kellow のコメント

『戦争論3』にも描かれていましたが、「自由」はそんなに上等な価値なのかという疑念はありました。とは言え、どこで線引きすればいいのかが掴めなかったのですが、それも「公」を基準に考えれば良かったのですね。
それぞれの国、言葉、歴史、宗教等々の総体としての、それぞれの「公共」。自分が生きている「公」が大事なのであれば、他者にとっても大事なのは当たり前でした。「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」というのは道徳の基本だと思っています。
これまでの応用編のようにも感じ、言われてみればシンプルだからこそ、自分の頭でその考えに至れなかったのは悔しいです。

そもそもよく知らない他者を風刺するというのは、有りか無しかが自分たちでは判断がつかないということであり、しかも必然性もないとなると、あまりにも無責任で危険な「自由」だと思います。

また、何が「公」かということには一定の答えがあるわけではなく、だからこそ小林先生は「考え続けなければならない」と訴えています。
オウム事件で言ったら、あの集団が地下鉄サリンよりも前に「公共に反する」ということを見抜き、指摘するということ、
関東大震災なら、朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマを止めること、
自民党改憲草案なら、権力者が「これが公だ」と強弁し始めたり、
今回の件で言えば、熱狂する大衆が「言論の自由を守るのが絶対だ」と叫び始めたときに、「いや違う」と言い返すこと。
それができなければ、結局は不寛容で野蛮な原理主義の獣に堕ち、流されてやられてしまうだけだと感じましたし、それは産経新聞のような類の思考・思想のない人には絶対にできないことだなと強く思いました。

No.54 121ヶ月前

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