ビュロ菊だより

<菊地成孔の日記 令和3年1月28日 午後3時記す>

2021/01/28 19:00 投稿

コメント:89

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 雨である。雨であるだけで素晴らしいのに、雪と混じりつつある。こういうのを淡雪という。重ねて、素晴らしい。淡雪を見ながら日記を書く。明治時代の文豪にでもなった気分である。

 

 大体、10時から11時の間に起床。という、微妙な昼型が定着しつつある。これだと3時に眠くなるので、「真夜中」という時間も楽しめる。先日、DOMMUNEに長時間出て、終わり、一人で外に出た。

 

 僕は渋谷という街が元々苦手だった。やっとここに来て、「少し苦手ではなくなるかな」と思ったのは、テレビなどで盛んに見る、「渋谷の再開発」の様が、とても気に入ったからである。宮下パークには行ってみたい。寿司仲間の間で噂の寿司屋が出ているという情報も入手した。僕は何十年かぶりで、渋谷にワクワクした。それは恋に似ている。恋に似てる何か。

 

 しかし、DOMMUNEがあるパルコ周辺は、その区域の(今の所)外である。だが僕は、外に出た瞬間、踊り出したくなる程舞い上がった。

 

 誰もいなかったからである。

 

 それは映画のセットのようだった。端的に懐かしい。これは、昭和の渋谷だ。60年代、映画の大手5社には全て「日活銀座」「東宝銀座」「大映銀座」といった、屋外型セットがあった、チネチッタにあったヴェネト通りを、フェリーニは「実際のヴェネト通りよりも、私にはセットの方がリアリティがある」と言った。

 

 コンビニがなく、公衆電話がたくさんあり、歩きタバコが吸い放題で、終電を過ぎると、ほとんど誰もいなくなり、やっている店は大通りにはない。そんな光景が、コロナによっていきなり現出した。

 

 それまで7時間以上パルコに閉じこもっていたので、エレヴェーターのドアが開いた時には、声に出して「うわああああああああ」と漏れてしまった。

 

 30分ほどタバコを吸いながら歩き回り(一人も行きあたらなかった)、色々なことを思い出した。僕が通った音楽学校は池尻大橋にあった。僕が教鞭を執っていた音楽学校は渋谷にあった。様々な人と、渋谷を歩いた。常に居心地の悪さを感じながら、胸がときめいていた。

 

 コロナが僕に与えたものは、概ね全て楽しいものだった。しかし、もし、真綿で首を締められるような、誰にでも共感してもらえるであろう閉塞感が、ネガティヴなものとして僕の中に堆積しているとしたら、コロナはこの一瞬を持って、それを全て精算したと言えるだろう。僕には、空気が綺麗に見えた。

 

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コメント

菊地成孔 菊地成孔
(著者)

>>90

 SNSは、やらないで生きて行けるのであれば、やらない方が些か良いと思いますよ笑。「菊池」は気にしないでください笑。これからもう、「どっちでも良い」ことにしようかなと思っています笑(戸籍上は「菊」は竹冠ですし)。ライブは、状況が変わったらやりまくるつもりですので笑、気長にお待ちください。

No.92 45ヶ月前

皆さんの話題と違う事を書きますが
いきなりステーキの「肉マイレージ」のチャンプ(2020年11月時点)は、フリーウィル社長、DIR EN GREYプロデューサーにして、バンドCOLORのボーカルであるダイナマイト・トミー氏です。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202011080001489.html

ダイエット目的だった事も大変クールだと思いました。

No.94 45ヶ月前
菊地成孔 菊地成孔
(著者)

>>94

 面白い!笑

No.95 45ヶ月前
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