(号外 2015.01.13)
「フランス新聞社襲撃事件:『表現の自由』を原理主義にするな!」小林よしのりライジング号外
(号外 2015.01.13)
ゴーマニズム宣言
「『表現の自由』を原理主義にするな!」
フランスの週刊新聞襲撃事件に対しては、朝日から産経まで「表現・言論の自由を守れ」の大合唱である。
世界各国が連帯してアルカイダ系のテロ集団を非難し、新聞社に同情している。
だがわしはその反応に居心地の悪さを隠せないのである。
フランスという国が、根本的に日本と価値観が違うということはわかってはいたが、こうも露骨に違うと確信できる日が来るとは!
一年前にパリに行っていて良かった。今からは危なくてしばらく行けない。
襲撃された「シャルリー・エブド」は、2006年に物議をかもしたイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことで有名な新聞で、その後も「言論の自由」を掲げ「タブーなしの編集方針」を貫くとして、イスラム教をパロディ化する風刺画を載せてきた。
襲撃犯はそんな同紙の編集会議に押し入り、「預言者のかたきだ」「神は偉大なり」などと叫んで銃を乱射、編集長や編集関係者、風刺画家など12名を殺害したのだった。
それにしても、宗教のパロディは「表現・言論の自由」の名の下に、無制限に許されるものなのだろうか?
確かに日本人は宗教のパロディをタブー視する感覚がゆるいようで、イエスとブッダが俗っぽい若者となって下界に現れ、安アパートに住んで日常を送るという、ほとんどナンセンスなギャグ漫画がヒットするほどだ。
だがそんな日本でも、イスラム教のパロディだけは許されない状態になっている。1991年には、ムハンマドを題材にしたイギリスの小説『悪魔の詩』を翻訳した大学助教授が殺害され、犯人は未だ明らかになっていない。
上述の漫画でも、様々な宗教をネタにしているにもかかわらず、イスラム教に関しては言及すらしていない。
怖いからイスラム教に触れるパロディはやらないというだけのことなら、日本人はすでにテロに屈しているということになる!
フランスでは、「言論の自由」が最高の価値だという。
1月9日の産経新聞1面コラム「産経抄」は、やたらとフランスを称賛していた。「フランスといえば、『自由』『平等』『博愛』を国の標語としている」「何より3つの標語を守るために、戦いを恐れないのが、フランスである」とした上で、「『イスラム国への攻撃に参加すれば、標的になってしまう』。こんな声が識者から上がるような、ヤワな国ではない」と讃えるのだ。
一応言っておくが、「博愛」は誤訳であり、正しくは「友愛」、もっと厳密に言えば「同胞愛」である。
こんな時だけ産経新聞はフランスを賛美するが、イラク戦争にフランスが反対した時には、ボロクソにけなしたことを忘れたのだろうか? このご都合主義がすさまじい。
要するに、親米ポチ派にとっては、アメリカと歩調を合わせているフランスは大好き、アメリカに逆らっているフランスは大嫌い、ただそれだけなのだ。
産経新聞はフランスと同調して、「言論の自由」を最高の価値であるかのように主張しているわけだが、わしはそこに違和感を覚える。
そもそも「言論の自由」を、最高の価値にしてしまっていいのだろうか?
ネトウヨに「言論の自由」を許した結果、行き着いたのがヘイト・スピーチではないか。
ヘイト・スピーチまで「言論の自由」を盾にして守ってはいけない。やはり公共の福祉に反するような言論は許されないのだ。
そうすると、イスラムの側の論理もわかる。彼らの公共に関わることまで愚弄してはならないのである。
日本でも何年か前までは、天皇陛下や皇室を侮辱する作品が発表されると、右翼団体が出版社に圧力をかけたり、襲撃したりしていたものだ。
もちろんテロは法的には許されないのだが、天皇を敬愛する者からすれば、何も知りもしないで、偏見だけで天皇を侮辱するような行為を許せないと思う。その尊皇心は否定できない。
皇后陛下を失声症に追い込んだ週刊文春のデマ記事だって、「表現の自由」で許される範疇を超えていた。なにしろ「言論の自由・表現の自由」を持たない皇室に対して、デマで非難していたのだから、「表現の暴力」である!
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コメント
コメントを書く(ID:19289646)
このフランス新聞社襲撃事件の発端となった風刺画のように天皇陛下が侮辱されれば、天皇陛下を心から敬愛する方々は怒り狂うでしょう。
ですがこのようなテロをおこせば、陛下は心から悲しまれ自らを侮辱した者たちにも心からの哀悼の意を表されるのではないでしょうか。
陛下を心から敬愛しているのであれば、陛下が悲しむようなことを決してやってはならないのです。たとえそれが陛下を想っての行動であったとしても。
それは陛下のお気持ちを踏みにじる、陛下を軽んじる行為の何物でもないからです。
ドラマ相棒の昨シーズンの放送の中に、このような右京さんの台詞がありました。
「人は不当な目に会った時最もしてはいけないのは不当な方法による復讐です。何故してはいけないか分かりますか?それはあなたが最初に受けた不当を誰も不当だと思わなくなってしまうからです。それどころかやっばりそういう人間だったんだとあなた自身が思われてしまうからです」
もし今回の襲撃事件を引き起こさず手段を選んで抗議をすれば新聞社や風刺画家のしたことは表現の自由などではなく、ムハンマドを侮辱しているだけの行き過ぎた表現の暴力だと広く認知させることができたでしょう。
ですが事件を引き起こし風刺画とは関係のない警察官をも巻き添えにして殺害してしまったことで、イスラムの教えを侮辱した風刺画家や新聞社を表現の自由に殉じた英雄と祀り上げるだけでなくイスラムの教えを貶めてしまったたのです。
襲撃犯たちとムハンマドを侮辱した風刺画家や新聞社の関係者たちのどこが違うのでしょうか。
どちらもイスラム教を自分たちの都合のいいように解釈して侮辱し、軽んじているという点では何の変りもない愚か者という同類のように思えるのです。
(ID:30637823)
表現の自由の原理主義化、そう捉えるのはよしりん先生をおいて他にないですね。洞察力や勇気に驚かされます。
確かに被害者感情で訴えるやり方は、嫌な感じがしますね。しかし、「表現」や「表出」の区別無く、一様に論じてしまうことは逆に「表現の自由」を貶めているようにおもえますね。
(ID:1082307)
配信ありがとうございます。
みなぼん編集長、ご体調はもう大丈夫でしょうか?
ジャーナリストの国際団体が、シャルリー・エブドの特別号でまたムハンマドの侮辱画を載せたことに対して批判していますね。
http://m.huffpost.com/jp/entry/6467920
法皇も「宗教への侮辱は控えるべき」とコメントしていました。
異文化への偏見・差別を撒き散らす「表現」が許されるのか否か、暴力での報復の是非とは別問題として、良識で考える人が増えてほしいと思います。
イスラムでは偶像崇拝がタブーですから、ムハンマドの似顔絵がある時点で重大な侮辱であり、コケにする内容なら二重の冒瀆のはずです。しかもムハンマドの顔が、男のアレを逆さまにした形…巻き込まれたイスラム教徒の警官は本当に気の毒ですが、新聞社が襲撃されたのは自業自得だとすら思います。
シャルリー・エブドの前身の誌名が「Harakiri」だったというのも腹立たしいです。
それにしても、権力者からの圧力に屈して自主規制するような日本のメディアが「表現の自由」を標榜するのは笑止ですね。