第448号 2022.9.27発行
「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…9月27日(火曜)は安倍晋三元首相の「国葬儀」だ。安倍氏の生前の業績を、産経新聞やWiLL、Hanadaら自称保守界隈は最大限に美化しようと必死だが、これもいずれ峻厳なる歴史の審判が下ることは間違いない。ただ、凶弾に斃れた安倍の最期に関しては、またぞろ「テロに屈するな」「テロは断固許してはならない」だのという決まり文句が出て来そうなので、その無意味さについて改めて論じておきたい。今回取り上げたいのは、「戦前のテロ」についてである。「戦前はテロの犯人に同情が集まったためにテロが頻発し、戦争への道を歩んだ。だから過ちを繰り返さないために、テロリストに同情してはならない」…というのも実によく聞く決まり文句だが、この主張は正当なものなのか、この機会に歴史を検証しておこう。
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…『正論』10月号に、八木秀次による「『反アベ』の狂気ここに極まれり」というタイトルの寄稿があった。八木と言えば、統一協会系の新聞「世界日報」のPRビデオに出演し、広告塔をつとめ、「世日クラブ」主催の講演会には過去7回も登壇しているズブズブ族の筆頭だ。安倍や自民党全体が統一協会とズブズブの関係にあることが露わになった今回の事件を、「一部の事実と事実誤認を混在させた意図的な印象操作の類いで、誇大妄想や陰謀論と言っていい」と書く八木。さて一体どんな狂気極まる論考なのか見ていこう。
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…残しておいたほうがいいアナログ感覚ってある?オウムや統一協会を「宗教」として論ずる知識人をどう思う?なぜ日本だけが未だに「新コロ警戒」に拘り続けているの?「国葬」に相応しい人物っている?『きつねダンス』は日本経済復活の起爆剤になるのでは!?現在日本最後の女性天皇である後桜町天皇は決して「中継ぎ」とはいえない業績がある!最近一番の「ご飯のお供」は何?地球環境を維持・回復するためには「姥捨て」や「口減らし」が将来的に必要になる?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第477回「戦前のテロに対する考察」
2. しゃべらせてクリ!・第404回「クリ・カキ・イモ!秋の味覚トリオ結成ぶぁ~い!の巻【前編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第271回「八木秀次の狂気ここに極まれり」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第477回「戦前のテロに対する考察」 9月27日(火曜)は安倍晋三元首相の「国葬儀」だ。
弔いたい人は弔えばいいが、わしにとっては特にありがたい政策をやってもらった首相でもなく、最も重要な皇統の問題を放置されたことが腹立たしく、統一協会を権力の中枢に招き入れたことも、馬鹿馬鹿しい限りで許せることではない。
アベノミクスでトリクルダウンはないと、最初から見抜いていたし、今もデフレは続いている。
ただ長期政権だっただけで、なぜ感謝してる人がいるのか、全く分からない。
弔いたいなら自民党葬でやっておけばよかったのに、わざわざ国葬儀にするから国民全員が文句言う資格が出来てしまい、「反対」の方が多くなるというみっともない世論になってしまった。故人に恥かかせる決定をしただけである。
安倍氏の生前の業績を、産経新聞やWiLL、Hanadaら自称保守界隈は最大限に美化しようと必死だが、これもいずれ峻厳なる歴史の審判が下ることは間違いない。
ただ、凶弾に斃れた安倍の最期に関しては、またぞろ「テロに屈するな」だの「テロは断固許してはならない」だのという決まり文句が出て来そうなので、その無意味さについて今回は改めて論じておきたい。
先週も引いたが、批評家・東浩紀は、安倍殺害犯の山上徹也に同情する声があることについて、AERA8月8日号の巻頭コラムでこう述べた。
「ネットや一部メディアで容疑者に理解を示す声が聞こえるのも心配だ。戦前でもテロリストに同情が集まった。それは敗戦に至る暗い歴史を準備した。」
前回検証したとおり、山上の犯行は個人的怨恨が動機で、「テロ」には当たらない。
そして今回取り上げたいのは、「戦前のテロ」についてである。
「戦前はテロの犯人に同情が集まったためにテロが頻発し、戦争への道を歩んだ。だから過ちを繰り返さないために、テロリストに同情してはならない」
…というのも実によく聞く決まり文句だが、この主張は正当なものなのか、この機会に歴史を検証しておこう。
とはいえ東の記述では、戦前の「テロ」とは具体的に何を指しているのかわからない。
そこで、似たようなことを言っているノンフィクション作家・保阪正康の主張(毎日新聞 電子版・7月13日)を見てみよう。
昭和5(1930)年から4~5年の間の要人テロと未遂事件は結局は、昭和の歴史を暗黒に染める役割を果たした。改めて並べてみると、5年の浜口雄幸首相、7年2月の井上準之助前蔵相、3月の三井財閥の団琢磨、そして5月には首相官邸で犬養毅首相の暗殺と続いている(5・15事件)。その後も8年の神兵隊事件や、10年の陸軍省における永田鉄山軍務局長の暗殺、翌年の美濃部達吉銃撃事件、2・26事件と休む間もなく不穏事件が続いていくのだ。まさにテロは連鎖していくのである。
保阪は続けて「二度とこういう体験を繰り返さないためにも私たちはあらゆるテロに徹底した批判の姿勢を堅持すべきなのである」と述べている。
東の主張と全く同じだ。東はおそらくこの記事を読んでAERAのコラムを書いたのだろう。保阪はマスコミには「昭和史の権威」として扱われているから、学校秀才バカの東は、これを全く疑うことなく丸呑みしたのではないか?
だが、保阪が言っていることは全くおかしいのだ。
ここで保阪が挙げた事件は、以下のとおりだ。
【1】浜口雄幸狙撃事件(1930)
【2】血盟団事件(1932)
【3】5.15事件(1932)
【4】神兵隊事件(1933)
【5】相沢事件(1935)
【6】美濃部達吉銃撃事件(1936)
【7】2.26事件(1937)
保阪はこの7事件すべてを「テロ」と呼んでいるわけだが、とても歴史家とは思えない粗雑さである。
先週のおさらいだが、テロリズムとは敵対する当事者や、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、これによって生ずる心理的威圧や恐怖心を通じて譲歩や抑圧などを強いることで、特定の政治目的を達成しようとする行為をいう。
ただ、テロと一般犯罪との境界はあいまいでもあり、要人が公然と襲われた場合などは、実行者の動機や目的と関係なくテロとみなされてしまうこともあるが、それは大衆が感覚レベルで共有する漠然としたテロイメージであって、法的に定義されるテロとは違う。
正確に歴史を検証するには、厳密な定義を蔑ろにしてはいけない。
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