリ」は、写馬鶏さんMVPおめでとうございます^^
それにしても、柿野くんの舌の切れ方が、結構リアル(血の飛び方とか)で、ちょっと怖いお題でしたわw
名無し投稿は、ニセただしさんだったんですね^^
でも、作風から投稿者を割り出す、みなぼん・・・・いやいや、茶魔君の洞察力の高さは、素晴らしいですね~
「ザ・神様」、アズマさんの「最後のメッセージ」は、あまりに強烈でしたねぇ~^^;
いや~でも、その理不尽な状況すらネタにする木蘭師匠の「強靭さ」の方が、アズマさんの上を行ってると思いますよw
>カレーさん
遅くなって申し訳ありません。
ゴー宣道場、全国版への参加の件ですが、私も時間とお金の許す限り、どこへでも行きたいと思います^^
あくまで、「気持ち」の問題なので、行けないときは許してちょ^^
【業務連絡 関西設営隊へ】
本日は、8月7日関西ゴー宣道場の会場を下見し、設営のリハーサルを行います。
仕事や家庭やクラブ活動で参加できないメンバーもいます。
今までLINEグループを通じて準備してきたことを、全て確認しておきましょう!
≪会場のルール≫
①部屋の外には受付席をはじめ、物を置くことは禁止されている。
②部屋を引き渡す際には、テーブルやイスなど初期配置の通りに戻す義務がある。
まず、会場の設営は、テーブルを畳んで部屋の窓側に収納することから始まります。
そして【初期配置は12席×12列=144席】です。
つまり、
◆参加者が「144名以下」の場合は初期配置で対応します。
◆参加者が「145名以上~156名以下」の場合は【13席×12列】にします。
◆参加者が「157名以上~169名以下」の場合は【13席×13列】にします。
本日の下見では、参加者が「169名」と仮定して【13席×13列】の設営リハーサルを行います。
ポイントは、
◆1列ごとに1席増やす。(12席→13席)
◆真ん中を入退場の通路として空けておく。
◆1列増やすことで、後方の受付席や撮影席がスペース確保できるか確認する。
◆部屋の引き渡し時に、元に戻せるように「初期配置」を意識しておく。
(確か目印のテープが貼ってあったと思います。本日確認しておきましょう。)
関西ゴー宣道場は「来月」になりました。熱い夏にしましょうo(^o^)o
百万遍といえば地蔵盆、地蔵盆といえば8月、そして8月といえば「関西ゴー宣道場」が楽しみです(くどいようですが当選が前提)。会場は昨年同様、江坂でありましょうか。個人的には江坂駅構内の書店も良かったと思っているのでありがたいことです。
こんにちは。こちらには初めてのコメントになります。
ちょっと反論めいたことを書くかもしれませんが、お許しください。
相対的貧困率というのは、その名の通りあくまでも相対的な指標です。
この方式の場合、日本社会のような中間層が分厚くてその層の所得が大きければ大きいほど貧困率が高くなるという面もあります。
また、定年退職して所得はそれほどないけど、預貯金は莫大にあるというような日本の高齢者たちの実態は全く反映されません。
もちろんある程度の参考にはなるとは思いますが、そのまま鵜呑みにすることもできないものだと思われます。
このことは、様々なサイトなどで指摘されております。「相対的貧困率 嘘」といったキーワードで検索してみてください
以下は、私の個人的な感想になりますが…。
世界がこれだけグローバル化して、オートメーション化して、高齢化すれば、日本も社会全体の様相が変化していくのはある程度避けられない面も否めないと思います。
右肩上がりの時代と同じというわけにはいきません。
私は日本に「貧困」がないとは思っておりませんし、この問題を軽視していいとも思ってはおりません。
それでも、曽野綾子さんや、門弟のネトウヨさん(?)が、「絶対的貧困率」をもとに「アフリカに比べれば日本の貧困などたいしたことではない」と仰られるのも、理解できる面もあると思っております。
これは私が弱者に対する想像力がないという問題ではないと思います。
絶対的貧困率から言えば、日本の最下層20パーセントは諸外国の7倍の金持ちだというデータもあります。
「だったら貧困者は途上国並みに月5万円で生活しろというのか」と反論されるかもしれませんが、私は、小林氏や泉美氏が仰る、日本の「貧困」はそのような発展途上国の貧困とは様相が違うということ、一例を挙げれば「スマートフォンを持っている貧困」ということが、果たして言葉の定義として「貧困」と呼べるものなのか?このことが実感としてうまく飲み込めません。
たとえば、小林氏がブログでお書きになった
>シングルマザーで、二人の子を持つ母親が、子供を塾に行かせる経済的余裕がないため、頭がいい娘なのに、大学進学をあきらめさせなければならない実例も知っている。
2016/7/1「国のために貧困層を無視できない」より
この例は果たして「貧困」と呼べるものなのでしょうか?
このような例はけっして今に始まったことではなく、今も昔も枚挙にいとまがない例だと思います。
学力に応じて学費を相応に公的負担する奨学金制度もあります。が、もちろん全員に行き渡るものではありません。
しかし小林氏は「頭がいい子供」は「無条件」に全員の大学進学費用を公的資金で社会負担するべきだと思いますか。
以下はちきりん氏が、6年前に書いたブログですが、大変示唆に富んだ見解を示されています。
「貧困」という言葉そのものの定義の問題です。
「アフリカに比べれば日本の貧困はたいしたことがない」という曽野綾子さん等のご意見に、小林氏や泉美氏が齟齬を感じていらっしゃるのは、この定義の部分で噛み合わないからではないでしょうか?
http://bizmakoto.jp/makoto/spv/1003/08/news001.html
ここでちきんりん氏が仰る貧困の定義は私にとっては比較的腑に落ちるものでした。
ちきりん氏が仰る、これが満たされていれば貧困とは「呼べない」と思うポイントは以下です。(反対に言えば、どれかが満たされていなければそれは「貧困」と呼ぶべき状態だということです。)
(1)食料確保に不安がない状態
(2)プライバシーと一定の衛生レベルが確保できる住居があること。また、住居と生活様式について、一定の選択ができている状態
(3)家族形態、職業選択などに関する希望を、経済的理由であきらめる必要がない状態
日本の「貧困」の実態を議論するためには、まず「貧困」の定義についてお互いの認識を共有化する必要があると思います。「日本の子供はアフリカの子供のように餓死しているわけではない」という論者がいても、その相手に対して感情的に「想像力のない人だ」などと糾弾しても建設的な議論にはつながらず、あまり意味のあることとは思えません。
また、7月1日の同ブログでは、小林氏はこのようにもおっしゃっております。
>単に気の毒な人がいるという「ヒューマニズム」で語るのは左翼の人たちだろうが、わしの場合は違う。貧困層が拡大しすぎて、少子化が止まらないのをこれ以上無視していたら「国力」がなくなると言っているのだ。わしの動機は「ナショナリズム」なのである。国の未来のために、子育てのしやすい社会環境を整えるべきだと言っているのだ。
いかに先鋭的な新自由主義者であろうとも、「少子化を無視してはいけない」「子育てのしやすい社会環境を整えるべき」という意見に反論を唱えられる人は少ないと思います。
しかしながら、少子化は必ずしも「貧困」のみが原因で起きている現象とは言えません。様々なファクターが複雑に絡み合うこの問題は慎重に丁寧な議論をしなければならないものだと思います。このような問題に、「ゴーマニズム宣言」のいつもの手法で、仮想敵を見立てて「仮面ライダーがショッカーをやっつければ問題は万事解決」のような幻想(これはあくまでも私個人の「印象」を元にしたたとえ話ですが)を抱かせるように仕向けるのは、問題解決の糸口どころか、さらに分断を招くような事態にしかならないと思います。
大変失礼な言い方かもしれませんが、こういう大衆扇動のやり口はドナルド・トランプとかボリス・ジョンソンとよく似ていると思いました。扇動家の大枠の粗雑な言説で社会が一定の方向に舵取りしたあと、もう引き戻せない場所までいつの間にか来てしまい、大衆は途方に暮れてしまう。ところが、その張本人はいざとなると逃げてしまう。
今回のイギリスEU離脱騒動から感じたことはそういうことです。11月の大統領選挙でアメリカも同じような事態に追い込まれてしまわなければ良いと私は感じております。このような扇動家の例に小林氏を当てはめることは大変失礼かもしれませんが、率直に言って氏の言説からは彼らの手法によく似たものを感じてしまいます。
小林氏はゴー宣道場を開いたときに「3年で日本を変える。そこでゴー宣道場は終了させる。」と仰いました。それはこのような組織は、長期化すると、必ずその組織の存続そのものが自己目的化し、形骸化された「運動」に堕していくからだ、とのことでした。
すると、ちょうど3年目くらいの2012年衆議院選挙の際、小林氏は未来の党から出馬要請をされました。しかし、その要請は断られましたよね。もちろん、様々な事情もおありでしょうから、選挙に出ないからといって責められる筋合いがないことは重々承知しておりますが。
小林氏が最近もよく仰られている「わしの言葉には霊力がある」その小林氏の言葉に導かれて、現実が言葉を追いかけてくる。そういうことはこれまでにも何度もありました。しかし、小林氏はその霊力のある言葉を振り回し、その言葉の責任を取ろうとはしません。言いっぱなしで、扇動してそのままなのです。
最近、ゴー宣道場はカルト的な運動の場になりつつあるのではないか、というご意見がありましたが、残念ながら私も似たような印象を持っております。ゴー宣道場は創設当初の「志」からずいぶん離れたところに来てしまったと感じます。これは先述の通り、創設当初に他ならぬ小林氏が予言した言葉の通りでした。
ターニングポイントは、創設3年目の2012年12月に小林氏が未来の党からの衆議院選挙出馬依頼を断った時だったのではないか、と個人的には思っておりますが、いかがですか。
ともあれ、あらゆる政治問題はゼロサムの微妙なバランス上に成り立っています。「あっちが立てば、こっちが立たない」のです。その利害関係、バランスの中で最大限の調整をしなければなりません。
「貧困」についても、完全な「社会主義革命」を目指しているというわけでもない限り、もっとも大事なことはそのバランス、舵取りをどのような方向性で定めるかという微妙な問題に行き着きます。
それは政治家の役割ですが、小林先生が「政治家」ではなく「思想家」だからといって、
「わしは思想をしているだけなのだから」でそこを無視して理想論だけを語るのだとしたら、それは責任のある態度とは思えません。
大向こう受けを狙って、誰もが口はばかるような極端な論陣を張ればそれは耳目を集めるかもしれません。そして、フラストレーションの蓄積した大衆の支持を受けることもあるでしょう。しかし、それはポビュリズム(大衆迎合主義)と呼ばれるものに他なりません。
私は小林氏に、諸問題を解決するための手立て、そのヒントを「できるだけ具体的に」お伺いしたいと常々思っております。
そこを出発点にしなければ建設的な議論にはなりようがないのではないでしょうか。
PS
以上、私の書いたことに対するご批判は受け付けますし、議論の端緒になればこれほど嬉しいことはありません。
「感情的であること」を否定せずに、読者のエモーションに訴えかけることが小林氏の「言論」スタイルであることは重々承知しておりますが、できれば、本質的な話をせずに枝葉末節や個人攻撃で揚げ足を取ることはお控えください。
あくまでも書いている内容に対して、本質的な反論や御批判をいただければと存じます。
目的とするのは、「公論形成」のための建設的な議論であって、私は「敵」でも「スパイ」でもありません。小林よしのりの「コアファン」なのです。そこはお間違えになりませんように、くれぐれもお願いいたします。
今の日本人の「貧困化」の問題とは、アフリカ等の貧困国と比べて「まだマシ」とかいうことではなく、「以前の日本国民と比較して、今は不自由な暮らしをしている人が増えた」ということではないでしょうか。「現在、私の生活は苦しい」と思う人はかなり増えていると思われます。(違います??)
それを「貧困の定義」とか「住居や食料を(一応)確保できている」というレベルで論じるのは、単なる言葉遊びとしか思えず、意味もないと思います。(「意味もない」。これが大事) これを定義することで、生活が苦しい人が救われるのでしょうか。昔のように余裕のある生活をするのは「悪」なんでしょうか。。
現実に、地方都市などでは商店街が衰退していますし、日本全体で働く人々の雇用形態も不安定です。(80年代と「景色」が全く違う)
今と昔を比較して、私の実感としては、70年代~90年代初めとバブル崩壊~現在では、「日本人の豊かさ」にかなり差があるように感じます。
今の日本は、「一億総中流」「豊かな先進国」というイメージではなくなってしまいました。
。。というようなことを感じることは大切だと思うのですが。(なんとも思わないのなら仕方ありませんが)
*コメント2回目
やだ~~、もう、よしりん先生がブログ書いてるじゃないの。(早い。。)
私個人の意見ですが、最近はホントに感覚のズレた殺伐とした人が多い気がします。ネットの影響なんでしょうかねぇ。。
*コメント3回目
>>101
九州ゴー宣道場設営隊長のdaiです。shinkimuさんの主張、拝見しました。
shinkimuさんはゴー宣道場がカルト化、運動化してると仰られてますが、そうだとすれば僕はカルトの手先!設営隊員は信者だ!だとしたらヤバいので、現状どうか考えてみたところ、僕はそのような危険性は感じなかったので、安心して下さい!僕の印象は外からだけでなく、中に入って得た印象です。
現在、僕のもとに設営隊志願のメールが来ているところですが、当日参加出来るかどうか分からないという人が多いのです。ぼくですらそうです。組織運営の観点で言えば、当日どれくらい集まるか、計算が出来ないので、正直不安です。でも、設営隊員個々人のことを考えると安心、逆に万難を排してなどと言う人がいたら「もっと自分の現場こと考えようよ」と説教します。だって、そのような人を現場無視させたら僕はその現場に対して責任を持たなきゃいけない。やだよ~!無駄な責任は負いたくない。
つまり、皆ゴー宣道場よりも現場を優先してるということで、まあ、そんなカルトありませんよね。勿論、関西も現場が優先だと言われてるし、おそらく関東でもそうでしょう。というよりは、関東のそのような文化を関西や九州が引き継いでいるといったところです。
また、組織が長く続くと、組織の継続それ自体が目的になる、それはわかります。けど、逆に長く続いているからと言って、継続が目的とは限らない。玄洋社をみてもわかるように。では、ゴー宣道場はどうか?僕は思考を高めて現場に生かし、また、現場の状況をシェアして思考力を高めるそのような場だと考えています。だからこそ、現場を大切にするという文化が伝わってるし、現場から語れない者の言葉は響かないのです。
まあ、よしりん先生たちのいう貧困について、疑問を呈したのは門弟です。それだけ見ても洗脳とは程遠い状況だということが分かりますよね。
まあ、貧困については他国と比較するのは馬鹿だと思いますな。
戦前と比べても、日本人が必要するカロリーが大きくなったわけですから。その分、子供には食べさせてやれよ。になりますな。人権思想が一般化したわけですからな。
悲惨な「おしん」を見て泣けるのは、それだけ近代化になった証拠ですから。
近代化が進めば、貧困がよりピックアップされるのは仕方ないことです。
昔のほうが貧困だったのいうのもおかしな話ですなあ。
昭和ならば昭和の国民がイメージする貧困があり
その基準が上ならば貧困ではない!になりますよ。
だから、貧困というのは現代が基準なんですな。
芸人の母が生活保護を受けていた件をマスコミは「不正受給」と言いましたが、実際には違います。生活保護は「最低限の生活費ー収入」で受給額が決まるのですが、このうち収入をごまかして多く受給するのが「不正受給」です。尤も最初は芸人からの仕送りを隠してたという「不正受給」の疑いはありましたが、芸人は否定し、証拠もないわけです。
厳密に言えば「扶養義務不履行」といったところでしょう。けど、これは義務とは言え、強制力はなく、責任と言えば道義的なものしかないのです。
しかし、マスコミは「不正受給」という言葉を訂正することなく、芸人へのバッシングの中、うやむやにしてしまいました。
また、それを受けた政府の対応…。当初、僕は扶養義務調査が厳しくなるのかな?それは何か嫌だな…などと思っていたら、出たのが保護費10%カット…。正直、「はぁ~?」って感じ。一部受給者のしかも扶養義務の問題なのに、受給者全員に連帯責任のようにこのような決定が行われたことに今でも納得いきません!
結局、制度や運用の話などどうでもよくて、ただただバッシングできればそれでよかったみたいですね。
あと、先週のもくれんさんの記事への感想ですが、絶対的貧困が悲惨なのは少しだけなら想像力が働きます。よしりん先生も戦争論3でアフリカの子供が餓死する様をリアルに克明に描いてましたし、梁石日氏の小説「闇の子供たち」では貧困のために売られた子供たちがどんな酷い目に逢っているか描き出してました。でもそれでも、僕が日本の貧困家庭に生まれて、大学進学できず、派遣のまま結婚出来ずにいたら、世の中を恨んでいたでしょうね。
将来に何の希望も抱けず、明日の生活すらままならない、こういうのを「飼い殺し」と言います。今の貧困を一言で言い表すならそれでしょう。
貧困の定義は難しいけど、勝ち組が貧困の定義を決めている事が、この問題の本質から離している原因になっていると思う。
そもそも今の日本で下層にいる人々は自分の人生を、どう考えているのか貧困の定義を決めるためには聞く必要があるんだけえど、今の日本の社会は勝ち組と負け組を完全に分離して意思疎通ができず、勝ち組は意図的に彼らを無視しているから問題解決の糸口が出来ない。
よしりん先生のブログがえらい気合の入った内容で、どうしたのだろう?と思ったのですが、コメント欄を見て納得しました。真っ先に「どうしてこうなるまで放置していたんだ!」と思ってしまいましたが。
閑話休題、コメント主さんからご意見ご自由に、とのことなので。
先ず、「貧困」に対する定義からして、世間と隔離していると言わせていただきます。
「モノが有るか無いか」で考えているのが間違いであって、
「将来に希望が有るか」だと私は捉えています。
日本で少子化が進むのも、国民が貯蓄に励むのも、よしりん先生がアフリカの大家族に支援することを止めたのも、そこに尽きるのです。「スマホが有る貧困」というのは「スマホで誤魔化されている貧困」ということです。
次に、よしりん先生のやり方が扇動ではないかという点ですが、確かにそういった表現はあります。しかしそれは漫画家として、表現者として、大衆に訴える、権力者を批判するという点では正当化されるものです。これを表現の自由と言います。
更に、よしりん先生の意見が受け入れられるのは、それが単に過激なだけではなくて、膨大な資料と実感を元に組み立てられた、緻密かつ斬新なものだからだと私は思っています。 コメント主さんが挙げたちきりん氏のチンチクリンな思いつきとは格が違うのです。
長くなりましたが、以上に挙げた意見はゴー宣を正しく読んでこられた読者なら誰もが気付いている事だと思っています。
まあ、難しいのは貧困の定義が時代ごとに異なることですなあ。
戦前ならば大学に行けるのはエリートだけでしたしな。今みたいに大学に行けないから貧困には当てはまりませんなあ。戦前の貧困は文字通り餓死になります。
戦前か高度経済成長期を基準にするならば「家もある。テレビもある。スマホもある。どこが貧困なんだ?」になるわけですなあ。
それでも子供がカロリーを摂取できないなんか異常ですな。分かりませんが基準は厚生省が定めたやつでしょ?国は最低でも子供には基準値の栄養を摂取すせてあげなさいになりますなあ。
「給食しか食べれない」も曽野綾子みたいな見方をすると「給食を食べれているから文句は言うな。私たちの時代の弁当は卵焼きが贅沢品だった」になるわけですなあ。それを現代に当てはめること自体が無理だと気づきなさいになりますな。
近代化する=人権思想、個人主義が芽生える=贅沢になる。わけですからな。近代化を肯定化するならば貧困を解決しなさいになりますね。
靖国神社のみたま祭りに毎年行っています。
よしりん先生の雪洞を見に行っています。
昨年は初めて遊就館に入りました。
今年もよしりん先生の雪洞が見られるなら、とても嬉しいです。
いつも、たくさんの人が先生の雪洞を写真に撮っていきますよ。
Vol.182の配信、ありがとうございました!
前号のもくれん先生のレポートに引き続き、小林先生も貧困問題を採り挙げて下さりありがとうございました。ここ何年か、地方紙でも貧困や格差が採り挙げられており、かなり深刻に読んでいます。近年は学生ですら奨学金地獄に陥る者が少なくなく、こんな有様では国家崩壊に向けて一直線です。(+_+;
病気や怪我などでいつ貧困に墜ちても不思議ではない身ですが、普通に仕事や生活をしていても、無駄とされるものや余裕しろがどんどん削られていくのが実感できます。親の介護で大手企業を退職して苦しんでいる同業の友人や、正社員を解雇された知人もおり、世界的な飢餓と比較したり、生活保護を叩いたり、貧困や格差を楽観視する感覚にはとてもなれません。
悪い景気を良いと言ったり、貧困や格差を軽視したり、嫉妬や憎悪に狂う虚弱な粘着ネット民に通じるものを感じます。貧困や不寛容さと心の弱さは密接なのでしょうね。
おっとカワイイもくれん先生の『ザ・神様!』、「うええええん!」の可愛さに萌えました(笑) タナボタ草津温泉がうらやましすぎです。(^^;
アヅマさんの孤独死、画面越しに臭ってきそうな描写で、腐乱したイザナミさんに追いかけられるようなイメージでした。でもなんだか切ないですね。(T_T) 少々周囲に迷惑な人であっても、みんなで楽しく暮らせる寛容な社会であって欲しいものです。
そういえば近頃はすっかり見なくなりましたが、インスタントコーヒーの空き瓶に小銭を貯め込むのは、由緒正しい庶民の風習でしたね。
それにしてもミエテルさんは図太いですね。古い木造だと死臭は直上の二階にも容赦なく襲ってくるはずですが、大丈夫なんだろうか? ひょっとして、ラリってる?とり憑かれてる? などと妄想してしまいました。f(^_^;
「しゃべクリ」相変わらず面白いですね~!
僕は最近ネタ作れてないけど…。
うーん。Shinkimさんのご意見はなかなか「読ませられます」ね。
各論で反論も書いたのですが、冗長すぎるので載せるのは止めます。
端的に、指摘しておきましょう。高校生の時は、こういう文章書いていましたよ、私。
相対的貧困率は鵜呑みに出来ない、必ずしも少子化は貧困のみで起きていない
(鵜呑み・断定している前提の批判ですが、小林先生ももくれんさんもそうしてましたか?)
貧困の定義の共有
(定義の共有が価値観の共有とイコールである場合が多いのですよ。曽野綾子的な感性だと絶対的貧困のみが貧困で、小林先生は相対的貧困もいれるべきでしょ、と言う価値観の違いが定義の違いを生んでいるのです。)
あなたの言っていることで重要なのは「スマートフォンを持っている貧困は自分には飲み込めない」=相対的貧困の「定義」は自分の感性になじまない、がまず一つ。だったら、それこそを理路整然と説かなければなりませんね。自分の感性=定義こそが正しいのだと自信を持って述べられますか?重箱の隅よりも、そちらの方が実は「本質的」なんです。
まあ「スマートフォンを持っている貧困は自分には飲み込めない」ってのはわからないでもないですが、今は「ネットカフェ難民」もいるご時世ですからね。「金がないからテレビもないし新聞もとらない。でもネットはできるからそっちで発言してる」じゃ私から言わせれば「そもそもお話にならない」ですし。
切通さん
酒、やめないほーがいーですよ
体に毒です(私は飲まない人ですが)
いつもいい雰囲気ですね打ち合わせ
無礼者が一人ぐらいいた方が場がシマル
必要悪なり切通!
ベロンベロンの監督もいいですよ
関西道場、楽しみです
貧困の記事にクレームを言うという人たちですが、まさに「信じたいものしか信じない」、「自分の信じている情報だけしか見たくない」の状態なのでしょう。
私の周りには今そこまで明らかに生活に困窮している人はいないのですが(見せてないだけかもしれません)、想像力を働かせれば日本がどんな状況なのかある程度は理解できます。
これってある意味情報リテラシーなのかもしれませんが、私の家族も含めてそのような感覚は庶民なら誰しも自然に持っているものと思います。
「絶対的貧困率」がどうのこうの言っている人は、裕福な人たちが多いのかもしれませんが、想像力が無さすぎですね。
でも確かに貧乏人ほど貧乏人に不寛容というのはあるのかもしれません。人間は足を引っ張り合いたいのでしょう。
引っ張る足が見えない、とんでもなく遠くにいる人たちの足は引っ張れないから、せめて手の届く、すぐ近くにいる人の足を引っ張る。
それしか大衆の楽しみがありません。
何をやっても施政者には伝わらず、世の中は良くはならない。
こういったニヒリズムの弊害なのでしょう。
結局、将来に希望が持てないというのが最大の原因だと思います。
「努力は必ず報われる(ある程度は)」という世の中になってほしいです。
コメント欄でのコメント数制限は良いことだと思います。(こんなことを運営にさせてしまうのも情けないですが)
私はライジング本編と同じくらいコメント欄も楽しみに読んでいるので、ツイッターのようになるのは嫌です。
ネット上でも「公」の場はあるということですね。
スマホのある貧困に対する違和感。分かる気がします。でも子供の世界では、スマホは既に無くてはならないコミュニケーションツール。親ならよく理解しているので、友達が出来なかったら、いじめられたら、と心配して、食費を削って買い与える事は充分あり得る事でしょう。信じられない?でも、だったら何故、相対的貧困率、というものが定義されたのでしょう?厚労省がデータをとって開示しているのでしょう?通常の貧困の定義では理解できない事柄が、かなりの頻度又は数値で上がってきているせいだとは思いませんか?総理が国会で絶対的貧困率を持ち出すのは、厚労省の資料をちゃんと読んで無いか、格差の拡大から国民やマスコミの意識を反らす為のギミックなのではないでしょうか。なんて硬い事を言ってますが、私自身数年前、子供が高校に入学した時、クラスで一人だけガラゲーだったと聞かされ、ソッコーでスマホ買いに行った経験があるからなんですがね。落ち込んでる子供の顔見たら、ウチはウチ、なんて言えません。クラスのLINEグループに入れないと、通常の連絡だって回って来ないんですから。自分の時代の感覚で現在をとらえる事は、もはやムリです。
みんなコメントにカウント入れたりして律儀ですよねえ。
これでわたしは2回目でしょうけれど、思い立ったら、それでもカウント満タンになってしまった場合はお断りを入れるか、トッキーさんのツイッターに申し出をして書かせてもらった方がいいのではないかと思いますよ。
本当に重要なことを書くのであれば、ですが。
明日もあります。
発信するツールは幾らでもあります。
えぶさいとのメールアドレス、トッキーさん宛、ここのコメント欄、自身のアカウントからの発信、またはブログ、読者投稿、道場の感想など。
トッキーさんにツイッターでゴー宣などの著作物を読んでくれる人の呟きをリツイートしてみてはどうかという提案をしたことがあります。
反応は様々ですよね。
アマゾンや楽天での感想とか旧来でしたら2chとか、他にネットに散らばっているブログなどで行なわれる感想とか、ここでなくとも各地からの声は聞けると思います。
今回のライジングが「生活保護に潔癖を求める世知辛い世の中」ですが、
その内「コメント欄に潔癖を求める世知辛いライジング」になりゃせんか、と余計な心配をしています。
お邪魔します。ライジング配信有難うございます。
「ゴー宣」拝読しました。「生活保護基準の収入以下で暮らしている世帯」を基準とし、貧困を捉えると言う研究は知りませんでした。この視点は、「相対的貧困率」などの用語を用いるよりもより実感を得やすいと思います。そしてそれに該当する人が、こんなに多いとは驚きました。それなのに、実際に受給している世帯が少数とは再度の驚きです。これでは、社会の最後のセフティーネットとしては機能していないではないですか。憲法25条は空文化していると言われても仕方がないとさえ思います。
また、生活保護に「自己責任論」をむやみに持ち込むのは問題だと思います。余程資産に恵まれた人でない限り、自身や家族の傷病等で経済的に成り立たなくなる事は、誰の身にも起こり得る事です。一部の例を挙げて「自己責任論」をむやみに持ち出すのは偏っていると思います。生活保護バッシングがはびこるとは、本当にせちがらい世の中ですね。
「ザ・神様!」拝読しました。初めから結果は判っているとはいえ、とうとうアヅマさん亡くなってしまったのですね。毎回読んでいくうちに、変な親近感?のような錯覚を覚えて来ていたので、最後にアヅマさんの残したのが異臭とコーヒーの瓶一つというのが何とも…。何れ、世間は何もなかった様に忘れ去ってしまいますね。でもこうして、もくれんさんが文章に書いて、見ず知らずの人に読まれた事がせめて供養になればと思います。…って、これ実話ですよね???判らなくなりましたーーー。
高森先生のブログ【学術的な研究の為に】が面白くてお腹が痛いです!!
実は私、高森先生の「言い訳ネタ」と「自虐ネタ」の隠れファンなんです。
この「隠れ」ってところが、またミソです(笑)
あら、先生、「答え」を言っちゃいましたね。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
私の好きな詩です。何度も自分や人間や世の中が信じられなくなる度に、思い出します。
そっか
家にテレビがない高森さんは
貧困層か
バングラデシュの事件ですが、実行犯って22歳以下の若者が殆どで、かつ向こうでは比較的裕福な家庭で育ったようですね。
貧困者が即テロを起こすと言うわけでないのが今回の件で証明されました。
とは言っても、日本の左翼がテロを起こした時果たして彼らは貧しかったのかどうか疑問が湧きます。
左翼思想に被れる人ってブルジョワ出身者が案外多いんじゃないかと勘繰ってしまいます。
勉強できる裕福な家庭にいるから色々な思想を学べる、と言うことのようです。
さて、バングラデシュですが嘗てはインド帝国の一部だったことは記憶にあるかと思います。
先生の時代でしたら東パキスタンですね。
イスラム教徒が多いからイギリスが意図的に分割させたと言うことのようです。
パール判事は今のインドの西ベンガル州出身でしたがバングラデシュを構成するベンガル人と同じ民族のようですね。
皮肉ですよね。
世界は繋がっています。
嘗て、世界の半分を支配していたイギリスはその栄光は既に失われて今や中国に傅き、国土さえも2分割されそうになっています。
スコットランドは『マッサン』にも出てきた『国』でしたね。
それだけでなく、自分たちが押し付けてきたであろう文化で育った子孫達が一斉にイギリスに向かってテロリストになって混乱を引き起こしているわけですね。
イスラム国の広報だったジハーディ・ジョンはイギリスで育ったテロリストでした。
シリア兵の首をぶら下げて嬉々としていた子供はオーストラリア人でした。
オーストラリアも嘗てはイギリスの殖民地でしたね。
今でこそ緩い連合組織となりましたが、世界中に広めた英語がこうやって今じゃ牙を剥く状況になっているようですね。
イギリスは自ら押し広めたグローバリズムによって今度は自身が苦しめられているようにも見えます。
今年はお正月から貧困に関する本を数冊買って読んでいました。
親に「年明けからこんな暗い本ばかり…」とため息つかれるくらいに(笑)
今の世の中を知る為だけではなく、私は貧困が他人事とは思えなくて、
いつか自分もそうなるのだろうという意識から、気になってしまうのです。
読みながら頭の中でシミュレーションしてるのです。
今のところはなんとか生活できていますが、病気や怪我をすれば、
私もゴロゴロと最底辺に転がり落ちるでしょう。
知り合いに、生活に困ってる人がいて、「生活保護を申請してみたら?」と言ったことがあります。
その人は役所に行きましたが、冷たい言葉で追い返され、
何回か行ったものの、申請を諦めてしまいました。今は生活保護以下で暮らしています。
そんなことがあったので、私がそうなった時だって、
もらえないんだろうなと、とても不安に思っています。
【美味礼賛の章について】の答えが発表されて、スッキリしました o(^o^)o
答えをズバリ言い当てた久米さん、すごい、すごい♪♪♪
私は、【民主主義という病い】の美味礼讃の章については、
「みなぼんさんと、奥様と、最高級フランス料理の旅行!」
「嫉妬せざるを得ない!とにかく羨ましい!!それが庶民の本心だ!!」
とコメント欄に書いてしまいましたが、
それは健全な嫉妬の感情である・・・か、どうかはアヤシイです(笑)
『健全な嫉妬の感情』を掻き立てられるといえば、
【女について】という作品です!!!
7月29日に発売ということで、超・楽しみです!!!
嫉妬と羨望で、おおいにもだえ苦しむだろう。
あぁ、そんな小さな男だよ(泣)
コンチクショウだけが原動力です(^O^)
よしりん先生のブログ「スマホを持った貧困者はいると洞察する感性」を読みました。
先ほどご自身の好きな詩を紹介されていた方がいましたが、
私もある詩を思い出しました。
「だいたいお母さんてものはさ しいんとしたとこがなくちゃいけないんだ ~中略~ お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を持つべきなのだ 田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っている人は話すとわかる 二言 三言で それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい 人間の魅力とは たぶんその湖のあたりから 発する霧だ
早くもそのことに 気づいたらしい 小さな 二人の 娘たち」
鋭い感性ってこういうところから育まれるような気がします。
長々と失礼いたしました。
あっどうやら私…運がいいようです。週末楽しみにしてまーす。
配信ありがとうございます。
最近の世の中って、本当に『衣食足りて礼節を知る』という風に、どいつも、こいつも、人の小さい揚げ足取りばかりにやっきになって、本当にせちがらい世の中ですよね。
日本に貧困層はいないという話がありますが、『アフリカと比べればマシでしょ?』なんて言われたら『アホか!』と言わざるをえません、何で俺は36にもなって、昔なら小学生になるくらいの子供がいてもおかしくないのに、非正規雇用で、子供を作るならまだしも、結婚もできなくて、それでもアフリカの人に比べれば貧困じゃないよー・・・なんて言われれば、『お前、頭おかしいんじゃねーのか!?それより、お前の目玉はビー玉か!?アホマヌケ!!』とブチ切れざるを得ません、よく言われるんですよね、年上から『若いから、なんでもできるでしょ?』みたいな、それより自分くらいの年齢の人が、どうして正社員になれなくて、結婚できないか、そういうところには考えが巡らないのかなぁ・・・やっぱり、グローバリストって気がくるってるんだなぁー・・・
俺も数値とか、データがどうのこうのじゃなくて、先生が言われるように、『感性』の問題だと思います。現に自分を含めてたくさんの人が、自分たちは貧しいと感じているのが真実でしょう。スマホやゲーム機を持ってるから裕福?全然ちゃいまっせ!物質的な豊かさではなくて、心の豊かさを見なくてはいけない、それが西郷隆盛も言ったことなのに、それを見て見ぬふりをしてるのは、まさにカルトとしか言いようがない。
後、先生の意見に真向に反対する意見があっても、それを茶化しても何にもならない。その人が、それを自分の『悪』として、引き受けるならそれでいいじゃないか、やばくなったらコメント消して『俺はそんなこと言ってない』とばっくれる人間より、よっぽど好感が持てるし、それでもその意見を変えてしまえというのは言論の弾圧であると、先生もおっしゃってましたし、宮崎哲弥氏が言ったように『自分の気に食わない意見でも、それが潰されるくらいなら、守るほうを選ぶ』我々はこういう姿勢は大切ではないでしょうか?
ゴー宣はカルトじゃない、思想なのだ、カルトに堕ちるくらいなら、とっくの昔に堕ちているよ
それでも、これほど多くの人が正気を失わずについてきているのは
思想しているからなのだ
生活保護の受給者でもスマホを持ってる人は結構います。けど、固定電話を持ってる人は少なくなってます。
もはや、スマホではなく、固定電話を基準に考えるべきかもしれません。
強気を挫き弱きを助く、この精神が長い奴隷生活の中ですっかり消え失せ、
強気にへつらい弱きを叩くという、何とも情けない構造になってしまいました。
弱きを叩いても結局それは今自分が叩かれていないだけであって、叩いたらいずれ自分にも番が回ってくる、ということがわかっていないのかもしれません。
自分で自分の首を絞めているだけなのですが。本当に世知辛い世の中になってしまいました。
英国のEU離脱について頭から離れない考えがあります。
(本当は国民投票にかけることなく国会で主体的に選択されるべき事柄だと思いますが。)
将来、日本で核兵器を所持するか、所持しないかという国民投票があり、核兵器を所持するが選択された時、今の英国への世界中のマスコミ、人々の反応よりも遥かに強い感情が日本に向けられることになるのではないか、
その強い感情を受けて、日本人がすぐに意見を覆すのではないか、と考えた時に体温が下がりました。
核兵器の所持という国民投票じゃなくてもいいのです。国民投票でなくても、国会で議論され決定したことでも、それを外圧によって抑え込まれてしまうことが現実にあり得る。
国民が民主主義で主体的に選択したことすらも、民主主義によって否定されてしまうということになる。
そう考えると何と民主主義は残酷なんだと思い至りました。
不思議だ……。「くさつ」が「くさっ」にしか見えない……!!
病が明確に表れると小林よしのりは読んでいたのですね(笑)!!
笑い事ではなく本当に恐ろしいですけどね!!
今週もありがとうございました。
次号も宜しくお願いします
よしりん先生のブログを拝見しました。何も考えずに短絡的に結論を出したらスマホを持った貧困者なんて想像できないと思います。どれも元々は贅沢品ですから。
熱中症になる恐れがありますが、エアコンはなくてもやせ我慢をすればまだ何とかなるかもしれません。しかし、車やスマホは金持ちだけの玩具ではないです。どちらも仕事で使う人がいます。ローンや保険や下取りがあります。スマホは何年縛りの割引制度もあります。裏を返したら、貧困者を拘束する道具になる可能性もあります。ただし、便利なので活用できたら無限に可能性が膨らみますから、けしからん存在だとは思いません。想像しすぎたでしょうか?
いつも楽しく拝読しています。
深夜から早朝に掛けての、ゴー宣道場当選メールの仕事、おつかれさまでした。
本日は、昨日から一変し、涼しい1日となりそうで、一息つくにも、恵まれた日になるかも…と思っています。
今週も、配信ありがとうございます。
木蘭先生がブログで紹介されていた映画「帰ってきたヒトラー」を観ました。新宿の映画舘でしたが、満席に近いくらいの客入りでした。ヒトラーについてほとんど知らないのですが、本物っぽさは充分伝わりました。総統と人々との絡みが虚実入り乱れた感じだったり、劇中劇もあったりで、観客を物語の中に引き込むような、誰もが当事者と感じさせるような、見応えある内容でした。現代のテレビ番組に出演し、堂々と演説するヒトラーに、聴衆が一発で魅了されていく姿、そのキラキラした瞳を見て、これが思考停止に繋がるんじゃないか?と思いつつ「ヒトラーちょっとカッケーな」と思ってしまった自分もいて、他人事ではない恐ろしさを感じました。「民主主義という病い」でも触れられていた「民主主義からヒトラーが生まれた」という事実に、深く納得させられた映画でした。
弱者は、同じ弱者に対して厳しくなりますよね。思い当たるふしがいっぱいあります。だから弱者のままなんだと思うときもあります。強者には、いい様に利用されるし。
辛い経験や悲しい経験を積んでいて、それを何かのせいにしている人って、いつまで経っても他者に不寛容だけど、自分に引き寄せて受け止めている人って、他人にも優しくなれる気がするのですが…、どうだろう。
石原慎太郎が自分の快楽の為だけに使ったお金や、大企業が本来払うべき税金があれば、ほんのささやかな幸せをただ望んでいるだけの人が、一体どれだけ助かるんだろうと考えました。
安倍晋三のような、弱いクセに強者のフリばっかりしたがる人間が、決める立場を手に入れると、本当にロクでもない事ばっかりやらかすんだなと思いました。
こんにちは。
小林先生直々よりすぐにお返事をいただけたようで感謝いたします。
私の「承認欲求」は満たされましたよ。(笑)
しかし、残念ながら、拙稿で申し上げさせてもらいました、
「(ご批判は受け付けますが)本質的な話をせずに枝葉末節や個人攻撃で揚げ足を取ることはお控えください。」
というご要望にはお応えいただけなかったと感じました。
まず、私が申し上げました「スマートフォンを持つ貧困」について、「感性」「洞察力」の劣化などと仰られていますが、
私がいつ「感性」や「洞察力」の話をしましたか。
私は「貧困」について議論をするなら、その相手と「貧困」の定義について共通認識を持たなければならない、と申し上げたのです。
議論するにあたって前提条件が全く共有されていなければ議論になりようがないですよね。
「スマートフォンを持つ貧困」「自動車を所有する貧困」「クーラーを持つ貧困」あるいは「パチンコに通う貧困」もあるかもしれませんが、
救済されるべき「貧困」その線をどこに引けばいいか、まず合意形成をすることが必要なのではないかと申し上げたのです。
「感性」とか「洞察力」といった曖昧なものをベースにして議論はできませんし、話が噛み合うわけがありません。
また、そのような心許ない議論では、何よりも、「救済されるべき」貧困者を捕捉し、救済することはできません。
(議論の目的は、何よりもそのことですよね。)
小林先生のお話は小林先生独自の「感性」と「洞察力」に基づくもので甚だ曖昧なものだと思います。
たとえば、
「食料確保に不安がある6人に一人の子供達がいる」
「住居と生活様式がとっくに崩壊していて共同体が壊れているがために孤立している者たちがいる。介護殺人も増える一方だ。」
「家族形態や職業選択などに対する希望を経済的理由で諦めねばならぬものがいる」
「少子化が「貧困」のせいで起きているのは明らか。」
こういう事例が全く皆無だとは私も思いませんが、問題にしなければいけないのは、それら小林氏のおっしゃる現象が「貧困」に起因するどのくらいの「規模」と「範囲」で実際に存在するのか、
という具体的な「事実」に他なりません。
なによりもその「根拠」を示されなければなりません。(相対的貧困率というものがかなり怪しい指標だということは前に申し上げました。)
たとえば、「食料確保に不安がある6人に一人の子供達がいる」という場合、それが本当に貧困によるものなのか、親のネグレクトによるものなのかということも慎重に見極められなければなりません。
従軍慰安婦の問題で、「日本軍にさらわれ暴力で強制連行されたものがいる」
という左翼側の「感性」と「洞察力」に基づく甚だいい加減なお話に、議論をするためには、まず「根拠」が示されなければならないと強く反論されていた小林先生が、
この問題ではすっかり「マイノリティ憑依」になってしまい、かつての左翼のような杜撰な議論をしているのが不思議に思われてなりません。
>わしは「3年で日本を変える」と言ったが、それは不可能だった。
保守派がこれほどまでに馬鹿とは思わなかったのだ。
人をまだまだ信じすぎていたし、絶望が足りなかった。
前稿で申し上げたように、私は「アンチ」ではないのです。
小林先生の「コアファン」です。
コバンザメとかストーカーのつもりはありませんが(笑)
小林先生のお書きになるものは今も楽しみながら拝読しています。
ただし、小林先生の政治的なお話はどうしても「極論」ですから、いくら私のような「コアファン」でも相容れないことはあります。
利口な人ならそういう時は余計なことを言わないでじっと黙ってるのかもしれませんが、私は利口ではないので、
当然、今回のように「それは違うんじゃないか」と申し上げることはあります。
全然違うと思えば「全然違うと思います」と申し上げることもあるでしょう。
バカですから。
ゴー宣道場という場所は、そもそもはそういう場所だったと記憶しております。
創設当初に当時の師範だった宮城先生が作成された「道場心得」にはその第一条に
「道場とは切磋琢磨の場である」とありました。
「道場はお客様ではなく、志高き共同作業の場所である。礼節を守りながら互いの向上のために議論をし合おう」
との旨が書かれていたはずです。
「できるだけ空気を読んで師範への批判めいたことは言わないようにしよう」
とはひとことも書いていなかったと思います。
ひとつお聞きしたいのですが、小林先生のお考えになる「公論形成」の「公」とは、どこからどこまでの範囲を指すものなのでしょうか。
まさか、「小林よしのりファンクラブの内輪のみ」ということではないですよね。
当然この「日本国」全体の範囲を考えていらっしゃるのだと思います。(世界全体ということではないとは以前に仰っていましたが。)
となれば、たとえば、「貧困者は救われなければならない」と小林先生が主張されて、
それを「公論と為すべき」と考えたなら、まず話をしなければならない相手は誰でしょうか。
あうんの呼吸で何を言っても理解してもらえる内輪の仲間でしょうか。
ワインを飲みながらそういう人たちとだけサロン的に話をしていれば万事よろしいですか。
それは違いますよね。
話すべき相手は「話のまったく通じない相手」でしかないのではないでしょうか。
それは何を言っても通じないでしょうし、疲弊もするでしょうし、徒労感に打ちひしがれることもあるかと思います。
しかし、それを忌避していては、永久にコップの中の議論、議論のための議論にしかなりません。
以前の小林先生は、それを恐れずに敢然と立ち向かっていかれましたよね。
「従軍慰安婦問題」で、左翼5人と、小林先生がたった1人で討論するテレビ番組がありました。
今のように「従軍慰安婦はでっちあげ」と知られるより遥か昔の、社会が今よりずっと左巻きだった時代の番組です。
その番組は今でもYouTubeで見られます。
その時の小林先生はかっこよかったです。
全く話の噛み合わない左翼論者に取り囲まれた完全アウェイのスタジオで、
「わしがどうしても納得できないのは、あなた方はどうして、そうやって自分の祖父世代を侮辱できるのだ!」と、
「真実だけが持つ」火のような迫力で相手をねじ伏せていました。
5人の左翼たちは最後は完全に負けを認めていました。
私はその奇跡のような瞬間を見ました。
ところが、その小林先生が今はどうでしょう。
異論があり対談を申し込む論者には、自分のフォロワーに囲まれた道場のフィールドに来ることを要求し、
それを断られると誹謗中傷とともに対談を断ってしまう。
意に沿わない相手にはすぐに、「相手はバカだから話が通じない」と片付けてしてしまう。
内輪の人間かと思っていた人間に反論されると、
「裏切り者」「スパイ」「アンチ」「ネトウヨ」とレッテル貼りをして誹謗中傷する。
ファンから批判されれば、
「嫌いなら読まなければいいのにストーカーなのか?」とまで言われてしまう。
これでは、誰も何も言えなくなってしまうのは当然ですし、心ある人は離れていってしまいます。
それが「公論形成」を志す者のふるまいとして正しい態度でしょうか。
「カルト」という言葉の意味は別に「サリンをまく団体」という意味ではありません。
ググってみますと「特定の対象を熱狂的に崇拝したり礼賛したりすること。また、その集団。異端的宗教。」とありました。
率直に言って、現在のゴー宣道場はまぎれもなくこの語義通り
「小林よしのりをを熱狂的に崇拝したり礼賛したりする異端的集団。」
になっていると私は感じます。
仮にそれは言い過ぎだったとしても、少なくても小林先生がおっしゃるような「熟議」の場ではないです。
言うなればサロン的予定調和の場ではないですか。
少なくても外から見る限り、そのことを否定できる人は少ないのではないでしょうか。
これを言えばまた激怒されるかもしれませんが、議論の打ち合わせとしてイタリア料理店でワインを飲みながら師範方が打ち合わせ、師範の一人は酔っ払って狼藉をはたらく、
別の師範は「小林先生また連れてってくださいね」と公私混同を意にも介さない。
そのあらましを平然とブログに上げていたりします。
こういうことを何の気もなくブログに上げているのが信じられません。
私は何もピューリタン的に真面目にやれというつもりはありません。遊び心もいいでしょう。お酒を飲みながらも悪いとは言いません。
しかし一方では、門弟だろうと誰だろうと問答無用で切り捨てるようなことをやりながら、少々タガが外れてはいませんか。
「切磋琢磨の場」というのには程遠い不真面目さだという気がします。
やはり、長く続けすぎたのではないですか。
名著『脱正義論』の中で「運動」というものは必ずそのように堕落していくものだ、と喝破されていたのは
他ならぬ小林先生自身だったのです。
同じ話を何度もするのは誠に恐縮ですが、最後に大事なことを一点。
小林先生にご意見を申し上げるのは、ただゴマをすっているだけの人間より、はるかに深い「感性」と「洞察力」で小林先生の書くものを感じとっている者たちです。
私が申し上げた「コアファン」というのはそういう意味です。
そのような本当のファンは、今でもたくさんいます。
沈黙している者も多いですが…。
怖い存在だと思いますよ。それは当然です。小林よしのりのファンなのですから。
そのことだけは肝に銘じてお忘れになりませんように。
そして耳に痛いからといってそのようなファンのことだけは決してないがしろにはされませんように。
僭越ながら最後に申し上げさせていただきます。
数々の非礼な言葉をお詫びいたします。今後もお体に気をつけて、末永くご活躍してください。私は小林先生に受けた恩を今でも忘れてはおりません。
Shinkimuさん、あなたが誰かってことは、もうわかってますよ。
コメントは簡潔にお願いします。
こんな、いい歳して幼稚なプライドをむき出しにしただけの、長ったらしい素人の文章を、誰が読むと思ってるんですか?
今度は「コメントは何文字以内で」なんて規制をつけ加えなければならないんでしょうか?
>>145
>ところが、その小林先生が今はどうでしょう。
異論があり対談を申し込む論者には、自分のフォロワーに囲まれた道場のフィールドに来ることを要求し、
それを断られると誹謗中傷とともに対談を断ってしまう。
意に沿わない相手にはすぐに、「相手はバカだから話が通じない」と片付けてしてしまう。
内輪の人間かと思っていた人間に反論されると、
「裏切り者」「スパイ」「アンチ」「ネトウヨ」とレッテル貼りをして誹謗中傷する。
ファンから批判されれば、
「嫌いなら読まなければいいのにストーカーなのか?」とまで言われてしまう。
もしかして、このコメントをお書きになった方は「あの方」なんですか??
。。はぁ、そうですか。。(長いけど読みやすい文章なので、思わず全部読んでしまったわ)
しかも、「本当に主張したいこと」は貧困問題ではなかったのですね。。。
文字通り、父親に見捨てられたと思った子供が駄々を捏ねているように見えますね。
前回もですけど文章が長すぎてどこからどうツッコんでいいのか困りますね。
まあ一応「あの方」と断定するのは今の段階では私は避けますが。
自分のブログにでもアップすれば…、と思いましたが、なるほど、ここに書くことで「小林よしのりの取り巻き」に不信の芽を植え付け、その力を剥ぎ取ろうと考えたのですね。いわゆる、ステルス攻撃。頑張りますねぇ。
>小林先生にご意見を申し上げるのは、ただゴマをすっているだけの人間より、はるかに深い「感性」と「洞察力」で小林先生の書くものを感じとっている者たちです。
私が申し上げた「コアファン」というのはそういう意味です。
そのような本当のファンは、今でもたくさんいます。
沈黙している者も多いですが…。
怖い存在だと思いますよ。それは当然です。小林よしのりのファンなのですから。
そのことだけは肝に銘じてお忘れになりませんように。
そして耳に痛いからといってそのようなファンのことだけは決してないがしろにはされませんように。
。。。これって脅迫??
本当は先生に政治家として立候補して欲しかったのでしょう。
だけど、断った。
それで「彼」は幻滅したと。
女に振られ続けた男に、「アフリカでは結婚年齢まで生きられない子供が多いんだぞ!」と言っても説得力ゼロ…ってことですね。そんなこといわれてもここ、日本だし…。以上、久々の沈黙を破って、私の実体験からお送りしました(笑)
成る程、駄々をこねるわ不安を煽って振り向かせようとするわ、スパイかと思っていたらそれより遥か下の典型的な甘ったれストーカーですね。その内「死ぬ死ぬ詐欺」でもやらかしそうな雰囲気です。
迷惑極まりないですからさっさとゴー宣に見切りをつけて欲しいものです。出来ることならこの世からも。
連載中の【大東亜論】読みました!
宮川太一郎の「男」を推察する頭山満は「男」だと思いました。
本当の強さと、本当の優しさを持たなければ、男は「男」になれない、と感じました。
配信ありがとうございます。
仕事が忙しくて、ろくに書き込みもできない、
つぼきちです。
日本の貧困は悲惨な段階に入っているなぁと心から思います。
うちの図書館に勤めている、非常勤の女の子なんか
アパートで一人ぐらししていますが、
つい最近まで、生活するために借金していたくらいです。
女性が独り暮らしできないくらい悲惨な世の中が今の時代です。
私の友人のシングルマザーなんか、
一人っ子を介護職の日給月給で育てています。
その子供は、岩手でも上位に入るほどスキー競技が得意なのですが
スキー用具すら満足に買えず、苦しんでいます。
装備の差で負けることがあるかもしれません。
彼女たちは、能力が劣っているとか、自己責任で貧困に落ちたのでは
なく、明らかに、政府の政策で貧困層に落ちぶれました。
昔は年功序列で、会社は社員のものでした。
ところが今では、会社は株主と経営者のものです。
そこに悪徳コンサルが入り、人切りに非正規化するでしょう。
私は公務員ですが、人事評価制度が平成28年度から
政府の法律としてはじまりました。
人事評価は成果主義ですので、絶対評価が基本です。
ライジングの皆さんにはもう明かしましたが
私は精神障碍者2級の精神障碍者です。
成果主義と絶対評価のみで評価されたら、
給与が減らされ、降格させられ、いずれ解雇でしょうね。
そうなれば、生活保護や障碍者年金で食いつなぐしかありません。
今回の小林先生の論文は、他人事ではありません。
よし!
文字数制限が発動された時のために
できるだけみじかーーーーい文章で
できるだけ分かりやすーーい表現で
そして中身のあーーーーーる内容で
そっかぁ
川柳をやっていた人達って
随分先取りしてたんだなぁ
みんなどこいったんだろう
(ID:42680999)
配信ありがとうございます。