節分が正しくはいつだか忘れてしまったが、セブンで豆を買い、一人で「鬼はー外!福はー内!」と学童のように叫んでいるところを想像したら、思わず笑ってしまった。野暮はししゃんせ侍ならば、誰が鬼だか福の神。ベランダで恵方巻きの代わりにタバコを咥える。見下ろす街は静かで、穏やかである。
明後日、生検の結果が出るが、吉と出ようが凶と出ようが報告することにする。ただ、自分が平気でも、知る方がデリケートだった場合、知らせない方が良いこともある。Twitterがみるみるファシズムの傾向を露わにし(僕が露わにさせているという側面もある)、僕自身は呆れて笑っているのだが、デリケートなファンは苦しむだろうと思うと、我が不徳の至りに胸が痛む。
正義感と潔癖性が、暴力衝動と繋がっているのはいうまでも無い、民が正義を遂行しているという自意識で殺意に陶酔しているなどということは日常茶飯事である。幼児虐待の親のほぼほぼ100%が「躾のつもりだった」と言う。問題は集団性と、「手を汚さない事」への無意識的罪悪感だろう。「蜘蛛巣城」の山田五十鈴である。ファシズム化と、「毎日何度も掌をアルコール消毒」という義務は、とんでもない偶然によって結びつき、きちんとバランスしていると思うと、ちょっと笑う。
ここもスクショされているという現象は、端的にパパラッツィの子孫で、「時事ネタ嫌い」に<一般(者)報道>として書いた記憶がある。暇に任せて「時事ネタ嫌い」を読んだが、呆気にとられた、あの回のこの部分が、といった話ではなく、単純にもう、歴史はたった10年単位でリピートされているとしか思えない。一冊ほぼほぼ全てが今の話である。
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コメント
長らくメールの方で拝読していましたがスクショのおかげでコメント欄の存在を知りましたはじめまして!
騒動については肺炎ならタバコやめたほうがよくない?ってな話なのでは、、とか無人警察が懐かしいなあといった感覚になります。
それにしても昨夜のdommuneでは谷王氏の帰りたい帰りたいに爆笑させていただきました(間に合わなかったとの佐々木敦さんのツイートも含め)。
AAも早速買いたいのですが2版から黄色くなると聞いてそっちの方がいいな、、と思い留まっているところです。ので重版大いに期待しております!
誤解されるとわかっていてもそのスタンスを続行するってのは当たり屋的であり、それで生じる誤解は誤解なのでしょうか?なんか俺、よくわからないんですよね。
twitterの中で勝負するには菊地さんの文章はあまりにも難しい。普通に読んでいてもなかなか難しいのに、ああ細切れではね・・・それでもスクショで菊地さんの不用意な在日云々コメントはあっというまに拡散する。わかっていたことですが、発端のミスリードを理解できないtwitterの世界ではあのコメントだけで菊地さんは立派な差別野郎になってしまう。
それにしても町山さんの”菊地はこんなヤツキャンペーン”は見事でしたね。ADHDなんか気にする必要なんかないと思いましたけど、どのみちバカらしくて続ける気にはならなかったかもしれませんが。
俺はセッション論争のあと菊地さんにメールで「面白かったです。ぜひ町山さんを番組に読んでほしい」と送ったら菊地さんから「面白がってくれてありがとうございます、町山さんはこないでしょうねえ」的なお返事をいただいたんです。おそらくその通りだったんでしょうけど、ジャズ警察だの保安官だのというつつき合いも、会った上でやるのと会わないでやるのは違うと思いますし、なんか菊地さんと町山さんが会わないで終わっちゃうのってつまんないな、って思いますよ。町山さんと菊地さんの”和解”は俺の夢です。
朝、近所のモスバーガーでモスチキンを食べました。
おいしいです!!!
菊地さん、ありがとうございます。 これから、伊勢丹に行こうと思います。
モスチキンより。
菊地さん、お疲れ様でした。
センシティブな事に触れてくださり、長くADHDのパートナーと人生を歩んでいる身としましても感謝しています。
予想はしていましたが、やはりTwitterだと誤解されてしまうのですね。ADHDという特徴を広く知ってもらい、生きやすい世の中にしていこう、などと謳っていたものの、ADHDという単語を見ただけで過剰に反応されてしまうのではまだまだ世間には理解されていないのだなと少し落胆しました。優遇しろ、気を遣えとかではなく、どうしても噛み合わない時、初対面と既知の仲では対応が違うように、自然とコミュニケーションの方法を変えていただけませんかって話なだけなんですけどね。
今のところ上記でRyujiさんが仰られているように愛を持ってサバイブしていくしか方法は無いのでしょうね。
昨日のDOMMUNE楽しかったです。アイラーの機材話が大変興味深く、ジミヘンの例がとてもわかりやすかったです。またどこかで肩の上がった谷王を登壇させてください笑 最高でした笑
菊地さん、こんにちわ
菊地さんが貧乳好きな理由がわかりました。
例の風俗嬢の女の子と服を買いに行きましたが、巨乳の子に似合う服を探すのは大変ですね。
どの服を着ても微妙に様にならないのも含めて愛おしいですが。
混乱して泣いている子供には言葉で理屈を言っても通じないのですが、ハグがとても効きます。
ということで、もし今後、保安官と出会う機会がありましたら、是非ハグをしてあげてください笑
(著者)
>>1
とにかくTwitterは想定内のことしか起こっていないので(ここがスクショされるのも、書けば書くだけオモチャにされるのも想定していました)、とにかく置石が出来たので良かったです。「時が解決する」「時が再発見 / 再評価する」ということについて、音楽家はよく知っていますし(画家とかもそうでしょうが)、「ああ、あの時リスクを犯してもしておけばよかった」と悔やまないようにしているので、特に疲れてもいませんし、満足です。
確かに僕も、誰からも裁かれたくないし、誰も裁きたくないです。が、裁きは下すのも受けるのも人間が作った欲望なので、なくならないですね。「そこに愛があるか」と言う問いは、「人権派弁護士」といったような形で浸透的に定着していると思いますが、これまた、Twitterが生まれる遥か前の、法が生まれた時から存在するコンセプトでしょう。Twitterには構造的にそれがないので(愛がある人は黙ってTwitter外で愛を表明するでしょうから)、荒地も荒地ですね笑。久しぶりで荒地に降りたので笑、面白かったです。
しかーし、せっかくお楽しみいただいたアイラードミューンでしたが、「こうしておけば良かった」と言う後悔でいっぱいです笑。現場入りしたら大谷くんがもうウイスキーの瓶を持っていて笑、「ああ、今日はもうダメだな笑」と思いながら、なんとか言うべき事は言いましたが笑、結果として細田くんには悪い事をしたと思ってます笑。
ただ、書籍の中では(当たり前ですが笑)大谷くんは酔っていないので、非常に有意義です。ぜひご一読ください。大谷くんが「本なんだから読めばいいじゃん」と繰り返していましたが、あれマッチポンプですね笑。
(著者)
(著者)
>>4
誤解されるとわかっていてもそのスタンスを続行するってのは当たり屋的であり、それで生じる誤解は誤解なのでしょうか?なんか俺、よくわからないんですよね。
↑これは、ツイッターの外でも同じ事です。
twitterの中で勝負するには菊地さんの文章はあまりにも難しい。普通に読んでいてもなかなか難しいのに、ああ細切れではね・・・
↑僕の文章は、難しくないです笑
それでもスクショで菊地さんの不用意な在日云々コメントはあっというまに拡散する。わかっていたことですが、発端のミスリードを理解できないtwitterの世界ではあのコメントだけで菊地さんは立派な差別野郎になってしまう。
↑そうです。でもツイッターの外の世界では、僕をレイシストだと思ってる人いないですよ笑。Twitterは世界ではないし、小世界だとしても、世界を統治していないし、僕はそもそも短期で移民してるだけで、もう故郷であるリアルストリートに戻りますので笑、大丈夫です。
それにしても町山さんの”菊地はこんなヤツキャンペーン”は見事でしたね。ADHDなんか気にする必要なんかないと思いましたけど、どのみちバカらしくて続ける気にはならなかったかもしれませんが。
↑そうですね。さすがTwitter民だし、ご自分がやられている経験もあってのことでしょう。要するに話は簡単で、Twitter内でやれば、素人の僕と百戦錬磨の町山さんでは、勝負にならないです。僕は、Twitterに足を踏み込みましたが、それは大変リスキーで、Twitterの法と風俗の中では叶いっこないので、後悔討論を諦めた段階で、リスクを犯して石を置きにゆくことに方針を決めました。
俺はセッション論争のあと菊地さんにメールで「面白かったです。ぜひ町山さんを番組に読んでほしい」と送ったら菊地さんから「面白がってくれてありがとうございます、町山さんはこないでしょうねえ」的なお返事をいただいたんです。おそらくその通りだったんでしょうけど、ジャズ警察だの保安官だのというつつき合いも、会った上でやるのと会わないでやるのは違うと思いますし、
↑「保安官」と「ジャズ警察」は、つつきあうにしてもクオリティが違いすぎると思いますが笑、今僕に「会った上でやるのと会わないでやるのは違うと思いますし」と言われても、流れ上困ります笑。
なんか菊地さんと町山さんが会わないで終わっちゃうのってつまんないな、って思いますよ。
↑ 会ったら面白くなると思っている人、少ないでしょう今笑。確かに僕も、最初は会いたかったですけどね笑。今は合わなくて良かったと思っています笑。
町山さんと菊地さんの”和解”は俺の夢です。
↑ 夢ならもっと良い夢を掲げた法が良いと思いますよ笑。僕は「和平を見せる」と思っていましたが、「和平」と「和解」は微妙に違います。おそらくあなたは、Twitterの覇権みたいなものを感じており、町山さんが心情的にお好きで、僕のこともそうで、「お互いに自分を傷つけたり、憎いところもある」と感じており、一種の父母みたいな感じで、息子として「仲良くやってほしい」と思っているのではないかと推察します(違うかもしれませんが)。あなたと同じ善良というにやぶさかでないポジショニングの人ばかりだと良いのですが。因みにADHDは「気にする必要」はあります笑。
(著者)
>>6
はい。僕もツイッターの中ではADHDを含めた、森羅万象の議題は解決しないので、僕も具体的な解決は一切目指さず、置石のためだけに、僕には過酷な環境(火星みたいな笑)に赴いただけです。
ただ、僕の実感では、3次元ではADHDも含め、あらゆる特徴を持つ人々への理解も愛も浸透していると査定しており、つまり、愛はあります。
SNSでは、と言うより、文字列だけでは、愛はやり取りできません。文字列だけでは不十分なんですね。でも、文字列を置いておくことは重要で、人間が文字列を発明したのは、リアルタイム対話のためではないのではないかと思っています。それは、発声言語でできるので。
要するに、Twitterの中で、愛を持って生きようとしても、それはかなり過酷な事だと思います。Twitterだけが世界ではないので、馥郁と愛がウォークできる場で、愛を持って生きるべきだし、逆に、あらゆる過酷さを人間は超克するので、「ツイッターの中で愛を行う」と言うチャレンジも大いに結構だと思います。
谷王の肩があがあると、面白いけど無茶苦茶になるので笑、あくまで僕個人は、お勧めできません。大谷くんは「やっぱり」としますが、酔ってない方が素敵ですね笑。
大恐慌へのラジオデイズ、楽しく聴いてます。
火星チャレンジ、おつかれさまです。
4%の宇宙ということを思いました。
宇宙の96%を支配しているのは見えない物質であるということらしいのですが、なんでそれがわかるんだ?とも思いますけれども、自分たちは表面に現れているたった4%の事象に振り回されているのではないかってことです。ね。
こんな(というのも失礼だけれども)ことで、菊地さんがいろんな作品に込めている愛を受け取れなくなるわけがない。わたしに関しては。
ぺぺの公演、楽しみにしています。
(著者)
Dommuneのアイラー特集、誰も触れなかった
AA:間章ドキュメンタリーの関連について
菊地さんが細田さんに確認して頂けて良かったです。
番組の開始30分以内には誰か触れるだろう?と予想していたのにハズレてしまい、まさか誰も触れないの?とドキドキしていました。
それと中上のアンコ椿の話が再び聞けて嬉しかったです。
ドラマーの林頼我さん 素晴らしかったです。
大友さんとのDUOはただただ感動しました。
菊地さんには申し訳ないですが、昨日はDUOで良かったと思いました。
アンコールが有ったなら菊地さんを交えたTRIOも聞きたかったですが。
高頻度アルコール消毒液使用推奨に依る、治療中(:完治しないと言われているので無期限)のアルコール依存症者がスリップしてしまうリスクが拡散されないぐらいTwitterではあまり意味を為さない、と思いながら私は毎日2時間程使用しています。(スマホはTwitterの使用時間が表示されるのだから、出来る事は沢山あるハズなのですが)
(著者)
>>15
ラジオデイズお楽しみ頂きありがとうございます!加えて、頼もしい支持のお言葉も。
ただ、「ファンになる」「ファンやめる」の往復(僕ほどのキャリアでも、これを何往復もされる方はいます)は、もし世界にSNSがなくともあった事で、今回、「Twitterであんなことになっているので、菊地さんのファンをやめる方も多かろう」という想定が基盤になってしまっていると思うんですが、もしそうだとしたら、それはTwitterが世界の、少なくとも4%以上をTwitterが持っている、という自認が前提化していると思うんです。
今回、石を置いたことで、見損なってファンをやめる方、グラグラになっちゃった方、もいらっしゃると思いますが、前々からの支持がより高まった方も、今回あらためて支持者になった方もいます。
特に事なき太平の世でも、一番恐ろしいのは、世界が全員自分を支持してくれると願う欲望で、これは、博打で大儲けしようという欲望に似ており、つまり万能感的な幻想と屈辱に取り憑かれた心理じょうたいですが、ツイッターの心理的下部構造を一翼を担っていると思います。
僕は、世界中が敵だとか、世界中が味方とか、つまり、自分がベビーだとか、自分がヒールだとかいうことは無いと、推定ですが、出産された瞬間から思っています。ですのでプロレスが輝く訳です。
それでも危ない時はありました。2002年にパニック障害の発症をカムアウトし、治療日記をつけていた1年間は、あの2ちゃんねるまでもが僕の味方でした。辛い苦しいというメッセージは、民への麻薬だなと思いました。その直前まで、僕はDCPRGの活動開始に際して、マイルスのファンから殺害予告を受けたりしていたのに。です。
予想通り、神経症が寛解すると、ものすごいラッシュバックが出ました。僕が裏切ったと感じたはずです。今回の粘着者の中には、当時の転向者憎悪がまだ残存してい人もいることを可視化したとも言えます。
日本には判官贔屓の文化的伝統があり、弱音を吐かずに超然としていたり、躁病質の人間へのハンデがあります。まず弱音を吐き、それから連帯と自立を呼びかけることは良し悪しでは測れませんが、イージーウエイです。イージーウエイすら、善悪では判断つきませんが笑、イージーウエイは反転しやすいので、自信満々で超然とし、儲けている(強度がある)人間に、盲目的に追従するという現象も起きやすいですね。
僕が火星に行ったのは、預言者とか殉教者の覚悟とかいっったような素晴らしいアティテュードではありません。「まあ、書いて置いとけ」と思っただけです。何れにせよ、大切なことは自信を持つことで、自信を持つというのは万能感を得ることではありません、自分が何者で、どんな状態であるか、ということをスムースに知っている。ということですね。
アイカード通信は菊地さんの書きもののなかでもとりわけ軽快で好きでしたが、久々に読んだらおもしろくて他の回もついつい読んでしまいました。当のvol.30「群雄割拠の時代-」はワンワードに引っかかる方の粘着力に逆に感心しました笑
「鏡を一瞬見てしまう」ではないですが、自分の中にも怪物がいること(メタファー、三層脳、あらゆるレベルで)の自覚で、外在化の抑止と飼い馴らしはできるのかなと思います(「悪い場所 feat. 漢 a.k.a. GAMI」の「鏡が砕け散る」の件をふと思い出しました)。私はASDで一時期かなり苦しみましたが、ころころ変わるDSMのカテゴリー(にせの鏡)に自分を探すおかしさに気づき開き直ってからは冷静に自他に対処できるようにはなりました(その意味ではASDも自分の中の怪物でした)。
Twitterのジャンキー側面については、「信者」とも「ファン」とも違う「フォロワー」という賭けやすい負債、心にもない「いいね」の贈与論、タイムラインとトイレットペーパーの感覚的類似などが関係してると思います(Twitterほぼやらないので適当ですみません笑)。
うろ覚えで間違ってるかもですが、前々回のジャズドミューンででてきた「ラテンアメリカの加速主義」のリリックは最高でした。新作が楽しみです。
Dommuneのアイラー特集。遅れて見始めたら、「ここで俺が似せたら意味ねえしなあ」と言いながらサックスを吹く菊地さんを囲んで皆さんニコニコしてて、最近クサクサした気分だったんですが一瞬で気が晴れました。
菊地さんこんばんは。一連のTwitter上の顛末を拝見しておりました。
菊地さんが、町山さんのジャンキー化を憂い、ケア的な意味も含めて対談を申し込まれたという経緯に、菊地さんならではのヒューマニティを感じておりました。それなのにTwitterでの菊地評と言ったら…まさにジャンキーの世界でした。
私は菊地さんの諸活動を2020年の初夏に知り、アーカイブされた夜電波や御著作によって癒され、生きてきた者です。私のように菊地さんの諸活動によって救われる人がひとりでも増えてほしい、と願うのですが、Twitterが布マスクばりに全家庭に行き渡った現代ではそんなことは無理かもしれません。
しかし、知人には、今回の一連のツイートによって、菊地さんのテキストをもっと読みたい!という人もちらほらいます。
今回の一件で菊地さんが自己「検閲」する可能性はゼロだと推察します笑 そのうえで、私は菊地さんを応援させていただきます。どうか、ご自愛ください。
(著者)
>>17
いや申し訳なく無いです笑、僕も同感です笑。「ダメって言われた笑」というのは、いつもの友情の確保(安心)から来る、キツめのジョークで、実際は、懇切丁寧に断られました。
そして、その根本にあるのは、「間章=AA」もさることながら、常にスルーされがちの「山下×高柳」問題で、僕と大友っちは長年、楽しい話は散々してきました。お互いそろそろ還暦(大友っちは既に還暦です)だし、楽しく無いとは言わないまでも、少々シリアスで重要な話もしようぜ。という件です。アイラーをめぐるなら、山下の「皆のセカンドテーマ」と、高柳の「アイラーコンセプション」を皮切りに、非常に豊かな話になります。
僕と大友っちのデュオというのは、山下の弟子と高柳の弟子のデュオなのですが、これは年1で非常に楽しくやっています。大友っちからの真摯な回答は「今日は高柳さんに捧げる側面もあるから」とのことで、これを言われたら、楽しく「んな事言わないでやろうよ〜笑」とは言えません。結果、鬼気迫るギターソロ(&デュオ)が聴けたので良かったですね。
Twitterと言わずシャブと言わず、依存性は高い訳ですが、ユーザーレベルで使う分には害はないと思います。2時間に限定といったしようが一番良いんじゃないでしょうかね。僕は要するに下戸に当たる訳ですね笑。大友っちは酒が下戸ですが笑。
(著者)
(著者)
初めて投稿させて頂きます。風営法改正直前のDOMMUNEで、「ダンスは人間の根源的なものだから無くなる訳がない!」的なことを仰っているのを観て涙が出るほど感動してファンになり、新しい本も買いました。文章から、煙草と、酒の匂いが、めちゃくちゃ官能的に、オトナに、漂ってきます。笑笑
Twitterの件、色々思うことはあるのですが、上手く言えないんですけど、SNSの、開かれているようで閉塞感が凄いというか、おおらかさが無い感じというか、そういうもの、或いは世の中に対して、もっとユルく、”遊んで”いかね??一杯やりながら、、みたいなスタンスを菊地さんから勝手に感じ、勝手に共感してます。
変な文章ですいません。こういう投稿初めてなんで、ご容赦下さいませ。
あの、私野球ファンなんで、その視点で書かせて頂きますなら。
町山さん、菊地さんのことを「怪物」って形容なさってて(苦笑)、とうとう菊地さん江川にされちゃったよ(大笑)、怪物って江川か松坂に使う形容詞だぜ、と。でもちょっと待てよ、菊地さんで巨人の話するんなら江川じゃなくて篠塚持って来なきゃ(笑)。相変わらず見立てがなってないんだよな(苦笑)、なんて。でも菊地さんの「あの」篠塚話はヤバ過ぎるからさすがに控えられたのかな(違)、とか思ったりして、ひとりで密かにウケていました。
せっかくなので野球トークを続けるなら、昨日のドミューンの菊地さんはV9時代の川上監督のようでした。って古すぎて知らない人の方が大多数な話で、私もリアルタイムではV9見てませんけど、いっつもベンチで呵々と大笑いしながら指揮執ってたのが川上さんで、あれだけ余裕綽々にやられちゃ他のチームの監督は敵わないよな、って意味のことを山口瞳も書いてました。ま、菊地さんお洒落なんで、巨人の歴代監督なら水原茂さん(日本にオン・ザ・ロックスを伝えたとされる方です)に例えるのが本当は正しい気もしますけど、あんな大野暮の後始末のあとに大谷さんやあっちゃんさんと呵々とトークされる菊地さんの鷹揚さは川上監督みたいかも、と昨日は強く思いましたね。なーんて、バカ話しかできなくてスミマセン、お許しを。またいつか。
菊地さんこんにちは。
Twitter常習者で、節制を試みつつ失敗を繰り返している者です。
ブロマガで今回の流れを知り、小康状態が抵抗の気配も見せず敗れ、ここ数日でたくさんの時間をSNSに使用しました。
菊地さんのお名前で検索をかけ、怒りを覚えたり救いを探したりしていましたが、これは自分の何かを一連の流れに投影しているだけで、とても病的な状態だなと思います。思いながら、目を瞑って病的な状態に呑み込まれたいという感覚に屈しました。
私には客観的な批評など出来ようもありませんが、Twitterの常習性、日夜続く清潔で暴力的な儀式性を意識することについて、菊地さんの文章をお借りして個人的な薬としたいと思っています。
外気に救われるように、菊地さんの音楽や、文章などのお仕事が、自分を病的なかたまりから遠ざけるお守りとして、今まで何度も役に立ってくれました。
Twitterの中にも、そういうものが見出せる場合があります。ただ、それはたまたまそこにあっただけで、どこにでもあるものなんだろうと思います。
つまらない話で恐縮ですが、病気を払う意思を励ましてくれる存在として、非常に感謝をしております。今後ともご活躍を楽しみにさせていただきます。今夜のラジオ待機します。
こんばんは。ゼロ文がBOOK2モードに入ってこれからの授業とても楽しみにしています。
自分は菊地さんきっかけでDTMでの作曲をはじめて、ゼロ文、書籍、youtubeで学びながらデモをコツコツ作っているのですが、調性に比べると、モードに関する書籍、動画は圧倒的に少なく、内容も概論的なものがほとんどで、モードを使ってみたいが身についている感じがないままふわふわと使っている状態だったので、すごく期待しています。ちなみにBOOK1の後半も初耳なことばかりで、幾度も目から鱗が落ちました。
それで日記と関係ない質問で申し訳ないのですが、モードと同じかそれ以上に、転調に関して学べる書籍や動画はないように思うのですが、まえに菊地さんが、POPソングの転調の大部分は魔法の領域だと言っていたような記憶があるのですが(かなり曖昧なので間違っているかもしれません、あと自分はポップスを作っています)、転調を身に付ける方法としては、作曲しながら手仕事的に試していくことと、良いと思える転調をたくさん聞いて部分的にアナリーゼして見ること以外に何かありますでしょうか?
一連の流れを見ますと、町山さんのリアクションは菊地さんの反応を期待するというよりも
町山さんのフォロワーの反応を期待して、100%そちらに向けて書かれているという印象を受けまして
呼び掛けられたのに明後日の方を向いて返事をする姿に違和感を感じましたが
個人的にはそれにはジャンキーさや病理的な匂いよりも
冷静なネットビジネスマン、あるいは記者としての戦略を感じました。
当初は猪木アリ戦みたいな噛み合わないけど味わい深い展開になるのかと思っていましたが、
炎上?するにつれ、ソクラテスの弁明みたいな展開になってきたなぁと・・ごめんなさい笑
(著者)
>>27
ああ、ダンス規制みたいな回ですね!そんな、お泣きになるほど感動的な話ではなくてですね笑、実際にどう考えても法規制などでダンスがなくなる訳ないし(法規制でセックスがなくなると思いますか?ないですよねえ笑、それぐらいの話ですアレは)、刺青法規制の回にも出ましたが、タトゥーがなくなる訳ないです。
どれも冷静に考えればわかると思うんです。ただ、条例とか法案とか言われると一瞬怖いじゃないですか。ラジオでいぅでいつも言ってますが1世紀前の20年代では酒が禁じられましたが、人が酒を飲まないようになるわけがないです笑。普通に冷静に考えて、僕が反フェミニストだったりレイシストの訳がないんですが笑(「あいつはフェティシストだ」と言われたら、あっさり認めますが笑)、Twitter政府が弾圧すると、民は思い込んでしまうのだなあと思いますよ。
ただ、これはなんか、松本人志さんが言ってましたが、この1年で、つまりコロナの影響で、Twitterでの風当たりが、怖いぐらい激しくなったそうです。僕はコロナはダメ押しで、唯一責任者ではないと思いますが、Twitterが「今、ロイホなう」とか言っていた牧歌的な時代は終わり、「万人の万人に対する闘争」の場になる=ファシズム前夜であると感じました。海は早く出した方がいいから、もっともっと今の10倍ぐらい荒れるといいと思います(加速主義的ですかね)。
一杯やってのんびりゆく、という空間は残されています。ブルータス最新号をお読みください笑(宣伝)。そして、あなたの文章は、変ではないですよ笑。臆せず気軽にコメントください!
(著者)
>>28
いやいやいや笑、「身にあまる光栄」なんて言わないの笑、全員に返してますから。お金頂戴してますからね笑。ただ、ファンの方は、大きく音楽系とブッキッシュな方、それと、ネットオンリーのゼロ円の方々に大別されると思いますね。音楽がお好きで、夜電波聞いている人と、本だけ読んでる人と、ネットに上がるものだけ読んでいる人では、菊地像はそこそこ違うんじゃないですかね笑。何れにせよゼロ円の人は、多くSNSの人なので、Twitterで毎日毎日、経験や思ったことを言ってないと、僕のプライヴェートタイムに何があるかわからないじゃないですが、懐かしの「インリン事件」(アレも、ものすごい一方的な襲撃で「こっちには4万人の読者の掲示板があるんだ、そこに謝りに来い!」と言われたので、単身行きました笑。その時僕、父親が死んでたんですよ笑。「セッション」の時だって、プライヴェートでたくさん問題を抱えていました。とにかくTwitterは、使用者同士に強い共有感があると思いますね。日々の考えや行動を報告しあってるから笑。
(著者)
>>29
うわー怪物扱いかよ笑。町山さんの方が怪物的だと思いますけどねえ笑。まあもう、だんだん楽しくなっています笑。怪物はもっともっと長文で、もっともっと相手を踏みつぶすと思いますけどねえ笑。町山さんは、僕が篠塚(いま、球団内の役職はなんですか・まさか現役?)にカツアゲされた話、知らないと思いますよ笑。
僕も調子の子ですから、野球はV9V10時代から見てましたよ!仰る通り、昭和の偉人は、大変なトラブルがあっても呵々大笑で仕事してましたよね笑。大川上や大水原に例えられるのは流石に身震いがしますが笑、あの程度のツイートと、酔った谷王、疲れたあっちゃんと騒ぎながら、チラ見で細田くんとなんとか進めようと思うぐらい、朝飯前です笑。大変楽しいコメントありがとうございました!!
(著者)
>>30
まあとにかくですね、会員の皆さんに「Twitterは麻薬だから、やってはいけない」なんて全く思っていません。そんな、Twitter撲滅運動の闘志ではないですよ笑。僕だってタバコはやめた方が良いし、今ちょっと運動ができなくなっているので(Twitterとは全く関係ないです笑)、ちゃんとしないとなあ、とか思います。とにかく、「誰もがほどほどにSNSを楽しんで、毒に当てられない状態で嗜む(昔のバーみたいにね)」ということになればいいと思うんですが、まあ、ならないですねえ笑。ご病気を祓うとありましたが、僕の何かの言説や音楽が役に立っているのであればこんなに嬉しいことはありません。
(著者)
(著者)
>>32
町山さんが、相手から逃げ、自分の票田に向けてツイートを繰り返すのは、確かに、見立てとしては冷静なネットビジネスマンや、戦略的な記者だということも可能だと思いますが、そんなものではないと思いますよ。その見立ては、「Twitterでは海千山千の町山さんが、ことを有利に進めた」という前提にあると思いますが、僕は町山さんがことを有利に進めているとは思えません。とりあえず僕を悪者にしたことには成功しましたが、それ以外、何もしてないので笑、ビジネスに長けた方や、戦略的に記事を書いているかたに失礼だと思いますが笑。
「弁明」は、ちゃんと読んでないですが、僕がソクラテスってことですか?笑、それとも町山さんがですか?もし僕だとしてら、僕あんなに偉大じゃないし、頭良くないし、お爺さんではないですし笑、そもそも弁明なんかしてないし、自分の意見が通らなかったと言って自殺したりしません笑、あ、町山さんのことかな?笑(スミマセン、全然わかりませんせした)
(著者)
(著者)
Twitterを日常的に使う20代前半の男性です。数年前に菊地さんのことを知り、音楽や文章、映像コンテンツを楽しみ、勉強をさせていただいています。今回の騒動に関して、傍観者として追いかけていたのですが、3回目のツイートは傍観者へ向けてということでしたので、一つの返信になればと思い、初めてコメントさせていただきます。
SNSでは、特にTwitterでは、当事者の声が圧倒的に力を持っていると、また、非当事者が発言をする際には、例えば専門家の意見を聞いたというエクスキューズをつけてというように、繊細さが要求される時代であると感じています。
菊地さんは町山さんへの一連のツイートの中で、町山さんのアイデンティティ、そして病気について、非当事者として発言をなさっていると思います。
前者に関しては発言の前置きとして、大久保に住んでいたことや、大韓民国の移民の友人がいらっしゃること、映画や音楽を紹介し続けてきたことなどをあげられていました。まさに『欧米休憩タイム』と『韓流最高会議』は私にとって隣国に関心を持つきっかけとなりました。数年前から活動を追いかけている新参者ですが、Twitterの方々が言うように菊地さんがレイシストというのはさすがにありえないだろうと思います。
とはいえ、Twitterは、たった一つのツイートで、あるいは一つの単語で一つの属性で判断が下され、経歴や意図を無視した非難やレッテル貼りが蔓延る場所であり、2回目のツイートまでの炎上も、いつものことだなと思ってスマホを眺めていました。
けれども、3回目のツイートは繊細さを欠いたものであると思います。ADHDという単語に、属性に、まるでTwitter使用者のように(実際期間限定の使用者ではいらっしゃいますが) 、引っ張られすぎているように思います。 まだ可能性の段階で、相手の持ち出していない属性をわざわざ突くのはいささかナンセンスではないでしょうか。
私のかつて交際していた人はADHDの診断書を持っており、私の家族にもADHDの疑いがあり精神科で診断を待っている者がいます。私は彼女たちと話していて、「対話的なヒエラルヒーをつける能力に著しく欠ける」と感じたことはありません。コメント欄を読む限り、そういう方もいらっしゃるようですが、グラデーションなのではないでしょうか。まるでADHDを持つ方が全てそうであるというように私は読みました。町山さんがADHDという属性を持つから、コミュニケーションを一旦は諦めることにしたというようにも。無論、町山さんははじめからコミュニケーションを放棄していますが。
なぜ菊地さんは町山さんがADHDであると知り呆然とされたのでしょうか。なぜわざわざ町山さんがADHDであるかもしれないことをツイートする必要があったのでしょうか。ADHDに対して何か強いこだわりのようなものを感じました。菊地さんがADHDを持つ方とこれまでどのような関わりがあったのか、どのようにしてADHDに関する理解を、知識を得てこられたのか、もし可能であればお聞きしたいです。
当事者でない者が、当事者とどう接すればいいのかは難しくまだ私にもわかりません。ただ、当事者と関わりがあるということは自分を正当化する理由にはならないはずです。ADHDに限らず、非当事者にできることは、長い時間をかけて真摯に向き合うことであり、おそらくそこには非言語的なコミュニケーションも必要であると、今のところ私はそう思っています。そしてそれはTwitterでは不可能でしょう。あえて菊地さんがTwitterで町山さんに話を、町山さんの話をしているのはなぜでしょうか。
長文失礼いたしました。DC/PRGのライブ音源、そしてペペトルメントアスカラールのコンサートを楽しみにしております。
>>34
え?!そーなんすか?全員に返信してんですか?そんなこと言ったらここへのコメントが増大しちゃいますよ。。。ということも、まるっと覚悟してんだなって、菊地さんステキです。
よーするにーですね、、、菊地さんは文筆家であり、アーティストであり、DJ(いい音楽を選曲して教えてくれるって意味)であり、多才だから、うらやましいんだと思います。じぇらしーです。カッコいいから。
自分への批判でも何でもないのに2019年6月の文章引っ張り出してきて、いちゃもんつけ、菊地さんが反応したらもともとの話題そっちのけで、やーいやーい、やっぱりこいつひでーやつなんだって、言葉を切り取って、マジで根性悪い。
そんな、清く正しく生きてる人なんているんですか?って思います。
>>9
ありがとうございます。
ちなみに、今回の件で私も妻と菊地さんを巡って家庭内で炎上しました(笑)
笑い話までですが、共有させていただきます。ストリートの話だと思って、WBOネタにでも使ってください。
私の話が、菊地さんのリファレンスになれば幸いです。少し長いかもですが、お時間がある時にでも。
今回の「次の東京オリンピックが来てしまう前に」と今回のTwitterの一件を巡って家庭内で意見がかなり割れました。
妻の意見は、菊地さんは今の価値観にアップデート出来てないサブカル中年男性になってしまっているのでは?という視点です。
ちなみに妻はリベラル&フェミニストの女性です。
作家の木澤さんがこの辺りの視点をきれいにまとめられたレビューを書かれていたので、共有いたします。
恐らくTwitterの総意もほとんどコレに集約されると思います。
https://sb-rs.com/article/1383
コレに対して、僕の意見は、アップデートできていないのではなく、敢えてアップデートさせない方向を選択している。
それは、菊地さんが逆張りをしているからではなく、ストリートの人だから、ストリートに生きる人たちに寄り添っているだけだと返しました。
この辺で彼女は???となってしまい、説明を進めていたのですが、最初はイマイチ理解してもらえませんでした。
ちなみに小さい娘が2人いるのですが、二人とも妻の味方をしたので、パパが間違っているという結論になりかけました(笑)
恐らく彼女からすると、僕の表面(第2層)はラッパーで言うとコモンのようにリベラルでコンシャスな印象しかないのです。
菊地さんの第2層がナスティーでインテリジェンスのあるジャズマンというように。
一方で内部(第1層)に僕はMC漢的なサグでフロイディズムな部分があります。
菊地さんの内部(第1層)も恐らく近いものがあるかなと。間違っていたらすみません。
この第1層は私の出自から来る部分が大きいです。私も地方の温泉街&歓楽街で幼少期から18歳までを過ごしました。
恐らく歓楽街は銚子だけでなく、どこも同じようにサグと欲望で出来上がっている街です。
この手の街で成長するには、サグでタフな部分がないと生き残れません。
ただ、たまたま英語が得意だったおかげで、地元を出て大学に入り、英語を使ってホワイトカラーの仕事をしています。
僕の第2層はほぼ18歳以降で作られた要素です。
でも第1層を捨て置くことは決して出来ないという立場です。故にこの手の議論になると、ホワイトカラーの友人と結構意見が分かれます。
僕の頭はヒップホップ脳なので、第1層を捨てる=自分の家族&故郷を捨てることとほぼ同義です。そんなことはできないなと。
加えてホワイトカラーやリベラルが、マイルドヤンキーや水商売の人間を差別・軽蔑しやすいことを、僕は実地を持って体験しています。
今回の議論も基本的には、私や菊地さんの持つ第1層に対するリベラルの方の無理解は結構大きいじゃないかと思っています。
歓楽街や歌舞伎町は、恐らく彼らにとって、一番距離のある存在です。コロナも重なって、更にブーストされた印象です。
またADHDの接し方も、過去接してこられてきた方とそうでない方とで多少言及が変わります。
私も菊地さんと同じく母がADHDだったので、今回の言及は特に問題ないと思っていますが、
リベラル観点だと差別的に見えるという逆ロジックが動いた印象です。
この辺りは、菊地さんも批判覚悟で書かれたと思うので、賛否両論は出るだろうなと。
結局の所、本当のことはストリートじゃないと分からないんだ。ということに尽きるのですが、それをどう言葉と行動で伝えていくかが、カギなのかなと。
最近、手塚マキさんの「新宿・歌舞伎町 人はなぜ< 夜の街 >を求めるのか」を読んで、こういう細かい積み重ねで伝えていくことが重要なのかなと思っています。
*ちなみに妻にも今、この本を貸して読んでもらってます。多分、これを読めば、僕や菊地さんの伝えたかったことが分かるはずと。
以前は夜電波でそれが出来ていたと思うのですが、なかなかそういう媒体が今ないので、難しいところですね。
個人的な希望をお伝えすると、菊地さんの第1層や銚子・歌舞伎町に対する愛を文章でまとめたものはどうかなと思いました。歌舞伎町-WBOで愛すべき人たち的な(笑)
最後に余談ですが、妻と私が共通して好きな盤はUA×菊地成孔の「CureJazz」です。あそこにあるハイブリットなモノが、私たちの分断のハブになってくれると思っています。
ライブ延期で二人で残念にしておりますが、コロナが終息したら、二人で会場に行ければと思っております。長文失礼しました。
節分楽しかったです。今年の節分は124年ぶりに2月2日だったそうです。ツイッターを読みました。読んでコソ泥の反対語ってなんだろうと思いました。菊地さんがたぶんラジオデイズで、自分は音楽家よりコソ泥のほうが向いてる、と仰っていたと思いますが、コソ泥はあんな目立つようにどっかーん!と入ってこないし、なんか良いもの置いていかないし、他の方々に「通報します」とか言われてたので涙が出るくらい笑いましたが、何回よんでもやっぱりあれはコソ泥のやり方ではないと思いました。音楽家だと思います。ラジオデイズの狸と笑の王様の話、すごくおもしろかったです!
あ!音楽家がなんかとったりするということではないです。たぶん私はずれていて傷つけたらすみません。
菊地さま、こんばんは。本田です。
こちらは2月4日の午後3時になりました。
今日はアルバート・アイラーの『Goin' Home』を聴きながら文章をタイプしております。
前回の日記のコメント欄にてご返信をくださり誠にありがとうございます。また、「泣きが足りない」、というありがたきご推測をくださりましたこと、厚く御礼申し上げます。
ご推測につきまして、思い当たるところが多々あります。涙した記憶を思い返してみますと、自分の苦しみについてはよく泣いておりますが、他人の不幸については驚くほど涙していないと気付きました。また、成人しても、成人するまでも、悲しい顔をしていると父は「男は絶対めそめそするな」と、言われて育ちました。
しかしながら、昨日もよく泣きました。
ずっと好きであった女性と夢のなかで会話ができたため、もう一度会いたいと起き抜けに願いトリアゾラムを服用して二度寝をしても会えなかった、という自分の欲深さが胸にささり、洗顔をしながら泣きじゃくりました。また、大崎駅のホームで本(狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―)を読んで泣き、サイゼリヤで本(サニーのブルース)を読んで泣き、自宅でどん兵衛(うどん)を食べながら号泣いたしました。
またひとつ健康になれた、と思いましたが、大崎駅のホームで涙した際、私の周囲にいらした方々はスマートフォンの画面に夢中であり、私に怪訝なご表情さえお見せいただけなかったことに関しましては、現世の厳しさを感じる瞬間でありました。
とはいえ、あのとき大崎駅のホームにふらりと松たか子さんがいらして私の背中をさすってくだすった、という妄想により、現在はそこそこに良い気分であります。
御多分に洩れず、私も本日の診断結果を案じております。
私は菊地さまが<粋な夜電波>で仰りました、
「心配していることの99%は実現しない、本当にやばいことは腹をえぐるようにやってくる」
といった旨のお言葉を大切にし、過剰な杞憂を乗りこなしてまいりました。たとえこの"魔法の言葉"が私の幻聴や菊地さまがお作りになられた虚構でありましても、大切にし、これからもやってくるであろう艱難辛苦を乗り越え、心から音楽に寄り添い、音楽に愛されることを目標として生きていきます。
話は変わりますが、もし胸毛がご不要になりましたら、私に剃毛させていただけますでしょうか。
剃毛させていただいた胸毛は回収させていただき、しっかりと乾燥させ、メルカリで1本10万円で販売させていただきます。なお、白い胸毛は"大トロ"といたしまして、1本100万円とさせていただきます。
念のため、オーチャードホールでの公演の際は、T字カミソリとシェービングフォーム(敏感肌用になります)を持参いたします。拍手の際にカミソリとスプレーをかんかんと鳴らしている者がいましたら、それは私であります。お気軽にお声がけくださりますと幸いです。
もし、上記行動が不審者に該当するようでありましたら、ながぬまさま、ご多様のところお手数をおかけし大変申し訳ございませんが、どうか私にそっとスタンガンを当てて気絶させ、銚子の海に沈めてくださりますと幸いでございます。
明日はご著書『次の東京オリンピックが来てしまう前に』のトーク・イベントと存じます。素晴らしき夜となることを心より願っております。
※追伸です。
校長先生に関しまして様々なご意見があるようですが、アジア人で初めて『Impulse!』と契約なさった天才に一般的な正当性や常識がすべて通用するのか、と思う今日この頃です。
(著者)
>>44
お若い方からの貴重なご意見ありがとうございます。まず最初に、長文であることは(挨拶のようなレベルだと思いますが)礼を失するということはありません。僕も長文ですし。
<SNSでは、特にTwitterでは、当事者の声が圧倒的に力を持っていると、また、非当事者が発言をする際には、例えば専門家の意見を聞いたというエクスキューズをつけてというように、繊細さが要求される時代であると感じています>
↑ もちろんです。これはTwitterのコミュニュケーションに限ったことではないと思います。「繊細さ」の度合いは、メディアや形式によって左右されるとは思いますが。
<菊地さんは町山さんへの一連のツイートの中で、町山さんのアイデンティティ、そして病気について、非当事者として発言をなさっていると思います>
↑ これは後述します。
<前者に関しては発言の前置きとして、大久保に住んでいたことや、大韓民国の移民の友人がいらっしゃること、映画や音楽を紹介し続けてきたことなどをあげられていました。まさに『欧米休憩タイム』と『韓流最高会議』は私にとって隣国に関心を持つきっかけとなりました。数年前から活動を追いかけている新参者ですが、Twitterの方々が言うように菊地さんがレイシストというのはさすがにありえないだろうと思います>
↑ ご理解ありがとうございます。僕は大韓民国人、在日コリアンの双方、だけでなく、アフロアメリカン、アングロサクソン、キューバ系の合衆国移民、在北米ヒスパニック、ブラジル人、アルゼンチン人、ドイツ人、フランス人、中国人、マレーシア人、インド人に友人がおり、また、これは合衆国で「エセリベラル」を断罪するクリシェである「俺は黒人の友達がいる(I have black friends)」という話をしているつもりではありません。音楽家の繋がりは(列記者は全員音楽家です)それこそ「音楽家という当事者」にしかわからない繋がりがあり、「I have black friends」の由来となるような「オフィスに外人がいて、適度に付き合っている」といったレベルのものではありません。また、もし僕の友人が全員日本人だとしても、僕は己の胸に手を当てて考えるに、レイシズムは持っていません。
ただ、僕自身が民族被差別者ではないのは間違いない事実なので、「当事者」とは言えません。ですので前述の「例えば専門家の意見を聞いたというエクスキューズをつけてというように、繊細さが要求」という箇所をクリアしている、と、あなたが査定くださっている。と理解します。
<とはいえ、Twitterは、たった一つのツイートで、あるいは一つの単語で一つの属性で判断が下され、経歴や意図を無視した非難やレッテル貼りが蔓延る場所であり、2回目のツイートまでの炎上も、いつものことだなと思ってスマホを眺めていました。>
↑ はい。
<けれども、3回目のツイートは繊細さを欠いたものであると思います。ADHDという単語に、属性に、まるでTwitter使用者のように(実際期間限定の使用者ではいらっしゃいますが) 、引っ張られすぎているように思います。 まだ可能性の段階で、相手の持ち出していない属性をわざわざ突くのはいささかナンセンスではないでしょうか。>
↑ このご指摘には反駁せざるを得ません。第一に町山さんはご自分でカムアウトなさって掲げており、隠しているのに暴いたとか、噂のレベルの事を断定的に指摘したわけではなく、つまり町山さんは<持ち出している。と考えます。
そして、僕のツイートをお読みいただければお分かりの通り、僕は町山さんの「本人カムアウト」すら、僕には確実性は査定できない旨、そして、「まだどちらとも言えないセンシティヴな状態」が故に、討論を放念する(町山さんとの過去のコミュニュケーションに関して「リセット」し、熟考する。と言っているのです。
<私のかつて交際していた人はADHDの診断書を持っており、私の家族にもADHDの疑いがあり精神科で診断を待っている者がいます。私は彼女たちと話していて、「対話的なヒエラルヒーをつける能力に著しく欠ける」と感じたことはありません。コメント欄を読む限り、そういう方もいらっしゃるようですが、グラデーションなのではないでしょうか。まるでADHDを持つ方が全てそうであるというように私は読みました。>
↑ 家それは早計的な誤読です。ツイートにありますように、僕には、生徒にも知人にもADHDを持つ者がいます。友人としても、教師としても、彼らとのコミュニュケーションには特別なバイアスがかかりました。そういう意味で、むしろ僕はこちらの方が「間接的な当事者」ですので、「民族被差別者」であるよりも些か強度を持って発言しました。僕は育ての母親が統合失調症の罹患者で、大変な苦労をしましたが、精神病者と、神経症者と、それ以外のカテゴリーの方々が違う。という旨も、丁寧に前置きしています。
また、ご指摘の通り、ADHDを持つ方が「対話的なヒエラルヒーを付ける能力に欠ける」かどうかは、グラデーションであり、個々人違うと思います。これもツイートを熟読いただければわかりますが、この点についても、まだ未開の領域である事、に加えて、町山さんのカムアウトの確実性が宙吊りであることも強調しています。
また、あらゆる病者にグラデーションがあるのは指摘するまでもなく自明ではないでしょうか?コロナもガンも、風邪さえも、曖昧なカテゴライズがあるだけで、病床は個々人全部違うと思います。
<町山さんがADHDという属性を持つから、コミュニケーションを一旦は諦めることにしたというようにも。無論、町山さんははじめからコミュニケーションを放棄していますが。>
↑ そうは言っていません。前記の通り、「宙吊り(判断保留)」の状態になったので、一度放念せざるを得ない。と書いています。
<なぜ菊地さんは町山さんがADHDであると知り呆然とされたのでしょうか>
↑ それまで知らずにおり、そのままコミュニュケーションを行い、途中で突然知ったからです。ADHDという実態に呆然としたのではありません。そして、グラデーションである、という事は「コミュニュケーション能力に不全がある」可能性も同時に示しています。グラデーションを、軽度の方に引っ張るのもまた偏向だと思います。
<なぜわざわざ町山さんがADHDであるかもしれないことをツイートする必要があったのでしょうか>
↑ 前記の通り、「知らないままで話していたのに、知ったから」です。
<ADHDに対して何か強いこだわりのようなものを感じました。菊地さんがADHDを持つ方とこれまでどのような関わりがあったのか、どのようにしてADHDに関する理解を、知識を得てこられたのか、もし可能であればお聞きしたいです>
↑ ツイート内にも明言しましたが、前段の通りです。
<当事者でない者が、当事者とどう接すればいいのかは難しくまだ私にもわかりません。ただ、当事者と関わりがあるということは自分を正当化する理由にはならないはずです>
↑ そのご意見には、半分は首肯しますが、半分は僕も(あなたも)難しく、正解はわかりません。ただ「当事者じゃねえとわかんねえんだよ」という態度は強硬であり、合衆国における黒人差別などに強く働いているコミュニュケーション拒否のバイアスとして機能していることも事実だと思います。ですので、難しいわけです。
<ADHDに限らず、非当事者にできることは、長い時間をかけて真摯に向き合うことであり、おそらくそこには非言語的なコミュニケーションも必要であると、今のところ私はそう思っています>
↑ 仰る通りです。
<そしてそれはTwitterでは不可能でしょう>
↑ まさにその通りです。
<あえて菊地さんがTwitterで町山さんに話を、町山さんの話をしているのはなぜでしょうか>
↑ あまりにも前提的な話ですが、町山さんが僕以外の方々へ喧嘩を売ったり、襲撃的な批判を投げかける時、すべてTwitterを使用しているからです。ですので、僕もTwitterではなく、直接討論を個人メール宛で申し込みました(本当は電話差し上げるのが最善だと思いましたが、番号がわからなかったので)。そして、送信と同時にTwitterに上げました。これは、町山さんが、僕以外の(僕への最初の襲撃の際にも)方との論争時に、Twitter一本槍なので、Twitterというグラウンドに降りないと、相手をしてもらえない可能性を感じた事、そして電話やメールとTwitterがどのように、どのような「筋」で、統一され得るのか、あるいは住み分けて、全く別のコミュニュケーションツールとして各々完全に独立しているのかを試したかった事(僕はコミュニュケーションツールは、各特色はあれど、頑健な個別性は存在しないと信じています)、そして繰り返しますが、町山さんがTwitterというグラウンドから出ないので、こちらから赴くのが筋だと思ったからです。
<長文失礼いたしました。DC/PRGのライブ音源、そしてペペトルメントアスカラールのコンサートを楽しみにしております。>
↑ ありがとうございます。緊急事態宣言の延長を以ってして、コンサートの延期や中止の憂き目にあう可能性が高まっていますが、可能な限り行います。その際はぜひお越しください。紳士的な対応による真摯なご意見をありがとうございました。僕のツイートはもうありませんが、2月いっぱいは残しますので、よろしければ時を置いてからで良いので、再読して頂ければ幸いです。
菊地さん、こんにちは。
今月から会員になりました。昭和42年生まれのおやじです。早速動画見まくっています。
町山某の事はいい意味でスルーさせて頂き、早速ナルズキッチンで見たアクアパッツアを本日夕食に作ろうかと思います。魚は金目鯛にしました。
昨日念願のサタルニアのオーバルプレート35cmを購入したのでこのプレートにサーブするのが楽しみです。
妻との関係が冷え切ってもう数十年になりますが笑 関係を修復するためではなく、ただなんと夕食を作ってみようと考えています。
コロナ禍結構楽しいです。
いつも楽しませて頂きありがとうございます。
(著者)
ツイッターでの菊地さんと町山さんのやりとり(にもならなかったわけですが)を僕も拝見しておりました。この話題ばかりになってしまい飽き飽きとされているかもしれませんがご容赦ください。
(菊地さんがツイッターでされた第三稿を読みそのあとの町山さんのご反応を読んだらまったく対応が変わらないので、僕はその後の事を追うのをやめました。またそれまでにはご両者以外の他のかたの反応なども拝見もしました。)
まず今回のやりとり(と便宜上します)を始めたのは(いつものように)町山さんであり、そもそも菊地さんにとってはツイッター上の行いは論争でもないし、その前の前くらいのものであり、招待状とか挨拶状であったこと、さらにその先で目指したのが論争でも攻撃でもなく和平であったことを早くもごく一部の者以外が忘れていることに「しょうがないなぁ」とか「興奮って怖いなぁ」と僕は苦笑いしております。
ご両者の話をちょっと見聞きして適当なジャッジをする者がいるのは仕方なし、そんなものはニュース番組が流れるお茶の間や、そも情報というものが生まれた古代からあることでしょうし、その昔、蓮實さんもご著書で「票を入れる行為とは(そもそも相手のことをどこまで知っていたら票を正確に入れることが出来る(正確なジャッジが出来る)と言うことはでき無いのだから)出馬者の名前をめぐる行為である」という旨のことを書かれていてそれをも思い出しました。
問題は適当なことをいうにしても、昔の茶の間でステテコ姿で鼻をほじりながら言うのとそれを聞くのと、SNSでフォームだけを整えて言うと聞くのでは印象が違いますから(ご両者のやりとりに聴衆として参加する者の中にはマツコデラックさんに言葉も外見(ツイッターだとアイコン(イコン)などですが)も移入しまくった者や、同昭和の無頼派、同ほぼ日、同アニメキャラなどもいらっしゃり、意地汚くも僕はそこも楽しみましたが、僕も菊地さんには移入しているので人のことは笑えないところなのですが(笑))みんな正当性とか権威とか大好きなんだなぁと思いましたし、皆が他者の正統性とか権威に精神がやらているようにも見えました。でもこれも昭和の文壇などからあった話なのでしょうね(無頼派のある種の壊れ具合、ある種の左派のかたのぶっきらぼうな感じ等々)。
あ、でも町山さんのなりきりみたいなかたは居なかったのも面白いです。町山さんのお母さんのようになられているかたは何人かいらっしゃいましたが。
とまれご両者のどちらかのファンのかた、詳しいかたでも事の発端や数日前に菊地さんが書かれたことも忘れているかたが多く、そこには「トホホ……」となってしまいました。
また今回のことは論争でもありませんが、それにしてもSNSは論争には向かない場だと改めて思いました。その一番の理由は争いの場の時間制限がないことですね。時間制限があれば必ず勝敗は出ます(ドローも含む)。そうすればその場では戦いを続けることはできません、一方でSNSは時間制限がないので延々に戦い続けることが出来る(だからこそ浸透的な戦術には向いているとは思いますが、だからこそ現実での争いには革命を起こすとか政局を変えるとかの大きな影響もないと思います。タイムリミットがあったほうが現実の戦いへの影響力は大きくなるでしょうね。SNSと現実をリンクさせてのタイムリミットは原理的に不可能だと思いますが(使用時間の制限などのことではないです))。
今回のことは論争でもありませんが(繰り返し書かないと読んでいるかたはすぐ忘れるということを改めて実感しました(笑))僕は趣味程度ですが格闘技をやりますし、格闘技観覧はk-1ヘビー級からの大したことのないものですが、それでも格闘技の試合に時間制限があることの素晴らしさを理解しました(というかもちろん、そうしないと試合として成り立たないという話ですが)。必ず決着が付くからです。ドローも決着の1つですよね。そのなかにも負けたと思ったのに勝ったとか、勝ったと思ったのに負けたとか、同ドローとかなどのグラデーションはあり、それでも決着は付きます。疑惑の判定とかもありますが、本当に(審判お前)握ったな、という場合は除き、数年たっても「あれは本当は負けた側が勝っていたのだ」と世間的(シーン的)な論調が続いているのを見たことがありませんし。(僕が知らないだけで、プロレスシーンとかではあるのかもしれませんが。例えば前田→アウトサイダー→朝倉兄弟、佐山→修斗→堀口や斎藤、その対決、というラインは僕でもちょっと過去を掘ると繋ぐことができますがあまり言われないのは前田佐山の争いが勝敗を語ることができないほどにガチすぎるのかな?とかも思っています。さんざん言われたあとなのかもしれませんけれども)。
SNSでは(試合として、ゲームとしての)時間制限がなく決着もないので永遠に勝負を続けることが出来る。これは恐ろしいですね、そもそもSNSは勝ち組(もちろん原義のほうの意味です)しかやってられないです。なにせ文学的な装飾や粉飾無く自分の日常を公にするのですから勝っていると思っていないとそんなことはできないです(なので負け組(もちろん原義のほうの意味です)でSNSをやっているかたが一番つらそうです)。ですのでこれらは組み込み済みも済みなのですが、今回のこと(今回のことは論争でもありませんが)で改めて実感しました。
そんななかで菊地さんが(今回のことは論争でもありませんが)期限をもってアカウントを削除することを前もって宣言したことで時間制限を設けたことは見事なプレイングだと思いました(ただ直接対話は消えたので、置き石としてならアカウントを削除せずに放置しておいても良いかとも思います。普通の人ならそこからズルズルと「これだけは言っておかねばならない」の連続で続けてしまいますが(僕も今回のことにズルズル突っ込みそうになりましたが、紙一重で退避しました)菊地さんはそうはならないでしょうから)。
ジャンキー/依存に大きく影響するのは「やりたりない」「やりきれていない」という満足感のなさですよね。SNSは時間制限がないのでずっとできるし、そも勝負というもの自体が「やりたりない」「やりきれていない」感を抱きがちになるものですから(格闘技選手の場合やりきったら引退ですよね)、SNSでの争い(今回のことは論争でもありませんが)、となると二重というか掛け算ですからそれへの依存性はすごく大きいですね。負けが無いの反対には、勝ちが無いもあり、それはつまり相手を殺しても殺したとは思えないまで発展しますから、勝負の場から降りることができないだけでなく、攻撃の手を休めることが出来ない地獄ですね。結果として他のトラブルによる中断しかありえなくなってしまう。
そのなかで一番怖いのがきちんと負けられないことだと思います。負ければまた練習すればいいし、他の対戦相手を探しても良いし、引退しても良い(ボクシングのトレーナーは「簡単に相手をKOし続けることができる選手は驚くほど成長しない。最終地点が低い。良いボクサーになるには負けか辛勝が何度もいる」と言っていてそれも出来ないのが恐ろしいです)。それがないから勝敗というものを超えて、勝負(試合、ゲーム。それに賭け事も同じだと思いますが)ということ自体が液状化して勝負の場と日常の境がなくなってしまう。これがSNSで一番怖いことですね。
あ、でもこれもポテンツの話かもしれませんね。でも町山さんも格闘技観戦は大好きなはずで、格闘技を見ることはお気に入りの選手に移入してポテンツを怒張させることと同時に、「あそこに俺が居たら死ぬ」とポテンツを折ることでもあり、更に移入先のポテンツが折られるのを見ることでもあるので、そこは町山さんどうなっているのかなぁとちょっと思いを馳せてしまいます。
話が変わりますが、菊地さんのツイッターでの第2稿で町山さんとの対談を取りやめたこと、ツイッターでの行動もやめたことは、このままでは町山さんが死んでしまう(自死)とか、自暴自棄になってなんかとんでもないことをしでかしてしまう。とお思いになってされたのでは?と思っております。
そのことはともかく、菊地さんが初めから対談と和平を呼び掛けていたことと合わさって、キラーのイメージも強い菊地さんが実は平和的に行動しており、平和を願うイメージのある町山さんがそれらも拒み、更には聴衆を扇動していることを観客が覚えておかないといけないことですね(繰り返しますが、今回のことを先に始めたのは町山さんであり、さらにツイッターでのことは菊地さんにとっては論争ですらない)。
双方のファンも同じで、戸惑っている方々が最大多数としても、町山さんのファンというかフォロワーも言動が、菊地は差別者だから殺して良いというレベルのもので、潰せとか逮捕だみたいなものもあり、菊地さんのファンが穏便というかノッている者が少ないことも観客は覚えておくべきことですね。
さらに町山さんは自分の意に沿う「菊地は~だ」とつぶやく第三者のツイートをリツイート(コピペみたいなものです、ツイッターの公式な機能の1つ)していますが、菊地さんは自分の意に沿う者やファンを一切巻き込んでいないことも観客は覚えておくべきことです。
こういったことは、町山さんがやってはいけないことだ、とこれまでにさんざ映画の批評内などで語ってきたことであって、まさに仇敵に似る、ですがこれはフロイドでなくとも、格闘技の原理(対戦相手にスタイルが似る)でもありますし、僕も覚えがあり思い出せば赤面することですが、菊地さんにはそれが無いように思えます。がこれは原理ですから菊地さんにもあったはあったと思うのですが、しかしこれはいまではどうやって回避されているのかすごく気になります。まさに堀口がボクサータイプにカーフキックを放ったがごとく(以下省略)
そもそもアメリカに住んでいる人(町山)が、日本に住んでいて米国大統領選の選挙権もない人(菊地)を声高々にあいつはトランプ支持者だ!と指さして非難する意義がわかりません。日本の政治的なリーダーがトランプ主義者でとか、100歩譲ってこれがのちに日本にトランプ的な人物を産み出す基盤になるとかならまぁ分かりもしますが、町山さんのそれは菊地さん狙い撃ちだったので上記した攻撃の手を緩めることができない、という状況になっていると思います。
また菊地さんが(今回のことは論争でもありませんが)手を汚さずに戦うこと、リングの外から矢を放つことではなく、自分の身を場に出したこと、(町山さんが先に手を出してきたにも関わらず)話し合う場を設けようとしたこと、その姿を見せたことは本当に偉大なことで、今回のことを子供が見てる、とは言いませんが、菊地、町山の背中を見た者が、それぞれ自身の人生の中でのちにどういった行動をとるのかということにも影響していることであり、その結果はのちに沢山出てくるはずです。
また話変わりますが、これはあくまでも僕自身の性格の悪さのような話ですが、菊地さんのファンのかたにはその情愛のありかたが繊細なかたが僅かにおり、「菊地さんがそんな……」というその言動が、懇意にしているアイドルさんや女優さんがご結婚されたときのそのファンのかたの反応と似ていて面白いです。
そしてSNSでは、政治=自身、政治=その人、更には政治=人生、となっているのを強く感じ「これが政治の季節かぁ」と唸っています。シリアスというか、その目つきが真っすぐになってそれ以外見えていないように思えます。
例えば、僕はそれこそ東京オリンピック/パラリンピックの開催にはずっと賛成の立場を表明していて、理由は↑でオリンピックとパラリンピックを繋げて書いたように、そこでは東京にいろいろな肉体の人が溢れるからなんです。僕の住んでいる八王子では毎年、青梅街道を通行止めにしての大きな祭りがあったんですが、すると祭りだってんで色々な障害のあるかたとか外国人とか肌に墨が入った方とか沢山出てきてその数に毎回驚くしすごい良いヴァイブスなんですよ、それの大きいのが東京全体で開催されれば良いという理由で、経済効果とかまったくしらないんですが(笑)、かといって菊地さんへの何かが変わったわけでもないですし、『時事ネタ嫌い』も『次のオリンピックが来てしまう前に』も凄い面白かったですし。これももちろん五輪について議論したいとか意見を変えたいとか聞きたいとかでも無いです(笑)これが、政治=自身、政治=その人、になっていない者の豊かさなんですが、それも無くなるのはことは恐ろしいですね。
菊地さんのこのブロマガの読者コメント欄も読んでいる、というかたもいらっしゃるとおもうんですが、そのなかでツイッターの長時間使用に悩んでいる方へ僭越ながら情報の共有をいたします。僕も昔はツイッタージャンキーでそれこそ「セックスなう」レベルのものでしたが、今ではツイッターに関わる時間が大幅に減りました。長くても1日30分とかです。見ない日はまったく見ません。大幅に減ったのは去年の5月くらい、コロナ禍が始まった位でしょうか。そのときに菊地さんがツイッターというかSNSのヤバさを仰っていてそれが改めて大きなきっかけになりましたが、それ以前からツイッターにハマりすぎるのは嫌で悩んでもいました。それで結局ツイッターの使用を少なくするというのはなんだかんか、その1年以上前から、足かけ2年くらいで行っていたように思えます。
効果があったのはもう当たり前すぎで馬鹿馬鹿しいのですが、運動でした。運動中は基本的にタバコや酒などの合法のものも、違法なドラッグも出来ないので良いですし、日常や仕事などとは別の肉体的な満足ある疲れがあると、ツイッターをやろうとしても疲れて寝てしまいます(笑)それが続くとツイッターからの距離ができるので、それが普通になるとハードユーザーからは自然と抜けられます。運動は何でもいんですが、ビュロー菊池チャンネルの『還暦前のボディ・リメイク 』もあれ満足ある疲れが得られると思いますし、楽器演奏や歌唱も良いと思います。あとゲームも結構いです、ゲームがあると忙しくてSNSもあまりできません(笑)
皆様がちょうどいい塩梅でSNSを使用することができるよう、同じく菊地ファンとして祈っております!(菊地さん、場所をお借りしてしまいすいませんでした!)
今回の出来事で思ったことを書き散らしてしまいまして失礼しました、乱筆乱文すいません!
(著者)
>>44
いやあこれ笑、すげえいっぱい同様報告があるんですよね(家族間討論 笑)、何れにせよ、ご家族が出てくると暖かいし、微笑ましいですよね笑、羨ましいです笑
<妻の意見は、菊地さんは今の価値観にアップデート出来てないサブカル中年男性になってしまっているのでは?という視点です。ちなみに妻はリベラル&フェミニストの女性です。>
↑ 確かに僕は、紛れもない大腸ポリープいっぱいの中年男性ですが、サブカルかどうかは、また「サブカルの人」という考え方が自立するのかどうか甚だ疑問です。僕はサブカルチャーを愛しており、サブカルチャー範囲内での活動(ラジオとか)も旺盛にしていますが、演奏行為や執筆行為自体がサブカルチャーかどうかよくわかりませんし、「自分は<サブカルの人>なのだろうか?」と胸に手をあててみても、やっぱよくわかりません笑
<作家の木澤さんがこの辺りの視点をきれいにまとめられたレビューを書かれていたので、共有いたします。
恐らくTwitterの総意もほとんどコレに集約されると思います。>
↑ これは読みました。まあ、半分は正しいのではないでしょうか。
<コレに対して、僕の意見は、アップデートできていないのではなく、敢えてアップデートさせない方向を選択している>
↑ そうです。ずーっと言動も態度もそれで一貫しているつもりなんですけどね。ただ、不定期的に定頻度でエゴサはしていますし、ユーチューブは音楽研究のツールとして失くことのできないものになっていますし、ファイナルズの2人がインスタグラムを使用していることは興味深くみています(非常に勉強になります)。当ブロマガが、どのツールにカテゴリーされるかは全くわかりません笑。
この辺の話は、「ドロップキック」で「ユーチューバー格闘家とは何か?」というインタビューでやや詳しく話していて、もうアップされているか、まだなのかは知りませんが、まだだとしても近々ではあると思うので、お読みいただけると幸いです。
<それは、菊地さんが逆張りをしているからではなく、ストリートの人だから、ストリートに生きる人たちに寄り添っているだけだと返しました>
↑ 少なくとも、僕の自意識としては、まさにその通りです。ただこれ、伝わりずらいですよ笑。
<この辺で彼女は???となってしまい、説明を進めていたのですが、最初はイマイチ理解してもらえませんでした。
ちなみに小さい娘が2人いるのですが、二人とも妻の味方をしたので、パパが間違っているという結論になりかけました(笑)>
↑ パパだったんですね笑、ちょっと動揺しています笑。
<恐らく彼女からすると、僕の表面(第2層)はラッパーで言うとコモンのようにリベラルでコンシャスな印象しかないのです。菊地さんの第2層がナスティーでインテリジェンスのあるジャズマンというように。>
↑ なるほど、理解とは共有から始まると言いますが、単純なコミュニュケーション論として、自分の属性が、相手の属性の部分だけ抽出され、全体像として理解される。という事態は基本的に不可避的ですね。というか家庭というのは本当に複雑で面白い場だと思います笑
<一方で内部(第1層)に僕はMC漢的なサグでフロイディズムな部分があります。菊地さんの内部(第1層)も恐らく近いものがあるかなと。間違っていたらすみません>
↑ いや、仰る通りですよ。
<この第1層は私の出自から来る部分が大きいです。私も地方の温泉街&歓楽街で幼少期から18歳までを過ごしました。
恐らく歓楽街は銚子だけでなく、どこも同じようにサグと欲望で出来上がっている街です>
↑ 全くその通りです。ただ、少数派ですよね。評論家の野田勉氏も同様の胸、聞いています(彼も妻子持ちですが)。
<この手の街で成長するには、サグでタフな部分がないと生き残れません>
↑ そうです。
<ただ、たまたま英語が得意だったおかげで、地元を出て大学に入り、英語を使ってホワイトカラーの仕事をしています。
僕の第2層はほぼ18歳以降で作られた要素です。>
↑ 非常によくわかります。僕は英語ができませんが、音楽ができたおかげで、ジャズ界という違う意味での大変な荒れ場に配属されましたが笑、僕は過日、大変な本好きで、14歳以降ぐらいから読書によって第二層が形成されましたし、神経症の発症と精神分析治療によって第二層が肥厚しました。
<でも第1層を捨て置くことは決して出来ないという立場です。故にこの手の議論になると、ホワイトカラーの友人と結構意見が分かれます。僕の頭はヒップホップ脳なので、第1層を捨てる=自分の家族&故郷を捨てることとほぼ同義です。そんなことはできないなと>
↑ 全くその通りです笑
<加えてホワイトカラーやリベラルが、マイルドヤンキーや水商売の人間を差別・軽蔑しやすいことを、僕は実地を持って体験しています>
↑ こんなのはっきりと差別と無理解だと思いますが笑、僕は音楽家 / 文筆家デビュー以降、ずっとコレですよ笑。ただ僕には音楽界というストリート(このストリートもだいぶ様変わりしましたが笑)と、新宿というフッドがあるので、同類も多く、差別や無理解のほとんどはネットで文字列だけで判断している人からしかありませんが。
<今回の議論も基本的には、私や菊地さんの持つ第1層に対するリベラルの方の無理解は結構大きいじゃないかと思っています。歓楽街や歌舞伎町は、恐らく彼らにとって、一番距離のある存在です。コロナも重なって、更にブーストされた印象です。>
↑ 完全にそうですね笑。もうこれはしょうがない笑。それが売りになってしまっているし(まだ歌舞伎町に住んでいると思っている人々もたくさんいます。Twitterやって、引っ越したとツイートすれば広がるのでしょうが笑)、僕の中で、蛮性を駆逐しようという人々をおびき寄せたいという欲望もあると自覚しています笑。
<またADHDの接し方も、過去接してこられてきた方とそうでない方とで多少言及が変わります。
私も菊地さんと同じく母がADHDだったので、今回の言及は特に問題ないと思っていますが、
リベラル観点だと差別的に見えるという逆ロジックが動いた印象です。
この辺りは、菊地さんも批判覚悟で書かれたと思うので、賛否両論は出るだろうなと。>
↑ 批判は常に覚悟の上ですが、今回も勿論、文意がストレートに通るとはマイクロ1ミリも思っていませんでした。ですので、石を置きに行ったのです。著述やライブなどで馬鹿でかい岩石を置いているのですが笑、現代はSNSに置かないと、一生知られない(SNSに置けば、一応は知られる)まま、しかし評論されるという時代ですので、やってみましたところ、思った通りの反応が出ました笑。「菊地はDQNに憧れめいたものがあるんだよ」と言われますが、憧れではなく郷愁と懐かしさです笑。
<結局の所、本当のことはストリートじゃないと分からないんだ。ということに尽きるのですが、それをどう言葉と行動で伝えていくかが、カギなのかなと。最近、手塚マキさんの「新宿・歌舞伎町 人はなぜ< 夜の街 >を求めるのか」を読んで、こういう細かい積み重ねで伝えていくことが重要なのかなと思っています。
*ちなみに妻にも今、この本を貸して読んでもらってます。多分、これを読めば、僕や菊地さんの伝えたかったことが分かるはずと。>
↑ 読んでみます。
<以前は夜電波でそれが出来ていたと思うのですが、なかなかそういう媒体が今ないので、難しいところですね。>
↑ そうですそうです。石を置くことで、不法夜電波を聴く方が1人ずつでも増えればと思っています。
<個人的な希望をお伝えすると、菊地さんの第1層や銚子・歌舞伎町に対する愛を文章でまとめたものはどうかなと思いました。歌舞伎町-WBOで愛すべき人たち的な(笑)>
↑ 夜電波で8年間もやった、と思ったんですが、完全な大本営発表というのは個人には出来ず、夜電波もジャズ演奏もなく、ネットのインタビュウをメインに僕の印象をセットする人が多いのは、おそらく一生変わらないと思います。夜電波は幕の内弁当なので、それこそ自伝でも書かない限り無理だと思うんですが笑、自伝は死期が迫ったら口述で書こうと思います笑。
<最後に余談ですが、妻と私が共通して好きな盤はUA×菊地成孔の「CureJazz」です。あそこにあるハイブリットなモノが、私たちの分断のハブになってくれると思っています>
↑ 大変嬉しいです。あの作品は、僕が、「ジャズをやっている限り、なかなか表明できないこと」の一つであるフェミニズムを表立って表明した作品です。UAが所謂「ジャズシンガー」出ないことが肝ですが、あの作品は、企画段階から一貫して、「女性が、女性目線でスムースに聴けるジャズ」を設定していましたし、成功しているという自負があります。
<ライブ延期で二人で残念にしておりますが、コロナが終息したら、二人で会場に行ければと思っております。長文失礼しました。>
↑ 楽しみにしております。ご家族、特に奥様によろしくお伝えください笑。
(著者)
(著者)
(著者)
(著者)
相手がADHDであれ、そうでなかれ、容易に分析、裏読みをせず真正面からぶつかって対話するのかと思っていたところです。 相手方にその度量はなさそうでしたが。
(著者)
>>33
返信、お忙しい中、本当に、本当にありがとうございます!!自分は、Twitterは情報収集にしか基本的に利用しないのですが(コミュニケーションに利用しないです)、SNSで人とコミュニケーションすることになんとなく抵抗を感じていたその理由が、なんとなくわかった気がします。
「今、ロイホなう」とか言っていた牧歌的な時代は終わり、っていう部分、すごいわかります!! 今、あの感じじゃ全然ないですよね、、(カミさんと、今最寄り駅なうとかやりますが 笑)
ブルータスは、高校くらいからいまだに特集気になったら買ってる、好きな雑誌のひとつです。今回の号、買います!”音楽と酒”はマチガイナイですね 笑笑
ナルズキッチンのアクアパッツァ、近日挑戦予定です!!
大恐慌へのラジオデイズ「狸と笑いの王様」、
世知辛いご時世(笑)に溜飲の下がるタイムリーなギフト=《毒》をいただいて痛快です。
モースのギフト=《毒》は諸説あるようですが、古代ゲルマンの給付の典型が飲み物とりわけビールだったからという説があり、「裸体の森へ」の乾杯酒も儀式性含めその一種だなと思いました。「裸体の森へ」は年一の自分へのご褒美=ギフトでもあったので、コロナなど落ち着いてまたヨコハマで開催されること期待しています(鳩さんの料理も食べたいし!)。
戦いをなくすための戦いがやめられない軍隊/群体化した人々はDC/PRGで踊ればすぐ治ると思うよ!と強く思います笑
菊池さんこんばんわ。
以前、おすすめしていただいた、父を殴るためのボクシングジム通いを始めました。今日で10回目です。初日から鼻血というご褒美をいただきました。笑 新参者には半分の練習性がメンチを切ってきて、半分の練習性は元気ハツラツな挨拶をしてくれます。定時制高校の入学式みたいで癒されました。最初にカマしておくという排他的なのに歓迎してくれている雰囲気が心地よくて、すっかり仕事後に通うのが日課になっています。
バンテージを巻きながら、試合後に食べるラーメン二郎が如何に最高なのか語ってくれた、ドンブリ背負ったイリーガルな地下格闘技に出るためにジム通いしている青年と初めてスパーリングをしたのですが(何故かグローブにアルコール消毒液をかけます。ちなみにプロを目指す人は酒とたばこは禁止らしいです。)、3R持ちませんでした。肉体労働をずーとやってきたので体力には自信あったのですが、違いますね。当たり前ですが。
印象的だったのはジムに通っている人達の和彫り・タトゥー率の高さと、親子で通っている率(母と娘っていう方も何名もいらっしゃいました)の高さです。10代にして全身スジ彫りで、殺気立った凄いボクサーが黙々とシャドーをしている姿を見るたびに、井岡さんのタトゥー問題を思い出して苦笑します。菊池さんが以前おっしゃてましたけど、入れ墨が無くなるわけないですね。
10回くらい通っていたら今までメンチ切ってくるだけだった方々から沢山話しかけてもらえるようになって、更に楽しくなってきました。ジムに行く時間帯が夕方から夜にかけてだからっていうのもあるのですが、定時制高校感が半端なくて。いい空間です。ご時世がら、こんな冬なのに窓を開けているおかげで、駐輪場にワセリンの匂いがツーンとします。ジムはバイパス沿いにあります。ジム内で流しているBGMが主に会長DJによるものなので、車が激しく行きかう音とロッキーのテーマから北島三郎への繋ぎなんかあったりで、最高です。
新日本プロレスのジャージで熱心に練習している可愛いJKがいまして。来年、新日本プロレスの門を叩くらしいです。「私は男とも風呂入れる」「天心よりオカダの方が強い」「パンチ主体でIWGPを獲るのが夢」など名言を沢山くれます。彼女は、夢を叶えると確信しています。棚橋が負けたのはパンチのボディーブローの時に脇が閉まっていないからだとか、最近のプロレスは門外漢なのでよくわからないのですが、絶対に正しい事を言ってくれます。笑
これは偶然なのですが、私もたまたま菊池さんと同じタイミングで喫煙を再開しました。愛煙家だったのですが体に合わなくてタバコをやめていたのですが、体に合うイリーガルな喫煙と出会えまして再開しました。そのイリーガルなタバコ業者さんは「とちおとめ」と一緒にタバコを育ててらっしゃって、大変に美味しいタバコを売ってくれます。正直、イチゴより全然美味いです。笑
タバコの効果か、ジムの効果か、あやふやですが、ジム通いで父への殺意が減っている感じがします。あくまで、感じなので、ジム通い続けます。
>>57
いえいえ!この場がどういうポリシーで運営されているのか理解しておりますが、それでもこうしてお返事を下さるたびにとても嬉しく思い、いつも文末に「ぺこり」とお辞儀をした顔文字を張ろうとしてこちらのシステムで荒らし対策で弾かれては笑っているくらい感謝しております。いつもありがとうございます!
町山さんの件についても分かりました、あの文章を拝読した際に菊地さんが手を下げた姿が僕にはありありと見えて、上記の考えが直観的に浮かんだのですが、このコメント欄を見て菊地さんに別の思いがあられたことにも納得したしました、町山さんがタフなことについてもです。
こちらのコメント欄にてもう1年以上前でしょうか、メイウェザー天心のことについてお返事されていて、あの試合は天心には良いシャクティーパットにななったと思う、と仰られていて、菊地さんのおそばにはヨーギをガチでされているかたもおられるのでこれが日本での手垢に塗れた意味ではなく、本来の意味であることは間違いなく、その後の天心のことを見て、それに僕も深く納得したことを改めて思い出しました。難しいでしょうが、そういう選択もできるようになりたいし、仇敵に似て赤面するのは嫌なのでやっていきます。
それと皆さん仰っていますが、今回もラジオも、ドミューンもゲラゲラ笑いました。そしてこの場のコメント欄のやりとりも素晴らしいですね、興味深く拝見したかたも、大いに笑わして下さったかたも居てとても楽しいです。では失礼します(ぺこり)
(著者)
(著者)
>>62
ありがとうございます!「笑いの王様」の作者のドラッグネタやバックヤード話は山ほどあるので、何かの機会にまた笑。
タオンガとゲルマン法ですね。ヒンドゥーでは「吸気は清、呼気は毒」としますが、僕も精液には微妙の毒性が含まれると考えており、他の排泄物(主にスカトロジストが扱う)が「聖なる」イメージを持つのに対して、ですが。
聖なる大小便は植物を発育させますが、精液は出産を促します。人は毒が切れると危険な状態になる筈で、一番良くないのは、毒に飢えて毒々しさに走ってしまう事で、これはキウイがたくさん獲れる畑の中で、クエン酸の抽出粉末をスプーンで飲んでいるのと同じと考えます。贈与の根本にある有毒性は、現代では実態ではなく、解釈の中にも発生すると僕は考えており、そのことの具現化に最も適しているのが音楽だと思っています。鳩さんの料理は本当に素晴らしい。「裸体の森へ」が再開した時が、コロナ禍が終わり、次の禍が我々を祝福する時だと思っています。
(著者)
>>64
厳密に言えば、町山さんの内燃が続いている限り、町山さんは死なないでしょう。僕は「セッション」の時は、いきなり襲い掛かられて、やりながらプロレスにするしかないなと思い、かつ、試合としてはドローにしたと思っていました。要するに和平ですが。なので、今回本当に迂闊だったなあと思ったのは、報復に備えていなかったことです。町山さんは僕と違って、ペン(キーボード)しか剣がないので、ずっと戦い続け、負け続けて来た。という事実を軽んじていました。Twitter上で、よそ者である僕にどんだけ食らっても大丈夫だと思いますが、町山さんが今、危険な状態にいることは間違い無いです。要するに自死のイメージは決して根拠なき幻覚ではない、という意味ですが。
2度目の襲撃ですぐに公開討論を要求したのは、プロレス的に、なし崩しに始まるのではなく(あれはプロレスの醍醐味だし)、競技として席について、勝敗を決し(僕が必ず勝つ。という意味ではないです)、町山さんにTwitterによる無限敗北感の外に出したかったんです。これは、人道的な采配とかではなくて、一度やっちゃった人間として、報復に備え続けるのは年齢的にもキツいので笑、町山さんがはっきり勝つか、はっきり負ける事で報復する必要を失わせたかった、というのが本当のところですが、まあ、結果的にこうなっちゃったんで笑、今は町山さんのバトルフィールドである小鳥の国の人口が減ルカ、町山さんの無尽蔵なパワーが、加齢とかでダウンすれば良いなと思うばかりです。町山さんは今、戦い続けているのではなくて、恨み続けているので、体力を消耗するでしょう。
今はとにかく、大声でゲラゲラ笑うことすら禁じられているので、とにかく笑えるもんはなんでも笑っておくべきですよね。ただ、笑いに似ているけれども、笑っていないような現象、例えば嘲笑とかですが、ああいうのが笑いだと思っちゃうとまずい。笑いの王様は誰も嘲笑できないと思うんですよね笑。振り返るだけなんだから笑。
いまだに保安官さんはtweetされていますけれども、
この人のやり方はほんとーにイジメですね。
こんなさわやかでないことを延々とよくもまあ続けられるもんだと思います。ことりの世界で意気揚々発言するこわさ。
(著者)
町山さんの今日のツイートを見て自分のことを思い返さざるを得ませんでした。
私も町山さんのように「許せない」と思う相手を延々呪い続けることがあります。そういう時は活元運動などをしますがなかなか呪いの感情が去りません。
しかし、傍からはこう見えるんですね。反面教師とします。
(著者)
(ID:36094709)
Twitterの件、お疲れさまでした。
今回の件、最終的には、やはり野次馬の玩具となってしまいましたね。
どっちもどっち論を高見の見物で論表するか、それぞれが信じる正義を投稿するか。
もはや菊地さんも町山さんも置いてけぼりになってます(笑)
一番邪悪なのは、野次馬にそうさせてしまうTwitterの構造ですね。野次馬の皆さんは気づいてるのか、気づいてないのか分かりませんが。
*出来れば自覚した上でやっててほしいですが、そんな知性と規律のある人は多分Twitterの論争とか触れないですねきっと。
本来は、誰もジャッジしたくないし、誰からもジャッジされたくないと思うんですよね。
というか最終的なジャッジを下せるのは、その人を抱きしめられる人だけです(結局、愛があるか否かですね)
と僕は思うのですが、そうじゃない人も居るのだということも知れて、勉強になりました。
話は変わりますが、アルバートアイラ―の5時間はとても楽しかったです。
本来のインターネットの使い方は多分、こっちじゃないのと思いました(笑)
TwitterよりDommune見た方が良いよっていう。
できればアルバートアイラ―の話でコメント欄が盛り上がって欲しいですね。
僕もようやく苦手だったフリージャズもアイラ―の文脈で徐々に聞けるようになってきました。
ヒップホップ脳にはフリージャズはこれまで敷居高かったので(笑)