(号外 2015.7.21発行)
ゴーマニズム宣言
「岩手中2自殺事件は凶悪犯罪である」
ここで亮君を優しすぎる少年とし、加害者を凶悪犯と見做すのは、単純な善悪二元論で、印象操作だと言う者もいるだろう。誰の心にでも善意の部分が宿り、悪意の部分も宿っているのは当然だが、そんな相対化は問題の解決に何も寄与しない。
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コメント
ニヤただし
( TДT)
いただきます。これから読ませていただきます。
何番だろう… na85
私もライジングのコメントに、この号外の内容を書きました。
どうしても許せない事がありますってね。
やっぱりあの教師は、許せませんね。
五番
私の地元の町でも中学生のいじめ自殺事件がありました。当時の教育長、教育委員会関係者、学校関係者は全て責任逃れに終始し、被害者の生徒のご遺族の要望によってようやく県の教育委員会と法曹関係者による第三者機関が立ち上がって、事実の究明と再発防止策を進めています。
私は田舎町に住んでいますが、田舎ほど世間体の負の部分が幅を利かせていて、異質なものを排除する傾向が強く、それがいじめという形になって現れ易いと思います。田舎は純朴で住民が優しいというイメージがありますが、陰湿ないじめも少なくありません。私の小学校の後輩の女の子も、髪の毛が天然パーマというだけで小学6年間ずっといじめられて、とうとう町から出て行ってしまいました。都会ではまずありえない話です。
話をいじめ自殺事件に戻しますが、そのいじめを見過ごした上に責任逃れをしていた元教育長の人間を知っていますが、どちらかと言えば体育会系のいわゆる保守的なタイプの人間でした。左翼・リベラルの側もいじめを見逃す教員はいると思いますが、子供の性格を善人だと信じて疑わないお花畑の脳みその人間は、保守の側にもいる可能性があるし、いじめるような体力があって悪知恵も働いて強圧的な子供を「勢いがあっていい」と前向きに評価するのはどちらかと言えば保守の側の人間のような気がします。
子供のいじめがなくならないのも、大人が大人同士をいじめて、強圧的な暴力の連鎖がなくならないことと無関係ではないでしょう。大人の社会だって、警察沙汰にはならないけどいじめと呼べないようなリンチ・暴力が例えば会社社会においても日常茶飯事だと思います。大人のパワハラやセクハラ、モラハラがなくならない限り、子供のいじめ(リンチ・暴力)もなくなりません。大人のいじめだって堂々と警察を通して介入させるべきだし、警察沙汰になったら被害者でも世間的に疎まれ職をなくすような悪しき世間体の風潮は直ちになくすべきです。
いじめがなくならないのも共同体の風化と劣化が原因で、人の心が荒んでしまったのも効率重視・コストダウンなどのアメリカニズムと無関係ではないと思います。優勝劣敗というか、力があって声が大きい人間に無批判でいる風潮をなくさない限り、子供のいじめ(リンチ)は減らないのです。
そして大人がきちんと生きていくことが、一番大事なことだと思います。きちんと生きていないから、自分より弱い存在の人間とか異質な人間を排除しようとするのでしょう。
あの教師も、きちんと生きていないから、子供の非常時を認識できなかったし、命がけで子供を守ることができなかったのです。普通にきちんと生きることが難しくなっている時代だからこそ、品性と品格を持ち、共同体を大切にして公共性を重んじていこうと私は思います。
やっぱり、あの教師は最悪ですよね。自らの「責任」を重く感じてほしいですね。
いただきました。ありがとうございます。
リンチですね。本当に。同感です。
少なくとも、よしりんの本を読み、自分で思考している大人なら、
もう少し別の対応があったはずなのに。
日記など、やっつけ仕事でするぐらいなら、やらない方がマシです。
”心”のない、サラリーマン教師ですね。
因みに、私も教師経験者ですが、モンスターペアレンツにつるし上げられ辞めさせられました。
親も劣化。
日本人は、この先どうなってしまうのでしょうか。
おこっちゃまくんに彼が投稿できていたら、とてつもなくやさしいよしりんが、危機を見ぬいて最適なアドバイスを送れていたのに。
国士無双十三面待ちさん、私は教師より親に問題があるのではないかと意見してしまいましたが、貴方の感覚の方が適確でした。謝ります。
今回、この事件を上村君の事件と同様に考えてしまい、親に第一義の責任があると思っていた私に語る資格はありません。
先生、申し訳ありませんでした。
先生のバランス感覚に感謝します。
女教師のノートへの記載は、「少年がネガティブなことばかり書くので、ポジティブな感情を呼び起こすため」といった、何の解決にもならない理由があると勝手に思い込んでいる節があるように思いました。この教師は、少年のために思って書いたこと、と本気で思っていると思いますが、実はそれは「面倒くさいことに首を突っ込みたくない」という自分を保守するためのものだということをおそらく自覚してないだろうと思います。
極論ですけどね。
そういうガキは、最早死刑にするしかない。
馬鹿は死ななきゃ治らない。
お怒りは察します。
しかしながら昔と違い今の教師には権限が剥奪された状態で、
子供を力で押さえつけることができないので何とも言えないのではないでしょうか。
こういった子供のいじめはそのまま大人の社会を映し出したようなもので、
安倍や竹中みたいに平気で嘘ついて人を生贄にするのが加害者A君で、
年間9万から15万人に及ぶ自殺者や変死者(遺書を書かないで死んだ人)が自殺した子供だと思います。
加害者Aを生み出したような大人である安倍晋三や竹中平蔵を普通の人間に更正させれば、
こういう不幸なことは起こらないと思います。
しかし安倍や竹中やこれらに類する卑しい財界の人間を更正するのは不可能です。
それでも加害者安倍に力を与えないように加害者Aにも力を与えないようにするために、
問題児を集めた某ヨットスクールみたいにな全寮制などの学校の設立などの新しいシステムを提案します。
教師に与えられる権限は自動車の免許制度みたいに点数を加点することができ、
それぞれ違反の得点に応じた罰金や罰則など課せられるのです。
安倍は救いようがないけど子供なら更正する可能性があります。
子供の言う(いい先生)なんて生徒に甘いだけの無力な先生
すごい決め付けと切り捨て方に笑ってしまったw
でも確かにそうかも。
ちなみに私も小学校時代、軽いいじめに遭ったことがありますが、いじめていた悪ガキは20歳の時に事故で亡くなりました。今思えば天罰が下ったのだと思います。
罪と罰についてきちんと幼少時から家庭や学校で教育をしていくことが、いじめ(リンチ)予防にもなると思います。
いじめのターゲットになっているのが、例えば生活保護を受給してるような貧乏な家庭だとか、母子家庭や父子家庭の子供、親が障害者の家庭の子供、自分に心身の障害がある子供、親の国籍が外国籍だとか、ある意味近代化から疎外されてしまう弱い立場の子供が多いような気がします。
社会的弱者を救済することも大事ですが、異形を排する日本社会の風潮と、誤った平均化や平等主義も無関係ではないと思います。社会的に弱い人間の弱点をその人の個性にしてしまうことは問題があると思いますが、立場が強くて力がある人間程弱者への配慮や思いやりは必要だと言えます。もっと日本の社会がギスギスすることなく、厳しさも含めて優しくて思いやりがある社会であってほしいと思うのです。
よしりん先生、お忙しい日程の中、号外を配信していただきありがとうございます。
いつも思うのですが、先生がこのような子供や親の問題を扱うゴー宣を書かれるとき、天下国家を扱って政府批判するゴー宣とはまた一味違った独特の観察眼を発揮されており、まるで最上質・第1級のノンフィクションを読むような感覚になります。やはりブロマガを無料で配信しろという言い分は徹底的に間違っていると言いたいです。
私はこの事件についての情報収集を怠っていたのですが、これを読ませていただくだけで概要から背景から処方箋までが網羅されていて感動しました。テレビのニュースで見ていただけでも担任教師の無責任さだけは十分に伝わってきましたが、被害少年の人格の高潔さや落ち度の無さまでは把握できませんでした。逃げて甘えてニート化する子供がいくらでもいるご時勢なのに、彼のように優しさを持ち合わせていたばかりに、逃げもできず相談もできず、結果惨たらしい死が与えられるという世の中は絶対に間違っています。
無責任な担任教師は全く弁護したくないですが、学校の上層部がいじめ問題の最終的な責任を全て担任教師に負わせようという姿勢だったかもしれません。煩わしい問題を上に申し送りしてくるな、絶対マスコミに嗅ぎつけられるな、報道陣の前で上層部が謝罪するような事態を避けろという具合に教師に釘を刺していたら、担任は問題を自分だけの力で解決するか、運を天に任せつつ見なかったことにしてやり過ごすか、という絶望的な二択になってしまいます。件の担任の女教師は後者を選択してしまったのではないでしょうか。いくら担任教師に意欲があったとしても、教室という現場で逐一「集団リンチ」を未然に防ぐ戦いを続けながら、学校上層部とも対決するのでは身が持たないと思います。
であれば、よしりん先生が仰るように、当てになりそうもない担任にいつまでも期待をかけるより、警察に介入してもらうという解決法が一番妥当だと思えます。しかしこの場合、世間体を気にする親も、上の評価を気にする教師も、保身から警察への垂れ込みに反対する可能性が考えられます。だからこそ、現在のいじめは集団リンチだという認識が広く行き渡る必要があり、生徒が一人で警察に訴えに行っても警察は真摯に対応する義務があるという認識になってもらわねばなりません。
この号を読まれた警察関係者の方は、勇気を振り絞って訴えに来た子供の絶望的な最期の声に真摯に耳を傾けてください。そしてまた、この号を読んだ現在クラスメイトからのリンチに悩まされている生徒は、最終的に警察に訴え出ることは全然おかしいことじゃないんだと思っていてください。そのように言いたいです。
良い資質を持っていることが逆に仇となる社会で、誰が子供産み育てるだろう? na85
鋭い分析、ありがとうございます。
今回のこの事件のことがよくわかりました。
元教員をしていた者として、少し、発言します。
今の教師は、もう、教師ではありません。単なるサラリーマン、月給取りです。
自分の教育理念を持っている教師は、やめていくしかない状況に、学校がなっているということです。
人間力のない、劣化した、受験勉強ができるだけの人が教師になっています。
日教組がよく批判されていますが、今の組織率は10%以下ではないでしょうか。
組合に入って頑張っている教師の方が、問題意識を持ち、組合にも入らないで、校長の言いなりになっている教師とどちらが教師として頑張っているでしょうか?
26年前、某中学校で、教師をしていた時の校長先生は、教育に命を賭けられていたと思います。当然、校長先生がそうですから、一般教員もみんな必死で頑張っていました。
職員会議も、決議の場としての会議ですから、教育議論も盛んでした。今は、単なる校長からの伝達の場です。
いじめもあることが、教育の場として当たり前であると考え、それに対する指導も皆で考え、学年ごとに指導方針を考え、いじめによる被害がないように、生徒とよくコミュニケーションをしていたと思います。それは、文字ではなく、直接の対話です。
休みの日には、問題のありそうな生徒を、魚釣りに連れて行ったりもして、触れ合っていました。今だと、そのような行為は、お勉強のよくできる子の親から、差別だとか言われるかもしれませんが、家庭環境に問題がありそうな生徒をケアするのは当然です。でなければ、学級経営もうまくいかないと思います。
ということで、親御さんは、自分の子供はご自分でしっかりと守ってあげなければならない時代です。多くの教師はあてになりません。弱気をくじき、強きに尻尾を振る教育現場となっていることを理解される必要があります。
しかし、このような状況になったのも、文部官僚の利権のためだろうと思いますが、レジャーランドという言われる大学をたくさん設立するような理念のない教育行政に責任があると思います。先進国で、大学をレジャーランドにしている国は、日本以外にないのではないでしょうか?!
日教組を批判する前に、大学をレジャーランド化した責任を文科省は、まず、とるべきです。
大夫さん、いえいえ気にしてませんよ。
ところで、その学校内では箝口令がしかれていて、学年主任が生徒に、余計な事は喋るなよっと脅迫しましたねぇ。
学年主任も断罪すべきじゃありませんか?
あの学校は腐ってる!
「いじめ」を「事件」とはっきり言ってくださって胸のすく思いです。
私は小学校から中学にかけて「いじめ」に遭っていました。当時は「いじめ」と思わず「いじられキャラ」と思い込むことでなんとか乗り切りましたが、廊下で水をかけられたり、机を倒されて教科書を踏みつけられたり、体を蹴られたりしていたので結構、きつかったです。一番、きつかったのは机を倒された時に縦笛が折れてしまって、もう一度買わないと音楽の授業が受けられなかったので母親に説明する時が困りました。
私が子供のころにも「交換ノート」がありました。私自身は何を書いていたのかさっぱり覚えていないのですが、「交換ノート」に私の悪口が書かれていたらしく、放課後に先生に呼び出されて「お前はクラスのみんなに嫌われている」と教えてもらいました。
そのあと、私は荒れてしまい、授業放棄をしてしまい、当時の担任が「うつ」になってしまいました。学校としては私の方が「悪人」になりました。
なんだか自分のことばかり書いてしまいました。でもこうやってこの事件に対してはっきりと言ってもらえるととても嬉しく思います。すでに、自殺した子のことなど社会は忘れているかのような風潮なので・・・
軽いいじめに遭った経験しかない私ですが、いじめっこの側にも一種の劣等感みたいなものがあった記憶があります。私をいじめていた彼は他のクラスメイトからいじられるキャラでもあったのです。それから小学校時代の男子児童のヒエラルキーってスポーツができるかできないかだったのですが、彼もスポーツが苦手で私も彼よりスポーツが苦手だったのも彼が私をいじめるきっかけになっていたのかもしれません。
男のいじめの場合は、いじめることで自分のコンプレックスを昇華させる役割があるのかもしれません。大抵いじめるヤツは億病で自分より強い人間に弱かったりします。自分の弱さに向き合うこともなく、自分のコンプレックスを隠すために自分より劣っている(と思ってる)弱くて純粋なヤツをターゲットにしてるみたいですね。
私は仕事柄とある全国チェーンの楽器屋に時々行くのですが、パワハラがひどくて若い店員が次々辞めるという悪評が高かった店でした。そこの従業員にパワハラをして苛めていた店長が、その上司のエリアマネージャーが現場を視察するためにやってきた時にはぺこぺこして萎縮していたのを思い出します。
ネトウヨなんかもそうですが、いじめっこって権威に弱くて自分の立場が悪くなると卑屈になってしまうのです。まるでアメリカみたいなジャイアンに平身低頭してる我が国の偽保守みたいなもんですね。
号外配信ありがとうございます。
まさにリンチスクールそのものですね、この学校も教師も。
隔離されたカースト化したインチキ聖域の学校の中で亮くんを救い出せたのは学校と担任の女性教師しか居なかった筈です。
こんな女性教師は今後も起きる可能性が有る事例を少しでも防ぐ為にも吊るし上げても良いと個人的には思いますね。
ありがとうございました。
号外配信有り難うございますm(__)m
私は、件の教師を始めとしたこの学校の校長以下全ての教師が「保身」に敏感であるが故に、「いじめ」を敏感に察知し「見なかったこと」にすることに腐心したのだと思います。
プロの矜持が微塵もない畜生道に堕ちた連中と言うべきでしょう。
「いただきます」を言うのを忘れていました。
ご馳走さまでしたm(__)m
私も忘れて居ました「いただきます」
ご馳走さまでした。
学校での面と向かってのいじめもひどいですが、ネットでの芸能人いじめなんかもひどいですよね。
元AKBメンバーの河西智美に対する2ちゃんねらーのいじめなんかは、警察沙汰にしてもいいくらいひどかったじゃないかな〜。確かに河西にも落ち度はあったと思うけど、直接河西にも関係がない見知らぬ第三者が匿名でネットで罵詈雑言を書き散らしてるのを見て、河西推しでもなかった私でも嫌な気分になりましたね。
芸能人は有名税があるので、スキャンダルさえ芸の肥やしにするくらいの強かさも必要だけど、ファンも混じってる一般大衆の集団から匿名で悪口を書かれたり殺人予告をされたりすることまで仕事のうちに入れなきゃいけないのは大変だな、とは思います。
日本人って何でこうも陰湿で、集団になって異形の者を苛めて排除しようとするのでしょうか?
休暇中にもかかわらず配信して頂き有難うございます。
人生最後の数時間、亮君が線路の前でどんな思いで躊躇っていたのか、想像すると胸が張り裂けそうな位、辛いです。
簡単では無い事を承知で書きますが、登校拒否という選択肢があったのでは?と思います。が、優しすぎる亮くんは父親に気を遣い通い続け、
結果、学校はもちろん家にも居場所(逃げ場)が無かったのでしょう。
両親が離婚してしまった為に
鈍感教師に母性を求めてしまった事、不運だったとしか言えないのでしょうか。。。
親として、これから思春期に入っていく子どもの命を守るにはどうしたら良いか、常に気に掛けておかなければいけないと再認識いたしました。
先生が以前書かれていた『生き地獄だよ』と遺書を残し亡くなった男の子がマットに巻かれリンチを受けているシーンを思い出し、同じ事の繰り返しじゃないかと悔しくて涙が滲んできます。
中学生の頃だいぶいじめられてましたが、素敵な先生の誘いで武道をはじめ、数年後にはいじめてきた奴らが『な、なんか強くなったよね、、』と下手にでてくるくらい、ゴツくなることができました。学校という閉鎖空間では、教師との出会いが全ての鍵ですね、、。
いただきます、と、ご馳走さまでした。を忘れました、お行儀悪かったですね
号外ありがとうございます。
加害者が悪いのは当然ですが、この事件、当初から担任を含む学校側の対応の鈍さがとても気になりました。イジメが発生した場合、担任は素早く校長に報告、教員間で情報を共有し、生徒に対しては加害者の悪餓鬼に隙を与えないくらいのスピードでアンケートをとる…。なぜ、こうした全体で素早い行動が出来なかったのか?もしかするとこうした連携がとれないほど教員間の人間関係が悪かったのではないか?という疑いまで持たざるを得ません(もしそうだとしたらなおさら許せませんけど!)。
私もいじめられてました。いくら被害を訴えても「お前は反撃したから喧嘩両成敗だ」といって不当な処断をされてくやしい思いをしました。ある時、「じゃあ、先生は私に殴られても反撃しませんよね?」と言ったところ「生意気言うな!」と力いっぱい殴られました…加害者の目の前で…。いつの時代も教師なんて当てにならないもんです。
号外配信いただきます。
あまりに無残な結果過ぎて涙、涙の回です。。。
この事実はワイドショーなどで詳細に報道されているのでしょうか?
全国の親たちには是非知ってほしいと思いました。
教師は悪童と優しい少年を完全に相対化して
「またやりあっているわ」程度に認識していたのでしょうね。
憲法9条や信頼熟成の件と繋がるのですが、そろそろ性悪説に軸足を移して
物事を熟慮し考察する、その訓練をする必要があると思います。
嗚呼。。。ただただ涙。。。
35歳。
号外お疲れ様です。
最早警察の介入已む無しと言った所でしょう。
何故これが中々進まないのか解りません。
虐めって本来はたった一人ではなくクラス全員が起こすものですからね。
直截的な加害者は言うに及ばず、一緒になって参加する者、そして止める意志のない者らが起こすものです。
マスコミも当てになりません。
加害者らを追い詰めるべきでしょう。
でもそれをやると自分達に降りかかるのが解っているから。
マスコミは社会正義よりも下衆な感情に配慮する傾向にありますからね。
自分達が責められると感じると大衆は反撥し出しますからね。
号外配信ありがとうございます。
自分もいじめられっ子だったので、こういう事件は本当に自分も辛くなります。
不可解なのは、やはり教師の対応ですね。
生徒が自殺という言葉を使ってるんだから、すぐに事情を聞きにいくものですが、何をやってたのだろうか・・・。
イジメによる自殺があまりに多く、また対策もない。その間にバタバタ自殺だけが増える。
あまりに痛ましい。
こうなれば、一クラスに警官が居続け、睨みを利かせてでもいじめに対して止めるべきでは、と思います。
また、いじめには停学処分など、2回目以降はもっと厳しい厳罰など必要ではないでしょうか。
まだ発覚していないいじめも含めると、早く助けてあげたい気持ちでいっぱいです!
自分でいじめだと感じたら、学校に行く必要もなしにしてもいいかも知れない。
学校では出席日数の問題も出るけど、代わりとして塾へ行き続ける事で出席を取れる様にすればいいのではないかな・・・。
学業では、学校の授業より塾で学ぶケースが多く、その方が勉強が伸びるので、いじめの対策がない学校に無理して行く必要はないと思います。
少なくとも、いじめられていて授業に身に入るものではないでしょうし。
飛び込み自殺したその生徒には、ただただご冥福を祈ります。
中2自殺事件の最大の責任者は誰なのかと東京五輪の新国立競技場建設問題って背景が似てますよね。
虐めも建設も皆に承認されたと勘違いして調子に乗っていざ自分達が問われると責任から逃れようとする卑怯者の集まり。
虐めたのは俺のせいじゃない、あいつだってやってたぞ、そもそも虐められる方が悪いんだ。
あんな建築物は俺は認めていない、デザインが嫌いだ、工費がここまで掛かるとは思わなかった、オリンピック委員会が悪い、国の所為だ、民主党が悪い、等々。
本当に醜い有様ですね。
流石に選挙に乗っかってしまった都民や国民の所為には出来ないというマスコミの馬鹿な配慮が出て来ましたね。
散々人の所為にした挙句何処にその矛先が向かうか、結局初めから反対をしていた人達や、尤もらしい理由を付けられてただ殴られっ放しのサンドバッグとなる人達ですよ。
国士無双十三面待ちさん、ありがとうございます。
そのひとことで私は救われた気がします。
ですので、今回のゴー宣で私が思ったことを簡単に述べさせていただきます。
でもその前に「いただきます。」
私は以前、コメント欄でも書いたことがありますが、小学校、中学校時代といじめられていた経験がありました。
先生や親に相談したのですが、根本的な解決にはならずに、いっ時は本気で自殺を考えていたことがありました。
こうして今日まで生きているのは、死に切れない未練のようなものを持っていたのかもしれないのか、あるいは「差別論」のように「まだ下がある」と思い込むことで自分を慰撫していたのかもしれません。
「かつていじめられていた立場」から大人になって成長すると、いじめと向き合えなかった自分は卑怯者なのかもしれません。
国武神平以下の卑怯者なのかもしれません。いや神平と自分を比べるのもおこがましいです。
私は、今回の事件についてもう一度、悩んできます。そして悩んだ末には、自分が何をしなければならないのか、それがわかる大人になって成長したいです。
あいさつを忘れていました。
「ごちそうさまでした。」
改めまして、小林先生、休暇中にもかかわらず号外を出してくださって、本当にありがとうございました。
私は小学2年生の子供を持つ親です。
今週のゴー宣は危機感を持って拝読致しました。
私はゴーマニズム宣言【修身論】に描かれていた
小林よしのり少年を睨みつけた女教師のことを思い出しました。
小林少年の「イジメ」の意識など無い「からかい」に対して、あの女教師は鬼の形相で睨みつけた。
それが「イジメの芽」になることを事前に見抜いていたからなんですね。
つまり「子供のことをよく観察していた」のだと思います。
子供を守る第一義的責任を負うのは親だと私は思います。
一番身近で子供を観察できる立場だからです。
けれども、物事はケースバイケースで、
岩手中2自殺事件の最大の責任者は、
担任の教師と言わざるを得ないと思いました。
「よく観察」しなくても明らかに子供の危機に気づけた立場で、放置してしまったのだから。
小林先生から、今後このようなことが起きないための具体的な対処法まで教えて頂き、私はそれをそのまま参考にしたいと思いました。
「イジメ」ではなく「集団リンチ事件という犯罪」であるという認識を持つこと。
犯罪の対処には、警察の介入をためらわないこと。
そして大変僭越ながら、その先を付け加えるならば、
「犯罪の通報に勇気は要らない」
という認識も必要と存じます。
決定的な犯罪の場面を見ていたにも関わらず、
傍観した者は「卑怯」ではなく「罪」であると、
私は思うからです。
いづれにせよ、私は一人の親として、
「担任がダメな先生だったから子供が死ぬ」
などという状況は絶対に作らないためにも、
学校と親同士の連携を大切にし、
子供たちの様子をよく観察しておこうと思いました。
はい、日直!! (^-^)/
みなさん、手を合わせてください!
ごちそうさまでした♪♪
言い忘れましたね。
(―人―)<頂きます。
そして、
m(_ _)m<ご馳走様。
この号外からで申し訳ないんですが、面白いまとめを見つけました。
http://togetter.com/li/850317
このまとめはどうやらアイヌのカムイノミと言う風習のようなんですが、写真から見るにどっからどう見ても、神道の形式にしか見えないんですよね。
トゥキ(盃)、パスィ(箸)、ヌササン(幣)とアイヌ語らしい名前が付いてますが、どう見てもそれなんですよね。
元々名称も借用したのかも知れませんが、形式も神道形式にしか見えません。
高森先生ならばこれをご覧になってどう判断されるかですね。
おおブッダ!なんたるマッポーの世!……ハイ、すみません。現実がネオサイタマめいてきて笑えません。
ひとまず、配信お疲れ様です。私も苛められていたタチでしたが今回のと比べると余程生ぬるかったですね。気は合わなかったですが分別がついてた分。
それはそうと、卑怯者の島を拝読しました。感想としてはただただ「おそろしい」の一言。大和言葉には「怖い」と「恐ろしい」の2種類の恐怖をあらわす単語(もっとあったりして)がありますがあの漫画に「怖い」という言葉は逆に全く以ってふさわしくないと感じました。この2単語の違いが分ったような、そんな気がします。尤も、「畏れる」という単語がありますし同じなわけがないのですが。
構成、画力、シナリオ、どれを欠いてもいけない。小学館が名作と銘打つのも分かります。特にラストのシーンは生半可な経験では絶対に出せない「おそろしさ」を感じました。
そして読了後、「卑怯者の島」という単語にまた「おそろしさ」を感じてます。別にかの島に限ったことではない、今正にいる、この場所。ここもまた、「卑怯者の島」なんだなって。6年前からこの言葉があったのがまた「おそろしい」。
…と、「おそろしさ」尽くしでした。イデオロギーとか関係ないとおっしゃってましたが滲み出てます。先生の思想が。
さてと、「怖い」成分補給に某ぞんぞんぐらしを読み返しますか(笑)
みよよん!?
(∴)<いただきます
人
(∴)<御馳走様でした。
人
一人暮らしだと忘れがちなんですがこれは食事に対して言ってるんですよね。
今回の自殺事件、深い部分をしりなんとも言えない気分です。
よしりん先生のおっしゃるとおり、こんな優しい少年が死に、クソガキが生き残る世の中ではお先真っ暗です。
このような事件を二度と起こさないようにするためには、警察を介入させるか、弁護士を間に挟んで加害者を速やかに裁判にかけるとかやるしかないのではないかと思います。
あと「いじめを苦にして自殺」というフレーズがこのような事件があるとよく使われますが、これも事件の深刻さを軽くしている遠因のような気がします。
これでは自殺した本人の気が弱かったから自殺したのだろうという印象を見聞きする人に与えるように思います。
またいじめた本人も自殺した相手が気が弱いから自殺しただけという言い訳を与えるように思います。
「いじめ」は残虐な行為であるという印象を与える言葉に言い換えて、そのような行為を行った結果、人を自殺に追い込んだ場合は殺人という言葉を使用するようにすべきだと思います。
そうすることから「いじめ」という言葉にある「子供のいたずら」的要素を排除することが、今後このような悲惨な事件を防止するために、最も有効な方策ではないかと思います。
あと、この自殺を防げなかった教師ですが、心理的に参っているというのはどういった理由からなのか気になりました。
自分が少年のsosに気づけず、自殺させてしまったことに責任を感じてなのか、それとも、この事件を機に自分が今後マスコミ等から叩かれることを気にしてのことなのか。
また、この女教師は本当に気づけなかったのか?だとしたらなぜか?もしかしたらクラスの秩序維持のため、この少年をあえていじめられっ子としておくためにsosを無視したのではないか?そんな風にも思えてきます。そうだとするとなにがこの女教師をそうさせたのか?少年を自殺に追い込んだクソガキやその親の人となりやそのクソガキのママ友等のコミュニティとかどのようになっていたのか?そんなところも気になります。
最近はLINEを通じて生徒の保護者同士が繋がって教師の悪口を言ったり、気に入らない生徒の親の陰口を言ったりするような陰湿なことも行われていると聞きます。
そんなことも関係しているとしたら、今回の事件はもっと奥が深い問題を抱えているのかもしれません。
何はともあれ、この手の問題を認知したら速やかに大事にするということが子供を守る、最善の方策なのだろうと思いました。
長文な上にまとまりなく申し訳ありません。
今回の号外、涙なしでは読めませんでした。
自分もいじめられた経験があり、亮君の気持ちがよく分かりました。
自分は母子家庭だったので、母親には苦労させまい、心配させまいと思い、気丈に振舞っていました。
でも、なんとなく悟ったのか、いろいろ心配してくれましたが、こちらが大丈夫だと押し切りました。
授業中にいじめの現場をまさに現行犯で見ている教師にスルーされたときのショックはいかほどだったでしょうか。
私の場合はクラス替えがあり、少しずつ緩和されたのが救いで、卒業後はその学校の者たちとは縁を切り、何とか、平穏に暮らしておりますが、亮君は辛すぎて待てなかったのですね。
人のことを思いやれるやさしい子供のほうが死んでしまうなんて、何が得で何が損なのか分からず、世の中理不尽です。
号外配信ありがとうございます。
またこのような事件が起こってしまい心を痛めています。
今回のニュースを見て、少なくともいじめに対する学校側の対応は昭和の末期あたりから進歩が全くないと思っています。
私もいじめの経験がありますが、学校側の対応はこの女性教師の対応とほとんど変わりありません。性別関係なくです。
当時言われた言葉が、
やられる方が悪い。いじめられる方に問題がある。
さらに、 故意に他人を傷つける暴力を見て見ぬふりをするくせに、自衛の為の暴力を一切認めない。
そして延々と繰り返される的外れな対応と話し合い。
あなたは私の現場でめんどくさい問題を起こさないでほしい。表に出さないでほしい。この問題はいじめられているあなたの自己責任と言われているとしか思えませんでした。
これが自分の目で見て、実際に感じた現実でした。
学校の先生は表向きの綺麗事しか言いません。立場上言えないのかも?
もしも、誰も守ってくれなくて、一人で抱え込えこまざるをえない人がいたら、どんな方法でもいいので、せめて自分の体を自分で守ってほしいです。自ら命を絶っても何の解決にもなりません。残った奴らがざまあ見ろと思うだけです。
そういえば、昴田先生のような担任のクラスは何故かいじめがなかった記憶があります。
子供が教師をナメていて、教師も子供をナメているからからいじめが起こるのではないでしょうか?
過去のライジングの感想で恐縮なのですが、
ようやく拝読できたので。。。
トッキーさんの新連載
『御意見拝聴・よいしょでいこう!』最高に面白いです。
当時にこんなトンデモ妄執・・・
じゃなくて立派な本を出版されていたんですねえ。
あれほど日本人解体を画策したGHQにも
良いGHQが居て天皇の弥栄を願っていたとは。
渡部昇一大先生の洞察は見事としか言えませんね!
同様の理論が通ずるなら
『ヒトラーにも実は良いヒトラーが居て、
ユダヤ人を救っていたかもしれない』
という事になるかもしれませんよ。
歴史的新発見が待たれます!
自称ホシュの劣化は底を知らないと戦慄しつつ
連載を楽しみにしています。
号外いただきます。
我が家では困ったことになりました。
今回のゴー宣を読んでいた妻が、ぼろぼろと涙を流し、声を詰まらせ泣き崩れてしまいました。
我が身に引き寄せて考えることで思い悩み、おろろんおろろんと泣きゃあがって大変です。
問題を直視するということは真っ暗闇の地獄と対峙せんければならなくなり大変。
ゴー宣というご馳走は小林先生が提示した対処法をペロリと平らげて満腹になって終わりではない。
むしろ、咀嚼してからが始まり。
なので妻と二人、語り合った。
夜通し語り合った。
なのに、未だ明確な答えが見出せずにいる。
そんな状態であるというのに、俺が感想を書き出し、どう書いたものかと首をひねっていると、妻にピシャリと叱責された。
「自分の中でまだ想いが固まっていないのに慌てて反応を示す必要があるのか。本心でもない座りの良い言葉を並べて理解したふりをするぐらいなら、何も伝えない方がマシだ。ゆっくり考えろ」
なんたら正論妻。
美味しいゴー宣は何度も味わって理解を深めようと改めて思い直した瞬間でした。
号外ごちそうさま。
号外配信いただきます。
私もいじめられっ子だったので毎年のように起こるこういう問題は心が痛みますが、確かに今回の件は担任教師がそもそも悪いと言わざるを得ないですね。
ついでに言えば自殺後の学校や地元の教育委員会の対応もお粗末過ぎですけど、結局新国立競技場や東芝の問題とやってることが一緒なんですよね。新国立でいえば「最初デザインしたやつ(ザハのこと)が悪い」「それを選んだ安藤忠雄が悪い」「その案を選んだ民主党が悪い」(こういうコメント聞くといつも「じゃなんで政権交代したの?それをぶっ潰すために国民がそういう選択したんじゃないの?」って突っ込みたくなりますが)「突き進んだ猪瀬と下村が悪い」etc・・・ですし、東芝も報道見てると「歴代経営陣が悪い」「震災と円高が悪い」「企業風土が悪い」みたいな感じになりつつあるみたいですからね。こういう時に腹括って責任取れないようなやつは人の上に立つなと思いますし教師も建前論や理想だけで物事考えるなと思いますけど、結局企業はもちろん国会議員も教師も「サラリーマン化」しつつある現状でこれを打破できる人間がどれだけいるのかってことだと思います。残念ながら少ないかヘタすると皆無だと思いますが。
号外ごちそうさまでした。
おはようございます、また両サイトに繋がらないですね、また始めやがりましたか?
教師ももっと親身になって対応してれば起きなかった事件かも知れませんね。イジメをしていた狡いガキは嘘や言い逃れが通用すると味をしめて無駄に歳だけ取っていくのでしょう。ネットやSNSで似たような事をやってる奴もいい歳した、仕事もやってる社会人が多ようですし。
私は子供がいる親です。
子供に対する最終責任がその子自身の親にあるのは当然ですが、完全な親の保護の元にいた幼児期から成長し、子供が小学校へ上がり、3年生、5年生・・・と学年が上がるにつれ、子供の世界は親の保護の元から離れていき、親のあずかり知らない世界が広がっていきます。これが中学生・高校生となれば、もっとです。
学校で起こっている問題は、主に学校と子供たちの間で解決されていきます。(親に相談されることも多々ありますが、あくまでも解決する場は学校の中にしかない)
親が介入しなくてはならないレベルの問題になれば、当然、親が出ていくことになりますが。
今回のケースは、クラス内で起こった「いじめ」のレベルの時点で、クラス担任の女教師が適切な対応をしていれば、ここまで深刻な「犯罪」レベルにはなっていなかっただろうと思います。
数十人集まって一つのクラスを形成しているのだから、子供同士の性格の合う合わない、苛められやすい子と苛めをしやすい子など、クラス運営をしていく中で大人である女教師が敏感に察知しながら、トラブルの「予測」を付けていく必要があったはず。
それは、クラス内の責任者である担任の仕事のはずで、こういうことは、親も無意識のうちに子供を育てている中でやっている「大人目線の予測」です。
わが子が苛められる可能性もあれば、逆にいじめる側になる可能性もある。
人との関係性の中で、その立場はどちらにも転じやすい。
そういう事を理解したうえで、担任としてクラスをまとめていく事が出来ない、もしくは「やりたくないから見て見ぬふりをする」と、こういう悲惨な結果になりかねない、ということだと思いました。
そういう大人がいないと、無秩序状態に放り出された子供たちが様々なトラブルに巻き込まれてしまう。
子供が出一生の中で出会う担任の先生は1人につき10人前後でしょう。
そのすべての担任が、人格者で素晴らしい先生とは限りません。
親の方も心して、学校内の子供の立ち位置を把握する敏感なアンテナを張っていないといけないな…と思いました。
もう一つ、今回の事でもそうですが、ネットにすぐに拡散されてしまう「素性バラシ」という究極の「いじめ」が、ネットを通して日本中に溢れかえっていることも、かなり問題だと思います。
女教師や加害少年などの顔写真や居住場所を、この事件と無関係の全くの他人が、面白半分で正義面して、匿名で素性バラシをして苛める根性が気に食わない。
人の噂も75日…が通用しない、「人の噂も一生続く」世界が、ネットの中で繰り広げられていて、ますます生きづらい世の中になってきたものだと、恐ろしくなりました。
夏休みの中の号外配信、美味しくいただきました!ごちそうさまでした!
切通先生のブログより。
(転載開始)
「個別自衛権」については、左右どちらも違和感を持つ人は多くないのでは?・・・という松竹さんの指摘でした。
にもかかわらず、現自民体制は個別自衛権を先送りしたまま、対米従属を推し進めている。
(中略)
これを機に、「個別自衛権」が可能かどうかを、左右超えて論じ合う契機を作るべきではないのか。
(転載終了)
この部分は、宮台・東両氏によるゴー宣道場ジャックぐらいからモヤモヤしていたことで、何とか短い言葉で言語化したくても、なかなか出来なかった内容でした。だから、読んだ瞬間「我が意を得たり!」とモニターの前で口に出してしまいました。
今回の号外の内容に少し絡めて言うと、あるイジメっ子(中国)から自分(日本)がイジメられないようにするには、別の強いイジメっ子(米国)を親分と仰いで守ってもらう必要があり、だからその親分が別のイジメられっ子(中東のある国)をリンチにかける時は一緒に行動し、時にはリンチにも加担せよ、でも自分が強くなる努力は決してしたくないし、親分も多分それを許さないという状況下ですが、自分の脳内の左右にいる卑怯者たちが、どうにかして「自分が強くなる方法」を討論して考えていこうということでしょう。
返ってややこしくなりましたか(笑) na85
ごちそうさまでした。大変おいしゅうございました。
終わりの挨拶がまだでした na85
号外配信お疲れ様です。
スタッフの皆様の労力と才能に心から謝辞を申し上げます。
教育の荒廃ですが、小林先生が20年前に、
『新・ゴー宣』で所沢市をとことんまで批判した
あの時代からすでにおかしかったですが。
よりによって我が故郷岩手でこんな陰惨な苛め事件が
起きるとは、教育関係者として、心が痛みます。
20年以上前から親がクレイマー化して、体罰はダメとか、
そういう風潮になり。
生徒と教師は対等で平等だだの、成績に優劣をつけないだとか
運動会では手をつないで、仲良くゴールしましょうなんていう
競走排除や、性の自由がもてはやされるなど、
左翼思想が学校をとりまき、、学級崩壊が
社会現象になり、教師を舐めた餓鬼が、教師に暴力を振るうなんていう
事態になりました。
私が餓鬼の頃(30~40年前)は、教師に強大な自治権があり、
教師が苛めや、校内暴力に対して、暴力や威圧で
堂々とふせいでいたものでした。
教師に強大な自治権があったので、
警察権力が学校に介入せずともなんとかなりました。
ところが、左翼思想が学校を席巻すると
悪しき平等思想が蔓延し、教師の自治権が
冒され、警察権力の介入を招くしか教育現場は
自治ができなくなりました。
そんな時代に騒がれたのが国旗国歌問題と
従軍慰安婦問題です。
また、日本の教師の事務量は多く、
休日も無く、精神病罹患者がかなり多いです。
左翼思想にかぶれた教師の自爆ならいいのですが、
そのとばっちりは、今回のように児童生徒に及びます。
まず、記録帖であれだけ、死にたい苛められていると
訴える以上担任教師は、いくら忙しくとも、
手におえないと感じたら即
教務主任や学年主任に相談すべきです。
また、教師に自治権がない以上、警察権力を
介入させ、加害者を警察に引き渡すべきでした。
私の提案ですが、もうこうなったら教師にも拳銃や、手錠を持たせましょう。
同じ公務員だから。
厚生労働省も拳銃や、手錠を持っているんだから。
号外配信お疲れ様です。
今回のようなイジメによる自殺が合ったことを知ると、柄にもなく心が痛むばかりです。SOSを発していても、気付いて貰えなかったというのはあまりにも不憫です。
「いじめ」だと軽い言い方しているから、世間もそんなに問題視しないような気がします。イジメというのは相手の存在を侮辱しているわけですから、大人がキチンと叱らなければいけないというのに。
大体今の学校って連絡帳や面談だの、割とマメなことやってる割には、いざ自殺が起きたら「把握していなかった」とコメントするのですから、学校側にも子供の安全を守る気があるのか怪しくなってきます。
私は今回のような事件が起こるのは「子供は宝」という価値観が蔓延しているからではないかな、と思っています。
もっとも大人もいざという時子供を制することができるよう、立ち振舞を考えていなければいけないのですが。
教育者が左翼思想だったりすることは
良くありますが、平等思想や自由は聞く耳に心地よく
机上では、矛盾の無い思想に見えますが、
それが土台間違いです。
マンガ家でも絵がうまい作家もいれば、
下手な方もいるし、話づくりが苦手な作家もいますが
話づくりだけはうまいという作家もいます。
でもみんなが世論を動かすほどの漫画家小林よしのり先生や、
原作者梶原一騎にはなれなかった。
それって才能でしょ。
才能や個性というのは本来不平等なものです。
それを平等主義で押さえつけようとしたのが、
左翼教員どもの限界でした。
それどころか、人間としての価値として平等な教師と生徒の関係を
教師と生徒は平等とした。これでは上から叱ることも指導することも
できませんよ。
人間には多様な可能性があり、それを平等主義をもちこもうとした
教育者が最初に誤り、今のようなアナーキーな教室が崩壊していっているんです。
私の卒業した中学は、田舎という事もあり、地域の合意の上、
昔ながらの、教師が自治権をもっている、男は丸坊主、教師の鉄拳制裁ありの
厳しい学校でした。いじめも校内暴力も無い学校でした。
そこに、東京から転校してきた、将来歌手になりたいという餓鬼が
長髪で髪をそめてきたんだそうです。地元の教師は怒りますが
その餓鬼の親が、将来この子は歌手になるからとクレイマーと化して
半ば、押し通します。ところが今まで丸坊主で我慢していた
田舎の子供たちも、俺たちも我慢しているのに、なんだあの対応はと
暴れまわるようになりました。
この中学は3年もしないうちに、学級崩壊が常態化します。
東京から来た自由主義野郎の転校で、わが故郷の中学校は
今でも荒れています。
そこに20年前に教育実習に行ったのが私です。
トイレのドアが無い、財布や金銭は持ち歩かないと盗まれる
弱い子はいじめられる。弱肉強食ですよ。
たった一人の自由主義者が、一つの自治体の中学が
ほうかいさせられたといいう証左になります。
親、教師という子どもに道徳を教える立場の
人間が、子どもを見殺しにしたと思います。学校の教師へのサポート体制も疑問です。積極的にいじめの報告をあげれる体制だったのでしょうか。
いじめの件数をゼロにしたいだけではないのかと怒りを感じます。
卑怯者の島のアマゾンレビューが早速20件と来てますね。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/409389759X/ref=cm_cr_dp_see_all_summary?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=byRankDescending
ここから直接レビューを覗けるかと思いますが、悪意のあるレビューは全く無いです。
結局ネガレビューをする連中は本を読めないということがわかりますね。
よしりん先生、みなぼん編集長、お休みま
で配信、有り難うございます。この事件の
事は知らなかったので、本当に有り難くこ
れから読みます。
『卑怯者の島』手に入れました〜!!*\(^o^)/*
大型書店に行ったら、小学館の漫画コーナ
ーでなく、日本近代史の新刊コーナーにあ
って、閉店間際に探し回りました(^^;; フィ
クションだっちゅーに。
週刊ダイヤモンド7/25号も手に入れました
〜!目次によしりん先生の名前がないので
焦りました。102ページの短期集中連載、
戦後70年、第2回、戦争責任編の2人目に載
ってますね(^^) こちらもこれから読みますが
、よしりん先生の後の白井聡氏の見出しも
気になるし、その次に宮台氏の発言以来気
になってるドイツと日本の戦後処理の違い
の解説ページもあり、櫻井よしこも載って
るしw、中国とギリシャ危機の記事も載って
るので、710円出して買いましたよ〜。
しばらくこれで楽しめそうだなぁ。
ライジングの感想を書いてないまま溜まっ
てしまった。前の号でも、一言でも、書く
癖を付けようと思います。自分の思考と言葉
を鍛えるために。とろくてすみません。
私もいじめられて自殺まで考えたことがあります。
自分がいじめられた時に「担任なんてあてにならん」
と思っていたからか、この事件が起きた時も
「教師なんてみんなこんな対応でしょ?」と
ドライに考えてた部分がありました。
反省。
この事件には怒りが湧いてこないといけなかったです。
いじめ事件について考えようとすると、
いつもドライに考えたり、詳細を知ろうと
しなかったりしてしまいます。
まだ過去に囚われているせいかもしれません。
お休みの中、号外配信ありがとうございました。m(_ _)m
子供のいじめ自殺の事件が発生すると必ず「教師が悪い・親が悪い」「いじめは犯罪」「戦後教育のせい」という意見が、TV・雑誌・ネット等で飛び交います。僕はそのたびに「あなた方は自分が同級生・親・教師だったら、様々なリスクを覚悟して、被害者をいじめから救えたのか?安易に正義感を振りかざして、いい気持ちになりたいだけじゃないか?」と疑問や怒りを感じます。正直、僕はそういった発言から当事者意識の欠片も感じる事ができません。
僕も今回のゴー宣を読んで、当初は村松君のSOSをスルーし続けた担任教師に怒りを覚えました。しかし、彼女の姿はかつての僕と同じじゃないかと思いました。
僕の中学時代の友人に、いじめに遭っている人がいました。僕は彼がいじめられているのを見てもスルーしていたどころか、ついには周囲の圧力に耐えかねていじめに加担してしまい、最終的に彼は登校拒否になってしまいました。そして今度は僕がいじめの対象になり、それは中学卒業まで続きました。
そんな卑怯者で臆病者だった僕が、村松君の担任や、村松君のいじめを見て見ぬ振りしていた生徒たちを正面から批判できるのか。考えるたびに胸が苦しくなります。
いじめを考える際、責任者探しや、いじめ体験の告白より先に「もし周りの人がいじめられていたら、自分は知らん振りしないで、救ってあげられるのか?」と自分に問いかけるべきではないでしょうか。それを怠っているから、いじめ問題が解決しないんだと思ってます。マスコミも読者や視聴者にそういった問題提起をして、一人一人に当事者意識を持たせるべきだと思います。
今回のゴー宣では、いじめも当事者意識をもって考えないと、村松君の担任教師のような人間にお前も成り下がるぞ、と問われている気がしました。
僕はやはり、イジメの解決に担任の果たす役割と責任が圧倒的に大であると思います。
イジメられる子は 親にはなかなか打ち明けられない。子どもにもプライドがあるからです。イジメられているというのは、とても恥ずかしいことだからです。(実体験です。)
もっともイジメを感知しやすいのは親ではなく担任です。
クラスの中で やはり担任は特別な存在で絶対的な権力者であって欲しい。
イジメの当事者意識でひとりひとり、という話がありましたが、あまりにも抽象的です。
子どもたちにとっては、その日その日の振る舞い方が 死活問題になります。政治の世界みたいに。イジメ、見て見ぬ振りをし、イジメられても笑ってごまかしてやり過ごす子もいますし、学校にこられなくなる子もいます。昔から教室は辛い場所でした。
子どもに対しては性善説を排して、敢然と立ち向かい、立ちはだかる 教師が 欲しいです。
休暇中のゴー外配信、ありがとうございました。
いただきます(-人-)...思わず涙がこぼれる内容でした。
小林先生の仰る通り、犯罪者と被害者の話し合いの場を設けても、何の解決にもならないどころか却って被害拡大です。どうみても責任逃れのアリバイ作りですね。懸命な叫びを無視し続けた担任と学校は、単に鈍感なだけではなく、集団思考に陥って故意に鈍感なフリをして誤魔化して逃避していた可能性があります。会社組織の違法・非道行為を見て見ぬフリをする集団依存のサラリーマンと似た心性かもしれません。
現在の学校教育は(に限らず社会全体も)、リアルな現場から乖離した教条主義の徹底や、ありもしない公平や平等などの風潮で教員も雁字搦めでしょう。都度自分で考えて真剣に現実と対峙するよりも、集団のルールに忠実に機械化(バカ化)してしまう方が楽、非道や危険を見なかったことにする方が楽。そんなしがらみから悪名を買ってでも突破できる有能性と自立性と正義が教員になければ(独立性あるプロフェッションでなければ)、自立した子供を育てることは不可能でしょうし、大人の無能やバカ化を見透かした子供が出てくるのも当然だと思います。クビにならない公務員の特権は、善良な子供を救える場面でこそ有効に使ってほしいものです。
拙者の中学時代にもいじめがありましたが、過酷ないじめを受けた経験はありません。身勝手な個人主義が芽生えていたこともあり、卑怯にもスルー・無視しました。一度だけ、ナメた態度をしつこく繰り返し、拙者をいじめの対象にしようとしたヤツにブチギレし、廊下に引きずり出して顔面ストレート一発,伏せた顔をシュート、ソイツの鼻は曲がり前歯が欠損しました。立件こそされませんでしたが、いじめ回避の代償として犯した暴行傷害事件でした。
「いじめ」は「リンチ」、「名正しからざれば則ち言順わず」ですね。
ごちそうさまでした(-人-)
号外が
号令となって
皆が教師を責め始める
あいつが悪い
あいつが悪い
あいつが悪い
私もいじめられていました
俺も、僕も、私も私も私も
元いじめられっ子達の叫び
元いじめっ子達は、コメントしないかなぁ
恐ろしくて何も書けなくなってるのかなぁ
昔の事、今さら色々言われるの嫌やし
どうやっていじめてたか覚えてないし
そいつ別に死んでないし
地獄へ堕ちろ
呪われて死ね
馬鹿に殺されろ
消えてなくなれ
憎悪が溢れ出てくるなぁ
でも
自分にはまだ他人事
『アホな先生やなぁ』ぐらい
こんな感性だから、いつまでも空気は変わらないんだろうなぁと反省
4歳と11歳
息子二人はどう育つか
いじめっ子か
いじめられっ子か
見て見ぬふりっ子か
しかし子供に『いじめられてる奴おったら、おまえが助けたれよ』と言って聞かすのも難しいなぁ
『こっそり先生に言え』も今回のケースだと効き目ないし
やっぱり警察かぁ、、、
警察なぁ、、、
ふぅ、、、
トッキーさんがブログで触れてる「フジテレビ陰謀説」(笑)ですけど、他局と比べてもフジほど自民に甘いテレビ局もないんですけどね(特に今回アベちゃん独演会と化した「みんなのニュース」と「新報道2001」は大甘といってもいいほど)
なんかネトウヨ様の間ではフジの会長やってる日枝久も「反日分子」だそうですけど、日枝ほどアベちゃんにベタベタ甘えてる(というかアベちゃんに甘えられてるというか)マスコミトップもいませんがね。お盆とかになると一緒に軽井沢とか山梨あたりでゴルフしてるみたいですし、今年も8月15日過ぎたら行くんじゃないですか?
しかし産経新聞が「ネトウヨ機関紙」でフジテレビが「反日テレビ局」だったら「じゃフジサンケイグループって何なんだ?」って疑問に思わないのもネトウヨ様ならではの知性のなさですね(笑)
こんばんは、ライジング号外の配信ありがとうございますvv
中学2年生の村松亮君がいじめという名の集団リンチによって自ら命を絶つという痛ましい事件が起きた岩手県矢巾町。この町は2010年から30年間での20〜39歳の女性人口の予想減少率が5割以上にあたる消滅可能性都市の一つであり、その比率は51.6%です。
ちなみに昨年北海道で女子高生が自分を虐待し続けた祖母・母を殺めた事件の起きた南幌町は80.9%です。
このような消滅可能性都市が出てきたのは、このような事件などに対しての学校関係者の無責任な対応も一因ではないかと思います。
いじめという名の集団リンチを受けても、それを受けた子が家族にその事実を告白するまでには時間がかかります。それから親の理解を得て学校側に相談しても「いじめられた方に原因がある」「嫌ならこの学校から出ていけ」という学校関係者や他の生徒の保護者の負の面にさらされ、この街に絶望してこんなところに二度と戻ってくるかと転校や進学・就職など様々な形でその街を去ってしまうでしょう。辛い記憶しかないこの街に、当然二度と戻ってくることはありません。
そうやって一人また一人と被害者やその家族を追い出していくうちに時間をかけて若い世代の人口が減っていき、消滅可能性都市になってしまうまでに至ってしまったのでしょう。
今回のような全国規模で報道されるような事件が起きれば、その地から人がどんどん出ていってしまい消滅のときは早まってしまいます。
この少子化の最中に生まれてきてくれた命を守り救えないで新たに生まれてきた命で補おうとする考えの輩がいるかぎり、消滅可能性都市は確実に消滅していきます。
まるでいじめ事件で自ら命を絶った子たちやその地を追われた子たちの怨念がそうさせているかのように。
今回の号外、読んでいてつらかったです。季節外れのトレーナーを着て死んでいった少年の気持ちを考えると涙が出てきます。我が子を絶対こんな目には合わせない、我が子でなくても許せない、と強く思いました。
担任の教師の見当違いのコメントには腹が立ちますが、父親はもっともっと気をつけてほしかった。母親は息子を帰すべきではなかった。私がその子の母親なら絶対帰さなかっただろうと思います。離婚した父親の寂しさなんか二の次です。子供の命と安全より大切なものはありません。親ばかと言われようが、モンペと言われようが、ここまではっきりしたリンチを受けているなら戦うと思います。
加害少年のような子って、どうしても時々いるんだなって暗い気持ちになります。先生方は「子供は無限の可能性を秘めている」とよく言われるのですが、どうしようもない悪党になる可能性だって秘めているのだとわかっているのか疑問に思います。
今週って、編集後記は無かったんでしたっけ?
編集後記が無いと、
明るいコメントが入れにくいですね (笑)
先日の京都のイベントで知り合った「自称・大阪のおばちゃん☆」から、とても丁寧な直筆のお手紙を頂きました。
ちなみに、この方は、ライジング読者ではありません。
社会人の常識として、頂いた手紙の内容を公開するわけにはいきません。
ですが、それでも、小林よしのり先生にお伝えしたい内容も含まれていましたので、一部抜粋して紹介します。
「大阪のおばちゃん」なら、私の無礼も、きっと笑って許してくれるはずです(^O^)
◆思いきって出かけてよかったです。
◆大阪(関西)でのファンクラブができたら声かけて下さいませ!
◆「卑怯者の島」読みました!
◆小林先生気さくなお人柄ですネ~。
ありがとうやで、大阪のおばちゃん~!!
絶対に、声かけるからね。 待っててや o(^o^)o
『卑怯者の島』漫画の新刊コーナーにも置いて欲しい。よしりん先生の作品を全く知らない子供たちにも読んでもらいたいな。
「奥の方のノンフィクションの棚に」『卑怯者の島』、「店に入ってすぐの目立つコーナーに」「匿名の殺人鬼の本」。
恥ずかしいです。申し訳ないです。
京都人として謝罪いたします na85
>>81
くりんさま、自殺事件の矢巾町の隣に住む
消滅自治体の街に生きるつぼきちです。m(__)m
消滅自治体ですが、実態は仕事が無いからです。
仕事が無いから、若者が首都圏へ人が流出し続けています。
田舎では、ろくな医療機関も無いから、夜間救命救急とか
が深刻です。
電車もバスも乗降客が少ないから、どんどん便が減り
便が減るから、余計不便になり乗らなくなるの繰り返し。
深刻なのが晩婚化と少子化です。
うちの町の広報をみると老人が20名前後毎月死にますが
生まれてくる子どもは、1か月4~5名です。
じゃあ、自治体がなんとかしろと言うと思いますが
自治体は財布が火の車です。
何か、事業をしようにも無い袖は振れません。
特に、人件費を減らすために、公務員の勧奨退職なんかは
状態化。公務員は首にならないは過去のことです。
遺された職員は、人は増えないのに仕事量は
減らないので、精神疾患の発症がかなり多い状況です。
いちがいに、教育委員会や学校の対応で人口が減しているというのは
論理に飛躍があるのではと思いまして…。m(__)m
衣食足りてと申しますが、田舎では衣食がまかなえないから
貧しくなっています。
「卑怯者の島」読了しました。
結末を楽しみにしていたので一気読みできました。
ですが私にできたのはそこまでで、
あまりのすさまじさに「もし自分なら?」の想像ができない状態です。
うちの近所の本屋も「売り上げ2位」の棚に「匿名殺人鬼の本」。
「卑怯者の島」はなんか奥の方に・・・。
そりゃあねーよ、あんまりだ。
「卑怯者の島」ようやく手に入れ、読み終えました。
死があるからこそ、生が輝く。読み終えて最初に思ったことです。どの登場人物も死が隣り合わせにあるにもかかわらず、生きる生命力満ちた顔をしている。ラストの主人公の顔も死に直面しているにもかかわらず、生気漲る気がビンビンと伝わってくる。本を閉じ終えてしばらく、「生きる」とは何かを考えさせられてしまいました。
戦後に生まれた我々ははどうだろう。死というものが実験できないから生を実感できない、実感できないからイジメをやってみたり、人をだましてインチキ商法に手を染めたり、何もかも投げ出して2カ月も家出をしてみたり、時に人を殺してまでも生きている実感を得ようとする。死というものがわからないから生のありがたみも分からないのではなかろうか?
是非、これから親になる中高生に読んでもらいたい。
「卑怯者の島」と「匿名殺人鬼の本」…ものの価値がわかってない人間が本屋にもいるんですかね?どちらが20年後、「中学国語便覧」に掲載されるかちょっと考えればわかりそうなものなんですが…。
PS:ロクなコメントが書けなくなったので、しばらく王子稲荷に修行に行ってきます…?
あげんぼさんのコメントにはいつもセンスを感じます。短くても的確に急所を突き、ときにユーモアも発揮されます。今回の>>76は秀逸でした。皆が担任教師への不快感を表明していた時にその流れを切り、批判ばかりしておらず、もっと当事者意識を持ってはどうかと促されました。
いつぞやの「アドラー心理学がどたらーこたらー」はツボりました na85
おそらく>>76を受けて、>>77でランバダ稲荷さんが身を切るような過去の告白をされました。当時の当事者など各方面への配慮からか今は消してしまわれましたが、読んでいるだけの者にも過去を想起させ、痛みが走るような錯覚を与える内容でした。「ロクなコメント」などと謙遜されることはないと思います。
色んな意味で、イジメって大罪ですね…本当に na85
「いただきます」
岩手中2自殺事件は上村遼太君リンチ殺人事件とは
違うのですね。
一つ一つの事件を観察し、しっかりと考察をしないとですね。
村松亮が書いていた、どう見てもSOSとしか思えない文章に
教師が書いていたトンチンカンな返答。
アレをTVで観た瞬間、ゾッとしました。
それでも教師なのか?の前の段階、それでも人なのか?
と思わざるを得ませんでした。
岩手中2自殺事件について詳しくは追えてなかったので、
こんなに松村亮君がいい子だとは……。何とも悲しいです。
こういう事件がある度に思うのですが、被害者の写真や名前は出てくるが、加害者の写真や名前は一切出てこないのが本当に分からない。
少年法の関係なのでしょうが、適用が必要なケースと必要じゃないケースがあるように思います。
「ごちそうさまでした」
読みました。
考えるところがたくさんあり、すぐにはコメントできませんでした。
正直ここまで踏み込んだ内容は、クローズな場でしか書けないと思いました。
非常に納得しました。
しかしそれでも、やっぱり自分が行き着いた結論は
「自分の子供を守れるのは自分しかいない」でした。
テレビで報道されているような
「あの先生もそんなに悪い先生と違うんやで~」「ちゃんとかかわってたんやで~」
という意見には反発がありました。
その上で、それでも自分は親だから、この子供たちの親だから、
一番の責任は自分にあると思っています。
自分が守ってやらなければ、死ぬと思っています。
おごりかもしれません。いや、恐らくそうだと思います。
でも、手放してはいけない感覚だと直感しています。
誰か一人、本気で守ってくれる人がただ一人がいれば
彼は死ななかったと思います。
それは先生であり、教育委員会など行政であり、
親であり、社会であり、クラスメイトであり、
そして、何より彼自身であったと思います。
彼があのような形でしか助けを求めることができなかったのは、
優しいからだけではなかったと思います。
強さがなかった。自分を信じることができなかった。
そして、その「自分を信じる強さ」や、
「自分は愛されるに値する人間である」という感覚を育んでやることができたのは、
紛れもなく親だと思います。
人は、人から存在を認められ、愛されることでしか
自分自身を愛する強さを育てることができないからです。
これは、今回の事件で自殺してしまった彼の親を責めるものではなく、
自分自身への確認として書くものです。
連投すみません。
3年前、1週間ほど娘がいじめられていたことがありました。
前へ出るタイプなので心配はしていて、出る杭を打つ者はどこにもいるという話もしていました。
暗い面持ちで帰宅し、なかなか口を割らなかったのですが、
押したり引いたりしながら聞き出し、最後に「死ねって言われた……」と号泣したのを聞いて
ブチ切れてしまいました。
気づいたら、死ねと言った本人の家まで走って行って玄関の呼び鈴を押していました。
留守でした……。
部屋着で頭ボサボサのおばはんが狂ったようにピンポンしている姿はホラーだったと思います。
恥ずかしさで少し冷静になり、帰宅後、娘と今後の対策について話し合いました。
・先生に相談する
・可能であれば言い返す
・対応を見て次の対策を立てる
相手は、いじわるだけど犯罪的じゃない、子供らしい子供でした。
近所に住んでいて、どのような子か知っていたので、
対策も立てやすく、具体的なアドバイスもしやすかったです。
先生に相談できたとき、言い返せたとき、2度ケーキを囲んでお祝いしました。
チョコプレートに「おめでとう」を書きました。
結局、先生を交えて直接罵り合って、和解しました。
先生は、信頼しつつも、物すごく疑っていました。
というのも、その少し前に近所の子供がひどいいじめにあい、
そこのお母さんとたまたま知り合いで、対策等についていろいろ話し合っていて、
詳しく学校の対応や、逃げの手口などを聞いていたためです。
学年保護者会を開いたり、何度も学校へ出向いたり、彼女は本気でした。
卒業まで、いじめはなくならなかったみたいですが、相当軽くなり、
子供自身も立ち直りました。
あの姿からはたくさんのことを学びました。
子育て中の親として、何よりも「同様の事件を起こさないためにはどうしたらいいか?」のところは、大変参考になりましたし、心強く感じました。ここまで酷いものはもはや「いじめ」ではなく、「リンチ」だというのはまったくそのとおりだと思いますし、さらに言えば「傷害事件」「人権侵害」と言いたいくらいでもあります。
私も子育て中ですが、教育現場を保護者の目で見て思うことを少し書きます。民間企業も同じですが、校長次第で学校の様子はガラリと変わります。この度の学校は、担任も酷かったが、校長も酷かった。校長っていうのは、事件が起こったときに、記者会見して言い訳するだけの人か?とさえ思ってしまう。
うちの娘が通う小学校は、一クラス30人未満で、各クラスに担任と副担任がいます。集団生活ですから小競り合いはありますが、深刻な事態になったという話を聞いたことがありません。ご意見としてよく聞く、「先生が忙しすぎて手がまわらない」というのは、現状はその通りだと思います。それならまず、1クラスの生徒数を少なくして、教師を増やせばいいのです。当然お金はかかります。でも、教育現場の崩壊、ましてや子供の死者が続発していても、改善されないなんて国家の危機です。文科省何やってんの?金を使うところが違うんだよ!少子高齢化がもの凄い勢いで進んで、逆ピラミッドになろうとしている今、ほんの少しの子供を守るために、山ほどいる大人が頭と金使わなくてどうするんだ!って声を荒げて言いたくなります。
長くなっちゃいましたが、もうひとつだけすいません。今回亡くなってしまった、何も悪くない優しかった少年のことを、周りに大人がいくらでも雁首揃えていたのに、同居の父親、離れて暮らす母親含めて、守れる大人はただのひとりもいなかった。母親のひとりとして(あの少年と同じく、うちもひとり親家庭です)胸が痛くなるなんてものではありません。
いっぽう、数えきれないほど小動物を殺し、人間の子供まで殺めた元少年A。少年法とやらで徹底して守られ、刑罰を受けることもなく、医療少年院で手厚く、矯正手段のひとつとして、生まれ変わりとかいうやり方まで行われたと聞いたことがあります。衝撃的な方法で人を殺せば手厚く守られ、少年院を出れば手記まで出せて大金を得られる。まるでこの国の大人、社会は、優しい人間なんて損するだけで、卑怯なヤツがいい思いをできて得をする、とでも言っているようです。
>>87
つぼきち様、言葉足らずで不快な思いをさせてしまい大変申し訳ございません。
この世で起こる事件や事故は様々な要因が重なった結果起きてしまいます。
原因がただ一つのものだけということはほとんどないように思います。
仕事がなければお金を稼ぐことはできません。お金がなければ衣食住のために必要なものを揃えられず仕事を求める人たちは都市へ出てしまえば、その地域に納められる税金も減ってしまいます。
税金が減ればその自治体の公共サービスに回せるお金も減って公立学校の教職員も含む地方公務員が人件費削減のため減らされれば、一人あたりの負担はそれだけ膨れ上がることになります。
日々の業務だけで手一杯であるところにいじめ事件というさらにややこしい案件が持ち込まれたことで、一人あたりの負担はさらに増大。
そのために教職員の方々の心の中に「こんなこと早く丸く収めてしまいたい」という焦りが生まれ、とりあえず表面上は解決したように見せればいいと対処法を誤ってしまったことで悲劇が起きてしまったのではないかと思うのです。
財政に余裕があれば専門のカウンセラーの方に常駐してもらうことができ、村松君は適切な対応により自ら死を選ばずに済んだかもしれません。
その資金が適正に使われていればの話です。お金がないからできないという言い訳をする人はお金があっても何もできません。
>>94
niconico_san_3 様。
貴重なコメントありがとうございました。
早速読ませていただきました。
悲しくて悔しくて、目が潤みました。
憤り怒りの類いではとても現せないほど許せない気持ちでいっぱいです。
同時に、私は矢巾町の事件でこの号の以前の号で、矢巾町の事件を上村君の事件と同じように考えて、苦悩の末、親に問題ありの意見をコメント欄で書いた者ですが、
学校の犯罪についてこのような事態に及んでいることを今日、niconico様の勇気の告白コメントで初めて知りました。
もう、niconico様におきましては、なんとお詫びしてよいやら…。只々自身の不明を恥じるばかりです。
貴方様のコメントを読んで、学校の隠蔽体質がここまで進行し且つ腐敗していることを知り驚愕しました。
企業、法人の犯罪、隠蔽はすぐマスコミによって暴かれるのに、学校のこれはもう、犯罪はどうして天下に暴かれないのか、マスコミはどうして及び腰なのか、憤りで震えます。
「勇気ある議員の告発」がなければ裁判があること自体知らなかった、ここを読んで私は全身の毛が逆立ちそうになるのではと思うくらい震え上がりました。
いじめという名のリンチ殺人、矢巾町の事件は氷山の一角という事実を、niconico様のコメントで知ることで私は思いを新たに強くしました。
niconico様、先の通り私は初め親の問題と判断した者で、私は矢巾のことについて語る資格はないと思いました。
でもこれだけは言いたいです。
マスコミは包み隠さず真実を報道して欲しいです。
たとえ学校が「聖域」だと思おうとマスコミが判断しても、真実は報道して欲しいです。
学校が神聖な場、表現と思想の自由をあらわす砦だと勝手に思おうとも、そんなの大人の都合すぎる勝手です。
警察を学校に踏み込ませないでくれなんて言う隠蔽極悪人の鼻っ柱を思いっきり殴りつけてやりたいです。せめて卑怯者の島の岡田一等兵のような役に立ちたいです。
でも時とタイミングがそういう機会を与えるのを中々許さないのでしょう。
それでもこのniconico様のコメントの告発が広がって、マスコミを動かす力になることを、私は願わずにはいられません。
niconico様、長文で失礼しました。
先生、少しコメント欄をお借り致しました。
ありがとうございました。
私の場合は母親が「学校に行かなくてもいいから仕事になる資格をとれ」「全日制がいやなら通信制の高校に通え」と道を示してくれましたから何とか今日まで生き延びることが出来ました。母親には本当に感謝しています。
前回の川崎事件、今回の岩手の事件といい、学校にも恵まれないのに親にまで恵まれないとは本当に残酷です。そして「心が優しい」ということが最大の弱点になるなんて、今の世の中は狂ってます。
先生の言うとおりです。イジメは今後「刑事事件」にするほかありません。そうしなければ解決なんて永遠にありません。
今週の号外ありがとうございました。
SNSが砂粒の個人を加速させ、共同体が崩壊しつつある現代では容易にカルト化してしまう問題を論じていましたが、学校の中でもインスタントカルトは頻繁に発生し、もっと昔から当たり前のように存在していたと思えます。
オウムのサティアンのような、カルト空間と化した学校では倫理による自浄作用は期待出来ないだろうし、教師や行政が隠ぺいしているとなると、小林先生の言うとおりもはや警察権力の介入しかないのかもしれません。
子供の世界は基本的に家と学校という狭いものである事が多いので、学校に行く以外の選択肢が乏しく、あったとしても取りにくいという問題もあると思います。
ここでも学校区単位での地域共同体の構築がキーワードになるのではないでしょうか。
号外の配信ありがとうございます。
いじめについてはゴー宣の読者たちがどのような考え、感想を持っているのか読み始めて、皆、様々な苦悩と今後の警戒心を抱いているか改めて知ることとなりました。子を持つ親の感想などは本当に説得力がありますし、苛めによってつらい体験をした方々の感想もまた、人々にとって深刻な傷を残すと改めて感じました。
自分自身の正直な感想を書こうかどうか迷いましたが、皆様の感想を読んでよく考えた結果、書き込もうと決めました。以前にいじめについて自分の正直な感想を述べたら
「自殺してもいないのに『深刻ないじめにあい、つらい思いをした』なんて言う資格はない」
なんて言われましたもので
まず、今回の事件についてですが、いじめ自殺事件が大きく取り上げられるたびに「日本は健在だ」と不謹慎ながらも思ってしまいます。なぜなら、本当のグローバル資本競争原理主義に陥ってしまうといじめ自殺も「自己責任」としてほとんど大きな事件として報道されなくなります。今後、もし、グローバル資本競争原理主義の習慣を国民一人一人にまで課していき、教育や子育ての現場にまで浸透すれば間違いなく今回のようないじめ自殺事件があったとしてもほとんど大きな事件として取り上げられることはなくなるでしょう。なぜなら、自殺してしまうまでに相手を追い詰めても自らが手を直接下さない限り、競争の一環として見なされるからなのです。これは教師や学校問わず、教育体制そのものが競争原理にさらされるからで、激烈な競争の中では自殺した人は存在そのものがなかったことにされ、忘れ去られてしまう構造となるわけです。
今回の事件は競争原理主義とは直接関係はありませんが、国がもし教育現場や地域共同体にまでTPPなどのグローバル資本競争原理を持ち込めば、間違いなく、いじめや自殺はもはや当たり前であっても個人による責任としてしか処理されなくなるでしょう。
私個人の経験からすれば、私自身は小学校後半から中学までは私立、高校からは大学までは公立でしたが、私立の教育とは競争原理を徹底的に教育現場に取り入れた学校で、規律は厳しいものの規律を守れば何をやっても許されるか、もしくは学校外で起こした出来事は自分で責任を取るという姿勢でした。よって、いじめがあっても規律の外と教師が見なせば見て見ぬふり、もしくは教師も問題を起す生徒はいじめられる生徒と見なし、徹底して自主退学を迫るなどして排除しようとします。よって、いじめの相談をしようものならその時点で「学業についていけない学生」として強制的に特殊教育機関に転校させられ、特殊教育機関で教育を受けたという学歴を一生背負わされてその後の進学、就職に絶対的な悪影響を及ぼします。このように個人の尊重なき個人主義と競争原理を徹底的に実施した教育でしたのでいじめにおける問題は公になることはなく、公になる前に強制的に自主退学、転校させて「問題なし」とされました。
私立となると教師の給料も雇用も安定しないことから教師も自分のことを考えるだけで精一杯でとてもいじめに関わっている暇もなく、結局、いかなる深刻な問題も教師の仕事に関わらない限り自分で処理をしなければならないわけです。むしろ、教師に行っても教師は中途半端な指導しか決まってしないので逆効果であり、生徒もまだ言葉で上手く伝えることが出来ないことから親に行ってもどうしても解ってもらえず、特に親が共同体がしっかり維持されていた学校での教育を受けた場合、まったく解ってもらえません。
よって、このいじめを避けるには二つしか方法がなく、一つはいじめる側に何が何でも加わるか、警察がでてくるほどの喧嘩をして問題をおこして他の生徒を恐れさせ近寄りがたい存在にするのかの方法しかありません。
話を岩手のいじめ自殺事件に戻しますが、自殺した村松亮君が東京都から来たことと、現場が岩手県だったことに起因があるのではと思いました。大都市から遠い地方に行って暮らせばわかりますが、地方ではいまだに東京などの大都市に対する劣等感が色濃く残っている所があり、東京都から来たというだけでやたらと地元自慢をしては地元の人々が集まると排除しようとします。その一方で東京に無理に近づこうとする一種の分裂した劣等感を持ち、それが閉塞感と相まって自分とはすこし違う東京都から来た村松亮君に対して集団で排除し救わなかったという部分もあるのではないのかと思いました。
実は進んだ大学がかつての栄光が見る影もないほどに落ちぶれた単科大学で、ならう教育も社会において需要が極端に少なくなってしまい、存在が危ぶまれるほどの大学だったのですが、この大学でも余所から来た人に対して、学生も教員も排除するという傾向が強く、いじめも頻繁に行われていました。後にこの大学は合併、消滅しましたが先行き解らぬ閉塞感と落ちぶれたという劣等感がいじめとなって表れるということはよくあることで、今回のライジングで取り上げられた事件でも劣等感とその劣等感から来る閉塞感、そして壊れた共同体よって生じた殺人事件を読んで改めて思い、書かせていただきました。今回のライジング号外を読んで、いじめについて自分自身の正直な感想を述べましたが、やはり、他の人のコメントを読むと改めてよく考えさせられます。
いただきますと念じた後、ガツガツむさぼり読ませてもらいました。
小林先生の「子供を守る」ということへの熱意を感じました。独身者の自分には、ここまで関心を持って事件を調べる気は正直ありません。
しかし、こうして拝読するといろいろな感情は沸き起こってきます。
まず「子供を舐めてはいけないな」と思いました。
また、自分の経験を思い出しても、学校は危険な閉鎖空間だと思います。あの逃げ場のない絶望的な感覚は忘れられません。
今回のことではありませんが、いじめで子供が自殺した事件へのテレビのコメントで「学校なんて数年で卒業なんだから、何も死ななくても」というのを聞いたことがありますが、そういうことじゃないんだよと思ったりしました。
いじめやからかいの対象は風向きによって変わるので、運良く学校で辛い思いをしたことのない人もいるかも知れませんが、少なくとも親なら、「学校は危険な場所」という認識を持っていなければいけないなと思います。
リンチという暴力には警察という暴力装置しかないのも、教師が頼りにならないのならばそれしかないと思います。教師の体罰が完全に論外とか、そういう時代の空気に萎縮して余計にそうなっているのでしょうか。
それにしても「逆バネ」というのは嫌なものですね。ただの思考放棄なのに、思考してるフリができる。反サヨクの従米保守を思い出しました。
号外配信お疲れ様です。遅くなりましたが、簡潔に感想です。
この事件を知った時の感想は「この子は弱すぎたのかな」というものでしたが、いじめの内容など詳しい事情を知ると「なぜこんなことに……」と、対応の甘さに怒りを覚えます。
私にも被害者の経験はありましたが、ほんの少しの教師の介入により、彼らとは良好な関係に転化しました。
比べるべくもありませんが、もはや対応は強化せねばならない事象もあることを思い知らされました。
岩手中2自殺事件であれだけハッキリと
SOSが出ていたにも関わらずそんなものは
ないようにふるまった女教師の対応の杜撰さは
鈍感というより面倒ごとに巻き込まれたくない
という自己防衛が働いたからだと思います。
そんな女教師を擁護する人が現れることにも
驚きます。もし自分の子がそんな目にあっても
同じことが言えるんでしょうか。
今の日本はとことん腐ってることを見せつけ
られました。
岩手の事件、痛ましいですね。母親と親友の温もりを感じながら、列車に飛び込んだのでしょうか。最後まで優しいまま、人生を終わらせてしまった少年。
誰が悪いわけでもなく、彼が思い込み過ぎていただけ、なんて事にされてしまったら、それこそ死んでも死にきれません。命を賭して伝えようとした事が、無駄に終わってしまう。
そんな非情で無情な世の中は、まさに“闇”です。無秩序が跳梁跋扈してしまいます。
何でも相対化させて、真実から目を逸らそうとする人間が居る。ただ面倒臭がってるだけなのに、それを知的な振る舞いであるが如く装おうとする。
担任の教師は、自分のすぐ近くで深刻な問題が起きていると認めるのが面倒臭かったのでしょうね。自分こそが一番関わらなきゃいけない重大な問題なのに、自分に引き寄せて考える事が出来なかった。その結果、子供の命を守れなかった。
どの様な事柄でも普遍的と捉えず、実証主義にもとずき、検証し立証していく。絶えず思考を続けていく。これこそが、歴史を繋げ未来を明るくしていく方法なのだと思いました。
亮君の御冥福を心より御祈り申し上げます。
いじめっ子、男系絶体さん
いじめられっ子、天皇さん
見て見ぬふりっ子、全国民
反論出来ない存在
最高に優しい存在
日本で起きている
一番大きなイジメはこんな感じ?
雅子さまが自殺すれば
みんな気付くのかな?
なんと恐ろしい
日本の事
全然知らないなぁ
守る力付けないと
美輪明宏が昔から好きで、勝新の回のみ単行本に収録された
ザ・カリスマンガの美輪明宏回が載ってるPANJAを
大宅壮一文庫まで閲覧しに行ったほどです。
美輪明宏はそのときの感想として
「あの人絵がうまいわねぇ」と言っておりました。
(美輪明宏も日本画の心得があるので人並み以上の腕前)
ですので遅くとも20年くらい前から
画力を評価する声はあったと思います(笑)
その美輪明宏も「いじめは暴行・恐喝、万引きは窃盗」
と言い換えねばいけないと常々言っており
「安保法制」もそうですが言葉が一度定着してしまうと
時には辞書レベルでの是正(そんなことが可能なのか)が
必要となるので根深い問題だといつも思います。
『卑怯者の島』の感想にて失礼いたします。
文中、実在の人物から採られたであろう名前に触れる際、敬称は略していることがあります。とくに尊敬する時浦師範代、申し訳ありません。
この戦争物語は、あの「戦争のある時代」を駆け抜け、生き切った全ての日本人への、よしりん先生からの渾身の鎮魂歌だと感じました。全編を通して、あの時代を生きた人々への愛が溢れているように感じ、度々涙してしまいまた。これは反戦でも好戦でもなく、描写の恐ろしさにより単に厭戦を煽るためのものでもないと思いました。
まずこの物語は、戦争に対して左右両陣営が抱く幻想を木端微塵に打ち砕いてくれたと思います。戦時下の内地の女性についてですが、左翼はよく「戦争で犠牲になるのは、必ず女性と子供だ」と紋切型に言います。しかし、個人の生存本能や生命力が最大限になるのが戦時であるため、劇中では女性もその本能を存分に発揮してくれています。
女性の生命力の象徴として描かれた恩田美奈は、「軍神さま」と呼ばれる手足を失った村の有力者の傷痍軍人に見初められます。ここで右陣営が信じる愛国物語では、大和撫子は軍神さまの嫁になれることを、建前であっても名誉としなければならないはずです。しかし、美奈は「絶対に嫌だ」と言い、幼馴染の国武神平に婚約者のフリを頼んでこれを拒否しました。そして、軍神さまに啖呵を切って嫁入りを阻止してくれた神平には彼の出征前に体を許します。
しかし、また別の場面では、もう一人の幼馴染の矢我通明に「戦争が終わったら頭のいい人の時代」だから「生きて帰ってきたら、お嫁さんになってあげる」と言います。そして戦後、激戦のあった島からたった一人帰還できた神平の前には、全く知らない青年の子を宿し臨月の大きな腹を抱えた美奈が現れます。
つまり右に対しては、樺太の真岡郵便電信局の九人の乙女や、沖縄のひめゆり学徒隊のような聖女の美談ばかりに偏った見方をするんじゃないと挑発し、左に対しては実は女は全然弱くない、もっとしたたかなんだぞと迫っているかのようです。
次に戦地の男たちについてですが、冒頭水際での凄まじい白兵戦描写において神平の卑怯な振る舞いを見せることで、まず右陣営が抱く日本軍人無謬論を徹底的に破壊し、同時に左が敵視してきた虚像をも破壊します。転進(撤退)した先の洞窟の場面では、死へのカウントダウンが聞こえるような絶望しかない地獄が描かれます。
矢我少尉(通明の兄)が別部隊から調達してきた、玉砕戦を戦う最期の栄養源としての食料は、やがて生への執着に囚われた者たちに狙われます。重症のためもう戦えない身であるのに、盗んだ者から食料をもらって食べてしまった広井一等兵は、「生きたくて負けてしまう」から「殺してくれ」と言います。矢我は「死ぬべき時に死ななければ、人間は必ず堕落する」と言って彼を殺しますが、盗み食いした者たちを罰することはせず、「(食料を盗むという)今の卑怯も、明日の勇敢への布石かもしれぬ」として許します。そして自分も戦闘のできない体となったことを覚った矢我は、割腹自決して見せ、鉄兜に溜めた血液を斬り込み隊員に飲ませて玉砕部隊の皆を鼓舞します。これは、戦国以前の武士集団における血縁よりも濃い絆に相当し、最後の武人が大東亜戦争までは生きていたことを読む者に印象付けました。
しかし、玉砕戦そのものでは結局戦果らしいものは挙げられず、偶然捕虜となった神平を除いては誰も生きて帰る事ができませんでした。戦果の期待できない玉砕戦を戦うのは犬死じゃないかという理屈はありますが、通明が言ったように「意地を捨てたら戦争には勝てない」と思います。矢我少尉が卑怯を犯してまで救おうとし、少尉との血の盟約も交わしていない通明が玉砕戦へ合流したのは、彼の言葉の通り、そこには「意地しかない」からでしょう。
此処で思い出されるのは『戦争論』の1シーンで、特攻隊に志願した学鷲たちを取材したジャーナリストに、一人の若者が答えた言葉です。「簡単に勝てるとは思っていません」が、我々の戦いは「講和の条件にも関わってきますよ」「そう、民族の誇りにね」という件です。『戦争論』を最初に私が読んだとき、最も心を捉えたのが学鷲の澄み切った表情とともにあるこの言葉でした。おそらく通明の玉砕前の言葉はこれに通じていると思います。
かつて宮崎哲哉氏が『戦争論』を批判していた頃犬死批判をしていましたが、『戦争論』の上記エピソードに加え、今次の『卑怯者の島』の通明のセリフにより、この異議に対しては完璧な回答を出されたと思います。
また、最期の作戦遂行前に通明が、神平とともに育った故郷での良き思い出を語ったのは、例え今の非人間的な戦場が現実であっても、自分達を育んだ故郷が確かに存在したことの確認だと思われ、それは単なる感傷でもなく、彼の地の愛しき者たちを守るためには今戦うしかないんだという、私と公との葛藤から個人としての決断に至る過程において必要な儀式のようなものだと、私には思えました。
そんな彼らと対照的に描かれたのが時浦上等兵です。故郷では母や兄弟たちに常に暴力を振るう父とともにあり、兄弟を守るためやむを得ず父に対して暴力で反撃し、以来卑屈になった時浦の父ですが、彼の出征時には「死んで来い」とばかりに満面の笑顔で送り出しました。つまり時浦は、故郷から半ば切り離され、戦う動機を矢我隊長への個人的な忠誠心や観念的な何かで埋めるしかなかったのであり、おそらく、それゆえ最期の時点での弱さにつながり、判断を誤って作戦の失敗に帰結したのだと思われます。
さて、ここから極めて不遜な言い方をしますが、お許しいただきたいと思います。戦争の時代に、実際に戦場で戦い、散ってゆき、同じように靖国神社に祀られている英霊たちも、皆が同程度に尊敬を受けるような人格であったわけではないと思います。運に恵まれなかったせいもあって、勇敢と卑怯の葛藤において卑怯の方へ流されることの多かった人もいたと思います。しかし、それでも、あの時代にあの戦場で戦ってくださった人は皆、顕彰を受ける資格があるのだという、極めて当たり前のことを再認識させてくれるという意味で、これは「靖国物語」の側面もこの作品にはあると思います。
戦後は、戦地でのことを何も語らなくなった元日本兵たちは、おそらくどう言葉を尽くしたとしても戦後の日本人に通じるとも思われず、下手に喋れば嘘も混入するかもしれず、それでは亡くなった戦友に申し訳が立たないと感られじたのかもしれません。英霊に成り損ねたことで、死に場所と生きる意味を同時に失った人々の声無き声を、よしりん先生が限界まで思想・推量し、渾身の力で以って紡ぎ出された物語が『卑怯者の島』という作品なのだと考えます。
翻って現代日本という「卑怯者の列島」は、米軍基地という偽りの安全装置により、死神が極限まで遠ざけられている幻想が横たわり、そのために逆に生の輝きもほとんど感じられず、自己肯定感とともに生の実感が失われれば、簡単にその刃は弱者に向かうという世相です。
現代日本が舞台の最後のシーンにおいて、死に場所を求めて彷徨っていた老神平は、若い女性を人質に取って立てこもらんとしたバスジャック犯の青年が持つナイフを、青年が持つ手のまま自らの腹に、割腹自決するような格好で突き立てました。そして、これでやっと戦友たちの元に還れると言って…。
一読後、この物語はこんな結末を迎えるしかなかったのかと悲しく思いました。しかし再読・三読してからは、戦死者にも生還者にも非常に冷淡になった戦後日本、ひょんと死んだ骨を顧みなくなった日本では、やはりこれ以外の結末は有り得ないのだと思うようになりました。
あの戦争のある時代を生き切った全ての人達、とりわけ戦後は誰もスポットライトを当てなくなった人達への大きな愛に溢れ、また真実(への漸近線)を深く探究しながらも、その愛を途切れさせることなく歌い上げられた一大叙事詩のように感じました。同時に、生の輝きを得にくい現代日本人にも、生き方の指針を与えてくれるものだと思います。さらには戦死者の視線を意識させることで、戦争の時代から地続きの現代の日本国において、その為政者が道を誤らぬようにと見張っているかのようにも思えます。
私はきっとこの作品を、これからも何度も何度も読み返すはずです。日本が再びこれから戦争の時代に突入するのか、それとも踏みとどまれるのか、予断は一切許しませんが、これから自分が遭遇する勇敢と卑怯との葛藤の場面において、正しい決断を下せるように思想を深める努力をしたいと思います。
本当に、本当に素晴らしい作品を世に送り出していただきました。ありがとうございました。 (了)
短文にまとめきれず長文になってしまい、申し訳ありませんでした na85
高森先生、ブログで、泉美木蘭先生の名前が木蓮になっております。
黒柳徹子のユニセフ関連の言動は、理由も無いのでさが、何か胸にグッとくる事は有りませんでした。
道場の打ち合わせの席での、女性師範方の優雅な出で立ちが、また見たいです。
(TДT)
小林先生と田原さんの映画の解説が話題となっているとの事で、嬉しいです。安保法制や新国立競技場の問題をきっかけに、少しでも多くの若者や女性の方々が、真に目覚めてくれたらいいな。
14日の朝生、楽しみ!
あと、『まれ』ですが、小林先生は、まだ楽しんで見ておられますか?
今、超絶面白くて、毎日、楽しみで仕方ありません。先の読めない展開が続き、ハラハラしっぱなしです。
ネットでの評判が悪いとの話を聞く度、誰でも無責任に書けるネットなんて何の参考にもならないと力説しております。
再度「卑怯者の島」について書き込ませて頂きます。
作中に出てくる美奈ちゃんと軍神こと中澤の評価が真っ二つに分かれてるとか。
ちなみに私としては、軍神・中澤は不快な存在ですが、美奈ちゃんに対しては面白い子だなと思ってます。
この二人に対する好き嫌いが別れるのは、多分、両者とも自分の思うままに生きているからではないでしょうか。もっとも軍神・中澤の印象は、何処か「東大通」や「御坊茶魔」にも似た感じがします。よしりん先生のギャグ漫画の手法が詰め込まれた、ある意味計算尽くのキャラクターなのかもしれませんね。
日ごろ「人権、人権」と言っときながら中国のチベット・ウイグル民族弾圧が国際的に表面化したときには一切発言しなかった人だからなぁ…個人的には黒柳徹子さんは「なかなか腹黒い人間」だと思ってます。先生の「黒柳擁護論」という言葉は非常に的を射ていますね。
naさん
なんかありがとうございます
ハズくてこそばゆいですが
一つの自信となりました
『駄洒落が伝わってた!』という意味の
ランパダさ、、、じゃなかった
ランバダさん、なんかすみません誘発、、
痛みの告白B
とてもとても貴重で重要な話でした
これまた一つの自信となりました
『偉そうにコメントしてよかった!』という意味の
京都以来、スマホを持つ右手に何か乗り移ったかのように文字を打っております
小林よしのりのせいだ
もう少し落ち着きを取り戻そうと思います
ノンノンあげんぽ
イェス!あげんぼ
マッチでぇ~す!くろやなぎさ~ん!(ダイノジ・大地の真似です)
木蘭さんの道場ブログで取上げられていた「黒柳徹子白熱論争」についてですが、僕もその話に乗ってみようと思います。
シャネルズの件についてですが、これは小林先生と同じ「黒柳懐疑派」です。徹子の偽善ぶりに、鈴木雅之は心の中で「違う、違う。そうじゃ、そうじゃな~い~」と歌っていたのではないでしょうか。
ただ光GENJIに関しては「黒柳一部擁護派」です。よく考えれば、物が余っているから寄付すればいいなんて、完全に上から目線で安易な発言ですよね。金や物を寄付すれば善人になれるだろうという、アイドルの思い上がりを戒めた点は、徹子のファインプレーだと思います。ここだけは徹子を褒めておきます。
しかしアフリカの恵まれない子供だって、一生に一度くらい「贅沢」をさせたっていいでしょう。「恵まれない子供に贅沢を覚えさせるな」なんて、「カラスに餌付けをするな」と言ってるのと同じだと思います。そもそも徹子はアフリカの子供を人間扱いしていないのでは、という疑念が沸きます。
僕は黒柳徹子と徳光和夫の涙は、まず信用しません。徹子が偽善者だというのは、霊長類の常識ですからね。かつて松本人志も「遺書」という本で「アフリカでは死にそうな子供を抱きかかえて泣いているくせに、日本では億単位の豪邸に住んでいる偽善者に疑問を持とう」と、暗に徹子を批判してました。
小林先生やもくれん先生や高森先生の『卑怯者の島』の美奈を巡る、男女論(?)がすごく興味深いです。
「
日頃、清潔で親切でよく本を読み頼りがいのある男の人であっても、
セッティングが整えばどうせほんとはめちゃスケベなんだと思ってたーっ!
」
というのは、現在の20代くらいの欲望の衰えた若年男性には該当しないかもしれませんが、セッティングの整不整に関わらず「あわよくば」と下心を隠しているのが普通の大人の男でしょう。拙者もそういう面は無きにしも非ずですが、そこまで飢えていません(笑)
女性や周囲を惹きつける男の色気・魅力の無さを補うのに便利なのが、表面上の知識や優しさだったりするので、とくに性欲を失っていない中年のモテない男ほど、下心を覆い隠すために「清潔で親切でよく本を読み頼りがいのある」振りをしたりします。
そんな中年男の安物化粧を、経験豊富な感性の鋭い女性は一瞬で見抜いてしまいますが、経験乏しく鈍い女性は簡単に騙されます。モテない中年男は、若かりし頃の数少ないそういう若年女性との成功(性交)体験からか、画一的に女性を未熟と捉えるのでしょう。経験乏しい中年男ゆえに女性をナメているので、ますます魅力を失いモテなくなる、という悪循環なのかもしれませんね。
「軍神さま」中澤は、男というよりも人として魅力的ですね。恰好をつけて実はバレバレのみっともなさを熟知しているというか、下らない体裁に振り回されない素直な生き方に惹かれます。美奈にも近いものを感じます。『卑怯者の島』の登場人物はほとんど全てが魅力的で、個々の表情や目に魂が憑依しているので、映画化で漫画以上の作品に仕上がるとは思えません。技術的には可能でも、出演者は俳優生命をかけた演技を強いられるかと(笑) 小林よしのり監督以外での映画化はしてほしくないなぁ...動画、楽しみにしています!!
いや驚いた。
安倍総理は今日の国会答弁で
「憲法第9条は将来においても安定性は確保される」
と答弁した。
改憲するのではないのか?
軍神さまと美奈ちゃん議論について。
私は軍神さまの愛国心は信じられます。
「手足を失うことより、俺の日本を失ったことの方がつらい」
と断言しましたし、
神平が「俺は英霊になる!」と宣言した時に、
とても悔しそうに言い返せなかった表情からも、
彼の「価値観」を感じました。
確かに女性に対して粗暴な態度は生理的に嫌いですが、
彼の価値観について、私は好感を持ちます!
一方、美奈ちゃんの愛国心は信じられないです。
あそこまで過去を割り切れる情念の薄い女とは、
私なら結婚したくないです。
・・・などと言っていたら、妻からは「私は美奈ちゃんの気持ちの方が分かる。というか当たり前じゃないの?だって過酷な状況でも生きていく必要があるのだから。それがリアルだと思うよ。」と反論されてしまいました(泣)
・・・そ、そうなの?そういうものなの?
それなら「お堂に誘ったパッション」って一体なんだったの?
私は女が全然分からないっす (ToT)
「黒黒柳」か「白黒柳」の論争について。
その正体が腹黒黒柳だったとしても、
「反射神経の鋭さ」が凄いなぁと私は関心しました。
黒黒柳か白黒柳か白黒つけなくてもその点を評価します。
尚、黒柳はパンダが好きです。
私はこの手の話題はあまり興味も持てず、ニュース等で断片的に見聞きするのも嫌なので、いつもライジングで詳細を知ることになります。
今回のゴー宣は素直に勉強になりました。
いじめ自殺というとやはり親が問題なのかな、と思いがちですが今回のように色々なケースがあるのだと感じました。
担任教師が何もせず、学校も何もせず、親もある程度やったものの止めることはできなかった。
(私的には親の努力は足りなかったとは思うところもありますが)
これでは止める術は書かれているように警察に介入してもらうしかありません。
子供のいじめっ子なんてものは警察が出てくれば大抵はおとなしくなると思います。
というか、警察が出てくるほど悪いことなんだとわからせるのは必要でしょう。
本当は地域の共同体でなんとかカバー出来ないものかとは思うのですが、岩手県でも無理となると難しいのでしょうか。
物騒で心のないやり方かもしれませんが、警察の介入が必要だと思います。
黒柳徹子論争に私も参加します。
個人的にはモロにベストテン全盛期を知ってる世代ですし今でも平日の昼飯時にテレビ見るなら徹子の部屋を見てる人間なので黒柳徹子自体は好きな方ですが、今回話になってるシャネルズや光GENJIの件はどっちかというと「懐疑派」で偽善も疑ってます。そういえば一時期テレビ朝日で徹子の部屋はもちろんニュースステーションにもほぼ月イチペースで出てきてユニセフの宣伝とかもしてましたね(まあアレは久米が強引にベストテン等当時のレギュラー番組全部を降りてニュースステーション始めたことに黒柳が激怒して、それに対して久米やテレ朝が気を使ったって側面もあったようですが)
ただ>>119でmonmonさんが仰られてる「アイドルが上から目線で・・・」ってのもわかります。そういえばもうすぐ日テレの24時間テレビがありますけど、アレなんか「上から目線のザ・偽善」ですからね。
いただきます
号外ありがとうございました。
ネットニュースで、自殺した生徒が「氏にたい」と書いてある生活ノート(交換日記?)の返答に「明日からの研修がんばりましょう」とか返答している記事を読んで、「なんじゃこりゃ?」と思っていました。この女教師は、一度解決したと思っていた「いじめ問題」がまだ続いているという現実から目を逸らしたかったのでしょうか?それともただ単に「常識的な国語力」がないのか?どちらにせよ「教師になってはいけない人間」だったのでしょう。
それと、悪ガキの対応は、なんてずる賢いのでしょうか。
旧掲示板で、姪っ子のいじめの話を書かせて頂いたのですが、その時の、「いじめっ子」のずる賢さには、私もびっくりしましたね~^^;
幸い(?)女の子同士の問題だったので、警察が介入する必要なものは、無かったのですが、何の進展もなければ、私が暴れようかと思っていましたがw
遅くなりましたが、どうも、ごちそうさまでした
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いただきます。お休みのところ配信していただきまして、ありがとうございます。