新倉タケオくんの演奏を初めて見たのは、もう遥か30年前、めぐろパーシモンホールに、ドゥドゥ・ニジャエローズ・パーカッションオーケストラを観に行った時だ。まだデートコースペンタゴンロイヤルガーデンも結成していなかったが、僕は現在のモダンポリリズムに繋がる、あらゆるアフリカの音楽を聴き狂っていて、アフリカ音楽の音構造を研究していた。
当時、ティポグラフィカがザッパ路線からアフリカ路線に大きく舵を切った時期で、今堀(恒雄)は今堀なりに、外山(明)は外山なりに、大儀見(元)は大儀見なりのやり方でアフリカ音楽を追求していた。外山と大儀見は、有名な、ドゥドゥのワークショップ(それはセネガルで、長期間にわたって行われる)に複数回参加していた。
僕と今堀は在宅派で、とにかく手に入るだけのアフリカ音楽を、片っぱしから聴いて分析していた。今では聴き切れないほどの音源が手に入る時代だが、当時は、1枚1枚が大変なお宝だった。
コメント
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>>10
スパイク・リーが後撮りしてまでも放り込んできたBLMは、私もよいと思えなかったです。
バンドにブラジル人がいるのに、普通にロックなのかあ。まあ、バーンだからなあ。と。
(著者)
>>23
お買い上げありがとうございます!じっくり聴いたら1年ぐらいかかると思いますんで、ゆっくり味わってください!P-hourでのライブは、「闘争のエチカ」や「花旗」に収められています!
(著者)
>>24
スパイクリーのはちょっとダメでしたね。陰謀論に乗っちゃってる感じが。ブラジル人は、バーンのブラジル音楽時代の人脈ですよ。「死者の名前を読み上げてゆく」っていうのは、アカデミー賞における「今年死んだ人。の羅列」と、追悼の形が全く一緒、っていうのも、バーンにしてはベッタベタで悪手だと思いました。あんなことしないでも、彼ならうまいアイデアを出して、一撃で人種差別問題に杭を打てると思うんですが、あんまりちゃんと考えてないな、というイージーさに見えちゃったのが痛いと思います。バーンの過去の目曲の歌詞の方が、遥かに人間の持つ問題に対して雄弁だと思いました。