I 人間には行方不明の時間が必要です、というのは茨木のり子さんの詩の一行。
そもそも研究者だから、授業とミーティング以外行方不明みたいな生活をおくっていると言われるかもしれない。それでも、後期資本主義経済のめまぐるしい時間の流れから自由になり、個人としての一切の過去の憂いと未来への恐れに付随する想いから意識的に離れ、また現在の葛藤も悲しみも怒りと相撲をとるのをやめて、そのかわりに、長くて安定した呼吸をする、ただの生き物にもどる時間が必要だ。そうしないと、自分という存在が放つ光が鈍くなってしまうように思う。
ヨガをする。良質の呼吸と重力で血液やリンパ液の循環と栄養素の分配を促進することだけに集中する。あと、植物を見にいく。良質な酸素と草花の美しさをただただ取り込む時間があれば、それ以上の贅沢は私にはいらない気がする時がある。
人間の神経や血管のようにはりめぐらされる
コメント
コメントを書く(ID:18367902)
>>9
その通りでしょう。異論ありません。私も父親ですから、「うれしい」という父親としての感性が働きすぎたようです。
(ID:9443972)
鼻に掛けた態度に、皮肉で返すのは、庶民のお約束ってやつです。
「地球は美しい、生命は美しい、そして私も美しい」
このような文であっても、立派な詩でしょう。
私は娘さんの文学に文句をつけているわけではありません。
得意分野を武器にし、人より優れた面に優越感を持つのは私だって同じ。
みんな同じ穴のムジナです。
屁理屈ばかりで、ジョークや皮肉の一つも理解できない、
本当に頭の固い人達だ。
感性を養う努力をされることをオススメ致します。
(ID:33044899)
なんだかな~。読んでいて悲しくなってしまった。文字を書くということは2つの側面がある。他者に伝えるという側面と
自分自身に向けて何事かを意識させるという側面とである。この2つの側面が重畳することで、人間は考えることが可能になる。この文章の書かれている内容を問う以前に、この人は思想したことがあるのか?という想いに襲われてしまって、最後まで読んだけれど、「無残」としか言いようがなかった。知的無残、という言葉を送るしかありませんでした。ごく普通な人は
多分「いい加減にしなさい!」と一言ですますことをこんな風に書き連ねてみました。