「高市早苗総務相、山谷えり子拉致問題担当相、有村治子・女性活躍相の3閣僚は18日、秋季例大祭が行われている東京・九段北の靖国神社にそれぞれ参拝した。
高市氏は参拝後、記者団に「国策に殉じられて、尊い命を落として、国の存立を守ってくださった方々に感謝の気持ちと哀悼の誠をささげた」。山谷氏は「国のために尊い命を捧げられたご英霊に対し、感謝の誠を捧げた。平和な国造りをお誓い、お約束してきた」と語った。」(18日朝日)
第2次世界大戦、英霊を敬うという言葉で、如何に満州、中国などの侵略的行動を正当化してきたか。
私は今、日露戦争から真珠湾まで学び始めているが、幾つかの事例。
1:1913年9月5日、外務省政務局長阿部守太郎が、赤坂霊南坂坂の自邸門前に於いて、二人の暴漢に襲われ、短刀で刺されて、翌日死亡しました。ほぼ初めの暗殺事件です。
1911年に辛亥革命が勃発し、日本はその対応が問
コメント
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五人の女性閣僚のうち、「政治と金の問題」で二人の閣僚が辞任に追い込まれた。残りの三人の「靖国シスターズ」のうち二人は在特会の幹部とのツーショット写真が公表されてもたいして問題にもされていない(彼女らの後ろ盾の安倍自身もこうした写真がある)。孫崎享氏が今回明らかにしてくれたのは、「国ために尊い命を捧げられた英霊に感謝の念を云々」という論理が侵略戦争を正当化する論理にほかならないということである。そしてさらに、在特会とのつながりが示すように、それは朝鮮人や中国人に対する排外的ナショナリズムの論理でもある。ネギや団扇よりこちらのほうがはるかに重大だ。マスコミは、重大な問題を見て見ぬ振りをするために、些細なことを騒ぎ立てるもののようだ。
(ID:36838151)
昭和天皇が何かのかたちで勇敢に最高指揮官としての責任をとられていたなら、日本国民は責任をとる重要さを学んだでしょう。自らが退位して皇太子に摂政をつけることも可能でした。日本国民が責任をとらないのは昭和天皇の臆病さが影響しているともいえるでしょう。
ここに福沢諭吉氏への言及が見られるので、同氏の曾孫へこのblogを転送しました。
(ID:21835634)
denchubinさん
なぜか2日つづけてあなたのコメントがわたしをインスパイアしました。
靖国シスターズのツーショット写真問題がより重要なのはそのとおり。
海外ジャーナリズムはそれを最大に問題視してます。
日本のマスコミはその点を軽視しているのはどうかしてますね。
靖国シスターズは「たくさんのひとと写真を撮るので」と弁明してます。
しかし、「ああいうひとと知っていたら決して撮らなかった」というの
は巧妙に避けている。
日本のマスコミはしないのです。
その重要な質問を。
だから彼女たちはキズなく易々と逃げてる。
マスコミは逃がしてる。
わたしは子供のころから強い違和感をもっていました。
なぜ戦死者に「感謝」するのだろうと。
若い頃見た映画、パットン大戦車軍団でパットン将軍が演説します。
国のために死ぬなど決してしてはならん。
それは国のためにならん。
相手を国のために死なせろ。
だってそうでしょう。死ねば敵をもう殺せない。
国のために働き税金を納めることもできない。
税金を払うどころか国に遺族年金を払わせる。
子供をつくって国の人的資源に資するもできない。
それができるのは生きているひとだけです。
戦死者にたいしてはもちろん同情する。
哀悼もする。
でもなぜ「感謝」を。
もちろんすぐにそれは分かりました。
戦死者に感謝するのなら、かれらに命令した人も正当化されるから。
戦争そのものも正当化できるから。
だから戦死者に感謝などしてはいけない。
なぜかれらは死ななくてはいけなかったのだと怒らなくては
いけない。
責任者出てこい、と。