平山郁夫氏にとって原爆は絵に出来ない。何故なら、炎を描くしかなくなり、生き延びた人、殺人兵器を作り使用した人たち全部の贖罪、救いを求めるものなり、炎の絵になってしまう、からだと明解にされている。 認識論ではその最高の境地を真善美とされていて、我々は学生時代に理科系は真の追求、社会科学は善の追求、文学その他は美の追求と言われていた。そのいわれで言えば、画家は美の追求者だと言えるでしょう。 平山郁夫氏は炎、贖罪、救いは善の追求者のもので、美の追求者のものではないと固く自分に戒めておられたのではないでしょうか。しかし、平山郁夫氏の絵をじっと見ていると浄土宗の浄土を描いているように私には見えるのですよ。しかも、そこには燃え盛る炎、贖罪、救い祈願が見えて来るのですよ。
チャンネルに入会
フォロー
孫崎享チャンネル
(ID:19005377)
平山郁夫氏にとって原爆は絵に出来ない。何故なら、炎を描くしかなくなり、生き延びた人、殺人兵器を作り使用した人たち全部の贖罪、救いを求めるものなり、炎の絵になってしまう、からだと明解にされている。
認識論ではその最高の境地を真善美とされていて、我々は学生時代に理科系は真の追求、社会科学は善の追求、文学その他は美の追求と言われていた。そのいわれで言えば、画家は美の追求者だと言えるでしょう。
平山郁夫氏は炎、贖罪、救いは善の追求者のもので、美の追求者のものではないと固く自分に戒めておられたのではないでしょうか。しかし、平山郁夫氏の絵をじっと見ていると浄土宗の浄土を描いているように私には見えるのですよ。しかも、そこには燃え盛る炎、贖罪、救い祈願が見えて来るのですよ。