ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。前々回に引き続き、共同注意の概念を通したゲームという現象の読解です。ゲームを成立させている多層的な合理性、その定義の困難は、同時的に複数の水準の要素が発生しながら、分解して分析できない、その特異な性質にあるとします。
4.2.3 創発的現象としてのゲームの二次的フレーム
本編の展開について、だいぶ間をおいてしまって申し訳ない。本筋としては、ゲームにおける学習と、共同注意が同時的に起こるとは、どういうことかについて議論をしていた。
なぜ、この「同時的に起こる」ということが重要なのかといえば、これがゲームに関わるさまざまな矛盾や、パラドクスを解く鍵になるからである。
ある、現象が同時に起こり、より複雑な水準の事態を引き起こすということは、そこに異なる水準の説明を生み出すということだ。そして、異なる水準の説明が可能になるということは、同時に矛盾やパラドクスに満ちた説明を可能にするということともつながっている。
いままで触れてきたとおり、ゲームを遊ぶということには、さまざまな矛盾した事態を内包している。いくつかの矛盾した事態を挙げてみよう。
・人は、通常においては失敗を避けるものであるにも関わらず、何度も失敗するであろうことが明らかにわかるような「ゲーム」という体験を自発的に遊んでしまう。(Juul,2013)[1]
・日常にしばられることから逸脱するために、ゲームをはじめる。しかし、ゲームをはじめれば、そこではまた別のルールに我々はしばられる。逸脱するためにゲームをしているのに、ゲームをはじめれば、そこではゲームのルールに従順になる。
・ゲームを終わらせる(クリアする)ために、ゲームを始める。
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