村山談話・河野談話に未来はあるか?
第45回 スマラン慰安所「白馬事件」(その1)
前回少し触れた、スマランの慰安所を巡る事件について、
少し詳しく解説しておこう。
1944年(昭和19)3月1日、インドネシア・ジャワ島の
都市・スマランに「将校倶楽部」「スマラン倶楽部」
「日の丸倶楽部」「青雲荘」の4軒の慰安所が開設された。
だがその慰安婦の中には、売春をすることを知らされないまま
収容所から連れて来られたオランダ人女性が含まれていた。
この4軒の慰安所はこの地域の軍政を担当する第16軍司令部から
閉鎖命令を受け、約2ヶ月後の4月末までに全部閉鎖された。
第16軍軍政監部の鈴木博史大尉の証言によれば、
「慰安所でひどい悲鳴が聞こえるとの話を聞きこみ、
山本軍政監(兼第16軍参謀長)へ伝えると、山本は
“まずい、すぐ止めさせろ”と怒り、翌日に閉鎖命令が出た
……のちに彼女たちを集め申し訳のないことだったと謝罪した」
ということである。
つまり、これはあくまでも出先部隊が起こした不祥事であり、
司令部は決してそのようなことを許してはいなかった
ということには注目しておかなければならない。
戦後、スマラン慰安所の件は女性たちの告発により、
バタビア(現・ジャカルタ)におけるオランダ軍事法廷の
BC級戦犯裁判にかけられた。
被告は慰安所設置に関わった軍人や業者など12人で、
うち11名が有罪で1名が死刑、
残りは懲役2年から20年の有期刑だった。
ただ一人死刑となった岡田慶治少佐は慰安所設置の実務担当者で、
慰安所設置を命じた上官の大久保朝雄大佐が自決、
池田省三大佐が発狂したため、
一人で監督責任を負わされた形になってしまった。
岡田少佐は獄中手記で次のように書いている。
「将校クラブの婦人たちをよく可愛がってやったつもり
……その彼女たちが告訴している。それも嘘八百を並べて
……時勢が変ったので我々に協力していたことになっては
彼女達の立場がないのかと想像
……起訴状を見ると首謀者にされている
……『そうか飼犬に手を咬まれたのだ。
もう何も言うことはない』と覚悟した
……敵の銃口の前に立って、日本軍人の死に態を見せて
やることではなかろうか
(つづく)
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