集団的自衛権はおかしいということは明白だ。
①大森、宮崎、坂田(少なくとも一時期)、角田元内閣法制局長官が違憲ないし疑問の発言
②山口繁・元最高裁長官「集団的自衛権の行使を認める立法は、違憲」
③憲法学者の約95%が違憲。 こうした状況であれば、当然安倍政権批判が出ても自然だ。何故安倍支持が継続するのか。
日本の社会で、不思議な現象が起こっている。
一般的に、官界、経済界。メディア等上に行けば。知的水準が高いと思われる。しかし、官界、経済界。メディア等上に行けばいくほど、日本社会の持つ問題について、本質論を避ける。そして本質から外れた詭弁を守り、集団的自衛権、TPP原発再稼働、消費税等を支持する。原発であれば、最大の問題は地震に対する安全性であるが、この論は必ず避ける。集団的自衛権では、自衛隊を米国戦略に使う事の是非であるがこれは避ける。TPPであれば ,国家主権を侵すISD
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コメント
今の世は、理性のない醜い人々が崇高な生き方をする人びとの苦渋を見て楽しんでいる。崇高な人々とは孫崎さんのような、自分を捨てて他者のために生きる人々である。
どのような世の中であろうと、立派な人間とは、他者の事を考えられる人である。どんなに力が世界を支配しようと、立派な人間の像が変わるわけではない。倫理の軸がかわることはない。倫理が語られない時代になったとしても、倫理がぶれることはない。
ソクラテスは、ダイモーン(聖霊)の声を、つねに禁止の声として聴いたという。ソクラテスならずとも、人間は、自分を超えた何者かからの問いかけを聞く。悪い仲間はその声を聞きにくくし、聴くのを邪魔するだろうが、独りになると人はその声を聞く。人間の究極の独りとは「死」である。死ぬ時、人は心の声を聞くだろう。
そして、その時、認知的不協和を誤魔化すことはできないだろう。
認知的不協和論的にいえば、中国と昔、戦争した、惨い殺され方をいっぱいされたといっている。軍事大国化して、日本を脅している。あのとき、徹底的にやっけるべきだった。日本は、」間違っていなかった。ということですか?
>>10
了解しました。
(ID:18367902)
体制側の認知不協和論はその通りであろうが、反体制側の認知不協和論が論じられることが少なくなってきた。60年安保を体験した人間にとっては、土俵が変わっていることを嘆かざるを得ない。
安保と憲法とが日本を規範する法規になっているが、安保が不可侵の法規になっており、米国の掌の上で論争を繰り広げているに過ぎないのである。今回の安保法案も、日本独自の考えであれば「違憲」で争うことも理解できるが、「米国の意志」に基づくものであることが、「不認知状態」となっている。米国の意図が明白なのに、米国と「地位協定」で交渉することなしに日本国内で争って、たとえ、自民党が敗れても、野党連合を組んで、米国の意図を変えられると考えるのは、大変甘い考えであることは変わりない。沖縄の状況を直視すべきでしょう。戦いが目的でなく、要求が通らなければ成功といえないのです。米国との関係を互恵関係に変えずに、「違憲」論議をするのは、極端に言えば、違憲論者の権益に与しているだけに終わることが否定できないではないか。現状維持を肯定するのであれば、話は別であるが、米国の要求は現状維持でないことを認識すべきでしょう。