はじめまして、あるいは、こんにちは。有村悠です。
  何から配信したらいいものやら思いつかないので、とりあえず6年前に書いた小説でも載せてみようと思います。
  初出は東京大学新月お茶の会の会誌『月猫通り』。何号だったっけ?

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 朝のショートホームルーム前、教室でクラスメイトとだべっているところへ、入ってくるなりずかずかずかと歩み寄ってきた女生徒に、

「この変態ッ」

 という怒声とともに側頭部に廻し蹴りを喰らい、水色のショーツの残像を目に焼きつけつつ薙ぎ倒される、などというのはまあ日本の平均的な男子高校生の生活とはかけ離れているだろう。

「何しやがる!」

 巻き込まれた友人二人を下敷きにしつつ身を起こし、加害者を睨みつけると、彼女――有原春香は蹴り終えた姿勢から腰に手を当てた仁王立ちになって傲然と僕を見下ろし、

「妹のいる兄はすべからく死ぬべきよ!」

 と、意味不明極まりない文句を吐いた。春香の言語明瞭・意味不明瞭発言には不本意ながら慣れているが、これはかなりハイレヴェルだ。

「えーと……十秒やるから落ち着け。それから言いたいことをもう一度整理しろ」

 頭をさすりつつ、友人たちを助け起こし、ついでに椅子も助け起こして座りなおす。春香はなおも肩で息をしつつ僕を見据えていたが、律儀に十秒後、

「妹は兄によって有形無形の苦痛を受けているのよッ」

 十秒では足りなかったらしい。だが僕は対話を試みる。

「その妹というのは俺の妹か、それともお前のことか?」

 僕には四つ下の妹がいて、春香には五つ上の兄がいる。

「両方」

 少し落ち着いてきた春香、

「ウチの兄貴がああってことは、同類項のアンタもそうに違いないんだわ」

 落ち着いてこのレベルなのだ。もうクラス中がこちらを見ている。

「だから何がどうなんだよ」

「……由紀ちゃんって、お風呂上がりにその……し、下着姿で歩き回ったりする?」

「……昨夜はパンツ一枚で肩にタオル巻いて腰に手当てて牛乳飲んでたな」

 妹――由紀の、あられもないというよりは目も当てられない姿を思い出しつつ答えると、春香の表情がまた少し険しくなり、

「それを見てアンタはどう思ったり何をしたりしたのかしら」

「育たねえなあ、と言ってや」

 言いかけて、三種類くらいの視線を浴びて沈黙する。先ほど僕と一緒に倒されたロリコンの伊瀬の嫉ましそうなそれと、春香の殺気をはらんだそれ、そして春香の傍に寄ってきた学級委員兼保健委員・高村麻美の眼鏡越しの冷え冷えとしたそれ。

「つまりアンタは由紀ちゃんの……胸とパンツを眺め回して、あまつさえドセクハラ発言に及んだと。ほほう」

 春香の声が三音くらい低くなり、

「そして部屋に戻ってアレやコレやッ」

 一気に一オクターヴ跳ね上がって咆哮した。

「アレやコレやって何だよ!」

 負けじと怒鳴り返すと、春香はやにわに頬を紅潮させ、

「だっ……だからその、胸とかパンツとかを……思い浮かべて……あ、う、」

 湿り気を帯びた声で言いよどみ、ついには黙りこくって俯く。ここに至ってようやく事態を把握した。つまり、

「お前の兄ちゃんがお前のパンツ姿で抜いてたのか。さすがひきこもりニート」

 先刻の被害者のもう一人、黒木が重々しく告げる。直後、壮絶な平手打ちが飛んだ。

「マジ最低ッ」

 春香が半泣き顔でわめく。僕は彼女の兄――祐介さんのよどんだ目を思い出し、

「だからって俺に八つ当たりするな! ていうか俺は断じてそんな変態じゃねえッ」

 憤然と抗議した。後半は高村とともに非難がましいまなざしを僕に向けつつあったクラスの女子たちへの宣言でもある。

「どういう頭の構造してたら兄貴にオカズにされた次の日にクラスメイトを蹴り倒すことになるんだよ! どこまでバカなんだお前は!」

「うるさい! アンタの頭の中なんて大体お見通しよ!」

「見通せてねえだろ! 俺にもお前の頭の中が見通せん、むしろカラッポで向こう側が見通せそうだ!」

「なんですってこのバカッ」

「バカはお前だッ」

 直後、春香の右足が一閃。再び水色のショーツを拝みつつかろうじてかわす。

「避けるなバカ!」

「避けなきゃ当たるだろうが短気バカ!」

「当たり死ねバカ!」

「ヘンな日本語作るな水色バカ!」

「みず……?」

  一瞬呆けた表情になった春香、直ちに真っ赤になり、

「見るなッ、バカ哲哉ーッ!」

 脇の机に置いていたカバンを僕の顔面にぶちこんだ。置き勉はしない彼女の、教科書とノートとペンケースと、一日三冊は図書室で借りる本の重みがひとかたまりの凶器になってクリーンヒット。

 昏倒する直前、

「まさにバカップルだな」「うむ」

 という、伊瀬と黒木の声が耳に届いた――。

(#2に続く)