平山郁夫氏は中学三年の時、広島の学徒動員先で原爆に被爆。彼は原爆症で苦しみながら、原爆投下の絵画を一点しかえがいていない。更に三四年経過し始めてこの体験を絵画にする。画家が自分の絵の背景を述べることはまれであるが、平山氏は自著『群青の海へ』で描くに至る経緯を記述、その内容はいかなる解説文よりも真髄をついているとみられるので、それを引用する。
「昭和二十年のその日、私は、舞い上がった広島の町から、どうにか脱出することができましたが、いつまでも私を追いかけてくるのは、巨大な炎でした。振り返り振り返り逃げまどう私の眼に映るのは、天を焦がす巨大な炎の中で、のたうちまわる断末魔の広島の町の姿でした。
背中のほてりは、ますます強まってきます。炎は歩いても歩いても追っかけてきます。人間が、石ころのように無造作に倒れています。じっとしている人、血だらけになってうめき声をあげている人、白い骨が露出している人
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コメント
「敵国中国」というほど単純ではないですよ。
日本は清朝の味方をしていたし、漢族のなかでは汪兆銘政府の味方をしていました。かれらもまた「中国」です。
日本が主にたたかっていたのは蒋介石の国民党軍ですが、かれは米、英、DSのフロントですね。日本はDSとたたかっていたわけです。
そして、国民党軍と共産党軍とはたたかっていましたが(ともに「中国」)、その後の国共合作にはコミンテルンという外国勢力の陰謀、といって悪ければ、少なくとも関与があります。
日本が敗戦した結果、日本は「中国」と戦って負けたことになったわけです。その結果そのものに文句をつけるつもりはないですが、もう70年以上たったのだから、別の視点があってもいいとおもいます。ウイグルは「中国」ではないという事実も別の視点のひとつです。
創作活動に行き詰っていた平山氏が原爆体験という独自の原体験を武器にして成功した。その内容は「狂気の兵器を生み出した同時代の人びとの贖罪と救い」だ、というのも、なにも平山氏やその考えの真摯さにケチをつけるつもりは毛頭ないですが、わたしは、その時代の作為された論調、といってわるければその時代の空気や思想を結局は色濃く反映しているとおもいます。
原爆投下の、少なくともしばらくの間は、やられたからにはいつかやり返すと考えた人々が、かなり多くいたとわたしは信じています。
採り上げ恐縮です。明けましておめでとうございます。「未確認」は恐らく後半部と思いますが、これはゲバラの長女で小児科医のアレイダ・ゲバラ女史が2008年の来日講演で紹介されたエピソードです。主催者から釘を刺されたのか、意外にも?講演自体に反米カラーはさほどありませんでしたが。
アメリカと同様、当時日本も原爆製造を推進していた事は周知の事実です。もし、日本がアメリカよりも先に原爆を製造していたら、中国の大都市に投下していたでしょう。そして広島、長崎と同じく言語に絶する惨劇が起きたでしょう。核兵器廃絶への努力は、核保有国の権力者の重大な責務と考えます。
(ID:18367902)
生あることに感謝し、今年も学んでいきたい。
私たちのの生きている世界は、原爆といわず様々な戦争が後を絶たないし、貧困も消え去らないし、病気も常に降りかかってくる。生きている世界が、地獄とみて間違いない。
しかし、私の存在を、「今、現在」を生きている自覚しか存在証明できない。「今、現在」を外れれば、過去であり、未来であり、回想であり、予想でしかない。
「今、現在」を正しく生きるためには、現実をそのまま見つめることであり、心をきれいにして、映し出していければ、満足したい。間違ってもある思想を根拠にした思想展開はしたくない。
「原爆」を描くにあたって、平山郁夫氏がなかなか筆が進まなかったのは、「原爆」という「業火」=「苦」を描くといっても様々な要因が作用しているし、様々な「縁」が作用しており、一枚の画面に収めることなどなかなかできなかったのでしょう。
主役は,「業火」=「炎」といっておられる心境を理解できる。