A:事実関係
原子力規制委員会は15日の定例会合で、四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)が原発の新規制基準に適合しているとする「審査書」を正式決定した。伊方3号機は新基準で3例目の合格となったが、四国電が設備の詳しい設計をまとめた工事計画などの必要書類を提出し終えるのは今秋ごろの見込みで、年内の再稼働は困難とみられる。
田中俊一委員長は会合後の記者会見で「求めてきたレベルの安全性を確認した。ゼロリスクや絶対安全がないことは理解してほしい」と述べ、合格が絶対的な安全を意味しないとする従来の考えを強調した。(共同通信)
敷地の近くに国内最大規模の活断層「中央構造線断層帯」が通り、審査では地震の揺れの想定を引き上げるよう迫られた。(朝日新聞)
B:評価
・田中委員長は、「ゼロリスクや絶対安全がないことは理解してほしい」と述べ、合格が絶対的な安全を意味しないとする従来の考えを強調したのは、
コメント
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最近の社会的指導者の共通する悪癖は、本質を外し、全体の一部分の判断に過ぎないのに、一部分を肯定し、本質を論じることなく、臆面もなく、物事の判断を下すのである。
原発再稼働の問題は、原発を稼働することの本質的是非を問うことなく、例えば、地震、津波、火山噴火、テロなどの原発本体以外の人間の力を超えた諸問題があることを是認しながら、原発本体の安全性を判断し、再稼働の是非を判断するのである。技術屋は再稼働の判断をするのでなく、技術面から見た原発本体の再稼働の判断をするのであり、政治家は、技術面の判断をすることなく、政治的に判断するのである。どういうことかというと、再稼働判断に置いて、天災などの問題は再稼働の判断材料にならないということである。
技術、政治の世界で、問題点をトータル的に見て判断を下す人がいない、すなわち無責任な人たちが無責任な方式で物事を決めていくということであり、問題が起きても責任を取る人がいないのである。
原発再稼働だけの問題だけではなく、今回の集団的自衛権の法制化の問題も同じである。現在以上に米国従属するする必要性があるかどうか問うことなく、従属しなければならない、米国の要求は無条件に受け入れなければならないという前提の上に議論している。したがって、野党と何時間議論してもかみ合うことなどあり得ず、国民の理解がなくとも、米国従属が絶対であり、憲法無視、国民主権無視で、国民生活に直結する政策を決めていくのである。
「いじめ」の問題も同じであり、新しい時代の指導者の考え方にとどまらず、若い人に共通した思考方法なのでしょう。暗記させるだけの教育では、判断力は育たない。公共的善悪判断を超えた利己的判断が時代の流れとなっており、判断基準が、強いもの、自分に都合のよいものに偏っており、人間不信の流れはあらゆるところで発生し、社会的落伍者が増え続け、社会的救済コストが増えていくばかりでしょう。
(ID:43050801)
如何に原発のメリットを語っても、負の部分に真摯に目を向けたとき、日本のような地震国・災害国では、再稼働や新規はあり得ない。目先の利益や既得権、核兵器願望、米国従属・・に、思考停止状態になっているのでは?その状態から脱却し、覚悟を決めて動き出したとき、日本人の創造性がよみがえるのではないか。
原子力技術は「静脈産業」(廃炉や使用済み燃料保管、廃棄物処理)にシフトし、そこで日本の技術を磨くべき。技術力を高めれば、日本のウリ、途上国貢献になる。現状では「静脈系」は軽んじられているのではないか? ただ、高レベル放射性廃棄物の処分には頭を抱えてしまうのが現状だが。
(ID:32175174)
メルケルが「私の考えを変えたのは、やはり福島の原発事故でした。この事故が、日本という高度な技術水準を持つ国で起きたからです。そんな国でも、リスクがあり、事故は起きるのだということを如実に示しました」と言ったとすれば、彼女には福島の原発事故がどうして起きたか、それがドイツでも起き得るかについて充分理解していないことを意味する(これは素人である彼女としては当然であるが)。まあ、ドイツのような理屈っぽい、合理性の高い国の飛行士も頭がおかしくなって、自分が載っている飛行機をわざと墜落させるということも起きるのだから、国の文明度とか国民性みたいなものを持ちだしても、それから結論を引き出すわけにはいかないだろう。危険と言えば人類が存在していること自体、危険なんだよ。完全に安全なものなんて存在しないよ。日本だけは平和な国に成りたいと言うのも、所詮適うことの無い夢だよ。生きているから、死ぬんだよ。言わば、我々生きとし生ける者はすべて死ぬために生きているんだよ。人工物はすべていつか壊れるために作られているんだよ。