菊地成孔(著者) のコメント

userPhoto 菊地成孔
(著者)

>>3

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 これは良いポイントですね。重要なところなので、長くならぬよう、なるべく簡潔にまとめると

 1)「トーキングヘッズがアフリカンミュージックを(ロックに)最初に取り入れたバンド」というのは「リメインインザライト」のことだと思います。このアルバムは母集団が非常に多い「ロックファン」という巨大マーケットにインパクトを与えました。そういう意味では、「」内のテーゼは正しいです。

 2)しかし、おっしゃる通り、アルバム「リメイン」、そして演繹的に映画「アメリカンユートピア」(更に、「アメリカンユートピア」の実質、「前作」に当たる映画「ストップメイキンセンス」)には、ポリリズムどころか、クロスリズム(3×4=4×3)すら一切使用されていません。僕は事あるごとに「俺、トーキングヘッズのリメインインザライトからアフリカに目覚めたんですよ。という奴は信用しない」と発言し、納得と笑いと顰蹙を同時に買っています笑。

 3)「リメイン」は80年のアルバムで、この当時(ニューウエーヴ、NYアートロック全盛期)は、ニューヨークでのマルチカルチュアリズム=混血性が、エッジな時代でした。黒いピカソことバスキアの誕生(バスキアもニューウエーヴ系のバンドやってましたし)アンダーグラウンドではリップリグ&パニックなどが意欲的に、アフリカ系、チカーノ系のカルチャーを取り入れて、このエネルギーは、そもそもロックンロールが発明された時にも使用されましたが、のちのヒップホップ誕生にも使用されます。

 4)オーヴァーグラウンダーでこれをやったのが「リメイン」です。当時、アフリカンポップ(ロック=ファンク)のアイコンといえば、フェラクティの「ゾンビ」でした。「ゾンビ」は77年のアルバムで、同時代のジャメイカ音楽「レゲエ」、映画「アワラテンシングス」によって世界に広まった、ファニアオールスターズによる「サルサ」と並んで、のちのワールドミュージックブームを牽引しました。こうした流れは、80年台中盤から呼称が確定する「ワールドミュージック」の、プレイベントもしくは源流だったと僕は考えます。

 5)しかし、フェラクティもボブマーリーも、反体制的なアティテュード、とカリスマが物凄く、偉大なミュージシャンでしたが、「地の音楽」である、アフリカンクロス=ポリリズムや、キングストンのダンスホールレゲエ等は「大衆の踊るダンス音楽」あるいは「あまりに田舎くせえ」という社会的判断、審美的判断によって、捨象(切り捨て)されます。念の為強調しますが、どちらも「ローカリティーの臭さ」をカットし、合衆国音楽のスタイルに、ローマリティーを無理なく見事に結合させた素晴らしいフュージョン音楽です(いわゆる「フュージョン」という意味ではなく)。

 6)アルバム「ゾンビ」を全曲聞く人は、ほとんどいないと思います。あれは4曲入りですが、誰も聞かない3曲目(B面1曲目)は、クロスリズムで、「やっぱフェラクティもアフロ」と思わせますが、後の5曲は、JB的な16ビートファンクをアフリカ的に演奏したものです。リンガラ的な、メカニカルなシークエンスフレーズの反復、ベースラインの、ファンクにはないタイミング、エチオピアジャズに於ける、ファンク的ではない、演歌みたいな節回しのサックスソロなど、クロス=ポリを排した中で、アフリカ感を打ち出すのに成功しています。

 7)「ゾンビ」3年後の「リメイン」は、主にフェラクティ的な、ハードコアなアフリカンファンクに、エキゾチック味を添加したもので、前述、クロス=ポリリズムは入っていません。

 8)ワールドミュージックのオールドスクーラーであるユッスンンドゥールはピーターゲイブリエルに見出され、アフリカンポリリズム満載の「アフロポップ」を世界中に振りまき、「ワールドミュージック」の最初の全盛期を迎えます。84年以降になります。僕は「アフリカ性を敢えて排したアフリカ音楽であるフェラクティ型を、ニューヨークのアートロックシーンが取り入れる」という現象と、実に対称的というか、やっぱヨーロッパ人の方がアフリカに対してストレートだな。と思っています。

 9)「アメリカンエンパイア」(も「ストップメイキンセンス」も)どちらも観ましたが、デヴィッドバーンのソングライトの素晴らしさと、もともと演劇系だった出自からの、ステージ美術の素晴らしさが発揮される、良い音楽映画だと思いますが、演奏それ自体は、同期使ってないのが売りみたいですが、特に大したことはなく、動きながらの演奏も、大学のマーチングバンドやディズニーのパレードバンド平均だと思います。ただ、動かし方やコスチュームがすごいわけです。

 10)それよりも、僕は「バーンのソロプロジェクトなのに、トーキンヘッズの名曲メドレーでいいの?」と思いました。バーンは夥しいソロ作を出しており、一時期ブラジル音楽に傾倒していた時期もあります(そのどれもが素晴らしいです)。ソングライトがバーンなのだから良いのだろうけど、メンバーも存命中ですし(因みに「ストップメイキンセンス」は、トーキンヘッズのライブドキュメントで、バーンのソロプロジェクトではありません)。これって搾取的では?と思いました。BLMに対する仕草も、正直感銘は受けませんでした。

 11)というわけで1〜10を総合すると

<しかし菊池先生のお話を聞いていると、やはりポリリズムはアフリカ音楽の根幹なのかなぁ、という思いもあります。結局、デヴィッドバーンの音楽は日本のカレーやラーメンと言ったルーツから独立して存在しているものだと解釈しましたが、このことが文化盗用、搾取に当たるのかと、そういう考えも片隅に持つようにはなりました。>

 というご質問の回答としては、「デヴィッドバーンは、ストレートにアフリカに当たった訳ではなく、アフリカの、脱臭された音楽に当たったので、この例えで行くと、フェラクティやボブマーリーがカレーやラーメンで、カレーやラーメンは素晴らしい」「そして、文化的な盗用も搾取も、一義的な搾取ではなく、むしろ遺伝子の拡散だと考える方が正しいと思い」「そしてもし、音楽に搾取構造を見出すならば、音構造の利用よりも、<バンドで出した曲を、ソロでやりまくること>の方が、いささかそれに近いと思います。<ストーンズとは別の、ミックジャギュアのソロコンサートで、いろんなアート的仕様を施し、ストーンズの曲ばっかり歌った>としたら、わかりやすいと思われます(著作権の権利問題を言っているのではありません)」

 ということになります。単純に、70年台後半の段階で、白人ロッカーがクロス=ポリリズムを演奏するのは、様々な意味で不可能だったと思います。

No.10 37ヶ月前

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