第144号 2015.8.18発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第139回「安倍首相の戦後70年談話を検証する」
談話では日本は満州事変以降、道を誤ったとして次のように言っている。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
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コメント
>>74
ありがとうございます。支那事変に関しては、右翼、革新派にも人気があった近衛文麿が首相になったことが大きいです。
近衛は陸軍からは支那に関しての強硬姿勢、革新派にとっては貧富の格差是正政策と左右を組み上げる政策をしてましたから、両者から近衛を首班とする一党独裁を懇願されるまでになってしまいました。
先生が過去のライジングに書いたように、強硬派に支持される点では安倍晋三と近衛文麿はかなり似ていると思います。
どちらも、血筋が良く将来の首相候補に目された人物ですしね。
まあ、最後まで人気が落ちなかった近衛文麿に対して安倍のほうがまだ打倒はできる可能性はあると思います。
続きですが、戦前日本において対立軸になっていたのは、欧米と協調し、国際秩序を維持する「現状維持派」と世界恐慌の中で欧米秩序を打破し、新秩序を建設する「革新派」の2派に分かれていました。
支那事変において軍部が蒋介石打倒を目指したのは蒋介石が英米の支持を受けて現状維持を目指していると見られていたためです。
だから、支那事変は蒋介石から支那を解放する「聖戦」であると国民から支持されたわけです。
大東亜戦争も新秩序建設のために行われましたが
敗戦し、「現状維持派」であった幣原喜重郎、吉田茂らリベラルグループが戦後日本を引っ張ることになりました。
革新派は社会党に合流し、ソ連支持、資本主義打倒を目指したわけですね。
ここで面白いのは、革新官僚であった岸信介は総理になり、日米安保を改定し、親米路線を確定させたことです。
岸自体は国内政策では最低賃金法、国民皆保険制度を作ったり、「革新派」でしたが、国際情勢では
「現状維持派」になってしまったのです。
安倍晋三も岸路線を継承して、戦後レジームべったりになっていますが、彼らにとって「革新」すべき
はGHQの占領政策(実際に第一次安倍内閣の時に教育基本法の改正、防衛庁から防衛省に格上げを行いました)の是正であり、アメリカ支配からの「革新」は大反対という方針です。
結局は国民自体がアメリカべったりの「現状維持」から「革新」に転じない限り、戦後は終わらないと痛感しております。
安倍談話は最初に読んだ時にもとんでもないと思いましたが、今回のゴー宣を読んでもう一回読み直すとさらにとんでもないものだということがわかりました。
結局安倍首相は一貫して「究極の媚米野郎」だということですね。
そして一番残念なことは、頭の中身がないネトウヨはおろか一般の庶民でさえもアメリカへの警戒心はなぜか持っていないことでしょうか。
先日「日本のいちばん長い日」を観たのですが、あそこで描かれていた日本人の独立心、プライド、そして尊皇心はどこに行ってしまったのかと、寂しくなります。
早く目覚めるべきですが、難しいでしょうね・・・
(ID:16221355)
ありがとうございます。仕事終わりで読ませていただきます。
1かな? na85