「『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ』を見て泣いた子供がいた」というツイートにまつわる話 - Togetter

 今朝未明に作った上記まとめが、予想通り大繁盛でぼくのtwitterのmentionがすごいことになっている。こんな話より昨日ブログにアップしたTMリリックは中二なのか? ~TM NETWORKにおける小室みつ子と小室哲哉の詞世界のほうをよっぽど読んでもらいたいのだけど、世の中侭ならんものである。だったらあんなまとめ作るなって? はい、おっしゃるとおりデス。
 まあ、一応まとめ主として、何か言っておこうか。というか、まとめを作った約12時間後、今日の17時50分からの上映回を川崎チネチッタで観てきたので、その報告と感想も兼ねて。
 平日の夕方ということもあってか、第8スクリーン内は閑散としていて、観客数はせいぜい15%といったところだった。年齢層はおおよそ大学生が中心。中高生っぽい少女もチラホラいた。あと、10歳前後かそれ以下とおぼしき男児と女児、それに彼らの父親らしき若い男性(たぶんぼくより若い……)がいたので、上映終了後の言動を観察すべくチェック。
 さて、映画本編の話。こうしてまとめられた形で再見すると、実に緻密に、登場人物たち全員がお互いを追いつめあっていくようにシナリオが練られていて、ホント虚淵氏(とキュゥべえ)の悪意パないと思った。劇中でほむらが指摘するように、気軽にまどかとさやかを魔女退治に誘った時点で、マミは相当にギルティだと改めて気づかされたし。まどかの優しさが、さやかやほむらのメンタルを悪意なく削っている点も見逃せない。
 あと、まどかの妙な自己肯定感の低さと過度の責任感、そして「こんな自分でも誰かの役に立てるなら」という思考が、カルトにハマりやすい人(あるいは、こう言ってよければブラック企業の社畜)そのもの。ネタバレになるが、この思考形態は魔法少女になるその瞬間まで変わらないままである。まったく、キュゥべえ(と虚淵氏)は上手くやったものだ。かたちはどうあれ、結果的に宇宙のエントロピー問題を解決したという点では、この話、キュゥべえの勝ち逃げに等しい。なんだか『勇者特急マイトガイン』の最終回を思い出す。アレになぞらえるなら、まどかたちは二次元人で、キュゥべえ=虚淵玄は三次元人=握乃手沙貴。なればこそ、劇場版まどか☆マギカの美しい結末は、虚淵氏が魔法少女のコスプレをした声優たちにフルボッコにされる実写パートだと、ぼくはかねてより主張しているのである。
 話を戻す。この作品、あらゆる人物が感情移入を阻んでいるのだが、中でもどうにも共感できなかったのがさやかの「もう死んでいる、ゾンビの体では恭介に会わせる顔がない」という思考。キュゥべえと同じく、いやソウルジェムにかたちを変えて生きてるだろ、魂の在り処に何故そんなにこだわるんだとしか思えないのである。アイデンティティが確立しきっていない思春期ゆえの考え方や、潔癖さなのか。ただそのあと、まどかと抱き合って泣いて「ありがとう」と言った数時間後に手のひら返して罵るあたりは実に人間くさくて、ゲスい(虚淵氏が)。なんだかファーストガンダムの、ピンチを助けにきたカムランに「あたしが一番つらかったときに知らん顔で今さら……!」とキレるミライ・ヤシマを思い出した。
 杏子は、なんだか野中藍が妙に気負いこんで演技していたためか、いい子が頑張って悪ぶっている感がTV版以上に前面に出ていて、結果として可愛さが4割増くらいになっていた。まあ、悪ぶったあげく未必の故意を含む本物の悪事をいくつも働いている(と推定される)わけで、後編がTV版から改変されなければ、彼女は(富野由悠季的な意味で)因果応報的に死ぬのだけど。
 そしてほむら。いくつかのカットが、TV版10話を知っていると実に意味深である(特に、まどかに名前をカッコいいと評されて、思わず歯噛みするとき。あそこは描き直されていたと思うが、実にシビれた)。ただ、これは劇場版で省かれたシーンだが、ソウルジェムの濁りまくったさやかに対して「まどかを悲しませるくらいならこの手で殺す」と言ったあたりの狂気は、ファンのほむら評で意外と見落とされている気がする。はっきり言って暁美ほむらも、十分頭おかしい。
 あとはまどかの母親か。朝出かけるとき、まどかの弟と父親にはキスをしてまどかとはハイタッチを交わすというのは、なかなか興味深い描写だった。おそらく、この二人は心理的同志なのである。夜中にまどかの相談に乗るあたりも。彼女に関して言えば最も重要な台詞は「誰かの嘘に踊らされてねえな?」という、ワルプルギスの夜のさなかにまどかをほむらのもとへ送り出すときに流れることになるだろうそれ。嘘には踊らされてないけど、結局キュゥべえ=虚淵氏の手のひらの上で転がされた末に辿りついた答えがアレだったわけで、まどかは。ちなみにかつて「誰かの嘘に踊らされて」「この命、使うね」と散っていった人々は、いま東京は九段下の大きな神社に祀られている。畢竟、まどか☆マギカとは「君は何のためなら命をかけられるか?」という話なわけで、「大切な友達」およびすべての魔法少女のために命を捧げたまどかは実に『俺は、君のためにこそ死ににいく』(略称:俺死に)状態。石原慎太郎都知事がこの映画を絶賛するという悪夢の未来を幻想したのだけれども、それはさておきさんざ取り沙汰されている残虐描写の話だ。
 忘れている人も多いのかもしれないが、本作品の陰惨なイメージは「マミる」などの直接的な残虐描写ではなく、虚淵氏のストーリーテリングに由来している。そもそも、マミが首を食いちぎられる描写はコミック版以外ではなされておらず、アニメのそれは直接描写でさえない。本作品から、直接的な流血・残虐シーンは注意深く排除され、いくつかは抽象度を高めたアーティスティックな表現に昇華されている(例:身体じゅうに傷を負って魔女と戦い続けるさやかの影絵描写や、コミック版では魔女化したさやかに胸を貫かれている杏子の象徴的な流血シーン)。血も出ない「マミる」程度の描写ならば、およそレーティングなど必要がない。そして、「話がひどい」などというのは、レーティングの理由にはまったくならない。
 「子供が泣いた」というツイート(ぼくは、ついにそれを見つけることができず、似たようなニュアンスのものしか収集できなかった)をもとに仮想の子供を作りあげ、やれ子供が怖がるの、子供は理解できないの、子供にはつまらないのと議論を続けるのも不毛である。おのおのが実際に映画館で目撃したリアル子供をこそ根拠にすべきなのだ。ぼくが見かけたリアル子供であるところの、先述した女児は上映終了後、父親とおぼしき男性に「どうだった?」と訊かれ、こうのたまった。「……終わった感じがしない……」まあ、そりゃそうだ、前編なんだから。そう考えると、ヱヴァのごとくED(作画的な一番の見所は、鈴木博文によるフルレングス版EDアニメーションだったと思う)終了後に「次回予告」を出すべきだったかもしれないとは言える。雰囲気が壊れるかもしれないが。
 子供のものだった「魔法少女」をオタクが越境・簒奪し、深夜にこっそり弄んでいたのが、劇場版によって衆目に晒されてしまった、もっと自重しろという論調も、検索除けや「公式バレ」除けに必死な女性系同人界隈のそれに重なって見えて、受け入れがたい。そもそも、○○は××向けで△△は□□向けという欧米流の分断は、世界をつまらなくする。ジャンルの越境や簒奪、あいまいな区分こそが、この国のコンテンツの多様さと豊穣さをもたらしたのである。魔法少女という看板を掲げた悪趣味ダークファンタジー、大いに結構。子供が見てビビるのもまたよし。
 結論として、冒頭で紹介したTogetterまとめで延々と議論されているようなレーティング・ゾーニングなど、本作品には一切必要ないと断言する。
 ただ一考すべきは、まどか☆マギカの悪趣味芸は深夜アニメだからこそ成立しえたという点だろう。そもそも本作品は、新房昭之・蒼樹うめ・虚淵玄というメインスタッフ陣の名前に釣られたオタク層が主な対象であり、そのうち少なからぬ人々が「虚淵玄」という名前に強く反応し、絶対に何か陰惨な展開をやらかすはずという期待を放映前から抱くという、非常にハイコンテクストな作品だった(その後、ライト層も多く取り込むことに成功したのは、作品そのものの強度ゆえだろうが)。劇場版の上映館が少ないのも、コア層に向けた映画化で収益を上げるという、最近流行りのオタク向けアニメのビジネスモデルであることの証明である。
 ところが、少なくとも絵面は『ひだまりスケッチ』と同じく、蒼樹うめ(と岸田隆宏)の可愛らしいデザインだったわけである。冒頭のTogetterまとめ記事で、自身の子供が「初めてはまった魔法もの」がまどか☆マギカであるという、おそらく女性のユーザは「あれではちょっと予備知識なきゃ普通の親子連れは入っていっちゃいますよ~」と呟いている。まとめには掲載しなかった部分も含め、複数ユーザとmentionでこの話をしていることから、ネタや釣りではない蓋然性が高いと判断する。まあ、そういう理由で観にきた親子連れはいたかもしれないし、いなかったかもしれない。
 フィクション体験とは、本質的にネタバラシのないドッキリであるというのがぼくの持論なので、彼らは(いたとして、だが)ぼくらのようなすれっからしとは違う、理想的な出会いをしたといえる。そういう意味では羨ましくすらある。ただ、受忍限度は人それぞれなので、衝撃や不快さがそれを超えてダメージを受けてしまった場合のケアというのも、考慮の余地はある。この点でかなり参考になるのが、うるるんロギー 【読売】中3女子「好きなマンガキャラが死んで悲しい 立ち直れない」に転載されている、『NARUTO』の好きキャラが死んで嘆き悲しむ女の子と、それに対する精神科医の回答だ。一読をオススメしたい。