東京五輪組織委員会の森喜朗会長(83)が辞任し、その後継に川淵三郎氏が浮上したが、ネットで過去の発言に対するコメントが飛びかう事態に。結局会長就任を辞退。その後任に橋本聖子五輪担当大臣が浮上したが、東スポ「だが橋本聖子氏の組織委トップは”激ヤバ”の声。2014年ソチオリンピックの時に日本スケート連盟会長だった橋本氏がフィギュアの高橋大輔にキスを強要したと文春報道。写真も。セクハラ、パワハラと批判されました」の報道。SNSで文春報道、これに対するコメントがまた飛びかうということで、会長問題は混迷の中。
さらに、後任を選定する選考検討委員会の委員長に就任する組織委の御手洗冨士夫名誉会長(キヤノン会長)は御年85歳。密室決定かつ83歳から84歳への会長交代が大きな批判を浴びたばかりとあって、早くもネットなどには御手洗氏の年齢はもちろん、森会長とのこれまでの関係性を指摘する声まで飛び出している。
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森会長辞任は新しい流れ。多くの国民辞任を求める中、二階幹事長、橋本聖子五輪担当相、世耕参院幹事長ら継続の見解発表。舛添氏この流れに追随発言。だが結局辞任。最大はスポンサー企業の懸念。トヨタ社長等。国民の反対が企業イメージ悪化の懸念に発展。
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『朝鮮戦争の正体』への伊藤一彦氏書評。警察予備隊創設は「朝鮮戦争で米軍がいなくなった空白の防衛を埋めるため」(吉田首相の説明)とされているが、著者は「朝鮮戦争に参加させる体制をつくることが目的」とする。法律でなく、政令で→日本の民主主義の崩壊」
コメント
経済評論家の植草一秀には、どうもなんらかの「癖(へき)」があったのではという印象をわたしは持っていて、しかしそれと彼の経済評論はまた別、と考えている。一方で、彼に関する「事件」は冤罪だと感じているひとびとも多いことだろう。いずれにせよすべてはメディア次第であり、「素材」があったにせよなかったにせよ、いかような「料理」にも仕上げられる。この教訓を植草一秀の件から引き出すことはできるだろう。
お笑い芸人の岡村隆史は、昨年4月23日深夜のラジオ番組オールナイトニッポンで、「コロナが終息したら絶対面白いことあるんですよ。美人さんがお嬢やります。短時間でお金を稼がないと苦しいですから」と発言した。受け止めは人によってさまざまあるだろうが、わたし自身はこの発言は今回の森発言よりもずっと猛烈に批判されるべきだと感じるし、じっさいにその当時はかなりの批判もなされた。しかし批判はすぐに立ち消え、いまもNHKは、看板の高視聴率番組にあいかわらず岡村を司会として起用している。そのNHKは、(わたしはTVを基本みないので)ラジオのニュース番組をきいた限りでは、じつに上から目線で森発言を批判していた。
わたしは森を擁護するつもりはさらさらないが、今回のそもそもの発端は、なにがなんでも理事会に一定の数・比率の女性をいれろと、現場の事情もかんがみないで行政指導してくる文科省にあるのではないかと感じている。その文科省の姿勢に対する森流の(少なくとも公的な場所では抑制すべきだった)感想が「素材」となり、メディアの「発言切り取り報道」の技術で、ここまでの「料理」に仕上げられたということだ。しかし、メディアは、たとえば日本相撲協会(文科省の指導にしたがう、税金を優遇された法人)の理事の女性数や、それに対する文科省の姿勢を問題にするだろうか。
いまの日本人の普通の知的水準からすれば、「森によい印象は感じないが、さりとて、メディアにもなにかうさん臭さを感じる」というのがふつうのところであろう。メディアのつくったワクにしたがって、踊り狂っている知的水準の低いヒトビトもいるが、むしろ少数派のようにわたしには見える。メディアに踊らされる知的水準の低いヒトビトの見分け方のひとつは、かれらは女性の人権を問題にしながら、ウイグルはもちろん、日本人拉致問題(こども、かつ女性もいた)をも問題にしないという点だろう。
ところで、今回のできごとの「仕掛け人」はどういうヒトビトなのだろう。なんとなく想像はついていたが、それを報ずべきメディアがこの体たらくなので、証拠的なものは得られないでいた。しかし、今回の孫崎さんの記事で、証拠のひとつをみつけた。
・2019年に韓国の歴史教育における日本の植民地支配に関する定説を次々と否定した『反日種族主義』を読み、
《よくぞまぁ韓国の学者が、それも李承晩学堂の校長がこんな本を出版したものだと感心する。日本人が同じ内容の本を書いても信憑性を疑われるが韓国の博士が入念に調査実証した上での著作だけに反論するのは難しいはず。日本にとってこれ程有難い歴史書はない》(2019年12月6日)
と、『反日種族主義』についての川淵の感想ツイを「大失言」「問題発言」としているのがそれだ。『反日種族主義』を知らない人はいないとおもうので説明しないが、学術的立場をベースに書かれたまじめな本であり、議論の対象になりこそすれ、頭から差別だの女性蔑視だのと批判されるような内容ではない。つまり、逆に、川淵のような感想を「大失言」「問題発言」として黙らせたい勢力が、「仕掛け人」の少なくとも一角にいるということだろう。
こういう勢力の究極の目的は、「自らに都合の悪い言論は黙らせる」という点にあるとおもう。長くなったので詳説しないが、このモーメントは今次米大統領選挙前後にも頻繁にみられた。孫崎さんも、現象の背景にあるものを、えぐりだすような評論をしていただきたい。
>>9
ありがとうございます。だからこそ企業は1997年の山一証券・拓銀破綻からの金融危機による本格的な不況を非正規雇用を企業は増やすことで生き残りを行ったと思えます。
それまでの日本の雇用は終身雇用が代表されるように企業がセフィティーネットを担って来たのに、政府の対策は無策どころかセフィティーネットを削るありまさでした。おまけに財務省はこの中で地方の予算を削り、東京一極集中が加速し、氷河期世代の出現、少子化問題の加速と今後の日本に暗雲をもたらしています。
金融の規制緩和の金融ビッグバンなどを代表する数々の規制緩和と地方の予算やセフィティーネットを削る緊縮財政が日本に激烈な結果をもたらしたと思えます。はっきり言うと政官による片桐機長が羽田沖で行った逆噴射と同じ事が行われたのではないかと疑われます。
(ID:117221150)
民主主義の危機に陥ってはいないだろうか。相手を批判することは誰でもできるが、自己に置き換えた場合その任に堪えられる人がいるのであろうか。時空を超えて批判に耐えられる人など存在者に求めても不可能だ。
人間は、「生老病死」のサイクルの中で、現象化している存在に過ぎない。
人間は環境など諸条件に適応化して生きている。孤立して生活する場合を除いて、一定の恒常化した「生き方」などできる人など一人もいない。「過去・現在・未来」にわたって、多くの人に是認されるなど「夢のまた夢」であり、現実的に具現化する人はいない。時間・場所で生き方を変えていかなければ存在の危機に陥る。
義務を無視して権利を主張すれば、為政者として不可能な人を求めることになり、社会を混乱させるマスコミ・学者・評論家をどのように解釈すべきか。このようなことが続けば、中国・北朝鮮などのように独裁者が支配する社会にしていかなければならない。そのような社会にしなければ国民の要請に対応できないことになる。