2013.4.26発行
『ゴーマニズム宣言』 「『主権回復記念日』はインチキである!」
わしは平成17年(2005)、『沖縄論』を上梓した。
もう8年も経つが、その内容は全く古びていない。逆に言えばそれは沖縄の基地問題がこの8年間1ミリも動いていない証明でもあり、決して喜べた話ではないが、まだ読んでいない人は、ぜひ読んでほしい。日本人として知っておかなければならないにもかかわらず、特に本土の人間がほとんど知らない事実を、わしはこの本に目いっぱい詰め込んでいる。
この本の中で、わしは一つの懺悔をした。
わしは以前、自称保守派の知識人に誘われて4月28日に九段会館で行われた「主権回復記念日国民集会」というのに登壇し、講演をしたことがあるのだ。
この集会は平成9年(1997)以降、東京大学名誉教授・小堀桂一郎らの呼びかけで毎年行われ、そうそうたる自称保守の知識人たちが登壇し、日本会議など主要な自称保守団体が協賛している。
昭和27年(1952)4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効した日こそ、日本が主権を回復し、独立した日であるのに、この日の意義を現在の日本人のほとんどが知らない。今こそこの日を記念し、祝日として、日本人の独立心を取り戻さなければならない……と、彼らは全員一致で唱えていた。
当時、従軍慰安婦問題に始まって歴史教科書運動や『戦争論』で、わしは自称保守知識人との付き合いが多くなっており、名だたる保守言論人が全員一致で熱心に主張するのだから、そうなのだろうと思ってしまったのだ。恥ずかしながらその頃は、皇統も自称保守言論人が全員一致で言っているのだから、男系でつなぐべきものなのだろうと思っていた。
しかし9・11テロやイラク戦争で「保守論壇」に決定的な疑義が生じ、さらに個人的な興味から沖縄について描きたくなって、保守フィルター抜きで沖縄について調べ、取材を重ねていくと、4月28日が「主権回復記念日」なんていうのはとんでもないウソ、欺瞞であることがすぐにわかった。
サンフランシスコ講和条約の発効によって沖縄、奄美群島、小笠原諸島は日本から切り離され、アメリカの占領下に置き去りにされた。
それから昭和47年(1972)5月15日の本土復帰まで、沖縄の人々はあらゆる苦難を押し付けられてきた。いや、今でも沖縄は過重な米軍基地の負担を押し付けられ続けている。その起点となった4月28日を沖縄の人々は「屈辱の日」と呼んでいたのである!
わしは『沖縄論』で「沖縄戦後史」に特に力を入れた。
本土が「主権回復」したと思い込んでいた後も、沖縄は米軍の軍政下で植民地とほとんど変わらぬ扱いだった。沖縄の人々は先祖伝来の土地を米軍の「銃剣とブルドーザー」で強奪されながら、それに抗議する「言論の自由」もなかった。
そんな中で、沖縄の人々は切実に、熱烈に「祖国復帰」を求め続けた。しかしそれに対する本土の者の態度は、冷淡そのものだったのである。
60年安保闘争の時でさえ、本土の反安保勢力は沖縄と連帯しようという動きを見せなかった。左翼が沖縄の味方であるかのように振る舞いだしたのは、反戦平和イデオロギーに利用できると気付いてからである。
そして、さらに非道だったのは「保守」の者たちだった。保守派は沖縄よりも日米関係の方が大事であり、経済援助によって沖縄県民を分断し、米軍支配の固定化に力を貸していたのだ。
わしは『沖縄論』で本土の者、それも特に「保守」が沖縄の思いに関心を向けず、いかに裏切って来たかを、包み隠さず描き出した。
すると、『戦争論』を絶賛した自称保守言論人たちは、全員一致で『沖縄論』を無視し、平然と「主権回復記念日」制定を求める集会を毎年続けてきた。
安倍晋三にとって「主権回復記念日」は、「女性宮家創設白紙化」に続いて自分の支持基盤である自称保守団体に媚びる絶好のネタである。
安倍は4月28日(日)に政府主催の記念式典を開催する。今すぐ祝日法を改正して4月28日を祝日にはできないが、政府主催の式典を開き、将来の祝日化を匂わすだけでも自称保守層のご機嫌取り効果は抜群だろう。
しかし当然これには沖縄からの反発がある。祝賀イメージのある「記念」の文字を外して「主権回復の日」と名前を変える程度の姑息な手段で収まるわけもなく、仲井真沖縄県知事は式典の出席を見送り、当日沖縄では1万人規模の抗議集会が開かれる予定だ。
安倍は「(沖縄等の)気持ちにも十分留意しながら式典は行なわなければならない」と述べたが、それならこんな式典をやってはいけない。実際、安倍は韓国国民の気持ちは「十分留意」して「竹島の日」の政府式典をあっさり中止したじゃないか。それなのに、なぜ日本国民である沖縄県民の気持ちは踏みにじり、「主権回復の日」の政府式典を強行するのか?
ところで、沖縄にも「4月28日は屈辱の日ではない、祝賀して何が悪い」と主張する人はいる。
サンフランシスコ講和条約発効翌日の昭和27年4月29日、沖縄タイムスの社説に「国際社会へ復帰した祖国日本の慶事を我々琉球住民は無量の感慨をこめて祝したい」という文言があるのを始め、当時の沖縄の新聞は、日本の「主権回復」を祝賀する論調が普通だったと主張している人もいる。
このこと自体は、埋もれた史実の発掘として意味はある。だがそれが、いま4月28日を祝っていい根拠になるだろうか?
コメント
コメントを書く(ID:6933238)
「主権回復記念日」とは本来、終戦日や沖縄本土復帰日と同じく、自主防衛が達成できずに米軍占領時と同じく、米軍依存が継続した屈辱の日であり、米ソによる沖縄諸島、先島諸島、千島列島、樺太南部における支配権によって日本の南北の分断が確定した日でもあったのに、これを屈辱の日と思わないでいるということは、最初の敗戦である浦賀でのペリーの白旗砲艦外交を「来航記念日」として祝っている人々と同じであると思いました。
おそらく、白旗砲艦外交も、この「主権回復記念日」と同じようにして天皇陛下の御意志とは裏腹に歪められていったのだと思います。以前は反日の左翼、サヨクが終戦日を「沖縄県や日本の人々にとっての解放記念日」と祝っていましたが、安倍首相も日本における、沖縄県や千島列島、樺太南部の主権を失った南北の分断の日である4月28日を祝っている時点で反日の左翼、サヨクと同じであると感じました。「解放」という言葉をあえて使うならば日本の主権から「解放された日」でもありますから。
そして、一番に思ったのは沖縄タイムスも琉球新報も左翼、サヨクではあっても本当の意味での反日ではないのだと思いました。おそらく、思想信条、知識を問わず、沖縄人を含む日本人の大半が自分の、自然に天皇陛下や郷里、事業に愛着がわき、共同体もしっかりして助け合い、自立性も独立性も自由もいまより強いとされた江戸時代に回帰したいという本心とグローバル近代化に進む現実における軋轢に疲れを感じているのだと思います。国によっては話し合いどころか文化や部族、民族の違いによって原理からして違うことから絶対に相容れず、統一が不可能な国と違って我が國、日本は心にある原理が同じであることから平和裏にまとまり皆が幸せになりやすいのに近代化以降、その幸せに向かって國が導かれた形跡がまるでないのが残念でなりません。
「開戦前夜」に見る、日系ブラジル人はまさに、この日本人の心の原理を失った人々なのだと思いました。原理という軸を失った人々は精神的に不安定になり、偏った情報の偏った解釈による行動を起こしやすく、その結果が2chによって行動を起こしたネトウヨであり、日系ブラジル人でした。江戸時代は我が國の原理が実践された時代だったらからこそ、強い自治性を保ちつつ、少ない犯罪により、平和に過ごせたのだと思います。
グローバル化や近代化は原理を溶解させ、民度を極限にまで低下させてしまいました。
(ID:20987768)
私などは大した事も言えないのですが
この日の事を忘れない
そんな気持ちは持っていたい
と思います。
ありがとうございます。
(ID:14255373)
結局、安倍内閣は天皇皇后両陛下を、『主権回復記念日』の
式典に無理やり出席させた。
恥ずべき政治利用だ。
どこからともなく『万歳三唱』の音がきこえてきた。
その音に、両陛下はお心を痛めておられたという。
4月28日が『主権回復』の日だと?
嘘だろうが!
陛下を辱めた自称保守は全員、恥を知れ!
ここまで読んでくださった読者の皆さん、本当にありがとう
ございます。
また、新たにライジングを購読して下さったみなさまに、
あらためて御礼と感謝申し上げます。
次号は、
小林よしのりライジングVol.36
「自民党の憲法改正案の恐ろしさ」
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